第三話
橋を渡り、郊外までやって来た頃には完全に日が落ちていた。都市部と比べてこちらは暗い。皆、敵に気が付かれまいとしてか、家中の明かりを消しているため、余計にそう感じる。
逢魔が時とは、まさに今のような状況のことを示しているのだろう。
頭上には、依然として霊羅が歩いている。やはり、近くに来てみるとその巨大さが際立っていた。
あんなやつに、本当に俺たちは対抗することが出来るのだろうか。
いや、今はそんなことよりも、俺に出来ることをしよう。
子供なんかが逃げ遅れている可能性も否定できない。
自転車を乗り回しながら街中を巡っていると、住宅街の通路で人影を見つけた。
見たところ、子供ではないようだが。
「すみません!」
奇妙なほどの静けさの中、俺の声だけが響いた。
だが、俺に気が付いていない様子。人影は一定の方向へ体を向けたまま、動きもしなかった。
もしかすると、あの人は聴覚障害があるのでは。
サイレンが聞こえていたならば、今の時間帯に外に出ているのはおかしい。だが耳が聞こえていないのならば、俺の声もサイレンも聞こえていなくておかしくはなかった。
これは早く危険を伝えたほうがいいのでは、とその人の方へと自転車を進めた。
だが、俺はすぐに漕ぐのをやめた。
その人影の妙なでかさに気が付いたからだ。
明らかに、そこらの人間の大きさを超えている。俺の知っている中でもかなり背の高く、体格の良い人といえばカルロスさんがそれに当てはまる。しかし、あれはそんなものじゃなかった。
よく見れば、人の形をしていそうではない。
二足歩行で腕のようなものはしっかりと備わっているが、そのどれもが極端に長く、そして不揃いだった。
そいつが俺に気が付いた。
ゆっくりと近づいてくる。
咄嗟に逃げようと考えられなかったのは、まともにこいつらと対面したのが初めてだったからだろう。
街灯の明かりに照らされ、そいつの姿の全てがようやくはっきりとした。
様々な寒色が混ざり合った色をした、冷たさを感じさせる体が透過している。薄暗い僅かな発光。まるでアメーバのように不定形な体の動き。
間違いない。
こいつが霊羅の体から落とされた化け物だということはすぐにわかった。
「…………」
そいつは何の音も発せずに、ただ俺の元へと寄ってくる。
「誰が捕まるか!」
吐き捨てると、俺はその場を転回して去った。
少し行ったところで振り返ったが、追ってきている様子はない。
あいつが足の遅いやつで助かった。
「…………」
だが、何か気にかかる。
もしかすると、あいつは初めから俺のことを追おうとしていなかったのでは。
出くわしたときも、ずっと何かを見ていたようだったし……。
「あ!」
ここは住宅街。
そして、人によっては避難所まで向かわずに、自宅で隠れているような場合も少なくない。
俺はすぐにさっきの場所へと引き返した。
戻って来てみると、さっきのやつはいなくなっていた。けれど、俺の予想が間違っていなければ、きっとまだどこかにいるはずだ。
他にも敵がいることを警戒しながら探していると、一軒の家が目についた。その家が目に留まったのは、ここいらでもそれなりの敷地があったからだろう。また、俺はここに住んでいる人を知っている。
幼い頃、よく遊んでもらったお婆さんだ。
お爺さんはつい最近に亡くなってしまったから、今では独り暮らしをしていたはずだ。一人暮らしのお婆さんがどうしているか気になり、俺は立ち寄ってみた。
だが、またしても俺は足を止めた。
さっき道端で出会ったやつが、今まさにお婆さんの家の玄関を通っていったではないか。しかも戸を開けた様子はない。なんと、やつは玄関の戸をすり抜けていったのだ。
やけに透明な体を持っているとは思っていたが、すり抜けてしまうなんて卑怯だ。
こうしている場合ではない、すぐにお婆さんを家から連れ出さないと。
ここへは何度か遊びに来たことがあるから、少しなら敷地の図が頭に入っていないこともない。
たしか、家の裏側に縁側があったはずだ。
俺は玄関を無視して縁側へと向かった。
するとどうだろう。
縁側からは、ガラス戸の向こうに居間の様子が見えるようになっているのだが、お婆さんは呑気にテレビなんかを見ながら寛いでいるではないか。他と違い、家の中の明かりも煌々としている。
「ばあちゃん!」
思わず叫んだ。
しかし、ここは戸の外側。さらに室内では扇風機をかけていて、耳の遠いお婆さんにはここからの声が聞こえるはずもなかった。
「ばあちゃん!」
もう一度呼んでも駄目だった。
仕方がない。
ここは縁側から上り込んで、引きずり出してでもお婆さんには外に出てもらわなくては。
俺は勝手にガラス戸を開けると、土足のまま縁側に乗り上げた。すると、ようやくお婆さんが俺に気が付く。しかし、それも遅すぎた。
お婆さんのすぐ後ろには、やつが来ていたからだ。
突然家に上り込んできた俺を見て、お婆さんはどうしたのかという顔をしている。
それが仇となったか。
却ってお婆さんは真後ろの化け物に気が付けずにいた。
いや、気づいていたとしても逃げようなんて思わないだろう。逃げるにしても、お婆さんでは行動が遅すぎる。
「っ……!」
助けるか?
自分の身の方が大切か?
迷わずにはいられなかった。
いいや、俺が白鬼会に入ったのは何のためだ。
ポケットに手を入れ、いつも持ち歩いているペンダントを握りしめた。
たとえ死んでも、レイラのところへ行くだけ。
そう考えると恐怖が和らいだような気がした。
「おらあ!」
渾身の力を込めて化け物に体当たりをかました。
体格の違いからどうかとも思ったが、意外にも軽く、居間の外へと突き飛ばす事が出来た。化け物が怯んでいる隙に、お婆さんに外へ出ようと促す。
だが、お婆さんは化け物の姿に腰を抜かしてしまっているようだった。
「ばあちゃん、はやく――」
無理矢理に手を取り、ようやく立ち上がってくれそうだという時、頭にひんやりとしたものを感じた。視線を上げると、居間へ来るまでの通路から長い腕のようなものが伸び、それが俺の頭の上に乗っていた。
「え……?」
何だか、夢を見ているような気分になって来る。
ここで気を失ってしまえば、敵の思うつぼだというのは分かっているのだが、それでも体の自由が効かなくなってくる。
もう駄目かもしれない。
だが、次の瞬間には体が軽くなるのを感じていた。
夢心地だった頭の中も、普段の目覚めの時以上にはっきりとしてくる。
それと同時に、視界には化け物に襲われるお婆さんの姿が遠ざかって見えた。
いや、襲われているのは確かなのだが、それはすごく静かで、安らかなものだった。
化け物がお婆さんに触れるのを止めると、お婆さんは机に伏したまま動かなかった。おそらくは、あれがあいつらのやり方なのだろう。
「見たかね?」
そう聞こえて、俺ははっとなった。
よく見ると、俺は誰かの腕に抱えられている。見上げると、金髪の襟足が揺れていた。声から考えても、それがカルロスさんなのだと理解した。
「ここいらでいいかな」
そう言うとカルロスさんは、お婆さんの家から遠くはない家の屋根へ、俺を降ろしてくれた。
一体、どう登ったのか。
一時飛んでいるような感覚を得たが、まさかな……。
「ありがとう……ございます……」
とりあえずお礼を言っておいた。
「やつら、魄奪(はくだつ)はああして人から魂を奪い去る生き物だ。……いや、生物ではないのかもしれんな」
魂を奪う存在――魄奪。
それがあの、霊羅という巨大な化け物から生み出された悪しき子供たちの名前らしい。ということは、お婆さんは魄奪に魂を奪われて……。
「私はあの不愉快極まりないモノを破壊する。白間君はここで待っていなさい」
カルロスさんの右手には、鋭く輝く鉤爪が装備されていた。鉤爪は金属というより、もっと液体に近いような――いや、武器として使うのだからかなりの硬度があるのは確かだが、それにしては流動しているような印象を受けたのだ。そう、形こそ不変だが、それでも空気中に流れ出ては、また取り込んで形を形成しているような、そんな例えしか浮かばない。
硬いものが流動?
自分自身でも何を考えているのかわからない。
目を疑うしかなかった。
だけど、それの存在に対して否定的な考えはなかった。
見た瞬間にそれが何なのか解り、納得してしまう自分がいたからだ。
ああ、これはやつらと同じモノなのだ。
魂を奪う力なんだ、と。
カルロスさんは屋根の上から飛び降りると、再びお婆さんの家へと駆けだした。
二階の屋根から飛び降り、垣根を軽々と飛び越える様は人間業ではなかった。あれが、魄奪と戦う力を持つ者なのか。
カルロスさんが、お婆さんの家から出てきた魄奪と対峙した。
魄奪はまだ魂を奪い足りないといったように、前触れもなくカルロスさんに襲いる。
俺にした時のように、長い腕が伸びた。
目掛けてきたその腕が、鉤爪の閃々により裂かれる。
その捌かれた瞬間は、俺の目では追うことすらかなわなかった。
暗いからか?
いいや、今のはそんなものではなかった。
単純に速すぎた。
あの金髪の男も、水のような化け物も、ただの人間が相手をするには強すぎる存在なのだと、俺は視覚的にだけで痛感した。
だが、この勝負においては男が圧倒的だった。
三本の筋状に裂かれた魄奪の腕は、まるで雫が一箇所に集まるかの如く、傷一つ残さず再生した。直前のカルロスさんの攻撃に打ち震えただけに、これでは打つ手がないと落胆しそうになった。倒すことが出来ないではないか、と。
それでも、カルロスさんは魄奪の腕が再生したと同時に、獣じみた速さで動き出した。絡みつくように、魄奪の体を切り刻んでいく。
だが悉く再生し、その全てが手応えの無いように見えた。しかし次の瞬間、魄奪の体に異変が起きた。
まるで硝子が割れる時のような亀裂が入ったのだ。
あれだけ液状的な体質をしていた魄奪の体が、弱々しくも硬化している。
そしてついには、カルロスさんの攻撃に耐えきれなくなったというように、魄奪の全身が割れた。
体を失った魄奪。
そこに残ったのは、宙に静止する蒼炎だった。
手のひらに収まるくらいのサイズのそれを、カルロスさんは掴んだ。
すると、俺のところまで戻ってきてそれを渡してくる。
「君は鬼になる覚悟があるか?」
何を言っているのかわからなかった。
鬼になる、とはどういうことなのだろう。
「白鬼会とは人の集団に非ず。魄奪を殺すのは魄奪だけだ」
魄奪を殺すのは魄奪だけ……。
つまりカルロスさんは、戦いたければ魄奪になれ、と。
そう言いたいのだろう。
そして恐らく、魄奪になるためには――。
「…………」
俺は黙って、青白く燃えるそれを受け取った。
燃えているのに温度を感じない。実体があるのかもわからない。
手の上に乗せるように持っていなければ、するりと抜け落ちてしまいそう。希薄で今にも消えそうで、しかし視覚的には強く輝く不思議な魂(たま)だ。
「それを喰うといい」
言われた俺は、迷わず口に持っていく。
喉が焼けそうだ。
それでも、押し込むように飲み込む。
全て通してしまうと、熱は胸のあたりで留まった。
これで強くなったのだろうか。
まだ俺にはわからなかったが、どこか懐かしい感覚が体を廻っていた。
「霊羅が帰っていくな……」
カルロスさんが呟いた。
俺も同じ方へ視線を向けると、遠ざかっていく霊羅の背が見えた。その周囲には、様々な光の粒子にも似た点が彷徨っている。一つ一つが霊羅に吸い込まれていくようにして、体にぶつかっては一体となっていた。
やはり、元はあの霊羅が人々の魂を奪い去っているということなのだろう。
「白間君、霊羅がレイラと同じ読みなのは酷く腹立たしいとは思わないか……?」
俺からは触れてはならないと思っていた話題だ。
けれど、聞かれたからには答えた方がいいだろう。
それにこの質問の内容は、俺も常々心に抱いていたものだ。
「はい。むかつきますね」
今まで思っていたことを吐きだした。
誰が霊羅と名付けたのか。
魂を奪っていくから霊羅なのか。
由来はどうあっても、あれは俺たちの最愛の人を奪い去った魔物だ。その魔物と大切な人が同じ呼び方をされているとあっては、気に障らない方がおかしい。
カルロスさんは俺の返答に何を言うでもなかった。だが、幻のように消えてしまう霊羅に舌打ちをしていたのは、俺の考えに同意してくれた証だと思った。
その後、俺はカルロスさんに家まで送ってもらった。
その際に、言われたことがある。
「君が得たのは白鬼という力だ。詳しくは君の先輩に指導させるから色々と聞くといい。ただ、魂を喰うという行為についてだけは内密にしてもらうよ。もし外部に漏らすようなことがあれば、それ相応の処分を受けてもらうからね」
なんだか踏み込んではいけない世界に足を入れてしまった様で少し怖くもあったが、要は誰にも言わなければいい話だ。
それよりも、俺はこれから白鬼という力を使って戦うことが出来るらしい。
あの時見た、カルロスさんのような動きが俺なんかにもできるのだろうか。
不安と期待を胸に抱きながら、その日は眠りについた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます