第四部 三章 -邂逅するレブ-

 私は一つ、この世界の“ある存在”を伝えていなかった。最初は意識して黙っていた訳ではない。けれどある時、ふと歩いていて思い出してしまったのだ。自分には縁がないものとは言え、あれだけ身近にいながら言わなかったなんて。気付けなかった自分に腹が立つ。

 彼の方も知らない様子だった。結局言う機会を逃して今日という日を迎えてしまう。知らないなら、その方が良いのか。迂闊に話してはいけないかの判断もできないくらい情報が少ない。そんな中、私達は徒歩での旅を十日続けて目的地へと到着する。カンポ地方の北寄りの中心に据えられた農耕の町、フェルティリダッドは今日も賑わっていた。

 「泊まる部屋ってあるかなぁ?」

 「契約者が来てるんだ。どうにかするに決まってるだろ」

 フェルトに着いてまず向かったのが召喚士育成機関フェルト支所。その道中にココがライさんを見てボソリと話し始めた。そう言えば、着いて話す事までしか考えてなかったかも。

 「野宿とかは無しにしてほしいな……やっぱり」

 フジタカもボサボサの毛皮で呟いた。私もゆっくり水浴びをして体を洗いたい。

 カラバサを出立した私達をすぐにビアヘロが襲ってきた。しかし、それはレブとフジタカの手ですぐに処理される。その後の私達の旅は穏やかそのもの。歩き続ける疲れはあったものの、ロカへ向かう時のような緊迫感はなかった。

 一つはレブのおかげ。敵なら現れてから対処すれば良い、と言ってくれたから皆が気を張り続ける事が無かった。そしてもう一つがココのおかげ。

 「大丈夫だって!ね、ねぇライ?」

 「あぁ。連絡も無しにとは言え、わざわざボルンタから契約者が来るんだ。なんとしても寝床ぐらいはもてなす」

 ココは確信が無かったみたいだけどライさんは断言する。そこに苦笑していたのはウーゴさんだった。

 「はは、決めるのは二人じゃないでしょうに……」

 細々した事で色々苦労しているんだろうな……。ライさんの寝坊癖やココの奔放さとか。

 「あぁ、ザナさん。例の案内だが、明日でも問題ないか?」

 案内、と言われて何か考えたけどすぐに思い出す。半月も経っていない事を忘れるなんて若者らしくない。……レブに悪いし。

 「構わぬ。店は逃げまい」

 本人もフェルトの果物屋へ案内してもらう約束はしっかりと覚えていた。逃げられそうにないが自分で蒔いた種だもの。

 「では、こちらへ」

 ライさんとウーゴさんと先頭に立って歩き出す。その間町の通りを見ていたが、食べ物はやはり多い。至る所から肉や野菜の焼ける匂いが漂ってきてどんどんお腹が空いてきた。

 「ニクス様、お加減はいかがですか?」

 「……特には」

 道中、ニクス様と話す時は何度もあった。寧ろ、今まで話せなかった分こちらからなるべく話し掛けていたと思う。

 応対は相変わらず間もあるけどどこか変わった様に思う。切っ掛けはやはり、カラバサからフェルトへ向かうと自ら言った時だ。

 今までできるからしていた事に加え、自分から別の人の為に何かしようとする。それはレブにとっても相当衝撃的だったらしい。それがたとえ、私達ではなく同じ契約者のココを想っての事だったとしても。

 「ライー、疲れたー。おんぶー」

 「お前は年端もいかない幼子か!」

 「いだいっ!」

 当のココは今もライさんに拳骨で打たれた様に、調子は変わらない。言っては悪いけど、やっぱり聞いただけでは命を狙われているとは思えないんだ。ニクス様との覚悟の差が如実に出ていて、私達はどうしてもそわそわしてしまう。

 特にフジタカはココが自分になついてくれている事もあって気に掛けていた。歳が近い同性で、更に獣人ともなればチコよりも親近感が湧くのは当然かも。

 「トロノの方が人は多いが……」

 「こっちの方が活気あるよね」

 横を歩くチコが何か言いたげに町の人達を見ていたので先に自分の感想を言う。チコも頷いて頭の後ろで手を組んだ。

 見ていてフェルトの人達は互いに声を掛け合っている。なんて言うんだろう、皆がトロノの郵便配達をしていたダリオさんの様に見えた。知り合いに会うと声を掛けて世間話が始まり、更にそこへ通り掛かった人が話に加わっていく。

 「余所者へ厳しいとかもないよ。逆に、下手に捕まると質問攻めにあうかもね」

 「じゃあ気を付けないと」

 ココはやっぱりこのフェルトをよく知っている。でも、言う通りそんな気がする。悪い事をしたらすぐに噂として広まりそうだけど、まずは歓迎してくれそう。こちらを気にした人達は皆がひそひそ話すのではなく笑顔を見せてくれたから。

 私達が案内された建物は町外れにあった。大きさは十分だけど古びて年季を感じさせる建物だった。

 「ようこそ!あれが召喚士育成機関、フェルト支所だよ!」

 ココの紹介でようやく私達は目的地に着いたと実感できた。気を抜ける状況ではないんだけど。

 荷物を降ろしたいところだったが私達の目的は一つ。大人数で行きたくはなかったが先にこのフェルト支所の所長への挨拶に向かった。

 会えば分かる、と言われて通された部屋に待機する事、数分。その男性はウーゴさんと共に現れた。

 「貴方達が……トロノの?」

 名乗らず細身で色の白い男性は聞いてきた。

 「所長、まずは挨拶からだ」

 ライさんが咳払いをして言うと男性は痩せこけた顔に貼り付いた口を引き攣らせる。

 「ひっ!あ、そ、そっか……。うん、そうだよね、うん……」

 所長、と呼ばれて反応した男性。まさかとは思ったけど……。

 「私がこのフェルトで所長をしております……テルセロです」

 「テルセロ・エスコバル。こんな見た目だが、優秀な召喚士でもある」

 ライさんの言葉添えがあったものの、私達は顔を見合わせた。無理はないと思う。

 年頃はブラス所長とほとんど変わらない印象だった。しかし農作業が栄えた町に住んでいるにしては異常な程に色が白く、今にも消え入りそう。言っては悪いけど今までに会った人々の中で上位に食い込むくらいの挙動不審。初対面の私達を相手に緊張するのは無理もないけど、限度がある。こんな見た目、と言われても何も言い返さないし。

 「優秀って……。ただやれる人がいないからなってしまっただけですよ」

 「卑下する必要は無い。もっと自信を持たないから笑われるんだ」

 ライさんは買ってるみたいだけど、召喚士としては優秀、なのかな。そう思って私はカルディナさんの服の裾を引っ張る。

 「どうかした?」

 「この前の爪、すぐ出せますか?」

 すぐに察してくれたのかカルディナさんは先日私達が倒したビアヘロの爪を取り出した。

 「テルセロ所長」

 「は、はいっ!」

 声を掛けるだけでこんなに声をひっくり返すと話し掛けた方が悪い気になってくる。それでもカルディナさんは話続けてくれた。

 「私はトロノ支所のカルディナ・サフラと申します。急に大勢で押し掛けて、この度は申し訳ありませんでした」

 「あ、ああ……いえ……。ライネリオから話は断片的に聞いております。契約者、そして我々召喚士育成機関に黒い影が落ちようとしているとか……」

 ライさんは短く頷いた。話を通してくれたのなら、後が楽だ。

 「はい。それで、私達はココ様……とフェルトへ向かう際にビアヘロと遭遇しました」

 「この地方でもビアヘロはたまに出ますからね……。よくぞご無事で」

 労ってくれるテルセロ所長にカルディナさんはレブが回収した爪を取り出して見せた。

 「その爪は遭遇した巨人のビアヘロから回収した爪です。……全身に幾つも目を生やした巨人のビアヘロに心当たりはありませんか?」

 カルディナさんからの質問にテルセロ所長は目の色を変える。

 「アルゴス……!?本当にアルゴスと戦ったのか!」

 初めて聞く名前だったけど私達は頷いた。

 「逃げたのか……!いや、あの目から逃げ切れるわけが……!そもそもこれは爪……!まさか正面から倒した!?」

 ぶつぶつ言い始めるテルセロ所長は滑舌もはっきり変わって声を掛けにくかった。

 「えーと……。とりあえず省くけど、倒したよ。跡形もなくトロノの人達が消してくれたから後処理の必要もないし」

 ココが言うとテルセロ所長の動きが止まる。

 「本当に……?どうやって……。あの孔雀の羽とも言われるビアヘロは……」

 「簡単な事だ」

 尚も話を続けようとするテルセロ所長をレブが止めた。

 「眼とは最も世界から情報を集める器官だ。それをあれだけ持っていたビアヘロは成程、巨体で視力も良いとなれば脅威だろうな」

 「そう!加えて巨人故に怪力で……」

 「だが」

 レブが正面からテルセロ所長を見据える。

 「情報を司る器官は精度が高いだけ敏感だ。抱え込むだけあれは単なる弱点に代わる。一対多なら力を発揮するだろう。だが戦ったのは私と犬ころだけだ」

 「そんな……こんな小さ……」

 レブを小さい、と言いかけてテルセロ所長が息を呑む。

 「まさか紫竜人……!?それに……」

 次にフジタカが見られる。

 「……それに……」

 テルセロ所長がフジタカを見てしばし固まる。

 「それに……」

 「ええと、俺は……まぁ、狼の獣人っす……。あ、フジタカです」

 無理に何か言われる前にフジタカは自分から名乗る。狼男、以外にどう表現すれば良いんだろう。

 「ただの獣人がアルゴスを……魔法、ですか?」

 「そんなところですね……」

 気まずそうに答えるフジタカにテルセロ所長も徐々に落ち着く。荒げた呼吸を整えてゆっくりと所長席へと腰を下ろした。

 「……取り乱して、申し訳ありません」

 「いえ、こちらこそ……。変な事を聞いてしまって」

 カルディナさんが謝ってくれるけどそれは本来私のせいだ。後で私からも二人には謝っておこう。

 「ライネリオの剣は鈍っておりませんでしたか……?」

 「……抜くまでもなかったさ」

 すっかり調子を落とした所長にライさんが答える。ココやフジタカとの戯れに木の棒を振り回す事はあっても剣は抜かなかった。ビアヘロはレブとフジタカで消したし。

 「そんな優秀なインヴィタドをお連れした召喚士と契約者がここまでご足労頂いた理由、お聞かせ願えますか……」

 なんとか話の本題へ持っていけた。そこからさきはカルディナさんを中心にして話が進められた。

 アルパの襲撃の話は聞いていた。それはビアヘロではなく、犯人がいるらしいと。犯人を誘い出すために私達がロカへ向かった話から始まる。ロカ手前で現れた二人の召喚士が呼び出した専属契約のゴーレムを苦戦しながら撃退。その後捉えた二人はフエンテ、という名を口にしてどこかへと突然消えてしまった……。

 「………」

 話を聞き終えてテルセロ所長は指を組んで黙ってしまう。

 「私達はこの話を直接所長へ伝え、一刻も早くフェルト支所の召喚士にも契約者の護衛を強化してもらいたい。だから今回ここへお邪魔しました」

 「……はい」

 呆然としているわけでもなく返事をして所長は立ち上がる。

 「フエンテという存在について、何か心当たりはありませんか」

 カルディナさんの質問にゆっくりと首を横に振って応じる。

 「私も初めて聞きました」

 そして、と所長は続けた。

 「その話をフェルト支所内に通達して良いものか、悩んでおります」

 「おい、所長……!」

 ライさんがテルセロ所長の机へと詰め寄った。

 「ココがどうなっても構わないと言うのか……!」

 「そうじゃありませんよ、ライネリオ」

 静かな返事にライさんもなんとか自分の昂りを押さえる。

 「……ココを狙う召喚士がフェルトの中にいるかもしれない。だとしたら、拡散してしまえば却って強硬策を取らせるかもしれない。例えば……」

 「村一つ焼くとか、な」

 テルセロ所長の言葉に乗っかったのはチコだった。それを聞いてフジタカが口を曲げて耳を折った。

 「トロノ支所の中からそのフエンテが現れた。……このフェルト支所の中で疑心暗鬼を生ず様な真似は最善とは思えません」

 何もかもがフエンテの仕業に思えてしまう。私達がアルゴスに遭遇して陥った状況を聞いていない筈のテルセロ所長は言い当てた。

 「だったらどうする!」

 ライさんが遂に怒鳴った。

 「私だってココは守りたいです。なのに手立てが無い。ですが、心当たりならあります」

 心当たり、と言ってテルセロ所長は羽ペンを取り出し紙に何か書きだした。

 「先代の所長。彼なら信用できるしフエンテの事も知っているかもしれません」

 ペンが走り終わり立ち上がると、所長はカルディナさんへ書いた紙を差し出した。

 「あ、え……あの、これを。地図と簡素ですが紹介状の様な物……です。これを見せれば力になってくれます」

 ……やっぱり人が苦手なのかな。それとも、女性が苦手?

 「トロノからわざわざ来てくださった皆さんにお願いするのは心苦しい、です。だけど……今、ココやそちらのニクス様をお守りできる戦力はライネリオしかいないもので……」

 レブが鼻を鳴らす。

 「決断を委ねて、従えるのか。立場を前任に託された身でありながら」

 「………」

 テルセロ所長の顔色が悪くなる。

 「すみません……!レブ、話を聞くのは私達にだって必要でしょ?」

 言いたい事は分かるよ。私だって紹介状より直接案内してほしいとか、テルセロ所長自身に決めてほしかった。

 「ふん。知っているかも怪しいがな」

 疑いだしたらキリがない。見込みのある先に飛び込むくらいしないと私達は後手に回るしかできなくなってしまう。レブもそれ以上何も言わないという事は、納得した訳ではないが一理あるくらいには思ってくれてるんだ。

 「私達がお会いしてもよろしい方なのですか?」

 「あっはい……!ライネリオはともかく……ウーゴは知っております、ので」

 見るとウーゴさんがコクン、と頷いた。

 「二人を同行させたいです。ココは……」

 「僕だけ置いてくなんてやだー!」

 「……今一人にはさせたくないからな」

 所長からの提案にココも加わる。ライさんもココを心配そうに見詰めて胸を押さえた。

 危険な場所はどこも変わらない。だったら少しでも腕の立つ護衛が身近に居た方が、まだ安全を確保できる。そう考えたライさんとウーゴさんはココも連れて行くと決めた。

 「場所……フェルトの外?」

 「そ、はい……そう、です。少しだけ人里離れています」

 カラバサの民家と民家の間の様なもの、と思って地図を私も見せてもらう。……明らかに町から離れていた。距離で言えばトロノからアルパぐらい。朝出ても到着する頃には昼だ。果物屋には行けそうにないな。

 「きき、今日はお休みください。部屋は用意、させますので」

 テルセロ所長がウーゴさんへ目線を送ると、察したのか先にウーゴさんは部屋を出た。……帰ってきて早々、押し付けられるのも大変だろうな……。

 「お言葉に甘えます。数日滞在する事になるかもしれませんが……」

 「構、いません……。……我々としては、たまにこういう事がある、くらいが丁度良いのです」

 妙な区切り方をする話し方に、聞いている方が身構える。丁度良いと言ってくれたけど普段は平和、って事かな。ビアヘロの出現頻度とかも聞きたいけど手間取りそう……。聞くならウーゴさんかライさんにしようかな。

 しばらく所長室で待たされてから私達は部屋へ案内された。空いていた部屋は五部屋。

フジタカとチコが同室を受け入れ、あとは皆個室で……。

 「カンポに来てから骨休めもできんな」

 ……うん。数が合わないよね。レブは何故か私の部屋にいる。無論、フェルトの召喚士であるウーゴさんやライさん、あとはココも食事を終えて自分の部屋でもう休んでいた。

 「トロノに居た頃が随分前みたい」

 それでもレブがここに居るのは変わらない。トーロとカルディナさんが部屋を分けられているのに、私達は同室って大丈夫なのかな。

 「それだけ目まぐるしく日々が過ぎている。充実している証拠とも言い換えられるが……。む、どうかしたか」

 「へ?う、ううん!」

 嫌とは思っていない。気付けばお互い、当たり前になっていたから。

 だけど最近、私の方が落ち着かない。レブといると気持ちが妙にそわそわしてしまう。

 「えっと、うん!魔法もちょっとずつ鍛錬してるし……」

 「今は休む話をしていただろう」

 レブが腰に手を当てて唸る。

 「あぁ……うん」

 「………」

 どうしよう、レブの目線が痛い。変に顔が熱くなってくる。

 「体調が悪いのなら、早めに休むべきだ」

 「ち……違うよ!」

 元気なのは変わらない、と思ってる。魔力の消費はそれなりにあっても体調はすこぶる良い。

 「ならば、どうしてそんなに顔が赤い」

 「うっ……!」

 顔が熱いと自覚はある。指摘されてもっと熱くなった。だとすれば益々赤くなってるかも。

 「レブは、私と同じ部屋じゃ休まらないんじゃないの」

 こちらの質問にレブが細めていた目を丸くした。

 「……貴様の寝顔を傍で見たいと思うのは変か」

 「変だよ!いつもしてたの!?」

 「そうではないが」

 何を言い出すんだ。……とりあえず、日常的に覗かれてるわけじゃないならまだ許せる。でももうレブの顔を見てこれ以上は話せない。

 「怒ったのか」

 「怒ってないよ。不愉快とかでもない」

 補足して言っておく。ただ単に、そんな事を言ってくれる相手が今までいなかったから対処が分からないの。

 「レブ、私と一緒の時はいつも床で寝てる。いくら竜人でも疲れが抜けないでしょ」

 「毛布なら借りていただろう」

 そうだけど。寝るなら地べたよりもベッドの方が良いと思う。

 「部屋にベッドは一つ。犬ころだって床に寝ていると聞いた」

 フジタカの場合は敷布団も借りているからね。それが自分の住んでた国の文化だって言ってた。

 「私に気を遣う必要は無い。ここに居られるだけで私からすれば好条件だ」

 雨風が凌げるからだよね、と言おうとした。

 「……分かった。おやすみ」

 でも言わなかった。たぶんレブはそれだけじゃなくて私と同じ部屋、に価値を見出している。知ってて私は黙ったんだ。灯りを消して私はベッドに横たわる。

 レブから返事は無い。毛布にくるまる音だけが部屋の片隅から聞こえた。

 目を覚ますとレブは当然起きており、毛布も綺麗に畳まれていた。少し肌寒くて早くに起きたつもりだったのに、レブは起きて何をしているんだろう。

 「自習をしていた」

 「この前教えた文字?」

 直接本人に聞くと返ってきた答えが自習、と言って渡された辞書だった。港で買ってそんなに時間は経ってないと思ったのに、何度も頁を捲られたと思われる皺があちこちにある。

 「中身はだいたい覚えてしまった。犬ころにでもくれてやれ」

 「こんなに厚いのに……?」

 いらないと言われたらそうするしかないか。まさか覚えるまで寝ないで勉強してたとか……。それって定着しないと思うけど、私とレブじゃ頭のできも違うだろうからな……。フジタカも使ってくれればいいんだけど。

 身支度を終えて私達は早速テルセロ所長が渡してくれた地図を頼りに歩き出していた。そこで、ライさんが以前と違う物を片手に持っている事に気付く。

 「その籠、どうしたんですか」

 「今日の弁当だ。先代への土産も兼ねている」

 言ってライさんは笑みを浮かべて籠の中に入っていたサンドを見せてくれた。冷めても美味しそうと言うか、彩りが鮮やかで見事だった。

 「ライって寝起き悪いのに料理はできる方なんだよ!」

 「寝起きの悪い俺の料理が食えんなら、抜いても良いんだぞココ」

 籠を閉じてライさんは歩幅を広げて前へ出る。

 「ごめん!ゴツい指から繰り出される繊細な手捌き、僕はヒョーカしてるから!」

 「気取るな!」

 「いだーい!」

 駆け足でココがライさんの持つ籠へ手を乗せ、その手をつねられる。今日も元気だなぁ。

 「……えっと…これが、肥沃って意味か」

 一方フジタカは歩きながらレブから渡された辞書を片手に言葉を訳している。やっぱり、自分の国の言葉で置き換えたいらしく、手帳に書かれた言葉の半分は私達が読めなかった。

 「余所見をしていると転ぶぞ、フジタカ」

 「でも、ただ歩いてても暇だろ?」

 周囲を警戒しているトーロがいる一方で、フジタカの姿はあまりに無防備だった。それを指摘したトーロに言い返しながらも辞書は閉じる。

 「語彙力を増やすには、あとはもう読書!なんだろうけど辞書じゃぁなぁ……」

 「だったらフジ兄ちゃん、僕が本を読んであげようか!」

 閉じた辞書は安物で、持ち運びにも便利な様に大きさも掌よりも少し大きい程度。携帯性を優先したせいで、掲載されている単語もどこか古臭い。もちろん私にとっても勉強になる単語はいっぱい載っているけど実用的ではないのかな。

 そこでココからの提案。何か教材とか持っているならありかも。

 「あのね、ライの使ってるベッドの下にすんごいのがあるの!女の人の胸とお尻……」

 「ココォ!」

 何かを言いかけたココを遮る様にライさんが叫んで引き返して来た。そのまま頬を指で挟み、勢い良く持ち上げる。

 「あがぁ!いふぁいよ、ふぁい!」

 痛いよライ、って言ったのかな……。ココがライさんの腕を叩いているけどその程度の抵抗ではうんともすんとも言わない。

 「いつ見付けた……!」

 「だいぶ前からあるじゃん!昨日も増えてたし!」

 「この……!」

 拳を振り上げただけでココは頭を庇う。

 「小遣いが欲しいと言うから、何を買っているかと思えば……」

 「ち、違うぞウーゴ!あくまで厳選し、最低限……あぁ!女性を前にそういう話は止めないか!」

 ウーゴさんが呆れて溜め息交じりに言うと慌ててライさんが弁明する。結果としてココへ背を向けたから、ウーゴさんなりにライさんからココを守ったのかも。

 「ライさんの秘蔵コレクション……か」

 「問題は胸か尻かだが……」

 「興味持ったんだ……」

 フジタカがとチコが手で顎を揉んで何か思案している。

 「まったく……」

 カルディナさんは眉間に皺を寄せて眼鏡の位置を直した。トーロとレブ、ニクス様はまったくの無反応。

 「……フジタカ君用で語学の練習に向いた図書は俺の方で用意する。……それでいいな」

 無理矢理まとめに入るライさんにフジタカが口先を尖らせた。

 「俺、お姉さんの本の方が……」

 「いいな?」

 「はい」

 威圧する様に牙を見せたけど、なんだかもう説得力が無い。こういうのを、見る目が変わるって言うんだろうな……。

 「レブは何か読みたい本とかないの?」

 「……ふむ」

 フジタカの学習のためではあるけど、レブだって文法と辞書だけでは楽しくないと思う。この世界に住む生き物の図鑑とか、文学とかも読めたら少しは……。

 「地図帳、だな」

 「地図ぅ……?」

 思わず拍子抜けしてしまう。そんなの……。

 「貴様も読んでいたのだろう?同じ物を読み、感想の共有を……したい」

 私が読んでいたから、か……。

 「じゃあトロノに戻ったら一緒に読もうか。召喚学の教材もあるし、知ってる部分とか教えてよ」

 「構わないぞ」

 レブの返事に頷く。私の見た世界に興味を持ってくれている相手に何ができるか。レブの見てきた物を私だって知りたい、他の誰よりも。

 「二人で何を話してるのー?」

 そこにフジタカに飽きたのか、ココが腰を曲げてこちらの顔を覗き込む。

 「レブも読書がしたいなぁ、って話だよ。ねぇ?」

 片目を細めてレブが怪訝そうに私を見る。嘘は言ってないよ。

 「レブ爺ちゃんもライの本に興味あるんだ?」

 「ジ!」

 「ジイ!?」

 私とレブが声を重ねる。レブをレブと呼ぶ人はいたけど、爺ちゃんと言ったのはココが初めてだ。

 「……私が関心を持つ女体は一人で十分だ」

 「なーんだ」

 レブを覆う気の様な物が揺らめいた様に思えた。それを一息置くと、ふっと消してレブはいつもの様に淡々と返す。ココも返答がつまらなかったのか手を頭の後ろで組んで足をぷらぷらさせた。……私は聞き捨てならなかったよ。

 「デブ、遂に爺さんにまでなったか……」

 「誰が老けた上にメタボリック・シンドロームだ」

 なに、今の長い単語。レブが興味を持つ女体の話もフジタカが加わってすっかり流されてしまった。

 「レブ爺ちゃんはさー」

 「祖父になった覚えはない。呼び方を替えろ」

 デブと呼ばれるのは替える様に言わないのに、そっちは気にするんだ……。

 「じゃあ何が良いのさ」

 ココも頬袋に空気を溜めて異を唱える。

 「レブで良い」

 「なら、僕もココって呼んでよ」

 面倒になったのだろう、レブが普通に呼び捨てで構わないと言ったらまさかの返し。……ふと思ったけど、レブって人の事を名前で呼ばないよね。フジタカは犬とかわんころ。トーロは牛だし、ニクス様は契約者……。だったらココは……。

 「契約者の小僧」

 「むきー!ココだよぉ!」

 だと思った。小僧はチコと被るけど、名前も似てるからなのかな。

 「せめてコレオとか……」

 「前を向いて歩け、契約者の……」

 「ココ!……って、うわぁぁぁ!」

 懸命に呼び方を正そうとしているけど、レブも呼ばないと決めたのか意地でも応えない。なんとか言わせようと食い気味に言うとココは足をもつれさせ、尻餅をついて転ぶ。

 「言わんこっちゃない!注意されてただろうが!」

 「ライ……」

 ココは見た目以上に幼い。成長すればライさんみたいになるのだろうか。あまり予想はできなかった。

 ココは諦めずに何度もレブに自分の名前を呼ぶ様に言っては断られていた。用も無いのに名前を呼んでどうする、と言っているレブの考えも分かる。だけど一度呼べば済みそうな事を頑なに拒む理由が分からない。

 そうして歩いている間に、森に入る手前に大きな民家が一つ見えてきた。地図は朝に見せてもらったきりだけどたぶんあそこだ。

 「やっとぉ?もう疲れた……。ねぇ、レブ?」

 「鍛え方が足りないのではないか、契……」

 「ココ!」

 親睦は深めたみたい。……成果はともかく。

 「サロモンさーん!」

 ウーゴさんが歩きながら声を張る。しかし返事はどこからも返ってこない。

 「いませんかー?サロモンさーん!」

 呼び掛けながら家に着いてしまう。太い木を切って組んで造られた立派な家だ。

 「入りましょうか」

 「ウーゴ……?いいのか?」

 「大丈夫。ほら」

 ライさんが止めるのも聞かずにウーゴさんは家の扉に手を掛ける。ほら、と言った次の瞬間にはもう開いていた。

 「あれ、鍵は……?」

 「また閉めないで出掛けたんでしょう」

 そんな不用心な話……。いや、他に誰か近所に住んでいる気配は無い。だから大丈夫とか、もしくはインヴィタドがいるとか……いや、返事が無い時点でいるわけないよね。

 ウーゴさんが家主の様に私達を中へと案内してくれる。机に雑に書かれた紙が何枚も敷かれていたり、床は乾いた土の塊が転がっていてざらざらしていた。なんというか、農家の男性一人暮らし、って言葉が似合う空間に見える。

 「あーあー、また散らかして……。適当に座って寛いでいましょう」

 言って真っ先にウーゴさんが座り、余っている椅子の一つをニクス様の方へ寄せる。私達もどうしたものか迷ったけど手近にあった椅子や棚にとりあえず腰を下ろした。

 「レブは座らないの?」

 「どこに座れと言うつもりだ」

 ……確かに、もうどこもかしこも散らかって、あとは土埃だらけの床しかない。私は椅子から半分自身をずらす。

 「ほら、半分使っていいよ」

 「……気遣いはいらぬ」

 尻尾も羽も大丈夫だと思うんだけどな。……また大きくなった?いや、太ったとか聞いたらフジタカにからかわれそうだから止めておこう。

 「……ここがフェルト支所先代の所長が住んでいる家、ですか」

 カルディナさんが控えめに灯りを点けていない家の中を見回す。窓から陽当たりはあるものの、室内は穏やかに暗い。夜になったら森の闇に呑まれそうだけど、どこかセルヴァを思い出す。セルヴァの皆は元気かな……。

 「召喚士は引退したんです。出身はカンポで、召喚士としてボルンタや各地を回ったらしく、所長に着任でフェルトに戻ったところ、農業に目覚めたらしく……」

 「一方的な引退で、テルセロ所長は半ば無理矢理に押し付けられたそうだ」

 言われれば、所長らしさが足りないというのも分かるかも。ライさんも昔の話は聞いてるんだ。

 「良くも悪くも、奔放な方でしたからね……。お?噂をすればなんとやら」

 苦笑していたウーゴさんが窓の外を見て口は開けた。足音が騒がしく外から聞こえて、扉が乱暴に開かれる。

 「うぁー……あ?なんだ、おめぇら……」

 鍬を持って現れたのは背の高いドワーフ……ではなく、人間だった。小麦色というよりは赤く焼けた肌に濃い腕毛と髭。耳が尖がっていたらセシリノさんと同類なんだろうなと思ってしまうくらいに男らしい見た目の老人だった。髪も髭も黒々としているけど貫禄がある。

 「き、急にお邪魔してすみません!」

 カルディナさんが立ち上がり、頭を下げる。続いて私とチコも立った。

 「勝手に入ってますよ、サロモンさん」

 横で立つ様子も無くウーゴさんが軽く手を上げる。サロモンと呼ばれた男性はすぐにその顔を向けてニヤリと笑う。

 「うん?あぁ、ウーゴじゃねえか。久し振りに来たと思ったらなんだ、大人数で押し掛けやがって」

 悪態を吐くが楽しそうに言って帽子を壁に掛ける。

 「なんだ、ワシの家に来たのにお茶の一つも淹れてねぇのか。気が利かねぇな」

 「急に来たのに妙な真似するのも悪いと思いましてね」

 皮肉、というかウーゴさんが冗談を言っている。少し話しているところを見ているだけでテルセロ所長とは性格が大きく異なるとは分かった。

 「あの!」

 「うぉ!?なんだ、このでっかいにゃんこ!」

 ……うん、ライさんをにゃんこなんて言う時点で大物だと思う。

 「俺はウーゴに召喚された……」

 「あぁ、思い出した。ライだかカイってやつだっけか。ワシはサロモン・マレス。他の人らもよろしくな」

 耳をほじりながらサロモンさんが名乗る。今度はライさんと私達の番だ。

 「ライネリオです。これ、お口に合うかは分からないですが……」

 「味見しろよ」

 差し出した籠をライさんから受け取ってサロモンさんが顔をしかめる。

 「あ、味見はしました。特に問題は……」

 「分かってるよ、言ってみただけ。助かるぜ、腹ぁ減ってたんだ!はっはぁ!」

 「は、はぁ……」

 不機嫌そうな顔をしたからライさんも気を遣ったけど冗談だったらしい。初対面の人にもどんどん話す人が多いよね、カンポ地方って。

 「で?最初に立ったのが……」

 「トロノから来た召喚士のカルディナと言います。お目にかかれて光栄です」

 「光栄て……ワシは何もしてないんだが」

 髭を撫でながらサロモンさんは苦笑する。

 「契約者と、召喚士の事で伺いたい事がありまして、今回は契約者も含め大勢でお邪魔しました」

 「ふーん。でも、食事してからにしようや。これ美味そうだし」

 「は、はい……」

 「お茶淹れますね」

 サロモンさんがウーゴさんの退いた椅子に腰掛け、ウーゴさんは湯を沸かし始める。その間に私達は自己紹介を済ませた。

 「若いのに竜人なんて呼んでどうすんだ?大陸一つ支配する気か」

 「望まれればそうしよう」

 しない。それに管理するの大変だと思うよ。レブはそういうのに興味無いだろうし。

 自己紹介を終えると恒例とも言えるレブへの周りの反応。大して驚いているわけでもないから、見たり召喚した経験があるのかな。

 「ちっこいが、どうしちまったんだ?力をどっかに封印してんのか」

 「私の力は私の中にある」

 「じゃあそもそも大した事がない……いや、そうは見えねぇな」

 サロモンさんがウーゴさんの淹れたお茶をすすってサンドを頬張る。目線は真っ直ぐレブを向いており、その目の奥で何を見て、考えているか分からない。ココもだけど、何も言ってないのに縮んでいるのが見抜かれている。

 「お、あれかいお嬢さん?コイツが程良く成長するのを待って婿にでもする算段か」

 「ふむ」

 望むなら構わんぞ、みたいな目でこっちを見ないでよレブ。地味に気にしてるのを知ってるから笑って聞き流す事もできないし。

 「そんな事より、本題に入ろうぜ。召喚士と契約者の危機なんだから」

 話を進めてくれたのはチコだった。自己紹介は皆で済ませたし、私としてもこの話題は後回しでも大丈夫。私とレブ、二人の話だもん。……そう言えば、チコはレブが私を気にしてるって話はまだ知らないみたい。フジタカも茶化すけど広めたりはしないでくれているらしい。

 「なんだそりゃ」

 危機という不穏な単語を耳にしてサロモンさんが髭を乱暴に梳いた。

 「契約者を狙う、育成機関所属ではない召喚士が現れました。心当たりはありませんか」

 「うぶっ……!?」

 カルディナさんからの一言に、頬張っていた野菜のサンドをサロモンさんが詰まらせる。

 「ぐっ……げはっ、げほ……!」

 「だ、大丈夫ですか……?」

 背中を叩くとやんわり大丈夫だ、と私の手を止めた。

 「はー、はー……!ありがとよ。……何かしたのか」

 「………」

 サロモンさんが目付きを鋭くしてニクス様、そしてココを睨む。ニクス様は黙っていた。

 「僕はまだ何も」

 ココが答えるとライさんが頭にそっと手を置いてあげていた。

 「私達は既に二度、襲撃を受けています。フエンテと名乗った彼らは召喚術を使える人間を増やされたくない様でした」

 補足するとサロモンさんはお茶を一気に飲み干した。ウーゴさんがおかわりを注いでいる間は静かになる。注ぎ終えてしばらく湯気を吸い込みながらふと、呟いた。

 「……だろうな」

 一口飲むと長い長い溜息を吐き出した。

 「ご存じなんですね?」

 「まぁな。成程ねぇ、テルセロじゃ知らんわな」

 短く笑ってサロモンさんは私達を見た。

 「昔からの召喚士連中と張り合ったのか、お前達で。だとしたらやるじゃねぇか」

 初めてフエンテを知っている人に会えた。それだけで私は肌が泡立つ。

 「襲ってきたのは若造だ。下っ端に過ぎまい」

 レブが言うと誰もが若造になりそう。でも間違っていない。レジェスとアマドルも若かった。

 「あの連中は才能の塊だ。とんでもねぇ事されたんじゃねぇのか」

 「それは……」

 顔を見合わせて大半が俯く。ピエドゥラでの召喚直後にアルパでの再召喚に専属契約。そしてこの前も専属契約でゴーレムの召喚を行った。確かに、若いと言っても能力は抜きん出ていたと今でも身に染みている。

 「黙ってちゃ分からねぇな。ワシに聞かせに来てくれたんだろ?だったら、話してくれよ」

 「……はい!」

 力強く返事をしてカルディナさんは頷く。それから今までを事細かに話した。ウーゴさん達はもう聞くのが三回目になるから補足やフェルト支点の見解も合わせてサロモンさんには聞いてもらえた。

 「フエンテ、か。群れる様になる数も揃っていたのか」

 話を終えてサロモンさんの第一声は、初対面の気さくさを感じさせない苦々しいものだ。

 「おっと、言わなくても分かるぞ。次はワシが話す番、だ」

 掌を見せて私達の開きかけた口を止める。

 「ワシも契約者を必要とせずに魔力線を開いて召喚士になった奴を数人、ビアヘロ退治で見た事がある。その頃はフエンテなんて名乗ってはいなかったがな」

 知っている情報は多くないみたい。でもニクス様よりも身近だっただけ進展はある。

 「一言で言うなら強力な召喚士。そうとしか思わなかったんだが、決してワシらみたいな召喚士と関わりたがらなかった」

 その召喚士達は人前で力を使わず、極力関らないという考え方を大半が共通で持っていた……?同じ思考をしてるって少し、契約者に似ている。

 「どうして……」

 「そこまでは分からんさ。だが、奴らは決して善人ではない」

 サロモンさんが言い切る。

 「力を独占したいのか」

 トーロの言った答えは私もあるのかな、と思った。レブが以前言った不都合で邪魔、という表現は自分達に都合良くありたいと言い換える事が出来る。

 「問題はビアヘロだ。召喚士がいなけりゃビアヘロに対抗できない」

 だからフエンテは自分達だけ生き残れる様に召喚術を押さえる……うん?

 「ビアヘロの規模が分からないです。もしも、仮に巨人のインヴィタドでも相手にできない様なビアヘロが現れたら……」

 その人達だけで対抗できるのかな。ニクス様やサロモンさんの口振りからして人数は多くなさそう。そんな強大なビアヘロが現れる可能性も高くはないだろうけど……。

 「既にとても強力なインヴィタドが控えているとしたらどうだ。例えるなら……“何でも消し去る力”を持つ魔法使いとかな」

 「………!」

 レブの意見にフジタカが胸を押さえた。

 「襲われた連中がいきなり消えたのもフエンテ側の何者かの仕業、って事か。だったらビアヘロ退治の商売だけで食っていけるだろうな」

 そして、召喚士が呼び出したインヴィタドが持っているのは力だけではない。異世界の鍛冶技術を始め、治癒魔法や作業機械の技術が耐えず渡って来る。一般人からすれば喉から手が出る程に欲しいし、持っている側からすれば安売りしたい物でもない。寧ろ、他に伝播できる連中なんて増やされたくないだろう。

 サロモンさんの考えは的を射ている様に思えた。答え合わせは本人達に聞くしかないけど。

 「………」

 どうあっても、もう一度あの二人には会わないといけない。それはきっと戦うという事だ。向こうの話を聞くにはまた叩き伏せる必要が出ると思う。……できるのかな。

 「身内だけで楽しもうって魂胆。それが契約者を邪見にする理由、かな。聞いた話と知ってる話を合わせたらよ」

 「そんなのってないよ!」

 サロモンさんが締めくくったところでココが声を上げる。

 「僕もニクスもできるからやってただけ!それを他の人も喜んでくれてた!なのに……」

 「そう、なのにだ」

 レブがココの言葉を引き取る。

 「……何故、今この時期だ。それが解せん」

 どうして今になって契約者を……ニクス様を攻撃してきた?そんなの……。

 「襲う用意ができたんだろ」

 「トロノ支所に潜入する機会を狙ってたとか」

 チコとフジタカが言っている事は分かりやすかった。今までは懐に飛び込む算段をしていて、機会が巡って来たから始まった……。

 「……それだけか」

 レブは納得できていない様で一人思案に沈む。

 「トロノ支所内が荒らされたって話はねぇのか?」

 「ありません。強いて言うなら、育成機関流の教育を少し受けてもらったくらい」

 古くから存在していた召喚士と、新しく台頭してきた私達が使う召喚術の差異を盗みに来たって事かも。

 聞いた情報を総合してサロモンさんは唸った。

 「……トロノから一番近いのはフェルトか。そんでもって、アンタらが襲われたのはカンポのロカ……。来るか、居るかだな」

 既に潜伏しているかもしれないという話はテルセロ所長も言っていた。……だけど。

 「サロモンさん、ここに一人で住むのは危険だと思います」

 「……ワシが?なんでまた」

 カルディナさんが躊躇いがちに答える。

 「フエンテの存在を知っているからです。今はまだ、通達が行き届いていないから知っている人物が少ない」

 「まして、直接対面した事もあるのならば尚更だ」

 付け加えたレブにココが何か言いかけて止める。私達も対面しているから分かる。……もしかしたら、私達と接触したから狙われるかもしれない。

 「おっかねぇ話だな……」

 「サロモンさんさえ良ければ、少しの間フェルトに戻りませんか?」

 「ワシがフェルトにぃ?」

 ウーゴさんの提案にサロモンさんは怪訝そうに眉をひそめる。

 「はい。それならココと一緒に警護できます。それに、サロモンさんがまた召喚術の教鞭を取ってくれれば若い者達もきっと……」

 「召喚術で教える事なんざねぇよ」

 強くサロモンさんが遮った。ウーゴさんも気圧されて身を引きかけた。

 「しかし……!」

 「くどい!……フェルトに連れてくってんなら、行ってやるが……それは無しにしてくれ」

 最初こそ怒鳴ったが、サロモンさんの声はどんどん細くなっていった。

 「フエンテもビアヘロも専属契約も……もうこりごりなんだよ。だから農作業してんだ」

 「………分かりました。すみません」

 ウーゴさんが間を置いて引き下がる。沈黙が室内にじんわりと重く圧し掛かった。

 最初は一方的な引退と聞いていたけど、本当にそうなのかな。……私達ではまだ聞いてはいけないような気がした。

 しばらく外で待たされると、荷造りを終えたサロモンさんが現れた。鞄一つで、思ったよりも身軽そうだった。

 「あの、それだけで……」

 「いいんだよ。さ、行こうぜ」

 鞄を担ぎ直すと中から微かにガタゴトと物音がした。中身が詰まっていて重量はあるらしい。厳選した物を持って来たんだろうけど、何を持ってきてるのかな。

 「トロノからわざわざ来てもらって悪かったな。だが、ワシから教えてやれる召喚術はないんでそのつもりでな」

 振り返ったサロモンさんに先程までの暗い表情はなかった。釘刺しされてしまったけど聞きたいことはあるよね。

 「なぁザナ」

 珍しく私の横にチコがやってきた。

 「どうしたの?やっぱりサロモンさんが気になる?」

 同じ事を考えていたのかなと思って言ってみたけど、チコは首を半端に傾ける。

 「いやぁ、それもなんだけどさ。ブラス所長の召喚って、お前見た事あるか?」

 「………無い、かな」

 うん……思い返してみても無い。サロモンさんの召喚がどういう物かも気になるのに、私達は身近に居た所長の方が余程知らなかった。

 「カルディナさんは見ましたか?」

 チコが話をトーロの肩の方をぼんやり見ていたカルディナさんへと振る。話は聞いてくれていたのか、こちらへ頷いて眼鏡をくい、と持ち上げた。

 「あるわ。一度だけですがね」

 カルディナさんはあるんだ。それでも一度だけ……。

 「その時のブラス所長は何を呼び出したんですか」

 「……門番、よ」

 種族を言わずにカルディナさんは言った。

 「それじゃ分かりませんよ」

 「ごめんなさい。でも……門番を番人と違う目的で呼び出して所長は暴走させたの」

 今まで聞いた事はあっても実例を目にした事が無い暴走という単語が再びでてきた。分からないと言っていたチコも一瞬息を呑む。

 「何かしたんですか……?」

 「遺跡に残された召喚陣があったの。風化してボロボロになっていたそれを解読し、再現したら陣の向こうにいたのは人の手に余る怪物。召喚されかかったインヴィタドを所長は自ら召喚陣を破って食い止めた」

 食い止めたから騒ぎにならなかったのかな。それか、セルヴァに情報が届いてなかっただけでトロノでは問題になっていたか。

 「それから所長は召喚陣の再現という功績を称えられた。だけど、当時はひと月昏睡状態だったのよ」

 召喚士を一か月寝たきりにするようなインヴィタド……。何を呼び出したらそんな事になるんだろう。レブも魔力の吸い取りでしばらく私の体が怠かったけど、その比ではない負担だった筈だ。

 「今度会ったら直接聞くか」

 「答えるかは貴方次第かな」

 チコがやる気を出してる姿にカルディナさんが微笑む。でも本人はあまり掘り下げられたくない気もする。今は全然召喚陣を駆使している印象もないし。

 「トロノの所長が起こした事件な。……んぐ……っ。ぷへ、確かそのインヴィタドがとてつもなくデカくて、遺跡もぶっ潰したんだったな。召喚士の世界じゃそれなりに広まった話なんだぞ、おじょーさん」

 フェルトでも知っているぐらいには有名なんだ。サロモンさんは口に突っ込んだ瓶を傾け、機嫌は良さそうだった。心なしか滑舌が怪しい。

 「へっへ、でも人間じゃどうやっても手懐けられねぇ相手もいるわな」

 ゲフ、とおくびを出してサロモンさんの顔がどんどん赤くなっていく。ウーゴさんは顔を歪めて鼻を押さえた。

 「サロモンさん、酒臭いですよ」

 「んだよ、もう無くなるから見てろ!」

 「あ、一気に飲んだら体に……!」

 ウーゴさんの注意も聞かずにサロモンさんは一気に瓶を傾け、喉を鳴らして飲み干してしまう。耳障りの良くないゴフゥゥ、という吐息の音と何とも言えない匂いが近くを歩いていた私達の鼻に入る。

 「ぷへぇぇぇ!うんまい!」

 「……む」

 「どうかした?」

 レブもサロモンさんを睨んでいたが、ふと表情を変える。すぐに私の服の裾を引っ張って一言。

 「あの男は何を飲んでいた」

 「何って……」

 緑色の瓶で中身は分からない。だけど匂いですぐに分かる。

 「ブドウ酒でしょ、ただの」

 言ってから、気付いてしまった。そうだ。サロモンさんが飲んでいたのは間違いなくお酒。大事なのはその原料がレブにとってどういう存在なのか、だ。

 「………!!……っ…!!!」

 「れ、レブ!?」

 レブが見た事が未だかつて無い程に吃驚している。サロモンさんの持つ空の瓶と私を交互に見て、その目と大きな口をあんぐりと開けて仰天の表情を浮かべた。

 私は、今までレブに伝えていない“存在”があった。意地悪をしてやろうという気持ちで黙っていたつもりはない。

 ある時にそう言えばブドウの楽しみ方には他にもあるよな、と思い出した。でも私はその話をするべきと感じなかった。

 私の十六という年齢なら飲酒は問題ない。だけど飲酒する習慣がなかった。本来は十六の誕生日に記念として家族からお酒を飲まされる習わしがある。でも私には家族がいなかったからそれすらも無い。何度か口にした事はあっても大人達の様に晩酌、なんて真似をしようという気は起きなかった。

 ……だから、私にとってブドウ酒という存在の優先順位はかなり下の方に眠っていた。レブにこんな表情をさせるような存在だとは夢にも思わなかった。

 「レブ……お酒、飲むの?」

 「………!……」

 声にならない叫びを上げてレブがカックン、と頷く。衝撃だったんだね、レブ……。今まで一度もお酒を飲みたいとか飲んでいる素振りを見せなかったけど、それは私が聞かなかったからだ。……ブドウから生まれるお酒なんて、酒を飲めてブドウが大好きな存在が見逃す理由は無い。万が一有るとすれば、ただ単に知らなかっただけ……。ブドウを知らなかったレブがブドウ酒という発想に自力で辿り着くには今回の様な偶然に助けてもらわないとなるまい。寧ろ今日までその偶然が発生せずに済んでいた方が私にとっても意外だった。

 「あのね、レブ……」

 「ざ、ザナ……!な、なんなん……!」

 レブが二人きりでもないのに私の名前を呼んだ!そこにすかさず飛び込んできたのはココだった。

 「僕はココ!」

 レブの見開かれた目がココを捉える。

 「く……コ……ッ……!ふんっ!」

 「惜しい……!」

 レブも勢いのままに言いそうになって堪えた。ココは指を鳴らして舌打ちをする。おかげでレブはぜいぜいと息を荒げながらも正気に戻る事ができた。

 「……見苦しい所を見せたな」

 「まったくな。デブでのん兵衛ってどうしようもないぞ」

 寝惚けたライさんと同じ。フジタカの冷ややかな目線もレブは今回ばかりは不本意そうに受け入れている。

 「ブドウ酒なんて家庭でも作る気になれば作れるのにね」

 「……!」

 カルディナさんの軽率な一言にレブが再び取り乱す。

 「ブドウ酒なら作ってあげるから……!」

 変な事を言い出す前に私が止める。軽率だったのは私も同じなのかも。

 「……いつだ」

 安請け合いなんてするものじゃない。……正直に言おう。

 「トロノに戻ってから、私の荷物とか器材とかの準備を開始。……そこから数か月はもらわないと」

 ブドウ酒に限らず、酒には発酵させ、熟成させる時間は必要だ。私だって作り方もあやふやな部分もあるし。

 「………」

 レブが腕を組んで黙りこくった。

 「なんかすまねぇな……残ってればやるんだが……」

 サロモンさんが瓶を逆さにすると中身が一滴だけ零れ落ちる。ぴちゃ、と乾いた地面に触れると赤黒い染みとなってじんわりと広がった。

 「……気にするな」

 その間は自分が気にしていた時間の象徴だよ。

 「……お店で買う?」

 多分フェルトに売ってるだろうし。私の提案にレブは少しだけ口を開けて、閉じる。

 「……貴様の手作りを待とう」

 そして再び口を開くとそう答えた。態度からしてお酒も好きそうなのに、私が作るまで飲まないつもり?それでいいのかな……。

 「分かった。じゃあ気長に待っててね?」

 頼まれたからには作ってみようかな。いつになるって保証はこのご時世じゃできないけど。

 「ソムリエドラゴンにでもなるつもりか、デブ」

 「意味は分からぬがそれも悪くないかもな」

 分かってないなら簡単に言わない方が良いんじゃないかな。

 「ソムリエってなに?」

 「ブドウ酒専門の給仕さん」

 ……どっちかと言うとティラドルさんかな、その役目は。

 「なんだか、私も飲みたくなってきちゃった」

 「カルディナさんもお酒飲むんですか?」

 「たまにはね」

 旅の途中ではこの中の誰も飲んでいる姿なんて見た事が無い。夜の町や港をうろついている人達なら泥酔してる姿も見たけど……。

 「ウーゴさんもライさんもイケる口ですよね?」

 「……まぁ、嗜むくらいには」

 「カンポに呼ばれたからには酒くらいは強くないとな」

 カルディナさんの見立て通りの返事が返って来て彼女はニヤリと笑った。

 「今夜くらいは飲みたいですね、せっかくこれだけ集まっているのですし」

 「程々にしておけよ、カルディナ」

 楽しそうなカルディナさんの横でトーロは苦笑する。酒癖が悪い人も中には混ざっているのかな。たまに気が大きくなって暴れ出す人とかもいるしね。

 「レブは混ざらなくていいの?」

 「酒を飲む機会は取り付けた。ならば時を待つだけだ」

 すっかり酔いが覚めた様にレブは元の調子に戻っていた。サロモンさんも加わって今夜の飲み会をどうするか打ち合わせしている彼らを冷静に見ている。あぁ、そうしている間にトーロも参加する事が決まった。

 「フジタカも飲むか?」

 「俺の住んでた国ではハタチまで飲酒禁止なんだよ。ハ・タ・チ」

 わざとレブに聞こえる様に言ったフジタカがこちらを見て笑う。レブも既に聞き耳はフジタカの年齢の話に移っていた。レブからしたら何万年前の話なんだろう。

 「ハタチぃ?気の遠い話だな……」

 「別にサイダーとか飲んでればいいんだけどな」

 レブが私の横で二人を見て笑う。

 「数年で気が遠い、か」

 「………」

 彼が何を考えているか知りたかった。彼がどういう感想を持ったのか聞きたかった。

 人間と獣人と竜人、それぞれが時の刻み方は異なっている。或る者は数年で尽き、また或る者は数百年へと上る。


 そんな遥か彼方の時間の中、彼は私が生きている前に現れた。多くの命が生まれて消える世界を通り過ぎて。きっとそれはこれからも、彼が望む望まない関係なく続いていく。

 レブは今、この時この瞬間をどう思っているのかな。

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