第四部 四章 ーエスパダ・イ・ラーグリマー

 フェルトに戻った私達はサロモンさんを先頭にしてすぐ召喚士育成機関へ向かった。所長室を勢い良く開けて一言。

 「テルセロ!酒持ってこい!」

 その一言でフェルト支所の召喚士の数人が買い出しへ追いやられ、夜になる頃にはフェルト支所の食堂にはあらゆる料理と酒が並べられた。油やタレの匂いにお腹は自然と空いてくる。

 「……気を抜いてて良いのかな」

 食べたい気持ちの裏にある私の心配を余所に、フェルト支所の人達はサロモンさんの訪問を歓迎している様だった。楽し気に発泡麦酒を飲むのは何もフェルト支所の召喚士だけじゃなくて、カルディナさんやチコ達もだった。

 「酒を飲んで嫌な事を忘れる、気持ちを切り替えるってのはあるらしいが……飲む気にはならないよな」

 同意してくれたのはフジタカで、グラスに注がれたのは水。私とレブ、そしてココも同様だった。

 「麦酒は嫌い?」

 「今日は水が飲みたい。そんな気分というだけだ」

 隣に座って鶏もも肉の香草焼きに齧り付くレブの答えに私は更に疑問が募る。

 「私に合わせなくて良いんだよ」

 「その発言を貴様はいずれ後悔する」

 謎の断言に私もそれ以上答えを追求はできなかった。飲みたくないと本人も言っているんだし、酒自体は特にカンポでは珍しくもない。飲む機会は他にもある、よね。

 「獣人を召喚するまでに要した年月は?」

 「丸三年。大地の魔法を操り、会話のできる獣人に絞って研究と鍛錬を続けました」

 「なら今のインヴィタドは大地の魔法を?」

 カルディナさんはフェルト支所の召喚士の男性二人から交互に質問を受けている。トーロは逆に女性召喚士達と何か話していた。

 「っかぁ!やっぱブドウ酒はがぶ飲みに限るわな!」

 「サロモンさん……お願いですので、もっとゆっくり味わってくれませんか」

 「おめぇも飲んでるだろうが!」

 他の人が何を話しているかも気になるのに、ひと際大きな声を上げているのはやはりサロモンさんだ。……あのブドウ酒、レブも飲みたいんじゃないのかなぁ。

 サロモンさんとテルセロ所長、元所長と現所長が再会したのは役職の交代からまだ片手で数えられる程度しかないらしい。その二人の足元を私の腰丈くらいになる鳥のインヴィタドが屈んで豆を啄んでいる。

 「おら、グラス空いたろ」

 「どうも」

 サロモンさんが注いだグラスにテルセロ所長が口を付ける。一方的に所長の座を押し付けられた、と聞いたけどそんなに仲は険悪ではないみたいだった。

 「ライさんってお酒飲むの?」

 「すぐ酔っぱらうんだよ。ほら」

 ニクス様もちびちびとお酒を飲む横で、ライさんがゴッキュゴッキュと喉を鳴らして麦酒のジョッキを一気に傾け胃に流し込んでいく。それをココは溜め息を吐きながら見ている。

 「普段は量も飲まないんだけどね。宴会の時だけ飲むの。そして……」

 「聞いてくださいよ、ニクス様ぁ!」

 ココが指差したライさんは突然ニクス様の肩を抱いた。しかもばしばしと音を立てて叩いている。

 「自分で構わなければ」

 「もち!」

 牙を見せて笑ったライさんはニクス様に対していつになくとても親し気だ。会話した場面もほとんど見ないのに。

 「俺はこの世界に来た時に驚きましたよ!見渡す限りの畑、畑、畑!家畜もいたが肉食獣の俺が降り立った新天地で用意されたのはほぼ野菜!俺は餓えると思いましたね!」

 「左様か」

 「だけど俺は挫けなかった!何故か分かりますか!」

 「いや」

 「俺の目の前には契約者がいた!そうそれは幼き日のココだった!しかも………」

 ライさんの熱を帯びた語りが展開されていく。それをニクス様は肩を抱かれ、叩かれ、揺すられながら淡々と聞いている。……反応は薄いのに目は見ているから、興味がなくて聞き流しているわけでもないらしい。

 「……ね?ライってお酒飲むと熱くなるの。そんで、お酒と説教臭くなる。今日は僕じゃなくてニクスが相手だから説教は……」

 「それにしてもニクス様!もう少しその羽の色の様に明るく振る舞われてはいかがか!ココの様にとまでは言わずとも!」

 「……してるね。お説教……」

 ココの読みは外れてニクス様がライさんに叱られている。ニクス様に面と向かって物申す人なんて、レブ以外に初めて見た。

 「僕だけじゃなくて、ニクスにもなんだ……」

 ココが頬杖をついて話に夢中になっているライさんを睨んでいる。私はそっと彼にオムレツの皿を寄せた。

 「手が止まってるよ。飲めない分、私達は食べなきゃ」

 手元の皿を見て、ココの表情が数秒で明るく変わっていく。

 「……そうだね!」

 「食後の果実はあるのだろうな」

 ココがオムレツにフォークを突き刺す横でレブがこちらを見る。その辺に抜かりはない。

 「お皿を平らげたら出てくるよ」

 「ならばまずは食すか」

 残さず食べた者への口直しに味わうみずみずしい果実は別腹。その味わいをより深くするためにまずは食事を続けた。

 「………」

ふと気付いて私はフォークの手を止めた。

 「どうしたの、ザナ姉ちゃん」

 「うん……」

 周りを見ていて、視線を感じた。それは一人ではなく、複数人。

 「トロノのインヴィタドは貴方みたいなムキムキが多いの?」

 「俺も昔は細かった」

 「それはおじさんの発言じゃないの?」

 ……トーロは普通に話をしているし、チコも若い召喚士の男の人と話している。ニクス様はまだライさんに捕まっているし……。

 「それで……っ」

 「あぁ……」

 ウーゴさんと、別の召喚士。自己紹介もしたりしなかったりで他の人と私はあまり話せていない。私が感じていた視線はあの二人、そして他にも幾つか視線だけは感じた。

 「あの……」

 「ごめんね、ココ。なんでもないよ」

 「僕は気付いてるよ、大丈夫」

 言うか言うまいか迷っていたところで、ココが自分から目を伏せ微笑んだ。

 「皆、僕とは話したがらないんだ」

 「あ……」

 そう、ウーゴさんはココを心配して見てくれているけど、他の召喚士は違う。契約者としてのココの様子を窺っているんだ。だから誰も近寄ってこない。このフェルト支所がココにとっての拠点なのにどこか隔離されて見えた。

 「でも今日はザナ姉ちゃんもフジ兄ちゃんもいる。レブもね」

 「契約者の小僧が私をついで扱いか」

 「じゃあココって呼んで」

 「ふん」

 ココは軽やかな声で言うけど、前は違うんだろうな。サロモンさんがこんな飲み会を開いても……。

 「初めて声を掛けてくれたのがウーゴだったんだ。それからしばらくしてから、ライの召喚に成功したの。ライは僕を契約者と最初は知らなかったから、獅子の姿をした僕を可愛がってくれた。そして、契約者と知っても……ライはライのままだった」

 ニクス様に熱弁するライさんの様子を見てココは鼻を揺らして笑う。

 「契約者を崇め一線を引いて接する。オリソンティ・エラに住む人間の典型だな」

 「事実だけに痛いね……」

 特に召喚士はそうだろうな。私がニクス様に感じていた尊敬だってそうだし、召喚士こそ契約者に頭は上がらない……筈。あの連中を除いて。

 「だからここまで踏み込んで接してくれた人に感謝はしてるんだ。僕の契約は……変な考え方だったかもしれないけどね」

 気にさせてたんだ、私が聞いた話を……。そこにフジタカが口を開く。

 「俺だってそうだ。右も左も分からない俺に優しくしてくれた人の為に何かする。ザナにはもちろんありがとうじゃ足りないんだし、その……デブだって、頼りにしてるんだぞ?」

 最後は小声になって顔は向こうを見ているがフジタカは確かに私達の話をした。丁度レブと目が合ってしまうと、彼はもう椅子の上で身を捩り背を向ける。

 「……私とて、そのナイフの能力をあてにしていた場面は何度もあった」

 ありがとうは無理でもレブがここまで言うとは。……でも、確かにレブも自分が牽制を担当し、詰めをフジタカに任せるのが効率的だと気付いている。アルパにいたインペットの時も、この前のアルゴスとの遭遇でもフジタカに迷わず言っていた。

 「まぁ……これからもよろしく、な?」

 「……言われたからには応えんでもない」

 あれ、なんだか珍しく良い雰囲気。……もしかして、場酔い?いや、まさかね……。

 「ココもぉー!」

 二人だけの空間を作りかけていた間にココがパンを片手に割って入る。フジタカはそんな彼の頭に手を乗せる。

 「どうしたんだよ?」

 「僕だって久し振りにウーゴ以外の召喚士と、ライ以外のインヴィタドと話せて楽しかったんだよ!嬉しかったんだよ!」

 レブの捻くれ具合を見てからココを見ると心が洗われるなぁ。素直なココからの好意は私達にとっても胸が温かくなる。

 「町の人達はココと親しそうだけど、やっぱり育成機関内じゃそうもいかないもんな」

 「うん……」

 カラバサの人達は皆がココと親しげだった。……そうか、皆召喚士じゃなかったから。フジタカがクシャクシャと短い鬣を撫でてやるとココの目が若干潤む。

 「今日ははしゃいでも良いんだぞ?……ライさんが怒らない程度に、だけどな」

 「いっつもおこりんぼだからどうかな」

 フジタカの手を退けたココの顔に、一瞬見えた暗さはもう消えていた。

 「もっと人が、誰かと繋がってほしい。僕はその橋渡しができる人になりたい」

 「良いじゃん、それ。でも人が、誰かじゃない。その中に自分も入れてやらないとな!」

 フジタカの言葉にレブも頷く。

 「大事にするのは自分自身だ。それを俯瞰した物言いで他人事として扱うのは感心しない」

 「要は、ココ自身ももっと人と話そうよ、って事。ね、レブ」

 「……うむ」

 レブが言いたい事がはっきりと分かった気がした。肯定されて私も手応えを感じる。

 「ザナ姉ちゃん……レブも……ありがと!」

 二人で顔を見合わせて私は笑う。同時に感謝されるなんて滅多にないもんね。

 「おう、なんだ若ぇの!いや、年配もいたか」

 「気にするな」

 ジョッキを片手にやって来たのはサロモンさんだった。中の麦酒はほとんど空に近い。レブは構わないみたいだけど、流石に年齢が数桁違う相手を若いの、で一括りにするのはちょっと……。

 「ははは!どうだ、アンタも飲まねぇか!ブドウ酒はまだあるんだぜ?」

 「気持ちだけ受け取っておく。勧められた酒だが……」

 「断るからには理由もあるってわけだ。なら無理は言えねぇな」

 その理由に私も関係してるんだな……。根に持つとは思わないけど、レブの記憶力は良いし私も忘れないでいよう。

 「せめて楽しんでくれよ?アンタ達をもてなす為の宴会なんだからな!」

 「分かっている」

 表向きは遠路はるばる契約者同士の交流を目的として、ニクス様がトロノ支所の召喚士と特待生を連れてフェルトまでやって来た。それを前フェルト支所の所長であるサロモンさんが音頭を取って催した会合、という事になっている。……こう言うと裏に壮大な陰謀がある様に見える。でも本当はサロモンさんが飲みたいだけらしい。もっともらしい理由を並べても、前からサロモンさんを知っている人はそうらしいと思っているみたい。

 「サロモンさん!」

 「おっとぉ、どうしたよ。えっと……ココ!」

 酔っているのか顔を赤くしたサロモンさんがなんとかココの名前に辿り着く。ココは見習えと言わんばかりにレブを見たけど、そんな視線はレブには通じない。

 「あのさ、フェルトの召喚士の人達、紹介して!僕はまだウーゴとライ、あとはテルセロさんとかとしか話せてないから!」

 レブには諦めてサロモンさんに向き直ったココが言う。さっきのフジタカやレブの言葉が効いている。

 「お、おう……。へへ、そりゃあ大歓迎だ!よしゃ、こっち来な!」

 立ったココの肩を叩いてサロモンさんが行ってしまう。後は任せておけば大丈夫だろう。

 「分かってくれたかな?」

 「契約者としての覚悟ではない」

 レブが塩トマトを口に放り、呑み込む。

 「だが、あの小僧も変わろうとしている」

 「新しい契約者、ってやつにココならなれるんじゃないか?ニクス様の変わり方は俺にはちょっと分かんないけど、ココも自分なりに契約者としての向き合い方を変えたがってる」

 さっきまで契約者だから話せないと言っていたココ。すぐにその現状は覆らない。でも、今日の様な日に行動を起こそうと思い、実行に移した。

 「ココは偉いね。フジタカもニクス様と話してみたら?」

 「意外に面白い事が起きるかもしれぬな」

 「俺、老人受けはそんなに良くないと思うんだが……」

 そうかなぁ。アルパでもエルフのお爺さんに声を掛けてもらってたし、トロノでは老若男女問わずに人気者だった。レブとだって仲良くしてるのに。

 「食わず嫌いをしても仕方ないぞ」

 「言ってくれるな偏食家。……分かったよ、俺だってチコとも話したいしな」

 言ってフジタカも立ち上がり、水だけ片手にニクス様やチコの所へ向かった。

 「貴様も行かないのか」

 「んー……」

 話したい気はあるんだけど、あの大人達の気が昂った中で聞きたい召喚術の話はしにくいかなぁ。皆最近の近況や健康、あとは普段離さない人達へ個人的な質問をしている。

 「私は好きでこの位置にいるんだよ。レブは?」

 「……同じだろうな」

 だったらいいかな、と思ってしまう。フジタカをけしかけておいて無責任かもしれないけど……。

 「そうはいかないよ、お嬢ちゃん!」

 「えっ?」

 声がして、振り向くとそこにいたのはブドウ酒の入ったグラスを持った女の人が二人。

 「そこのカルディナから聞いたよ?凄いインヴィタドを連れてるって」

 「そうそう。あの狼君の陰の立役者だって」

 そんな風に話していたんだ、カルディナさん。……見ると、本人は顔を赤くして突っ伏して目を閉じていた。飲み過ぎて寝ちゃったとか……?

 「世の中には、酒が無くても盛り上げれる人もいるんだ。お嬢ちゃんはそういう人種?」

 「……はい!」

 お酒を飲まないと本音を話せない大人達を知っている。言えない事はもちろんあっても、盛り上がれるかは別だ。騒ぐのなら私にだってできる。

 「そっちのが例の凄い竜人、ね。ちょっと付き合いなよ」

 「付き合うかは私が決める」

 頬を赤く染めた召喚士にレブは冷水を浴びせるが如く態度を変えない。しかし相手も負けずに隣へ陣取るものだから、もう逃げられない。

 「ちょっとだけでしょー?だーいじょうぶ、痛くしない!」

 「おい、勝手に……」

 「いいんじゃない、レブ」

 抵抗しかけたレブが私の一声で止まる。

 「せっかく来てくれたんだもん。……また、後で話そうよ。二人でさ」

 「………」

 レブが止まった間に二人の召喚士は手近な料理の皿に手を伸ばす。

 「仕方ない」

 言って座り直したレブに私はまずブドウを持ってくる事にした。これで宴の終わりまでは楽しんでくれるだろうから。

 女性の召喚士、パースさんとブリサさんに聞かれたのは簡単な自己紹介。セルヴァの召喚士選定試験でレブを召喚した、とだけ話をしても向こうで盛り上がり話が広がっていった。私はレブと一緒に話を補足していくだけ。

 初めて召喚したインヴィタドが竜人なんて大当たり、貴女は良い召喚士になる……なんて言われた。なりたい気持ちはあるのに私はどうでしょうね、と答えてしまった。会話は弾み、どんどん話題も変わって次はフェルトやカンポ地方の話に移り変わる。

 少し感じていたけど、この辺りの召喚士は高齢化が進んでいるらしい。ウーゴさんがカルディナさんに話していた内容と同じだったけど、ブリサさんは納得している様だった。

 農作物が多い地方なので獣害は多い。ビアヘロが現れて召喚士が駆り出されるのとは違い、カンポの人々は対処法を設けて済んでしまう場合があるそうだ。柵を設けたり、人型のカカシを立てたり。インヴィタドに用があるのは退治と言うよりも異世界の害獣対策技術の伝授だったらしい。だから最近ではフェルト支所の召喚士達も対ビアヘロ用のインヴィタドを呼ばない、若しくは呼び出した事が無い者もいるらしいとの事だった。だからこそライさんの様な戦闘特化の獣人は珍しいみたい。そんな話を直接フェルト支所の召喚士二人から、それぞれの視点で聞けたのは貴重な機会だったと思う。

 「飲み過ぎた……」

 「だから俺は言ったぞ、カルディナ。」

 それが昨夜の出来事。翌朝集まった私達は二日酔いに頭を抱えるカルディナさんを中心に集まっていた。まずは昨日の食堂で水を飲み、頭痛が引くのを待っている。心なしかまだ皆がお酒臭い気がした。

 「おはよう、ザナちゃん!ムラサキの旦那さんも」

 「おはようございます!」

 「うむ」

 そんな私達の後ろを昨夜話していたパースさんが通り過ぎる。レブは途中からパースさんとブリサさんからムラサキの旦那さん、と呼ばれる様になっていた。言われている旦那、というのは敬称であって誰かの夫とかではない。……違うよね、そういう話はしてないし。でもレブがどこか満足げな気がして私がそわそわしてしまう。

 「楽しんでたみたいだな」

 チコとトーロは水を飲んでいるけど特に体調が悪そうには見えない。フジタカは二人は置いて私の横に来た。

 「まぁね。フジタカはどうだったの?」

 昨日の夜、最後に見たのはニクス様の隣で縮こまっていたところなんだけど……。

 「一緒に異世界での嫁の探し方についてご高説を拝聴させて頂いてたよ。……ですよね、ニクス様?」

 「良い話だった」

 フジタカがニクス様に話を振った。しかもニクス様もしみじみしている。何があったんだろう……。

 「俺、そんな話をしたのか……?」

 聞こえてきたのか、食堂へココの肩を借りて入ってきたぼさぼさ頭のライさんの声はがらがらだった。

 「ゲヒンだよ、ライ」

 「む……そうは言うが、俺だってやっぱり大人の男だし……」

 酔って記憶を失い、寝惚け眼のぼさぼさで現れる……うん、大人の男らしさは感じる。別の意味で、だけどね。

 「おはよぉ!」

 「おぉココ、おはよう!」

 「よく起きれたね?」

 「お腹空いてない?」

 ライさんを座らせるとココは食堂内で声を張る。すると、口々に挨拶が返ってきた。フェルト支所の召喚士達にココは得意の愛嬌を無自覚に振りまく。

 「えへ……。結構昨日で皆と仲良くなれた、かな」

 サロモンさんに連れていかれたココは気になっていたけど、今のを見ただけでも心配は要らないみたいだった。私とレブ、そしてフジタカで顔を見合わせる。ココの事を考えてたのは同じだったかな。

 「契約者も人の子だからな」

 「また僕を子ども扱いするぅ!」

 頬に空気を溜めてわざとらしく膨らませたココにレブは背を向けた。契約者だって私達と同じ人だから仲良くできるって話だと思う。子どもだから受け入れられた、も少しはあるのかな。

 「あー……なんだっけ」

 そこでライさんが頭と腹を掻く。……身支度する前と後だと人も変わってないかな。今日はお酒飲んだ後だから、というのもあるかも。

 「もう!テルセロ所長とサロモンさんが呼んでるんでしょ!やっぱりライはご飯よりも先に顔洗ってきて!」

 「うい……」

 ライさんも二日酔いなら水を飲むくらいは……。でもどうかなぁ、身体もお酒も強そうに見えるからお酒は平気とか……。

 「ごめん皆、そういうわけだからご飯食べたら所長室で!時間は任せるけど僕達は遅れそうだから!」

 ココは私達に言うだけ言ってライさんに肩を貸しながら引き返す。ウーゴさんはココに任せてのんびりと食事を始めてしまう。

 「私達は行きましょう……」

 まだ本調子ではなさそうなカルディナさんが低い、呻く様な声で言った。ぐび、と盛大に喉を鳴らしてカルディナさんは立ち上がる。

 「トロノの方々が会いに行けば、こっちに来る気はしていましたが……」

 「お前はああいう催しを開かねぇだろ。だから代ったんだ。連中、少しは鬱憤も晴らせてるといいが……」

 ココとライさんも集まってから始めた話は昨日の振り返りだった。テルセロ所長も、ウーゴさんやサロモンさんの前でなら普通に話せるみたい。

 「久々に来たが変わってねぇな。良くも悪くも、よ」

 「所長が変わってからは滅多にいらっしゃらなかったですよね、サロモンさんは」

 ウーゴさんも話に入って苦笑する。こんなに気さくなのにフェルト支所とは距離を置いていた、か。

 「そんでお前は相変わらず暗い顔してるのな、所長になったってのに」

 「好きでこの顔では……」

 気にしてそう、そういう指摘。なんて思ってしまうのが暗い顔、って言うのかな。

 「もう少し周りを見てくれよ。でも命令するだけじゃダメだ。話も聞いてやれ。自分の研究に夢中になるだけじゃなくてな」

 「確かに、サロモンさんはそうでした……」

 心当たりがあるのかテルセロ所長は目を伏せ、何かを思い出している様だった。ビアヘロを幾ら知っていても、聞いてくれる人や話せる人が身近に多くいるか。所長に求められるのは知識と合わせたその両方なのかな………。

 「ワシが、ってのはいいけどよ。とりあえずワシは少しの間ここに厄介になる……で、いいんだったよな?」

 「えぇ。我が家に帰ったと思って寛いでください」

 ウーゴさんは気楽に、と言うけどテルセロ所長は顔を青くする。

 「じ、自重はしてくださいね?もうお歳ですから」

 「誰がジジイだ!」

 「そうだ」

 レブは静かにして。私が人差し指を口の前に立てるとレブは顔を逸らしてしまう。

 「……とと、お客人は俺だけじゃなかったんだもんな。すまねぇ、置いてきぼりにしちまって」

 やっとサロモンさんがこちらを向いてくれる。

 「おこ、お越し頂いた皆様に関しててですがが……。何か今後の予定、でも?」

 「トロノに戻ります」

 やっぱり私達には言葉がおかしくなりながらも、カルディナさんはテルセロ所長へきっぱりと言い切った。

 「予算もないし、私達も本来ならばロカで一件片付けて終わる予定でした。それが長い旅路になりました……」

 誰が悪いではないけど、結果的にここまで来てしまっている。私達の寄り道の規模は大陸を縦断しかねない勢いになっていた。しかし、それは予算も体力も許してはくれない。

 テルセロ所長とサロモンさんが目線を交わすと、こちらを見て頷いた。

 「それもそうだ。寧ろ、今日までよく付き合ってくれた。そこのココと俺のためだろ?感謝してんよ」

 「うん!ありがとう!」

 サロモンさんはココと二人で私達に頭を下げる。

 「同じ契約者の為ですから」

 「うむ」

 ニクス様がカルディナさんに合わせて頭を縦に振る。そうだ、契約者を脅かす存在が近くに居なければ安心して旅を続けられるのに……まさか同じ世界の人に異世界の住人をけしかけられるなんて。

 「当面、フエンテの存在は伏せるが折を見てフェルト支所の中には伝えておく」

 「お願いします」

 サロモンさんが言うのと、私達が言うのでは仲良くなっても説得力はやはり違う。本人が見計らってやってくれるのなら、任せるのが一番だ。

 「せめて今日ぐらいはゆっくりしてくれや。備品はワシ達でも用意する」

 「ありがとうございますっ!」

 フジタカの一礼にサロモンさんが笑う。

 「はっは。すっきり礼を言われるとこっちも気持ちが良いってもんだな!」

 「でも……何してればいいんだろ」

 フジタカが私達へ向き直るが、こっちも急に時間の余裕ができて面食らう。

 「とりあえず……一人にならない様に誰かといれば自由で……構いませんか?」

 「自分に聞かずともよい。……だが、そうしてやってくれ」

 カルディナさんがニクス様に許可を求めるが、ニクス様は首を横に振るだけだった。

 「……では、各自解散。私はニクス様と必要な物の整理を行います」

 フェルト支所内でカルディナさんとニクス様は待機、か。だったら私も迂闊に外には出ない方が……。

 「俺は何すっかなー……」

 「ならばフジタカ君!」

 頭の後ろで手を組んだフジタカの肩にライさんが手を勢い良く乗せる。しゃっきり目を覚ましたライさんが自由行動の話になってからそわそわしていたのが横目に映ってたので気になっていた。

 「痛っ!な、なんすか……?」

 「時間があるなら、私と手合わせしないか。君の剣さばきを一度見ておきたかったんだ」

 振り返るとフジタカが最近剣を抜いたのはたぶんアルゴスを消した時、かな。突撃してナイフで終わったから剣さばきも何もないけど。

 「おいおい……ゆっくりしろって言ったばかりなのに……ま、盛大にやんな」

 「ワカモノは体力が有り余ってるね!」

 ココも茶化す様にフジタカとライさんの間に入る。

 「ならば私も行くか」

 ……体を動かしたかったのかな。ワカモノって単語に反応してないよね、レブ。

 だけど私も何がしたいというわけでもなかったので、見学がてら外に出る。チコとトーロは手分けして買い出しに行きたいと言ってまずはフェルト支所に残ると決めた。

 「ぐぁっ!」

 町から離れて私達はサロモンさんの家に向かう道の途中から逸れた。十分な広さを確保したと思うとライさんとフジタカは持ってきた木刀をぶつけ合う。剣さばき、と言うよりはライさんにフジタカが稽古をつけてもらっている様に見えた。

 「もう、いっちょ!」

 「甘いっ!」

 「がぁっ!」

 フジタカの片手から繰り出された木刀の突きは容易くライさんの木刀に弾き流される。勢いが乗ったままフジタカはライさんの横を抜けようとして、木刀で無防備な頭に一撃。鈍い音が響いてフジタカは悶絶し倒れた。稽古と言うよりは一方的に叩かれているだけかも。

 「うっ……くっ………うぅ!」

 「どうした、君の筋肉が泣いているぞ!」

 「汗はかいてるけどさ!」

 ライさんが木刀の先をフジタカに向けると、威勢は残っているみたいで大声で言い返す。既に汗だくで服の色が変わっているフジタカに対し、毛の厚さが上回っていそうなライさんはまだ汗をかくにも至っていない。涼しそうに風に目を細めていた。

 「一撃が軽いんだな。これでは相手の骨は断てないぞ」

 「そんな事言われたって……!」

 レブが横でくつくつと笑う。

 「あの牛の教えと獅子の差だな」

 トーロとライさんの差……。少し考えて、フジタカへの指摘の違いを思い出す。

 フジタカはナイフを一度触れさせれば勝ち。だからトーロは一撃離脱の練習をさせていた。だけど今は練習ということもあって何かを消す力は無い。それが通じない相手には高めた力をぶつけるか、技巧で隙を突くか。そのどちらもフジタカではライさんに通じない。だから攻撃も当たらないんだ。

 「手数で……!」

 「質の低い手数は物の内に入らない!」

 「きゃうんっ!」

 木刀とナイフ代わりに手ごろな木の枝を持っていたフジタカだったが、またも横に躱されて木刀が枝を持っていた手に直撃する。悲鳴を上げて枝を落としたフジタカは手を押さえて動けなくなった。剣とナイフを続け様に振るう事もライさんは許さなかった。

 「ガンバレ、フジ兄ちゃん!」

 「そうだよ、フジタカ!」

 「意地の一撃くらいは見せてみろ」

 ココと私、レブの応援にフジタカは木刀を杖に立ち上がる。

 「これじゃ俺がまるで悪者だな……。ウーゴがいれば変わったんだろうが」

 ウーゴさんは今日はココを私達やライさんに任せて報告書の作成準備をしているそうだ。カルディナさんもたまに大慌てでやっている。

 「へ、へへ……。まったく、勝手な事ばっか言いやがっ……って!」

 「うぉ!?」

 木刀を握り直してフジタカがよろめいたと思った。その直後、彼は前へ思い切り踏み込む。そして下段から体を軸に腕を、肩を使って木刀を振り上げた。木と木が激突する音が遠く、大きく鳴ってライさんの目の色も変わって見える。

 「こ、のぉぉぉ!」

 「そうだフジタカ君!もっと打ってこい!」

 フジタカが腕を振り抜き、一度ライさんが後ろに跳んで距離を置く。声を軽やかにしてライさんが見せた表情は笑顔だった。

 「言われんでも……っ!」

 完全に剣を両手持ちにしてフジタカが踏み込む。トーロの教えた両刀使いではない。ライさんが見たかったのは、本当のフジタカが放つ剣圧だった。

 「はぁぁぁぁ!」

 「ふんっ!」

 良い音を立てて木刀が折れん勢いでぶつかり合う。あれだけ派手に激突させれば互いの手も痺れているだろうに、両者手放さずにギリギリと拮抗させて睨み合う。

 「う……くっ!」

 「ぐ……ぬぅ!」

 木刀を跳ね上げると今度は肩と肩を衝突させ、隙あらば再び木刀が振るわれる。それに迎撃し合ってまた距離を置き、仕切り直して再びぶつかった……。

 幾度となく繰り返されたそれは、フジタカの敗北に終わる。結果の予想は本人が一番できていたと思う。

 「ぐは……っ、はぁ……はぁ……!」

 「ふぅ……ふぅ……」

 フジタカは両手両足を広げて倒れると息も絶え絶えになっていた。ライさんもだいぶ疲弊した様で、乱れた呼吸と服の襟を静かに正す。

 「む、無理……!参りました……!」

 「頑張ったじゃないか。最初は……一撃もフニャフニャで……どうしたもんかと……思ったが、な……」

 「へ、へへ……」

 ライさんが屈んで手を差し出すとフジタカは弱々しく笑いながら握り返し、身を起こす。

 「フジタカ、大丈夫?」

 持っていた布巾を二枚、私が差し出すと二人は静かに受け取って汗を拭う。

 「分かってたんだろ、こうなるの」

 「うーん、まぁね」

 元からの戦士であるライさんとフジタカが同じ条件で戦えば何が起きるか。それは火を見るよりも明らかだった事……。

 「でも、フジタカ凄かったじゃん。ねぇ?」

 「ライを相手にこんなに長く粘った人は初めてだよ!」

 私が振り返るとココは力強く頷いてくれた。正直な事を言えばあそこまで善戦するとは思わなかったもの。

 ライさんの力は圧倒的だったのに、何度打たれてもフジタカは木刀を握り直して向かって行った。結局一打も木刀では浴びせられなかったが、体力の限りぶつかっていった精神力は見ていたこちらがはらはらしてしまう。あれだけ殴られれば自力で立てなくなっても全然おかしくない。

 「………」

 「私なら剣をへし折って終わりなのだが、って顔してるよ」

 腕を組んでフジタカを見ていたレブに私から一言。

 「犬ころと私は違う。……だが、よく分かったな」

 「当てちゃった」

 獣人と竜人を同じに扱う事はできない。分かっていながらも自分の身に置き換えて考える。これが大事なんだよね。

 「そこの獅子よ、私と拳を交えるか」

 「はは、お受けしたいところですが申し訳ありません。……俺もそろそろ限界で……」

 フジタカの横にライさんが足を震わせ座り込む。怪我は無くても体力は削られていたんだ。

 「日常的に歩いているから平気、と思っていたが腕は随分鈍っているな……。フジタカ君には気付かされる事が多かったよ」

 「フジタカは元々住んでいた世界ではカラテって武道をやってたんです」

 喋るのも辛そうなフジタカに代わって私が教える。

 「戦いもてんで素人ではないわけだ。巨人に真っ先に飛び込む度胸もある。だから……」

 首だけ動かしてライさんは舌を垂らして体温を下げようとしているフジタカを見る。

 「君に足りないのは経験と、殺意だな」

 「殺意……」

 何とか単語を一つだけ拾うがフジタカの顔色は優れない。

 「ビアヘロとの戦いはもう何度も経験しているのだろうが……。最初、俺との打ち合いも本当は乗り気じゃなかったと思うんだ」

 「……乗り気でないというか、軽い気持ちで受けて立ちましたね……」

 そんな事はない、と答えると思ったらフジタカは自分の気持ちを静かに吐き出した。

 「殺しはしないし、本物の剣を使ってないのも分かってた。だけどライさんは向かい合ってた時だけは、本気で俺を叩き潰すって気迫を放ってた」

 二人の迫力は見ていて圧倒されたけど、フジタカの目に映るライさんはもっと脅威だったらしい。

 「これは殺し合いではないが、真剣な試合だった。稽古とか特訓じゃない。毎回挑んで……俺は全部負けた」

 レブが少し深く鼻息を出した。

 「殺気を向けられ慣れていないのだな」

 「慣れてる方がどうかして……!あ、ごめん……!」

 指摘するレブに言い返し掛けて、フジタカは言いよどむ。私だって、自分が慣れているとまでは言えない。私が苦笑するとライさんがゆっくりと口を開いた。

 「切り替えが遅い……というよりも、無いのだな」

 木刀の片面は何度もぶつかり合って若干削れ凹んでいる。

 「フジタカ君は夜にナイフが使えないんだったな」

 「……はい」

 息を整えてからフジタカは答える。

 「だったら、夜はどうやって戦う?他に任せるわけではなかっただろう?」

 フジタカはいつも懸命に戦っていた。その中には自分よりも大きなビアヘロが何体もいたのに。

 「フジタカは……」

 「いや、待ってくれザナ」

 私が言う前にフジタカが止める。でもライさんはフジタカの経験をアルゴスと戦った時しか……。

 「俺、ビアヘロとは戦ってました。でも、人と……殺し合った事がないんです」

 「……俺が怖かったのか」

 しっかりとフジタカは頷いた。

 「あはは……ライ、顔が怖いもん、ね……」

 「……ココ」

 「ごめん……」

 二人の間に漂う空気を和ませたかったのだろうけど、ココも乗り切れず半端に入ろうとしたから余計にこじれそうになる。私が肩に手を乗せると静かに身を引いた。

 「化物の殺気と、俺の殺気は違ったかな?」

 「はい」

 対峙したフジタカは自分の手を見下ろした。

 「人が人を襲う事は往々にしてある。……今日、まざまざと知ってしまった。切り替えられなかった俺は何度も殺されてる」

 ライさんの手がフジタカの頭に優しく乗った。

 「それを知った君は強くなれる。今日はありがとう」

 「……こちらこそ!」

 最後にもう一度フジタカはライさんと握手をして、表情に明るさを取り戻した。レブは自分も体を動かしたかったみたいだけど、剣を振れないココではとてもついていけない。その日は諦めてもらってフェルト支所へと戻った。

 その翌々日になってようやく私達は出立する事になった。危険を感じたわけではなく、単に準備とフジタカの打撲の治りを待っていただけ。パースさんが癒しの妖精も呼んで代謝を活性化させてくれたので今は完治している。フジタカの治癒を待つ間にライさんは約束通り、私とレブを果物屋に案内してくれた。そこで食べたブドウのみずみずしさと言えば、レブも無言でおかわりを要求してくるくらいだった。

 「な、何から何まで……すみ、すみませんでした」

 フェルトを出る直前、別れ際に見送りに来てくれたのはテルセロ所長とウーゴさん。そしてココとライさんだった。

 「道中、お気をつけて」

 「皆、ありがとう!」

 「今度はもっと強くなっていてくれよ」

 この二日でサロモンさんは夜が来る度に酒を煽っていた。する事が無いから、と言っていたが今日も寝過ごしてフェルト支所から出て来なかったみたい。

 ウーゴさんとも話せたし、ココもこの数日で一気にフェルト支所内に馴染んだ。ライさんはフジタカの成長に期待している様で人一倍、彼を気にしてくれている。

 「それではまた。皆さんもどうか警戒を怠らずに」

 カルディナさんの注意にフェルトの召喚士達も表情を引き締める。あまり戦う事はなくても彼らも間違いなく、ビアヘロや脅威から町の人々を助ける守護者の顔だった。

 「えーっと……カラバサまで行くんだよな?馬車は?」

 「使わん」

 「またかよぉ……」

 チコが馬車の姿を探したけど、トーロの一言に力が抜けて肩を一気に下げた。テルセロ所長達の視線を背中にまだ感じつつ、私達は苦笑して歩き出す。

 「やっぱり別の支所だからって予算が下りなくて。ごめんなさい」

 「こんなに食い物は用意してくれたのに……」

 フェルト支所の裏にある畑で採れた農作物を売って自分達の予算を増やす事はあるらしい。だけど利益は微々たるもので、半分趣味の域。それに家に帰れば自分達の畑も持っているそうだ。

 だから私達に譲ってくれるのはお金ではなく野菜や保存用燻製肉。これはこれで気持ちの込められた貴重な物だった。

 「腹を空かせながら歩く様なひもじい思いはしなくて済む。それで納得しろってか……」

 芋をぽんぽんと軽く投げて浮かせながらチコは愚痴を言うのを止めた。私達も農耕は手伝ってたもんね。

 「南下してカラバサからのコラル。そして……」

 「地獄の船旅を終えればアーンクラだ」

 フジタカが道順を思い返しているとレブが後に続く。船、という単語だけで私とフジタカは自然に目が合った。

 「………」

 「………」

 今度こそ、地獄に行くのかもしれない。そう思っているとチコが再び口を開いた。

 「あ!カラバサからも徒歩ですか?」

 「そうなりそうね……。食料は間に合う、かな。ボルンタに戻ったら馬車賃を経費で後払いにしましょう」

 本当に無茶を推してここまで来たんだ。自分達の状況を一から確認して実感してしまう。

 しかし、その直後に私の耳に嫌な音が入ってきた。

 「あれ……?」

 来た道を振り返って首を傾げる。そこで、カルディナさんとチコ以外もフェルトを……ううん、その向こうを見ていた。

 「貴様も聞こえたのか」

 「うん」

 レブが横目で私を見る。

 「どうしたんだよ、ザナもフジタカも」

 「今……何か壊れた」

 チコからの質問にフジタカが答える。聞き違いじゃないと分かって私は震えた。

 私が聞いたのは、何かが遠くでへし折れる音。随分小さな音だったけど、ここまで聞こえる程だ、とんでもない勢いで激突でもしたんだ。

 「あれだ!」

 フジタカが指差す。その先から黒い煙が空に吸われる様に上っていた。

 「……焼畑?んなわけ、ないよな……」

 口に出したフジタカが自ら否定する。レブの面持ちも険しい。

 「……まさかとは思うが、あの方角は」

 トーロが口に出すまでもない。フェルトの外れ、しばらく向こうに行ってやっと着く森の近くだ。……ならば考えられるのは一つ。煙や火事に良い思い出が無い私達はすぐにフェルトへと引き返し始めた。

 町を駆け、半刻も待たずにフェルト支所に戻った私達は声を張る。

 「ウーゴさん!ライさん!」

 「ココ!」

 三人も事態は把握していた様で、既にライさんは武装している。私達が現れた事に対して三人は露骨に狼狽えた。

 「どうして君達が……!」

 「分かってる!アレ、放っておいたらマズいでしょ!」

 今は引き返した理由を問答している場合ではない。フジタカは一言叫び、外の煙を指差す。

 「あ、あぁ……」

 ライさんもフジタカが落ち着いた状態と判断したのか、自身を静めて口を曲げる。

 「間違いなく火事だろう。そして燃えているのは恐らく……サロモンさんの家、だ」

 予想はできていても、誰も口に出さなかった。まだ可能性は有るのに、それを否定してしまう気がした。

 「サロモンさんはどうされました!」

 「行方が、分かりません……」

 フェルト支所の奥から現れたのはテルセロ所長だった。青ざめた顔で頭を押さえ、ウーゴさんに肩を支えられる。

 行方が分からないって、こんな時に……?ライさんとココも知らなかった様で、全員の表情が一変する。

 「で、でも、朝は寝てたんだ!だから!」

 ココの証言が頼りだ。だったら……!

 「まさか自分の家に一人で……!?」

 「今から行っても消火は……間に合わない。延焼していない事を祈って、俺とウーゴは森へ向かう」

 ココが唖然とする横でライさんが剣の柄を撫でると、私達の横を通り抜けようと前へ出る。

 「私達、トロノ支所の召喚士とインヴィタドも加勢します!」

 カルディナさんに私もチコも頷く。しかしライさんは一歩、フェルト支所の外へ足を踏み出した。

 「危険だ。まして、皆さんには……」

 言いながら進むライさんの肩に手を置いて止めたのはフジタカだった。

 「俺達が来たからサロモンさんが巻き込まれたかもしれないんだ!それに、一人で何ができるんだ!」

 「……しかし」

 未だ渋るのはライさんなりの気遣いかもしれない。だけど、そんなものは私達には必要なかった。

 「サロモンさんも危ないのに放ってはおけません!何かさせてください!」

 戦うつもりでここに来たわけではなかった。あの場所で起きている事に対して、絶対に人手が要る。しかも、一般人ではきっと対処できない。

 「邪魔だなんて……とんでもない。力を、お貸しください」

 「ウーゴ……」

 深々と頭を下げたウーゴさんを見て、ライさんも今一度私達に向き直る。

 「今からボルンタに戻れとは言えないよ、ライ」

 ココの一言にライさんがやっと肩の力を抜く。

 「……俺が、間違っていた。サロモンさんの捜索と不審火の確認および消火を行う。君達にも同行願いたい」

 形式ばった言い方でも、私達はしっかり頷きライさんに応じた。煙の勢いは増しており、フェルトの住人達へは他の召喚士達が説明に回ってくれている。

 割ける戦力は私達とウーゴさんとライさん。それにテルセロ所長にココだけだった。火が森へ延焼する様なら、カルディナさんとテルセロ所長が水の妖精を召喚して魔法を使わせる。

 私もチコもフジタカも火事を目の前に何もできない……かもしれない。それでも何かしたいという気持ちで走っている。ココも最初は残らせるか召喚士達と同じ様に説明に回らせようとした。だけどココも私達と同じく、少しでも何かしたいと申し出てくれる。その気持ちを尊重したのは、やはりライさんだった。

 「追い付きそうだな」

 走る私達の前を見てレブが言う。街道の先を見覚えのある背中が奥へと向かっていた。

 「サロモンさぁぁぁぁん!」

 ココが声を張り上げると、前方を行く人影が止まってこちらを向いた。

 「お前達……!」

 振り返ったサロモンさんが目を見開く。追い付いて止まると、走っていた間は平気だったのに一気に疲れがこみ上げた。息苦しく呼吸を荒くしたがサロモンさんに追い付けて本当に良かった。

 「サロモンさん!また一人で勝手な真似をして!」

 「自分ちが燃えてんだ。ワシが行かずしてどうすんだよ。……もう、遅いがな」

 テルセロ所長が一番に怒鳴る。しかしサロモンさんは親指で自分の背中向こうを指差した。私達が見ると、既に煙は上り終えて天へと消えてしまう。それは火事が終わり、燃え尽きた証拠だった。

 「そんな……」

 「落ち込むなって。フェルトからあんな離れた場所に住んでたのはワシなんだからよ」

 遠くに黒い塊が見える。それがかつてサロモンさんの家だったと思うと足に力が入らなくなってきた。しかし家主は苦笑するだけ。

 「だけどな、俺の家を焼いたヤツがあそこに居る。落とし前はつけさせてやらねぇと……気が済まねぇ」

 ざ、と靴が土を擦りサロモンさんは自分の家を再び目指し歩き出す。

 「ま、待ってください!」

 「なんだ。おめぇらは……」

 眉根を上げてサロモンさんが呼び止めたウーゴさんを睨む。

 「戻れなんて言わないでください。俺達もあの場所に行かなければならない。きっとサロモンさんの気が済まない様に」

 そのウーゴさんの前に出て話してくれたライさんが一度フジタカを見た。そう、私達も行かないと気が済まない。だから来たんだ。

 「…………勝手にしな」

 全員の顔をじっくり眺めてからサロモンさんはそれだけ言ってくれる。家を燃やされて、今すぐ走り出して犯人を殴り飛ばす勢いを保ちながらも芯は冷えて見えた。

 急行した先で鼻につく焦げ臭さは、何も木だけではない。サロモンさんの家にあった全てが焼き払われていた。

 「……クソッ」

 最初にサロモンさんの口から出た言葉は嘆きや絶望ではなく、怒り。かける言葉も見つからずにいると、レブがサロモンさんの前に出て腕を広げた。

 「おい、もう目の前……」

 「そうだ。あの家を焼いた犯人の、な」

 もうすぐ到着できる。そう思った矢先にレブの一言で全員が身構えた。サロモンさんも何を言われたのか察知して顔色を真っ赤に染める。

 「んだとぉ!?いるんだったら出てこい!」

 サロモンさんの叫びが響く。物音も立たずに数秒。しかしこの場に変化は起きた。

 「くく、ははは!あはははははは!」

 前から聞こえてきたのはおおよそこの場に相応しくない笑い声。耳障りな声に私は思わず閉口する。

 「やぁ、こんにちわぁ!」

 馴れ馴れしい挨拶が聞こえると、家の焼け跡から青年が姿を現した。焼け焦げて炭化した柱にパラパラと端が崩れるのも気にせず飛び乗って彼は私達に大げさに頭を下げてみせる。

 「まんまと炙り出されたね、サロモン・マレスと契約者」

 「よくもワシの家を炙ってくれたもんだな、餓鬼が」

 言い返すサロモンさんの握り拳に力が入って震え出す。

 傾く柱に乗って私達を見下ろす青年は前髪がやたら長く、奥の目がどこを見ているかも分からない。肌は白く、口元には上へ吊り上がった笑みが貼り付けられた様に浮かんでいた。

 「ごめんよ。でも僕にはベルトラン・ルシエンテスって名前があるんだ。覚えておいてよ……」

 ベルトランと名乗って彼は言葉を区切り、柱から軽い身のこなしで下り立つ。

 「フエンテのベルトラン、とね」

 「フっ……!」

 そしてにぃ、と口を更に上げ、歯を見せて笑う。自分達以外の口から聞こえてきた単語にインヴィタド達は武器を抜いていた。

 「あっははははは!面白―い!いやいや、違うな!怖い怖い!」

 物騒な連中だ、なんて言って彼は腹を抱え笑い、自分の腰に提げていた剣の柄を叩いた。やけに刀身が細い。

 「……フエンテとは、何?」

 そこでカルディナさんが胸に手を当て質問する。

 「知ってるんだろ?あの二人から聞いてさ」

 「………」

 どの二人かなんて、言わずとも分かる。

 「………でも、いいか」

 顎に手を当て少しの間だけ、ベルトランは笑みを消した。思案していたのか、それが終わると再び彼の口には笑みが貼りつく。

 「教えてあげる。僕達も退屈していたからね」

 退屈しのぎで人の家を燃やしたのだとしたら許せない。だけどその場に居た誰もが動かない。動けなかったと言い換えるべきか、彼の後ろから二体のゴーレムが現れたからだ。瓦礫の中から召喚陣が発動した光が溢れ、めきめきと周囲の木材や土を取り込んで背丈を伸ばしていく。

 「お前ら……!」

 「………」

 「………」

 フジタカの毛皮が逆立つ。ゴーレムの後ろから現れたのは、何もこちらへの反応は無いがアマドルとレジェスだった。

 「僕達フエンテは、契約者を必要としない選ばれし者。真のオリソンティ・エラにおける召喚士組織さ」

 芝居がかった口調で語り出し、ベルトランが右往左往して歩いている。

 「言うなれば、フエンテは召喚士として……オリソンティ・エラの頂点を目指していると言っても良い」

 「拳でビアヘロ一匹も砕けぬのに頂点とは、笑わせるな」

 相手を挑発したのはやっぱりレブだった。しかしベルトランから笑みが消える事はない。

 「腕力だけが全てではないよ、竜人。我々には“別の力”がある。それを使えば……」

 「ベルトラン、喋り過ぎだ!」

 レブへの語りを妨げたのは奥に居たレジェスだった。アマドルもだが、今回は専属契約陣を刻んでいる様子はない。

 「なにさ。そこの連中に負けて、おめおめと戻ってきた癖に」

 「くっ……」

 言い返せない様で、レジェスはベルトランからそっぽを向いてしまう。

 「そんな力を持った連中が、どうしてこんな田舎に来て、暴れてるんだ?」

 更なる質問を投げたのはサロモンさんだった。

 「フエンテの中にも派閥があるんだよ」

 ベルトランは口先を尖らせレジェスの方を向いていたが、サロモンさんからの問いに笑顔で応じる。

 「常々思っていたんだよね、何故僕達がコソコソ暮らさないといけないんだ、って。我々こそ秀でた召喚士なのにさ」

 隠れ住んでいたのに、契約者が召喚士をどんどん増やしてしまうから殺しにきた。アマドルとレジェスの話とも噛み合う。

 「そんな僕の意見に賛同してくれたのが、そこの二人さ」

 指を差された二人は明確に殺気をこちらへ向けて放っている。あの時の怪我を引き摺ってはいない様だった。

 「フン、フエンテの中にいる召喚士の中では大したことないけどね」

 「ぐ……」

 「………」

 ベルトランはあの二人も見下している。私達をあれだけ苦しめた召喚士を下に見てへらへらと笑っているのは実力が裏打ちされているのか、ハッタリか。

 「それでも、フエンテはこの世界に必要だ。そして……」

 「う……」

 ココが一歩後退る。

 「契約者ぁ……君達は不要だ」

 ニクス様も言い返さずに目を細めるだけ。その反応すらもベルトランは楽しそうだった。

 「探すのに苦労したよ?契約者は縄張り意識が強いからね。他の契約者にも人伝に知らせるとばかり思っていた」

 いい加減、この話し方に腹がむかむかしてくる。だけど相手は無防備に見えて隙が無い。後ろの援護もあるだろうから迂闊に動けなかった。

 「それが直接伝えに行ったものだから、こっちも慌てたよ。まぁ、そこの二人が短慮だったとは言え、流石は自分達を囮にして彼らを迎撃しただけある」

 敵、なのに私達を褒めている。アマドルとレジェスも不服そうにしているのにさっきから何も口は挟まない。……挟めない、のかな。

 「だ・け・ど」

 ベルトランが指を立ててこちらに振って見せる。

 「今回はついでに僕らの先代を知る者も処分できるから、結果は一石二鳥なんだけどね」

 「てめぇ……」

 サロモンさんがぎり、と歯を鳴らす。やっぱりサロモンさんがフエンテの召喚士と会った事があると向こうも知っていた。だからこんな酷い事を……。

 誰もが言葉を失う中で一人だけ口を動かす者がいた。

 「ククク……」

 「レブ……?」

 この状況で何がおかしいのか。ベルトラン程ではないにせよ、レブが笑っていた。

 「冥土に持っていくには過ぎた情報だろうけど、お気に召したかな?」

 「あぁ。つまりお前らを潰せば、当面は静かに暮らせそうだという事だ」

 初めて、ベルトランの表情に変化が起きた。ぴた、と笑みが消えて無表情へと変わっていく。

 「なに……!」

 「分からないか」

 レブはサロモンさんよりも前に進んで腕を組む。

 「お前は我々やそこの二人を短慮だと言った。だが、話を聞くにフエンテの中ではお前も短慮なのだろう」

 「ふ、ふふ……。せめて改革派と言ってほしいね」

 「浅知恵しかない癖によくも言えたものだ」

 「この……」

 一度は笑みと余裕を取り戻し掛けたベルトランがレブの一言に今度こそ顔を歪めた。口が逆に曲がっていく。

 「初対面だが分かるぞ?自惚れの強い傲慢な者だとな」

 人を煽らせたらレブは本当に強い。別に本人に煽っているつもりはない。だって、実力を発揮させれば彼の言葉は現実に起きる力へと変わるから。

 「ふふ……崇高な僕らの前に立ちはだかる小虫が今日はうるさいらしい」

 「目も飾りとは哀れだな」

 「煩い!」

 遂にベルトランが怒鳴り、次々周囲が光り出す。召喚陣があちこちに設置されていたんだ。

 「そこのジジイと老いぼれの竜人!見よ!これが……!」

 あちこちから出てきたのは一本角の馬に子ども程の大きさを持った赤いトカゲが二匹ずつ。そして、見覚えのある姿もちらほら見えてくる。ざっと見ても十匹以上のインペットが私達を囲む様に辺りを飛び回っていた。

 「僕達の力さ!あっはっはっはっは!」

 これだけの量を一斉にインヴィタドとして呼び出すなんて初めて見た。例えベルトランだけでなくアマドルとレジェスもこの内の数体を召喚しているとしても、私ではこの三分の一を呼び出すなんて真似できない。

 「……これ……」

 「ニクス様、お下がりください!」

 チコは唖然と空を見上げ、カルディナさんが身を呈してニクス様の前に立つ。この状況にライさんも剣を構えて見回すのみ。状況が刻一刻と悪化する中で、私達側は何もできていない。

 「トロノや田舎のフェルトでぬくぬくしていた君達にはできない芸当だよねぇ?でも、僕は油断しないよ」

 ベルトランは前髪を揺らしながら笑い、見据えていたのはレブだった。

 「聞いてるんだ……。そこの獣人の力は厄介だが、本当に脅威となる存在はその横にいる」

 「………」

 アマドルとレジェスを帰還させてしまえば、もちろんこちらの情報は戦った分だけ相手に流れていく。この前のゴーレム戦、二回共彼らのインヴィタドを倒したのは……フジタカじゃない。

 「ふん」

 そう、今鼻を鳴らしたレブなんだ。

 「見た目に騙されていたが、腐っても老いても相手は人の容を成した竜なんだ。それを今まで見くびっていたのは、確かにこちらの落ち度だよね」

 「恥じる事はない」

 ベルトランの笑みがレブによって再び消される。

 「脅威と理解できる知能があったところで、対抗する力を用意できないのだから結局お前達はただの無能だ」

 「………!」

 レブの挑発にベルトランが腕を振り上げると、一匹のインペットがレブへまるで矢の様に飛び掛かる。

 「はぁっ!」

 「ググギャ!グゲェ!」

 一歩も動かずにレブは拳を突き出してインペットを吹き飛ばす。殴り飛ばされた小悪魔のインヴィタドが起き上がる事はなかった。

 「小悪魔を幾ら召喚しようと……私を殺すには足らん」

 「……ふ、ふふふ……」

 倒れたインペットを見てベルトランは静かに笑う。レブの話も聞いていない様だった。

 「せめてどっちかを迎えるのが目的だったけど……これはしんどそうだなぁ」

 後ろの召喚士二人が弓を番える。ゴーレムも体に取り込んだ木をメキメキ折りながら動き出す。……でも、迎えに来たって、誰を?ここへ来たのは私達で、フエンテの三人はサロモンさんの家を燃やしていたのに。

 ……まさかレブの事を言っているの?レブをフエンテに連れて行こうとして、ここまで来た……?だとしたらどっちか、って私かレブ……?

 「これ以上は時間の無駄かぁ。だったら、早々に終わらせてあげるよ」

 「貧相なインヴィタドを少し呼んだだけで息巻くとは随分大仰だな」

 一際大きな声でベルトランが言ってしまう。

 「年寄りを仕留めるのに、若者がこれだけいれば十分さ」

 ……その一言は駄目だ。

 「誰が!」

 「年寄り!」

 「だぁぁぁぁ!」

 「だとぉぉぉ!」

 反応したのはレブだけではない。少し後ろにいたサロモンさんもだ。しかも声を綺麗に重ねて、様子が明らかにおかしい。

 サロモンさんが着ていた作業服から何かを取り出し、広げる。それが泥染みだらけの大きな布、と分かった直後だった。布が激しく青白い輝きを放ち始める。

 「出て、こぉぉぉい!」

 その布に何か描かれていた。円陣と一定の紋様が組み合わさったその図形は私もよく知っている。

 「召喚陣……!サロモンさんの!?」

 テルセロ所長が声を荒げ、突然吹いた強風に腕で目を庇う。私はサロモンさんの呼び出したインヴィタドに言葉を失った。

 「先に行く……!」

 レブが片方のゴーレムへ接近する横、もう一体のゴーレムの上にそれは現れた。

 「喰らえ。……あんま美味くねーがな」

 サロモンさんの指示を聞いているとは思えない。しかしそれは言われた通りにゴーレムを文字通り丸呑みにした。

 「……ワーム」

 召喚されて現れたのは、あまりに有名な異形。サロモンさんが召喚したのは竜の頭を持つ大きな蛇だった。喉を鳴らし威嚇する声は魔法を使っている時に感じる心臓を握られる様な感覚を想起する。その赤く血走った眼光が捉えるのが私達ではないのが救いだった。

 「はぁぁぁ!」

 私達がワームに気を取られた間に、レブが駆け上がってゴーレムの頭に一撃を見舞う。浮き上がった核を再び跳び、踵を振り抜いて砕いた。

 「普段は土を耕す時にしか呼ばねぇんだが……!」

 サロモンさんが召喚陣を持っていない右腕を振るとワームも右に動く。レブが壊して土に戻ったゴーレムの瓦礫を地面ごと削って呑み込んでいった。

 「サロモンさんに続けぇ!」

 ライさんの号令でフジタカとトーロも前へ出る。ワームはゴーレムと一緒に角の生えた馬を一匹轢いていたけど上にいるインペットの群れは……増えていた。

 「デケェサラマンデルがいる!ウニコルニオから……うぉぉ!」

 サロモンさんが注意してくれようとしたが、突如ワームが動いて起こした土煙が炎に包まれる。それが先程召喚されたサラマンデルの仕業とはすぐに分かった。

 「お任せください!」

 ライさんとトーロが一気にレブと並ぶくらいに前へ出る。フジタカは飛んでいるインペットに狙いをつけ、縄ナイフを投げて消し去ってくれていた。

 サラマンデルは火の精霊だ。それがあんな大きさで顕現して、今もワームを焼いている。……ワームは再生能力が他の生物よりも段違いと言うし、サロモンさんも気にしてはいないようだった。

 「レブは……」

 ウニコルニオを殴り、トーロの斧が角を、ライさんの剣が首を撥ねた。血糊も浴びずに三人は次にインペットとサラマンデルに向かう。

 「……あれ?」

 少し離れた位置で見て、気付いてしまう。……ベルトラン達がいない。

 「うぐっ……」

 どこに行ったか探そうにも、ワームの起こした土煙が邪魔をして見える様で見えない。探して辺りを見回していると、嫌な音と共に苦悶の声が聞こえた。

 「え……?」

 「ぐ……くぐっ……うっ!」

 サロモンさんの右肩に矢が刺さっていた。刹那、土煙から影が一つ跳び出す。

 「がぁぁぁぁっ!」

 「ふふ……ふふふっ」

 サロモンさんの目の前に居たのはベルトランだった。その手には細剣が握られ、どうしてか剣はサロモンさんの胸を貫いている。

 「サロモン・マレス。そこそこ有能な召喚士だったみたいだけど、派手好きなのはいけないなぁ。おかげで隠れて狙い撃つ作戦が思った以上に上手くいっちゃったよ」

 「あ、が……」

 胸から剣が引き抜かれ、サロモンさんが倒れる。胸の傷からは血がこんこんと湧き出て地面に広がり染みて行く。召喚陣が塗り潰されたせいか、それとも魔力の発生源が切れたからかワームも消えて土煙も完全に吹き抜けた。

 「うふ、うふふふふふ!」

 人の胸に細剣を突き刺した青年が高らかに笑う。

 「お前ェェ!」

 真っ先に駆け付けたのはチコだった。振り下ろした剣をベルトランは簡単に避け、ブーツの爪先をチコの腹に埋める。

 「止めなよ。成り損ないの半端者」

 「ぐぁっ!」

 剣を蹴飛ばし、倒れたチコは腹を押さえて動けない。私が行く前にトーロとレブも来てくれる。

 「チコを頼む!」

 「よかろう」

 トーロに応え、レブは動けないチコをこちらに放ってくれた。ローブが脱げてレブの足元に転がり、着地もできず背中を打ったが腹の方が一大事。チコは脂汗を滴らせて呻いている。

 「チコ!チコ!」

 「うっ……ぐ……」

 チコは私の顔を見ているけど何も言えない。そうしている間にもインペットはまだまだ出てくる。ライさんもフジタカも、サラマンデルの火に近付けず、こちらに向かう余裕はなさそうだった。

 「ぬぅぅぅん!」

 「筋肉だけが力じゃないんだ……よっ」

 トーロが振り下ろした斧が外れる。地面を大きく凹ませた一撃も、当たらなければ意味はない。しかし隙を見せてしまったトーロにベルトランは剣を向けなかった。

 「ふふっ」

 代わりに微笑んでトーロの肩に手を置く。すぐに一言。

 「風よ」

 ベルトランの宣言と共に彼の足元に陣が展開する。トーロが異変に気付いた時にはもう、遅い。

 「ぐ、ぐぁぁぁぁぁぁ!」

 「トーロ!」

 その直後、トーロの全身から血が噴いた。大きく吹き飛び倒れたトーロは痙攣して起き上がれない。体のあちこちに裂傷が瞬く間のうちに刻まれている様だった。

 「う……あ……」

 「人間でも、インヴィタドとも戦い方はあるんだよ」

 トーロを見下ろしてベルトランが歪に笑う。

 「………!」

 「おっと」

 すぐにレブが殴り掛かるとベルトランは大きく後ろに跳んだ。一つ跳んだだけで一息で詰められない距離まで移動した跳躍力は人間のそれでは考えられない。

 「どう?僕の魔法!」

 トーロを簡単に切り裂いたのも、今レブの攻撃を回避したのも。そしてたぶん……最初にワームが出てから姿を消せていたのも、魔法の仕業。しかもベルトランの足元から陣が展開したと言う事は本人が自力で使ったという事だ。

 「魔法も使えて剣も強い!」

 「う、うおぉぉぉ!」

 フジタカが戻ってきてくれる。剣で斬り掛かってもベルトランは受け流し、ナイフは最低限の動きで躱した。身のこなしは軽く、魔法で跳躍力も強化された相手には傷一つ負わせられない。

 「ぐぇっ!」

 転んだフジタカはすかさず縄ナイフを投げるが、風が強く吹いてベルトランには届かない。

 「そして召喚魔法も得意!」

 周囲が再び輝き出す。召喚陣の位置が分かるとレブとライさん、カルディナさんは手近にあった召喚陣の描かれた布を引き裂いた。

 「ちっ。……まぁ、十分呼び出したからいいか。ふふっ……。ねぇ竜人」

 「………」

 ベルトランは楽しそうにレブを見た。

 「君は殺せなくても、他の連中なら、どうかな?」

 すぐにサロモンさんとトーロの止血をしたいのに誰も駆け付けられない。チコも動けず、フジタカやライさんの攻撃も当たらない。これだけの事を……インヴィタドではなくベルトランが一人でやった。ゴーレムやサラマンデル、ウニコルニオも全部囮にだけして。

 「キィィィ!」

 「えっ!?」

 アマドルとレジェスの弓矢もいなしながらインペット、そしてベルトランの相手をしなければならない。どうしたらいいか考える間も与えずに一匹のインペットが私とチコに向かってきた。

 「ザナさん!」

 カルディナさんが私を呼ぶ。だけどこの位置ではレブも、他の誰も間に合わない。

 「くっ……!」

 「キュゥゥゥゥッ!」

 だったら私がやるしかない。飛び掛かって来たインペットの腕を立ち上がって咄嗟に掴む。見た目は細く華奢でも凄い力だった。

 「雷よ!焼けぇ!」

 足元に魔法陣が展開する。展開と言うよりも、一瞬パッと光っただけ。

 「ギャァァァァァ!」

 「う、ううっ……!」

 その短い間でも確かに私の魔法は発動した。両手から雷撃が放出され、掴んでいた小悪魔の体に走る。目の前で悲鳴を上げ、耳が痛んだがインペットは白目を剥いて動かなくなった。

 「ひっ!」

 「………へぇ」

 咄嗟にインペットを放る。だけどベルトランがこちらを見ている事に気付いてなるべく気丈に振る舞う。動じていない様に相手を睨むが、胸は痛い。

 「君も魔法が使えるんだぁ?凄いじゃない」

 「………」

 私が魔法を使える、なんて知っているのはトロノの召喚士だけ。アマドルとレジェスに見られていたかは分からないけど、今の口振りからして初めて知ったみたい。

 本当は雷撃で黒焦げにするつもりで魔法を使った。しかし実際インペットの見た目は変わっていない。痺れさせて感電死させただけ。……死んだかも確かめずに投げたから、本当は分からなかった。また起きて襲ってこないとも限らない。

 だけどベルトラン達は気付いていない。だったら……。

 「ねぇ、君……魔法にまだ慣れてないでしょ?」

 「…………」

 ハッタリでも微かな望みが掴めれば、と思ったけど相手は一目で見抜いていた。

 「いやね、派手に叫んだ割にはあっさり終わっちゃったからさ。そこの竜人に教わったにしても……使いこなすには時間が足りてないと思ってね?」

 違ったらごめんよ、なんて言ってベルトランは口角を上げた。少しでも余裕を見せたいのに、相手の態度がそれを許さない。

 「はぁぁぁぁぁぁあっ!」

 「ギャァッ!」

 「グエェ!」

 サラマンデルをライさんが続け様に二匹仕留めた。こちらへ向くとベルトランに突進する勢いで剣を振る。矢の援護は鎧が弾いて受け付けない。

 「おぉぉぉぉお!」

 「やだなぁ、ケモノ臭い。牛肉と同じ目に遭いたいのかい?」

 「黙れぇ!」

 ライさんの大剣を受けても、不思議とベルトランの剣は折れない。最低限で受け流しているにしても、たわんでもおかしくないだろうに。

 「ふっ!」

 「ぐぁっ!」

 ベルトランの手がライさんの胸に触れる。すると胸当てが大きく凹んでライさんの巨体が吹き飛んだ。

 「うっ……かはっ……!」

 息が詰まっているのかライさんは起き上がれない。あと動けるのは、フジタカとレブだけ。そのレブもインペットの数に推されている。消し切れていない召喚陣から、まだ出しているんだ。……どんどん増えてるけど、これはたぶんベルトランだけじゃない。アマドルとレジェスもどんどん召喚している。このままじゃ……。

 「くっそぉ!」

 「迂闊に動くな!」

 フジタカが剣を構えて走る。それをレブがインペットを相手にしながらも止めた。だけどベルトランも自ら動いてフジタカに向かう。

 「ぐぶっ……!」

 「剣ってのはね……振り回せば良いってものじゃないよ」

 フジタカの腹にベルトランの細剣の柄が埋まる。腹を押さえて倒れたフジタカの周りもインペットが飛び回って私達では近付けない。

 「さぁて……お?」

 「………っ!」

 「あれあれぇ?」

 ベルトランの前に、剣を持って相対する者が一人。彼を見てフエンテからの刺客が笑う。

 「や、止めなさい!」

 「駄目だ!」

 「戻れ!」

 カルディナさんとウーゴさん、そしてニクス様も止める。チコが落とした剣を握ったのは……。

 「こ、ココ……行、くな……」

 「ライも皆も動けない。だったら僕が……やる。守らなきゃ!」

 ライさんも必死に起き上がろうとしているけど動けない。ココを止めようにも私にできるのは……。

 「れ、レブ……!一気にやって!早く!」

 「……承知した!」

 私の心臓が跳ねる。息が詰まる感覚と共にレブが両腕を広げ、その先から雷撃が走る。次々にインペット達の悲鳴が洩れて撃墜されていくが、数はまだ多い。

 「ぐぁぁぁ!」

 そこに一人悲鳴を上げたのがアマドルだった。レブの魔法が直撃したわけではない。おそらく魔力の逆流に反応してしまったんだ。狙いは逸れたと思ったのに、つがえていた矢は離れ、それはあろうことかココの肩に深々と突き刺さる。

 「うぁっ!」

 「ココ!」

 ライさんが立ち上がり、直後に足をもつれさせる。私もチコから離れたけど、間に合わない。

 「…くっうぅぅぅぅ!あぁぁぁぁあ!」

 肩に刺さった矢を引き抜きもせずにココが剣を握り直して走る。

 「ふふっ」

 「ココォォォォォオ!」

 ライさんの絶叫が、横に振ったベルトランの細剣がココの肉を裂く音をかき消す。ココが持った剣はベルトランに触れる事無く手から零れ落ちた。

 「あ……ウー……ラ……」

 「ふふ……ふふふふふ!あははははは!契約者が自分から死にに来た!あはははははははは!」

 頭を押さえてベルトランが大笑いする。倒れたココから紅い命の液体が、さっきのサロモンさんと同じ様に広がっていった。

 「こ、ココ……?」

 「………」

 フジタカがなんとか起き上がってココを呼ぶ。しかし返ってくる言葉は一言も無い。

 「あ……」

 ココの周りに広がる血に気が付いてフジタカが口角を下げる。そうだ、それが普通なのに。

 「契約者殺し達成ってね。もう一人の命も頂くよ」

 「させない!」

 カルディナさんとウーゴさんがニクス様の前に出る。ニクス様も剣は持っているが振るわせまいと召喚士が守っていた。だったら私にだって……。

 「くうっ……!」

 前に出ようにも、レブの魔法がまだ続いてる。素早く動いたら転んで立てなくなりそうだった。

 「俺が、やる……!」

 ライさんは放心して声も出せない。トーロは魔法に倒れ、レブはインペットの数を徐々に減らしている。そこで名を上げたのは涙を流したフジタカだった。

 「フジタカ……?」

 「……はぁ」

 ベルトランは溜め息を吐き出して剣を下ろしてしまう。

 「君さ、勝ち目が無い戦いに挑むって死にたがりなの?」

 「うるっせぇっ!」

 フジタカがナイフを取り出し、金属輪を鎧の腰当てで赤へと回す。

 「何をする気、フジタカ!」

 人間相手にナイフを使おうとしている?でも、あの力を人に使ってももしかしたらフジタカの意思次第では消す事もできない。……色を変えたのも、意味はある筈。この土壇場で何かするつもりなんだ。

 「……レブ!もっと!まだ本気じゃないでしょう!」

 「………」

 インペット相手に苦戦しているのも分かる。相手にしながらも、私の負担を気遣ってくれているのも知ってる!だけど、これ以上は待てない!ココだって……ココだって間に合わなかった!このままじゃフジタカだって……!

 「お願いレブ!……一掃して!今、すぐに!」

 「……とっておきだ。踏ん張ってもらうぞ」

 レブはもう私の顔から背を向けた。背中から生えた翼を広げると、数度羽ばたかせ体を浮かせた。

 「………っ」

 覚悟はできてる。あとは……。

 「あれ?」

 ライさんの姿が、無い。探そうと思った矢先に空が暗くなる。

 「なんだい、コレ?」

 「うっ……!」

 ベルトランが空を見上げてから、私の胸が一気に締め付けられた。立っていられなくなるくらいの痛みに視界が狭まる。しかしレブの姿が変わる事はない。他の方法を使う気なんだ。

 「……やれ」

 インペット達が次々にレブへ向かう。レブは体当たりを受け、魔法の火を浴びせられても構わずに暗い空、天高くへと上昇していった。

 「ここまで来れば十分か」

 夜が来たのではない。分厚い雲が私達の天上だけを覆っている。少し離れた先では雲がぽっかりと消えていたから気が付けた。

 終いにはレブの姿が弓矢では届かないくらいに遠く、高くへ小さく見える。インペット達ですらあの高さへは魔法で攻撃するしかない。

 「遠慮はしないぞ」

 風が吹き荒び、インペット達の声も喧しいのに私にはレブの声が聞こえた。気のせいかもしれないが、私は頷く。すぐに黒い雲から稲光が走った。

 「雷よ……」

 「この場に居る悪魔共を!」

 「薙ぎ払って!」

 祈る様な思いで胸を押さえて念じる。瞬刻、視界は光に包まれた。

 「くうぅぅぅ……!」

 鳴りやまぬ轟きと同時に燃え上がる塊が幾つも降ってくる。それは悲鳴を上げ、抵抗する事も出来ずに絶命したインペット達の成れの果てだった。既に這う様に倒れていた私は意識を失わない様にしているだけ。必死に胸を掴みながらベルトランへ向き直る。

 「……予想以上だな」

 当たり前だよ。私のインヴィタドは……レブは、手から雷撃を放つ魔法しか使えないわけじゃない。任意の場所へ狙った相手に雷を落とす事もできる。天候を変えてしまうなんて大魔法とは思っていなかったけど、見るのは初めてでもない。

 ……召喚した時に使っていたのは自分の力を私に見せてくれてたのかな、なんて。こんなに凄いとは知らなかった。でも驚きはしないよ。

 「レっ……」

 「静かにしろ」

 レブは私の元に下り立ち、肩を貸して起こしてくれる。でも、フジタカの加勢に……。

 「決着はすぐに見られる。そうだろう?」

 言ってレブはチラ、とこちらへ目線を向けて、フジタカ達へと戻す。

 「横槍を入れない?疲れちゃったみたいだね、あの竜人」

 「………」

 フジタカはもう前だけ向いている。それこそ、狙いを定めた獲物を見ている様だった。

 「もうそんなに戦いたくないんだけどなぁ。仕方ないか」

 「おらぁぁぁぁ!」

 先に走り出したのはフジタカ。ベルトランも渋々剣を構え直して迎え撃つ。

 「よっと」

 「うおっ……おぉぉぉ!」

 初撃のナイフを躱し、次手の剣は流された。背中を押され前につんのめるが何とか踏み止まり、フジタカは剣を大きく横に振る。ベルトランは風の魔法も加えた跳躍で距離を取った。

 「そこだ……!」

 「えっ?」

 すぐ近く、後ろから声がした。

 「来い、やぁぁぁぁ!」

 「チコ!?」

 チコが倒れたままで叫ぶ。するとどうだろう晴れかかった天気を裂く様に、小さな光がパッと生じた。

 「なにっ!」

 ベルトランの声がして、再び彼を見ると足にスライムが絡み付いていた。どこから、と考えて彼の足元にチコのローブが落ちていたのが目に入る。

 あのローブに召喚陣を描いていたんだ、今度は紙より丈夫な様にと。

 「このっ!」

 しかしベルトランが的確に細剣でスライムの核を突く。すぐにスライムは固形を維持できなくなり、粘度の高い水溜りと化す。自分のインヴィタドを倒されたのに、チコは静かに喉を鳴らす。

 「ひひっ……それでも十分だ、アイツにはな……!」

 「おぉぉぉぉぉぉ!」

 フジタカが即座に距離を詰めていた。スライムに構っていた間だけでも、隙ははっきりと彼には見えていただろう。

 「僕にはそん……っ」

 逆手に持ち替えたフジタカのナイフが細剣とぶつかる。すると、ベルトランの右肩から先が消えた。絵面に反して血は一滴も流れない。

 「な、に……ぃぃぃぃぃっ!」

 ナイフをフジタカが放り、片手に持っていた剣を両手で持って肩に溜める。しかしベルトランは自分の剣と腕が消えた事に気を取られた。

 「ふぅぬぅぅぅ!」

 「か………っはぁ!」

 突き出された剣がベルトランの胸を貫いた。口から散った血液がフジタカの涙に濡れた顔にも付着する。

 「まだ、まだだよぉ……!」

 ぐっ、と自分の胸から生えた剣を掴みベルトランは笑う。また召喚陣が作動し、サロモンさんの家があった近くからサラマンデルが召喚される。

 「ふふ、ふふひひひひひ!焼き払ってやる……全部……!」

 「………っ!」

 サラマンデルが火を吹いてしまう。そこでフジタカが動いた。

 「がぁ………くく、くは……くはは……ははは!」

 突き刺した剣を引き抜き、そのまま倒れたベルトランに背を向けて血糊を払う。背中の鞘に剣を収めてフジタカはこちらに向かって歩き始める。やっと笑い声が止み、サラマンデルは誰の手にかかる事も無く消えたが、森の木々に炎が引火してしまっていた。

 「火は消し止める!君達は……」

 「ぎゃあああああああ!」

 「ま、待て!」

 テルセロ所長が召喚陣の描かれた紙を取り出す。しかしその声を遮る悲鳴が二つ上がる。

 「ライ……!」

 火に映った人影がもう一つの影が振るった剣で首が寸断される。すぐに動けなくなったもう一人の方へと近付く影を見て、ウーゴさんが名前を呼んだ。

 「ふ、フエンテの事なら話す!だか、だから……」

 「お前の矢が……お前の矢がココを……ココをぉぉぉぉ!」

 掲げられた剣が下へ振り下ろされる。私はその瞬間を直視できなかった。数秒してカラン、と金属が転がる音が聞こえて目を開けると全て終わっていた。ライさんの目は虚ろになって猫背になっている。

 「……召喚士テルセロ・エスコバルの命に応えよ。森へ汝の加護を、恵みを、そして癒しを……」

 テルセロ所長の詠唱に応じて召喚陣が輝く。すぐにインヴィタドが消えたから、まだ火の勢いは弱い。これならテルセロ所長一人の召喚でも大丈夫そうだった。

 「ラ……」

 「ココ……ココ……ココぉ………」

 こちらへ戻って来たライさんにウーゴさんが駆け寄る。しかし何も見えていない様で、素通りしてライさんは物言わぬココを抱き上げた。

 「あ、あぁ……冷たい……。ココ、ごめん。ごめん……くっ……」

 ライさんが泣く横にフジタカがチコのローブを持ってやってくる。ココの傷口を隠す様にローブを被せてやる姿を見て、私もレブの肩を借りてサロモンさんの元へ向かった。チコは自力で立ち上がってフジタカとライさんの方へ行く。

 「………」

 突き刺さったままの矢を引き抜いて、私のローブをかける。血を吸い込んでどんどん赤く染まっていくローブを見て私も涙がぽろぽろ零れ出す。

 「ついさっきまで話していたのに……。あんなに、私達に協力してくれたのに」

 狙われているかも、と分かっていたのに。知ってて連れ出したのに……。

 カルディナさんとニクス様がトーロの治療に入る。意識がある、傷は浅いと叫んでいる声が聞こえたけど、私は動けなくなっていた。

 「泣いている場合ではない」

 「………」

 返す言葉が無い。

 「レブが今、言おうとしてた事。……当たった?」

 「………」

 レブは黙ったままだった。涙声の私が言っても、説得力がないからかな。

 「成すべき事は他にある。泣くのは後にしろ。今は立て。……言ってよ」

 そうでないと頑張れない。言われたらレブにどうしてそんなに冷淡になれるの、と怒鳴るかもしれない。だけどそうでも言ってくれないと……。

 「すまない」

 なのに、レブが私に言ったのは彼の口から聞く初めての謝罪。途端に私の涙は止まらなくなった。

 「うっ……うえぇぇええぇぇぇん!」

 レブの胸に縋りついてしまう。

 「ココが!さろ、サロモンさんが……!うっ、うぅぅぅぅ!」

 甘えたくない。進歩が無い。成長できない。足りなかった!もしもの話をしても意味は無いんだ!だけど止められない!

 「………」

 レブが何も言わないで泣きじゃくる私の頭を撫でてくれる。ぎこちない動きで、だけどその手は温かい。冷たくない。変わらない。


 私達はフエンテの改革派を名乗る召喚士三人を倒した。エルフの集落を潰し、ロカでも契約者を狙ってきたアマドルとレジェス。その二人はこの場に居た者の半分以上と因縁があった。それを打ち倒したのはフェルト支所の召喚士、ウーゴさんのインヴィタドであるライさん。

 そして今回現れたのはその二人の召喚士を引き連れたベルトランと名乗る青年。最期まで人を嘲笑っていた彼はフジタカの剣で殺された。あの笑みと声が脳裏にこびり付いて離れてくれない。

 一方、無傷なのは私とカルディナさん、ニクス様とテルセロ所長にウーゴさん。トーロが動けない程の重傷を負わされ、チコもフジタカも足元がおぼつかない。ライさんだってインヴィタドと絶えず戦い全身が傷だらけだった。そして何より、私達はフェルト支所の元所長だった召喚士サロモンさんと、カンポ地方を回っていた契約者ココを死なせてしまう。



 この戦い、どう見ても私達の完全敗北だった。

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