第二部 二章 ーカルソンシージョス・イ・クチージョ-

 フジタカの悩み相談から一夜明けた。結局デートが何かは聞けないまま翌朝を迎えて私達は訓練場に来ていた。既にチコとフジタカも自主練習に取り掛かっていた。

 そこに、普段はこの場では見慣れない紳士が一人。

 「おぉ、おはよう」

 「ブラス所長!おはようございます!」

 手入れをしていない、と思いきやどこか自分で決めている長さがあるらしい。ザリ、と自分の顎周りの髭を撫でてブラス所長はこちらへ笑顔を向ける。

 「今日はどうされたんですか?」

 「チコ君が急にやる気を出して、新しく召喚をするから誰か見に来てほしい、と言ってね」

 「チコが……?」

 昨日フジタカと言い合いをしたばかりでどうしたのかな。まさか本当に他のインヴィタドと代替するつもりではないと思うけど。

 「……それでブラス所長が直々にいらしたんですか?」

 「ダメ?」

 「いえ、お忙しいものだとばかり思っていたので」

 「ふふん、おじさん意外に暇だよ?夕方になってから本気出す人種だし」

 「駄目男ではないか」

 レブ、しっ。と、言おうとして声が出なかった。

 「いや、その日の仕事はその日のうちにやってるよ?仕事はできるから」

 胸を張るブラス所長に私は苦笑する。ウケを狙ったのかもしれないけど、レブが全く笑っていないんだもん。

 「それに仮とは言え、所属の召喚士が何かするんだ。できるだけ見ておきたいとも思うよ。他にも呼びたい人だっていたくらいだ」

 考えてはくれていたんだ。ブラス所長は煙草を取り出すとマッチで火を点けた。

 「ふー……」

 「………」

 レブは今も煙草の匂いが気に入らないみたいで、風下から退いた。

 「ザナも来たな!」

 少し離れたところでチコが声を張る。

 「見とけ!」

 チコの前に用意されたのは羊皮紙ではなく、ただの藁半紙だ。風に吹き飛ばされない様に石で押さえ付けて地面に敷くと目を閉じた。フジタカは彼の数歩後ろで剣の柄を握り陣を警戒していた。

 「……………」

 ぶつぶつと呟いているのは自分の魔力を高める瞑想だ。自分が召喚士としてどの程度力を持っているか陣の向こうの異世界に誇示し、何を欲しているか主張する。自分の意思でインヴィタドを引き摺り出すのが難しいなら、相手との交渉が始まる。対価として支払う魔力や、その代償にどれだけの力を求めるか。私はまだ経験がない領域だった。たぶん、チコも同じで今回はそこまで高度な召喚は行わない。

 「………そこだ!」

 推測通り、大した時間を要さずに召喚陣から淡い光が漏れ出し、チコの目が開いた。

 「来いやぁ!」

 チコが腕を高く掲げると、陣から何か飛び出してきた。

 「……ふー!」

 召喚に必要な魔力は並のインヴィタドを維持する魔力の数倍と言われる。フジタカの維持と、今回の召喚の差はチコ次第だが、召喚陣から光が消えると彼は汗だくになっていた。額の汗を拭うと、こちらへ笑顔を向ける。

 「どうだ!見ろよコイツ!」

 そう言ってチコが指差したのは半透明の軟体物質、スライムだった。桶一杯分くらいのスライムはぶよぶよと絶えず揺らめいている。

 「おぉー」

 「ふむ……」

 髭を撫でてブラス所長は目を細める。私は感心して拍手を送った。

 「フジタカを維持しながら、スライムの召喚!すごいよチコ!」

 「へへ、これならもう二、三体出せる気がするぜ」

 汗は引いたのか余裕すら見せてチコは笑った。フジタカに分ける魔力に、スライム分の負担も一気に掛かった。私なら立っている事もできないと思うのに。

 「フジタカ!」

 「……なんだ?」

 スライムが暴れ出さないのを確認するとフジタカは剣の柄から手を放した。

 「俺って、すごいだろ!」

 「……は?」

 突然の自慢に皆が目を丸くする。

 「お前みたいなインヴィタドを本調子のまま、俺はスライムも呼び出せるだけの才能を半年経たずに身に着けている!それってすごくないか!」

 「あぁ……」

 フジタカの燃費が良い悪いって事じゃないと思う。聞いていると、フジタカ召喚や以後の消費もチコにとって負荷はあんまりないみたいだし。

 「たぶん、すごいんだろうな」

 「そう、俺はすごぉい!」

 チコがわざとらしく偉張る。

 「そんなすごい召喚士である俺は、お前を負担に思っていない。当たり前だが、役に立たないとも思っていない」

 「………」

 フジタカの手から力が抜ける。チコは左腕の縫った痕が残る傷をなぞった。

 「俺はこれからも頑張るぞ。お前が、どんな決断をしても。今日はそれを言っておきたくて、今の召喚を見てもらった。こっそり練習してたんだぞ」

 チコの言葉を聞いて、ブラス所長は煙を吐き出すと短く頷いた。

 「……お前の決意はこの耳で聞かせてもらった」

 「あとはお前次第、だからな」

 「あぁ」

 チコは返事を求めない。フジタカが迷っているのを知っていたからだ。

 「何があったかは知らないけど、話は終わった?」

 ブラス所長がようやく口を開く。

 「はい。……あ、今日はお忙しいところ来て頂き、ありがとうございました!」

 今日行われたのはチコの決意表明。事情を知っている私達はともかく、ブラス所長から見れば今のやり取りは分からなかったと思う。

 「いやいや。召喚おめでとう。……ちゃんと言う事は聞くんだろうね?」

 「はい、それはもう!」

 チコが指差した方向へスライムが跳ねる。べしゃ、と一度潰れたがすぐ一塊に集まった。

 「ふーむ……。もう少し大きく召喚できたんじゃないの?君の力なら、まだ余ってるんだし」

 スライムに近付き、目測で所長が言うとチコは声を詰まらせた。

 「う……。あ、はは……。すみません、どの程度の大きさまでなら御し切れるか分からなかったので」

 「だから今回は確実性を取ったわけね。若いのに堅実じゃない?」

 屈んでしばらくスライムを見ていたブラス所長だったけど、ふと振り返ってチコを見る。

 「いやぁ、でも確かに凄いじゃない。最初の教程は独学でしょ?これからも頑張ってよ」

 「……はい!」

 所長に肩を叩かれ、チコは表情を明るくする。

 「そんなわけで君達にはこの後もうひと頑張りしてもらうから」

 「はい?」

 君達、と言って所長は私の方も見た。

 「詳細は追って別の者から今日中には伝えるから。詳しい事は後で聞いてよ」

 地面に煙草を押し付け火を消すと、ブラス所長は吸殻入れに捨てて背広の内ポケットへしまいながら立ち上がる。

 「え、あの……」

 「それじゃ、またね」

 踵を返して去っていくブラス所長からは何も聞けなかった。知っているなら教えてくれても良かったと思うんだけど。

 「……なんか、思ったよりも反応薄かったな、あの所長」

 「そうだな」

 フジタカは小さくなっていく所長の背中をまだ見ていた。しかしチコはもうスライムを操る方へ意識を集中している様だった。

 「ねぇ、チコ。そのスライムどうするの?」

 「決まってる。特訓相手に使う」

 特訓相手って……。

 「まずはオチビ!お前だ」

 「ふん。眼鏡をかけた召喚士よりも小さなスライムしか出していないのに、いきなり私に挑むか」

 「大きさは腕で補うっ!」

 言って、チコがスライムをレブに仕掛けさせた。びょんと跳ねた卵の白身の様な軟体がレブを呑み込もうと広がり、覆い被さろうとする。

 「少し、体感させてやるか。私の力を」

 小声だがレブの一言が聞こえ、目が合った。私が承認の意味で頷くとレブは口の端を上げた。

 「ふっ」

 レブの手が一瞬だけ光る。バチン、と何かを破裂させた様な音と同時にチコの出したスライムが弾け飛んでしまった。

 「うぐぁ!?」

 「チコ!」

 それと一緒にチコが一瞬大きく仰け反った。フジタカも異変に気付いて駆け寄る。

 「あの程度のスライムと感覚の共有を切っていなかった。詰めが甘い」

 レブが雷撃を使った瞬間もチコはスライムと魔力線を繋いでいた。だから急に線が分断され、流れていた魔力に無理な逆流が起きる。その反動でチコの体はびっくりしてしまった。

 「初めて召喚して少し操った程度。それで私に勝てると思うとは、見くびられたものだな」

 「だってお前、スライムに散々やられてたじゃんよ……」

 インヴィタドが負ける、と思ったら魔力線の共有を切る。そうしなかったからお腹を押さえる羽目になるんだけど、チコはレブに口を尖らせた。

 「私だって成長しているということだ。なぁ?」

 「……うん!」

 レブが私を見上げる。私だって、ずっと同じではない。

 前はレブもスライム相手にも多少本気を出していたけど、今は必要最低限の魔力で相手をしていた。そのおかげもあるし、私自身もレブの魔法の使用に融通が利くように魔力の増大に努めてきた。おかげで、今の魔法にも消耗はほとんどない。

 「じゃ、フジタカ!俺のスライムと連携で奴を倒せ!」

 「えー。この剣じゃ無理だろ。前も何本か折ってるのに」

 チコの指示にフジタカは怠そうに答える。すっかりいつもの調子に戻って見えた。

 「てか、スライムは今デブが倒しちゃったろ?多分核もやられただろうし」

 「それなら大丈夫だよ、チコ次第だけど」

 フジタカの疑問に私が代わりに答える。

 「言ってくれるじゃねぇかザナ。見てろ……!」

 再び、チコの召喚陣が輝く。

 「来いや!」

 チコの宣言と同時にスライムが姿を見せる。煽ってしまったのは私だけど、チコの様子を見るとこれ以上は無理そうだった。

 「はー……はー……どうよ!」

 「おぉー。召喚陣って、再利用できるのか」

 「そういうこと」

 魔力の消耗を押さえることはできないから、そこの部分はまた一から。しかし、召喚陣さえ健在なら召喚士の魔力の貯蔵と腕に依っては何度でも使用できる。要領さえ掴んで鉱石を呼び出す陣、スライムを呼び出す陣、なんて用途を決めて保管すれば描く手間は省ける。今回の藁半紙じゃそのうち破けてしまうと思うけど、試したかったみたいだからチコは使い潰すんだろうな。

 「さぁどうだ!俺が気張ったんだぞ!」

 「……分かったよ。覚悟してもらうぞ、デブ!」

 「………」

 渋々ながら剣を構えるフジタカをつまらなそうに見ていたレブだったが、溜め息を一つ吐き出すとバキバキ指を鳴らした。スライムも揺れて臨戦状態になっている。

 「ふん!」

 「うぉ!?」

 レブの気合一喝。跳んでスライムに拳を真上から叩き付ける。成す術もなくスライムはたちまち爆散し、地面が凹んで大きく抉れた。

 「まずは一つ。次は……」

 「ま、待った待った待ったぁー!やっぱ無理だって、チコぉ!」

 「……はぁ、はぁ……間に合った、逆流……」

 レブが土とスライムの混じった泥を振るい落とすとフジタカを見る。チコはチコで、また魔力の断線を防ぐ事に集中してたみたいでフジタカどころではなかった。当のフジタカもすっかり尻尾を巻いてしまっている。レブは腕も足も短いけど、速度と殺傷力は十分にあった。

 「くっそぉ、フジタカ!俺のスライムと戦ってみせろし!」

 「デブが一発だからって俺かよ……。カルディナさんのスライムだってまだ一撃で倒せたことないのに……」

 ナイフを使えば別だろうけどフジタカはスライムを倒すのによく苦戦している。核を一度に破壊できないかららしく、訓練にうってつけと言っていた。実際わざと核を壊さずに技術の練習や鍛錬相手に使っている者も多い。

 「来いや!」

 三度目にもなると疲れもかなり溜まっているんじゃないのかな。けど、調子良く出せているから早くも慣れ始めているのかも。スライムは陣から出現するとフジタカの方へとぬるぬる動き出す。

 「ナイフ禁止だぞ!」

 「お、おう……!こうなりゃ、俺だって!」

 スライムはのろのろと動いてたが、フジタカの構えに合わせて高く飛び跳ねた。跳躍力は高く、私達の身長などより優に勝る。

 「こ、こ、だぁぁぁぁぁ!」

 ギリギリまで腰に溜め、ある一点を目掛けて剣が閃く。フジタカの剣がスライムを抜けると、軟体は固形を保てずに液体と化して地面にべちゃ、と音を立てて広がった。

 「……うし!」

 「上出来だな」

 フジタカは拳を握り締めて達成感に浸っている。レブも腕を組んでうんうん頷いている。

 「ふ、フジタカでも一撃なのかよ……」

 チコに至っては倒されて複雑なのか肩を落とした。善戦すると思ったのかな。

 「でもチコ、今のがもっと早く、一気にできたらレブは危ないかも」

 「この程度のスライムなら十体相手でも殲滅できるがな」

 「張り合わないの」

 スライムだって、その気になればもっと大きく召喚できた様な口振りだった。練度を上げれば立派な戦力になる。

 「少し休憩にしようぜ……。ちょっと、しんど……」

 そう言ったチコの顔は真っ青だった。

 「だな。俺もお前達が来るまでずっと素振りしてたし」

 「じゃあ、フジタカの話を聞かせてよ」

 「……俺の?」

 目を丸くするフジタカに私は頷いて、座っていた二人の横に陣取った。

 「うん。フジタカの世界の話、もう少し聞いてみたくて」

 断片的に何がある、と聞いた事はあるけどそこでフジタカはどんな生活をしていたかは知らなかった。昨日の件もあるし、フジタカの世界を知るのも良い勉強だ。

 「俺の世界……」

 「そうそう、結局お前の言うコーコーセーってなんだよ。そっからな」

 「……分かったよ」

 言って、フジタカは自分の住んでいた世界の話を始めてくれた。学校にも位があって、小中高大と上がっていく過程でフジタカは高校の生徒、高校生だった。そこでは毎日分野別に講義を受けて、時に試験を課せられる。学者とは別の様でフジタカの住んでいた国では子ども達の大半が文字の読み書き、数の加減乗除も教育されるのがほぼ義務として定着しているらしい。

 どんな人がいるのかと聞けば、オリソンティ・エラが本来は人間とエルフの世界に対し、フジタカの世界では会話できる種族は人間と獣人だけ。多種多様な見た目の獣人は山のようにいても、耳が長く長命のエルフを見たのはここに来てからだそうだ。

 魔法なんてものはなく、人は道具を進化させる事に特化。科学の発展は戦争を誘発し、長期化させた事もある。しかしある時期からとんと戦争のない、四季が豊かな島国にフジタカは住んでいたらしい。そこで学業に勤しみ、空手を習い青春の苦い汗を男達と流していた、と。

 「………ざっと言えば、こんな感じ?視点は偏ってるぞ、海外とか行った事ないし」

 言って、あぁここもある意味外国か、とフジタカは呟くと長く息を吐いた。

 「ビアヘロの話は?科学兵器で根絶やしか?」

 「そんなもんいねーよ!……いや、昔話の怪物とかエイリアンってもしかしてビアヘロだったのか……?」

 今度は一人でぶつぶつと呟いて物思いに耽り始める。でも私は気になって一人の世界から彼を引き戻す。

 「あのさ、フジタカ」

 「うん?」

 「フジタカの国って平和だったんだよね。ビアヘロもいないし、戦争もない」

 「……まーな」

 腕を頭の後ろで組んでフジタカが倒れ込む。

 「だったらフジタカはなんで、ナイフなんて持ってこの世界に来たの?」

 私の質問にフジタカは閉じかけた目を見開いた。

 「食料の奪い合いや殺し合いもない世界でお前はなんでそんな物騒なもん持ってたんだ?」

 「う……。分かってると思うが、向こうの世界じゃ何でも消すナイフとかじゃなかったんだぞ……たぶん」

 「たぶん?」

 チコからも聞かれてフジタカは倒したばかりの身を起こす。そしてナイフを取り出してみせた。

 「……死んだ親父の形見なんだよ。だからずっと肌身離さず持ってた。だから一緒にここに来たんだな」

 手元を見詰めて数秒、フジタカの目が細まってナイフの向こうを見ている様に思えた。

 「それまではナイフとして使おうとした事もない。鉛筆削るのも、果物の皮むきもな」

 「………」

 レブの表情が心なしか険しい。無表情にナイフを見てるだけ、かな。

 「今じゃコイツに何度命を救われてるか。……頼ってばかりでもいられないけどさ」

 フジタカは着々とこの何でも消すナイフを使いこなし始めていた。夜に効力を発揮しないと言っても凶器に間違いなく、いつぞやは投げナイフとしてすばしっこいビアヘロの足首を捉え、もつれさせたところにレブが止めを刺したこともある。普通の剣士としてはまずまずだが、今日はスライムも一度の大振りで倒した。

 「そう言えばフジタカ、チコのスライムはどうだった?」

 以前から相手にしていたとは言え、苦手意識を普段から持っていたと思う。うーん、と唸ってフジタカはナイフをしまった。

 「核を見る余裕があった。……というか、自分で作ったんだけど。薄くて、鈍かったからかな?」

 「遠慮ないなお前……」

 チコはわなわなと震えてフジタカを睨む。でも、口でも手でも反撃する余力はないみたい。あれだけ立て続けに召喚したんだから無理もない。

 「でも、目を慣らすにはチコのが丁度いい。カルディナさんのは歯応えあり過ぎで、下手すると返り討ちにあうし」

 「甘えるから伸び悩むのだぞ」

 「できる事からコツコツと、とも言わないか」

 一理あるな、と小声で言ってレブはそれ以上言わなかった。フジタカはゆっくりと立ち上がると大きく体を伸ばす。

 「そういうわけだ、休憩もこれくらいだろ?もう少し付き合ってくれよ、デブ」

 話して少しスッキリしたのかフジタカは朗らかに笑うと剣を抜く。レブも拳を握り直し、訓練の再開と思ったその時だった。

 「アラサーテ様ぁ!」

 「……ちっ」

 どこからか声がした。アラサーテ、と聞いてレブは隠そうともせずに舌打ちをする。

 「アラサーテ様!こちらでしたか!探しましたぞ!」

 「上から……」

 一瞬、陽の光が何かの影に遮られた。逆光で直接は見えなかったが、影は上空を旋回してからこちらへ下降してくる。旋回、つまり飛んでいたのは単なる鳥ではない。それが誰かは見当がついていた……残念ながら。

 「ティラ、下がれ」

 「まだ何も言っていないのに!?」

 翼を畳み、私達の目の前に現れたのは紳士服に身を包んだ緑竜人、ティラドル・グアルデ。レブと同じ世界から来た人だ。崇拝する対象に相手にされず、着いて早々涙目になっている。

 「お、お嬢様……」

 「その呼び方、止めてくれないかな……」

 レブに相手にされないからって、ティラドルさんは次に私を標的にした。慰めたいところだけど、どこか抵抗もある。

 それが今の呼び方だった。いつからかは忘れてしまったけど、タムズを倒してトロノに戻ってしばらくするともうお嬢様と呼ばれる様になっていた。

 「お仕えする主君の二人にこうも無視されるとは……どこに不満があるのか教えてくださいませぬか!?」

 「あー、自分で悪い点に気付けず、挙句こうやって人に直接聞いているところだな」

 「ぐぅ……っ!」

 レブは相も変わらずティラドルさんには気だるげで投げやりにしか扱わないし。

 「は、はぁ……ティラドル様……。やっと、追い付い……」

 そこに、へろへろな足取りで走っているのか歩いているかも怪しい状態で赤髪の女性、ソニアさんがやって来た。

 「主人を待たせる使いがいてなるものか。まだまだなっておらんぞ」

 「は、はい……申し訳、ありません……」

 急にティラドルさんの目付きが鋭くなり、ソニアさんを叱り付ける。推測だけど、ティラドルさんを追って走ってきたのかな……。

 汗を惜しみなく滴らせて、彼女が持っていた封筒には既に汗染みが広がっていた。揺れる胸の谷間に滑り落ちる滴は陽射しの照り返しで輝いている。

 「抱えて飛べば良かったのに」

 私の提案に真っ赤だったソニアさんの顔はもっと髪に近い色まで赤くなった。

 「そ、そんな……もう!ザナ、怒るわよ!ティラドル様が私をなんて……きゃー!」

 息も絶え絶えだったのに元気だなぁ。鍛え方が違うのかな、やっぱり。

 「用件を言え。お前と雑談する気分ではないぞ」

 レブのティラドルさんへの風当たりももう少し柔らかくならないのかな……。その都度指摘はして、少しは考えるんだけど対面すると口が勝手に動くんだって。

 「……封筒を」

 言うと、ソニアさんは私に封筒を渡してくれた。受け取り開いて中を読むと、数行読んで私は顔を上げた。

 「これ……ビアヘロ!?」

 ティラドルさんが頷き、チコも私の持っていた書類を急いで覗き込む。ソニアさんは呼吸を整えていた。

 ビアヘロが出現した。しかもトロノで今朝の話だ。被害者も既に出ている。

 「被害内容は食料の窃盗、および魔法の火球での襲撃。三人が火傷、いずれも対処が早く重症には至っておりません」

 ティラドルさんが書類に書いていた内容を改めて諳んじる。話は数時間前の事らしい。

 「目撃情報から種族の特定もできております。名は……」

 「インペット、小悪魔の類よ。黒くて背中の羽で飛び回っているわ。鼻が高くて毛の類は生えていない。大きさは聞いた話だとアラサーテ様程度。だけど元々はもう少し小さ目が多いの。それがちょろちょろ飛んで下級の魔法を使ってくるから厄介で目障りなのよね。住処は森の中に作るのが通例。だからトロノの中よりも森へ探索場所を移した方が賢明だと思うわ。それから対……」

 「ええい、やかましい!」

 早口で情報を一気に羅列するソニアさんに耐えかねてティラドルさんが怒鳴った。そこでようやくソニアさんも声に肩を跳ねさせて止まる。因みに、ソニアさんもティラドルさんに教育されたのかレブの事を同じ様にアラサーテ様と呼ぶ様になっていた。

 「ひ……!申し訳ありません!ですが……」

 「知識をひけらかす時間ではない。要点は森の中への探索、発見次第討伐するために出動命令が下されたことだろう!」

 出動命令の部分は初耳だから放っておいたらもうしばらく話が続いていたんだろうな。そう思うけど、私はソニアさんの話は好きだった。自慢げで鼻について嫌だとトーロは話していたけど。

 まず、ソニアさんは召喚士の中でも召喚試験士補という追加の肩書を持っている。この名を持つ事で召喚試験士は新たな異世界へ繋ぐ召喚陣を描く実験資格を得られる。正確にはソニアさんは召喚試験士補なので、召喚試験士を補佐する役回り。だからこそ既に確認されているビアヘロを熟知している。

 ティラドルさんも最初こそ懐疑的だったけど、段々とソニアさんの知識を認める様になった。今ではビアヘロが現れればソニアさんの受け売りで教えてくれる事もあるくらい。語り出すと止まらないから呆れて抑え込むのも役割になっている。

 「そんな書類を俺らに見せたって事は……」

 「あぁ。アラサーテ様とお嬢様。そしてチコとフジタカの四名は我らと共に北の森へ向かってもらう。……どうか、ご助力ください」

 チコとフジタカに高圧的に言ってからティラドルさんは私とレブに頭を下げた。態度を使い分けるな、とチコは怒っていたけどフジタカは何も言わない。チコも最近はそういうものだと思うようになったらしい。

 「休み明け早々かよ……。しかも、相手は攻撃的みたいだな」

 フジタカの耳と尾から力が抜けて垂れる。そんな彼の背中をチコは叩いて笑った。

 「私だけで行ってもいいぞ。小悪魔如き、粉砕してくれる」

 「でも、人手が要るから呼んだんですよね?」

 レブの意気込みはありがたいけど、何の考えも無しに私達が声を掛けられたとは思えない。書類を見た限り、前の様に実地訓練とは違うし。

 私の質問にソニアさんとティラドルさんは互いに顔を見合わせ、互いに反対を見た。どちらが話し出すかと交互に見ると、先に口が動いたのはティラドルさんだった。

 「私も、最初は私だけで事足りると宣言したのです。ですが……」

 「貴方達を呼ぶように言ったのはブラス所長なのよ」

 ブラス所長と聞いて私は首を傾げる。

 「ブラス所長ならさっき……」

 言いかけて、私は所長の言葉を思い出す。

 君達にはこの後もうひと頑張りしてもらうから。詳しい事は後で聞いてよ。

 「ソニア姉さん達が来るって知ってたのか、あのおっさん……!」

 フジタカが苦笑して肩からも力が抜けた。知っていたのに黙っていたんだ……。

 「俺、体調悪いんだけど……って、そうも言ってらんねーな」

 チコはなんとか自分を奮い立たせて深呼吸をしている。呼吸を整えるだけでも魔力の巡りは良くなるから、魔力酔いには効果的だった。

 「話が見えないんだけど……」

 「さっきまでブラス所長がここに来ていたんです」

 ソニアさんに説明するとティラドルさんは顎に手を当てた。

 「あの所長、今回はアラサーテ様とフジタカに任せたい様なのです。私はその付き添い」

 まだ私達は経験が浅いから単独でビアヘロ退治に行く事はほとんどない。だから今回も危険があるから先輩達と同行、と思っていた。その中でできる補助を行い勉強する。

 だが今回は私達が主体になってビアヘロを撃退しろ、と言ったらしい。

 「だったらもっと最初に言うべきだったろうに……」

 フジタカは不満らしくまだぶつぶつ言っている。だけどこうしてはいられない。

 「ねぇフジタカ、被害はもう発生してるんだから早く動いた方がいいんじゃない?……できれば、陽が暮れないうちに」

 「あ……!そう、だな。だったらこうしちゃいられない」

 私が何を言いたいかは察してくれたのかフジタカの目付きが変わる。

 「私達は……」

 「あぁ、必要ない」

 レブは身体が武器であり防具だ。常に全身に最高級の武具を纏っているも同然。だから必要なものと言えば、食料品くらいだろうけど今回はすぐ近くの話。決着をつければ戻るのも容易い。

 一度トロノ支所に戻って用意したのはチコ用の剣と私の鞄くらいだった。小悪魔相手に用意すると言っても聖水を注ぎ込んだ瓶ぐらいのもの。軽装だが、動き回るにはこの程度が無難だと思う。それよりも問題は……。

 「足は痛むか」

 「ちょっとね。でも、肉離れしてるわけでもないし昨日よりは楽だよ」

 レブとの走り込みで起きた筋肉痛だった。召喚学に集中して部屋に居る事も多かったから体がすっかり鈍っていたみたい。翌日まで筋肉痛を持ち込むとは思わなかった。

 だけど辛いのは今日走り回ったソニアさんやスライムを立て続けに召喚したチコも変わらない。それどころか二人に比べればよっぽどましだ。簡単に化粧をし直して凛と歩くソニアさんの姿は女性としても、召喚士の先輩としても立派なものだった。

 「あの森か」

 トロノを離れ半刻程度歩いて森が見えてきた。もう少しで着くと思うけどやたら鳥が森の周辺を飛んでいる。

 「あれはただの鳥だよな……?」

 「あぁ」

もしあれが全部ビアヘロだったら、とフジタカは身震いしていたがレブが事実のみを伝える。私だって数え切れないだけの鳥の全てをビアヘロとして相手にするなんて考えたくもない。

 「この時間からあれだけ大量に飛び回っているって……妙だよな」

 「うん」

 チコに同意して頷く。状況は違うけどペルーダが現れて暴れていた時を思い出してしまう。

 「恐れる事はありません。アラサーテ様が共におられるのですから」

 「そういうのは、自分の召喚士に言った方がいいんじゃないの……?」

 ティラドルさんが私を元気づける様に言ってくれるけど、声をかけるなら私よりも黙々歩いているソニアさんに言った方が先じゃないかな。レブはこっち睨んでるし。

 「ソニアには改めて告知をする必要はありません」

 「そう!私はティラドル様の力は召喚陣を通じて常に体で感じておりますから!」

 急に声を上げたからレブの目付きも鋭さから一転、丸みを帯びてぎょっとした。ソニアさんも元気良く会話に加わる。

 「全幅の信頼を置き慕い申し上げます!」

 「自分の身は自分で、召喚陣は……」

 「この身に替えましても守り通します!」

 前々からソニアさんはティラドルさんに心酔している様な言動をしていた。これは洗脳の類ではなく、本人がインヴィタドに対し一方的に抱く感情。

 最初はティラドルさんも魔力を自分へ供給するだけの存在と思っていた様に見えた。……今も言動は大きく変わっていない。

 外面は変わらないのに内容に含みがあるというか、前ほど険悪な雰囲気になっていない。たとえソニアさんが罵られ、叱られても本人はそれすらも甘んじて受け入れている。落ち込む様子は見せなかった

 ティラドルさんとソニアさんの関係は良い方向に進んでいるように見える。

 「………」

 「ザナ?どうかした?」

 「……いえ」

 それでも二人は専属契約をしていない。繋がりは通常の召喚陣で魔力のやり取りのみ。理由がある、のかな。

 「止まれ」

 私が二人を見ていると急にレブが声を発した。そこでフジタカも呻く。

 「聞こえる……」

 フジタカの表情が強張り、レブとティラドルさんも黙ってしまう。

 「お、おい……」

 「黙れ」

 状況が分からないチコが口を開きかけたが、ティラドルさんの一睨みで止められる。

 待って数秒、フジタカが口を開いた。

 「何かの、笑い声。あと……子ども達の泣き声」

 子ども達と聞いて私は震え上がった。ソニアさんの表情が険しくなる。

 「子ども……どうして?」

 「そこまでは知らん。……雑音も多いしな」

 忌々し気にレブが空の鳥を睨む。私達は胸騒ぎをどうにか押さえて森へと急ぎ足で踏み入れた。

 中へ入ると不思議なもので辺りに物音は聞こえなくなる。木漏れ日と鳥の影が風でざわざわ揺れ動き、警戒を強める私達の集中力を容赦なく削いだ。

 けれど聞こえてくるのは二つだけ。下品な笑い声と、怯え泣く子ども達の悲鳴。距離が掴めてきた辺りで私達は一気に駆け出した。

 「あそこだ……!」

 森の先に少し開けた場所があった。そこで私達はビアヘロが子どもを取り囲んでいる様を見ていた。

 ソニアさんがインペットと呼んで説明してくれた特徴そのままのビアヘロが三匹。羽は生えているが今は飛んでいない。一か所に集まり泣いている子ども達五人を見てずっと笑っている。

 「キーキキキキ!」

 「ゲヘ、ゲハハハハハ!」

 「ひっ……!う、うわぁぁぁぁぁ!」

 自分達を見て泣き叫ぶ子ども達が可笑しくて堪らないんだ、ビアヘロは。近寄って両手を上げるだけで黒髪の子は叫び出す。……今のところ、怪我らしい怪我をしている子はいない。

 「どうする……?」

 「この位置じゃ、石を投げても子どもに当たるぞ」

 魔力で世界に居るくらいの存在だ、この場で魔法なんて使おうとすればたちまち魔力の高まりで勘付かれる。

 「あっ……!」

 しまった。小声で言ったつもりだったがエルフの女の子がその長い耳で私達の声を聞き付ける。目線がこちらを向いて、彼女の頬に涙が伝った。

 「助けてぇぇぇぇぇぇ!おねがぁぁぁい!」

 悲痛な叫びにインペット達がこちらを向く。静かにして、とお願いする間もなく相手に気付かれた。こうなれば、と全員が広場に飛び出す。

 「キィィィィィィ!」

 「ギャアァァァァ!」

 「グゥゥゥゥゥゥ!」

 三匹共に違う声で鳴き、威嚇すると共に羽を広げて飛んだ。そのまま逃げ出してくれれば良かったけど、事態は最悪の方向に転がってしまう。

 「いやぁぁぁ!」

 「あ、が……!」

 「痛い!放せ!」

 血の気が引く思いだった。インペットは子ども達を盾にして対峙する。私はもちろん、レブやティラドルさんも舌打ちして動きを止めた。

 「うわぁぁぁぁん!」

 「助けてぇぇぇ!」

 「……こっち!」

 迷ったけど、私が叫ぶと盾代わりにされずに済んだ子ども二人はこちらへ無我夢中で走って来た。ソニアさんが抱き締めると二人は倒れて力無く泣き出してしまう。

 「無事で良かった……」

 心からの一言だっただろうけど、レブはすぐにまだだ、と言った。私も同意見だ。

 まだ小悪魔達はからかって遊んでいる段階だった。それが、私達が出てきた事で一気に警戒を強めて今は子どもを盾にしている。

 二匹のビアヘロは子どもの手首を掴んでいるだけだ。しかし、一番私達に距離が近いインペットはあろうことか、子どもの口に指を突っ込んでいた。その指からは鋭い爪も生えており、少し動けば容易く喉に突き刺さり、振るえば口を裂くことだろう。

 「っか、かは……!」

 「動くな!余計危ない!お前達もだぞ!」

 喋れずにつー、と涙と涎を垂らして少年が私達へ助けてと手を伸ばす。フジタカが怒鳴り他の子も抵抗の動きは止まった。でも事態は一刻を争う。

 考えろ。レブなら、数秒で全滅させられる。だけどそれは全員を助けられないかもしれない。魔法を使ったら一緒にあの子達も感電させちゃう。……ティラドルさんでも同じだ。

 まして、インペット達はレブとティラドルさんだけを見ていた。二人が竜人、もしくはこの中で一番危険だと気付いている。だったら今、戦えるのは……。

 「………」

 私が視線を彼に向けると、フジタカは頷いて、一歩前へ踏み込む。当然、急に動いた彼を見てインペット達は目線をフジタカへ向けた。

 「………ほらよ」

 そしてフジタカは鞘毎、剣を放り捨てる。次の行動に、場に居た全員が目を丸くした。

 「こっちもだ」

 肩にある防具の留め具を外し、同じ様に放る。まだインペットは動かない。

 「……なら、次はこうだ」

 「ふ、フジタカ!?」

 上着に手を掛け、脱ぐと茂みに投げる。続いてズボンを留める革のベルトをカチャカチャと緩め、ずり下してフジタカは下着一枚の姿になった。ズボンは靴と一緒に蹴っ飛ばす。

 「……これでどーだ!」

 腰に手を当てフジタカはインペットへ胸を張る。今日はセルヴァに来た時に穿いていた体にぴったりと密着する下着だ。フジタカがボクサーブリーフとかパンツと呼んでいたその下着をトーロはやけに気にしていたのを覚えている。尻尾の部分だけ通すための穴が開いていた。

 「キ、キキキ」

 「ケケ」

 「クキャキャキャキャ!」

 しなやかな筋肉が身に着いた肉体は綺麗な毛皮に覆われ、頼りない印象は受けない。それでもインペット達は丸腰のフジタカを見て指を差し笑う。私は目を逸らしたかったけど、そうもいかないし。何を考えているのか分からないままインペットが動き出す。

 「キキキ」

 「かはっ……っは…げほっ……!」

 一番フジタカの近くにいたインペットが子どもを解放した。口に入れていた指を引き抜き、投げ捨てるとすぐに羽でフジタカの剣を目指した。

 「フジタカ、逃げ……っ!」

 インペットはフジタカの剣を鞘から抜くと、楽しそうに振り回す。軽く素振りの真似事をしたインペットが次に目を付けたのは、無抵抗に裸になった狼の若者だった。

 「キィィィィ!」

 大きく飛び上がり、剣がフジタカを目掛け振り下ろされる。私は逃げてと言おうとしたのに声が止まる。

 ビアヘロを前に、フジタカが微かに笑っていたのだ。その意味は直後に分かる。

 「ここだ!」

 フジタカがパンツの中に手を突っ込んだ。若干膨らんだ部分から取り出したソレを、手首を振るだけで展開するとすかさずビアヘロの剣を迎撃する。

 「キィ!?」

 ほんの少し金属音がしたと思えばヴン、と少し嫌な音を立てて小悪魔の手から剣が消える。

 「そい、やぁぁぁぁぁぁ!」

 次にフジタカは左足を軸に自分を回転させて、右足を上半身全て持ち上げる様な勢いで畳んだ。

 踵の角度が決まると、弾丸の如く右足が真っ直ぐ放たれる。何でも消せるナイフで剣が消えて、インペットはまだ何が起きたかも分からぬ間にフジタカの回し蹴りが顔面を変形させた。

 「グゲ……」

 勢い良く吹っ飛んでインペットが骨の砕けた顔面から地面に落ちる。少し痙攣したが動き回る気配はない。フジタカはすぐにナイフを突き立て、その場から一匹を消し去った。

 「ググ!?」

 「シャァァァー!」

 すぐに残りの二匹もフジタカを脅威と認識した。しかし彼らがフジタカに気を取られて子どもの手を放したのは好都合。背を向け逃げ出すが、そうはいかない。

 「チコ!ザナ!そいつらよろしく!デブ!」

 「分かっている。逃さん!」

 フジタカの号令に私とチコは同時に駆け出した。それぞれ人質にされていた子と合流すると、余程怖かったのか震えて動けなくなってしまう。

 でも動けなくてももう大丈夫。

 「犬ころ!」

 「あいよ!」

 木々を蹴って跳ね回っていたレブは簡単にインペットに追い付くと一匹をフジタカへ蹴落とす。待ってました、と言わんばかりにナイフがこの世界に害を成す化け物を触れるだけで消失させた。

 直後、私の胸がチクリと痛み森の中に火花の散る音が響く。程無くして、レブが電撃で倒したインペットを持って現れた。

 「お疲れ様」

 「うむ」

 インペットを放ると背中を踏み付けた。短く悲鳴が聞こえたから、まだかろうじて意識はあるみたい。

 「犬ころ。頼まれてくれ」

 「え?」

 暴れない様にしっかり足を踏み付けるとレブはインペットの羽の付け根を掴んだ。

 「……子どもに聞かせるものではないからな」

 「あ……分かった」

 レブの一言にフジタカが頷き、しまおうとしていたナイフを取り出す。私は子ども達に後ろを向いているようにお願いした。皆素直に言う事を聞いてくれる。

 「せー……」

 「のっ!」

 「グギャ……………」

 二人が合図するとレブがインプットの羽を引き千切り、叫んで暴れそうになった本体をフジタカがナイフで消した。耳に痛い声は一瞬で止み、風が吹くと微かにレブの持つ羽からだろう、血の匂いが鼻に入る。

 「報告に退治した証拠が要るのだろう?片付けろ」

 「はっ」

 レブがもいだ羽をティラドルさんに放る。血が跳ねて白いシャツを汚したが、ティラドルさんはまったく気にした様子はなく布で羽をくるんだ。

 「本日もお見事でございました」

 「世辞は止せ。私はほとんど何もしていない」

 ティラドルさんが頭を下げるがレブは腕を組んで顔を背けた。

 「出る幕が無かったのも事実です。……まさか彼が状況を一変させるとは」

 彼、フジタカを見てティラドルさんが目を細める。

 「なぁ、お前らはなんでこんな場所にいたんだ?」

 「っく……。あの、ね……。イルダの家が、森の中にあるの」

 黒髪の男の子がイルダ、と名前を出すと、さっき一番に私達が来た事に気付いたエルフの女の子が頷いた。

 「去年トロノに買い物に行った時、サウロ達に会って友達になったの。……それでたまに森にも来てもらってた。今日もいつものように遊んでたらアイツらが……」

 泣き止んで、落ち着いている様に見えるが目を真っ赤に腫らしてイルダちゃんは教えてくれた。そっと頭を撫でるとまた涙が零れそうになる。

 「ビアヘロが出た事、知らなかったのか?」

 「イルダと遊ぶ時は、いつも朝から出掛けてたから……」

 チコの質問に別の子が答えてくれる。……北の森に住むエルフとトロノの人々は仲が悪いわけじゃないけど、こうして住処を分けている人達もいる。今回の事件でそれが嫌な方向に転んでほしくない。

 「友達やトロノの人のためにビアヘロ退治だ、なんて言わなくて良かったぜ」

 「何言ってるんだよお兄ちゃん。ビアヘロに挑む程、無茶で怖い事なんてしないよ」

 うん、うんと他の子達も同意した。

 「だから狼のお兄ちゃん、助けてくれてありがとう!」

 「ありがとう!」

 「ありがとうございました!」

 「ありがとう!」

 「ありがとう」

 五人で続け様に言って子ども達はフジタカに抱き着いた。包囲されてぐらぐらと体が揺れる。

 「うわ!?も、もう大丈夫、分かったから!ほら、離れ……って、誰だ!俺のもっこり触ったの!」

 しばらく揉みくちゃにされたフジタカは子ども達をソニアさんと交代してこちらへやって来る。

 「はぁ……」

 「フジタカ!やるじゃないかお前!」

 「いて」

 チコがフジタカの肩を笑顔で叩く。スパン、と良い音を立ててフジタカも苦笑したが、満更でもなさそうだった。

 「そうだよフジタカ!さっきのすごかった!」

 「確かに、妙妙たる技の冴えだった」

 私とティラドルさんが頷くとフジタカは頬を掻いてはにかむ。あの剣戟から回し蹴りを放った一連の流れは呆然と見入ってしまった。

 「へへ、空手の成果ってやつかな。……一応鼻を狙ったんだが」

 当てたのはそれでも顔面だ。私はあんなに足を上げる事も、まして襲ってくる相手に背中を見せるなんてとてもできない。

 「あの体技、実戦では初めて見たが興味深いな」

 「……その足の長さじゃ無理だろ」

 「……む」

 レブも関心を持ったみたいだけどフジタカの正直な意見に言い返せなかった。……あの姿なら、余裕なのに。

 「しかし随分と無茶したよな、お前」

 チコが先の戦闘を振り返っているのか鬱蒼とした森の空を見上げる。

 「脱いで、ビアヘロがそのままあの子達を殺す可能性は考えなかったのか?」

 「いやー、パンツになっても動かなかったらどうしようかと思った!」

 ハハハ、と笑うフジタカと同じ様に笑顔を作る者は誰もいなかった。とてもじゃないが笑えないよ……それ。

 「お前……」

 「そりゃあ、殺してから来られたらどうしようもなかった。だけどアイツら、好奇心の塊みたいな動きしてたからさ。新しい玩具を与えたらすぐに食い付くんじゃないかなって」

 見抜いていたなら洞察力は大したものだ。だけど、やっぱり危ない賭けだと思う。

 「フジタカが真っ先に殺されたかもしれないんだよ」

 「……うん、ごめん」

 フジタカが耳を畳んで、私の肩に手を置いた。

 「だけど、あの時思ったよ。チコもデブも聞いてくれ」

 上手く表現できないのか、言葉を探している様だったがフジタカは私の目を真っ直ぐ見てくれる。

 「前の続きだ。俺のここですべき事の話。どうしたら良いのか、って聞いたらザナは決めるのは俺、って言ったよな?」

 「うん」

 力を磨くも、投げ出すも私達が強制する事ではない。チコは知らないだろうけど、私は言ったのを覚えている。

 「デブの言った居心地なんて関係ない。でも、俺を助けてくれた人達に恩返しをしたい!」

 レブもまた、フジタカの顔を真っ直ぐに見詰めていた。

 「俺を頼ってくれた人達の、力になりたい!そんな俺にできるのがこんな力を使う事なら!やってやる!」

 力強く言ったフジタカに自然と私は笑みを浮かべた。チコも、レブもその返答に満足している様に見える。

 「良い心がけだが、その覚悟を貫けるか?」

 話を聞いていたティラドルさんが投げ掛けた問いにフジタカは即答した。

 「できる。自分で決めた選択を変えたら、後悔するって知っているからな」

 返答に面食らったのはティラドルさんの様でそうか、とだけ言ってソニアさんの方へ向かう。

 「しかしこれを以て犬ころは晴れて英雄だな」

 レブは目を閉じてフフフ、と不敵に笑う。

 「なんだよ、それ」

 「分からぬでもあるまい?召喚された翌日以降に始まり、順調にビアヘロを退治して今回のトロノの子どもらは奇策を用いて無傷で救い出した。当然、ビアヘロも処理してな。誓いも立てた今、わんころを英雄と呼ばずして何と呼ぶ」

 レブは嫌味を言っているのではない。レブなりにフジタカの成長を喜んでいるんだ。……喜び方はかなり捻くれているけどね。

 実際の私達は英雄なんて物々しい表現はしない。でも、フジタカなら不思議とそう呼んでも良い気がしたというか、レブがフジタカを評価するのも分かったかも。

 特異な力だけじゃなく、力を持つだけ相応しい心構えというか芯が通っている。迷いはしても決めたら一直線に来てくれたフジタカにチコもレブも目が離せないんだ。

 「ククク……。膾炙され、尾ひれに毛皮と棘と鱗も付いた噂を流され、お前はもう放って置いても人に善意を向けられる。それも覚悟に加えるのだな」

 「こ、怖い事言って脅かすなよ!最近の若者はセキニンって言葉に弱いんだぞ!」

 ……ところで、少し気になっていたんだけど。

 「それは良い。今回分かった犬の弱点は二つ。一つ目は討伐の証拠を残すためにはそのナイフは不向き。もう一つは責任の重圧を嫌う」

 「くぅ……!」

 フジタカは地団駄を踏んで唸る。

 「あ、あのさフジタカ……」

 「なんだよ!お前のインヴィタドだろ、何とか言ってやってくれよ!一仕事終えた俺を苛めるんだぞ、あの怪獣!」

 ちょっと、あの……近いってば。

 「ふ、フジタカ!いつまでその格好でいるのさ!」

 「え?」

 目線を下に向けるフジタカ。私はもう耐えられずに手で顔を覆って背を向けた。

 ビアヘロ退治の途中からずっと下着一枚でうろうろしている。しかもその格好で私の肩に手を置いたり、興奮して詰め寄って来るものだから堪ったものじゃない。

 「あ……!わ、悪い!えーと……あれ?靴の片っぽどこ行った?」

 「知らない!」

 背後でガサゴソ茂みまで探し始めたみたいだけど、手伝うのは無理だ。まずは服を着てもらわないと。

 「……異性の裸を直視できないのなら、私はどうなる」

 レブが回り込んで私の赤くなった顔を覗き込む。言われてみればレブはズボンだけだ。

 「そ、それはそれ!これはこれ!」

 「そうだぞデブ。デリカシーが足りないぞー」

 「困らせた本人が言うな……!」

 意味は分からないけど気遣いってそういう事だよ、レブ。

 結局靴の行方が分からず、子ども達にも手伝いをお願いしてやっと見付かった。お礼ではないが、エルフの子を集落の近くまで送り届けてから私達は帰路に着く。

 「損失は剣一本で済んで良かったな」

 チコが夕焼けを見ながら呟く。日中に出て帰りは夕方。トロノに戻る頃には日は暮れているだろう。忙しい一日だった。

 「結果はインペット三体の退治。成果として持ち帰れた羽は一つだけ……」

 陽が沈んでしまう前に、とソニアさんが報告事項をある程度記載している。忘れる程の内容ではないけど、纏めるのが役目だからと言っていた。

 「もう片方ももいだ方が良かったか?」

 「同一個体よりは、先に倒した二匹の翼も片方ずつあった方が良かったのかも」

 私が教えるとフジタカはあー、と声を伸ばした。今はちゃんと服も防具も身に着け、中身のない鞘だけを担いでいる。

 「蹴った時に歯とか折ってたかもな」

 「今更戻る気にはなれないでしょ?」

 ここは今からでも戻って、と言うべきかもしれない。でも今日はだけでもかなり盛りだくさんだったもん。皆疲れているし。

 「そうだ。それに、足りない証拠を補うのが証人であり、今回の同伴者だ」

 レブが言っているのはソニアさんとティラドルさんだけではない。子ども達もまた私達の言葉を補填してくれる。

 「アラサーテ様に頼りにされている……。本望だ……」

 「利用されてるだけじゃありませんか」

 ソニアさんの指摘を聞き流す程にティラドルさんはニヤニヤしている。……逆に。

 「こういう日もある。ただそれだけだ」

 「え?」

 「思い詰めるのは貴様の悪い癖だと言ったのだ」

 レブは言うだけ言って、先にずんずん歩いて行ってしまう。私はしばらくその背中をポカン、と見ていた。

 ……逆に、今日の私は何もできなかった。って、ちょっと落ち込みそうというか、考え込みそうになった。……見抜かれていたのかな。


 レブの予言通り、トロノに戻り一夜明けて夕刊が配達されてからだった。フジタカの活躍は再びトロノ中に知れ渡る。

ある者は彼を期待の新星、またある者は異界の勇者、子どもの味方と称賛を浴びせた。その一方、一部からは裸の英雄なんて称号も与えられたらしい。

 ……ところで、ビアヘロを倒して少し話してる間、途中から手にナイフを持ってなかったけどどこにしまっていたんだろう。パンツしか穿いてなかったのに。

 まさか、ね……。

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