第5話 鉞

 澄子は再婚した。相手の名は三宅雄一郎といって、二つ年下の四十六歳だった。彼女が雇われ講師を務める手芸教室に出入りしている、納入業者のオーナー社長である。小柄で小太りな、如何にも人の好い感じの風貌の持ち主で、実際の人柄も見たとおりだった。

 雄一郎は御用聞きで時折家の方へ訪ねることもあったから、仁志も彼とは面識があった。いつもシャツの胸ポケットにセブンスターを覗かせていた彼は、昔のあるプロ野球選手に目鼻立ちが似ている。独特の投球フォームから落差のあるフォークボールを投げ込んでいたオリオンズの主戦投手である。これが彼の唯一と言っていいくらいの特徴であり、仁志の印象でもあった。

 仁志は母親のこの再婚について、賛成でも反対でもなく、自身とは没交渉な問題のようにとらえていた。既に京都の大学を卒業し、非財閥の商社に就職していた上、勤務地も東京の実家からは勿論通えない大阪本町にあったから、澄子が雄一郎と一緒に暮らそうが、これと言って不都合なことはなかったのである。寧ろ、一人暮らしの女親を看てもらえる人ができるというのは歓迎だったし、実家を空家にしないために、雄一郎がそこに住んでくれるのを心苦しいとさえ思っていた。

 とは言え、仁志は雄一郎の子にはならなかった。澄子から伝え聞いた話では、仁志にその気さえあれば家族になってほしいというのが雄一郎の意向だった。事実、雄一郎は澄子に頼まれもしないのに自分の方の姓を変えた。けれども、仁志は仁志で、父親は一人でいい――そう思ったのである。

 仁志はその後十年余りの間、大阪、欧州、そしてまた大阪と勤務地を回り、会議などで東京本社に呼ばれる外は東京に寄りつかなかった。意識的にそうしていた訳ではない。当時は休日の出勤が頻繁にあって、時間に余裕のない生活を送っていたのである。ただ、金曜日に東京へ出張した際、週末がオフの時があっても、実家に顔を見せずに日帰りしていたところを見ると、澄子の再婚も全く影響なしとは言えなかったのかもしれない。それに、もう五年前のことになるが、正則の十三回忌の法要の時は、当日の朝になって行くのを取り止めてしまった。いつもの突き刺すような激しい頭痛に加え、微熱が出たせいか、どうにも体が重く億劫になってしまったのである。恐らく、これが仕事であればこんなことはなかったのだろう。彼はこの日に備え、黒の上下とネクタイを新たに用意していたにもかかわらず、結局、部屋に吊るしたそれを時々眺めながら、無為に一日を過ごした。――のちに分かったことであるが、この日、澄子はひどく体調を崩しており、読経の間は何とか持ち堪えていたものの、会食の場で挨拶を終えると、雄一郎の迎えで早々に引き上げてしまったという話であった。一家の主の法要に妻は後家入りの迎えで中座するわ、長男は来ないわ、一体この家はどうなっているんだか――そんな親族の陰口が大阪まで届いて来そうだった。仁志も、本家の伯母からの電話で、中元の礼のついでにこの話を聞かされた時、自分のことは棚に上げて澄子と雄一郎のことを苦々しく思ったのである。(つづく)

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