第二部 三章 -轟雷の嵐が過ぎ去って-
トロノに住む町の人にもフジタカの存在が知れ渡ったのだから、召喚士育成機関の中も当然、彼の噂で持ち切りだった。……ここでは主に下着姿の話で。
噂も段々と風化し、次の話題がダリオおじさんの姪が結婚間近とか囁かれて注目を浴び始めた頃、私達は久しく会っていなかった二人と再会した。
「おかえりなさい、カルディナさん!トーロ!」
大荷物を抱えてトロノ支所の玄関に現れたのは黒髪に眼鏡が映える女性。私が召喚士になった瞬間に立ち会ってくれた召喚士、カルディナさん。その横に居る大きな体躯の牛獣人は彼女のインヴィタド、トーロだ。
「ひと月半ぶりか、ザナ」
年齢は上……だと思うけど、トーロはつい呼び捨てにしてしまう。気にした様子はなくトーロも私を覚えていてくれた。
「うん!カルディナさんは……髪、伸びましたね?」
「編むか切るか、迷ってるの。それはザナさんも一緒じゃない?」
カルディナさんは長く伸びた髪を纏めて上で留めていた。編んだら綺麗だろうな、あの髪は。
「私は……もうしばらく伸ばしてみます」
「そう?」
自分の髪を触って確かめる。この町に来てから、少し身だしなみは気になり始めた。ティラドルさんみたいな服を着る機会なんて今後もあまり予定はないけど。
「ところで今回の任務、どうでしたか?」
髪の手入れの話よりも聞きたい事がある。今回、カルディナさんもトーロも護衛でずっと遠征していた。その結果がどうだったかだ。
「まずまずかな。召喚士として合格したのは二人」
「二人……」
トロノからずっと南西にある小さな村に行ったと聞いたけど、それでも新たな召喚士は二人だけ。狭い門とは思っていたけど、セルヴァで五人合格したのは多い方だったのかな。
「あと、今回は久し振りに私の描いた召喚陣を使いました」
「……どうでした?」
カルディナさんは私とチコのせいでしばらく召喚士選定試験監督の任から外された。そんな張本人が聞いていいのかな。
「大丈夫、二人とも召喚したのは鉱石だった。不合格者達も、特に暴走させてないし問題なかったと証明された」
「これで今後も、普段は試験の立ち合いが中心になるだろう」
「おめでとうございます!」
祝福の言葉を贈るけど、私達はカルディナさんの描いてくれた召喚陣を捨ててしまいました。……事情は分かっているだろうから、納得してくれると思うんだけど。
「ありがとう、ザナさん。これも貴方達の頑張りのおかげ」
「だってよ、レブ」
私の隣にいた筈のレブがいない。少し見回すと、受付用の椅子に立ち上がり、レブは窓の外を眺めている様だった。
「……レブ?」
「………」
私が声を掛けても無視。……違う、それだけ集中して何かを見ているんだ。あぁ、とカルディナさんは察して声を洩らす。
「見ているのは、契約者ね?」
「あぁ」
契約者、と単語を出すとレブは短く返事をした。振り向いて、椅子から降りるとようやく話に加わる。
「今は新しい召喚士を所長に紹介しているところでしょう?」
「そうだ」
心なしか、レブの声が低い。
「そろそろ私も二人を寮に案内したいんだけど」
「話であればひと段落している」
「本当に?……って、聞いてたの?」
カルディナさんは半信半疑だったが私は信じて外に出た。レブも続いて出てくる。
「やぁ、君達。……あ、もしかして待ってた?」
ブラス所長が煙草を消してこちらを見る。それだけでも少し煙臭かった。
「報告書はほとんど完成しています。今は……」
「あぁ、そうだよね。二人も長旅で疲れてるだろうし、うん。部屋を教えてあげてよ」
ブラス所長の隣で固まっていた細身の男性二人はカルディナさんが間に入ってくれて助かったみたい。少し肩の張りも抜けた。
「分かりました。では二人はこちらへ。……ザナさん、また」
「はい!」
私の横を通り抜けた二人。少し私よりは年上の印象だった。浅黒い肌は外仕事を中心に、よく陽射しを浴びていた証だと思う。
「少し話さないか、契約者」
「………」
言われ、レブを見下ろす長身の男。炎を思わせる程の強烈な紅に染まった羽毛に全身を覆われた鳥人、契約者ニクス様。会うのはタムズに会う前だからもう、かなり前に思えてしまう。
「もしかして、邪魔かな?」
「えっと……」
ブラス所長が私を見て笑う。私は二人の話を聞きたいけど……。
「……では、ここまでにしましょう。ニクス様、また」
「分かった」
私が言う前にブラス所長は引き下がった。ニクス様も承諾し、所長はトロノ支所の中へと入ってしまう。
「して、用件は?」
「なに、珍しい男がいたから声を掛けたくなっただけだ」
見た目は確かに珍しい。ビアヘロとしても人型は獣人が大半、次いで爬虫人、からの鳥人だ。私は今も鳥人はニクス様しか知らない。
「………」
鳥人の嘴にはやはり表情が現れない。その代わりに目が物を言うと思い、その目を見るが深い青の瞳からは少なくとも、親しみを感じない。
「あ、あの……!」
「うん?」
だから私から話し掛けた。レブに用事がないなら、私から。
「私、ニクス様から力を授けてもらえたから召喚士になれました。本当に、本当にありがとうございました」
「………」
ニクス様の表情は変わらない。だけど私は、セルヴァを出る時……ううん、召喚士になったあの日からずっとお礼を言いたかった。結局機会を逃して今日まで言えなかったけど。
「だから、私はここに居る事ができています。ニクス様が与えて下さった力で召喚した、レブも一緒です」
「契約者に与えられた力ではない。私を召喚したのは誰でもない、貴様の力だ」
レブが強く言った。少し声を大きくしたから私はレブを見たけど、本人はこちらを見ない。目線の先にいるのはニクス様だけだった。
そんなレブの目線を受け止め、少し首を動かすとニクス様と目が合う。一度頷くとニクス様は少し目を細めた。
「礼を言われるのはいつも、契約をした時。その大半が契約した本人ではなく、その親や身近な別人だった」
魔力線を開く契約の儀式を行うのはほとんどが幼い頃の話だ。だからニクス様が言っている事も分かる気がする。
「まさかこんな若い、召喚士になりたての娘から礼を言われる日が来るとは」
「そうなんですか?」
そもそも、契約者に会う事が少ないから、かな……。普通に生きていても五年に一度会うかどうかだし。
「自分の力にわざわざ礼を述べる事はあるまい?」
「……自分の、力」
今の私の力って何だろう。でも、少し違う。
「レブも私の力なら、私はレブにお礼を言いました。……これからも、言う事になると思います」
「………」
レブがやっとニクス様から目線を外して私を見てくれた。少し情けないししっかりしないといけないけど私の横にいてくれる。それだけでも感謝してもし切れない。
「……召喚士に恵まれたな、異界の武王」
「あぁ、私には勿体無い程だ」
「ふふ……」
表情を崩さなかったニクス様が、微かにだが声を出して笑った。レブも口を曲げるだけで笑みを表す。
「また話そう。……いや、話してみたい。お二人とな」
「構わん。機会は必ず設けよう」
言って、ニクス様はゆっくりと歩き出してトロノ支所の中へと入っていく。
「良かったの?」
「話す機会は作ると宣言したからな」
最初は喧嘩腰というか、噛み付くんじゃないかとハラハラしていた。でも、妙な距離感というか意外に険悪じゃなかった。
「……レブは契約者を知っているの?」
初めてレブに会った日を思い出す。契約者を見て、最初は楽しそうに笑ったんだった。当然、ニクス様と面識があったわけじゃないと思う。
「そもそも契約者は、世界毎に存在する」
「……うん」
それは何となく想像できていた。私の推測はせいぜい、契約者の世界があって、そこからやって来てるくらい。見た目からしてこの世界の住人ではないしね。
「契約者はその訪れた世界毎に役割を変える。時に火を操れるように、時には何もない空間から水を生めるようにし、また時に人へ異世界から異形を召喚する力を与える」
「え……」
レブのいた世界にも契約者はいた。だけどレブの世界の契約者とここの契約者にできる契約は違う。じゃあ、他の世界の人は召喚魔法を使えない……?
「契約者の厄介な事を教えよう。奴らはな、目的を持って動いているわけではない。使命感や大義名分もない」
「……じゃあ、なんで?」
レブが鼻を鳴らして笑う。
「できるからだ。ただ自分にできるから、やっているに過ぎない。できた結果について考えるのは二の次以下だ」
「そんな……」
「そう。やってみただけ、という考えのやつに礼を言う筋合いなんて無い」
私が今まで抱いていた理想を現実にする力。それを与えてくれた相手は、私達に何を託すでもなく、力を配っていた……だけ?
「契約者の力とは、才能有る者への魔力線の解放だ。私の居た世界にも契約者は遠い昔に現れた。だが、竜たる我々が契約者を頼る事など無い」
契約者の必要ない世界。……フジタカの世界にも魔法なんてない。でも、魔法という言葉を知っていた。もしかしたら彼の世界にも魔法なんていらないのかな。
「魔法は誰でも使えたから?」
「そうだ。だから淘汰された。そんな存在がこの世界では魔法使いと共に行動し、奉られているのだからな。最初は冗談と思った」
冗談……。ニクス様の表情を思い出しても、何を信じれば良いのだろう。
「……付け加えるが」
レブの語りに言葉を失うと、彼は咳払いをして私を見上げた。しまった、考え込むのは悪い癖と言われたばかりなのに。
「召喚術はこの境界が壊れた世界には必要な力だ」
「……うん」
「私の世界で契約者は追い出されてしまったが、この世界では受け入れられている。……それで良いのだろう。よく知る機会でもあるからな」
レブは目を逸らして、町の通りへ顔を向けた。……否定や拒否をする気はない、って事かな。
「レブ、もしかして励ましてくれた?」
「ぶ……!?」
解釈を少し都合良くして聞いてみる。するとレブは吹き出し、私へ完全に背中を向けてしまう。
「誰に感謝し、協働するのも貴様の勝手だが……。それが周りでも当たり前と思うなよ」
……契約者が目的意識を持って活動している。その目的とは何かなんて考えた事もなかった。そういう職業、と言っても本質は別にあるのが常だ。
例えば料理人も、料理を作って収入を得るために働く。だが、どうしてその職業を選んだか。作った料理を人に食べてもらいたいから、美味しいという一言が聞きたいから、なんて人によって違ってもきっと理由が何かある。
私には契約者が遠く、召喚術を広める偉大な存在としか思っていなかった。考え込むなと言われても、考えは足りていない。そんな私ができる事は、口に出す事だ。
「信用する相手は選べ、って事だ?」
「……。そう言う事だな」
レブの首だけが少し振り向いて答える。表情はよく見えないが、そのままレブは通りへ向かって歩き出す。
「あれ、出掛けちゃうの?」
「外出予定はあるまい。何かあれば召喚陣へ念じるでもして呼び出せ」
一人になりたい、のかな。もしかして変な解釈したから機嫌を悪くしたとか。
「……お小遣い、要る?」
「……要る」
ブドウを買えるだけの硬貨を財布から取り出して握らせるとレブは歩いて行ってしまう。普段なら、貴様も来るか?とか一言くらいありそうなのに。
「どうしよう……」
予期せず、一人になってしまった。一緒に居ても雑談しかしてないのに、急に風を冷たく感じてトロノ支所の中へ入る。
用事は無いけど、二人で過ごせば時間は潰れた。全てが有意義かと言えば、ブドウの食べ過ぎに注意したりとか掃除の雑さに叱られたりとか取り留めもない時も多い。今日は来週以降の予定の組み立てをしようと思っていた。それもレブ抜きで決めたらちょっと怒りそう。
……取り決めは戻ってきてからにするとしてそれまでをどう過ごそう。チコとフジタカは訓練場で実戦訓練中。エマ達も召喚学の講義の途中だし。
「あ」
したい事、見付かったかも。もし駄目でも、その時は部屋で自習にしよう。
私は寮の部屋に向かいそうになっていた足を引き返す。向かった先はある小さな研究室。
「失礼します」
扉を三度、叩いて開くと鍵は開いていた。施錠されていないなら、誰かはいる筈だ。
入った部屋は少し日当たりが悪くかび臭い。けど、本棚に敷き詰められた本の匂いと相まってそこまで気にはならない。開けられた窓から入る風に流されて微かに香る程度、逆に居心地は良いと思う。
「お嬢様……!どうされたのですか!」
出迎えてくれたのはティラドルさんだった。他に人影は見当たらない。
「こんにちは、ティラドルさん。……ソニアさんはいないの?」
私が聞くとティラドルさんは手に持っていた本を閉じて机に置くと頷いた。
「はい。先刻、カルディナとトーロが戻ったと聞き付けて会いに行きました。ついさっきまでいたのですが……」
そう言えば、初めて私がここへ来た日もソニアさんはカルディナさんと会っている。出迎えるのが習慣になっているのかな。
「何かご用件でも?急ぎでなければ言伝し、戻り次第お嬢様の部屋へ向かわせますが」
急ぎならすぐに捕まえてきます、と言うティラドルさんに笑って違うと答えた。
「ううん、用事があるのはティラドルさんにだったんだ」
予想していなかったのかティラドルさんは私の一言に目を丸くした。
「私に、ですか……」
「他の人みたいに我に何の用だ、って感じでも良いんだよ?」
「滅相も無い!そんな無礼を働いた事がアラサーテ様の耳に入ろうものなら……あぁ、恐ろしい!」
どうだろう、フジタカもチコも私が何かすればバカとかドジと言う事もある。だけどレブはそれで憤慨して人に襲い掛かったりした事は今のところない。自分がデブなんて言われてもたまに訂正するくらいだし。
「そんなに怖がらなくても……」
「お嬢様には良いかもしれませんが、我にアラサーテ様の慈悲を賜る事は叶いません……」
……そんな気がしてきた、少しだけ。無言で一発殴りそう。手が滑ったとか言って。
「……分かった。けど、話を聞いてもいいかな?時間があればだけど……」
「勿論です。さあ、どうぞおかけください!」
初めて会った時と別人ではないかと思うくらいに朗らかな笑みでティラドルさんは椅子を勧めてくれる。お言葉に甘えて腰かけると、相手も正面に椅子を運んで座った。
「それで、ご用件とは?」
「レブの事、なんだ」
わざわざ指名したんだから、分かり切っていると思う。だからそのまま続けた。
「私、思ったんだけどレブの事あんまり知らないなって思って。ティラドルさんなら付き合いが長いから……」
「つ、付き合いだなんて……あ、あはは、ははは……」
ティラドルさんもレブの事になると少し変だから迷ったけど、他に相手もいないし。
「あの、レブについて知っている事をできるだけ教えてくれませんか?」
「……承知しました。我が知っている限りで良ければ」
十分。私が頷くとティラドルさんが指を組む。
「しかし、どこから話したものか……。アラサーテ様の幼い頃を知る者は誰もいないでしょうし」
レブは年齢を二万九千とか言っていたけど、ティラドルさんはそのうちどれくらい一緒にいたのかな。
「アラサーテ様本人からは聞いておられないのですか?」
「う……うん」
そこが気になるのは自然だと思うけど、痛いところを突かれた。
「……教えてくれないんだ、レブ」
聞いていないわけがない。私が無理に召喚したんだもん。
「貴様が知ってどうするとか、答える必要はないとか……。もちろん、レブの主観で話して良いと思ったらしい事は聞けたんだけど」
「あぁ……」
察してくれたのかティラドルさんの視線が生温く感じる。同調してくれてるのかな。
「なんていうのかな、レブって背中で語る気質だし……」
「加えて口が悪くてシャイですからね。お嬢様には言葉を選んでいるでしょうが……」
……あれで?と、言いかけて止める。最近は乱暴で怖い事は減ってきたと思うけど、シャイとか恥ずかしがりやなんて言ったら後の反論の迫力が増しそう。
「お嬢様が特に聞きたい部分はございますか?」
「特に……」
順を追って、と思ったけど私はレブの何を知りたいんだろう。何を知らないか知らない。分かってあげたいところがどこか分からない。
「じゃあ、えっと……。前にティラドルさんが言ってた部族の争い、ってところ。聞いていいですか?」
手あたり次第、と言うと自分でも効率が悪いかもしれない。まずは自分の知っているところから取っ掛かりを増やしていこう。
「最もアラサーテ様が輝いていた頃のお話でございますね?喜んで!あぁ、いえ、今もとてもとても輝いていますよ?」
ティラドルさんの息が荒い。……主観に偏りそうだけど、これでレブを知る事ができる。
「我ら竜人は鱗の色でおおよその住み分けをしておりました。各色の国同士に交流は当然あり、緑竜の国に青竜がいることも珍しいわけではありませんでした。当然、色で立場に優越もありません」
竜人の住む世界。それがレブの住んでいた場所。
「ですが実際は相性があった。性格の気質が違うと言い換えても良いですがある時、我が同胞たちはそれぞれが最も優れていると主張しました。緑竜、赤竜、青竜、黄竜の四元竜達の争いはちょっとした口論から戦争にまで発展してしまったのです」
「相性……って、得意不得意だよね」
説明してもらうまでもない。赤竜と青竜、緑竜と黄竜は相性が悪い。赤竜と黄竜、青竜と緑竜は相性が良い。理由は魔法の得意分野が違うからだ。証拠にティラドルさんは炎を吐けても魔法で操る事はない。実際に四元竜を揃えないと比較はできないんだけど。性格の傾向も色で変わる、という話は知らなかった。レブは気にしないんだろうな。
「表立って言わずとも、皆が少なからず思っていたのでしょう。自分達こそが、と」
「……そうだったんですね」
聡明な竜人ですら口論で争ってしまう。知性があればある程に争う理由が複雑化するけど、元を辿ればちょっとの悪意が伝染するのは変わらない。
「竜人の戦争って事は……凄かったんですか?その、魔法のぶつかり合いとか」
「凄惨熾烈、という言葉が適切でしょうね。築いた文明を滅ぼしかねない勢いの魔法が世界中、常に発動し国々を焼きました」
簡単に言うけど竜同士の争いは一体一でも想像できない。本気の竜なら一匹で国を破壊させられると言われているのに、四元竜のほとんどが戦争をしていたなんて。
「緑竜達は四元の中でも性格は穏やかな方でした。そのため緑竜の国は攻め入られ、長い争いでしたが四元部族の中でも一番に継戦が困難になりました」
ティラドルさんの組んでいた指に力が加わる。
「我も参加しましたが、当時は若かった。度重なり終わりの無い戦に疲弊し、遂には魔力も尽きかけました。赤竜の戦士と一騎打ちになった時、我は死を覚悟しました」
レブは自分を殺せる存在はそうそういないと言っていた。同じ様に、竜を殺せる存在なんて普通は同じ竜ぐらいだと思う。
「手練れの戦士に押し切られると思ったその時です。我と相対していた赤竜が殴り飛ばされました。……殴り飛ばしたのはもちろん同じ竜。それも、四元ではない色の」
いよいよだ。
「我の窮地を救ってくれた雷電の守護者。その御方こそ、紫竜アラサーテ・レブ・マフシュゴイ様です」
「……レブが」
レブが話の中に現れた。私も一層気を引き締める。
「アラサーテ様は瞬く間に通り道を阻む竜を排除しました」
「どうして?」
辛い過去の話だと思うのに、ティラドルさんの表情は柔らかくなっていた。
「竜の争いで、世界は変わってしまいました。気候も、体系すらも脅かしてこのままでは存続すら危うかった。きっと、そんな世界を憂えたのでしょう」
レブが世界を心配して……。
「あとは、お嬢様にお話しした通りです。各部族の豪傑を調べ、手近な者から順にアラサーテ様の制裁を受けました」
ティラドルさんの語りに熱が入る。
「四元竜の争いにまさか紫竜であるアラサーテ様が介入してくるとは最初こそ、疑いの声も出ました。しかし事実は実績を伴い伝播し、誰もが震撼しました。世界は争いに対しての絶対的な抑止力としてアラサーテ様を遣わせたのだと。降臨したアラサーテ様は嵐の如く力を振るい、遂には争う無意味さをその体一つで我々へ説く事に成功した。言わば生きる神ですね」
レブは武神と呼ばれる事に抵抗を示した。それに、タムズとの戦いの決着の時に教えてくれた。私は災害の様に畏怖されていたって。ティラドルさんの言葉と食い違いはない。
だけど、少し引っ掛かる部分もあった。
「知らない事ばかりでした……」
「異世界の歴史の勉強。召喚試験士達はたまにやっている様です」
ビアヘロに詳しいソニアさんなら、異世界の生態だけでなく歴史にも詳しい、か。歴史を語る学がある相手にのみ聞ける話なんだろうけど面白そう。
「話を戻しましょう。戦乱終結後のアラサーテ様の話です」
「はい」
ここからは私も聞いた事のない部分だ。
「復興の傍ら、我は捜索の旅に出ました。再び、アラサーテ様にお会いしたい。ただその一心で」
知ってか知らずか、命を救ってくれた相手だ。会いたいと思うのはよく分かる。
「青竜の国と緑竜の国の中間にある大河。その上流にある滝でアラサーテ様と再会する事になりました。滝を浴びて身を清めていたアラサーテ様は……美しかった」
私は陽の光を浴びたレブの本来の姿は見た事がなかった。そもそも、まだ二回しか見ていない。
「あまりの神々しさに鼻血を垂らしていた我を見て、アラサーテ様は鼻で微笑みかけてくれました。その時に誓いました。もうこの御方に着いてゆこう、と」
「そうなんだ……」
当たり前の様にさらりと流したけど、この人も常識的に見えてかなり変わってる部分があると思う。それとも、恩人を見ていると貴重な竜の血の垂れ流しも気にならないのかな。……私はたぶんだけど、レブはティラドルさんを見て鼻で笑っただけだと思う。
「話を聞くと、戦乱が終わりする事がなくなった、と仰っていました。平和を取り戻したは良いものの、使命感に燃えていた自分の行き場に悩んでおられたのでしょう。アラサーテ様は根っからの戦士でしたからね」
「……レブには、そんな世界がどう映って見えたのかな」
嵐の過ぎた世界はきっと壊れていて、元に戻るまで時間も掛かる。遠目に見ていた世界の争いを止めてから、レブはどうしたのだろう。
「私はそんなアラサーテ様に提案をしました。共に世界を見て回りませぬか、と」
「一度回ったんですよね……?」
ええ、とティラドルさんは頷いた。
「ですが、世界の景色は変わりました。変えたのは私達であり、アラサーテ様の力でもあった。だからこそ、争いの前、最中、その後を知る者として世界をどうすべきか……実際に歩いて見極めませぬか、と提案したのです」
目の前でレブの力を見たからこその言葉だったんだろうな。
「する事も無いから、と快諾してくださったアラサーテ様と世界を見て回りました。長い長い年月をかけて……」
一口に旅をした、と言ってもレブの知識量からして何周もしたんじゃないのかな。……する事も無いから、って言い方がレブらしくて少し笑ってしまった。快諾、で本当にいいんだよね。
「世界は良い方向へ向かっていると判断し始めた頃です。……我はアラサーテ様に少しずつ避けられる様になってきました」
「え……?」
……今のレブとティラドルさんみたいな関係になった、って事?今は避けるどころか迎撃とか、先手を取って叩き潰そうかなんて勢いだけど。
「理由は分かっています。……我がアラサーテ様に、世継ぎの話をしたからです」
レブの……ひいてはフジタカの言葉を借りると、本人からすればウザい、ってやつかな……。
「アラサーテ様ももういい御歳です。結婚適齢期は少し過ぎておりますが……」
ちょっと耳に痛い話だな……。話の中心は私じゃなくてレブ、って分かっているのに。
「世の平和へ貢献する為に尽力されたアラサーテ様はもっと自分の幸せを考えても良い。そのための世継ぎ。……そうは思いませんか?結果的に、あの御方からは距離を置かれる様になってしまいましたが……」
「そ、それは……」
本当に、レブが世を憂いて平和にしたいって思っていたらね。仮に、以前聞いた話が今も生きているとしたら。肯定すべきか、否定すべきか返答に少し迷った。
「ふん。下らんな」
沈黙しそうになったところへ、別の声が響いた。聞き覚えのある声にティラドルさんは肩を跳ねさせる。
研究室の扉を開けて入って来た声の主、レブは目付きを鋭くしていた。不機嫌なのは明白だったが、扉は静かに閉めるとゆっくりこちらへやって来る。
「あ、アラサーテ様……!何故、こちらへ……?」
「自分の召喚士の居場所に、呼び出されたインヴィタドである私が現れる。そこに理由は必要か」
「いえ!滅相もございません!」
ティラドルさんは立ち上がると、椅子をレブへ譲る。……近寄って来るレブから身を引いた様にも見えた。
「まったく」
着席したところで、私はレブの顔を見る。ティラドルさんが質問した内容はそれとして、私だって気になった。
「出掛けたんじゃなかったの?」
「ブドウを買って食べて戻った。そこで部屋を見たら貴様がいなかったから探したまでだ」
召喚陣の魔力を辿ってまで、私を探したんだ。口には出さずに私は納得した。
「貴様はここで何を聞いていた。途中から聞こえてきた内容から察するに、ティラの描いた空想話か」
「く、空想……?あれが?」
レブの発言にティラドルさんの方を見る。窓の横に立って、今にも羽ばたいて逃げそうだったが首を横に振る。
「わ、我はアラサーテ様の武勲をお嬢様にお聞かせしていたのです!空想話など……」
ふむ、なんて言ってレブが顎を撫でて値踏みする様にティラドルさんを横目で見る。
「聞こえてきたのは私があの世界の平和に貢献した、だったか?それで世継ぎの話をしたら私がティラを避けた、と」
「はい!」
「間抜けめ」
単語一つで押し黙らせる。椅子の上で立ち上がってもレブはティラドルさんと目線の高さが合わない。
「私はただ、争っている連中が気に食わないから叩き潰しただけだ」
「そ、そんな……!」
………。
「で、では、赤竜に殺されかかった我を救ってくださったのは……」
「そんな事があったのか?」
やっぱり、と私の心の中から聞こえてきた。
「もしかしてレブの通り道を邪魔してたのがその赤竜だった、とか……」
倒れていたティラドルさんは視界に入ってもいなかったとか。
「そうだな、その話の方が有り得る」
「レブが言っちゃダメだよ、それ」
私が指摘するのも遅かった。ティラドルさんの手からはすっかり力が入っていない。熱の入った語りに加わっていた手振りどころか、放って置くとそのまま肩からも抜け落ちそうな勢いで脱力してしまっている。
平和を願って戦うという話も、思い返せば妙だ。レブは悪い人ではないけど、世界平和に尽力する程の利他的でもない。戦うとすれば世界中ではなく、自分か自分と親しい間柄を守る為だ。それが結果として世界を救っていた。……うん、この方が違和感はない。
溜め息を洩らしたレブだったが、少し間を置いてあぁ、と口を再び開く。
「一つだけ合っていた事があるぞ、ティラ」
「そ、それは?」
「私がお前を避けた理由は、確かに世継ぎの話をするお前が鬱陶しかったからだ」
今度こそ、ティラドルさんの心が折れた様に見えた。大口を開けて呆然とする大人の竜人なんて見た事がない。
「事ある毎に私に子どもがいると、嫁がいるとこんなに楽しいなどと説きおって。独身なのはお前も変わるまい」
「そ、それは……」
「私が嫌いなのはな、机上の空論を得意げに語るやつだ。実体験を伴わない話に説得力を感じない」
ふと、ペルーダと戦った後にレブに叱られた事を思い出す。あの時、召喚士は正義のみを執行すると思っていた私に視野を広げろ、って言ってくれた。
「悔しければ自分で恋人に出会ってから言うのだな。でなければ私の心を動かす事などできんぞ」
「うぅ……」
ずーっとレブの傍にいたんじゃ向こうの世界で出会いは……無かったよね、きっと。
「そして私はティラから以前聞いていた異界の門に向かった。……すると、私はオリソンティ・エラに来ていた」
端折られているとは思うけど、それがティラドルさんとの出会いから、私の召喚までのレブ。
「そのまま話を聞いていると、どうでもいいティラのアラサーテ捜索旅行記の話を聞かされるぞ。……いや、ティラ創作旅行記、の方が正しいかもしれんがな」
「言い過ぎだよ、レブ……!」
言葉遊びをするなんて珍しいけど、今のは流石に……。
「アラサーテ様、今のネタは頂いても?」
「構わん」
「おい」
って、思わず声が出ちゃった。意に介してないし。
「……お嬢様。我からお伝えできる部分はここまでです。あとは……」
「はい。ありがとうございました」
知りたかった事は全部じゃないけどいっぱい聞けたと思う。彼の住む世界で、何をして生きていたのか。予想通りだった部分もあるし、人の目には別の景色が映っていたんだなぁ。
「……ティラ」
早く帰りたそうにしていたレブは扉に向かって歩き出していたが、唐突に足を止める。
「はっ」
「確かにお前はかなりウザい」
「ぐっ……」
ウザい、って表現気に入ったんだね。あまり良くない傾向だと思うけど。
「だが、言った通りだったと思う部分も少なからず有る」
「は……?」
どこ、かな。結果的に平和の為に尽力したのは事実、ってことかな。
「……戻るぞ」
「待ってよ。じゃ、ティラドルさんもまた」
レブの言った意味をティラドルさんも少し分かっていない様だったが、レブは言いたい事だけ言って研究室を出た。私も続いて出ると、真っ直ぐに部屋へと戻ってしまう。
「……あのさ、怒ってる?」
「いや」
レブは椅子、私はベッドに腰掛け向かい合う。レブの私を見る目に表情は無い。本当に気にしているわけではないようだった。
「レブの話、聞いたよ。前よりちょっとだけ詳しく」
「そうか」
レブの尻尾が少しだけ揺れた。
「……聞いても良いか」
「どうぞ」
「何を聞いたかまでは知らない。だが……」
レブは少し溜めてから口を開く。
「貴様は私が、怖いか?」
レブが自分の胸に手を当てて私を見上げる。
「………」
どんな質問をされるだろうと思った。だけどあまりに予想外、というか突拍子もなくて目を丸くしてしまった。
「お、おい……聞いているのか!」
「あ、うん……。うん……」
そうだ、答えないと。考えるのは後で。
「怖くはないよ。頼りにしているし」
「……そうか」
パタパタ揺れていたレブの尻尾が椅子の脚を撫でる様にして落ち着いた。
「貴様がティラに余計な事を吹き込まれて……私を恐れるようになったら、と思ってな」
……恐れる、か。確かに今日聞いた限りでもレブの力は恐るべき力なのかもしれない。
「レブ、私からも良い?」
「あぁ」
レブの承諾に、私も少し勇気を持って。
「ティラドルさんは……私が憎くないのかな」
「何故、ティラが貴様を憎む必要がある」
私の目の前にいる彼はアラサーテ・レブ・マフシュゴイという紫竜。その事実を再認識する事になったからだ。
「私、レブをそんな体にしちゃった。元の世界では凄くて、見た目だって……」
「……ティラに何か言われたか」
私はすぐに首を横に振った。
「違う。だけどレブは……」
「重要なのは、本人の気持ちだ。私が気にしていないのなら、アイツが怒る理由には成り得ぬ」
最初に会った時のティラドルさんは正に、私を殺す気でいた。それがどうして今では優しくレブの話をしてくれるまでになっているかと言うと、本人が止めてくれているからだ。
「レブ……」
「謝る必要はない。貴様は貴様の速度で歩けば良いのだ」
レブの優しさが少し、辛い。焦っても仕方がないと分かっているから余計に。
「……それに、だ」
「え?」
レブが窓の外を見やる。
「多少貴様へ思う部分があっても問題ない。私がアイツの掌の上にいてやっている今の段階では、な」
「……それって、どういう事?」
私はベッドから身を乗り出して聞いてみる。
「………ふん」
レブは一度、鼻を鳴らして私を横目で見たきり窓へ視線を戻してしまう。この前のフジタカとの一件と同じ様に、答えてはくれなかった。
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