第三章: タイラ教授
第10話: 7-1: タイラ教授1
午後の作業をしていると、突然作業場の入口の方から名前を呼ばれた。副修道院長の声だ。私はまた何か罰があるのかと無意識に身をすくめた。足音はそのまま作業場に入り、歩きまわっている。何か少し急いでいるように思える。足音だけでなく息もいくらかあげているようだ。その足音が私の後ろで止まる。
「あぁ、タックマン。ここにいたのか」
私は観念し、身をすくめたまま机の上のペン皿にそっとペンを置き、後ろを振り返った。
「タックマン。院長がお呼びだ。告解を求めている者がいる。君の領分らしい」
私はすくめたままの体から、視線だけを上に向ける。
「私の、ですか?」
「院長はそう言っている。さぁ、はやく告解を聞きに行きなさい」
副修道院長は作業場の責任者に同じように簡単に説明すると、私を作業部屋から追い出した。
私の領分の告解というのはどうも解せなかった。そういうものもあることはあるが、今までは院長が聞き、それを私に伝えてきた。告解であるかぎり、院長が私に伝えるのも本来はあまりよいことではないのだろうが。だが、途中で修道院の人間が替わり、そういう仕事をしている私がいるということを知られてしまうこともまずいだろう。しかも若造に替わるのだ。訝しまれてもおかしくない。なのに、今回はそういうことのようだ。だが、何かの罰を受けるのではないということに安心してもいた。それとも、これから罰を受けることになるのだろうか。
告解室の前には院長が立って、手招きしていた。私が告解部屋に入る前に、院長は小さな声で私に耳打ちした。
「告解を求める者は、クロノスのことを知っている」
私はその言葉に、反射的に院長の顔を見た。目の前に院長の顔がある。私に罰を与えるときよりもずっと困惑した表情だ。私の目には院長の顔しか写らない。
私は何か恐ろしくなり、無言でうなずくと、急いで告解部屋に入った。
「どうぞ、告解をなさい。神は全てをお許しくださるでしょう」
私がそう言うが早いか、告解を求める者――女性だった――は話しはじめた。
「一昨日、街のホテルに一晩にしてツタが茂っていたことはご存知かと思います」
「はい。世の中には不思議なことも多いものです」
「そして、昨晩、ホテルの客の一人が……」
彼女はそこで一旦言葉を切った。
「一人が?」
「はい、一人が亡くなられたこともご存知かと思います」
それはまだ聞いたことがあるわけではない。葬儀の準備が必要なことくらいは院長に伝えておいてもかまわないだろう。
「人の命は神が定められたものです。その方のご冥福をお祈りしましょう」
「いえ…… 自然に亡くなられたのではなく…… 殺されたのです」
穏かではない話だ。だが、まだ院長が言ったクロノスの話は出てきていない。まだ続きがあるとうことだ。
「なるほど。では、それに貴女が関係しているとおっしゃりたいのですか?」
告解部屋の向こうからは少し声が伝わって来なかった。
「私では…… 私ではないのです。私の夫が…… 関係しているのではないかと」
「貴女の夫が殺害したとおっしゃるのですか? ではその罪を償わなければなりません。神はいずれ全ての罪人(とがびと)もお許しになるでしょう。ですが、人の世の決まりは、それはそれとして従わなければなりませんから」
私もデュカスの影響を少しは受けているのかもしれない。進まない話に少し苛立っているのが自分でもわかる。この苛立ちは、後で院長に告解した方がいいのだろうか?
「それはわかりません。昼前に夫は警察に連れて行かれました。ですが、もし夫が関係していたのなら、今日の昼までのんびり家にいたりするでしょうか? ですから、私は夫が直接…… その…… 直接関係しているとは思っていないのです」
「ではどのように関係していると思われているのですか?」
やっと本題に入れるかもしれない。
「夫は、その、ご存知ないかもしれませんし、信じていただけないかもしれませんが、クロノスというところに属していました」
「なるほど、それがどう関係していると思われるのですか?」
「夫は三日前の晩の遅くに帰ってきました。ずいぶん土で汚れて。バルでずいぶん飲んでからの帰宅だったようです。そして、言ったのです……」
私はしばらく待ったが、続く言葉はすぐには出てこなかった。
「何をおっしゃったのですか?」
「はい。ホテルの横の地面の下に古い道があると。そこに小さな棺を置いてきたと」
「なるほど、それでホテルの出来事と関係があるとお考えなのですね」
「はい」
告解部屋の女性は力なく答えた。
「なるほど。貴女が秘密を持っていたこと、そして貴女の夫が何か悪いことに関係しているのではないかと疑っていたこと、その罪は許されました」
「許しを求めたいのではないのです」
その言葉はある程度は意外でもあり、ある程度は意外でもなかった。クロノスを知っており、教会に来ているのだから。
「修道院、あるいは教会に来ているのにですか?」
「はい。祖母から聞いたことがあるのです。教会には…… その…… 魔法使いがいらっしゃると」
「魔法使いですか?」
「はい。おとぎ話かもしれません。ですが、祖母は、何かそれと思えることが起ったら、教会にそのことを伝えるように言っていたのです」
告解をしている女性は私がとくに知っている人ではない。何かの使いに行ったときに、街で顔を見ているのかもしれないが。せいぜいそういう可能性があるという程度だ。だが、彼女の祖母は何者だったのだろう?
「そうですか。お祖母さまもご満足なさっているでしょう。貴女の告解はそういうことですか?」
「はい」
「よろしい。貴女の罪は許され、お祖母さまの言いつけもお守りになられた。では貴女にメトセラのご加護がありますように」
「ありがとうございます」
そう言うと、その女性は告解部屋から出ていった。彼女が満足したかどうかはわからない。告解したからといって、それですぐ満足するほど、人間は単純ではないのだから。
だが、これは。ちょっとばかり面倒だ。だいたいクロノスの連中が人に手を出すとは考えにくい。条件が揃えば可能性としてはあるだろうが。むしろ、ネメシスの連中の方がやりそうなことだ。目的は何にしても。そして、クロノスの連中の一部はネメシスと繋がりがあるらしい。告解をした女性の夫は、積極的にネメシスと関わったのか、それともそうではないのか。あるいはネメシスと関わる連中に利用されただけという可能性もある。
ともかく、ここで一人で考えていてもどうにもならない。夕方になったらデュカスのところへ行こう。夕方だろうと夜だろうと、デュカスは学院にいるだろうから。少し隠れて、デュカスに連絡だけは入れておいた。
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