第一部 三章 -新たな竜人?-

 馬車の旅を続け三日、夕陽が沈み始めた頃にトロノへ着いた私とチコは別の召喚士にエマ達と離されてしまった。理由は勿論、あの二人。

 ニクス様は秀でた召喚士は特待生として迎え入れると言っていたが、実際は違う。召喚したインヴィタドが新米召喚士やトロノの人々に害を成さないか監視するために隔離する。カルディナさんがこっそり教えてくれたから私とチコも居心地が悪かった。

 「チコ……。俺ってやっぱり殺されるのか?」

 「情けない事言ってんなよ」

 フジタカには聞かされた内容を話していなかったが、雰囲気から察してくれていた。召喚士育成機関トロノ支所内を歩く他の召喚士達はどことなく私達を避けている。好意的に受け入れてくれるとまでは言わないが、もう少し歓迎してくれると思っていた。

 「そうだよ。フジタカは何も悪い事なんてしてない。短い間だけど、村の手伝いもしてくれたし、この前だってビアヘロを倒すために体を張ってくれたじゃない」

 尻尾にも力が入っていないフジタカを励ましたかったが、月並みの言葉しか出てこない。

 「背筋を伸ばさないか。堂々としていれば良い」

 ……レブがふんぞり返って歩いていると警戒されそう。

 「ちょっと……やってみる」

 一度深呼吸するとフジタカは背筋を伸ばした。少し落ち着いたようで、足取りは少し重そうだけど、視線も揺れなくなっている。

 「セルヴァの召喚士選定試験の結果はもう既に伝わっている、か」

 フジタカが落ち着いたところで、トロノ支所内を歩くカルディナさんが言った。

 「あの伝書鳩が無事に着いていたらしいな」

 「……無事?」

 周りの視線を浴びながらトーロが呟く。私達は伝書鳩を送っていたのも知らなかった。チコが聞き返すと顔だけ私達を向く。

 「伝書鳩を放った直後にビアヘロの一件があったからな」

 「あ……」

 西の森から多くの鳥達が飛び立った。それを目撃した私とレブ、フジタカは顔を見合わせる。あの鳥の大群に巻き込まれて戻れなかった可能性もあった。

 「結局、ビアヘロを倒した証拠も俺が切り落とした毛だけだ」

 ベルトに巻き付けた鞄をトーロが叩く。ビアヘロ退治の際、彼が斧で切り落とした体毛だけは残っていた。それを回収し、報告に使うらしい。

 「すんません……」

 ばつが悪そうにフジタカが謝る。

 「謝る必要はないわ、新しいインヴィタドの狼人さん」

 そこに、聞き慣れない女の人の声がした。

 「ソニア……」

 カルディナさんの足が止まり、ソニアと呼ばれた女性はニッと笑った。

 体の線に合わせた様な衣服は艶めかしく、ソニアさんの大きな胸も際立たせていた。髪はリンゴよりも暗い赤で、態度と相まって大人の女性の雰囲気を纏っている。

 「お帰りなさい、カルディナ」

 「………」

 カルディナさんの表情が心なしか険しい。

 「そこにいるのがセルヴァの新しい召喚士?」

 「ザナ・セリャドです」

 「……チコ・ロブレス」

 私が名乗ったからか、遅れてチコもソニアさんに自己紹介をする。

 「よろしくね。可愛い召喚士さん達」

 言ってソニアさんは二歩、前へ進んだ。

 「……で、こんな二人に召喚陣の制限を突破されるなんて、どういう事?」

 「………」

 一気に笑みを浮かべていたソニアさんの顔が歪む。蔑むような視線を向けられても、何も言い返さずにカルディナさんは下唇を噛んだ。

 「それに出てきたのはケモノと……」

 ソニアさんがフジタカを指差し、ケモノと呼んだ。人差し指が若干下を向いて、レブに照準が合う。しかし、言葉は続かない。

 「えっと……怪獣?」

 「誰が怪獣だ」

 怒るかと思えば、慣れてしまったのかレブは静かに返す。やっぱり初めて見てドラゴンに辿り着くのは難しいのかも……。

 「……ともかく、こんな半端モノを連れてきてどうするのかしら?」

 ソニアさんがほんの短い間、レブに気圧されたけど向こうはまだまだ強気だった。

 「言っておくが、そこの二人は既に俺抜きでビアヘロを倒している」

 証拠だ、と言わんばかりにトーロが先日のビアヘロの毛をソニアさんに差し出した。

 「これ……」

 「頭と尾が蛇で、体に甲羅と長い体毛を持ったビアヘロだ。知っているか」

 「……皮膚が緑色なら、ペルーダだと思う」

 トーロが列挙した特徴にほとんど間髪を入れずにソニアさんは答えてくれた。そう言えば、緑だったと思う。

 「合ってます」

 「……ペルーダを、そこのインヴィタドが?」

 「俺、フジタカっす」

 「………」

 「ちょっと、レブ……!あ、こっちのはレブです」

 「ふん」

 名乗ろうとしないレブに代わって紹介したが、ソニアさんは関心を持っていないようだった。レブ本人も気に入らないのか顔を背けてしまう。

 「……わ、私だってペルーダ程度を倒せるインヴィタドなら召喚したこともあるし、この後はそんなの簡単に蹴散らせるぐらいのを出してやるんだから!」

 言ってソニアさんは踵を返して歩き出した。

 「カルディナ!今回の不始末の件、委員会はアンタをどう見るでしょうね!のんびり案内してる時間なんて無いかもしれなくてよ!あーっはっはっは!」

 笑いながら角を曲がって消えたソニアさんの影をずっと見ている様に、カルディナさんは終始無言で立ち尽くしていた。

 「………」

 「嫌な女だ」

 黙っているカルディナさんに代わってトーロが口を開く。するとカルディナさんの肩が跳ねた。

 「……違うわ。ソニアは少し人当たりが強いだけ。今回も彼女に助けられたもの」

 「どこが?」

 チコの質問でカルディナさんに笑顔が戻る。少し弱々しいけど。

 「まず、ビアヘロに詳しい。毛でビアヘロの種類を見分けられるくらいの知識を持っているのは、トロノじゃ彼女だけよ」

 言い方を変えればペルーダという怪物だと教えてくれた、ということかな。

 「それに、委員会の件も先に警告してくれた。……こっちも薄々そんな気はしてたけどね」

 確か、不始末と言っていた。

 「……私達のせい、ですか」

 私の質問にカルディナさんは声を詰まらせた。

 「私の召喚陣に不備があったか、貴方達の才能が抜きん出ていたか。どちらにせよ私に至らない点があったのは、変えようが無いかな」

 召喚陣自体に問題があったか、カルディナさんが注入できる魔力の制限をもっと厳しくしていれば今回の試験の結果は変わる。言いたい事は分かった……。

 「私なら少し注意されるだけ。別に謹慎されたり、召喚士として活動できなくなるわけじゃない。だから、気にしないで」

 最初は少し怖い雰囲気の人かな、と思ったけど日数を経る内にカルディナさんへの印象も変わってきた。自分が窮地に居ながら優しげに微笑んでくれる彼女の力になりたかった。

 「いざとなれば、俺がどうにかする」

 「警戒し過ぎよ、トーロ」

 でも、その役目はきっと私ではない。トーロが担っているんだ。

 「………」

 「私を見てどうした」

 「う、ううん!」

 レブは私に何かあったら助けてくれるのかな。カルディナさんとトーロの様に、長くはまだ一緒にいないけど。

 「ここが所長室。私達は先に所内を回ったから、ヒル君達は既に挨拶を済ませて寮に移っていると思います」

 長い廊下を歩いて着いた先にはポツンと扉が一つ。特に豪華な装飾が施されているでもない、簡素なものだった。

 「所長。二人の案内を終えました」

 「ご苦労。入りたまえ」

 奥から聞こえてきたのはしゃがれた声だった。

 扉を開けて数歩。中を見ても別段変わった様子は無い。しかし、鼻はすぐに煙草の匂いを捉えた。レブもフジタカも鼻をひくつかせている。

 「君達がセルヴァの特待生か。ようこそ、召喚士育成機関トロノ支所へ」

 奥の窓際に机が一つ。全員の入室を確かめて座っていた男が立ち上がった。

 「所長のブラス・ネバンダだ」

 肩まで伸ばした髪に無精髭を生やした細身の男性はブラスと名乗るとチコと私にそれぞれ握手を求めてきた。がっちりと握った手は骨ばっており、どことなく頼り無い。

 「チコ君とザナ君、だね。カルディナ君の制限を突破して、召喚陣を発動させたという話は既に報告を受けているよ」

 「はぁ……」

 所長と言うくらいだからもっと老成した人物を想像していたのに、見た目は明らかに四〇前後だった。口を開く度に匂ってくる煙草のせいか声は低いが。

 「難しい話は短めに。……君達には召喚士としてこれからビアヘロ退治に当たってもらう。時には命を落とすかもしれない。それだけの覚悟は君達にあるかな?」

 「はい!」

 「……はい!」

 覚悟だったらとうに決めている。だけど、この人はレブとフジタカを見ていないように思えた。闘うのは私達だけではないのに。

 「当面、君達にはそこのインヴィタドと行動を共にしてもらう事になるが……」

 「私は問題ありません」

 「……そうか」

 やっと、ほんの一間だけブラス所長の目がレブを見た。

 「君……チコ君は?」

 「俺も、フジタカとならやれます」

 「チコ……」

 フジタカが一度尻尾を振る。不安そうだった表情も少し和らいだ。

 「そう言ってくれて助かるよ。教程を飛ばせるしね」

 「所長!」

 「ひっ!ごめんってば……」

 ブラス所長がさらりと言って、カルディナさんが声を荒げたが何の話だろう。

 「……二人には実践演習から始めてもらうことになります。そして合間に召喚学の基礎を学ぶ。……本来は逆で、操れるインヴィタドを用意できる段階に至ってから実践なんだけど」

 「でも俺達には……」

 「もうレブとフジタカがいるから……」

 「そ。あんまり必要無いってこと」

 最後の言葉を所長が拾うと、雑多な机の隅に置いていた木箱を差し出してきた。

 「開けてごらん」

 所長に言われて開けると、中に入っていたのは太い、革の腕輪が二つ入っていた。

 「一つずつ、受け取りなさい」

 手に取って見ると、トロノの伝承にあった鳥の町章や魔法陣が幾つかが刻み込まれている。留め具が二つ付いており、一つは手首に巻く用として……。

 「こっちの留め具は?」

 「君達の召喚陣を収納するための物だ」

 「あ、そういうことか」

 チコがズボンの間に挟んでいた召喚陣を取り出す。羊皮紙を畳み直して、その隙間に挿し込んでいくと綺麗に収まった。

 「……もう一枚か二枚なら入りそう」

 私も鞄から取り出したレブの召喚陣を奥まで挿し込む。少し角ばっていると思うけど革だからそのうち馴染むかな。

 「それは召喚陣の携帯と保護が目的だが、召喚士の身分証明にもなる。極力肌身離さず持っておくように」

 どこかで見たと思ったがそうだ、カルディナさんも初めて見た時から巻いていた。自分の腕に巻いた腕輪はぷかぷか浮いており、不格好に見える。

 それでも、これが召喚士の証と言われると気が引き締まった。

 「あとはそれ付けてトロノで買い物すると、皆が二割くらい安くしてくれるし」

 ……前言撤回、一気に気が抜けた。

 「さて、君達にはそれぞれ個室があてがわれている。この部屋を出て、一つ目の角を右に行った先だ。カルディナ君には話がまだあるのだが……」

 話を変えてブラス所長がカルディナさんを見る。含みのある言い方に、内容はすぐに想像できた。

 「俺達だけで行ける、よな?」

 「うん」

 道中、カルディナさんが寮の話もしてくれた。道順も忘れていない。

 「すまない。明日以降の予定に関しては、彼女から連絡させる」

 「お疲れ様。また明日ね」

 カルディナさんの労いに後ろ髪引かれる思いはあったが、所長室から出た。

 「ふー……緊張した。ああいう堅苦しい部屋に入るのなんて高校入試以来じゃないか」

 「お前はああいう部屋に出入りしてたのか……」

 フジタカって意外に経験豊富なのかな。チコも肩を落としている。

 「息苦しい部屋だったのは事実だな」

 「煙草臭かったもんね」

 「あぁ。独特の空気だった」

 レブでもあんまり気に入らなかったみたい。

 話している間にあっさりと目的の寮の部屋に着いた。一応男女で別階になっていたので、チコとは途中で分かれている。

 「………」

 「………」

 男女別、という話で私の部屋の前には名前も貼られていた。誰かと共有という事でもなく、完全な個室。

 そこに私はレブと居た。

 「レブもここ、なの……?」

 「他にどこへ行けと言う。インヴィタド用の部屋については聞かされていない」

 その通りだけど……。

 「不服か」

 「ううん、私は平気。レブこそ、嫌じゃないの?」

 馬車での移動とは言え、野宿も何度かしている。今更レブが近くにいることで危機感は無かった。それでも逆はどうか分からない。

 「一日二日、床で寝る事に抵抗は無い。しっかりした建物だ。雨風に悩む必要は無さそうだしな」

 「……トーロには明日確認しよう?」

 「そうだな」

 トーロもカルディナさんと同じ部屋で寝ているとは少し考えにくい。それとも、召喚士とインヴィタドは同室という規則とかもあるのかな。

 「明日と決めたのだ、今は休め」

 「え?」

 チコはフジタカとどうするのかな、と訪ねようかと思った。行動に移す前にレブは言って、扉の前に陣取ってしまう。

 「床で良いの?」

 「問題無い。岩盤で寝ていた時期も短くないからな」

 窓の外を見るとほぼ同時に陽が沈んだ。……まだ、見えなくなる前に。

 「はい。こっちはレブが使って」

 背を向けて横になったレブに厚い方の毛布を一枚被せてやる。

 「貴様は寒くないのか」

 「毛布はまだ一枚あるし、まだ暖かい季節だから」

 「そうか」

 私の返答を聞くとレブがもぞもぞと動いて毛布にくるまった。本当に今日はもう寝てしまうつもりらしい。だったらその前に。

 「おやすみ、レブ」

 「……あぁ」

 流石におやすみ、と返してはくれないか。それなのに、不思議なもので私はクスッと笑ってしまった。



 翌日から始まった実践演習はインヴィタドの能力を試すものだった。召喚した彼らが戦闘に向いているのか、実際に戦ってみる。そこには私達の指示能力も考査対象に含まれていた。

 「ぐっ!ぶぐっ!」

 快晴の空の下、私達は今日もトロノの外れに広がる空き地に呼び出されていた。そこに響くのはレブの呻き声だけ。

ぶよぶよの液体と固体の中間を維持して動く軟体生物、スライムがレブの手足を封じている。更に別固体のスライムが一部分を硬質化させてレブの顔へ、腹へ繰り返し打撃を加えていた。

 「レブ!えっと、次は……!」

 「貴様は黙っておれ!ぷぐぅ!」

 私がスライムの打開策を考えながら喋るとレブは怒鳴った。この程度は自力で切り抜けると言って聞かないが、かれこれ十分はこの状態。

 「はぁっはっはっ!おチビよ、この程度か!」

 「ぐぬぅぅぅ……」

 監督として同伴していたトーロが動く事もままならないレブの頭を斧の柄で小突く。見かねて堪らずに言ってしまう。

 「レブ、魔法!」

 「ふん!」

 「うぉ!?」

 私の一言と共にレブの腕と足から糸の様な電流が迸った。一瞬遅れてバチィ、と音がした時にはもうスライムは液体と化してレブの拘束を解いていた。トーロもいきなりの閃光にたじろいでしまう。

 「フ……他愛も無い」

 レブがべしゃ、とスライムだった水溜りに足を突き入れる。

 「何が他愛も無い、だ。手も足も出なかったくせに」

 「多対一で押し切られただけだ……!」

 トーロの指摘にレブが反論した。事実として、レブは既に何体ものスライムを拳の一撃で潰している。一対一では圧倒していたので趣向を変えようと数体と一気に戦った結果はご覧の通り。……魔法を禁止されていたら何もできなかった。

 「………」

 「ザナさん、大丈夫?」

 カルディナさんが胸を押さえる私に声を掛けた。セルヴァの試験での失態は私達を一人前の召喚士に育て上げるまで教師役を引き受けることで帳消しにする、とブラス所長に言われたらしい。教えてくれたのはあのソニアさんなんだけど。

 「はい」

 胸は痛んだがそれ程でもない。レブが力を抑えて雷の魔法を発動してくれたからだ。

 「この数日見ていたけど、彼はかなりの戦闘向きね」

 スライムを召喚し、動かしていたのはカルディナさんだった。思念に反応して、慣れれば召喚者の意のままに操れる異世界の軟体物質召喚は召喚学の基礎中の基礎とのこと。

 「そうだと思います」

 カルディナさんに頷いてレブを見る。感覚が違う、とは言っていたけどスライム潰しならその日のうちにどんどん速度を上げていった。私とチコよりも少し前に召喚士になった人達の召喚と指示演習に参加しても、この前は召喚士達が先に音を上げてしまうくらいだった。

 「彼と比べるのは酷だけど……」

 「はは……」

 カルディナさんが眼鏡の端を上げ、横目で逆方向を見る。一方で行われている演習を見て私も苦笑した。

 「フジタカ!もっとスパァーン!とぶっ叩くんだって!」

 「できねっつの!うぉ!こっち来んな!」

 桶一杯分の厚みを持ったスライムが一体。同じくカルディナさんが召喚したものだけど、レブの方に操作を集中していたから動いていなかったと思う。しかし、レブの演習が終わってぬるりと動き出せば対峙していたフジタカは叫んだ。

 「この!この!」

 フジタカが支給された剣をブンブン振り回す。切っ先が微かに掠めて抜けるだけでスライムはすぐに修復されていた。

 「真ん中からズドーン!だって!」

 「お前の指示、擬音多過ぎだー!」

 チコの指示を大雑把に聞いてフジタカが上段に振り上げた剣を勢い良く振り下ろした。指示通り、真中を切り裂いたがそれすらも繋ぎ合わさる。それどころか、彼の剣を取り込んで固まった。

 「げ!放せ!放せって!うわぁぁぁ!」

 一部が硬化し、残りの部分がずぶずぶと剣をせり上がってくる。我慢できずにフジタカは剣から手を放したが、スライムは逃がさない。

 「おわぁぁぁぁ!」

 見計らった様にスライムが跳ねる。私達の身長よりも高く跳ぶ軟体にフジタカは情けない声を上げた。

 「くっ……!」

 だが、フジタカは退かない。ポケットをまさぐり、素早くナイフを展開するとスライムを迎撃する様に構えた。

 「おらぁ!」

 ナイフがスライムに触れる。同時に聞き慣れない音が耳を通り抜ければそこにスライムの姿はもう、無い。

 「はぁ……。またやったのね……」

 カルディナさんは溜め息を洩らすがトーロはフジタカに拍手を送った。

 「見事だな、フジタカ」

 「あ、ありがとうございます!」

 ナイフを畳み、頭を下げるフジタカ。チコはすかさず駆け寄ってその頭を殴る。

 「あだっ!」

 「お前!またナイフ使ったな!」

 「仕方ないだろ!あのままじゃ……」

 多分、顔面がスライムに包まれて窒息に陥る。溺れて死ぬ様なものだ。

 「だからってそれじゃ進歩無いだろ」

 「分かってるけどさぁ……」

 チコとフジタカのやり取りを見ながらカルディナさんが紙にペンを走らせる。見えた範囲は限られているけど、今日の訓練の報告書だった。

 「フジタカ、お前の魅力はその顔立ちと尾……とと、間違った。ナイフの能力にある。カラテとかいう武道を嗜んでいただけあって、筋も良い」

 「は、はい……」

 トーロからの指摘もカルディナさんは聞き逃さない様にしているようだった。……顔立ちの部分はいらないと思う。レブ、ブドウじゃなくて武道だからこっち見ないで。

 「しかし同時に届く範囲の短さは弱点だ。分かるな?」

 彼の持つナイフでは本当に密着するぐらいの気持ちで無ければ使えない。的確な指摘に頷くしかなかった。

 「だったらそれを補わなければいけない」

 「そのために剣の練習をさせてたんですよね」

 昨日の今日で構えは変わらない。分かっていても時間は待ってくれないのでフジタカはとりあえず、と剣を握っていた。

 「だが」

 トーロが一度言葉を区切る。

 「普段は剣を使い、いざという時にナイフを取り出してはまだるっこしい。俺の斧と同じようにお前は両刀使い、になるという手もあるぞ?」

 鼻息を噴出させてトーロが笑う。フジタカの表情は逆にひくついた。

 「片手剣にナイフ、ですか……」

 「あぁ。今日の訓練はここまでだ。だが、お前が望むなら今夜、俺の斧使いを見せてやっても良いぞ?」

 チコは息を呑んで二人の異様な雰囲気を見守ることしかできない。

 「お、俺、今日はいつもより長くて疲れてるんで……こ、これで失礼します!」

 「おい、フジタカ!待てよ!」

 逃げ出すフジタカとそれを追うチコ。トーロは肩を竦めるだけで追おうとはしなかった。

 「……私は解散宣言してないのにな」

 「あはは……」

 トーロの方を見ながらカルディナさんはペンで頬を掻く。

 「フジタカの能力……まだまだ未知数な部分が多いわね」

 今までの報告書らしき用紙をパラパラ捲って彼女は呟く。便利だとは思うけど、気味が悪い部分もあった。

 何でも消すナイフと命名されたフジタカの所有物。彼以外が何かを切っても意味は無かった。フジタカ本人が手で投げても効果は無いが、魔力をよく通す植物の茎で編んだ縄を結んだ状態であれば遠距離でも消せる。そのため魔法が関与しているのは確定していた。

 問題は本人がどう発動しているか無自覚な点だった。試しにトロノ支所の不要な書類を消していたが、何枚消そうとチコもフジタカも魔力を消費している様子は無い。低燃費で絶大な威力、とチコは言ってたっけ。

 「そして、二人は指示がまだまだ具体的じゃない。あれではインヴィタドも自分で判断するしかない」

 「すみません……」

 「謝る事は無いけどね。私もそうだったし」

 カルディナさんが慰めてくれてくれたけど、私は落ち着いていられなかった。



 「召喚士の、最大、の目標……と」

 召喚士が目指すべき到達点。それは自身が魔法を操れるようになる事だ。この世界の住人でありながら何も無い場所から火を出し、水を湧かせ、大地を割って木を生やす。その術をインヴィタドから伝授してもらう。

 「そのために……」

 私達は魔法を操れるだけの魔力と、教えてもらえるだけの知力を兼ね揃えたインヴィタドを召喚しなくてはいけない。加えて、そのインヴィタドから認められるだけの実力も身に付けておく必要がある。分不相応であれば死も覚悟しなくてはいけない。

 「………」

 寮の部屋で支給された羽ペンの書き心地を堪能しながら紙にインクを刻み込む。召喚学の基礎、と言って渡された本の内容を書き写していたが最初で躓いていた。悪戯に紙にインクが滲みこんでいく。

 召喚術の勉強と言って他の召喚も試していた。だけど、私には御しやすいスライムも出せなかった。見習い召喚士達が次々に出していた単純な基礎のモノですら、だ。

 下唇を噛み締めてやっとペンを紙から離す。分析しているのは何もカルディナさんだけじゃない。

 本当ならレブに弱点は無い。それでも強いて挙げるのなら腕と足が短い事。それに魔法が自分の意思で撃ち放題ではない事。

 「………」

 言い換えれば、私のせいなんだ。私がレブをあんな姿にしたから。私の魔力が未熟だから。だからレブはスライムにボコボコにされてしまう。だから……。

 「消灯時間は過ぎている。まだ眠らないのか」

 「えっ……」

 レブの声にハッとして振り返ると、時計は消灯時間をとっくに過ぎていた。因みに、部屋を変えられないか相談したが、既に部屋が埋まっており、今は増改築しようか検討している段階と言われてしまった。余裕があった頃に入ったトーロの部屋を共有、という提案はレブの方から蹴って今もここに居る。

 「あぁ、ごめん……。もう少し、だけ」

 「ここ数日、毎日ではないか」

 「………」

 先に読み始めたのは召喚陣の描き方や魔力の注入制限の方法だ。読み終わってからは実際に召喚陣を描いて、召喚もこの部屋でこっそり試している。安全な教室や外で試したかったが、訓練が終わってからでは外出は許可されない。だからこうして夜にランプを点けて勉強しているんだ。

 「何を考えている」

 「あ、夜食はダメだよ」

 止めたがレブは買い溜めて棚に置いていたブドウに手を伸ばし、一つ口に放る。

 「規則を守らない召喚士に私を止める事はできんぞ」

 「うぅ……」

 それを言われると辛い。

 「学ぶ姿勢は感心だが、詰め込み過ぎも良くないぞ」

 「………」

 話は分かる。だけど……。

 「ねぇレブ。レブは元の姿に戻りたくないの?」

 「………」

 私の質問にレブはもう一粒、と伸ばしていた手を止める。

 「私に力が無いせいで、レブが怪我をするの見たくないよ……」

 「日中の話をしているのなら、問題無い。打撲も翌日には完治している」

 「だけど、レブはしなくてもいい怪我をしてる。私にもっと魔力があればこんな事にはならないのに」

 「………」

 レブは腕を下ろし、組んでこちらを見据えた。

 「成果を急ぐな」

 そして一言だけ発する。私は思わず立ち上がっていた。

 「でもそれじゃ、私はいつまでもレブの足枷だよ!」

 召喚士とインヴィタドの関係は実際拘束し合う関係なのかもしれない。だけど、それにしたって私がレブに掛ける負担は重過ぎる。

 「私に魔力があればレブをあの姿にするとか、もっと魔法が使えるんだよ。だから……」

 「だからと言って、今日明日で魔力を増幅するのは不可能、夢物語だ。都合良くはいかん」

 分かっていても目を背けたたかった部分をレブが見せ付ける。

 「段階を踏め。今の貴様には私を維持しつつ、あの軟体を召喚するのも荷が重い」

 「………」

 「私を留まらせて、できる範囲で魔法を少し使わせる。それだけでも日々の魔力増幅鍛錬にはなるだろう。いずれは余力で別召喚も可能な筈だ」

 自分の力は一番分かっていると思っていた。なのに、レブは私の知らなかった私の事まで話してくれている。

 「私は、レブに我慢してもらわないと、自分もレブも維持していけない」

 「……事実だな」

 今の指摘でよく分かった。

 「だけど、これからも一緒にいてくれるの……?」

 私は自分で選んだ道をこれからも進みたい。今の努力では過負荷で逆効果なら、きっともっともっとゆっくりとしか進めない。それでも止まりたくはなかった。

 「私は私の目的でここに来た。貴様が気にする事ではない」

 フ、と笑うとレブは背を向けて毛布を被った。彼なりに私の頼みを聞き入れてくれたらしい。

 だけど、レブの目的って何だろう。……それに、口振りからして自分からオリソンティ・エラに来たみたいだった。



 「寝る前の話を翌日に持ち越すな」

 翌朝、起きてからレブに聞いてみると一言で一蹴された。

 「私はこの場にいる。貴様にそれ以外を考える余裕はあるのか」

 「……ううん。今は、目の前の課題をレブと乗り越える」

 「それで良い」

 上手く逃げられた気がするけど、レブの言う通りだ。できる事からやっていこう。

 「なぁ知ってるか?あのソニアって人、竜人を召喚したらしいぞ」

 チコとフジタカとトロノ支所の前で合流して今日も空き地へ歩き出すと、すぐにチコが口を開いた。フジタカはもっと大きく口を開けて呆然としている。

 「え、いつ!?」

 「俺が風呂入ってる時に聞いたから……昨日の夕方とかにはいたんじゃねぇの?」

 「知らなかった……」

 私も知らなかった。誰かが何かを召喚したという話だけは聞こえてきていたけど、それがソニアさんで、しかも竜人なんて。

 「レブ」

 「構ってはいられん。急ぐぞ」

 もしかして、同じ世界の出身なんじゃないのか聞こうと思った途端にレブは歩を速めた。話を続けようにも、加わる気は無いらしい。

 「……どんな竜なの?」

 私はどうしても気になってチコへ視線を戻す。当然、フジタカも同じ様だった。

 「緑竜で……」

 緑竜とか青竜って何となくだけど、温和な印象がある。伝承でも人懐こい竜として描かれているのは……。

 「口が悪いらしい」

 ……前言撤回。寧ろ、竜だとかドラゴンなんて存在はもう目の前にいる。参考にするなら伝説よりもそっちの方が断然身近だった。

 「体はそんなに大きくないらしいぞ。トーロの方がムキムキだってんだから、フジタカでもなんとか勝てるんじゃないか?」

 「まともにやり合ったらデブには攻撃も当てられない。大きさや見た目で判断は良くないと思うぞ」

 フジタカがチコへ冷静に言った。思ったよりも現実的な返答で彼を見上げていた。

 「どうした?」

 「ううん。フジタカ、ちょっと変わったなって」

 名前もちゃんと呼べれば良いのに。

 「はは……まぁ、トーロが体に教えてくれるしな。嫌でも身に付いてくるさ」

 今日も扱かれるんだろうな、いっぱい。

 フジタカは何日か前にトーロが言っていた通りに剣を二本構えてスライムに挑んでいた。勿論、何でも消すナイフに代わって使っているのは似た刃渡りの短剣だった。

 「はっ!」

 小振りの片手剣を先にスライムへ横薙ぎに振るう。ぶにょん、と刃は相手を切り裂くことなく沈んでいく。

 「そこだぁ!」

 更に踏み込み、フジタカは牙を鳴らしながらそのまま腕を振るった。剣の刀身がゆっくりと抜けて行き、完全に脱した時を見計らって短剣を突き入れる。

 「ふっ!」

 直後、短剣を引き抜きフジタカは後ろへ跳んだ。スライムは健在で、形が整うとぷるぷる揺らめいていた。

 「………よしっ!」

 拳を握り締めてフジタカは満足げに頷いた。

 「あれ、何?」

 スライムとまともに戦うどころか、飛び退いてフジタカは手応えを感じている様に見えた。

 「フジタカの持つナイフは相手に一発触れさせるだけで勝つんだ。だから、一撃離脱の練習をさせている」

 腕を組んでフジタカを見詰めるトーロの解説と合わせて、もう一度彼の動きを見る。

 「片手剣で相手の攻撃を防ぎ」

 スライムがフジタカに飛び掛かるが、剣の腹で受けて自身を庇っている。

 「凌いだところを……」

 べしゃ、と音を立ててスライムが着地した。

 「一突き!」

 そこへフジタカはナイフをすかさず突き入れる。実際のナイフでは当然、相手を消し去る力は無い。だから彼は後退していた。

 「運動神経は悪くないんだ。仮に何でも消すナイフが消えたとしても、度胸さえあれば、毒を塗り込んだ短剣で一旗揚げるくらいに化けるかもしれんぞ?」

 「フジタカってやっぱり凄いんだ……」

 トーロはフジタカの可能性に期待しているようだった。自分の方が腕力はありながらも相手の秀でた部分は認めている。

 「あの……その何でも消すナイフって呼び方、どうにかならないのか?」

 聞こえていたのかフジタカが離れたところから声を張る。スライムも彼が戦意を消したと察したのか動きをぴたりと止めた。

 「だったら、どうすれば良い?」

 「もっとこう、カッコ良いの!バニシングキャリバーみたいな!」

 フジタカが声を張るが私達は首をほとんど同時に傾げた。彼は何を言っているのだろうと。

 「……消去短剣」

 名前が気に入らないのは分かったから、思い付いたものを呟く。

 「強制転移ナイフ」

 隣に佇むトーロもしばし唸ってから捻り出す。フジタカは私達を見て項垂れてしまった。

 「……もういいし」

 だったらさっきのバニなんとかでも好きに呼べば良いと思うんだけど……。元々はチコが名付けたんだけどね。

 「それで……」

 フジタカと話している間に反対を向く。……もう途中から声は聞こえていたんだけど、予想通りの光景が広がっていた。

 「ぶぐっ!へぶぅ!むぐーっ!」

 レブがスライムに塗れて暴れている。顔も覆われており、あの状態では呼吸困難だ。

 「ふんぬぅ!」

 自力で突っ込んだ手を動かし、かろうじて部分的に拭うと一気に鼻息を噴出した。そこで私は胸を押さえる。

 「はぁっ!」

 「く……!」

 魔法が発動し、レブが全身に電流を纏う。瞬時にスライムが無残に飛び散って元に戻る事は無かった。

 私の方も胸は痛んだが、レブの挙動を見ていたら身構える事ができた。ペルーダと戦った時もそうだ、使うと分かっていれば備えられる。ただの根性論で消費は変わっていなくても。

 「……貴方達は変わらない、わね」

 「………」

 カルディナさんに変わらないと言われても仕方ない。だけどレブが言った成果を得るためにも、今はこれを繰り返すしかない。

 「それで、今日は二人に話があります」

 改まってフジタカへヤジに似た応援をしていたチコと私にカルディナさんが向き直る。

 「気分を悪くしないで聞いて。二人が召喚したインヴィタドは特殊ではあるけど、召喚士や周りの人に害を成す様な存在ではないとようやく認められました」

 私とチコは顔を見合わせた。

 「そんなの、当たり前です」

 「あぁ。アイツは悪魔なんかじゃない」

 レブとフジタカ、それぞれがやっと私達の味方と認定された。それは、もうトロノへ最初に来た時の様な肩身の狭い思いをしなくて済むということ。

 「信頼してるのね。……ここしばらくの訓練から、二人のインヴィタドは攻撃力が非常に高い特攻型と査定されました」

 スライムと殴り合っていただけとは言え、何でも消すナイフ使いのフジタカも、使用回数が限られたレブの雷も威力は絶大だと思う。その分、他の部分に弱点はあるが。

 「そこで戦闘向きと認定された彼らと、貴方達には近日実地訓練を行ってビアヘロ退治に同行してもらう事になりました」

 私もチコも表情が険しくなる。既に経験しているとは言え、同じ相手にもう一度勝てるかも分からない。

 「同行だから、貴方達の出る幕は無いかもしれません。そんなに怖がらないで」

 「は、はい……」

 チコもフジタカと普段は軽口を叩いているが現場となればふざけはしない。

 「同行するのは私とトーロ。それと……こっちへ来てもらえないかしら」

 振り返ってカルディナさんが路地の角へ声を張る。するとそこからぬっと影が二つ伸びた。

 「ソニア……さん」

 「調子良さそうじゃない」

 現れたのはトロノ支所に到着したその日以降、何度か会っている先輩召喚士だ。トーロからは嫌われているが、カルディナさんとは付き合いが長い。

 「レブ?」

 「静かにしろ」

 直後、レブが私の後ろに隠れた。しかも、話し掛けるな、こちらを見るなと釘まで刺された。

 「そっちのって……」

 フジタカも剣を鞘に収めてソニアさんの隣にいる存在を見上げている。

 「……」

 背丈はトーロと同じくらいか少し小さい。しかし、生やした大きな羽が彼の存在を周囲に誇張する。

 「紹介しましょう。彼こそ、ティラドル・グアルデ様。私が召喚した竜人です」

 羽以上に、美しく陽を反射する緑鱗は私の頭髪なんかよりもずっと美しかった。見惚れるくらいに規則正しく並んだ鱗に全身を包まれ、ティラドル様と紹介された竜人と目が合う。

 「……竜人を召喚したのはこの女か」

 紹介に補足をすることもなく、竜人は一歩前へ進んだ。

 身を包む衣服は立派な背広で、大きさは違うが似た服飾をトロノで買い物をしていた時に見掛けたと思う。暗い赤のベストが良く似合っていた。

 「はい!」

 ソニアさんは元気良く緑竜人に返事をするが私は目を逸らせなくなっていた。一歩でも動けば殺されるのではないかと思うくらいの威圧感が重く圧し掛かる。

 「小娘。お前が召喚した紫の竜人とはどこだ」

 明らかに、私のローブの後ろで息を潜めているレブの事を言っている。

 「答えろ」

 私が黙っていると冷たく見下ろしながら念押しをする。

 「………」

 怖さもある。だけど、恐怖で黙っているのではない。理由は知らないけど、レブが嫌がっているのは間違いなかった。

 「……何故、黙っている」

 「私、ザナと言います」

 「ならばザナ。我の質問に答えろ。拒否すれば……」

 ス、と竜人が手を構える。すると、指先から鋭利な爪がビキビキと音を立てて伸び始め、フジタカのナイフと同じぐらいの長さに変わった。

 「ソニア!」

 事態を見てカルディナさんが怒鳴る。

 「いいから答えなさいよ、あの竜はどこにやったの?」

 答えないなら死ぬわよ、と言いたげに悪びれる様子もなくソニアさんは言った。

 「……無理があったか」

 観念したのかレブが私の背後からひょこ、と顔を出す。前へ出ると私を庇うように片腕を広げて二人と対峙した。

 「あ、あぁぁぁ……アラサーテ様!」

 「………」

 服は新品であろうに、汚れる事も躊躇うことなく土やスライムに塗れた地面へ竜人は膝をつく。レブは顔を上に反らす様にして彼を見下ろした。

 「何故ここへ来た、ティラ」

 ティラ、と呼ぶと緑竜は肩を跳ねさせた。レブの声がいつもよりも低い。

 「貴方様を探し、お迎えに上がるために来ました」

 知り合い、らしいということは分かった。しかもただならぬ関係と。

 「それでそこの赤髪の召喚に応じたのか」

 「ええ。……ふん。この女の粗末な召喚陣は窮屈でした」

 ソニアさんの表情がひきつった。

 「ティ、ティラドル様……?」

 「こうして我が主人と再会できたのも何かの思し召しです!さ、帰りましょうぞ!」

 帰るって、自分達の世界に?

 「ちょ、ちょっと待って!」

 私はレブの後ろから二人の話に割り込んだ。

 「レブは……」

 「小娘ぇ!馴れ馴れしくその名を呼ぶなぁ!」

 喋り出そうにも、立ち上がった竜人に一喝されて竦み上がった。レブはピクリとも動かないが、私の膝は震えている。

 「ここにおわす方を、アラサーテ様と知っての無礼かぁ!」

 また、聞き慣れない名前。口も開けずにレブへ視線を落とすと目が合う。

 「……如何にも。私は紫竜、アラサーテ・レブ・マフシュゴイだ」

 私の疑問を察してか、長い溜め息を吐き出してレブは腕を組む。

 「それが本名だったんだ」

 「覚えにくかろう」

 やっと出た声も震えていた。気付いたのかレブは目を伏せて笑う。

 「かつて、我らの世界は部族の争いが絶えなかった。その部族の長、あるいは部族の豪傑共を片っ端から潰して戦を失くした武神がアラサーテ様だ」

 どうしてレブに無礼を働いてはいけないか教えてくれる辺り、ティラドルさん……も悪い人ではないのかも。

 「神などと呼ばれる存在には程遠い」

 「ならば武王でございます!」

 あまりレブは気に入ってなさそうだけど。

 「……ゴホン。戦乱が終結した後に、アラサーテ様に心酔した我は執事として片時も離れぬように努めてきた」

 「執事など雇った覚えは無いがな」

 自分からじゃなかったんだろうなぁ。だけどレブを語るティラドルさんは生き生きしている。恍惚の表情、って言うのかな。

 「しかしアラサーテ様は理由があったとは言え、急にここへ来てしまった。だからここまで追ってきたのだ。同じ方法でな」

 理由、と聞いて意識がすぐに鋭敏になった。彼は知っているんだ、どうしてレブがここにいるか。

 「それがこんなに変わり果ててしまわれて……」

 しかし、ティラドルさんは話題を別方向に掘り下げる。当たり前だ、主の姿が縮んでいるのだから。

 「アラサーテ様の後ろにいる小娘が変質させたのですね?」

 あ、怒ってる……。すぐに分かった。

 「……ふーん?」

 そこに話を聞いていたフジタカが私とレブの隣に来た。

 「お前、変わったドラゴンだったんだな」

 「若い頃に色々やっていただけだ。他にする事も無かったのでな」

 他に無いから部族を壊滅させてた、ってのは色々で済ませちゃ駄目だと思う。

 「要はしゅごいアラサーってわけだ」

 「変に略すな」

 フジタカがレブをからかい出す。

 「じゃあ何歳だよ?」

 「……齢、二万九千九百九十六歳だ」

 さらりと言ったが桁が違う。私との歳の差は二万九千九百八十歳。想像もできなかった。

 「てぇことは……。うん、やっぱりアラサーじゃん」

 アラサーテ、って名乗ったと思うんだけどフジタカの言っている違いが分からない。

 「……これ程までに釈然としない苛立ちを感じたのは久し振りだ」

 だけどレブも片目を痙攣させている。ティラドルさんは更に両手の爪を先程の様に長く伸ばしていた。

 「そこの毛皮!剥ぎ取り敷物にしてくれよう!」

 「止めてくれよ!」

 怒号に対し、フジタカも流石に身を引いた。対してレブは楽しそうに前へ一歩出る。

 「いいや、犬ころよ。奴を消せ。そのナイフなら可能だろう」

 意外な発言に私もフジタカも目を丸くした。

 「な、何故ですか!その無礼者を断じるならまだしも!」

 一番動じているのはティラドルさんの方だった。まさか自分の崇める王に言われるとは思っていなかったのだろう。

 「お前の方がウザいから、だ」

 フジタカみたいな言葉遣いでレブは容赦ない追撃を一言浴びせた。途端にティラドルさんの宝石の様な目が潤み始める。

 「ご……御無体な!私はただアラサーテ様の幸せを願い、尽くす事こそが喜びで……!」

 「今は帰るつもりなど、毛頭ない」

 毛、生えてないもんね。

 「間違っても、私の召喚者に手を出してみろ。貴様の命はこの手で刈り取り、輪廻に送る事無く葬り尽くす」

 「………っ!」

 前に立ったレブの顔は見えない。だけどティラドルさんは身を固くしてから数歩後退した。私も二人の間に入れない緊迫感に気圧されてしまう。

 「……分かり、ました」

 よろめいていたティラドルさんが地面を踏み締める。

 「ですが今は、と仰いましたね?ならばアラサーテ様のお帰りの時まで、不肖ながらこのティラドル・グアルデが同行致します」

 「先程までの話を聞いていなかったのか……」

 疲れた様子でレブは頭を抱える。それはいつもの彼だった。

 「ソニア、インヴィタドにあんな勝手な真似……」

 「……私はティラドル様に選ばれたの。利用されているだけでも、今は……いい」

 粗末な召喚陣とティラドルさんは言ったが、それが入っているであろう腕輪を抱いてソニアさんは震えている。同じ、カルディナさんと話している場面なのに以前会った時とは雰囲気がまるで違う。

 「女!」

 「はい!」

 しかし、ティラドルさんの声にソニアさんは背筋を楽器の弦の様にピン、と張る。

 「お前の言う通りにアラサーテ様とビアヘロを滅しに向かってやる。準備を急げ」

 「承知しました!カルディナ!アンタ、遅れる様な事があったら承知しないから!」

 「我も今日は一度戻る。アラサーテ様、もしよろしければ……」

 「早く帰れ」

 「し、失礼、します……」

 なんとかカルディナさんに偉そうにするソニアさんへ威張るティラドルさんを、更に圧するレブ。そのレブはスライムにやられてしまうけど、今回はレブの一人勝ちだった。

 「まったく……。臭うからもしやと思ったが、よもやこんなにもすぐ捕まるとはな」

 「気付いてたんだ」

 レブは頷いた。

 「会いたくはなかったが、奴も力はある。貴様はあの娘がティラにどうやって指示するか見学するのだろう?力として身に付けられるかは自身に委ねられる。そこは忘れるなよ」

 「……うんっ」

 ティラドルさんに会ってレブは不機嫌なようだった。それでも私への警告にも似た助言は忘れないでいてくれる。

 「でもレブ、ティラドルさんも心配してここまで来てくれたんでしょう?それを煙たがっちゃ可哀想だよ」

 親しく話し掛けてくれた知人に再会して、悪態だけしか吐かずに追い返す。それでは人に嫌われるだけだ。

 「少し言い過ぎた……かもしれぬな」

 かもって、本当にそう思っているのかな。長く鼻息を抜いてレブも先に寮へと足を向けた。

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