第八話
それから三カ月が過ぎた。
あれから俺は白鬼会の一員として、霊羅が来るたびに迎撃や警備のために出動した。魄奪との戦い方も、だいぶ手慣れてきたと自分でも思うようになってきた。
このまま成長していけば、全ての魄奪を倒しきることだって出来るんじゃないか。
そう考えてすらいた。
だが、一つだけどうしても心の隅から離れない出来事があった。
駒川先輩が失踪したのだ。
いなくなった具体的な日はわからないが、予測では俺と東中学の守衛をしていた日の後日には姿が見当たらなかったという。
もちろん、高校にも来ていなかった。
始めの頃は、まだ体調がすぐれないから登校しないのだと思っていたが、こうして三カ月もの間見かけることすらないと、そうではなかったんだと感じた。
どうして先輩がいなくなってしまったのかは今でもわからない。
なにか事件に巻き込まれたのではないか。
そうした声を上げるのは俺だけじゃなかった。
だが、警察の捜査では怪しい人物はいなかったという。しかし俺は、それこそが怪しいと考えていた。
あの日は霊羅が現れて街も少なからず混乱していた。街を行く不審人物になど意識が向きにくい。
先輩は疲弊しきっていたし、帰りがけに襲われたとしか考えられない。
あるいは先輩自ら……。
いや、それだけは考えられなかった。
たとえ抱えているものがあろうとも、先輩がそんな無駄なことをするとは思えない。弟の後追いをしたからといって、弟が喜ぶわけでもないのを一番に知っているのは他でもない先輩のはず。
なら、先輩はどこへ行ってしまったのか。
そう問われれば、俺には分からないと答えるしか出来ない。
だがそのうち、必ず戻って来るとは信じていた。
俺を弟にしておいて、先輩がどこかへ行くはずがない。行ってほしくない。
先輩がどう考えていたかは知らないが、それが俺の願望だった。
三か月が過ぎる間に、長かったはずの夏休みはいつの間にか終了し、季節はすでに秋になっていた。
山の方を見てもまだ紅葉は始まっていないが、時折木枯らしに似た風が肌を震わせる。高校では期末テストの期間に入った。
俺は他の生徒と比べると特殊で、白鬼会に入って神出鬼没の魄奪を相手にしてはいるが、テストにそんなものは関係ない。
霊羅は毎日出るものでもなかったし、ちょっとした部活だと思えば、ハンデでもなんでもない。それに白鬼会の制度からして、俺以外にも白鬼会に入会している生徒がいても何らおかしくはなかった。
もしかすると、担任の先生が白鬼会に入っているかもしれない。
まあ、仕事上そんな暇がないだろうから、可能性としては低いかな。
そんなこんなで、期間中には霊羅が出ることもなく、テストは点数以外無事に終わった。後は冬休みに向けて淡々と授業をこなすだけだ。
ここ最近は平穏が続いているな。
そう思い始めた矢先だった。
テストも終わり、これから何をして遊ぼうかと考えながら帰宅すると、見計らったかのように携帯に連絡が入った。
やはり忘れたころに霊羅はやって来たか。
どうやら、遊ぶのはまだ少し先送りのようだな。
そう思いながら携帯の画面を見ると、カルロス=ロペスの文字。
カルロスさんからの電話だった。
一斉送信のメールじゃない時点で、霊羅が出現したのではないと察する。
しかし、一体何の用だろう。
「はい、白間です」
「白間君、今すぐに事務所へ来てほしい」
開口一番がそれだった。
声からは深刻な雰囲気がありありと伝わってくる。
「霊羅ですか?」
そうでないことはうすうすわかっていても、とりあえず尋ねた。
電話をしつつ、部屋のカーテンを開けて見るが、空が夕暮れ色に染まっている様子もない。今日はテスト最終日で学校も早く終ったから、帰宅時間も早い。夕方に霊羅が出現して、本来の夕焼けなのか見分けつかなくなっているという心配もなかった。
つまり、霊羅ではない。
俺の心の言葉を復誦したように、カルロスさんも同じことを言った。
「詳細は来てくれたら話す。君にとってもその方がいいだろう……」
「どういうことですか?」
訊いても、とにかく事務所で待っているという言葉を残して、一方的に切られてしまった。
決して良い予感はしない。
一先ず、俺は荷物を家に残し、制服のまま事務所に向かった。
事務所の扉をくぐると、中では複数の人たちが俺を待っていたようだった。その誰もが、俺なんかよりも年上の男性ばかりだった。
恐らくはこの人たちも会員なのだろうが、物々しい雰囲気が溢れていた。
「カルロスさん?」
状況が呑み込めず、扉の前で中に入る事が出来ずにいた。
「よく来てくれた。ではさっそく行くとしよう」
そう言って、説明もなしにどこかへと向かおうとする。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「どうした」
「いや、何が何だか俺にはわからないんですけど」
「詳細は来てくれたら話すと言っただろう」
「だから、俺はここに来たじゃないですか。説明してください」
すると、カルロスさんは周りを取り巻く男性たちと顔を見合わせた。こそこそと何かを話されるのは気分が良くなかった。
一言二言の話が終わると、カルロスさんは改めて俺と向かい合った。
眼差しは真剣なもので、俺に逸らすなと言っているようである。
「駒川君が発見された」
細かい無精髭の生えた口から飛び出したのは、そんな言葉だった。
聞いても、俺には始めそれがどういう意味なのかが解らなかった。
発見、とはどういうことなのか。
いや、先輩が見つかったのだという内容は十分に伝わって来る。しかし素直に喜べない状況がそこにはあった。
「そう、なんですか……」
俺はただ、言われた言葉を理解したという意思を表すことで精一杯だった。
必ず戻ってくるとは信じていた。
けど、それは俺の望んだ形ではないだろう。
誰が用意したのか、俺は会員の運転する軽自動車に乗せられ、カルロスさんもそれに同乗した。他にも男性が二人乗ったために、車内は窮屈な状態だった。
「着きました」
運転手の男性の言葉を合図に、俺やカルロスさんたちも車を降りる。
車に乗っている間、頭の中が一杯で外を見ているのに景色が見慣れた物だということにすら気が付かなかった。しかし降りてみればそこは、いつの日か先輩と特訓した神社の前だった。
「ここに先輩が……?」
「覚えがあるようだね」
カルロスさんたちは神社の階段を上がっていく。
だが、鳥居をくぐるよりも前に足を止めた。
「白間君、あれが見えるか」
言われて、俺も鳥居の下まで足を運ぶ。
まず俺の目に飛び込んできたのは、手水舎の脇に倒れている神主らしき人物だった。一見すると外傷はなく、気絶しているように感じる。
だが、それが気絶でないことは脈を確かめずとも予想できた。
鳥居の下にまっすぐ伸びた、比較的短い参道を真っ直ぐに進むと社があり、そこで不可解な行動を取る人物がいる。
それがどう見ても先輩であり――また、魄奪だったからだ。
先輩は社の柱に手を触れている。
その行動は魄奪が魂を奪う時にするものと同じように見えた。
しばらくその様子を窺っていると、社全体がミシミシという音をたてはじめ、数分後には俺たちの目前で木片の山と化してしまった。
魄奪。
それがやつらの名称であり、能力でもある。
人だけでなく、動物や植物、果ては建造物に込められた魂も奪い去る。
そう教えてくれたのは、他でもない先輩自身だった。
だけどこの光景はなんだ。
先輩が魄奪みたいなことをしているのはどうしてだ。
「見ての通り、駒川君はああした状態だ。見るからに魄奪だが……」
君はどう思う?
そう尋ねられているようだった。
聞かれるまでもない。
ここへたどり着いた時、先輩のあの姿を見た時、真っ先に頭に浮かんだのは、それが駒川先輩であるということや俺の兄が帰って来たという嬉しさではなかった。
なんだ、この化け物は――はやく倒さないと。
そんな考えだった。
先輩の着ている服はあの時のまま。
輪郭や背丈、姿勢、担いでいる白鬼としての武器。
そして、どうみても魄奪にしか見えない蒼さをした、顔や腕の色と質感。
あれが先輩の姿をした化け物以外の何に見えたと勘違いできようか。
この俺が見たって、どう考えたってあれは―――憎むべき俺の敵じゃないか。
「俺もそう思います」
カルロスさんの意見に同意した。
「なら、掃討しなくちゃならないが……」
何故、こうもこの人は最後まで言わない。
そりゃあ、辛くないはずがない。
あれは先輩の姿を模しただけのまがいものだと思いたい。
そうであってほしい。
だけど、今この場において優先するべきはそんな感情ではない。
あれが先輩だろうとそうでなかろうと、魄奪である以上は抹消しなければならないんだ。
「見てしまった以上、このまま帰るわけにはいきませんから」
俺の返答に、カルロスさんは頷いた。
「そうだな。身内の不始末は私たちでつけよう」
共に来た男性の一人は、もう息がないだろう男性を抱えて車まで向かった。残ったのは俺とカルロスさんと、細身だがカルロスさんにも劣らない背丈の男性だ。
俺はナイフを、カルロスさんは鉤爪を、男性は鎖鎌を手に携える。
こちらの戦意に気付いたのか、先輩――いや、魄奪が体を向けた。
「来るぞ……!」
カルロスさんの緊張が伝わって来る。
瞬間、自然と闘いの火蓋が切られた。
魄奪はゆっくりと、しかし確実に加速しながら走ってくる。
これまでの魄奪からは殺意を感じなかったのに対し、今は殺人鬼と対峙している気分だ。
構えている俺たちを捕らえようとしてか、腕がゴムの様に伸びてくる。
「単調だな。その辺りは所詮、魄奪か」
直線的に伸びてきたそれを避け、鎖鎌の男性が反撃に出ようとした。
しかし、俺の目にはそんな男性の姿と、瞬間的に何かに気付いてか、何かを告げようと口の開きかけたカルロスさんの表情が映っていた。
「あ――」
気づいた時にはもう遅かった。
避けたはずの腕は転回し、背後から男性の首を掴む。伸縮自在な腕が元の長さに戻るのと同じように、男性の体が魄奪に手繰り寄せられていく。
瞬きを一つした時にはもう、男性の体からは蒼い斧が生えていた。
「殺した……」
俺は何を言っているのだろう。
今までの魄奪だって、無慈悲に心もなく人間を殺していた。
魂を奪われた人たちは、みんな人形の様に動かなくされた。
けれど、俺はこんな光景まで見たことはない。
ここまで不快な赤い色はどこにもないはずだった。
まだ男性には息があるようだったが、俺たちが驚愕している間に、それも魄奪が吸い尽くしてしまった。
魄奪は、吸い殻のようになった男性を抛った。
魂を奪うだけなら、どこに痛めつける意味があったのか。
こいつが先輩かもしれないという考えは、もうなくなった。
胸の前にナイフを差し出す。
お前を殺す、と刃先を突きつけた。
だが、足は思うように動こうとしなかった。
この期に及んで怖くなったのだ。あれの圧倒的な強さを目の当たりにして。
そして、一歩間違えれば簡単に殺される側に回るという事実に。
「……私が先に行こう」
躊躇していると、カルロスさんが前に出た。
先輩がいなくなってからこの三か月、俺はカルロスさんと共に行動することが多くなっていたが、ここまで緊張に満ちた姿を見るのは初めてだ。
白鬼の力は意思の力で自在に形を変えることも、武器以外に変容させることも出来る。意思さえ正確に反映されれば、質も形も如何様にもなる。
戦うという志があれば、自らの心が形となった武器はより勝利に近い型を取ろうとする。
いつにも増して鋭く。
いつにも増して硬く。
その鉤爪はカルロスさんの心を具現したかのようだ。
「っ………!」
一気に力を込めるような声が発せられる。
先手を打ったのはカルロスさんだった。
爪は風を切り、魄奪の体を衣服ごと引き裂いた。
だが、魄奪は堪えていないという態度だ。仰け反りさえもしない。
引き裂かれたはずの体は数える間もなく再生し、魄奪の反撃が開始された。
斧を持つ腕が伸びたと思えば、軟体的なそれがしなり、斧が乱舞する。一方では、別の腕がカルロスさんを追い回していた。
カルロスさんは追ってくる方の腕を切り落としては、あらゆる角度から振られる斧も相手にしている。
カルロスさんほどの手練れでもなければ、今頃は先ほどの男性と同じ目に遭っていてもおかしくはない。
しかし、それでも戦況は対等以下だった。
徐々にだがカルロスさんは押されている。
最初の一撃以外、まともにダメージも与えられていなかった。
このまま体力だけを消耗していては、いずれは同じ惨劇が繰り返されてしまう。
どうにか俺が手を出さなければならなかった。けれど、俺が出たところで足手まといになるだけ……。
と、その時だ。
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