第一部 二章 -人狼の高校生と初戦闘-
試験を通った見習い召喚士は終了時点で契約者達に依り村人達から離された。称賛の声を浴びせられる前に、今後の話を聞かせられる。村人達の役目は新たな召喚士を讃えるよりも、先に不合格者を慰める方へ回ることになっていた。
「合格者の皆さんは三日後の早朝にはトロノへ向かう事になります」
村の外れにある修繕した廃屋に私達は集まっていた。今はカルディナさんから今後についての説明を受けている。試験に使った召喚陣の解説に関してはとりあえず、知っている部分とほぼ同じ内容だった。
トロノとはセルヴァから馬車で三日ぐらいの場所にあるボルンタ大陸で有数の都会だった。そこで私達は召喚術を本格的に学ぶことになる。
「ニクス様には、明日より契約者の使命を遂行して頂きます」
人間には魔力線と呼ばれる回路を持つ者が産まれる場合がある。通常は閉じており、体が成熟するに連れて段々と閉じてしまう。
閉じてしまう前の体に力を使ってこじ開けるのが、契約者の使命だ。後は各自で鍛錬して魔力線を自在に操れるようにしておく。やり方は瞑想と同じ要領だった。試験もカルディナさんの言葉に合わせて自分なりに描いてきた魔力線を解放した。結果は……見ての通り。そもそもはまだ幼い頃、契約者に魔力線を開いてもらったおかげだった。
「合格者達に必要な備品は支給しますので、本当に必要な貴重品だけ持って集まってください。質問が無いようでしたら、チコとザナを除いて解散してください。お疲れ様でした」
日没はしたけどまだ宵の口。拘束時間は長くない、通常の召喚士達、は。
ヒルとエマ、ルビーが出て行ってから、カルディナさんは端に座っていた二人を見る。
「貴様はまだ帰れないのか」
「う、うん……」
レブが腕を組んだまま私に話し掛ける。帰れない不満というよりは、何故帰れないのかが分からないようだった。私は何となく察しが付くけど。
「フジタカって思ったより無口だな?」
「いや、下手に喋ったら殺されそうだし……」
「そんなことしないって!……たぶん?」
「ほら、たぶんって!」
一方、チコは積極的にフジタカに話し掛けていた。私もレブと話したい、とは思うけど周りもレブも避けているように見える。
「……トーロはこの二人をどう見るの?」
「フジタカは話せば分かるだろう。アレは悪魔ではない。だが……」
トーロは言葉を切る。そう、レブは未だに二人に警戒されている。
ニクス様に関しては暖炉の前で黙って見ているだけだった。
「……貴方は何モノなの?」
「この姿を見て判別できぬとは、召喚士として何も学んでいなかったようだな」
「ちょっと……レブ!」
レブのあまりに失礼な発言にカルディナさんも青筋を浮かべて口元をひくつかせている。
「歪な亀の怪生物、と言ったところか?爬虫人召喚はこの地方じゃ珍しいからな」
「節穴め。この翼が甲羅に見えると言うのか」
レブが折り畳んでいた翼を広げて見せる。言われれば、上下部分が欠けてしまった甲羅に見えなくもない。
「ふ……っ!くっ!うっ!」
翼をパタパタと羽ばたかせる。しかし、レブの大きな足は床に着いていた。
「ぐぬ……あでっ!」
見かねて自分から跳んで足を浮かせたが、翼がレブの自重を御し切れない。数秒は浮いたが、唐突に尻もちをついて苦悶の声を上げる。尻尾が変な方を向いて、付け根を押さえる姿にトーロは大いに笑った。
「ぶあっはっは!翼ではなくただの飾りか!甲羅以下だな!」
「こ、こんな筈では……」
レブが声を低くし俯いた。
「えっと、デブ?」
「違う!」
そこに何を思ったのかフジタカが自分からレブに声を掛けた。怒鳴られて耳を畳んだが、彼からすれば似た境遇の貴重な相手だった。
「もしかしてお前、ドラゴンなのか?」
「あっ」
私も最初しか口にしなかった事をフジタカから。レブは当然、頷いた。
「フフ、異邦人の犬よ。鼻よりも目利きが良いのだな」
「お、俺一応は狼……」
苦笑するフジタカだったが、チコの表情が変わる。
「おいザナ。お前、試験の召喚陣の制限を突破してドラゴンを召喚したのか……?」
「えっと……」
高位のビアヘロや悪魔から逆に手駒にされる例はある。ドラゴンとはそんな悪魔をも容易く蹂躙できるような魔力の塊だ。そんなの……。
「私の手で、呼べる訳、ないよ」
口に出して気付く。思い込んでいるだけだ、自分には分不相応だと。
だったら、レブは何モノなのか。私が見上げた幻の彼は自分を竜人とまでは言っていなかった。言う前に……今のレブになってしまった。
「そうだよな。俺だって……ザナ?」
「あ、うん。ごめん……。なんだか眠くて」
話の途中なのに、やけに眠い。試験の前日に夜更かししてしまったのもあるけど、終わってからもずっと体がだるかった。幸い、落雷の時よりは辛くないのが救いだった。
「……。カルディナさん」
「はい?」
「まだ俺達に話がありますか」
チコが私から目線を外すとカルディナさんに向き直る。
「ソイツらは少なくとも、俺達に害は無いでしょう?」
「それは……」
判断しかねているように見えた。
「……今日はもう解散させなさい」
ずっと黙っていたニクス様が一言。レブは片目を細めたが何も言わない。
「……分かりました。二人とも、ご苦労様でした」
カルディナさんは言い足りない部分があったように見えた。
「よしフジタカ!帰るぞ!」
「でもまだ……」
「いいから!じゃ、失礼しまっす!」
フジタカの手を掴んで、チコは早々に出て行ってしまう。扉が閉まり、暖炉の薪が燃える音が部屋を支配した。
「何をしている?許可が下りたなら、早く貴様も案内しないか」
「うん……」
やっぱりレブも来るんだ……。一人暮らしだから構わないけど。
「では、私もこれで」
「ザナさん」
立ち上がると、足が痺れた。カルディナさんの声に玄関へ向かった足を止める。
「はい」
「体調が優れないようなら、すぐに報告なさい。いいですね?」
「承知、しました。……失礼します」
見抜かれていた。たぶん、チコも私の体調に気付いたから解散を急かしたんだ。
扉を閉めて数歩。恥ずかしくなって顔を押さえた。
「慣れない事をしたのだろう?無理もない、そんな日は早く休むに限る」
レブの声に押さえた手を離す。月明かりに照らされた紫の鱗と、彼の黄金の瞳が暗い夜道のせいか余計に眩しく見える。
「心配してくれるの?」
「私も魔力の供給を断たれたくはないからな」
その一言に引っ掛かる。もしかしてチコの狙いは……。
「……明日、チコとフジタカに会わないと」
「準備は済んでいるのか?」
「うん。荷造りは済ませたんだ。あとは出る前に掃除を少ししたいくらい」
「用意周到だな。良い心掛けだ」
今日のうちにセルヴァを出るぐらいの心づもりでいただけ。でも、出発が今日でなくて助かった。もう、眠いもの……。
翌日起きると体調は幾分良くなっていた。昨日の興奮や疲れも、起き出て体を伸ばせば抜けていく。
「………」
何か足りない。自分の胸に小さな穴を空けられたような、空虚感とも違う。どちらかと言えば風通しが良くなって、どこかに自分の一部が少しずつ流れ出している様な感覚。これが召喚で対象に魔力を注ぎ込むって事なのかも。
「あれ、レブ?」
革靴を履いて、家の中を見回したが、レブの姿はない。
「起きたか。ここだ」
私の呼び声を聞き付けたのか、レブが玄関の扉をそっと開けた。
「あれ……」
「あ、おはよっす」
レブの後ろから顔を覗かせたのはフジタカだった。服装がチコの物に変わっているけど。
「入れ」
「ありがと」
「ちょ、ちょっと勝手に!」
レブが自然に私の家にフジタカを招き入れる。
「不都合でもあるか?」
「……無い。でも今起きたばっかりだから、顔だけ洗ってくるね」
「悪い」
二人の横を通り過ぎて、裏の井戸へ向かう。寝起きを見られたくなかったのをフジタカは察してくれたみたい。レブは構わず入っていくけど。
「ふっ……!」
汲み上げた冷水を浴びて引き締まった顔を二度、手でパンパンと叩く。水と相まって良い目覚めになる日課だ。これが無くては一日が始まらない。
「お待たせ」
「お邪魔してます」
「うむ」
もうすぐ退去することになるのに、レブはもう自分の家みたいに振る舞っている。気に入ってくれる分には悪くないけど。
「それで、朝からどうしたの?チコは……」
「チコは荷物整理しているよ。俺は自由行動して良いって言うから、ここに来た」
フジタカは椅子に腰掛けて外を眺めている。
「チコのやつ、教えてくれないんだ。この世界の事。俺は何のために呼ばれたのかとかさ」
「あぁ……」
やっぱり言ってなかったんだ。何となくだけど、そんな気はしてた。
「だから私が知りうる限り話していた。途中で貴様が起きてきたがな」
「えっ!?そんな勝手に……」
「勝手はどっちだ。この犬にも知る権利は当然、有る。まして私は犬の召喚士に口止めをされていない。ならば話すかは私が決める」
レブの言っている事は正しい。相手はゴーレムでもスライムでもない。知能も感情も持った獣人だ。召喚して、ただ命令するだけでは済まされないと思う。私も今日、チコに会ってその話をするつもりだったから。
「……チコやカルディナさんからも説明あるかもしれないけど、分かった。話そう?」
「恩に脱ぐよ」
着てよ。
「そう言えば、フジタカの服はチコが着てるやつだよね。ちょっと小さいんじゃない?」
見れば、丈が短くて若干腹が出てしまっている。寝冷えしそう。
「そうなんだよな。けど、いつまでも同じ服じゃ臭いし」
「へぇ……」
身嗜みにも気を遣えるんだ。やっぱり元の世界では良い暮らしをしてたのかな。そっちの方が興味あるかも。
「さて、まずは話の続きといこうか」
「うん」
でもまずはフジタカの疑問から解決しないと。向こうは獣人で、牙や爪はあっても丸腰でいるんだし。
「えっと……俺達はオリソンティ・エラに現れるビアヘロ、ってハグレ化物と戦うために召喚士達がボン!と出したんだよな」
「う、うん……」
レブが教えたにしてはハッキリと理解してくれている。彼を見てもただフジタカに頷いてやるだけ。
「フジタカはどんな魔法が使えるの?」
「そんなの、使えるわけないじゃん……」
知っているなら話は早い。フジタカの持つ力はどういうものなのか知りたかった。
けれど、全く予想外の返答に私も、レブも固まった。
「魔法が、使えない?」
「当たり前だろ」
聞き違いでは、と考えて聞き返してしまった。言葉を変えても、内容は変わらない。
「妙な話だな。魔法の素養も無いのに、召喚に応じたのか」
「それも知らないって。俺は急にチコに引っ張られてここに来ちまっただけの一般人!」
この期に及んで自分の力を隠す必要は無い。最低限の情報と考えていたけどそれも持っていないフジタカは……。
「トーロさんもニクスさんも、俺と同じ獣人だろ?……おデブには驚いたけど」
「お、を付ければ良いわけではないぞ!」
面白がって言っているんだろうなぁ。
「ビアヘロに対抗するには、異世界の魔法が必須なの」
「それで、俺達に代わりに戦ってもらう。それは都合良い話じゃないのか?魔力の供給ってやつをしてくれるにしても」
「……うん」
考えた事もなかった。魔力を行使して召喚し、代理として脅威と戦ってもらう。仕組みは賃金を支払い傭兵に護衛してもらうのと大差はない。
だけど、召喚はこちらが強制的に行っている。相手の意思とは関係無い。知能を持たない鉱物や生き物ならまだしも、フジタカは来たくも無い場所に居る。
「……知らなかった」
召喚士の目標は地味なモノからコツコツと積み重ねて自分の召喚方法を確立する事。ゆくゆくは対話できる存在と意思疎通を行い……と言ったところだ。
最初から話ができるフジタカを召喚したのはチコの才能かもしれない。……だけど、御し切れる力も方法も私達はまだ持っていないんだ。
「聞いたよ。召喚士の試験でやったら俺が出てきただけ、なんだよな」
「うん」
「だったら知らなくても仕方ないじゃん?算数の勉強始めたばっかのやつにいきなり因数分解しろって言われてもね」
フジタカがよく分からない言葉を使ったので首を傾げる。
「……と、変な喩えだったな。でも……さ」
「フジタカが帰りたいなら……止められない」
狼の頬を掻いてフジタカが頷く。
「この世界が大変らしいってのは俺も分かった。でも、俺がしてやれる事なんて……」
「待て」
レブが強く言葉を遮った。
「今の言葉の先を、言う前に決めてしまうのか?何もせずに」
「………」
そう言えば、レブはどう思っているんだろう。大口を叩くだけあって魔法は使えるかもしれない。
私もチコと同じだ。レブを強制的に留まらせるだけの力は持っていない。でも……。
「……召喚陣を消せば、現界する力が断たれて元の世界に戻れるよ」
「え……」
「貴様はそれを簡単に話して良いのか」
できる事はあるかもしれない。それを言うのは私の役目じゃないけど。
レブは不服そうに鼻を鳴らしたけど、私は曖昧に笑ってみせた。
「甘いな……」
「ごめん」
甘さを指摘しておきながら、レブは私の召喚陣を探そうとしない。実は枕元に畳んで置いているだけなのに。いつでもできるからしないだけ、なのかな。
「チコと話してみる。帰りたい気もあるけど、それくらいゆっくりしたって良いよな?」
「だったら、私も一緒に行こうかな。話した内容の報告もあるし」
椅子から立ち上がったフジタカと一緒に私も立ち上がると、レブも椅子から降りた。
「……レブも来る?」
「あぁ。犬の召喚士に話しておかないといけない事ができたのでな」
表情は読めないけど、喧嘩を売るような気がする。分かっているから連れて行きたくないけど。本人は放っておけば勝手に走り出す勢いだ。
「じゃあ一緒に……」
そこまで言って、家が揺れた。どこかからドォン、と何か大きな物がぶつかった様な轟音と共に。
「な、なんだぁ!?」
「まさか……!」
家の扉を開けて外へ出ると、大量の鳥が空を飛んでいた。木々の隙間、木漏れ日を覆う様に飛び交う鳥達によって村が鬱そうとして映る。
「……西の森の方だ」
鳥達は一斉に西から飛んできていた。
「西の森って、何かあるのか?」
「何も……でも……」
だからこそ、変だ。しかも何か大きな物を破裂させた様な大きな音は止まっていない。
「行くか」
「……うん。見ておかないと」
私の考えを読み取ったのか、レブが前に立つ。返答に彼は口の端を持ち上げた。
「フジタカはどうする?チコの所に戻る?」
「俺は……」
これだけの音だ、村中が気付いているに決まっている。後は逃げるか、見に行くか。
「チコは行くと思うか?」
「たぶんね。俺とお前の力を見せるぞ、とか言うんじゃないかな」
フジタカを召喚した自分に自信は持っていると思う。戻ったところで向かわされる。
「なら、お前達と一緒に行く。その方が安全だ」
「……そう?」
同行するのが私とレブ。カルディナさんとトーロに比べたら足元にも及ばない気がする。
「デブもいるし」
「私を認めているのか貶しているのか……」
レブが頼りになる、か。フジタカは魔法が使えないけど先見の明があるとか?
……私も
「頼りにして良いの?」
「誰に向かって口を利いている。召喚したのは貴様だ。それが私を信用しなくてどうする」
「……うん!」
迷いの無いレブに続く。三人で西の音源へ向かって走り出した。
村の近くではあったが森の中だ。喧しい音を聞きながらも道中、誰かに出くわす事もなかった。代わりに悲鳴が聞こえた、なんてなる前に確かめる。
「ザナは足が速いんだな」
「そう?フジタカもよく転ばないね」
走りながら声を掛けられる。私は森に住んで長いからともかく、フジタカもひょいひょい木の根を避けて走っていた。見れば、目が根を捉えているらしい。
「他所見とは余裕だな」
「へ?うっ!」
レブの声に目線を前に戻すと顔から茂みに突っ込んだ。
「見てたなら止めてよ!」
「それどころではない。目的地に着いたのだからな」
立ち止まったレブが前を指差す。目を凝らすと私にも見えた。動き回るそれは明らかに、オリソンティ・エラの生態には無いモノだった。
頭と尾は蛇のそれだが、胴が幅広く四肢がある。所々見える皮膚は木々に馴染む緑色だが、大半は土色の長い毛に包まれていた。大きさも村の大人達と同じくらいだが、まだこちらには気付いていない。手当たり次第、木に体当たりや尾を叩き付けている。
「あれが……?」
「そう、ビアヘロだよ」
私達とは違う世界から迷い込んできた異形。召喚士が対処しているビアヘロと呼ばれる相手だ。フジタカは息を潜めて怪物を見ている。
「召喚士はいない、な」
他に何かいないか辺りを見回していたレブが呟く。
「どうかしたの?」
「いや。アレを召喚したモノが隠れているのではないかと思ってな」
「森を荒らす召喚士なんていないよ!」
眼前で暴れ回るモノをビアヘロではなく、通常召喚で誰かが出したとレブが疑っている。そう思った途端に私は怒鳴っていた。てっきり、カルディナさんやニクス様が既に来ていないか探していると思ったのに。
「貴様の声で気付かれたぞ」
「え」
落ち着き払った声でレブが向こうを睨む。一拍遅れて見ると、怪物の瞼が無い目は私達を捉えていた。
「ボサっとするな、行くぞ」
「俺に言ってんのか!?無理に決まってるだろ!」
「だったら黙って見ているのだな」
言うと同時に、レブが跳び出した。フジタカは何かをポケットから取り出したが、それを握り締めたまま動かない。
「ふん……っ!」
「フシュウゥ!」
肉薄したレブは不格好な大きさの拳を振り上げ、相手の顔ではなく首に叩き付けた。喉を通り抜けるような悲鳴に混ざって骨が砕ける音も盛大に鳴る。拳の手応えは間違い様がない。
「凄い……!」
一瞬で距離を詰めたのもそうだが、何と言っても一撃の重さ。体躯は小さくとも、到底この世界の住人には出せそうにない力強さだった。
「ち、浅い……!」
「え?」
しかし、着地したレブは牙をギリ、と鳴らしながら呟いた。直後、怪物はぐるりと体を回転させてレブに自身の尾を勢い良くぶつけた。
「ぐぬぅ……!」
「レブ!」
腕で顔を庇って防御には成功した。だけどレブは相手の力任せに吹き飛ばされて、木に叩き付けられる。
「大丈夫!?」
「来るな!くっ……」
駆け寄ろうとした私に、手を挙げて制止させる。途端に化物の尾がレブを目掛けて追撃し、木を大きく抉った。寸でのところでレブは飛び上がり回避している。
「このぉ!」
中空で跳ねた尾を両手で掴み、力任せに引くと、ブチブチと嫌な音を立てて肉が裂ける。
「グキャァァァ!」
「今だ……!」
尾からどす黒い血を撒き散らしながら怪物はレブへ脚を薙ぐ。太いそれは急に倒れてきた大木の様に圧倒的な速度で襲ってきた。
しかしレブは先程とは違い避けようとしない。逆に好機と言わんばかりにニヤリと笑うと、拳をその足裏へ叩き込んだ。
「グブブブブブブブ!」
バリィ、と紙に似た何かを引き裂く様な音と共に辺りが閃光に包まれる。発生源はレブの拳だった。光は怪物の脚の裏から全身を這う。その感覚に奇声を上げて苦しんでいるようだった。
「もう、一発!」
「グバァババババ!」
一旦右の拳から光を消して半歩下がり、次は左をお見舞いする。一層苦しむビアヘロは後ろ脚で立ち上がり、天を仰いで悲鳴を上げていた。
「うっ……!」
その姿を少し見て、胸が痛んだ。心が、ではない。傷穴に指を突き入れるのに似た、物理的な痛みだ。朝から感じていた胸の穴を急にこじ開けられたような痛みに立っていられない。
「お、おい……!大丈夫か!」
私の異変に気付いたフジタカが寄ってきてくれる。
「だ、大丈……」
「おいデブ、止めろ!ザナが!」
我慢して最後まで言い切る前にフジタカが叫んだ。聞こえたのかレブは光の放出を止めて、こちらを見る。
「おい貴様、よもやこの程度で……」
「だ、駄目、レブ!まだ動いてる!」
何か言いたげだったレブだが、それどころじゃない。まだ怪物は痙攣しながらも動いていた。
「グゥゥォォォォォア!」
「しつこい!」
完全にレブを敵と判断した怪物がレブに噛み付く。だけどレブの鱗に怪物の牙は通らないようだった。
「さっきの……」
「アイツ、雷を自在に操れるんだ」
フジタカが動けない私の疑問に答えてくれる。胸の痛みはいつの間にか消えたようだった。
「分かるの?」
「あの拳から放電して、怪物を痺れさせてたんだと思う。それが魔法ってやつかまでは知らないけど」
それでも一瞬でフジタカは見抜いたんだ。言われれば、全身を這っていた光は雷を思わせる。
「じゃあ、雷の魔法でビアヘロも……」
「……だけど」
フジタカが牙を見せて口角を下げた。
「だけど……?」
「……あれを使うと、お前が辛い。そうだろ?」
「え……」
拳を使って戦っているレブを見ている分には何も変わらなかった。異変が起きたのはレブがあの力を使ってから。心当たりがあって胸に手を当てた。
「さっき、お前達の話を聞いて思ったんだ。召喚したモノが魔法や何かを起こす時、誰が、何が力を貸すんだって」
「それが……召喚士?」
「………」
フジタカが頷く。フジタカはこの世界に来たばかりなのに、私よりも先に召喚の仕組みを理解していた。
レブだって同じだ。私に掛かる負荷を考えたから、雷を使わないで戦っている。私だけが遅れてしまっている。
「グララァァァ!」
「がは……っ!」
レブがビアヘロの体当たりを受けて木に激突する。そこに余裕なんて無かった。
「アイツ、全然怪我はしてないのに……」
フジタカは気付いていないようだった。
「……鱗が丈夫でも、衝撃までは逃がせないんだよ」
レブの動きがどんどん鈍くなっている。間違いなく単なる疲労によるものではない。
「放さんかぁ!」
「グルァァァ!」
よろめいた一瞬の隙にビアヘロがレブを蹴倒し、踏み付けにした。何度もじたばたもがいているが、体格差で逃れる事は叶わない。
「フジタカ、どうしよう!レブが!」
「………」
私ではビアヘロの尾を千切るどころか、怯ませる事もできない。こうしてフジタカにすがる自分が余計惨めに思えてくる。それでも、何も思い付かない。
「お、俺だって、何もできないただの……」
「ぐぅぅぅ!」
フジタカは目を逸らしたがレブの声量が大きくなった。
「おいワンころ!黙って見ていろと言っていたが、特別に加勢する許可をくれてやる!この脚を退かせ!」
レブはこの状況でまだ強がっている。
「俺は……!」
「ぐっ!ぐっ!ぐぬっ!魔法と縁の無いモノが、ただで召喚されることはない!ならばこそだ、その力を今ここで引き出して見せろ!」
何度も踏み付けにされながらも、レブの目はフジタカを見据えていた。
「き、急に言われたって……!」
「急だからこそ、できることもある!犬ころはその手合だ。私とて、何もせんでもない!」
レブの目が動いて、私を見た。
「気張れるな?」
一言に鳥肌が立った。私にも、できることがある。
「フジタカ、お願い!もう一度、レブに雷を使ってもらう」
「でもそれじゃお前が……」
「だから、貴方も私達に力を貸して!」
このままじゃ、全員殺される。私達だけでなく、きっと他のセルヴァの誰かも。可能性があるなら賭けたい。最善が選べる、今なら。
「…………分かった」
長い沈黙を持ってフジタカが答えた。手に持っていた何かを展開する。
「それ……」
「……魔法なんて、知らない。だけど痺れたアイツの首にぶっ刺すぐらいはできる」
フジタカが握っていたのは折り畳み式のナイフだった。持ち手部分も刀身も黒い光沢を放ったそれは、昨日の彼の服装には似つかわしくない程に物々しい。
「く……うぉぉぉぉぉ!デブ、ザナ!頼む!」
しばし、刀身に反射する自分を見ていたフジタカがビアヘロとレブを目掛けて走り出す。同時に叫んだ言葉にレブも構えた。
「これは……!」
そこに、別の声が聞こえる。ビアヘロとレブの戦闘に集中するあまり周りの物音への反応が遅れていた。反射的に肩を跳ねさせて木に背を預けたが、見覚えのある姿に緊張感が緩む。
「カルディナさん!こっちです!」
半ば、悲鳴に近かった。駆け付けてくれたのはカルディナさんとトーロ。それにチコもフジタカを見ていた。
「トーロ!あのビアヘロを!」
「任っ……せろぉぉぉぉ!」
叫ぶと同時にトーロが小振りの片手斧を抜いて、振りかぶるとブーメランと同じ要領でビアヘロへ投げ付けた。
「今だ!」
「くっ……!」
レブが目を見開き、拳が輝いた。私の胸も何者かに掴まれて、内側へ吸い込まれそうな痛みが走る。フジタカの言った通り、レブが力を行使した分だけ私にも負荷が掛かるらしい。
けど、我慢できないくらいではない。服を押さえて呼吸を意識する。気持ちの問題、とは言えないけどまだ大丈夫。
「グバァァァァァ!」
レブの放電に耐えかねてビアヘロが前脚を大きく浮かすと、ほぼ同時にトーロの斧が届く。
「弾かれた……!」
怪物の胴を裂く筈の斧は乾いた音と共に地面へ転がった。成果は長い体毛の一部を切り落としたのみ。
「甲羅か!」
幅が広い胴とは思ったが、毛の下に甲羅が隠されているとは今の今まで気付かなかった。
「フジタカ!アイツの体!危ない!」
「いや、行けぇ!」
「おりゃぁぁぁぁぁぁ!」
私が叫んでももう遅い。レブが飛び退くのと入れ替わりでフジタカが懐に潜り込む。右手で握り、左手で包んだナイフの切っ先は立ち上がったビアヘロの胴に向いていない。
「そっこだぁぁぁ!」
狙いは首の付け根だった。感電から解放されたビアヘロの目がフジタカを捉えるよりも先にナイフが届く。
「えっ……?」
直後にヴン、と巨大な虫の羽音に似た音が響く。すると音に合わせてビアヘロが跡形も無く、消えてしまった。血が辺りに飛び散る事も無い。
「あ、あれ……?」
きつく瞑った目を開くと、一番目を丸くしていたのはフジタカだった。彼はナイフを掲げたままで手が震えている。
「は、外した……?」
「違う。確実に当てた」
レブは淡々と言いながら私の元まで歩いてきた。
「怪我は無いな」
「う、うん」
「そうか」
それだけ言うとレブは背を向け、チコの方を見た。
「フジタカ!お前なんでザナと一緒にこんなとこに来てんだ!」
「仕方ないじゃん!成り行きだって!」
怒鳴り合う、と言うよりは互いの無事を確かめながら声を張っているようだった。辺りを見回したが二人の声と、木々が風に揺れる音しか聞こえない。
「あの二人は置いておいて、彼の言った成り行きとやらを聞かせてもらえるかしら」
「……はい」
肩から力が抜けたのも束の間、カルディナさんが私の前に立つ。トーロは斧を回収して何かを確かめている。
起きたらフジタカがやって来たところから経緯を話していく。魔法の話のしているうちにビアヘロが起こしたであろう異音に気付き、向かってレブが戦い始めた事。そして、魔法が使えないフジタカがナイフで飛び出すと同時にカルディナさんとトーロが駆け付けてくれた。
「魔法が使えない……。フジタカは確かにそう言ったの?」
「はい。そんなの使えるわけないじゃん、って」
珍しい雷の魔法を操れるレブよりも、魔法が使えないと言っていたフジタカの方をカルディナさんは気にしていた。
「おい」
ぺたりと座り込んでチコと話していたフジタカにトーロが声を掛ける。
「え?はい」
「お前、腑抜けと思ったがやるではないか」
鼻を鳴らしてトーロがしゃがみ、笑みを浮かべる。
「あ、ありがとうございます!」
礼を言うフジタカも声の調子を上げて尻尾を一度振った。
「どうだ?なんなら、俺が剣術の手解きをしてやっても良いぞ?」
「剣術……」
トーロはフジタカを気に入ったのか、彼が手に持ったナイフを指差す。その指先を追ってフジタカも視線を落とした。
「お前が望むなら、その先まででも良いがな?」
続けて言ってトーロの手が伸びてフジタカの背、肩を撫でる。フジタカは耳へ息を吹き掛けられると冷水をかけられた様に震えた。
「ひっ……!い、いや……えっと……検討しておきます!」
「するのか……」
チコは二人の世界を作ろうとしているトーロから既に身を引いていた。
「あまり、待たせるなよ?」
「は、はは……」
トーロがフジタカの肩を抱き寄せる。振り払う事もせずに狼の少年は苦笑するだけ。
「……あの」
「なに?」
獣人二人のやり取りに目を奪われていたが本題に戻る。
「ビアヘロを消し去ったのは……フジタカの力、なんですか?」
カルディナさんは眼鏡の位置を直すと短く鼻を鳴らした。
「分からない。でも、インヴィタド……私達が召喚した存在と、ビアヘロは違う」
「
レブはチコを見たまま動かずに言った。言う事がある、らしいけど当のチコはまだ腰を抜かしたフジタカやトーロと話し込んでいる。
「………。違う、って?」
真意の読めないレブはそのままに、私はカルディナさんへ顔を戻した。
「トーロや彼の様なインヴィタドは私達の魔力召喚された時からこの世界に繋がっている。だけど、ビアヘロはオリソンティ・エラとは接点が無い。だから自身の魔力が尽きればいずれ、自然消滅する」
「じゃあ今回は……」
「そう。あのビアヘロが貴方達の攻撃を受けて弱り、魔力切れを起こした可能性も有る」
可能性、という言い方に引っ掛かりを感じた。
「ビアヘロが留まるのに必要なものは分かるでしょう?」
「……この世界の魔力を放つ、何か」
カルディナさんが頷く。感応力がある鉱石や、魔力回復用の滋養強壮成分が含まれた食べ物を摂取することで段々と、この世界に馴染んでいく。
一番手っ取り早いのは魔力の塊を直接取り込む事。……オリソンティ・エラの人間を食べてしまうのが近道だ。故に、今回のビアヘロはまだ現れたばかりだったのかもしれない。
「体が大きかった分、貯蔵が多かったかもしれないし、逆に燃費が悪かったとか」
「有り得ます。……けど、私達の到着を待たずにここへ来たのはいただけないわね」
「……すみませんでした」
あの時は後先よりもまず、見に行くべきだと思ってしまった。自分に経験も力も、ましてや遭遇したビアヘロを倒す自信や確信だって無かったのに。
「人間を……セルヴァの村人達が食べられる前で良かった。今回に関しては結果が全て、というやつね」
「はい、今回は……」
レブが居てくれたから不思議と迷わず行こうと決められた。だけど、彼の背中を見た途端に意識が遠のいた。
「うっ……」
「ザナさん!」
カルディナさんが私を呼んだ時には、もう立っていられなかった。
「………?」
しかし、自分に倒れた痛みが無い。目を開けると顔は地面すれすれで止まっている。
「良く踏ん張った」
自分のすぐ横からレブの声がしたと思うと、引っ繰り返された。木漏れ日と一緒に見上げるレブの表情は変わらない。彼に抱き上げられているんだと分かった途端に眠くなってくる。
「このまま運ぶぞ」
「……ごめん」
情けない。やっぱりこの場で一番足手まといになっている。
「……こちらこそ」
「え?」
「……今、胸を触ってしまった。人間の女は嫌がるのではないのか」
「………」
レブが突然に予想外の発言をするものだから、言葉が出なかった。そう言えば、倒れた時にむにゅ、っと。
「やはり、気に障ったか。朝の洗顔もそうだが……」
「う、ううん。怒ってない。けど、気にしてたんだ?」
朝は気遣いとか無いのかと思ったけど、そうでもないみたい。
「貴様が気にしているのでは、と思っただけだ」
「……ふふ、そう」
言い方はやっぱりぶっきらぼうだけど。でも、少し可笑しい。
「……フン」
鼻を鳴らし、カルディナさんやトーロの横を抜けてレブが歩き出す。目線は随分低いけど、支えてくれる手の力強さにブレはなく、安心して身を任せる事ができた。
ビアヘロを倒したのは新米召喚士チコが召喚したフジタカ。彼らが自分で言ったのではない。レブが村の皆に聞かれて答えたらしい。念のために帰宅して半日横になって、外に出るともう噂は二人の活躍で持ちきりになっていた。
「いやぁ、びっくりしたもんだな!」
「なんでも、でっっっけぇービアヘロを若いのが魔法で一刀両断して消したんだろ?」
「凄い魔法剣士ってことだよな?まっさか、チコがそんなん召喚しちまうなんてな」
「おう、なんかザナんとこのちっちゃいのもフジタカ君のために足止めしてたんだって?」
「頑張ったじゃねぇか。ほれ、ご褒美だぞ」
話に尾ひれが付いているが、真相を村のおじさん達は知らない。
「……いいの?」
「この果実、もっと丸々と大きい物はないのか。あのリンゴとか言う赤い実ぐらい」
家に戻るとレブは途中でご褒美に貰ったブドウを一粒ずつ千切って口に放っていた。話を聞いてくれないのでテーブルの向かいに座っていた私も一粒もいだ。
「止せ。これは私への褒美だ」
「……ケチ」
「ん」
私が食べる前にレブが睨む。寄越せと言わんばかりにレブが大口を開けるので、その中へ投げ込んだ。
「魔力を供給していたとは言え、私が自力で稼いだものだ。欲しくば貴様も同等の対価を払うのだな」
「だからさ、その対価がブドウ二房で足りるの?」
一度外に出て、ブドウを片手に一房ずつ持って歩いていたレブの姿には目を丸くした。
「私は事足りている」
しかもどうやら気に入ったらしい。コイン数枚どころか、私が頼めばいつでも一房くらいタダで貰えそうなのに。……色が似てるからかな。
「……それに、私は事実を教えたまでだ。脚色したのは人間達の勝手だがな」
「事実って……」
ブドウを呑み込むとレブが私に向き直る。
「ビアヘロを消したのは私でも、魔力切れの自滅でもない。あの犬だ」
「………」
カルディナさんはあの怪物が魔力切れを起こして消えてしまったと言った。対してレブは間違いなくフジタカによるものだと断言している。
「レブもそう思うの?」
「思う、ではない」
確かめるように言えば強い口調で返してくる。
「あの力には驚いた。まさか跡形も無く消し去るなんてな」
言われて背筋が震えた。あの場に居た皆が見たのだ。何事も無かったように消してしまった瞬間を。
「私より余程末恐ろしい存在だな」
「……それだけ?」
淡泊に言ってブドウへ手を伸ばすレブに尋ねる。末恐ろしい、とは言ったが何の感情も匂わせていない。
「アレはあの犬の小僧が持つ個性だ。埋没させるには勿体無いが、使うのは自己判断だ。私はあの個性を自覚させただけに過ぎない」
自覚、か。私もまだまだ自覚できていない事だらけだ。
「あの能力って何か分かる?」
「……魔力を吸い取るか、本当に消し去るか。前例も知らんな」
少し考えてからレブが言った。
「もう一つ教えて」
「好奇心旺盛なのは良い事だ」
レブがブドウを口へ放る。
「あのビアヘロは本当にビアヘロ?それとも……誰かに召喚されたインヴィタド?」
「………」
ブドウを咀嚼するレブの口の動きが止まった。
「……貴様は召喚士を正義のみ執行する、ビアヘロを駆逐する守護者と思っていないか」
「思ってるよ」
だって召喚士は契約者に選ばれた特別な存在で、今朝みたいな脅威から世界を守るためにいるんだもの。
「強い力を持った者が悪事に利用するとは考えないのか」
「……利用なんて」
力をインヴィタドだとして、それを悪事に使う。泥棒、殺人、破壊、言い出せばキリは無いけど、異世界の力なら容易だとは、思う。
「今回は確かに森を破壊するだけだった。得する者はいなかっただろう」
「うん」
「しかしだ。例えばそうだな……あの怪物を呼び出した何者かが居て、制御できずに放置して逃げ出したとしたら、どうだ?」
「え……!」
見方を変えただけでゾッとする。召喚士が意図せずに出したなんて……。
「選定試験があったのだろう?召喚士見習いなら他にも村にいた」
「………確かに」
チコはフジタカを、私はレブを召喚した。当然、他にも試験を受けた人は知っている。
「疑いたくない気持ちもあるだろう。だが、視野を広げて見る事も大事だ」
「………」
「断言はしない。本当にビアヘロの可能性も有る。それに、悪意を持っているか御し切れなかった召喚士がいたとしても犯人は名乗り出まい。もはや確かめようは無いな」
レブが言いたい事が少しだけ分かってきた。疑いたくない気持ち、を持っている私を叱っている。盲目的に召喚士を絶対的存在だと信じている自分の危うさを注意しているんだ。
「……せめて」
「え?」
言い返せない自分に、レブが静かに口を開いた。
「貴様は自身が思い描く正しい召喚士になれ。それは世界にとって好ましいだろう」
「……うん。頑張る」
私が目指した召喚士は、人を悲しませたりはしない。理想は自分で体現してみせる。
「私、召喚士の勉強をするためにトロノに行く」
「その話は昨日聞いた」
「だけどレブもその……。一緒に、来てくれる?」
ブドウへ手を伸ばすレブの手が止まる。目だけが動いて私の視線とかっちり合った。
「何を言っている。私を置いて行こうとは言わせんぞ」
「良かった」
ブドウを盛った皿をレブの方へ寄せる。
「だから召喚陣を無造作に放置するな。アレが無ければ私もここにはいられないからな」
「知ってたの?」
何も言わなかったから気にしていないと思ったのに。
「あぁ。しばらくの間、横で見張っていたからな」
「………私が眠っている横で?」
「あぁ。……む?どうかしたか」
当然の様に言ったレブからブドウを取り上げる。
「な、何をする!」
「女の子の寝顔を眺めてた不埒者への戒めです!」
残りのブドウを房からぶちぶち千切り、私は自分の口に放り込んでやった。
「き、貴様は悪鬼か!なんと惨い事を!出せ!返せ!」
「もうはべしゃいまひたー!あー、おいひー!」
日はすぐに過ぎてトロノへ向かう朝がやって来た。朝靄が掛かる中で村人の大半が見送りに集合していた。
「立派な召喚士になって帰って来い!」
「たまには連絡くれよ!」
「必要な物があればいつでも言え!」
「契約者様も、もう少し頻繁に来てくれよ!」
それぞれの激励を背に出発する。同行する面々の中には、フジタカの姿もあった。
「フジタカは帰らないの?」
「チコとは話したよ。これでもかと俺の疑問をぶつけた。なぁ?」
声を掛けるとチコが頷く。
「言う前にお前とそこの怪獣が話しちまったんだろ。……でも、選んだのはコイツだ」
「俺にできる事があったらしい。だったら、どういうものなのか俺は理解しなきゃいけない。そのための近道がチコと一緒に学ぶ事なら、一緒に行きたかったんだ」
慣れたのか、初めて会った時の様なおどおど感は無くなっていた。それに、と彼は更に付け足してくれる。
「お姉さんは疑ってたけど、デブが俺の力って言ってくれたしな。サンキュ」
「礼を言うならしっかり言わんか……!」
片目を瞑って見せたがレブは途端に機嫌が悪そうだった。私はチコとフジタカの間に入って話をする心配は要らないと思ったけど。
「じゃあ、これからもよろしくね?」
「おう、こちらこそ!」
毛皮に包まれたふわふわの手を握る。心地好い温かさの握手を終えると、先頭からの視線を感じた。
「俺も嬉しいぞ、フジタカ」
「へ、へへへ……どう、も……」
トーロが鼻息を荒くして肩を抱く。フジタカは目を逸らして耳を力無く畳んだ。
「話していないで、行くぞ。森の入口に馬車はもう来ている」
「は、はい!」
足を止めて振り返ったのはニクス様だった。ビアヘロが来た日は気付いていたものの、カルディナさんがすぐに対処に向かったため、引き続き子ども達を見ていたそうだ。緩んでいたフジタカの表情もニクス様の声を聞いてすぐに引き締まる。
「新しい召喚士……か。次は何人くらい出るのかな」
「まずは己が一人前になる事を考えた方が良いぞ」
期待が膨らんだが、レブに現実を突き付けられる。けれど、前程は突き刺さらない。素直に受け止められる。
「そうだね。……ふふ、レブって先生みたい」
「……先生、か」
反芻する様にレブは呟いた。しかしそれ以上何か言われる事も無く、私達はセルヴァを後にして馬車へ乗り込んだ。
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