第六話

 特訓が終わる頃には、完全に日が落ちていた。

 来た時と同様、俺は駒川先輩と一緒に帰ったが、自転車は押して歩いた。

 帰り道、先輩はこんなことを俺に言った。

「道人、俺、思ったんだ」

「何をですか?」

「なーんか、道人が弟みたいだなって」

「先輩、弟いたんですか」

「いないぜ」

「なんだ、弟がいたらって想定ですか」

「ああ、いたら今頃はちょうど道人と同じくらいの歳だったろうな」

 俺は自分の過ちに気が付いた。

「……すみません」

 少し間があったが、すぐに謝った。

「いや、いいんだ」

 先輩の笑顔は優しかった。

「……弟さん、俺に似てたんですか?」

「そうでもないんだ。顔もそれ以外も全然似てない。それでも、似てるって思った」

「それって結局、似てないんじゃないんですか?」

「ははは。だな。俺の弟はそんなにチビじゃなかったしな」

 思えば先輩もかなり大きな部類だ。

 弟さんも大きかったのなら、きっと駒川家は背が高い家系なのだろう。

 羨ましい。

「道人もはやくでかくなれよなー」

 俺が小さいことを笑いながら、駒川先輩は頭をぽんぽんと叩いてきた。

「ちょっと! これから俺もでかくなるんですから、上から押さえつけないでください!」

「これくらいじゃ変わらねえって、ははは」

 俺にじゃれついてくる先輩は、なんだか本当に弟と遊んでいるような顔をしていた。

 俺の頭を叩き終えると、先輩はまた話し出した。

「だからな、道人。俺は今日からお前を弟だと思うことにする!」

「はい?」

「いやな、別に前の弟とお前を重ねてるとかそんなんじゃないぞ。いなくなった人を何かに重ねるのが辛いのは、道人も知ってるだろうからな」

 知ってるなんてほどのことでもなかった。

 でも俺は頷いておいた。

 程度に大小はあれど、先輩は少なからず辛い話をしていたから。

 それでも先輩は笑顔を絶やさず、声も落とさず、元気なままだ。

「ただ、俺にとって大切なものが増えるだろ。そうすりゃあ、これからも俺は頑張れる。弟の道人も守ってやれるってな」

「先輩……」

「あ、なに臭い話してるんだよって顔してるな?」

「え、いや、俺は何も」

「わーってるよ! でもさ、こんな世の中だからこそかっこいいこと言わせてくれよな! 人がどんどん消えていくんだからさ……俺の前から……」

 まただ。今日は何度か、先輩のこんな顔を見た気がする。

「せ、先輩! 俺だって白鬼会の一員なんです。守られてばかりなわけないじゃないですか!」

 先輩が守ってくれるというのなら、それに甘えるのもよかった。それで先輩が喜んでくれるのだったら。

 でも、俺はあえて守られるのを否定した。

 先輩が俺を守れなくとも、自分を責めてほしくなかったから。

 何よりも、俺は消えたりしないとわかってほしかった。

 その気持ちを分かってくれたのか、先輩も笑顔を取り戻してくれたようだ。

 にやっと笑って、俺の首に腕を絡めてくる。

「んなこと言ったって、お前はまだ入ったばかりだろうが~」

「いててて、これから強くなるんですってば」

「これからばっかり言ってるな!」

 俺に兄がいたことはない。

 けれど、この日からは俺にも本当の兄貴が出来たようで、心が温かくなった。




 それから二週間後のことだった。

 朝の七時過ぎ頃、俺は寝惚け眼で歯を磨いていた。

 今日は月曜。これから学校へ行かなくてはならない。

 歯を磨きつつ、テレビで天気予報やニュースを見たり、忙しそうに行ったり来たりする母を眺めていた。父は、かっこうよくカップに口を当てながら新聞を読んでいるが、中身はコーンポタージュだ。コーヒーは苦手らしい。

 天気予報では、今日の天気は曇り。

 しかし、最近の天気予報の精度がどれだけ高くなろうとも、はずれることがないわけではない。特に今日のような曖昧な天気に至っては、予報で曇りだろうと午後からは雨が降ってくる。なんてこともあるわけだ。

 今はどの程度の曇りなのだろう。

 閉められていた薄いカーテンを開く。

「ん……」

 朝日で目が眩んだ。

 ここがマンションの五階だからということもあり、日の光が真っ直ぐ目に入って来たからだ。

 なんだ晴れじゃないか、と少しずつ慣れてきた目を開く。

 群青色と橙色の朝焼けがきれいだった。

 午後から天気が悪くなるのかな。

 寝ぼけながらそんなことを考えていると、コーンポタージュを飲んでいたはずの父が立ち上がった音が聞こえた。

 大袈裟に、椅子まで後ろに倒している。

「道人……!」

 何故そこで俺を呼んだのかは分からないが、口をあんぐりと開けたまま窓の外を見つめている。その姿で俺は察せざるをえなかった。。

 これは朝焼けじゃない。

 そう思った瞬間、始めからそこにいたかのように、浮き出るようにして霊羅が遠くの方に現れた。

 使っていた歯ブラシを戻し、口を濯ぐ。

 朝ご飯が用意されていたが、それには手を付けずに高校の制服を急いで着た。

だらしなくてもいい。

 本当は制服じゃなくてもよかった。

 霊羅が来たとなれば、どうせどこの教育機関も休校にするほかない。

 とにかく今は、時間だけが大切だ。

「行って来る!」

 自転車の鍵だけを持って、外に出ようとした時だった。

「道人!」

 また父に呼ばれた。

 俺は振り返る。

「今日ぐらいは休んでもいいんじゃないか……?」

 これから、俺の両親が避難するのか家に籠るのかはわからない。どうせなら、一緒に避難所へ向かうのもいい。より傍にいることの方が、守れるという場合もあるだろう。

 でも俺は、そんな綺麗な心で動いちゃいなかった。

「ごめん。白鬼会に入ったからには、出動が義務なんだ。それに、俺は……レイラの仇を討たなくちゃ」

 実際、出動は義務ではない。嘘も方便ということで許してほしい。

 父は何も言わなかった。

 元々、白鬼会に入ることを許可しているから、今更どうこう言う気もなかったのかもしれない。

 ただ、俺としては一緒にいたいと思ってくれていたのは、素直に嬉しかった。

 けど俺は、どうしても霊羅や魄奪を倒したくて仕方がなかった。

 それはもちろん、レイラのこともあった。最近でいえば、お婆さんのこともある。

 自転車を走らせること数分、事務所にたどり着く直前で、先輩から連絡があった。

「道人、今どこだ?」

「もう着きました!」

「事務所にか」

「はい」

「すまない、東中学校まで来てくれ」

「東中学校?」

「お前も通ってただろ」

「それはそうですけど、どうして?」

「それは着いてから話す」

 そう言い残して、電話は切られた。

 東中学校。

 俺の母校でもあり、レイラが卒業するはずだった中学でもある。

 いや、一応レイラも卒業はしたか。写真だけというかたちではあるが。

 俺は先輩に言われた通り、東中学に向かった。

 東中学は、都会と郊外のちょうど境の辺りにある。山へ向かう際に渡る橋が近い場所だ。つまり、俺の家から考えて、事務所とは反対の位置にあった。

 とはいえ、そう時間はかからなかった。

 ようやく東中学にたどり着くと、先輩が校門の前で出迎えてくれた。

「おお、すまない。もう少しはやく連絡できればよかったんだけどさ。何しろ、こんな朝早くから出て来るなんて聞いてないからよ」

 相変わらず、非常時だというのに先輩の態度は軽い。

 ビルの向こうにはもう、霊羅の姿が迫って来ているというのに。

「どうしてここなんですか?」

 少し切れかけていた息を落ちつけながら訊いた。

「それはだな、今回の役目は避難所の護衛だからだ」

 校舎を指さし、先輩は言った。

「避難所?」

「そ、避難所。自然災害の時も学校が避難所になるなんて当たり前のことだろ?」

「自然災害とは違うと思うんですけど……。それに、魄奪は建物もすり抜けますよね。どこに避難しても同じなんじゃないですか?」

「いいや、全然違うな」

 先輩は慣れたように斧を創りだした。

 朝の運動とでもいうように、それを振り回している。

「避難所にはたくさんの人が集まる。人がまとまっていた方が、こっちとしても守りやすい。家に避難するのは勝手だし、俺たちも文句は言えないが、見回りをしなくちゃならない手間が生まれるからな。それに人がまとまっていれば、誰が生きているか把握しやすいんだ」

「じゃあ、どこに集まるかは関係ないんですね。集まることそのものに意味があるだけで」

「ただな、あえて避難所に人を集めていないってのもある」

「集まってくれた方が楽なんじゃないんですか?」

「それもそうなんだが、集めすぎると別の弊害が出る。魄奪は魂を奪いとるが、それは人だけじゃないんだ」

「人だけじゃない? それはつまり、動物たちにも魂があって、それも奪い取るってことですか」

「少し正解だな。動物もそうなんだが、植物や建造物にも魂があるみたいなんだ」

「建造物って……」

 百歩譲って、植物に魂があるというのはまだ理解できる。しかし、完全な無機質である建造物にまで魂があるとは思ったこともなかった。

「魄奪はな、人がいないとなると、他のモノから魂を奪うんだ。そうして奪われたモノは人間と同じように死ぬ。これがどういうことか分かるか?」

 分かるか、などと言われても、想像もつかなかったことだ。

 そう簡単にわかりはしない。

 俺が難しい顔をしていると、先輩は勝手に答え合わせを始めた。

「動物は人間同様に死ぬし、植物は枯れる。建造物に至っては崩壊するんだ」

「そんな」

「嘘だと思うかもしれないが、俺も白鬼会に入って二年だ。街の人間を出来るだけ救おうと、一度だけ全員を強制避難させたことがある。道人も覚えてるんじゃないか?」

「えーと……」

「なんだ、覚えてないのか。まあ、要は人がいなくなった街で魄奪が何をし始めたかっていうと、人以外のあらゆるものから魂を奪い始めたってわけだ。その中に建造物もあって、魂を奪われた建造物は倒壊した。そんなとこだな」

「そうだったんですか……」

 俺は白鬼会に入るまで、魄奪を倒すという意気込みだけで生きてきたようなものだ。それが実際に中をのぞいてみれば、俺は敵の情報を一部も知らなかった。

 気持ちだけでは、今頃俺は死んでいたかもしれない。

「てなわけでだ。俺たちはここの守衛だ。人も守るし、その他を守るためにもここにいる。生きることも大切だが、住む場所がなくちゃ辛いだろう?」

「そうですね」

 その通りだ。

 ただ命があるだけでは、人にとってそれは生きているとは言えないだろう。生きて、人らしい生活を営んでこそ生きているといえるのかもしれない。

 俺と先輩は、辺りが見渡しやすい校庭に移動した。

 校舎内に魄奪が入り込んだ時のためにと、あと数人白鬼会の人たちが校内にいるらしいが、外は俺たちの役割ということだ。

 つい先日、先輩に習った時の様に、俺はナイフを形作って見せる。

 あの後も隠れて練習していたから、簡単に再現することが出来た。

「いい感じだな!」

 先輩も安心したようだった。

 何でも、俺が武器を創りだせるようになっていなければ、校舎内で避難させるつもりだったらしい。

 とはいえ、まだ実戦で扱ったことはないから、この先の魄奪との戦いが不安ではないということでもない。

 何かを殺す為に刃物を持ったことすら初めての俺にとって、このナイフはいつ触れても恐ろしく感じられる。

 だが、俺が東中学に到着してからというもの、すでに一時間は経っていた。

「先輩、来ませんね。魄奪」

 俺はナイフを振ってみたりと、いつ敵が来てもいいようにと準備をしていた。

 対して先輩は、斧を抱えている以外はいつも通りだった。

「今日はあいつ、あっちの方面を重点的に踏み荒らしてるな」

 朝礼台に腰を掛けながら、遠くの霊羅を眺めていた。

「向こうにいるなら、助けに行かなくていいんですか?」

「その必要はないな」

「どうしてですか」

「俺たちがここを放棄したら誰が守るんだ」

「でも、敵は向こうじゃないですか」

「そのうち来るさ。来なかったらラッキーぐらいに思っておいたほうがいい」

 そういうものなのだろうか。

 俺はまだ経験をしたことがないからわからないだけなのかもしれない。

「ああ、そうだ。忘れてたな」

 ふと、先輩が思い出したように言う。

「忘れ物ですか?」

「魄奪の倒し方、かな」

「切るだけじゃ駄目なんですか。ていうか、それ忘れちゃ駄目じゃないですか!」

「まあまあ、まだ時間はあるし、そう難しいことじゃない」

もし魄奪が来ていたらどうするつもりだったのか……。

「いいか、道人。やつら魄奪は、幻(げん)殻(かく)って鎧を纏ってるんだ」

「鎧? そんなふうには見えませんでしたけど」

 むしろ、液体のようで柔らかそうだった。

「まあ、銀製のもの想像してちゃあ、鎧を纏ってるなんて思えないよな」

「その鎧が、魄奪を倒すのに関係してるんですか?」

「関係あるってか、重要な事だな」

「なら余計に、そんな重要なこと忘れないでくださいよ……」

「すまんすまん」

 先輩は全く悪びれているようすはなかった。

「いいか。カルロスさんから白鬼になる許可を得たんなら、道人も見たことがあるだろうが、魄奪の本体はあの蒼い魂だ。魂が幻殻と体に見える部分を創りだし、本体である魂を覆っている」

「要するに、幻殻の先にある魂を破壊すればいいんですよね」

「そうだ。ただし魄奪たちは形状記憶ができる」

「形状記憶?」

「一種の再生能力だと思えばいい。ちょっとした攻撃じゃあ、幻殻は破壊できないってことだ。けど、重い一撃を加えりゃあ幻殻といえども吹っ飛ぶ。あるいは、ある程度の攻撃を複数回入れることがコツだな。そうすりゃあ、形状を維持できなくてやつらの幻殻は割れる」

 そういえば、カルロスさんが魄奪を倒したとき、硝子のように体が砕け散っていた。あれは幻殻を破壊した瞬間ということだったのか。

「まあ、習うより慣れろだな。つか、死ぬなよ?」

 死ぬなよ。

 その言葉は、俺ではない誰かにも言っていたのだろうか。

「怖いこと言わないでくださいよ。先輩が守ってくれるって、この間言っていたじゃないですか」

「面倒見切れないこともあるからな」

「前と言ってることが違いますよ!」

「おや? 守られてばかりじゃないって言ってたのはどこのどいつだ~?」

「からかわないでくださいよー」

 こんな時でもふざけあう。

 いつもの先輩だった。

 俺もだんだんと、そんな先輩のペースになれてきた。

 今、街のどこかでは大変な目に遭っている人たちがいる。けれども、その光景を俺の目で見ていない以上、それは妄想でしかない。

 だれかが苦しんでいようと、痛みに悶えていようと、それは俺とは関係なく、相手だって俺に助けを求めようとすらしていないはずだ。

 だが、仮に俺がその現場に行ったとして、その時は事実を目にしてしまう。救いを求める人たちも、俺の存在に気付く。その時、本当にどうするかは俺次第なのだろうが、それでも今という時はあくまでも無関係だ。

 駒川先輩は、弟のことを後悔しているようだった。

 その後悔が、いなくなってしまった弟ともっと一緒にいてやれなかった、助けてやれなかったということなのか。あるいは身代わりになってやれなかったという思いなのか。

 それはわからない。

 だけども、そんな後悔を和らげるために、今どこかでどんなことが起きていようとも、当事者でないからには関係ないという態度をとっているのかも知れない。

 他でもない、自分自身を守るために。先輩自身が。

 でも俺は知っている。

 それはあくまでも逃避しているだけだ。

 心の深層に根付いたものはなかなか消えない。

 根付いているからこそ、それが気になって忘れようとする。忘れようとするから、また思い出す。

 俺はレイラのことを忘れようと思ったことはない。

 レイラがいなくなってしまったのは、霊羅のせいなのだ。俺自身が負い目を感じる必要もないし、そんなものよりも霊羅を落としていった敵国に対しての恨みの方が大きい。

 だけど、先輩は俺とは違った。常に悩んできたのだろう。

 守りきれなかったと、自責しているのだ。

 自分のせいではないのに。

 俺と先輩はこれから二人でやっていく仲だ。俺の師匠でもあり、兄でもある。

 先輩が弟さんのことについて悩んでいるなら、それを少しでも和らげてあげたいと思った。

 けれど、良い方法が思いつかない。

 結局俺が先輩に出来たのは、

「俺、先輩についていきますから」

 こんなこと言うだけだった。

「あー? どうしたいきなり」

「弟子として師匠についていくってことを言っただけです」

「弟子にした覚えはないなあ」

「ほら、俺のことを弟みたいだって」

「それで師弟ってか。別に上手くねえぞー」

「上手いとかそういうことじゃないですって」

「なんだそりゃ」

 いつも暢気な雰囲気を意図的に出している先輩だから、照れ隠しで話題を真面目に捉えようとしていないのはすぐにわかった。

 それでも、最後には言葉をくれた。

「まあ、なんだ。ありがとうな」

 それを聞いて、言ってよかったと思った。

 だが次の瞬間、先輩の表情が硬くなった。

「おっと、ふざけていられるのもここまでみたいだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る