第七話
すっかり気は抜けていたが、忘れていたわけじゃない。
先輩の言葉を聞いて、俺も気を引き締め直す。
空を見上げると、その全てを覆わんばかりに霊羅が近づいて来ていた。
霊羅そのものは、街を歩いているだけで俺たちのいる地上には見向きもしない。しかし、その体からは水滴が垂れるように、魄奪たちが地に落ちてきた。
魄奪たちは落ちるなり活動を始めた。奪う魂を求めて歩き彷徨い始める。
今日、霊羅が現れてからすでに数時間が経過していた。人は避難所や家に籠っているため街はゴーストタウン化しているが、徘徊する魄奪たちがその雰囲気をより際立たせていた。
だが、魄奪たちにはまるで人間の気配がわかるようだった。
霊羅から落ちてすぐは、犬が臭いをかぎ分けるかのように探している姿が見られたが、それからすぐに人が隠れているだろう建物や避難所へ向かってきている。
「あいつら、人間がどこにいるのかわかるみたいですね……」
「ああ、生き物の気配を感じ取れる……いや、魂の気配だけを求めているってカルロスさんは言っていたな」
「殺す為にだけに存在してるってことですか……」
気に食わない。
自然と、ナイフを握る手に力がこもる。
「それにしても、霊羅はいつ消えるんですか。今日はやたら長くないですか」
いつもなら、一時間もすれば霊羅はいなくなっていた。
それが今日は、すでに二時間以上も街を荒らしている。
「あいつが初めて現れてから今日まで、回数を重ねるごとに滞在時間が増してるんだぜ?」
「もしかして、今日からはずっと居続けるとか?」
「さあな。しかし道人にとっちゃあ、災難な初陣かもな」
「勘弁してくださいよ」
「それと、避難所の守衛は暇かと思ってたかもしれないけどな――」
ついに俺たちのいる東中学の校庭にまで、魄奪たちが入って来た。それも一体や二体ではない。様々な姿形をした魄奪たちが四方に蠢いている。
それを見て、先輩も斧を担ぎ上げた。
「人が集まるってこたあ、それだけ化け物が釣れるってことなんだ」
先輩の声は、どこか高揚していた。
怖さを感じないのは、戦い慣れているからだろうか。
「道人! 危なくなったらすぐに退くか叫べ! すぐに俺が行ってやるからな!」
言い残すと、先輩は真っ先に目の前の魄奪へ駆け出した。
思えば、先輩が魄奪と戦う姿を見るのは初めてだ。
カルロスさんとは違って、長く重い斧を振りまわす様は俊敏とは言えない。しかし、巻き添えを気にしないその豪快さは、周囲の魄奪をまとめて相手にしていた。
一振りが、二体、三体の魄奪を叩き潰していく。魄奪が元の体を維持しようとした時にはもう一度、重圧な一撃が振り下ろされた。
まるで、幻殻が紙のように散っていた。
俺も負けてはいられない。
辺りを見ると、校舎へと進んでいく魄奪がいた。
通すわけにはいかない。
足が自然と走る。
気が付いた時には、地上を歩く海月のようなそいつに斬り掛かっていた。
力を込めたナイフが、いとも簡単にすり抜ける。
「効いていない?」
いや、確かに感触はあった。
プールの中で腕を振り回したときのように、魄奪の体を通過した腕が重かった。けれども、今の俺の一撃では、効いていないも同然だった。
何事もなかったかのように俺を振り返った魄奪は、その触手のようなものを幾つも伸ばしてきた。
捕まれば魂を抜かれてしまう。
見てから斬るなんて芸当は出来やしない。
だいたいの感覚でナイフを振り、触手を切りつける。
強度自体はなく、当たれば簡単に切断できた。
――いける。
瞬間的に確信した。
そもそも、魄奪に殺意といったようなものは感じられなかった。なら、何を原動力として動いているのか。
それはやっぱり、魂だろう。
やつらは魂だけに反応していると先輩は言っていた。
きっとその言葉通り、魂を奪うためだけにやつらは動いているのだ。そこに人間を殺してやろうだとかの感情は一切ない。
しかし、それゆえに恐ろしくもあった。
無意識に生物を死に至らせる存在ほど恐ろしいものはない。初めから理性がないのならば、自制なんてものも効くはずがない。
魄奪というモノは、いわば魂を奪うことだけのソフトをインストールされた機械のようなものだと感じた。
だが、それなら遠慮はいらない。
人同士の争いの様に、相手側にも人生があるなどという、本当の殺し合いにとっての雑念が湧かないからだ。
体が軽くなった気がした。
今の今までのような場当たり的な動きではなく、敵の行動がしかと見える。
伸びてくる触手から逃れるように足を動かした。魄奪を中心に、その周りを回るように走る。全ての触手が一つの束となって俺の背をついてきた。
速さの勝負は圧倒的にあちらにある。
このままでは追いつかれそうだという時、地を蹴った。
俺の身体、腕は魄奪の鎧に跳びかかる。跳躍の勢いに任せて、腰から倒れそうなほど腕を振り下ろした。
再び腕に重みが伝わってくる。
まだだ。
そこからは何も考えなかった。
ただひたすらに腕を振り続ける。
やたらめったらナイフを入れた。
触手が俺の足や体を掴もうと構わない。
そして、幾度刺したかもわからないほど斬り続けたとき、これまでにない確かな手応えを感じた。
硬い。
おそらく、幻殻が耐え切れずに硬化し始めたのだろう。
そこを攻めた。執拗に斬り続ける。
そしてついには、咄嗟に繰り出した一突きが殻を破っていく。
そのまま、俺の腕は幻殻のさらに奥にある、魄奪の魂を貫いていた。
ナイフを握る手に瞬間的な熱が伝わって来る。それを感じ、瞬いた時には、魄奪は蒸発し始めていた。
とろける様に無くなっていく。
「やった…………」
あっという間の出来事だった。
ここまで集中したのは生まれて初めてかも知れない。それほど、俺が必死ただったということだろう。
「倒した……」
俺がこの手で初めて魄奪を倒したことに打ち震えた。
これでようやく、俺はレイラの復讐が出来るのか。
いいや、戦いは終わっちゃいない。
ここにいる全ての魄奪を退けるまでは油断ならなかった。
次の標的を探す。
見つけだすのに時間はかからなかった。
今、ここ東中学の校庭には腐るほどの魄奪がうようよとしている。
一匹残らず仕留めてやる。
「次はお前だ!」
近場にいた、比較的人型にも見える魄奪を突き刺した。
しかし、反応がない。
次の瞬間には、刺した魄奪が融解し始めた。
倒したのか?
明らかに弱すぎる。
それに、何だか様子がおかしい。
融けはじめた魄奪はその体が地面に流れるのではなく、空に登っていく。
逃がすものかと手を伸ばす。が、すでに届かない位置まで浮かんでいた。
「くそっ……!」
「道人、やめておけ」
憤る俺を制したのは、駒川先輩だった。
酷く疲労感のある顔つきをしている。
「お帰りなんだとよ」
気が付けば、辺りの魄奪全てが空に向かっていた。目指しているのが霊羅だというのは言われずとも分かった。
形を失った魄奪たちは、ただ飲まれるだけの水のように、霊羅の体に付着すると吸収されていった。帰る、とはそういうことなのだろう。
いくつもの蒼い線が霊羅を覆っている。
その集まる様がとても綺麗で、あのどこかに今日も奪われた魂があるのだと考えると複雑な気持ちだった。
「道人、大丈夫だったか?」
先輩に声をかけられると、何だか気持ちが落ち着いた。
あれだけ好戦的だった自分が、今となっては少し恐ろしいくらいだ。
「はい、大丈夫です。それよりも先輩の方が大丈夫ですか。すごく疲れた顔をしてますよ」
「大丈夫だ。魄奪相手じゃあ、怪我の心配もないしな」
今の先輩の言葉でぴんときた。
魄奪と戦ってわかったことがあったのだ。
やつらは本当に魂を奪うことだけを目的としているのか、こちらからいくら攻撃をしようとも、俺たちを傷つけることすらしないのだ。
だから、俺と先輩のどこにも外傷はない。
しかし、いくら怪我がなかろうとも、先輩の疲労感に満ちた表情は無視できなかった。
「本当に大丈夫とは思えないですよ」
「何度か、持っていかれそうになったからな……」
持っていかれるとは、魂のことだろう。
俺もいつの日か、お婆さんを助けようとした時に経験したことがある。あの時は確か、頭を掴まれたのだ。
魄奪のひんやりとした腕に触れられていると、不意に眠気が訪れてくる。
もしもカルロスさんに助けられていなければ、危うく俺も、今頃は霊羅の体内にいたことだろう。
つまり今の先輩は、何度も身体と魂が引きはがされそうになったために、魂の定着具合が不安定なのかもしれない。
「肩に捕まってください」
「悪いな……」
今にも倒れそうな先輩を支えつつ、俺は校舎内へと入っていく。
すると、すぐに白鬼会員らしき人たちが来てくれ、先輩の介抱に当たってくれた。体育館へと運ばれ、床に寝かされる。
とはいえ元々、霊羅出現時には避難所となるよう指定されている為か、毛布などで簡易的な寝床が用意できるよう予め準備されていた。
「近頃は霊羅の滞在時間が長いからな。こうして泊まることも念頭に置いてるんだよ」
と、自身も白鬼会の一員だというおじさんが教えてくれた。
俺も会の一員だが、顔も知らない会員がまだたくさんいる。
白鬼会の制度は、非常時には会員にグループメールが送られ、そこから目的地に向うというものだ。俺はまだ入会したばかりだからメール登録をしていなかったが、おじさんに登録の方法を教えてもらった。
とまあ、そんなものだから、白鬼会として会員が集まることは滅多にないのだという。そのために、会員の殆どは共に行動する相方や顔見知りにしか面識がなくても無理はないということなのだそうだ。
霊羅の脅威が去り、一般の人々がいつも通りの生活に戻っていく頃、俺は学校へ向かっていた。
こんなことがあろうとも、午後からは授業をするらしい。とはいえ、休んだからといって欠席扱いにはならないのはいつものことだ。俺も魄奪との戦いで疲れたから休んでもよかったのだが、こういう日だからこそ、何となくみんなの顔が見たくなる。ちょうど制服も着ているし、先生が来ない授業はどうせ自習だ。談笑でもして帰るつもりで学校には顔を出そう。
ただ、駒川先輩は起き上がれるほどまでにはなっていたが、気分がすぐれないからと直帰してしまった。
本当なら、このまま一緒に登校したかったところだが、さすがにそれを言いだすことは出来なかった。それにあの様子だと、いくら俺に優しくしてくれる先輩だろうと断っていただろう。
それほどまでに、先輩は疲弊していた。
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