第十話

 それから数日後のことだった。

 空が茜色に染まる。

 連絡を受けると、俺はいつものように目的の場所へと向かった。今回は事務所に集まれとのことだった。

 都会の中心部に霊羅が出現してしまったからだろう。

 今日、俺は部屋でごろごろしていたが、その部屋の窓からでも霊羅が街を我が物顔で歩く姿がよく見えた。

 そして事務所に到着するが、白鬼会の会員数名が困り果てたような顔をしながら立ちつくしているだけだった。その間にも、霊羅からは次々と魄奪たちが落ちてくる。

「なにしてるんですか!?」

「いやあ、ほら。白鬼を使うと俺たちも危ないかもしれないじゃん……?」

 そうだった。

 先輩魄奪化の事件の後、霊羅がやって来たのは今日が始めてだ。

 まだ魄奪化の具体的な原因も分かっていない。会員が白鬼の使用を躊躇う気持ちも理解できないでもなかった。

「でも、街の人たちは無防備なんですよ? 魄奪は家の中にも平気で入ってきます。俺たちが助けなくてどうするんですか!」

「それなんだよねえ……。助けたい気持ちは山々なんだけど……」

「なら、私に全て任せてもらおうか」

 やって来たのはカルロスさんだった。

 すでに白鬼を発現し、戦闘態勢は万全な様子。

「いいんですか、会長? 白鬼を使えば魄奪になるかもしれないんですよ」

「その時は誰か、魄奪になってしまった私を止めてくれないか」

 カルロスさんの視線は、霊羅にしか向いていなかった。

 退く気などさらさらないのだろう。

「俺も行きます」

 街を荒らされ続けて、黙ってなんかいられない。

 ナイフを握り、戦う意思を伝えた。

 だが、カルロスさんは首を振る。

「どうしてですか! 俺も戦います!」

「君はいつも通り魄奪を倒すだけでいい」

「魄奪をって……」

 俺はそのつもりで戦うと言ったのだ。

 なら、カルロスさんは何を相手にしようというのか。

「カルロスさん、もしかして……」

「私はアレを討つ」

 握り拳から生えるように握られた鉤爪。それが指し示す方向には、喰らった魂で膨らんだ巨人。

 無茶だと思ったのは俺だけじゃなかった。

「会長! 霊羅を倒すなんて無理です! 機銃だろうとミサイルだろうと効かないっていうじゃないですか!?」

「それは、当たらないからだろう?」

「ええ、だから意味の無いことをするのはよした方がいいです」

「私たち白鬼となった人間は、本来触れることの出来ない魄奪を倒す事が出来る。なら、その魄奪を生み出す霊羅にも攻撃が通ると思うのが道理ではないかね」

「た、確かにそうかもしれませんけど……」

 理屈は間違っていないだけに、否定する会員はいなかった。

 しかし、霊羅に白鬼の攻撃が通用することと、倒すことはまた別の問題。見ての通り、霊羅の巨大さは街で最も高いビルを頭一つ分越すほどだ。

 霊羅から見れば蟻も同然。そんな俺たちが攻撃したとして、効き目などないのではないだろうか。

 何よりも仕返しが怖い。

 これまでは俺たちから霊羅に危害を加えることがなかったから、向こうもただ魄奪を撒き散らしていくだけだったのかもしれない。軍による兵器の攻撃も、当たらなかったから無視していた可能性がある。

 しかし、もし傷つけるようなことをしてしまったら……。

 触らぬ神に祟りなし。

 比喩でも何でもない。

 霊羅は俺たちにとって、いつの間にか触れてはならない祟り神のような存在になっていたのだ。

 だから、カルロスさんが起こそうとしている行動を止めようとしている人の気持ちがわからなくもなかった。

 だけど怖がっていてどうする。

 ついに俺たちの反撃の時が来たってことなんじゃないか?

 万が一にでも倒せたときのことを想像してみろ。

 魄奪に襲われる心配もない。魄奪になってしまう恐怖もない。

 涙を堪え切れないような、幸せな光景が広がっているじゃないか。

「カルロスさん、それでも俺はやります」

 臆病な心だって悪くはない。責める気もない。

 だけど俺は、自分の手で平和を掴みたい。

 みんなを守るのは俺だ。

「面白そうじゃねえか」

 突然、俺の言葉に賛同する声があった。

「あなたは……」

 やって来た人物を見て、カルロスさんは少し驚き、そして僅かに口元が緩んだように見えた。

「その作戦とも言えねえ作戦。力は及ばねえが俺たちも参加させてもらうさ」

 オムライス店のおやじさんだった。

 後ろには、郊外の商店街で働く人々も集まっていた。

「私に協力してくれるんですか」

 ついこの間のことがあったからだろう。

 協力してくれることに対し、カルロスさんが疑問を抱くのも無理はない。

 だが、街の人間はそこまで冷たくはない。

「あれを転ばすなら、大勢いた方がいいに決まってるだろうが」

 これが、カルロスさんの培ってきた信頼だ。

 これまでは各々で行動していた白鬼会だったが、とうとう一丸となって敵に立ち向かう時がやってきた。

 始めは止めようとしていた会員も、もう止めることはしない。だが、カルロスさんはそんな人たちを無理に参戦させようとはしなかった。それでも、最後にはその場にいた全員が戦う決意を口にした。

「最近の霊羅は滞在時間が長い。かといって、私らに時間があるかといえばそうではない。霊羅に攻撃を加えれば何が起きるかは分からない。始まれば短期決戦となるだろう」

「だがよ、あんなデカブツにどうやって攻撃を仕掛けるんだ。ヘリでも呼ぶんか? いや、呼んだところで飛び降りでもしなきゃならねえ。誰がそんなことをするよ」

 カルロスさんの提案に、おやじさんがつっこむ。

 おやじさんの口は悪く、嫌味たらしく聞こえなくもないが、これでも真面目にカルロスさんと考えているのだ。

「まずは足を攻めよう。あれが魄奪と同じであるなら幻殻も存在するはずだ。全ての幻殻を破壊することは無理だろうが、横たわらせさえすれば頭も胸も狙える。そこを一気に叩けば、霊羅の魂を発見するのも不可能ではないはずだ」

「結局、作戦にしちゃあおざなりじゃねえか。だがまあ、俺に名案が出せるわけでもねえしな。一丁やるか!」

 指揮を執るのはカルロスさんだが、場を盛り上げるのはおやじさんの方が上手いようだ。

 これまでにないほど、皆の士気は上がっていた。

 霊羅の足を崩し、倒れたところを総勢で叩く。作戦だけ見れば簡単なものだ。集まった白鬼会員も全員とはいかなかったが、多勢と呼ぶには十分。これだけの戦力で攻撃を仕掛ければ霊羅も堪らないはず。

 希望が一気に目の前までやってきたようだ。

 一先ず、俺たちは霊羅の足元まで移動するため、それぞれが速度のある移動手段を取った。

 俺は以前と同じように、会員の運転する車に乗せてもらった。

 霊羅が現れてからまだ数刻も経っていない。

 ただ、簡易的で短時間とはいえ、作戦会議で出だしが遅れたことは確かだ。これ以上、魄奪による被害が広まる前に霊羅までたどり着きたかった。

 街からはすでに人が消えている。多少法定速度を超えようとも、誰も気にはしない。むしろ、早くしてくれという声が聞こえてくるようだ。

 ところどころで倒れている人を見かけるのは、今でも慣れない。

 目を伏せることはしなかったが、逸らさずにはいられなかった。同時に俺の闘志も湧き上がってくる。

 ビルに囲まれた角を曲がり大通りに出ると、霊羅の全体像が見えてきた。

 ここまで近づくのは初めてだ。

 あと少し。

 皆が総攻撃に備え構えている。

 まさにその時だった。

「うおわっ!」

 運転手が一驚した。

 俺も異変にすぐ気が付いた。

 フロントガラスの向こうが何も見えなくなっている。ボンネットの上に何か大きなものが落ちてきたのだ。

 すると次の瞬間、落ちてきたそれが動いた。かと思えば、フロントガラスが砕け散っていた。反射的に腕で覆い、ガラスの破片から顔を守った。

 しかし、体には大きな衝撃を受ける。

 視界を奪われた車が、そのまま道路脇の電柱に衝突したのだ。

 幸いボンネットに何か落ちてきた時点で運転手が急ブレーキを踏んだためか、大破は免れた。ボンネットがさらにへこんだ程度だった。

 俺たちはすぐさま車を降りる。

 何事かと、何台かの後続車も俺たちの周りで止まり始めた。その中の一台からカルロスさんも降りてくる。

「大丈夫か!」

 その言葉に頷けるよう、乗車していた人たちは皆、奇跡的に無事だ。

 だが状況は絶望的だった。

「皆は先に行っていなさい」

 突然の一言に、周囲の殆どがどよめいた。

 だが一刻もはやくカルロスさんの言うとおりにしたほうがいい。

 でないと作戦が頓挫しかねない。

 車のボンネットに落ちてきたそれは――先輩だったからだ。

 魄奪はゆっくりと車体から降りてくると、俺たちの乗って来た車を鉄屑へと変えてしまった。物にも魂が宿っているということは、以前に先輩から聞いていた。車にも魂が宿っているらしく、それを奪ったのだろう。

「あれが例の……」

 魄奪化した先輩を見るのが初めてな会員も少なくはなかった。

 最も白鬼を扱うことに長けていると言われるカルロスさんでさえ、苦戦どころか倒すことすらできなかった。そんな噂を知っていれば、それが目の前にいるとなれば畏怖せずにはいられない。

 だが高まりきった士気は、そんな相手をも倒そうと意気込んだ。

 皆で戦えば怖くない。そんな声が聞こえ始めた。

 しかしそれでも、カルロスさんは皆を説得する。いや、会長としての権限を行使した命令か。

「先へ行きなさい!」

 静まり返る白鬼会。

 そんな中、不気味な動きを繰り返す魄奪。

 いつ人を殺し始めてもおかしくはなかった。

「……あれが沈みさえすれば、あとはどうにでもなる。皆は霊羅を頼んだ」

 そうだ。霊羅さえいなくなってしまえば、もう魄奪が生まれることは永遠になくなる。何よりも先決するべきは霊羅の消滅なのだ。

 それが理解できない人々ではない。

 それでも共に戦うと言い出す者はいたが、カルロスさんはそれを許さなかった。

 俺も例外ではなかった。

 俺の先輩だから最期を見届けたい。そう願い出たが、意見は却下されてしまった。

 今の状況において私情を持ち込むわけにはいかない。

 思うところはあったが、再び霊羅に向かう人々に俺も続く。

 皆が警戒しながら、魄奪の脇を通り過ぎて行った。俺は別の車に乗せてもらう。

 車内からカルロスさんが遠ざかっていくのを見届けた。

 睨みつけるカルロスさん。

 落ち着きのない魄奪。

 どちらともなく動き出すと、死闘は静かに開始された――。

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