第四部 エピローグ

 翌日、ココとサロモンさんの葬儀はフェルト支所の召喚士達によってしめやかに行われた。私達もトロノ支所代表として参列し、墓前に残るライさんの背中を見詰めている。昼に終わったのに陽はもう傾いていた。

 「ココ……ココ……。ぐぅぅぅぅぅっ……」

 男泣きするライさんにとって、ココがどれだけ大切な存在かは痛い程に伝わってきた。私達が安易に安っぽい言葉を掛けるものではない。

 この世界にはビアヘロと呼ばれる異形が現れる。時にそのビアヘロに襲われ、惨たらしい死を迎える者は少なくない。加えて言うなら、金目の物を目当てに人を殺してしまう人間だっている。

 契約者にとって召喚士は切っても切れない存在。その召喚士が契約者を殺した。その事実はこの不安定な世界の根幹を更に揺るがす事になりそうだ。

 しかし、その事実は私達にとってはさほど大切ではない。……私達は契約者ではなく、“ココ”が死んだ事を嘆いているのだから。

 他のフェルト支所の人達も泣いていた。それは時にサロモンさんの為であり、ココの為に泣いてくれる人もいた。そう、彼らも悲しいんだ。

 だけど彼らが泣く理由は別にある。彼らの目から流れていたのは“契約者”へ送る為の物。もしくは若くして死んだ事への哀れみだった。

 「………」

 まだ十三歳だった。今年十四になるんだとカラバサで言っていたのも覚えている。

 死んだのは契約者だ。一般の召喚士でさえあっさりと葬儀を終えてしまえば、こっそりと忘れ去られていく。一生に数度と用事の無い彼らの扱いなんてその程度。

 ココが回っていたカンポ地方の他の村での契約はニクス様が引き継いてくださることになった。だからきっと、他の村の人達からすれば何の支障も起きない。皆は変わらずにいられる。

 ……それで良いはず、ないのに。

 「俺は……」

 ライさんが半分枯れた声を震わせながら口を開く。

 「俺は一旦……ビアヘロを倒せば、それで元の世界に……戻る予定、だった。そこでココに気に入られた。フェルトの人にもよくしてもらって……もう少し、オリソンティ・エラにいようと思った。なのに……守れなかった……。ココ……ぉ」

 毛皮が涙でぐしゃぐしゃに濡れ、鬣もぼさぼさで傷だらけ。見る影もないライさんの肩に手を置いたのは、ウーゴさんだった。

 「ライ……」

 「ウーゴ……俺は……俺、は……」

 振り返るだけでライさんがよろけた。目も昨日から泣き腫らしているから真っ赤だ。

 「……君の任を解く」

 「え……!?」

 肩から手を離したウーゴさんはおもむろに自分の腕輪から古びた紙を取り出した。その召喚陣が何を呼び出したかなんて、考えるまでもない。

 「ウーゴ…………」

 「待てよ!」

 「くっ……」

 召喚陣を両手で持って、力が込められようとしてフジタカが止める。

 「何を考えてんだよ、ウーゴさん!自分がライさんにしようとしたのが、どんだけ……」

 「……っ」

 怒鳴るフジタカにウーゴさんは何も言い返さない。しかし、召喚陣をそっと下ろし、彼の頬に涙が伝う。

 「あ……。すんま、せん……」

 フジタカが掴んだウーゴさんの腕に、手跡が真っ赤に浮かび上がる。全力で阻止しようとしたんだ。

 「……戻りましょう、よ。このままじゃ……夜が来て、風邪をひきます」

 「……はい」

 カルディナさんの提言にかろうじてウーゴさんが返事をし、召喚陣の描かれた紙を腕輪へと戻してくれる。……ライさんは黙ったままゆっくり私達についてきてくれた。

 フェルトの墓地から戻り、所長室に通された私達は先に居たトーロの姿に声を失った。

 「はっは……。全身痛むがこの通り、生きている。だからそんな目で見るな」

 「そうは言うけど……」

 全身に包帯を巻いて辛うじて目、鼻、口、そして角が見えているくらいの状態。そんな布巻お化けになって笑われても……。

 「生きてて安心した」

 「ニクス様のおかげだ」

 カルディナさんに答えてトーロは立ち上がれないながらにニクス様へ頭を下げる。彼が助かったのは、ニクス様の羽のおかげだった。

 癒しの妖精と同じか、それ以上の治癒効果がニクス様の羽には込められている……らしい。私は実際にその恩恵を受けた事がないから分からないけど、実際トーロはニクス様の羽を宛がいながら包帯を巻いたからこの場にいる。……即死した人物を蘇生さえる程の効果は無いそうだ。

 「トロノの召喚士諸君には感謝してもし切れない。そして同様に、どうお詫びすれば……」

 「お止めください!私達には何も……。招いたのは、一番あってはならない結果でした」

 テルセロ所長がきびきびした口調と同時に私達を見てから目を伏せる。カルディナさんの言う事に間違いはない。

 「貴方達は最善を尽くしてくれた。我がフェルト支所の召喚士とインヴィタドだけでは……全滅していた」

 ……ワームすら物ともしないで人間が向かってくる。いや、それは脅威だったとしても今となっては言い訳にしかならない。

 「……支度はできていますね?貴女のインヴィタドが動けるようになり次第、トロノにお戻りください。今回の件……必ず伝えて頂かないといけない」

 「……承知、致しました」

 また数日の狂いが生じたがこれ以上、私達にできる事は……ない。言い渡された指示に従う他なかった。

 追加の指示もなく、簡単に全員にその話を聞かせて解放される。廊下を歩いて召喚士達にも会ったけど何も言われなかった。責める声も、陰口もない。……皆、サロモンさんの死をそれぞれ静かに受け止めているんだ。

 「………」

 今日もこの部屋で寝るんだ。整頓したんだけどな。

 「はぁ」

 短く息を吐いてベッドに座る。レブも何も言わずに横に座った。

 「………」

 「………」

 寝てしまおうと思っても、レブがいるから眠れない。仕方なしに灯りを点けるとレブが目を細めた。

 「……何か言いたそうだね?」

 「あぁ」

 いつもなら毛布を掴んで床で横になっているのに、ベッドに居るという事は何かあるんだ。思い付くままに言うと、レブはすぐに返事をした。

 「しかし、言葉が纏まらない」

 「……珍しいね」

 レブでもそんな事があるんだ。だったら私から話したい。

 「そっちが考えてる間、私も話していいかな」

 「構わん」

 「ライさん……これからどうするのかな」

 召喚陣を破かれそうになったライさんの顔……脱力し切っていた。フジタカが止めなかったらどうなっていた事か。

 「復讐は自身の手で果たされた。そう、果たしてしまったのだ。今のあの男には……何も無い」

 いつもならそんな言い方しないで、と言えるんだろうけど……納得してしまう。

 ココを斬ったベルトランはフジタカが剣で貫き、ココが斬られる直前弓で狙撃したアマドルかレジェスは……どちらともライさんが直接殺めた。

 大きな括りで言えばフエンテという組織が背後に潜んでいる。しかし、今回の襲撃はどうやら三人の独断で行われた。だとしたら、戦うべき相手、恨む相手はその三人。そしてその三人は既に死んでいる。……確認して埋めたから、間違いない。

 だとすれば、ライさんは怒りや悲しみをぶつける相手がいない。燃え尽きて、気力を失ってしまっているんだ。

 「あの獅子の召喚士、どう思う」

 「えっ……」

 ウーゴさん、の事?……だったらさっき、ココとサロモンさんの墓前で召喚陣を破こうとしていた事だよね。

 「……用済みでやった、とは思ってないよ」

 ココを守る存在としてオリソンティ・エラに留まっていたライさんを、ココが殺されたから不要と判断した。……ウーゴさんがそういう人だとは思わない。だとしたら……。

 「これ以上、ライさんに悲しい思いをして欲しくないから。……ライさんに負担をかけたくないから、召喚を無効にしようと思ったんじゃないかな」

 「………」

 私の推測、夢見がちな希望だ。レブに召喚士の肩を持つな、と怒られるかも。

 「これからを決めるのはあの二人だ。……話し合えば、の話だが」

 レブが人の心配をしている。……自分もインヴィタド、だからかな……?確信はないけど、なんだか違う気がする。

 「……フエンテの召喚士の話をしても良いか」

 「……うん」

 聞きたくない、とは思わない。いつか話さないといけない事なんだから。レブの考えが纏まったみたいだし。

 「癪に障るが……奴の言う通りだった。私一人ではどうにもできなかった。あまつさえ……二人も助けられなかった」

 「……っ」

 身構えたつもりでも、また涙が浮かんでくる。引っ込めてもまだ枯れてくれない。

 「私の力では守れなかったよ」

 自分の手を見下ろすレブの表情はかつてない程に暗く見えた。ココやサロモンさんの墓前でも泣いていなかったのに。

 「レブも泣きたかったんだ」

 「………」

 否定も肯定もしない。……竜の涙は宝石だとか、万能薬と聞くけど実際はどうなんだろう。

 「泣き方、分かんない?」

 「そうかもしれぬな」

 私が昨日してもらった様にレブの頭を撫でてやると、彼の体が少しこちらへ傾いた。

 「悲しみ方は人それぞれなんだよ。だから……レブはその気持ちを大事にしたらいいんじゃないかな」

 「……ザナに教えられるとはな」

 「なにそれ」

 静かに、淡々と言葉を二人で紡いでいく。

 「私は契約者を侮っていた。自分には劣るとな」

 彼の世界ではあまりに非力で不要な存在。獣人も人間も同じ事だ。……覆せない差はある。だから私も頷いた。

 「……うん」

 「力の差はあるのだろう。だが、相手を想う気持ちに下等も上等も無い。……平等だった」

 レブがもう片方の私の手を握る。

 「私はあの小僧……ココを気に入っていた」

 「知ってる」

 「だが、助けられなかった」

 レブの目だけこちらを向く。

 「忘れないであげて」

 「……あぁ。約束しよう」

 だったら、と私はレブの頭に手を添える。

 「私も約束する。レブが足りない分は……私も頑張るから」

 レブが握ってくれていた手を私も握り返す。

 「二人で、強くなろう」

 一人でも強くなってみせる。でも、私だけでなくレブも。レブだけでなく私も強くなる。強くなる方法や過程は違っても。

 「誓おう。貴様の憧憬、我が身を以て共に現世で実りと為さん」

 「ありがとう」

 やっと、ほんの少しだけ笑えた。勿論サロモンさんが、ココが死んだ事が悲しくなくなったわけではない。


 忘れない。短い間だったけど、お酒が好きで、ぶっきらぼうに私達を助けてくれたサロモンさんを。


 忘れない。無邪気で明るく、もっと人が誰かと繋がって欲しいと願った契約者コレオ・コントラトを。



                                    了

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