第十三話

 外国の人間といっても、私はこの国で育った。生まれはお父さんやお母さんの故郷らしいけれど、物心ついた時にはすでにこの街で暮らしていた。

 だから、実質の故郷はこの街のみんなと同じだ。

 いろいろと聞かされるまで、私はこの国の人間だと思っていたし、皆の言う外国人の意味も小学校に上がるまでわからなかった。

 そんな私が男の人たちに連れてこられたのは、どこかの神社だった。

 短い階段があり、それを登ると大きな鳥居がある。

 鳥居をくぐると、参道の向こうに社が見えた。

 決して派手な装飾ではないけれど、立派な佇まいだと子供心に心を震わせた。

「さあ、こっちだ」

 男性たちは、決して私に乱暴を働くようなことはしなかった。

 それが私の警戒心を解くためだったのかはわからない。

 でもその時の私には、それだけで十分優しいと思えてしまった。

 誘導されるがままに着いて行くと、社の中に通される。普段の生活では絶対に入ることの出来ない場所だから、ドキドキせずにはいられない。

 靴を脱ぎ、板張りの床を歩いて行く。

 男性はある部屋の前で止まると、その部屋の襖を開いた。

 部屋に通される私。

 室内の床は畳で、いかにも神社らしい。中では神主さんが正座していた。本当は違ったのかも知れないけれど、私にはそうとしか見えなかった。

 後ろで襖が閉められる音がする。

 私はもう、一人で逃げることは出来ないだろう。

「まあ、そこに座りなさい」

 神主さんに言われ、私は素直に座る。

 私をここまで連れてきた男の人たちも、私の後ろに座ったようだった。

「それで、貴女はこの者たちにしっかりと詳細を聞かされてからここへ来たのですかな?」

 たぶん、男の人たちに話を聞いてからここへ来たのか、と言っているのだと思う。

 私は頷いた。

「守ってくれるって言ったの」

「…………」

 何故だか、神主さんは後ろの男の人たちを睨みつけていたと思う。

「守る。それは間違ってはいませんが、貴女は守られる側ではありません」

「……守ってくれないの?」

「守る側になるのです」

 私が守る立場になる。

 考えてもみなかったことだ。

 しかし、どうしてこんなことになっているのか。

 問おうと思った時、神主さんは唐突に首を振った。

「……やっぱり出来ませんね」

 何が出来ないのか。

 私にはとんと理解出来ない。

 だけど、男の人たちは神主さんの言葉にえらく反応した。

「いえ、この子供でやってもらいます。他の子供はどうあっても親が離さない」

「この子の親も離したくはないでしょうに」

「無理矢理に引き離されても、文句は言えないだけのことはしたはずだが?」

 これまでの様子とは違い、男の人たちは威圧的だった。神主さんも引けを取らない態度だったが、立場的には下のように見えた。

 何を話しているかはわからない。でも、大人が喧嘩しているだけで私は怖かった。

すると、男性の一人が立ち上がって私の目の前にやってくる。

「ちょっといいかな?」

 素直について行くと、襖の外ですぐに立ち止まった。

 もう一人の男の人と神主さんは部屋の中で座っているままだ。

 男の人が襖を閉める。

 私をここへ連れてくる前と同じように、しゃがんで視線を合わせてきた。

「お嬢ちゃん、どうしてここへ連れて来られたのかわかるかい?」

 連れて来られた理由は解らないが、着いてきたことには理由がある。

「守ってくれるって言ったから……」

「いいや、違う」

 男の人は即座に否定した。

 そして、まだ幼かった私に言う。

「君のお父さんはスパイをしているんだ」

「すぱい?」

 小学三年生だった私にスパイだなんてわかるはずもなかった。

 だけど、男の人は言葉巧みに私の思考を誘導した。

「悪いことだよ」

「悪いこと……」

「そう、悪いこと。この国の人間を皆殺しにしようとしてるんだ。みんな死んでしまうんだよ。君のお父さんの所為でね」

 それを聞いた私は、青ざめていたと思う。

「お父さんのせいで……みんな死んじゃう?」

 もう訳が分からなかった。

 守ってくれるかと思えば、私が守る側だと言われ、次にはお父さんが悪い人だと言われる。

 私はどうすればいいのか。

「悪いことはいけないよね?」

 男の人が問いかけてくる。

「う、うん」

 当然だ。

 人を死なせてしまうなんて、悪いこと以外の何ものでもない。

 嘘をついたり宿題を放り投げたりなどという、子供らしい悪事とは比較にならない。

 私が肯定したのを見て、男の人はまた口だけが笑った。

「なら、償わなくちゃならないよね」

「つぐなう?」

「悪いことをしたかわりに、みんなのためになることをするんだ。そうすればお父さんのした悪いことも帳消しにできるよ」

「本当?」

「ああ、本当だとも」

 私はすぐにでも、この人たちの言う償いがしたいと思った。

 だけど、よくよく考えてみれば、私のお父さんがそんなことをするとも思えなかった。

 見ず知らずの男の人と、自分自身の愛すべき父親。

 どちらを信用するかと言われれば、答えは明確だった。

「……やっぱり嫌」

「うん?」

 私の反応が予想外だったのだろう。

 男の人の口は笑うのを止めていた。

「お父さんは悪いことをしたんだよ? それをそのままにしていいと思ってるのかな?」

「だって、お父さんは私に言ってない。悪い事したら言わなきゃだめって言ってるのに」

 だからお父さんも、本当に悪事を働いているのであれば、私に言っているはずだと思ったのだ。

「あのねえ。大人の言うことは聞くもんなんだよ。君のお父さんは人殺しなんだ。これからまた多くの人を殺そうとしている。そんなこと許されないだろう? だから君はお父さんの子供として、それを償わなくちゃならないんだよっ」

 だんだんと語気が荒くなってくる男性に、私は恐怖を覚え始めた。

 すると、不意に襖が開けられる。神主さんだ。

「もうその辺にしてあげなさい。この子自身が答えを出したではありませんか」

 助かった。神主さんは私に味方してくれているようだった。

「あんただって死にたくないだろう?」

 男の人が神主さんに向けて言った。

「秘術を使おうと命が燃え尽きた事に変わりはない。それに、秘術により現れるのは被術者の器と魂の権化。どんなに無理強いしようとも、本人が望まなければ檻の役割すら果たしはしませんぞ」

「…………」

 私には何の話をしているのかさっぱりだった。

 それでも、男の人が黙ったからには、私を守るために説得してくれたんだと思った。

「……まあいい、まだ時間はある。その時までにはこいつも自分の置かれた立場を理解するだろう。そうなれば、いずれは自分から願い出るだろうさ」

 こいつ、とは私のことなのだろうか。

 男の人は静かに怒っているようだった。

「お嬢ちゃん、今回のことは忘れてくれないかな」

「え?」

「誰にも言っちゃあ駄目ってことだよ。もし言ったらどうなるかわかるよね」

「ど、どうなるの」

「君もお父さんも死ぬことになる」

「…………!」

 心臓がはち切れんばかりに鼓動を早くした。

 それだけで、私は誰にも言わないと心に決めた。

「子供になんてことを言うんだ!」

「まあ、また来ますよ」

 神主さんが怒ると、男の人たちは不機嫌そうに帰ってしまった。

「全く……。大丈夫かい?」

 大丈夫なはずはなかった。

 もし今日のことを話しでもしたら、それだけで私やお父さんが殺されると言われたのだ。子供の心にはショックが大きすぎた。

 震える私を見て、神主さんは酷く心配してくれた。

 その日はもう日が暮れてきているということもあって、まだ小さい私を家まで送ってくれた。昔から住んでいる街だから、案内ぐらいは私にもできた。

 送ってくれている車内の中で、神主さんも今日のことについて話していた。

「私はあの男たちのようなことはしないから安心しなさい。何かあったら相談するといい。ただ……今日のことは絶対に誰にも言わない方がいい。貴女は決して安全な世界に暮らしているわけではないからね」

 言わない。

 絶対に言わない。

 私は心に誓った。

 家へ着くと、仕事から帰って来ても私がいないことを心配したお父さんが、家の前でうろうろしていた。当時は街の人たちにも差別を受けている中だったから、誰にも相談できなかったのだと思う。仕事終わりに一人で私を探して、たくさん心配して、すごく疲れているようだった。

 神主さんは、私が迷子になっているところを保護したということにしてくれた。お父さんはそんな私を叱らず、泣きそうな顔で抱きしめる。

 こんな優しいお父さんが人を殺すだなんて信じられない。

 やっぱり、あの男の人たちが言っていたことは嘘だったんだと思った。

 それから数日後のことだ。

 まるで誘拐未遂事件のような出来事も忘れ始め、いつものように陰鬱とした毎日を過ごす私。

 今日は運悪く、放課後に砂場へと呼ばれた。

 行かなければまた明日、その次の日と倍になって嫌なことが押し寄せてくる。それだったら今日のうちに済ませてしまおう。

 淡々と嫌がらせを受けに行く私も、どこかおかしくなっていたんだと思う。

 砂場へ行くと、いつもお決まりのメンバーが集まっていた。何がおもしろおかしいのか、にやにやと笑いを堪え切れないといったような顔をしている。かと思えば、何があったのかと私が心配になるほど不機嫌そうな顔をしている子もいる。

 まあ、この人たちの事情はどうでもよかった。

 楽しみであれ、憂さ晴らしであれ、私はそれを受けるだけのサンドバックなのだ。

 気が済むまで我慢して、さっさと帰りたい。

 いつものように、まずは一人が私の洋服の中に砂を入れようとした時だった。

「おい!」

 思わず体がびくっとなった。

 へらへらとした笑いの中で嫌がらせを受けることはあっても、怒鳴られたことなんて殆どなかったからだ。だけど、それは私に向けられた怒声ではなかった。

「お前らなにやってんだ」

 私の服を掴んでいた一人の腕を、誰かが引き離した。

「なんだよお前」

「なにやってるんだって言ってんだ」

 それは見知らぬ男の子だった。

 背は私と同じくらいだったけれど、それでも大きな存在に感じた。

「お前、やんのか?」

「こいよ」

 今にも喧嘩がはじまりそうだ。

 人が傷つくのを見るのは嫌だが、それ以上に傷つけ合う姿を見るのは嫌だ。

 こんな状況で出す科白ではなかったが、私はつい言ってしまった。

「わ、私のために喧嘩しないで……」

「はあ!?」

「お前……」

 なんだかよくわからないけど、場の雰囲気が一転した。

 いじめてくる男の子は一緒にいた女の子たちにからかわれ始め、助けてくれた男の子は笑い出していた。

「ふ、ふざけんな! 誰がこいつなんか!」

 いじめてくる男の子は顔を真っ赤にして去っていく。女の子達もそれに着いて行ってしまった。

 とりあえず、私は助かったのだろうか。

「酷いよな。こんなことするなんて」

 助けてくれた男の子は、私の洋服に砂が付いていないか確かめてくれている。

「あの……」

「大丈夫。俺はあんなことしないから」

 その言葉で確信した。

 この人は神主さんと同じような人なんだ、と。

 私の味方だ。

 しかし、気になったのはそんなところではない。

「だあれ?」

 男の子はきょとんとした顔をした。

「白間道人って名前。お前は?」

「レイラ=ロペス」

「え? ああ、そっか。外国人だもんな」

 外国人と呼ばれるのは少し嫌だったけれど、この人なら別に構わないと思った。

 彼の些細な勇気。ううん、彼にとっては勇気を出すまでのことでもなかったのかもしれない。

 それでも彼は――。

 誰にでも出来て誰もやろうとしない。そんな行為をすんなりとやってのけた。

 彼の行動が私の人生を変えたも同然だった。

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