第十五話
一通り話し終えたのだろうか。
レイラはその先を語らなくなっていた。
街は夜を迎え、俺たちが互いの顔を判別するには、月明かりだけが頼りだ。
そんな月夜に照らされる幼いままの少女は、爽やかな顔立ちをしているように見えた。
「言えて、すっきりしたって顔かな」
何から話していいのかも分からず、見たありのままを口にしていた。
「そうかもね」
レイラも頷くだけだ。
「…………」
数分の間、俺たちは言葉を交わさなかった。
だけどそこに気まずいだとかそんな気持ちはなくて、三年前の続きをしているだけだった。
でも、三年前と今では何もかもが大きく違う。あの時と変わらない姿をしているレイラでさえ、俺の知らない部分がたくさんあった。
今、一本杉から街を眺めている俺たちの目には、同じ景色が映っている。ただ、それは互いにどう映っているのか。本当に同じ世界を見ているのか。それ以上に、同じ場所に存在しているのか。
ここはレイラの創った世界。
いいや、話の通りだとするならば、レイラの中と表現するのが正確かもしれない。それはつまり、レイラの体内だとかそういう意味ではなく、レイラという世界の概念が創られ、そこに俺たちが暮らしているということなのだろう。
そして、その世界の管理者が霊羅。
霊羅はレイラである。
一度に頭の中に叩きこまれたところで、到底処理しきれるものではなかった。
信じられない。その一言で片づけたくなる。
だけど、それだけで済ませられるのなら、俺は今こんなにも頭を悩まさない。
レイラが語った話はどれも信じ難いものだ。信じたくないのならば、俺の意思でそうすることも出来る。だが、語った内容の中には信じ難いどうこうを抜きにして、信じたくないことがあった。
それはつまり、内容が本当であったとしても信じたくはない、という意味だ。それだというのに、それそのものが一番現実味を帯びている。
カルロスさんがこの街を、国を滅亡させることに加担していたということ。
それだけはどうしても信じる事が出来なかった。
「レイラ……。カルロスさんのことなんだけどさ……」
これは触れていいことなのだろうか。
いや、これからのことを考えれば聞くべきなのだろう。
レイラ自身が過去を語ってくれたのも、俺にこのことを知ってほしかったからなのだろうから。
「スパイだったってのは、本当、なんだよな……?」
「本当だよ。小学校を卒業した時から、私はお父さんを裏切ったんだから」
「裏切った?」
「私が娘だから警戒は薄いと思ってたの。でもそんなことはなくて、お父さんは誰にも自分がスパイだってことがばれないようにしてた。それでも私は、証拠をつかむまでお父さんがスパイだってことは最後まで信じられなかった。だからお父さんのためにお父さんを裏切ったの」
裏切った。
敢えて自らそうした表現をするところに、レイラの心の痛みが伝わってきた。
「私を神社に連れていった男の人たちの話はしたよね。その人たちにお父さんの全てを見せてもらったの」
「それは裏切ったとは言わないんじゃないか」
「ううん、私はお父さんを信じきれなかった。お父さんとは敵のはずの、男の人たちにも協力した。私は裏切ったんだよ」
「……でも、それはレイラが悪かったんじゃない」
レイラに責任がないことは明らかだ。
だけど、それ以上のことは言えなかった。
これは誰が悪いとか、そういう問題じゃない。
こうなる運命の道筋は、俺たちが生まれる以前から決まっていたのかも知れない。
いつから始まったのか、物心ついたころには国と国が戦争をしていた。しかしそれは当たり前の状況であり、一度も経験することのなかった現実味を帯びないものだった。
だが、この体でその争いを体感したのは三年前であり、その時にきっと俺たちは死んだのだろう。俺たちは、敵国の爆撃で国ごと消されたんだ。
だけど、そこで終わりにしなかったのがレイラだった。
この世界を創って、そのまま消えるはずだった俺たちをこうして残してくれている。霊羅という、人智を超えた存在になることによってそれを成し得たんだ。
けど、新たな世界でのんびりと暮らすなどといった生活は訪れなかった。それさえもレイラは知っていながら、こうした世界を望んだのだろうか。
携帯には家から連絡が来ていた。
すぐに帰ると連絡してから、それなりに時間が経ってしまっている。
心配しているのだろう。
だけど、もう少しだけレイラと話していたい。
話さなくちゃならない。
「なあ、レイラ。レイラは霊羅、なんだよな……?」
「そうだよ。やっと信じてくれた?」
「まあ、レイラが言うなら。でさ……聞きたいんだけど……」
「なあに?」
「魄奪っているだろ? あれってレイラがやってるんだよ、な」
「あのね、私もそのことが話したくて、ずっとここにいたんだよ」
「ずっと?」
「そう、ずうーーーーっと!」
俺は初めてレイラに関して後悔を感じた。
変な意地を張っていないで、もっと早くこの場所に来ればよかったんだ。そうすれば、この話だってもっと早いうちに聞けていたかもしれない。
「ごめん……」
三年も待たせていたなんて、何より男として失格だ。
あの時は俺が待たされていたけれど、そんなものとは比較にならない。
「ううん、いいの。私だってみち君を呼んだわけじゃないから」
「でも、レイラは霊羅なんだよな? ずうっとここに居られるのか?」
「どういうこと?」
「霊羅ってでかいじゃん」
「あー! 女の子にそういうこと言っちゃいけないんだよ!」
「いや、あのさあ……」
さすがに無理があるというか、霊羅が女の子だなんて考えた事もなかった。
レイラなのだから、間違ってはいないのだろうけど。
「なんてね、冗談冗談。霊羅じゃない時はこの姿のままなんだよ」
「そうなのか!?」
それは思ってもみないことだった。
霊羅でない間がこの姿のままならば、少なくとも今まで通りに暮らしてゆける可能性があるということだ。
しかし、思いついてすぐにレイラがそれを否定した。
「みち君の考えてることわかるよ。それは嬉しいけど、駄目なの」
「どうして」
「だって、私が霊羅だって知ったら、皆はどんな反応をすると思う?」
「レイラだったんなら何の問題もないじゃないか」
「もうちょっと考えてよー」
「何で駄目なんだよ」
「さっきみち君が私に聞いたでしょ? 魄奪は私がやっていることなのか、って。そのとおりだよ」
「あ……」
「私は人の命を奪っている。理由がどうあれ、今までそうしてきたことは本当のこと。なら、それを知った皆は私のことを良くは思わないよね。もう戻るのは無理なんだよ」
レイラの言うことは尤もだった。
今更、霊羅の正体がレイラだと判明したからといって、それが何になる。霊羅はこれまでたくさんの人を苦しめてきた。家族を、友人を、恋人をあらゆる人々から奪ってきた。もう二度と会えないという苦痛を与えてきた。その苦しみが俺にも解らないことはない。
今でこそ、俺はレイラとこうして話すことが出来ているから、まだ恵まれているのかもしれない。だが今でも街では悲しみに暮れ、そして霊羅を憎み恐れている人たちがいる。
レイラに戻って来てほしいなどという考えは、安直過ぎるのではないか。
「それにしても、魄奪って名前は誰がつけたのかなあ。霊羅から出るのは全部私であって、あの小さいのも霊羅なんだけどな」
意図的にそうしたのか、レイラは話を逸らしているようだった。
「……たぶん、霊羅と魄奪は別物だと思ってるよ。でかい方が直々に魂を奪うなんてことをしたことはなかったからな」
「そりゃあそうだよ。私だって、本当はこんなことしたくないんだから」
「本当は?」
「そ、本当は」
そういえば、さっき俺が魄奪について話しを聞こうとした時、レイラもそのことが話したくて俺を待っていたと言っていた。
「本当はしたくないってどういうことなんだ」
「今までみんなが見てきた霊羅。あれは完全じゃないの」
「完全じゃない?」
もっと恐ろしくなるとでも言うのだろうか。
そんなことになったらごめんだ。
しかし、そうではないようだ。
「霊羅になる前、私の魂は器から切り離された。切り離した魂を分霊としてさらに二つに分けられたの。その分霊はペンダントに封印したんだよ」
「ペンダント……!?」
「そう、ペンダント。みち君が私にくれた玩具のペンダント。私の魂は大切な物の中に仕舞っておきたかったから」
「そうか……」
そうだったのか。
今まで、俺はなんて誤解をしていたのか。
レイラは自分の魂という、失くしてはならないものをペンダントに封じていたから、それを持ち出すようなことは出来なかったんだ。大切にしていてくれたからこそ、そうしたのだろう。
それなのに俺は、自分の勝手な思い込みで嫌われたと勘違いをしていた。
俺のことも考えてくれていたレイラの気持ちを、結局は俺が考えてやれていなかったんだ。
「それで、そのペンダントはどこに――」
言おうとして、俺は何か引っかかった。
「それがね。ペンダントは失くしちゃったの」
「そ、そうか」
今は、残念だ、という体を装うぐらいしか出来なかった。
「街に爆弾が落ちれば、みんな死んじゃう。でも、その死と私を対価にこの世界が出来上がる。私の体はこの世界を包む幻殻として、魂は世界の管理者である霊羅として姿を変えるはずだった」
「ペンダントを失くしさえしなければってことか……」
「ううん、見つからなくなっただけなら何も問題はないの。霊羅が不完全なまま幽世が出来ちゃったのは、ペンダントの中にいた私の魂が消えちゃったから」
「ペンダントから魂が抜けたってことか?」
「そうかも。誰かが出しちゃったとか。そのために、二つに分けたんだけどね。何かあっても、幽世だけは創れるようにって」
「ん? ちょっと待った。二つあるってことは、もう一つの魂もどこかにあるんだよな」
「えへへ」
何故、そこで笑うのか。
レイラはまるで当てて見せてごらんとでも言いたげだ。
「私は言ったよ? ペンダントに封じたって」
ヒントのつもりなのか。しかし、なかなか答えられずにいる俺に、レイラは少しむすっとしていた。
確かに俺もペンダントは持っているが……。
これはいつも持ち歩いている大切な御守りのようなものだ。
ポケットに手を突っ込み、取り出してみる。
月明かりが、薄暗い中に蒼いペンダントを映し出した。
「まさかな……」
だが、レイラの顔はそうだと言っている。
「……この中にもレイラの魂が?」
レイラは満面の笑みで頷いた。
「嘘だろ? いつ入れたんだ。俺、今日レイラに会うまで、分霊の話とかまるで知らなかったんだぞ!?」
「さあ、いつでしょー」
今度はヒントも期待できなさそうだ。俺は少し考えて見る。
レイラが霊羅となる決意をした時期は、小学校を卒業した時から中学に入学するまでの期間ということになる。その間、俺とレイラはあまり会っていない。今思えばそれは、レイラがカルロスさんのことを調べたり、神社に通っていたからだったのだろう。俺から誘えば遊んだりも出来たのだろうが、卒業してからは男友達と遊ぶことが多かった。つまり、見当がつくのはやっぱりあの日しかない。
「最期の日だったってことか……」
「そうだね」
「でも、どうやって?」
「分霊した時点で、私の体はもう抜け殻だったの。魂を抜き出した後、いくつに分けても関係ないんだよ」
「つまり?」
「入学式の時までには、とっくに抜け殻だったってことかな」
「え? てことは、入学式に来たのも、俺があの時に会ったレイラも……抜け殻のレイラ?」
「ううん、あれは魂。小学校を卒業してからは、私の体はずっと神社にいたの。抜け殻じゃあ、動けないもん」
「魂だけで動けたってことなのか?」
「そうだよ。もう一つの分霊は、みち君の御守りになりたかったから、ぎりぎりまで残ってたんだー」
「そうだったのか……」
レイラの気持ちが、今やっと理解できた気がする。
だが、一つ疑問が湧いた。
「あれ? レイラは霊羅になることが出来るんだよな? だったら、今は俺のペンダントには魂が宿っていないことになるのか?」
「ううん、今の私は魂じゃないんだよ」
「魂じゃない……?」
「そ、私は魂でも器でも、その二つが合わさったものでもないの。この世界に分霊があることによって存在し続ける幽かな精神体。だから、みち君のペンダントの中には私の魂が入ったままだよ。それがなくなると私は消えちゃうから、大切にしてね」
レイラが消えるのはもうごめんだ。
俺は、絶対にこれを手放さないと決めた。
「じゃあ、レイラはいつも俺の近くにいたってことか」
「そーゆーこと!」
やっと気がついてくれた。そんな顔をしている。
俺も、やっと気が付いてあげられた。
レイラは初めから俺について守ってくれていたんだ。
いつの日か俺が守ってあげた子が、今では俺のことを守ろうと頑張ってくれていた。それは俺の想う人でもある。あの時、気持ちを届ける事は出来なかったけど、今なら出来る気がする。
だけどそれはしなかった。
今とあの時じゃあ、やっぱり状況が違う。
「それじゃあ、レイラの分霊の一つは俺のペンダントに入ってるとして……。もう一つの分霊が入ってたはずのペンダントを探せばいいんだな? そうすれば、魄奪のことも解決するんだよな?」
「うん。幽世は人の体と同じなの。魂と体がないと生きていけない。今、幽世は体だけがしっかりしていて、魂が欠けている状態。だから霊羅になった私は、無意識に魂を人から集めちゃう。そうしないと、幽世ごとみんな消えちゃうから」
霊羅は、始めから俺たちの敵じゃなかったということだ。
レイラが俺たちに存在していてほしいからしたことであり、それが間違っているとは思えない。しかし、ペンダントに封印しておいたはずの分霊が何かしらの理由で消えてしまったから、魄奪という方法で欠けた分の魂を維持するしかなかった。結果として、それが幽世に暮らす人々に恐怖を与えることとなり、霊羅は敵視され、レイラの望んだ本来の世界とは異なってしまったというところだろう。
「まあ、任せろ。俺がすぐに見つけてやるからさ」
「ありがとう。やっぱりみち君は優しいね!」
「そんなことないって。今までだって、俺は復讐だなんて考えながら、魄奪がレイラだとも知らずに倒してきたんだ」
「それは仕方ないことだよ。それに、みち君は初めから復讐だなんて考えてなかったと思うな。だって、私のためだけに戦っていたわけじゃない。みち君は、いじめられていたのが私じゃなくても助ける人なんだから」
「どういうことだよ」
「私と同じってことだよ」
姿は成長していなくとも、三年分の心の成長はあったのか。
レイラはこんなに遠回しな言葉を使うような子じゃなかった気がする。
だけど、そんな変化も今の俺には嬉しくて仕方がなかった。
「でも、ペンダント見つかるかなあ。ちっちゃいよ? なくなったの三年前だよ?」
「きっと大丈夫だって」
心当たりはある。同時に気がかりな点もあるが、今それは置いておこう。
どちらにせよ、一刻もはやくレイラの手元にペンダントを戻してやりたい。
そうすれば、この三年間の戦いがすぐにでも解決するかもしれないのだから。
「……と、家からまた連絡がきてる。そろそろ帰らなくちゃ」
「私のことは気にしないでね」
「下には降りられないもんな……」
「ごめんね。わがまま言って」
「仕方ないさ。でも、また会えるよな?」
「うん、私はいつでもここにいるよ」
「じゃあ……。また必ず来るからな!」
「またね」
せっかく再会できたのに、また別れるのは辛い。
レイラを一人残して去るのは心苦しい。
だけどレイラのためだからこそ、俺は行かなくてはならない。
「またな」
去ろうとして、ふと聞いておかなければならないことを一つ思い出した。
「どうしたの?」
「ペンダントは、宝箱に入ってたんだよな」
「あ! 覚えててくれたんだ! そうだよ、あの宝箱に入れて鍵かけてたの。でもなくなっちゃったんだ」
言いながら、レイラは短パンのポケットから宝箱の鍵を出して見せてくれた。
「……そうか。探しておくからな」
「うん!」
夢のような時間を終え、俺は急いで麓まで降りたのだった。
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