第十二話
「みち君、だよね」
みち君。
確かにそう言った。
レイラはいつも俺をそう呼んでいた。レイラしかそう呼ばない。
みち君。その響きを久々に聞いた。
俺は何度も何度も、目の前の女の子が呼んだ名を頭の中で繰り返す。
「ねえ、返事してよー」
「え」
思わずそんな言葉にならない言葉が出た。
目の前にレイラがいる。
あまりにも突然に、あまりにも簡単に現れた。
俺がどんなに会いたくても叶わなかったのに、今ではここにいる。
本当にこれはレイラなのか?
「レイラ……?」
「なに?」
あの時とまるで変わっていなかった。
三年前のレイラのまま、レイラはここにいる。
「レイラだ!」
手を取り、人の感触を確かめてみる。
触れた。
恋人としてではないけれど、小学生の時に泣いているレイラの手を引いたことぐらいはある。その手は間違いなくレイラだった。
「レイラだ!」
幽霊でもない。
生きた人間として、レイラはここにいた。
「レイラが帰って来た……」
ついさっき心の整理をつけたばかりなのに。
それなのに、喜びが溢れすぎて心の中がぐちゃぐちゃだ。
「みち君、大きいね」
言われて気が付く。
レイラはずいぶんと小さくなっていた。
レイラ本人なのは確かなはずだが、何故、三年前の姿なのだろう。
「レイラ、成長してないんだな……」
「あー!」
「な、なんだよ!?」
「女の子にそういうこと言っちゃいけないよ」
「俺は別に……。ていうか、そういうことってどういうことだよ」
「それは秘密だよ」
「なんなんだよ……」
レイラは昔と変わっていない。姿も性格も、何もかもだ。
だからか、なんだか俺も調子が戻ってきた。
「レイラ、今までどこに行ってたんだよ」
「どこにって?」
「ほら、あの時……入学式の日からもう三年だぞ。俺はもう死んだと思ってた。俺だけじゃない。街のレイラを知っている人もみんなそう思ってる」
「そうだね。あれから三年かあ」
言いながら、レイラは一本杉に寄り掛かり座った。
時間の経過を理解しているということは、本当の本当に死んでいたわけでもなさそうだ。でも、俺にはまだ分からないことだらけだ。
レイラと話すため、俺も隣に座る。
中学生の頃の顔のまま、レイラは口を動かした。
「私がどこにいたか、だっけ?」
「そうだよ。みんな心配してるぞ。カルロスさんだってレイラの帰りを待ってる」
「お父さん……」
カルロスさんの名を聞くと、レイラは悲しげな表情を見せた。
三年もの月日を生き別れて過ごしていたのだ。寂しかったろう。
しかし、それには触れずにレイラは話す。
「あのね、私はずうっとみんなのことを見てたんだよ」
「ずっとってどういうことだよ」
「だからずっと。三年間、私はみんなの近くにいたの」
「変なこと言うなって。レイラがいない間、俺は寂しかったんだぞ」
言った後から、寂しいと正直に伝えることは恥ずかしいと感じた。が、その場では素直な気持ちが出てしまったのだから仕方ない。
「うん。私も寂しかった。みんなの近くにはいるけど、本当の意味で傍にはいられなかったから」
「何を言ってるか分からないぞ」
だが、レイラは口を止めない。
「でもね、仕方なかったの。私は霊羅として皆のためになるって決めたんだもん」
さらりと語られたその言葉。
同音異義を疑う単語。
「なあ……。今なんて?」
「みち君、私がこれから言うのは現実だよ。絶対に目を逸らさないで」
その言葉はもう、答えを言っているようなものだった。
それでも解らないという顔をする俺に、レイラは丁寧に教えてくれる。
「私は霊羅なの」
いや、解らない。
「そ、そりゃあ、レイラはレイラだよ。俺は白間道人。当たり前だろ?」
「みんなが魄奪って呼んでるもの。あれは他でもない私」
まるで、認めようとしない俺へ追い討ちをかけてきているようだ。
「信じて?」
自分の言っていることの重大さがわからないのか。
どうしてそんなにも屈託のない顔で言うんだ。
それともまさか、本当に?
「……そんな冗談、口にしないでくれよ!」
思わず立ち上がった。
気持ちが体に出てしまった。
「冗談なんかじゃないよ。私はみんなのためにこうなることを望んだの。でないと、私の好きなみんなも、みんなが住んでるこの街も無くなっちゃうから」
「無くなる? みんなが?」
「うん、みち君もこの場にはいなかったと思う」
「レイラが、霊羅にならなければ……?」
レイラは頷いた。
まことしやかに語る目と口は、俺を偽ろうとしているものなどとは思えない。願望を表に出すとすれば、レイラが俺にこんな嘘をつくなんてこと、あっては欲しくないといったところだ。
「私が霊羅のことを知ってるの、不思議でしょ?」
よくよく考えればそうなのだ。
これまで誰にも見つからなかったレイラがどこにいたのかはわからない。そんなレイラが、霊羅のことや魄奪について知っているはずもないのだ。
だけどレイラは、誰も知らないような、霊羅の秘密を全て知っているかのような口ぶりをしている。
とはいえ、あの霊羅そのものが、三年前の俺たちにとっては未知の物体だった。今でこそ慣れてきてしまっているが、あれを造るだなんて明らかに人類の科学技術を凌駕している。目の前にいるレイラも、三年前の姿なのはどういうことなのか。考えれば考えるほど、納得のいく説明がつかない。
自分自身が霊羅だと言われて、この場で安易に肯定できる状況ではなかった。
「まだ信じたわけじゃないぞ……?」
しかし、話を聞く気持ちはある。
俺はもう一度、レイラの隣に腰を掛けた。
すでに日は沈み切っている。
レイラが再び話しだそうとする前に、俺は着ていた上着を貸してやる。
「そんな季節外れすぎる格好、寒いだろ」
「わー、やったあ。みち君のお洋服温かーい!」
異性の着ていた服を簡単に受け取るレイラを見ていると、やっぱり寂しく感じるところはあった。
だがまあ、今はそんな些細なことも気にはならない。
レイラが戻って来てくれただけで嬉しいのだから。
それになにより、俺はこれから詳しく聞かなくてはならない。
レイラが、自分は霊羅だとする理由を――。
あれは、私が小学生になったばかりの時だったかな。
まだみち君と出会う前のこと。
私は下校途中だった。
当時、敵国の人種だからといじめられていた私には友達がいなかった。学校と家を行き来するだけの毎日。
でも、明確に辛いだなんて思ったことはなかった。
幼い頃から、私もお父さんもそうした扱いを受けていたから、そういうものなのだと思い込んでいた。ただただ、悪口を言われたりするから嫌だと感じる。そんな感覚だった。
その日も、放課後になってからすぐに学校を出た。そうしないと、いつもみたいに誰かに呼び出されてしまうから。呼び出されたところで行かなければよかったのだけれど、そうすると次の日に上乗せされてしまう。
なんで来なかったんだ、って。
だから私は、呼びだされる前に学校から帰った。
でもその日は違っていた。
運よく誰にも見つからなかったと安心したのも束の間、私の前に大人の人たちが立ちはだかった。
いつもなら、子供たちとは違って、私を避けるように通り過ぎて行く大人たち。
けれどその人たちは違った。
きちんとスーツを着こなした、男の人が二人。
「お嬢ちゃんのお父さんは外国の人だね?」
一人の男の人が私の前にしゃがみ込み、聞いてきた。
優しげな語り口調。だけども無表情。この人たちはお父さんを外国人と呼ぶ。
この大人の人たちも私をいじめる人?
私はなんだか怖くなった。
でも、逃げられないのはわかっていた。
学校の子供たちからも逃げられないなら、大人の人から逃げられるはずもない。
「……おじさん誰?」
まずは正体を訊いた。
幼いながらに、相手を刺激しない策を取ったのかもしれない。私はその人たちの様子を窺っていた。ランドセルの肩ベルトを掴む手に、自然と力が入る。
「おじさんたちはみんなを守るお仕事をしているんだよ」
さらりと吐き出されたその言葉。その時の私の心には響くものがあった。
みんなを守る。
なら、いじめられている私やお父さんのことも守ってくれるのだろうか。
そう思わずにはいられなかった。
だから私は訊いた。
おじさんたちは私のことも守ってくれるのか、と。
男性の口が笑った。
「ああ」
と、頷く。
久々に良いことがあった。
「やった!」
なんて喜んで、猫背気味だった姿勢が伸びる。
だけど、男性は条件を出してきた。
「その代わり、おじさんたちに着いて来てくれるかな?」
快く了承する私。
だけど、後々考えて思ったことがある。
どちらにせよ、私に拒否権はなかったのだ。
「じゃあ、車に乗ろうか」
そうして私は見ず知らずの男性に着いて行くことになった。
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