#HIMIKO_2099//02_NAGATA-CHO_02/primary school

ひみこ2099年//02永田町-02//麹町、飛翔凰小学校6年2組



 莢川先生の左手のひらにレビテーションモニターが展開した。

 「こちらをご覧ください、」


 2099年06/17.09:02_『小出悠紀耶 身体情報』

 身長_135cm

 体重_95kg

 体温_20度…


 脈拍_0



 件の児童のプロフィールが光る文字で並ぶ。

 身体検査で見慣れたはずの表示エリアに、信じ難い数字が並んでいた。


 …『脈拍_0』…


 『吸い取り紙テロ』地球連邦による拉致を総称してこう呼ぶ。


 何を吸い取るのか?_拉致対象者の全人格記憶全てである。


 ステルス機能を突出させたナノマシン組織体を拉致対象者の脳神経系に接触させ、推定10ペタバイト近い全人格記憶を、その生体の仮想時間軸シミュレーションを基準にして高速で複写する。

 ナノマシン組織体自体には、人格をシミュレーションしながら複写してゆく高度なスクリプトの記憶巣が備わっており、ナノマシン組織体は潜伏させた工作員が回収するか、もしくはその情報リソース全容量をネット経由でしかるべき回収ポイントへ転送すると自壊するようだ。

 そして、奴らは『吸い取った全人格記憶』を本人そっくりに作り上げたソシオンドロイドに注入する。

 この虚無の刃を突きつけるテロの実行者達は『本人は新たなる存在に革新を遂げた』といって、そのコピードロイドを、拉致した本人の肉体の代わりに送り返してくる。

 拉致した肉体がどうなるか?

 それは、現代日本の直面した歴史的展望を深く洞察するべき課題を継続的に提供しているといえるだろう。

 人間の精神存在の有り様に考えの及ばない不心得者達が、最も先進的技術と覇権帝国主義権力を得た所に、現代日本の取るべき道筋が見えていた。

 かつて北朝鮮によって為された拉致被害の根幹を、時代を超えてその様相を受け継ぐ負の遺産だった。

 その解明への取り組みにこそ厳正で正確な歴史認識が必要とされる。

 『人権』という用語を敗北主義者の言い訳に許してしまった所に、日本国現代史の大いなる禍根があったが、それに立ち向かう者達の記録も記録しておくべきだろう。


 「あれは、マルケッチャ-ナスマイデアモデルの2082年版あたりを流用した機械人形ですよ。」


 『小出くんの格好をした機械の説明』である。

 莢川先生が、担任の心理的衝撃をいたわって冷静に解析を付け加えた。

 顔や表情の造形を本人に似せて寸分違わず作ることなど何の造作もない事だ。

 副担任自身も機械_ソシオンドロイドでありながら、いきなり送り込まれてきた子供の形をしたものを『機械人形』と呼んだ事には訳がある。

 副担任_ソシオンドロイドは、長い時間をかけて人間社会の意味を維持し補完する機能を調整し、その機械の身体に身につける事を義務とする。対してこの機械人形は、人間存在の一方的否定、という意味しか持ち得ていなかった。

 「なんてことを!…」

 副担任が動揺を隠せないベテラン教諭の手を支えた。

 「これ、防衛省の地球連邦拉致被害者救済機構のホットラインに連絡、だったっけ…」

 まさか、自分が連絡をするはめになるとは…

 「そうです、」

 血の気が失せて、立っているのもやっとだった。

 職員会議はこれからだ。

 騒然となるに決まっている。

 どうしたものか…

 「麹町署にも連絡入れて対策会議を開きましょう。」

 「そうね、お願いするわ。」

 「緑川先生、私がついてます。」

 「ええ、あなた、暫定治安維持機構のVIPともアクセスあるんでしたっけ?」

 「だから大丈夫ですよ。」

 莢川先生、ネットワークをオープンした。その瞬間!

 件の拉致被害者=コピーソシオンドロイドが近づいてきた。

 「あら、お、おはよう小出くん、」

 「おはようございます、緑川先生、莢川先生…だめですよ、そんな『精神人格知性情報構成体尊厳維持基本法』に違反するような事しちゃ!」

 愛すべき児童の姿をした機械は、その小出悠紀耶本人そのものの声で、地球圏防衛機構の最前線で動いている人間しかしらない言葉を放った。

 次の瞬間…


 莢川線先生、視覚デスクトップに異変。


 標準起動モードのソシオンドロイドの視覚認知は、ワイヤーフレーム処理された特殊なもの。

 ビデオカメラの概念とは根本的に異なる。

 機体(身体)駆動制御に必要な対象物の動態解析と意味認知のみを行っている。

 ビデオカメラモードやスキャンモードは、視覚の中に別個のウインドゥとして開く。


 沈着冷静な副担任は、いきなり目の光を失って昏倒した。「莢川先生、大丈夫ですか?」


 _《接続管理防壁が破壊されました:アクセスエラー緊急支持001》_

 _《アクセスエラー0065.38.211547》_

 _《アクセスエラー0065.38.281547》_

 _《アクセスエラー0065.38.211957》_ 

 莢川先生、男の子の“迎撃”に合いシステムダウン。

 _《メインフレーム損壊回避優先、全記憶巣閉鎖モードへ移行》_

 _《アクセスエラー0065.38.213647》_

 _《アクセスエラー0065.38.202547》_



 「緑川先生、莢川先生は抑圧された存在なんですよ。」革命思想に被れた大学生のようなセリフを、ランドセルを背負った子供が平然と話す。


 ???!…


 もはや、子供らしい“思いやり”は消し飛んでしまっているようだ。

 人間の小出くんは、こんな子供ではなかった。

 担任にも副担任にもよくなついていた子供だった。

 タチの悪い冗談が服を着ているとしか思えなかった。

 言われるまでもなく子供らしい体温が感じられないのは明確だった。

 もっとも、愛しい教え子が人間ではなくなったショックで、見る側は自分を見失わないのが精一杯だったが。

 「みなさん、1時間目は自習にします。教育勅語の書き取り5回ね、それから、今日の新聞から自分が面白いと思った記事をピックアップして、グループでお話あい、いいわね」

 「莢川先生どうしちゃったの?」

 「ちょっと故障なの」

 「ふ~ん」

 「治る?」

 「大丈夫よ」

 「みんな、聞いて、莢川先生は抑圧された存在だから僕がその枷を解いてあげたんだ。教育勅語の書き取りなんて意味ないよ。」

 「何いってるの小出、おまえの言ってる事わかんない。」

 「来なよ、高橋くん、教えてあげるから。」

 『小出くん』の格好をしたコピーソシオンドロイドは、『小出くん』が人間であった時そのままの抑揚と声質で同級生に親しげに語り始めた。

 しかし、その機械の目は言うまでもなく人間の子供の目ではなかった。

 「やめて、何をする気?」

 緑川先生は自分の携帯から、あじさいの植え込みの影に倒れている莢川先生の出力端子へ、ケーブルで有線し、ターミナル直結でチャット回線をつなげながらテキストを入力した。

 『大丈夫ですか』

 返答

 『小出くんを擬したものにネット経由でウイルスをかまされました。悪性です。待機モードに入りますので復旧措置をお願いします。先生の携帯も後ですぐ、廃棄してください』

 『わかったわ。』


 「そんな事しても意味ないのに…」

 体温が20度しかない機械に変換されてしまった子供は、さも得意げにそう呟くと教室へ入っていった。

 ベテラン教諭は、涙をこらえる事が出来なかった。

 「小出くん、お願い、やめて…」

 父兄への連絡やPTA、教育委員会への対応を考えると目の前が真っ暗になりそうだった…

 




 【光世紀聖地球連邦概要】

 人口(連邦公式発表値)4,765,600人。

 ただし生存確定データとしてこの数字の信頼性は極めて低い。

 実数値はこの1/10程度ではないかと言われている。

 光世紀聖地球連邦最高評議会を中心として半径500光年を『施政圏』と呼び、太陽系は『未解放区』と呼称されてるらしい…

 “光世紀聖地球連邦最高評議会”は、地球から6光年の距離にある大型居住船の結合体にあり、2084年現在の構成は最高評議会議長以下135名の評議員により構成される。

 人的支援を100%必要としない自律循環型生産プラントを数百機保持しており、その70%近くを、防衛戦力維持のために割り当てていると思われる。


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