第五話
夏の昼下がり、神社の木陰で特訓は始まる。
「特訓はいいんですけど。いきなりきついのとかはやめてくださいよ?」
「安心しなって。何も軍隊式で鍛えてやろうなんて思ってないからな。むしろ俺がやりたくねえ」
正直、足で自転車と並走してしまう先輩のことだから、ガチガチの体力トレーニングでもくるのではないのかと怯えていたところだ。
しかし、そうではないと言う。
なら、特訓とはどんなものなのか。
「まず、目を瞑る。いや、瞑らなくてもいいんだけどな。初心者は瞑った方がいいらしい。目から情報が入りすぎると、流れを感じにくくなるとかなんとか……」
いろいろと説明しているが、何だか要領を得ない。
らしい、だとか本当に大丈夫なのだろうか。
一応、教えてくれているのだから、俺もその通りにしてみる。
目を瞑った。
「どうだ?」
「どうって言われても……」
「なんかこう、筋が見えないか。風とか水の流れみたいなさ」
「見えないですね」
「なんでだ」
「目瞑ってるじゃないですか」
「いや、そうなんだけどよ……」
「そもそも、風だって目にはみえないじゃないですか」
俺は目を開けた。
「おお、たしかに。けど、見えないってんならどうするかなあ」
駒川先輩は小難しい顔をしていた。
そして、俺に言う。
「感覚的なものだからなあ」
「俺には才能がないってことですかね」
「そんなはずはない。お前も魄奪の魂を喰ったんだろ?」
「食ったっていうか……。飲んだ? ちゃんと噛んだ方が良かったですかね。三十回くらい」
「確かに喰うって言うが、食い物じゃないんだからよ……」
「美味しくもなかったですからね」
「まあな。熱いボンドを飲んだみたいだったな」
ボケにのってくるあたり、やっぱり先輩も馬鹿なのだろう。いや、人が良いのか。
「とにかく、才能なんかは気にしなくていい。分かっちゃいるとは思うが、俺たちの使う白鬼って力は魄奪の魂を体に入れると発現するものだ。取り入れれば誰でもな」
「先輩、ずっと気になってたんですけど」
「なんだ」
俺は以前から疑問に思っていたことを問う。
「魄奪は白鬼を使える人間じゃなきゃ倒せないんですか?」
「ああ」
「絶対に?」
「絶対にだ。何しろ、魄奪は白鬼以外なら何者も触れることは出来ないからな」
「接触できないってことですか?」
「人が触れられないどころか、殆んどの物質はすり抜けていくな。銃火器だって通用しない」
「でも、白鬼の力を使えば触れられる……?」
「ああ、白鬼ってのは要するに、魄奪の力を取り込んだ人間だ。広義の意味でやつらと同等の存在なんだよ。だから触れられるようになるってことだな」
なるほど、そういえばあの時、お婆さんの家に入っていく魄奪は玄関の戸をすり抜けていた。こちらからの攻撃が通用せず、向こうから一方的に攻め込まれたのであっては、人間側が苦戦しているのも頷ける。
「俺たちにはその白鬼の力があります。これからは魄奪たちも好きにはできないですね!」
「ああ、そうだな……」
「先輩?」
僅かに、駒川先輩が浮かない表情をしたように見えた。
ここはいつものように元気よく、「おう!」だとか言ってくれると思っていたのだけれど。
「どうした、道人。もう一回、練習するぞ」
駒川先輩にだって悩みがあることは、考えなくてもわかることだ。
俺に何も出来ないのならば、気にするほどのことではなかったか。
その後、ただ目を瞑るだけの特訓は続けられた。
始めは、目を瞑れだとか感覚が大切だなんて言われ、訳が分からなかった。意識的にそんなことをしたことがなかったから、無意味に思えて仕方なかった。
しかし日も暮れ始め、その日の特訓を終えようとした頃だった。
駒川先輩の曖昧な教示の甲斐もあってか、感覚的に先輩の言っていたことがわかるような気がしてきた。
目を瞑っているのだから何が見えるわけでもない。そこはひたすら昏い。
だが、見えないからこそ手足や脳、視覚以外の感覚が冴えわたっていくのを感じた。
僅かな風が指先の間を通り抜けるのがわかる。
その風が、古くから神社で祀られる御神木の葉を揺らしていた。木の葉の音に共鳴するように小鳥が鳴き、飛びたつ。
そんな自然の調和の中に一つの筋が見えた。
水が宙を漂っている?
俺にはそう見えた。
確か、駒川先輩もそう言っていた。
まるで水が風に運ばれているような、一筋の流れがそこにはあった。目には映らないが頭で感じることができる。
更に集中すると、その流れは俺の周りにたくさんあった。
駒川先輩の周囲にも蒼い揺らめきが纏わりついている。
「――道人」
はっ、となった。
ただ目を瞑っていただけだったのに、今まで熟睡していたかのような気づきだった。途端、今の今まで感じていたものはなくなった。
「その感じだと、コツは掴んだみたいだな」
「今のが、先輩の言っていた筋ってやつですね」
「道人にも筋っぽく見えたのか」
「筋ってよりは、流れって感じでしたけど」
「そうかそうか。人によっちゃあ別の見えかたをしたりするらしいからな」
俺が同じようなものを見たからか、先輩は嬉しそうだった。
教え子が自分の様に育ってくれたから嬉しい。そんな感覚なのだろう。
「もう一回やってみ」
「出来ますかね……?」
声をかけられた途端、俺の感じていたものは嘘のように消えてしまった。
集中の糸が途切れたのをそのまま体現した感じだ。
今も、どんなに目を凝らしても見える気配すらない。
「一度感覚を掴めば、次からはそう難しくないはずだぞ」
そう言われ、素直に挑戦してみる。
するとどうだろう。
まるで自分の感覚の様に、先ほど見えた流れが掴める。
目を瞑らなくとも、目に映っていなくとも、俺にはそれが見えた。
「その見えるもんを武器にするんだ。戦うって意思を形にすりゃあ、勝手に形になる」
「また難しいことを……」
だけど、今の俺には出来る気がした。
流れる蒼(あお)を操り、手に集中させた。握っている感覚が現れ始める。
俺は、これで戦うんだ――。
そう願った時、俺の手にはナイフが握られていた。
ナイフは絶えず形を崩しては形成するという流れを繰り返していて、辛うじて形としてそこに存在しているようだった。俺の手に収まって見えるのも、俺がナイフを握っているからではない。俺の手に握られるようにしてナイフがそこに〝ある〟だけなのだ。
けれど、それが俺の力になってくれるのは確かだと思えた。
「なんだぁ? 随分と小ぶりだな」
俺の武器を見た先輩は今にも笑い出しそうだった。
「いいじゃないですか!」
正直、俺も武器としては心許ないとは思ったが、それでもあるのとないのとでは全然違う。
「先輩、笑わないでくださいよ」
「気にすんなって。それが道人の意思を武器にした形ってことだからな。何も悪いことはない。リーチは短いけどな!」
「一言余計です」
笑うなと言ったのに、それでも小さく笑い続けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます