第6話 6

 そこはもう、南国の景色だった。聡たち一行は、八丈島空港に降り立っていた。飛行機は着陸の時に、風により少し揺れたが、ここまでは順調な旅だ。八丈島空港は、瓢箪のような形の島の中央、山と山の間の平地に建てられたので、どうしても風が強い。

 空港には、良太の弟一家が住んでおり、すでに迎えに来ていた。昔は兄弟が多く、良太の弟と言っても、七人兄弟の末っ子であるため、長男の良太とは十五も歳が離れている。

 弟は浅黒い顔に人懐っこい笑顔を見せながら、「よく来たねー」と歓迎してくれている。白いワゴン車の後ろのドアを開け、荷物をここに積むようにと促している。

 ワゴン車は聡一家、美咲の姉夫婦、そして良太とマサ江の7人を乗せて、のどかな島の道を走っている。暑い事は暑いが、空気が澄んでいてエアコンにあたる気にならず、聡は車のドアを開けた。

 まず、一行が着いたのは、小さな食堂だった。「おばちゃん、着いたよー」と、良太の弟の威勢のいい声が店の奥に響く。

 あいよ、の声とともに店の奥からは、これも人懐っこい笑顔の女性が現れた。見たところ、良太よりは少し若いが、老人の部類に入る。その女性は、良太を見るなり「あれー、懐かしいね。良さんだね」と感嘆の声を上げた。なにしろ、前回良太が八丈島に来たのは、還暦の時だったから、かれこれ十五年も前の話しだ。そして、弟に「今日の予約、良さんだったら、そう言ってくれたら良かったのに」とぼやいた。

 良太の弟は、「ごめん、ごめん。驚かせようと思って」と頭を掻いている。そのやりとりから、聡たちは、食堂の老女と良太は昔からの知り合いだということを察した。所謂、幼馴染というやつだろう。

 テーブルの上には、次々と島寿しが運ばれてくる。丁度、昼時でお腹が空いていた一行は遠慮なく食べ始めた。

「おいしいー」

 まず、香織が声を上げた。すると、次々に「ほんと、おいしい」「こりゃうまい」などの声が飛んだ。聡一家は、マサ江が作る島寿しには慣れてはいたが、本場の味はやはり違うようだ。

「今朝獲れたトビさ」

 こちらでは、トビウオのことをトビと呼ぶ。食堂の老女は自慢げに言った。テーブルに置かれた大量の島寿しは、あっという間に無くなった。老女は嬉しそうな顔をして食器を片付けた。


 次に一行が向かったのは、宿泊先となるシーパークリゾートホテルだ。八丈島には釣り人向けの民宿は多いが、家族向けの観光ホテルは二軒しかなく、そのうちの一軒だ。

 ホテルの駐車場にワゴンを停めると、良太の弟は車のキーを差し出し、「兄貴、こっちにいる間、自由に乗ってていいよ。車が無いと不便だから。キーは明後日、空港で返してくれればいい。見送りに行くから」そう言って、弟はホテルの敷地から外に出て行った。美咲が、「車貸してくれたのはいいけど、おじさん歩いて帰るのかな?」と呟いた。

「ここじゃあ、どうにでもなるのよ」と良太が答えた。

 東京にいる時よりも、声に張りがあり、力強い声だった。さながら、ここは俺のホームグラウンドだから、と言っているようだ。

 ホテルにチェックインすると、一行は一息もいれずにすぐに良太の弟に借りた白いワゴンに乗って、海水浴に出かけた。短い旅なので、少しも時間を無駄にできない。と言っても、聡達には土地勘が無いので、ここでも良太がリーダーシップを発揮し、底土ビーチという海水浴場に行った。但し、運転手は聡だ。

 八丈島の海岸は、固い岩場が多く、砂浜があるのはここぐらいだと良太は得意げに言った。八丈島での滞在時間が過ぎるにつれて、良太が活き活きしてくるのが、美咲には分かった。マサ江たち、他のメンバーもそう感じているだろう。「やっぱり、来て良かった」

 美咲は、そんなことを思いながら、和やかな気分で、海で遊ぶ聡と美香を見ていた。

「お母さーん。すごいよ。魚がいるよ」

 透き通るような海水は、肉眼でも十分魚の姿を捉えることができるようだ。香織が興奮して手を振っている。

「よし、じゃあ、もっと見えるところを教えてあげよう」

 良太がそう言って、立ちあがった。しかし、距離があるため、その声は、香織には届いていない。

 それでも、良太はズシズシと砂浜を歩き、波打ち際まで行くと、美香に向かって手招きをしたり、ある方向を指し示したり、まるで少年のように振る舞っている。良太も自分が子供だった頃を思い出しているのだろう。後ろ姿でも、楽しい気持ちが伝わってくる。

 聡と香織は、まるで監督に操られる選手のように、指示された方向へ歩いて行く。聡の膝くらい水位のところを歩いているが、香織には負担なようで、お父さん待ってよー、と言っているのが分かる。良太も聡たちに並行するように、波打ち際をゆっくり移動する。

 良太が指示した岩場には、亜希子の夫である満(みつる)が、既に到着していて、聡と香織を手招きしている。満は、「ここ、ここ」というように海中を指している。満は東北の生まれで、自然を相手の育ったというだけあって、頼もしかった。

 香織は満が指し示した海水面に顔を触れる。顔にはゴーグルをしていて、頭全体を潜るのではなく、顔面だけが着水している状態だ。

 次の瞬間、香織は顔を上げると同時に、プハーと息を吐いたかと思うと「凄い、凄い」を連発した。

 八丈島は南国特有のカラフルな魚が生息しており、香織はそれを見たのだろう。美咲も小さい頃に、八丈島に来た時があり、カラフルな魚が泳ぐ天然の水族館に興奮した記憶が蘇ってくる。三十数年が過ぎ、娘が同じ体験、感動をしていることに美咲は感慨深い気持ちになった。

 隣に座るマサ江と、亜希子も同じようなことを思い出していた。会話は無かったが、美咲にはそれが分かった。そして、何よりも香織の喜びようを見ている良太の顔は、まさにこれ以上ないというくらい顔をしわくちゃにして笑っている、はたから見ても気持ちの良いものだった。良太の、こんな笑顔を見るのはいつ以来だろう。来て良かったと美咲はつくづく思った。

 夜には、ホテルの人に誘われて、近くの水路に蛍を見に行った。東京では見ることの無い、初めて見るその神秘的な光を見る香織の瞳は、蛍の光に負けないくらい輝いていた。ここでも、良太が自分の子供の頃の話しを得意気に語っていた。こうなるともう、良太の独壇場の様子を呈してきた。

「上をみてごらん」

 不意に良太が言った。

「うわー」

 香織が声を上げる。

 そこには、まさに今にも降ってきそうな満点の星空があった。そこにいた誰もが息を飲み、あたりは一瞬静けさに包まれた。

 美咲は、蛍と、そして満点の星の光が、いつまでも香織の心に刻まれることを願った。同時に、星空を見上げながら嬉しそうにしている良太の顔を見ると、このまま時が止まればいいと思った。


 

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