~外伝~心が揺れる音がする

 他人の言葉を聞いても胸が動かない。何をされても心が震えない。感じはしても、何も動きやしなかった。まるで音なんか無いように、わたしの心は揺れなかった。

 周りの人の言葉が全部雑音に感じて、その雑音に揺れる空気が刺々とげとげしくて、揺れない心を逆撫でるから、わたしはこの世界が嫌いだった。

 そんな苦しい世界から、自分を守る為に付けたヘッドフォン。揺れる鼓膜の痛みを無視して、大音量で音を聞いた。それでも、良い歌詞だろうと、澄んで響く楽器だろうと、わたしの世界は止まっていた。――彼と出会うまでは。

「お前、ポニテにしろよ」

 充電するのを忘れてて、プレーヤーの充電が切れて苦痛だったあの日、少しでも静かな場所でご飯を食べようと思って、学校の裏に座りこんで食べていた。なんの音もしない場所で、少しはましな場所だった。

 彼は、その静寂をぶち壊したのだ。呆けているわたしを見て、彼はもう一度同じ言葉を言った。

「ポニテにしろよ?」

「ど、どうして?」

 誰かと話すなんて久しぶりだったからどもってしまった。ポニテってあのポニテ? 意味が分からない。確かにわたしは髪長いけど、なんでポニテに?

「お前のポニテはきっといい。俺の第七感ポニテセンスがそう言っている!」

「は、はあ」

 訳が分からない。ポニテセンスってなに? そんな器官人にあるの?

 なんにしても、この男はうるさそうだ。せっかくいい場所だったというのに……。

「と、というか、なんで、ここに?」

「ちょっと迷っちまってな」

「学校の中で……?」

「ポニテ道にさ」

 この日本にはわたしも知らない単語がたくさんあることを知った。いや、そうじゃなくて、ポニテ道なんてそんなものあるわけがなくて!

 そういえば聞いたことがある。この学校に、ポニテが好きで好きでたまらない変態がいると。

 放課後になると屋上に上り、昇降口やグラウンドを見張ってポニテが現れると屋上から飛びかかってくるとか、ポニテを見つければ身体構造を無視した動きすら行うとか、そういう学校の怪談的なだと思っていたけれども、まさか実際にそういう人がいるなんて。

 だとしたらこの人は、ポニテ道と言うより妖怪と人間の境界の迷子なのかも……。

「で、どうだ」

「え?」

 な、なにが?

「ポニテにするかどうか、さ」

「え、えっと……御断りさせていただきます」

「チクショウ!」

 わたしが断ると、彼は悔しさ吐き捨てて地面に崩れ落ちる。やっぱり、彼はわたしの嫌いなタイプの人間だ。うるさくて、やかましい。

「ヘアゴムなら用意してあるぞ」

 なんで持ってるの……。

「リボンが良いならリボンもある」

 なんで持ってるの!?

「なんでポニテにしないんだ!?」

「むしろなんでそこまでポニテにこだわるの!?」

「俺がポニテを好きだからだ!」

「…………」

「ん? どした?」

 ……ほら、やっぱりそうじゃない。自分の趣味を押し付けたいだけ。他のうるさい人達と同じだ。本当に嫌な人だな、この人……。

「……別に、ポニテだったら他の人に頼めばいいじゃない」

「それは出来んな」

「なんでよ」

「お前のポニテは、お前しか出来ないからだ」

 ……え?

「世の中のポニテは千差万別。同じようなものはあれど、同じものは全くない。だが、ポニテはみな等しく美しい。だから……」

 そこまで言うと彼は立ち上がり、わたしを見る。その目はポニテと見れば迫り来るような変態と言うより、まるで子どもや知的探求をしている学者みたいで……。

「俺は一本でも多くのポニテを見てみたい。お前のポニテは、避けて通れぬ道だと俺の第七感が告げている」

 ……ここまで来ると、つい感心してしまう。人はものをここまで好きになるのかと、好きになると、誰かの追随を許さないほどになることもあるのかと。

 わたしにはあるだろうか、ここまでとまでは言わなくても、好きなものが。

 何かを好きになろうとしたら、誰かが口をはさんで来て、その声が身体をザラザラ撫で上げて、わたしの身体を傷つけていく。

 わたしには、彼みたいに夢中になれるものがない。そう思うと、さっきまで彼を見下していた自分が恥ずかしく思える。

 いや、言ってる事やってる事は彼の方が恥ずかしいのだけれども。

「……なんで君はそこまでポニテ好きなの」

「なんでか、か。今語れば明日の昼休みが終わるだろうくらいにはなるが」

「出来れば簡潔に……」

「分かった」

 わたしの要望を意外とあっさり飲み込んで、彼は私の隣に座る。

「ポニテはな、簡単に出来る割に一瞬で人を変えるものだ。見た目的にも精神的にも。長く纏まっていない髪もポニテにすればサッパリして健康的に見える。ポニテを結ぶと頭皮や毛穴に適度な負荷がかかる、だから気持ちも引き締まる。ちょっとしたイメージチェンジをしたいなら、ポニテにするのが一番手っ取り早いけど、そういう効果がポニテにはつく。俺はその奥深さがに感動した。それだけさ」

「……へえ」

 そう語る彼の顔は、爛々と輝いてて、楽しそうで、なんだかとても、羨ましかった。好きになれるものが、熱中できるものがあることが。

「お前には何か好きなものはないのか?」

「え?」

 彼は唐突に質問を投げてくる。ないのかと聞かれても、やっぱりない。何かを好きになったら人に邪魔されそうで、言葉の波に襲われそうで……。

「……好きなものはな」

 黙っているわたしに耐えかねたのか、あるいはないのだろうと判断したのか、彼はふっと口を開く。

「好きなものは、理解されない事もある。俺は好きが行き過ぎて嫌われていたりする。でもな、好きなものは傷つく覚悟がなきゃやってけない。やって馬鹿にされたらとか、ああだこうだ口出されたら嫌だとか、勇気をもって、そういう気持ちに打ち勝たなきゃいけない」

 そこまでいうと、彼はわたしをじっと見て、

「好きな事が出来ないのは世間が邪魔するからじゃない。ちょっと勇気が足りないからだ。勇気があれば、誰もお前を止められない」

 その言葉に、わたしの心が一瞬跳ねた。興奮したわけじゃない、ときめいたわけでもない。なのに、心が跳ねた。

 ああ、そうか、これが……感動っていう、奴なんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る