第九話
――そんなことないよ。
「レイラ……?」
確かではなかったが、レイラの声が聞こえたような気がした。
俺は、思い出しようにポケットに手を突っ込む。
そうだ。
俺がいつもこれを持ち歩いていたのは、何のためだったか。
レイラのため。自分を奮い立たせるため。
ここまで来たのは、全ての魄奪を俺たちの国から消し去るためだ。
ペンダントを強く握りしめると、俺は腹を決めた。
「おい! お前の相手はこっちだ!」
わざとらしく挑発してみせる。
すると、魄奪の動きが止まった。
その隙を逃すまいと、カルロスさんが爪を突き立てた。
上手い具合に乗せられたと思ったのも束の間、魄奪は引きちぎれそうになりながらも、俺の足元に滑り込むようにして流れてきた。もはや腕と同化した斧が俺の足を狩ろうとしている。
逃げられない。
直感的に悟った俺は賭けに出た。
そのまま向かってくる魄奪に、こちらからも突っ込んでいく。
振り子の様に襲ってくる斧を、後ろや横に避けようとしたって仕方がない。だったら相手にとって振りたくない方へ進んで行けばいい。
俺の足を切り落とすはずだった斧は、背後で空を切った。
それ以上振れば俺に当たっただろうが、前進する俺を追えば、自らをも傷つけることになるだろう。
魄奪の懐に駆け込んだ俺は、かする程度ではあったが刺傷を負わせた。
しかし、次の動きが予測できない。
すぐに退避し、様子を見た。
「しぶといな……」
俺の隣にカルロスさんが並んだ。
地を這っていた魄奪は、先ほどカルロスさんに裂かれかけた下半身を再生し、立ち上がった。
衣服はすでにない。
蒼いスライムのようなその体は、どこからどう見ても魄奪。
もはや先輩だった面影は人型というところにしかない。
「すっかり化け物になってしまって……」
カルロスさんは憐れむ様に言う。
その言葉は、果たして今の先輩に届いているのだろうか。
魄奪は俺たちと対峙したまま襲ってくる気配がない。代わりに、辺りをきょろきょろとしたり、不自然な行動を取り始めていた。
来るのか、来ないのか。
すると魄奪の体が変形し始めた。
沸騰する湯の様に凹凸を繰り返したかと思うと、一筋の糸のようになってどこかへと飛んで行ってしまった。そのあまりの速さに追うことは出来ず、また、追う気もなかった。
正直、この先俺とカルロスさんが共闘したとして、それでも勝てる見込みは五分程度だったろう。
逃がしてしまったことにより、またどこかで暴れるかもしれないという思いもあったが、この場は去ってくれて安心したというのも事実。
カルロスさんもそう感じていたのか、逃がしてしまったことに言及はしなかった。
それから事務所に戻った俺たちは、事の報告をした。
霊羅がやって来てすらいないというのに魄奪が現れ、死者を二名も出してしまった。
事務所には珍しく会員が集まり、緊急会議が開かれることとなった。それに参加しにきた人の多くは初期からの会員らしく、それなりに白鬼会での権力も持っているようだった。今回の件は異例なだというからに、皆顔つきが険しい。
狭い事務所内では、四角く並べられた長机を囲む様に会員が座っている。
俺はというと、現場の証人でもあるから会議に参加してくれとカルロスさんに頼まれた。だからか、会長であるカルロスさんの隣なんかに座らせてもらっているが、なんだか場違いな感じがしてならない。
皆が苛立ちや緊迫感を放っている中、会議は始められた。
まず一人の男性がいきなり立ち上がりだした。
料理人の着るような白衣姿をしている。顔が怖い。
よく見れば、橋の向こうの郊外でオムライス店を営んでいるおやじさんだった。
幼い頃、父にたまに連れて行ってもらう程度だったが、おやじさんの作るオムライスは鶏肉がたくさん入っていて子供には嬉しかった。
この人も白鬼会だったのか、と今更ながらに知る。
「それで、あれはどういうことなんだ」
相変わらず強面のまま、カルロスさんに訊ねた。
「どういうこと、というのは」
あくまでも冷静だった。
しかし隣に座っている俺は、周りの視線が集中しているだけでハラハラものだ。
「今回の魄奪は霊羅がいない時に現れたんだろう? しかも魄奪自体が今までのやつとはちげえときてる。駒川さんとこの長男が魄奪になって見つかったらしいじゃねえか」
「まだ、駒川くんと決まったわけじゃない」
出来ることなら俺もその言葉に賛同したかったが、はっきりと言い切るにはいささか無理があると思った。
だが、カルロスさんはあくまでも自分の意見を曲げるつもりはないようだ。
そんな態度におやじさんはさらに苛立った。
「しらばっくれんな。白鬼を使いだしたのも、使う方法を始めから知っていたのもあんただ。駒川のとこの長男が魄奪になっちまったのは白鬼が関係してるに違いねえ。何か知ってることがあんなら、洗いざらい吐きな!」
おやじさんの勢いに乗せられてか、意見を求める声が少なからず聞こえはじめた。しかしそれでも、カルロスさんは態度を変えない。
「すまない。私は本当に何も知らないんだ。まさか白鬼を使うことでこうなるとも思っていなかった。本当にすまない……」
「しかしだなあ!」
俺たちの敵は別にいる。
仲間内でのこんな争いなんて、見ていられなかった。
「…………」
気が付けば、俺も立ちあがっていた。
そんな俺を見て、皆が黙る。
カルロスさんは俺の命の恩人だ。
おばあさんを助けようとしたあの時、もしもカルロスさんが駆けつけてくれなかったとしたら、俺も今頃は霊羅の肥やしになっていただろう。
それは俺だけじゃない。ここにいるみんなだって同じだ。
「……カルロスさんを責めないでください。カルロスさんだって、レイラがいなくなってからずっと辛い思いをしてきたんです。俺にはカルロスさんが白鬼の何を知っているかなんてわかりません。それでも、俺たちが今日まで戦ってこれたのはカルロスさんのお蔭だと思うし、カルロスさんがいなかったら、今頃俺たちもいなかったと思うんです」
説得しようだとか、カルロスさんの味方をしようだなんて考えのつもりで言ったんじゃない。俺はただ、皆のしていることがずれ始めていると思ったんだ。
本来の敵から目を逸らして、身近で簡単なものに当たり散らして発散をするという行動に。
「俺たちの敵は霊羅と魄奪だけです」
それだけ言って、俺は座った。
「うーん……。しかし、駒川さんとこの長男が魄奪になった原因がわからねえとなあ。これからも戦い続けるってわけには……」
おやじさんの言うことも尤もだ。
誰だって死にたくない。
魄奪にだってなりたくなんかない。
確定ではないにしても、先輩がどうして魄奪になんてなってしまったのかという原因がわからなければ、これからも白鬼を使って戦うことは出来ない。
だからといって、魄奪たちに蹂躙されたいかと問われればそんなはずもない。
何か現状を打開できる案が浮かぶでもなく、皆は押し黙ってしまっている。
結局、その日は何の解決策も見つからないままお開きとなった。
会議の後、皆が帰っていく中、カルロスさんは事務所に一人残っていた。
何か声をかけようか。
二人きりになったのを見計らって、窓に掛けられたブラインドの向こうを覗くカルロスさんに歩み寄ってみる。
足音に気が付いたのか、こちらを一瞥する。
俺だということがわかったのか、固くなっていた表情が少し和らいだように見えた。けれど、視線はまた窓の外に向けられてしまった。
「俺、気にしなくていいと思いますよ」
心からそう思うから、そのまま伝えた。
カルロスさんが皆のために頑張っていることは、街の人たちだって分かっていないはずはない。
不謹慎な話だが、かつては差別されていたカルロスさんにとって、霊羅の出現は好都合だっただろう。皆が身を守る術を知らずに恐怖する中、救いの手を差し伸べて先導すれば自ずと信頼が集まる。
実際にこの人はそれを実行し、今に至っている。
だが、カルロスさんはそんな利己的な思いで白鬼会を立ち上げたわけではないはずだ。きっと、自分や娘であるレイラが暮らしたこの街に、たとえ一時期は差別を受けていたとしても愛着が湧いていたはず。でなければ、見殺しにして国に帰っていてもおかしくはない。
それにカルロスさんは、何よりの被害者だ。
国と国との争いの所為で差別を受けなければならず、他ではない自国の攻撃に娘を奪われ、苦悩しているのだから。
「……君は、どう思うかい?」
こんな時だから話したくはないだろうと思っていた。
だけど、カルロスさんは俺に質問を投げかけてきた。
いや、こんな時だからこそ、他人の意見が欲しいのかもしれない。
「何が正しくて、何が本当で。嘘があるとすれば、何処から何処までがそうなのだと思う?」
俺には、質問が抽象的過ぎて何を聞きたいのか分からなかった。
答えられずにいると、カルロスさんは勝手に続ける。
「本当のことを言おう」
その言葉で俺は一気に緊張した。
誰もいないこの部屋で、俺だけが真実を耳にしてしまうのか。
「私はね。こうなるとは思わなかったんだ」
「こうなる?」
「駒川くんのことだよ。白鬼という力は、霊羅に対抗するためだけの唯一の手段だと思っていた。だがそれが、姿を変えて私に牙を剥くことになるとはね……」
こうなるとは思わなかった。その言葉が意味することは、先輩が魄奪化してしまうことについては知らなかったということになる。
そう、それだけについては。
白鬼という力の存在をカルロスさんだけが知っていたという事実も先ほどの会議で初めて知らされた。
そして今の言葉を聞くに、他にも何か表に出せないことがあるのではないか。
この人は一体、どこからどこまでを、そして何を知っているのだろう。
「あれは霊羅の体から出たモノではない。会議では誤魔化したが、あの時、霊羅がいなかったのだからそれは確定している」
「はい……」
もう、信じられないなどとは言えなかった。
駒川先輩は魄奪になり、人を襲っていた。それだけが事実なのだから。
「そこで、改めて白間くんに聞きたいことがあるんだが」
「なんですか」
聞かれて、俺は頭の中を切り替えた。
「駒川くんが失踪したその日、何か変わったことはなかったか」
「変わったことですか……。確か、すごく疲れていたと思います。あの日も霊羅が来て、俺と先輩は魄奪と戦っていましたから」
「魄奪と、か……」
それだけの情報で何か得るものがあるのか、カルロスさんは無精髭を撫でながら何かを考えているようだった。
「他には何かないかな?」
聞かれて俺は、もう一度思い出してみた。
しかし、思い当たることは何もない。
素直にそう言った。
「白間君、あの魄奪を見た時どう思ったね」
「どう……。なんていうか、怖かったです。今までと違って殺意があったというか……」
今でも、思い出すだけで死が近くまで来ていたことを体が覚えている。
蒼い体が迫ってくる光景。迫りくる斧。
それらが鮮明に思い返されるようだった。
「だろうね。それは恐らく、私たちが殺意を持ってかれらと戦っているからだ」
「どういうことですか?」
「うむ、それを説明するには、まず従来の魄奪について今一度聞きたいことがある」
「聞きたいこと、ですか」
「君の言葉からは、今までの魄奪には殺意がないという意味が受け取れた。それで間違いないね?」
「は、はい」
何か不味いことでも言ってしまったかと、肯定するのに少し遅れた。
しかし、そんなことはなかったようだ。
「その通りだ。例えるなら、やつらは魂を奪うだけの機械。私たちを殺してやろうなどという心すら持ち合わせていないだろうね。なら何故、あの魄奪は違っていたのか。それは私達自身が魄奪に対して向けている殺意そのものの形があれだったからだ」
あれ、とは魄奪化した駒川先輩のことを言っているのだろう。
だがそれを聞いても、俺にはカルロスさんの言いたいことがまだ分からなかった。
そんな俺にカルロスさんは丁寧に教えてくれる。
「要するに、先にも言ったように、駒川君が魄奪となってしまったのは確定事項だ。そこから導き出されるのは、人間から魄奪になったものには殺意が芽生えているということ。白鬼とは、使用者の意思が原動力となって力を発揮する。その原動力の最たるものとして挙げられるのは、戦わなければならないという意思。戦うことと殺意は同義ではないが、我々がやっていることは紛れもない魄奪との殺し合いだ。つまり、人間から魄奪になるということは、ただの殺戮兵器になるということだな」
そこまで話してもらって、ようやく俺にも話の要点が理解できた。
「でも、どうしてそんなことになるんですか。理由とかはわからないんですか」
先輩が魄奪になってしまったことが確定していたとしても、それが白鬼を使っていたからという結論には結びつかない。一番の問題は、これからも白鬼を使って魄奪たちと戦っていけるのか、というところにあるのだ。それが解決しないのならば、今の話を理解したところでどうにもなりはしない。
「それは、これから調査していく必要があるね……」
ブラインドの隙間から覗く、窓に映されたカルロスさんの表情はやつれているように見えた。
度重なる霊羅の襲来に加え、今回の事件。
疲れないはずがなかった。
ここはゆっくり休んでもらいたいところだったが、俺としては訊いておかなければならないことがあった。
「どうして俺にこんな話を?」
「単なる仲間意識、だろうかな」
「仲間……」
白鬼会の会員として。
いや、そんなことではないことぐらい、すぐにわかった。
――レイラ。
カルロスさんが俺を仲間とする上での共通点といえばそれしかなかった。
「私と君は同じ悲しみを経験した。それだけの理由だ」
言いながら、カルロスさんは首にぶら下げていた物を服の内側から取り出した。
それはどこかで見たことがある。
金色の縁に囲まれた、プラスチックのような青色の宝石。
俺が持っているものと全く同じ、玩具のペンダントだった。
「それって……」
俺は無意識に指摘していた。
「ああ、これは娘の形見だよ」
「どこに、あったんですか……?」
「娘の勉強机の上にある玩具の宝箱の中に大切にしまってあったんだ」
宝箱……。
俺はその宝箱に覚えがあった。
確か、幼い頃からレイラが使っていた玩具の箱。赤色をしていてそれなりに大きく、宝箱らしく鍵がかけられるやつだ。
レイラはそれに、宝物と称した綺麗な石や、友達から貰った物なんかを詰めていた。文字通り、レイラにとっての宝箱だった。
そこに俺のあげたペンダントも仕舞われていたことを、今はじめて知らされた。
あの日、レイラがいなくなってしまう直前、俺はレイラに告白しようとしていた。だけど、レイラはなんだか素っ気なくて、いつも大切そうに首にぶら下げるまでしてくれていたペンダントは、持ってくる事さえしてくれなかった。
フラれるどうこうよりも、そこまでレイラは俺のことを嫌いになってしまったのかとショックだった。嫌われる覚えはなかったから、余計にだ。
もしかすると、恋愛に発展させようとしたから嫌になってしまったのか。いじめられていた頃から面倒を見てきていたが、その後の世話焼きは単なるお節介だったのか。友達の関係のままでいれば、何も不幸は起きなかったのかも知れないとさえ考えた。
けれど、ペンダントは宝箱に仕舞われていた。
大切にしてくれていたのなら、俺は救われたような気がする。
嫌われてはいなかったんだ。
失くすのが嫌だから仕舞っていた。
ただそれだけだったんだ。
「白間君?」
「……はい?」
「このペンダントに見覚えがあるのかと聞いたんだが……。大丈夫かな? ぼんやりとしていたみたいだが」
「あ、すみません。ちょっとレイラがいた時のことを思い出してました。そのペンダント、実は俺がレイラにプレゼントしたものなんです」
今まで抱えていた胸のつかえが取れたからだろう。
自分の表情が自然と柔らかくなるのを感じた。
「君がこれを……」
カルロスさんはペンダントを見つめている。
俺とレイラの繋がりがこんなところにもあったのか、と驚いているといったところだろうか。
「娘も私も、君には本当に良くしてもらった。助けられた、と言った方がいいかな」
「いえ、俺は別に……」
謙遜はしたが、素直に嬉しかった。
「だがね、もう私だって助けられてばかりはいられないんだ。今度は私の手で助ける。この街も、レイラも……」
やはり、レイラに関しては父親でもあるカルロスさんの方が、抱えているものは重く苦しいようだ。
俺だって辛くないこともない。
それでも、これからはレイラと過ごせる時間は絶対にやってこない。思い出こそがレイラとの全てだと、俺の中では片が付いていた。だからこそ、俺の意志は魄奪に対しての復讐に動いているし、それがレイラを弔うことの第一歩だとも思っている。
いつか街から、この国から霊羅を消し去る事が出来たなら、俺はレイラの代わりに毎日を謳歌してやろう。
だけど、カルロスさんはそうは思えないようだ。
この国へ来る前、奥さんを向こうで亡くしたと聞いたことがある。あげく、一人娘までも失ってしまえば、そう簡単に心を取り戻すなんて出来はしないだろう。
だからこそ、カルロスさんの瞳には光が宿っていた。
その光が明るい未来を照らしているのかは定かではない。
野獣にも似た、鋭い眼光。
恐ろしくもあったが、この人の復讐心は俺の比じゃないことは確かだった。
「……私はね。いつまでも霊羅を見ていたくはない。あれをあのままにしておくのは心が苦しい……」
最後にそんな独り言を言っていた。
カルロスさんはもう俺を見ていない。
俺はこっそり事務所を後にした。
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