ドラゴ・インヴォカシオン-アラサーツンデレ竜人と新米召喚士-

琥河原一輝

ドチビな竜人と少女

第一部 一章 -出会ったのは異界の竜人-

 灯りも音も無い空間の中で一人の男が歩いていた。足が地面を捉える度に青白い波紋が広がる。しかし濡れているわけでも、水が張られているでもない。

 「………」

 奇妙な空間だった。ティラが原理は説明してくれた筈だが、理屈はどうでも良い。説明を受けるより、見た方が早い。慣れるためには、行動すべし。

 「っ……これは……?」

 しかしどこまで行っても続く暗闇の道で男が足を止める。広がる波紋の果てを目指してみたが、それも無駄らしい。

 だが、光を放つ何かが視界の端に見えた。

 「あれは……」

 距離感が掴めない中、手を伸ばした途端に急な眩暈が男を襲う。

 「う……くっ……!」

堪らず仰向けに倒れそうになった時、何か生温かくてすべすべした物が自分の手を包んで引っ張ってくれた。

 そんな気がした。


                     


 木漏れ日の目映さに目を細めながら私は森を走っていた。息を切らして喘いでも、思うままに足が動かない。火照る足と胸が苦しくて辛いのだ。止めどなく汗が頬を、首筋を伝って少しでも放熱しようと噴き出ている。

 流れるように長い、緑青の髪は森に愛されて生まれた証、と誰かが言っていた。しかし、今の私からすればその愛が風に揺られて鬱陶しい。今すぐにでも、切り落としてやりたいぐらいだった。

 「……あっっっつい!」

 季節はまだ春先で、陽も昇り切ってはいない。気温はまだこれから上がるだろうけど、全力疾走していた私、ザナはローブを脱いだ。

 「遅刻したくない……!」

 私が朝から走っているのは受験のためだった。今日はセルヴァで召喚士選定試験が行われる。田舎の村に契約者が来るだけでも珍しいのだから、一か月以上前から村はそわそわしていた。

 落ち着きがなかったのは召喚士試験を受けられる十六歳になった私も変わらない。問題は試験当日である今日、寝坊してしまったことだ。今日を逃せば最低でも五年、もしかするともっと長い期間空けることになる。別の試験場へ行くにも、場所も分からないし予算もない。都会から離れた地方民は、与えられた貴重な機会を活かす方に注力するしかなかった。

 「間に合った!」

 茂みに何度も足を取られながらも近道の森を抜け、村の広場が見えてきた。既に人だかりもできている。

 「ザナ!」

 「はぁ……はぁ……チコ。待っててくれたの?」

 村の皆が広場の奥を見ていた中で、金髪の男子だけが私に気付いて声を掛ける。チコと呼び返したら頷いたが、すぐに顔の眉間へ皺を寄せた。

 「こんな日に遅刻なんて真似、よくできたな……!」

 「眠れなくて……。今日の……準備もしてたし」

 「……間に合えば良い」

 鈍臭い私からすれば、チコは面倒見の良い幼馴染であり、ライバルでもあった。だからこそ時に甘えて、時に対立する。今日の召喚士選定試験は同い年のチコも受ける事になっていた。

 「うん。じゃあ、試験の申し込み……」

 「しといたぞ。もう、すぐにでも試験開始だ」

 「あ、ありがとう……」

 「ふん。先に行くからな」

 試験を受けるのは私自身。もうぶっきらぼうに助けてくれる幼馴染には頼れない。

先に行くチコの背を見送って呼吸を整えると、広場の中央に立つ契約者の姿を見る。彼を見るのは今日で二度目だった。

 顔は真っ赤な鳥その物。地味な黒いローブに身を包んではいるものの、背中から出た美しい翼は隠し切れない。一度見ただけで誰もが忘れることができなくなる程に目を奪われてしまった。

 「契約者、ニクス様……」

 鳥人であるニクス様はオリソンティ・エラと呼ばれるこの世界の住人ではない。だが、いつの頃からか契約者としてこの村、セルヴァに現れるようになっていたと聞いた。

 契約者、とは人間に召喚士の才能があるか見極める存在だった。言い方を変えて一言で表すならば、異世界の住人と契約する力を与える者、になる。

 「あれ、見慣れない獣人……と、女の人?」

 ニクス様の横には筋骨隆々とした牛の獣人と、対照的に眼鏡を掛けた華奢な黒髪の女性が立っている。革の腕輪を巻いた女性の方は恐らく召喚士だった。

 オリソンティ・エラでは本来は人間と、聡明なエルフぐらいしか知能を持つ生物はいなかったらしい。でも、数百年前に突如開いた異世界の門から別世界の存在が流れてくる様になってしまった。

 別世界から来た異形はビアヘロと呼ばれる。今でもふとした切っ掛けでビアヘロが出現することがあり、時として我々人へ害を成す。それに対抗するのが、契約者から与えられる召喚術。

 「時間です。これより召喚士選定試験を行います。受験者は一度、こちらへ」

 低いがよく通る声でニクス様が告げる。声を聞いた途端に、一本針金を通されたように背筋が伸びた。

 「よろしくお願いします……」

 恐る恐る、ニクス様の前に立つ。スラリとした長身だが、眼鏡の女性に比べて頼り無さは感じない。逆に、こちらへ重い威圧感を放っているようにすら思える。

 「召喚陣です。受け取りなさい」

 「これが……」

 受験者は私を含めて十人。順番にニクス様からは羊皮紙を渡されている。

 ザナが紙を広げると一面に魔法陣が描かれていた。召喚陣と言うが、実物を間近で見たのは初めてだった。

 召喚陣は自身の魔力を注ぎ込むことで反応して異世界の門を開く。魔力を餌に寄って来たモノを掴んで、こちら側へと引き込む触媒。召喚士になればこの召喚陣を描く技術も学ぶことができるようになる。

 広場でそれぞれが距離を取り、召喚陣を広げる。他の村人達は広場の端に追いやられながらも様子を窺っていた。

 「今年は候補十人。何人出せるかな」

 「八人ぐらいはイケるんじゃないのか?」

 「ペペはどうだかな」

 「出すだけなら、俺もできたんだが……その先も大変なんだぞ?」

 「おいリサ!蜂蜜酒、もう一杯!」

 遠目に好き放題言っている男性陣の言葉も気になって仕方ない。お祭りとして賭け事に巻き込まれるのは目を瞑るにしても、出せる出せないという、根本から否定されては前途が無くなってしまう。

 他の村々でどのくらい実績があるかはわからない。だがセルヴァのみで見れば、契約者が訪れる度に数人は召喚士になっていた。

 召喚自体は自然に囲まれた村人達に馴染みやすいと聞く。足りないのは召喚したモノを維持する魔力だった。維持する基礎体力が有るか無いかで言えば、セルヴァの住人達は総じて低めらしい。

 「……よし」

 今回は飽くまでも召喚ができるかどうかを試すのみ。魔力の大小ではなく、引き出せれば良い。振り幅は試験に合格してから考える部分だった。

 「私が今回の試験監督を務めます、カルディナ・サフラです」

 耳をくすぐる様で、凛とした声が眼鏡の女性から発せられる。カルディナと名乗った女の人は私達に配った物と同じ羊皮紙を広げて見せた。

 「手元に配られた召喚陣を確認してください。ひび割れていたり、円が繋がっていないということはありませんか?」

 陣を確実に機能させるためにも確認は念入りに。私も羊皮紙に目を落とすが、異常は見られない。

 「……他の方々も問題無し、ですね?」

 ひとしきり反応を見て、最後の念押し。間違いなく全員が頷いた。

 「では、私からその召喚陣の説明をさせて頂きます。まず、今回の試験用召喚陣はご存知の通り、暴走を防ぐために制限が掛かっています」

 分かってはいても、暴走という不穏な単語に身を固くする。

 「こちら側から魔力を必要以上に注ぎ過ぎないように、それと向こう側から魔力を過剰に吸い取らせないように。どちらも扱いが不慣れなうちに起こしやすい事例でした」

 聞けばすんなりと納得できた。こちらから門を大きくして何か出てきても良くないし、向こうからこじ開けられて悪魔の類いが出てきても困る。想定外の召喚を避けるための措置だ。

 「皆さんに召喚して頂くのは異世界の物質、もしくは妖精です。セルヴァの土地柄、簡単な対話のできる妖精を召喚する方も多かったと聞きます」

 カルディナさんの話を聞きながら横目で見たがチコはもう、目の前にある召喚陣しか見ていない。余裕がないのではなく、集中しているんだ。

 「いきなり精霊を呼び出した者も過去にはいたと聞きますが、当時と制限が異なっていたからできたことかと思われます。皆さんには真似して頂かなくても結構です」

 チコが顔を上げて目付きを変えた。今の一言を聞いていたんだ。たぶん、何かやらかそうとする。止めに入りたくてもそれぞれに距離もあるし、話し掛けられない。

 「加えて、小悪魔や悪鬼を呼び出してしまった場合は直ちにこの横にいる……」

 一歩身を引いて、カルディナさんが牛獣人へ手を向ける。

 「トーロにより召喚した対象を処断します。痛覚の共有で意識を失う場合がありますが、ニクス様の手で治療いたします」

 牛のトーロは提げた斧の柄を握って目を伏せるのみ。治療の話になり一同の視線が集まるとニクスは静かに頷いた。

 「質問、良いですか?」

 「どうぞ」

 受験者の一人、ヒルが淡々と説明を進めるカルディナさんの話に加わる。

 「その、誤って悪魔とか鬼を召喚したら……不合格、なんですか?」

 出してから考えるよりは建設的な質問だと思う。

 「いいえ。能力として評価します」

 「そうですか……!」

 ヒルが胸を撫で下ろしたがカルディナさんからただし、と言葉を付け加えられる。

 「洗脳や呪いに掛けられた疑いがあるので、安全を確認できるまで我々の保護観察下に入ってもらう事になりますけどね」

 「う!」

 魔力を持っているのは自分達だけではない。事実として、魔力の高いビアヘロに逆に捕らわれてしまい、操り人形になってしまった者もいる。

 「そうならないように私とニクス様、トーロで全力を以って皆さんを補助します。どうか私達を信用してください」

 頭を深々と下げるカルディナさんに受験者達で顔を見合わせる。

 「私……頑張ります!」

 「え?あぁ……よろしくお願いします」

 気付けば返事をしていた。全員が目を丸くして視線が集まる。

 「あ……あの……すみません!すみません!すみません!」

 顔が真っ赤になって直角まで頭を三度下げる。

 「良いんです。では、始めましょうか。召喚陣に手を掲げてください」

 渇いた地面に羊皮紙を敷いて、手をかざした。

 「強く願います。頭の中に浮かぶ、自分の喚び出したいモノへ、こちらに来いと」

 目を閉じる者、召喚陣から目を離せない者と対応は異なるが全員が指示通りに願う。

 私が召喚したいモノ。異世界の石ころ一つ。宝石でも何でも無い、ありふれた大地に転がる灰色の塊。

 「陣を通して引っ張られる様な感覚がありませんか?そこに程良く、手を入れる自分を想像する。それが魔力の注入と同じことになります」

 ……なんだか、冷たい。でも分かる、召喚陣の中に自分の手が沈んでいくような感覚。

 「手探りで中を探ります。そし……」

 カルディナさんの話がボゥ、と短い爆発音を立てて中断される。全員が肩を跳ねさせて想像の手を引っ込める。

 「あ、はは……できた!出た!」

 ヒルが声を上げて笑い出す。見れば、彼の召喚陣から火が絶えず揺らめいている。紙も燃えず、何かをくべているわけでもないのに。

 「……最初の合格者、ですね。おめでとう」

 「ありがとうございます!」

 最初の合格者が出た。先を越された……!と、全員が焦りを感じて再び召喚陣に向き合う。

 「焦っても良い結果は出ない。必要なのは集中力だ」

 見透かしたようにニクスが呟く。理屈はわかるが気持ちが逸る。

 「……出ました!石ころ!」

 「……確かに。合格です」

 「私も!」

 続けてエマとルビーも手を挙げる。見れば、ちょこんと召喚陣の中央に先程まで無かった石が出現していた。

 残るは私も含めて七人。チコもまだ合格していない。

 「俺が出す……!来いよ、俺の……!」

 手応えを感じたのか、チコが声を洩らす。思わず彼の方へ顔を向けると、召喚陣が発動する瞬間だった。

 「これは……!」

 陣の紋様が淡い光を放ち出す。零れる光が強くなるのと同時に影が浮かび、濃くなって実体を帯び始めた。その反応の強烈さにカルディナさんも身構える。

 「来い、やぁぁぁぁぁぁ!」

 チコの叫びと同時に光が一気に拡散する。瞼を閉じても一瞬、視界が白に染め上げられた。

 「あ、あれ……?」

 光が消えた頃合いに目を開く。他の皆も試験どころではなかった。

 「はー……!はー……!出た!」

 チコは汗をだらだら流し、背中を丸めて凶悪な笑みを浮かべている。彼の召喚陣を尻に敷いて、何かいる。

 「え、え?ここ……何?えっ?」

 服装は襟とボタンの付いた清潔そうな白い半袖シャツに黒いズボン。やけに無防備で薄着だとは思うが格好は可笑しくない。寧ろ、セルヴァの住人が羨む様な正装だと思う。

 しかしチコが呼び出したと思われる彼の顔は狼で、全身が黒い毛皮に覆われており、明らかに人間とは異なっていた。トーロと同じ獣人になるのだろうが、それにしてはトーロも落ち着きがない。

 「喋れる!?」

 「ひ!そ、そりゃあ……同じ人類、だし?」

肉食獣そっくりな狼の顔に、全身の黒い毛皮は逆立たせ、尻尾を丸める彼は明らかにこの場を恐れていた。カルディナの様な女性に対しても声を裏返し、耳を畳む。

 「下がれカルディナ!」

 初めてトーロが声を上げた。ニクスよりも更に重低音で見た目通りとも言える。

 「え?ちょ、ちょっとちょっと!待ってよ!俺が何をしたってのさ!?」

 躊躇い無く斧を抜いて、カルディナを庇いつつトーロが狼男に対峙する。それには周りからも悲鳴に似た声が聞こえた。

 「俺からもお願いします!ちょっと……待ってください!」

 消耗のせいか遅れてチコが狼の前に立って腕を広げる。トーロは今にもチコごと斧で両断しそうな剣幕だが、両者共に引かない。

 「おい、お前は悪魔か!」

 「は!?いきなり言うに事欠いて悪魔呼ばわり?俺は単なる普通の男子高校生だっての!」

 コーコーセー、は分からないが低めの声で、若い。チコの乱暴な質問に食い気味で答えた彼はポケットを探り出す。

 「えーっと……。あぁ、生徒手帳なんて鞄だし。ナイフとティッシュしかねぇ。……身分証明はごめん、できねぇかな」

 「………」

 その場に居た、全ての者が言葉を失った。広場の木が風に揺れて、狼も取り出した何かをしまうと辺りを見回した。

 「……俺も聞きたいこと、いっぱいあるんだけど」

 「ちょっと今、皆忙しいんだ。後にしてくれないか」

 「……うん、分かった」

 物分かりが良い。それか、私達に怯えているか。

 「立てるよな。お前、名前は?」

 「旅戊ろぼ藤貴ふじたか……いや、こういう時はフジタカ・ロボって言う方が良いのかな」

 フジタカと名乗った彼はチコの手を借りて立ち上がった。背も高く、身体付きも良い。トーロとは違う体の鍛え方をしている様に見えた。

 「フジタカか。俺はチコ・ロブレス。お前の召喚士だ」

 「ショーカンシ……」

 召喚士と言う言葉に馴染みが無いらしい。こうして見ると、話が通じる分だけ彼はこの場から浮いてしまっている。突然ここに喚ばれたのか、召喚に自ら応じたかは分からない。けれど、チコやフジタカの様子を見れば、多少の強引さはあったように感じる。

 「合格です、チコ。……彼と共に離れていて。試験はまだ終わっていませんから」

 「はい!」

 カルディナはまだ警戒しているようだったが、まだ試験を続行するつもりのようだった。召喚に成功した者から広場の端へ移動し、それぞれ親や友人から祝福を受けている。

 その中で私はまだ何もできていない。

 「く……!」

 私にも、チコの様に力があれば……。焦ってはいけないとカルディナさんが言っていた。変なモノを呼び出せばトーロやニクス様に処断される。

 分かっているのに、全身を掻き毟りたくなる。早く、早く。早くしないと、試験が終わってしまう。

 自分の想像が生んだ腕が召喚陣を通して異世界に入り込む。中断される度に冷たかったり熱かったりと、繋がっている場所が違うように思えた。

 私が求めているのは異世界の石。エマと同じ、別の場所にある……石。

 「……風が」

 ニクス様が何か言ったが私の耳には届かない。

 もう少しで届きそう。あと少しだけ、手を伸ばせば……。

 自身の腕が既に肘まで沈み込んでいる様な感覚だったが、まだ掴めない。手探りで適当に引っ張り出せたら良いのに。

 「………っ!」

 風が吹き、木の葉が顔に当たる。それも無視して意識を研ぎ澄ませると、何かに触れた。

 「これじゃ……ない」

 か細い何かに触れたが、折れそうなソレは私の求めるモノではなかった。だから手放してしまう。引っ張り出せたら合格したかもしれないのに。

 「あっ……!」

 硬い、ゴツゴツしたモノに触れる様な感覚。これだ、と瞬間的に確信し私は目を開けた。

 「空が……?」

 目を開くと、天気が変わっていた。先程から風が強いと思っていたが、空も暗雲が広がり季節外れの嵐になりそうだった。カルディナさんやトーロもゴロゴロと唸る空を厳しい表情で見上げている。

 「でも、あとは引っ張るだけ……!」

 雲の流れが、異様に速い。セルヴァのような地で急な天気の変化は珍しいが、ここまで来れば私にも召喚、できる!

 一気に腕を潜り込ませ、触れていたモノを包み込む。引き摺り出す力は召喚陣の補助もあるのか滑らかに働く。しかし、その時だった。

 「きゃー!」

 視界に閃光が走った直後、広場へ雷が立て続けに落ちた。閃光に目を灼かれ、鳴り止まない轟音に、村人達も目の前で起きた落雷に動くこともできない。

 「ど、どこか……木の下に……!」

 召喚どころではない。避難しなければ。目もチカチカしているが、ここには何年も暮らしていた。這ってでも移動はできる。

 「あれ……?」

 目を閉じたまま動き出すが、すぐ手元に何かぶつかった。恐る恐る、それを数度手で叩くと、岩の様な塊だと気付く。

 「……あ、足…?」

 何とか目を開けると、辺りは落雷のせいでぶすぶすと煙が立ち昇っていた。そこで自分が触っていたのが岩ではなく、鱗に覆われた足の甲だと理解する。

 「貴様が、私の召喚士か」

 「へ……」

 自分の頭上から声がして、顔を上げる。暗く、煙に包まれながらも眼前に佇む影。雷が空を疾り、影の姿が浮かび上がった。

 「……り、竜、人?」

 顔の上半分に首、背中や手足から尾の先までは磨き抜かれたアメジストを思わせる様な紫の鱗。腹部分は蛇腹のように筋肉に横線が走っている。

 ここまでならば爬虫人と同じ特徴の者がいるだろう。だが、爬虫人と決定的に違うのは彼の頭から角、背中からは大きな翼が生えていることだった。

 「ふん、私こそ……」

 「う……っ」

 自分の倍程の強靭そうな体躯を持つ彼の姿を一目見て、心臓が跳ねる。内側から外へ出ようとする激痛に胸を押さえて俯いた。

 「おい!話は……ぐぅっ!」

 竜人は何か言っていたが、視界が再び光に覆われた。一拍置いた轟きが鼓膜を激しく叩く。

 「かは……っ!」

 尚も胸が痛み、周りの状況を確かめる余裕は無い。けど、何とか一息吐き出すと呼吸が楽になる。閊えが取れたように、落ち着いてきた。

 「おい、雲が消える!」

 「ねぇ、あそこにいるの、何?」

 「ザナ?ザナがやったの?」

 「でも……」

 まだ耳は痛い。けど、段々村の皆の声が戻ってくる。そこで私も目を開けた。

 すると視界は明るかった。雷が光っているのではない。もたらされる光は太陽からの温かな日射し。

 「おい貴様!私を召喚しておきながら名も名乗らず倒れるとは、どういう了見か!」

 声は変わらない。しかし、目の前に立っているのは先程の紫竜ではなかった。

 ううん、色は紫だけど、目の前で怒鳴っている相手は背丈が私の腰ぐらいまでしかなかった。お腹も少し出てて、ぷにぷにして手触りが良さそう。とてもじゃないが竜と言うよりは羽を付けた……鱗の怪獣?

 「もしかして……夢?」

 さっき見たのは幻で、目の前に居る彼が現実。

 「夢ではない。誇れ、この私を召喚したのだからな」

 具合は悪いけどどうにか体を起こす。うん、これで目線がちょっと低いくらい。

 「私、やったんだ……!夢じゃない!やったー!」

 これで、私も召喚士になれる!途端に体の重さが吹き飛んだように感じた。肩は上がらないけど。

 「耳元で騒ぐな……」

 「ありがとう!来てくれて!本当に、本当にありがとう!」

 夢ではない、と教えてくれた彼の手を握る。がっしりとしていて、硬い鱗だらけで冷たいけど私の胸は熱かった。

 「ザナ・セリャド!離れなさい!」

 「え……?」

 そこに、カルディナさんの鋭い声が耳に刺さる。振り向くと、トーロがズンズンとこちらへ向かっている。

 「な、何を……!」

 「周りを見なさい。これは、貴方が召喚したモノがやったことでしょう?」

 カルディナさんに言われて、私は広場を見る。

 所々ぶすぶすと黒コゲになった地面。落雷に因って焼かれたのか煙を立ち昇らせる木々。真意はどうあれ、私が召喚している途中に起きていたのは……間違いなかった。

 「……君が、やったの?」

 「君ではない。私にはレブという名前がある。そして答えは……知らん」

 レブと名乗った怪獣は気まずそうに声を低くしたが、目を真っ直ぐに見てくれる。

 「小悪魔が嘘を吐いたところで!退け、俺が始末する……!」

 ダァン、と勢いの良い音を立ててトーロが斧を地面へ叩き付けた。刃が地面を割って沈み込んだ音に村全体が沈黙する。

 「フ、フフフ……」

 静寂を破ったのは、レブの笑い声だった。

 「何が可笑しい!」

 「まさか、そんな鉄如きで私を屠ろうと言うのか?だとしたらお目出度い奴と思ってな」

 「この……!」

 対話ができる生き物を召喚した、というのは召喚士見習いとしては上出来だと大層評価される。チコは且つ、妖精ではなくこの世界に比較的馴染みやすい獣人を召喚した。今回の試験での成績は間違いなく主席だと思う。

 会話も成立しているのに、どうして私が召喚した彼はこんなにも口が悪いんだろう……。しかも、見た目に反してかなり上から目線だ。明らかにトーロを見下して、馬鹿にしている。言う事を聞いてくれそうにもない。

 「や、止めてください!」

 ……でも、私が召喚したんだ。初めての召喚を無かった事にはできない。

 「嘘だと決め付けるのは早いんじゃありませんか!フジタカの話は聞いて、レブの話は聞かないなんて変ですよ!」

 「それは……俺の決めることでは、ない」

 トーロの瞳がカルディナさんの方へ向いて揺れる。当のカルディナさんはニクス様の方を見ていた。

 「あの、ニクス様……こういった場合は……。こんな事例今まで……」

 「………」

 鳥人であるニクスは嘴に表情が現れない。だから目元を見るしかないのだけど、明らかにレブを見て目付きが鋭くなっていた。

 「ほぉ、契約者か?こんな所でも会うとは思わなんだ……」

 一方でレブはニクス様を見てニタリ、と口元を歪めて笑う。口振りからして、契約者と知って楽しんでいるように。

 「しかし、この世界の者は皆、体が比較的巨体なのだな。……ん?」

 さして興味を持っていないのか、レブはあっさり目線を外すと周りに興味の対象を移した。ぐるりと一周見渡して、端に居た子どもの姿を見て動きが止まる。

 「……これは、何だ?」

 ふと気付いたのか自身の手元を、体を、尾を見る。大きな手で顔を叩いて数秒。

 「何だ!この姿は!?」

 「うっ……!すみません!すみません!すみません!」

 突如、吼える様に怒鳴ったレブに対して反射的に謝ってしまう。

 「貴様……!召喚士でありながら召喚したモノを変質させるとは、それでも召喚士か!」

 「変質……」

 どうやら、元は違うのに、こんなちんちくりんにされてご立腹らしい。不思議と、心当たりがあって言葉に詰まる。

 「最初に見た時は私が見下ろしていた筈だったが……」

 「あっ……!」

 やっぱり、さっき嵐の中で見た竜人……。あっちが本当のレブ?だったのかも……。だったらどうしてまた変わってしまったのか。

 「……ごめんなさい。私、今日が初めての召喚で……」

 「初めて?初めての召喚で貴様は私を喚び出したのか」

 「………」

 不遜に腕を組んでレブが胡乱そうに私を見上げている。

彼が私に言っているのは、不完全な召喚への不満だ。一方的に引き摺りだしておいてこのザマ、と言われているようで辛かった。

 「……そこの受験者。ザナと言ったか」

 「へ?は、はい……」

 黙っていたニクス様が間に入る様に声を掛けた。

 「下がっていなさい。君は合格だ。………そちらの御仁と共にな」

 カルディナさんはまだ何か言いたそうにしていたが、トーロに手振りだけで引くように指示してくれた。私は咄嗟にレブと顔を見合わせる。

 「あ、あの……。私と……来て、くれますか?」

 「もう一度、貴様に言うぞ」

 背丈は遥かに低いのに、レブの一睨みで私は肩を震わせた。

 「は、はい」

 「名は?」

 「え、さっき……」

 ニクス様も、さっきはカルディナさんも私を呼んでいたのに……。

 「……貴様の口から聞かせろ」

 命令口調なのに、声色が一回り穏やかになった様な気がした。

 「私はザナ・セリャド。……今日から貴方の、召喚士です!」



 続行されたセルヴァの召喚士選定試験はその後、誰も召喚に成功する者は出なかった。今回の合格者はヒル、エマ、ルビー、チコ。そしてザナの五人だけ。

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