第8話 8

 良太がこの世を去ってから、半年が過ぎ、香織は中学二年生になっていた。聡一家には、もとの平凡な日々が戻っていた。

「香織、宿題は終わったの?」

 夕食を食べ終えた後、自分の部屋に戻る香織に、美咲は聞いた。

「宿題は終わったけど・・・、決まらないの・・・」

「何が?」と聞いた美咲に「音楽の課題曲が」と香織は答えた。

聞けば、音楽の授業で自分の好きな、「私の一曲」をDVDで流し、クラスのみんなに紹介する授業があるそうで、明日は香織の番だという。

「それなら、美香の好きな嵐の曲にすればいいじゃない」

「うん、そうしたくて曲も決まっているんだけど、DVDが無くて」

「何言ってるの。いっぱい持っているじゃない嵐のものは」

「持っているけど、その曲はテレビでしかやらなかったから、どのDVDに録画したか判らなくなっちゃったの」

「じゃあ、他の歌にすればいいじゃない」家事をしながら、美咲が促す。

「うーん、でもあの曲じゃないと」そう言うと、香織は自分の部屋に戻って行った。もう一度、その曲がないか探してみる、と言い残して。

 それから、何時間経っただろう。いつもなら、就寝する時間だが、まだ探しているようだ。香織の部屋からは嵐の音楽が漏れてきている。

 美咲は、何度か諦めるように行ったが、香織は全てのDVDを見て、その曲が入っていないか、確認を続けていた。聡と美咲が就寝した後も、香織は必死で、その曲を探す為、DVDを見続けた。

 聡と美咲にはなぜそこまでその曲にこだわるのか理解できなかった。

 しかし香織のその行動は、それは信念という言葉を二人に連想させた。


 翌朝、香織は美咲に起こされずに、起きる事が出来た。いつもより睡眠時間が短い筈なのに、不思議だと思った。

「それで、あったの? その曲」

 美咲が聞く。

「うん、あった。あったんだよ!」

 香織は興奮して答えた。そして、気が焦るのか、いつもより三十分も前に家を出て行った。


 音楽の授業は一時間目だった。早速、香織は「私の一曲」のDVDを流した。

 香織はこの曲を聞いて、クラスメートがどんな感想を持つか気になった。結局いつも騒いでいる嵐の曲だとは、そんな単純にそう思われたくなかった。自分なりも思い入れが強い曲だから。

 静かな音楽室に曲が流れ始める。それは、嵐の「サクラ咲け」だった。やはり音楽室には、「香織は嵐だよね」というムードが漂う。

 曲が終わると、この曲が何故「私の一曲」なのか、説明をするよう、その男性の音楽教師は香織を促した。

 香織はゆっくりと口を開いた。

「・・・私には大好きなおじいちゃんがいました。でも、おじいちゃんは去年亡くなってしまいました。頑固で口数は少ないけど、いつも自分を応援してくれて、私はおじいちゃんが、とても大好きでした。そのおじいちゃんが亡くなって落ち込んでいるとき、テレビからこの曲が流れてきました。その中の『遠く離れても決して消えない だから別れじゃない』という歌詞が耳に残りました。この歌詞を聞いて、おじいちゃんは心の中にいるんだ、遠いところに行ってしまったが、私の心からは決して消えない。と心に刻んだのです。それから私の寂しい気持ちは薄らぎました。そう、どこかでおじいちゃんが見ている。夢の実現のために頑張ろうって気持ちになれたんです。これが私の一曲です」

 言い終わると、説明の途中からみるみる溜まった涙が、香織の大きな瞳から溢れだした。その様子を他の生徒は黙ったまま見ている。突然の重い話しに戸惑っているのだろうか。

 香織は場の雰囲気を取り繕うように急いでハンカチを出して涙を拭こうとした。次の瞬間、後ろのほうの席から拍手をする音が聞こえてきた。誰かは分からないが、香織の話しに共感した生徒がいた。すると、それに呼応するかのように、次々と拍手は連鎖し、最後はクラス中が大喝采に包まれた。香織は笑顔の中で涙を拭った。


 授業が終わり、香織は音楽室に一人残っていた。DVDの回収をしている。

 音楽の教師が香織の横に来て「いいスピーチでしたね。香織さんの思いが伝わってきましたよ」と、言い残して、ゆっくりとした歩調で音楽室を出て行った。 

 香織は、この曲を選んで良かったと改めて思った。


 家に帰ると「音楽の授業、どうだった」と早速、美咲が聞いていた。関心がないようで、実は気にしていたのだ。

 香織は、スピーチの内容をそこで初めて美咲に話した。そして、自分が泣いてしまったことも。美咲は、香織の報告を受けている最中から、目頭が熱くなるのを感じた。そして、話しを聞き終わると香織を抱きしめた。早く香織を抱きしめたかった。

 香織が自分の父親をそんな風に思っていてくれたなんて。その為に、睡眠時間を削ってまで曲を探したなんて。そして、そんな事を思えるような、中学生に育ったなんて。色んな思いが詰まった抱擁だった。

「痛いよ、お母さん」

 しかし、美咲はしばらく香織を放さなかった。


 翌日の土曜日、聡一家は靖国神社に来ていた。良太が好きだった場所だ。境内には桜が咲き誇っていた。時折舞う桜吹雪に、香織は嬉しそうにはしゃいでいる。

 そのとき、美咲の肩にひとひらの桜の花びらが舞い落ちてきた。美咲は、良太が桜の花びらに姿を変えて、自分の肩に留まったのだと思った。美咲は、肩に付いた花びらを払わず、無邪気に笑う香織を眺めた。良太と一緒に。


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サクラ咲け @katsunuma_hitoshi

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