第十一話
皆がカルロスさんの意志を受け継ぎ、打倒霊羅を心に抱く。
今回で最後というわけでもない。霊羅が出てくるかぎり、チャンスは何度でも訪れるのだから。
しかし、魄奪化などの問題が上がってしまった中、誰もが長期戦を望んでいない。
これから先、先輩のような強い力を持った魄奪がさらに出てくることも否定できない。それらを考慮するなら――いや、たとえそれらの要因がなくとも、今回で決着をつけてしまうことが最善だ。
次々に車から降りてくる白鬼会員。
しかし、その誰もが天を仰ぐ。
思えば、霊羅の足元までやって来たのはこれが初めてだ。
そのあまりの壮大さに、退くことも進むことも忘れてしまう。いや、霊羅が目を惹きつけるのはその大きさだけじゃない。
霊羅には足音がない。重さが感じられない。透き通る全身は魄奪以上に希薄であり、見えているだけで存在していないのではと思わせる。
自身は何モノにも干渉せず、ただ街を歩くだけ。
魄奪が落ちては、戻っていく。
そんな魂の流動は、生命の循環を見せつけられているかのよう。
あれは本当に人の造りだした兵器なのだろうか。
幽玄なる神にも似た情景に、人が見惚れないはずもなかった。
だが、俺たちはあれを倒さなくてはならない。
見た目がどんなに美しかろうと、あれは魂を奪っていくだけの心無い機械だ。あれが存在している限り、俺たちに明るい未来はない。
「行くぞ! おめえら!」
カルロスさんがいない今、この場の指揮をとるのはおやじさんだった。
皆もそれについて行く。
それぞれが武器を携え、霊羅の足を目掛けて走った。
しかし、近づくにつれて標的が霞んでくる。
気が付いた時には、霊羅は俺たちの背後にいた。
そこにいた誰もが、通り過ぎたことにすら気づけなかったのだ。だが気を取り直してもう一度、この手に握られた武器を信じて突進を仕掛けた。
薄く、空間に張った膜のような足に迫る。その足の形状は人とは異なり、どの動物の足にも似ても似つかない。例えるなら、地の底から湧き出るように生えてきている。歩くたびにそれが千切れては、また地と一つになる。見ていてそんな印象を受けた。
そう、おぼろげながらも形は確かに存在するのだ。
人によっては見えないだとか、そんなこともない。
確かに霊羅はそこにいる。
なのに――誰一人として攻撃を加えるどころか、触れることさえ叶わなかった。
「……駄目だったか」
呆然とする中、聞こえてきたのはカルロスさんの声だった。
振り返ると、襤褸切れのような姿が目に飛び込んでくる。
だが、満身創痍ながらもその姿勢は逞しい。
「会長!」
自然と皆が駆け寄っていく。
「霊羅を倒すことは出来なかったようだな……」
霊羅の去り際を遠い目で一望しながら言った。
体力的な疲れよりも、精神的な落胆の方がよほど応えているようだ。
「やつにはやっぱり攻撃は届きませんでした……」
「そうか……。だが、脅威の一つは排除した。安心とは言えまいが、我々が完全に敗北したわけではない」
「ということは!」
そういうことなのだろう。
どんなに負傷していようとも、カルロスさんがこの場にいるということ、排除された脅威があるということ。
それはつまり、先輩という存在が一片も残らずこの世から消え去ったということだ。だからか、俺はなんとなくカルロスさんを取り囲む集団の中に入ろうとは思えなかった。
いや、カルロスさんは何も悪くないということはわかる。悪くないどころか、英雄にも近い。あれを放っておけばいずれは大変なことになっていたのだろうから。
つまるところ、これは俺の問題なのだ。
一時は俺が先輩を倒すことも考えたが、自分の手でそれをしてしまった時、俺は何を考えただろうか。
ここはカルロスさんに感謝するべきなのかもしれない。
それでも、今はそんな気になれなかった。
だが、カルロスさんは俺と先輩の関係を知っている。
俺から行かずとも、自然と向こうからやって来るのは予想に容易い。
「白間君、わざわざ言うことではないと思うが……」
わざわざ人混みをかき分けてきてまで、俺の前に立った。
「はい……」
「君の先輩は、私達白鬼会のために本当によくやってくれた。それだけは君に伝えなくてはと思ったんだ」
「先輩も浮かばれると思います」
そう言っておくのがベストだと思った。
そうじゃない。
俺は何を苛々しているんだ。
街を脅かす魄奪が減ったんだ。ここは喜ばなくては。
……違う。違う、違う。
先輩が殺された。
俺の本当の兄の様に良くしてくれた駒川先輩が死んだ。
悲しくて仕方ないんだ。
だけど涙が出ない。
俺はどうしていいか分からなかった。
カルロスさんが何か言っている。だけど耳には入って来ない。頭で理解できない。
言いようのない喪失感だけを、俺は得ていた。
カルロスさんもそんな俺の心を察してくれたのだろう。
「時間が必要だね……」
そう言うと、カルロスさんは俺の頭にそっと手で触れた。
撫ではしなかった。ただ、手を置いただけ。
その手の感触が、どこか先輩のものと似ているように感じたのだった。
俺は一人で山に向かっていた。
日はもうすぐ暮れかかっている。だが、家に帰る気分ではなかった。
今頃、白鬼会は今日戦ったメンバーで会議を開いている。議題は、今後も魄奪を倒す為に白鬼を使うかどうかというところだろう。
俺たちは霊羅を倒すことが出来なかった。
それはこれからも魄奪と向き合いながら生きていかなければならないということ。しかし、白鬼を使い続けるには魄奪になってしまう危険性が伴っている。少なくとも、白鬼会の大半の会員はそう思っている。実際にどうなのかはまだわからないが、原因が掴めるまで控えるというのは当然の考えだ。
また先輩のような人を生まないためにも、そうするべきなのかもしれない。
……先輩。
考えないようにと思っていてもそれが出来ない。
レイラがいなくなってからも、しばらくはこんな日が続いたと思う。
だからじゃないが、俺はあの場所に向かっていた。
それは先輩に対しての想いや悔しさを紛らわそうとしてのことではない。この感情がまた心に蘇ってきて、俺は怖くなったんだ。
いつの間にか、レイラに対しての悲しみや何かが薄れていっていることが。
つまるところ、俺は今の自分の状態がどうなっているかを理解していながら、さらに苦しみを重ねる行為をしようとしていた。
山の麓に自転車を置くと、そこからは記憶を頼りに徒歩で向かう。
もう三年ぶりになるだろうか。
ここらを通りがかることはあっても、山に踏み込むのは一切避けてきた。それはレイラのことを考えると辛いということもあったが、他に来る人もいなかったからだ。
あの場所は、レイラだけでも俺だけの場所でもない。
俺とレイラの二人が揃ってこそ、意味のある場所だった。
だから行く必要がなかったのだ。
冬も近いが、山だからかまだどこかで蜩(ひぐらし)が鳴いていた。
最後に二人でここにいたのは、中学の入学式の時だ。今は正反対の季節ということになる。それでも特別な場所が近づいてくると、当時の景色が脳内に蘇ってくるようだ。
あの時と変わらない草木の感じ。ここから見渡せる街の景色。
変わったものもあったが、変わらないものもたくさんあった。
俺はどれだけ変わってしまっただろうか。今の俺をレイラが見たら、なんて言うだろう。
いろいろ考えているうちに、一本杉が見えてきた。
俺たちの特別な場所。その目印だ。
「はあ……」
少し早足で登ってきたから疲れが出た。
息を整えるため、一本杉に腰をかける。
座ってしまうと見えないが、ここからは街の全てが一望できる。綺麗かと聞かれればそんなことはないのだが、子供だった頃にはこうした普段見られない景色の見られる場所が特別に感じたものだ。
だから、ここを特別な場所と呼んでいた。
秘密基地じゃなく、特別な場所。
レイラに出会いここを教えてからは、違う意味でも特別な場所。
今でも俺にとっての特別な場所だ。
ここへ来て何がしたかったわけじゃない。
さっきも心に思ったように、ここへ来ることを意識することで、そして実際に来ることで、俺がレイラを忘れていないんだと俺自身に言い聞かせるために来た。
それで余計に辛くなるのをわかっていながら。
夕日が、街のさらに向こうの山へと沈んでいきそうだ。
霊羅が現れる時のそれではない、自然な夕焼けは心が落ち着く。
「そろそろ帰るか……」
元々、長居をする気はなかった。
だけど、ここをすぐに去るのは悲しいからじゃない。
今まではどうしてもここへは来てはいけないんだ、と勝手に意地になっていた部分がある。未練たらしく、惨めな自分を晒すのが嫌だったという思いがあったからだ。しかし、たった僅かな時間でもこうしてここへ来たことは正解だったかもしれない。
気分が晴れた、とまではいかない。
それでも俺は、考えすぎだったんだと心が軽くなった。
よく言うじゃないか。
故人はまだ生きている人間に強く生きてほしいと願っている、と。本当に故人の言葉を聞けるはずもないのだから、そんなのは嘘っぱちに決まっている。だけど、言葉だけを見れば、それは大切な人に先立たれた者にとって救いのある言葉だ。
レイラも自分が忘れられてしまったからといって、俺を責めたりはしないだろう。
いや、俺はレイラに恨まれるのが嫌だから今まで悩んできたわけではない。俺自身がレイラを忘れるのが嫌だったからだ。だけど、それも同じこと。
何のために俺はここにいるのか。
それは、もう二度とレイラのような人を出さないためだ。
俺が魄奪を蹴散らし、街に平和をもたらす。
そうだ。何を悩んでいたのか。
先輩だって、魄奪を街から消す為に働いていた。俺と同じ考えだったじゃないか。だったら、俺がその願いを叶えるために動いてこそ、先輩もレイラも浮かばれるはず。
俺は、今の俺にしか出来ないことをやるだけだった。
「よし!」
もう完全に吹っ切れた。
さっと立ち上がる。それまで感じていた体の重さはなかった。
思えば、昼間は魄奪と戦わなかった。
霊羅討伐の作戦が失敗してすぐ霊羅は消えてしまったから、考えてみると今日は何もしていないのだ。疲れが溜まっているはずもなかった。
さっさと帰って、ご飯でも食べよう。
家にはまだ連絡を入れていなかったから、少しだけ遅くなるとの連絡を入れて、麓へ向けて歩を進めた。
そんな時だった。
懐かしい風が吹いたのは。
レイラの髪を揺らした春先の風。
体に感じる温度は違えど、それはあの時の風と似ていた。
ふと振り返ると、人の姿。
さっきまで、俺が腰かけていた一本杉の下にいた。
気配もなくそこにいたそれを目の当たりにして、俺は声が出なかった。だが声が出なかったのは、不意に現れたそれが恐ろしくてではない。
揺れる金髪のポニーテール。
白い肌。
俺を見つめる蒼い瞳。
「レイラ」
死んだはずの彼女がそこにはいた。
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