アリバイの極致
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第1話
一章 創立十五周年パーティー
会場となっている大広間には、大勢の出席者が集っていて、煌びやかな宝飾にふさわしい、スーツ姿の関係者や、コンパニオンらしきドレッシーな女性たちで溢れかえっていた。
「ありがとうございました」
「頑張ってね。応援するよ」
「はい! ありがとうございます!」
市野想士は、取材を受けてくれた関係者にお辞儀をした。
生活感ある私服の恰好で出席していたが、特に浮いている様子はなかった。
「市野、取材は順調?」
「うん、中々いい話が聞けて俺も満足だよ」
想士と一緒にパーティーに出席していた仁和翔子は、両手に料理が盛り付けられた皿を抱えていた。
「はいこれ、とりあえず一旦休憩しなよ」
「そだな。せっかくのパーティーなんだし、楽しまないと」
翔子と想士は高校のクラスメイトではあるが、別に深い関係があるわけではない。あくまでただのクラスメイトで、お互いのことも生年月日ほどのことを知っているわけでもない。
同じクラスメイトの参軒速人に、パーティーに招待されたのだ。
「やーやー楽しんでいるようで何よりだ、お二人さん。料理もじゃんじゃん食べて行けよ」
「そんなことより参軒、お前の親父さんとの面談はいつできるんだよ」
「あーそういやそれがメインだったっけ」
翔子は速人の幼馴染として出席しているが、想士はもっと別の目的があった。
「人生の成功者との面談だ。作家志望の俺からしても、その話をぜひ伺いたい」
想士は小説家を目指している。参軒の父親が、会社の創立十五周年パーティーを開くと聞いて、真っ先に自分も招待してくれるように頼んだのだ。様々な企業のお偉いさんも出席しているため、想士はたくさんの人に取材をしていたところだった。
「ちょっと待ってろ、今電話してみる」
速人はポケットからケータイを取り出して、三階の自室で仕事している参軒茂に電話をかけた。
「……繋がらないな。書類整理で忙しいのかもな……」
「直接上に行けばいいんじゃない?」
「それが無理なんだよ。今日、家の中を清掃してもらうときに、業者が階段に塗料をぶちまけちゃってな。パーティーの準備で忙しかったし、今は二階から三階は通れないままなんだ。しかもさっき十時を過ぎた辺りから、エレベーターが動かなくなってるだろ」
「それって、実質三階に行けなくないか?」
「まあ青田さんが今点検してくれているし、明日までには直ると思う。三階にもトイレはあるから、親父も一夜くらいなら過ごせるだろ」
「つまり、面談は後日ってことか」
想士はがっくりとうなだれた。
「仕方ないさ。ひとまず、親父の仕事が終わったところを見計らって、もう一度電話してみるよ」
「同じ家の三階にいるのに、電話するのって不思議だね」
「どうしようもないんだ。しょうがない」
参軒茂が運営するHope×Premium(通称PP)の創設十五周年パーティーは、本日の午後九時から開催されていた。PP社の功績を大勢の人が祝っているのだ。
参軒家は地下一階、地上三階の計四階の豪邸で、その一階と二階の大広間が、それぞれパーティー会場、そして三階には社長の参軒茂の書斎があった。
パーティーは問題なく進行し、十時半を回った。
「市野、腹も大分膨れてきただろ? まだ話きいてない人もいるんだろ。お前のこと紹介してやるよ」
「取材、手伝ってくれるのか」
「時間はあるんだ。付き合うよ」
想士と速人は二人で各方面のお偉方を伺った。
そうして全員の取材を済ませたころには、十一時を回ろうとしていた。
「そろそろか」
「――あ、そういや翔子。前に言ったピアノの設置が、ようやく昨日終わったんだ。よかったら、演奏室に行ってみろよ。本物を弾いてみたかったんだろ」
「本当? じゃあ行ってみようかな」
「待てよ。もうすぐ芸人のパフォーマンスが始まる。あの村瀬輝明の特別ライブだ。見ていかないのか?」
「それもそうだね……。でも、パーティーもあと一時間しかないし……。まあ、今回は諦めるよ。どうせテレビで見れるんだし」
「なんだったら、あとで直接楽屋に行って、俺が紹介してやろうか?」
「お前、顔広いんだな」
「そうしてくれるんだったら、嬉しいかな」
「演奏室、どこにあるのか知ってるだろ?」
「うん、二階の一番奥だよね。一人でも大丈夫」
仁和は一人で一階の会場から出ていった。
「へえ、仁和ってよく参軒の家を出入りするのか」
「幼馴染みだからな。昔から割と付き合いはあった」
「お前はあいつのこと好きなのかよ」
「なっ、いきなり何言い出すんだよ」
「分かりやすい反応だな」
「――ほら見ろよ。来たみたいだぞ」
取り繕うように言った速人の言葉を合図にしたかのように、芸人の村瀬輝明が白いカーテンの中から現れた。
「みなさん、今日は僕なんかを招いていただいて、本当にありがとうございます! 精一杯、みなさんのことを楽しませたいと思います!」
村瀬は渾身のパフォーマンスを披露し、客たちを沸かせた。
十一時半には翔子も帰ってきて、参軒家でのパーティーは十二時に終了し、その後は別会場で二次会が開かれた。
*ここまで、わかっていること
一階 ・パーティー会場(一)想士たちがいた会場
・そのほかの部屋
二階 ・パーティー会場(二)
・そのほかの部屋
・演奏室 翔子がピアノを演奏した部屋
三階 ・社長室(書斎) 参軒茂がいた部屋
階段による、一階~二階間は通行可能
二階~三階間は通行不可能(塗料による)
また、エレベーターは十時以降使えなくなっている
パーティーは十二時に終了した
二章 昼間の豪邸にて
「ん……?」
家で寝ていた想士は、ケータイの着信音で目を覚ました。
「あっ、面談の話……!」
そのことを思い出して、真っ先にケータイに飛びかかる。
「おはよう、市野」
「なんだ、仁和か。せっかくの日曜だってのに、一体なんの用だ?」
「速人のお父さんが殺されたのって、知ってる?」
「えっ」
「ほら、速人言ってたよね? 業者が塗料をぶちまけちゃったって。それで今朝、改めて清掃に来たらしいんだけど……」
「そこで社長の遺体を発見した?」
「うん。カギが掛かっていなかったらしくて、そのまま三階に行ってみると、書斎で死んでいたって……」
「書斎で死んでいた……」
「今、速人の家に何人かが集められているの。私も呼ばれてて。速人もいる」
「わかった、俺も行く」
「こっちに来るの?」
「心細いから電話したんだろ。それに、そんな事件を見過ごすことはできない」
「探偵気取りだね……。まあ、待ってるよ」
「おう」
想士は通話を終了すると、急いで速人の家に向かった。
想士が速人の家までやってきたときには、正午を回っていた。
外にはいくつかのパトカーが停めてあり、多くの警察官がひしめき合っていた。参軒家のエントランスホールは吹き抜けになっているため、廊下を行き交うたくさんの捜査員らしき人物たちもよく見えた。
そして、そんなエントランスホールの中央に、翔子と速人を含めた五人が集っていた。
眼鏡をかけた可憐な雰囲気を漂わせる、秘書の日野かすみ。
この空間でも割と馴染んでいる、作業着姿の青田智。
二日連続で本物と会うことになる、芸人の村瀬輝明。
そこに、想士が加わっていった。
「なんだ、市野、お前も呼ばれたのか」
「仁和にな。これはどういうことだ?」
「そのうち刑事さんが説明してくれる。――ほら、噂をすれば……」
すると、一人の刑事が、一室からにゅうっと現れた。
「みなさん、今日は突然お呼び立てしてしまって申し訳ありません。ようやく全員から話を聞くことが出来ました」
「……え、桐島さん?」
想士は、その厳つい刑事に見覚えがあった。
「やっぱり桐島さんじゃないですか。久しぶりです」
「おう、想士くんか。たしかに久しぶりだな」
想士は桐島慶次のことを知っている。想士の父親が、桐島警部とは知り合いで、何度か顔を合わせたことがあった。
「参軒のお父さんが書斎で死んでいたんですよね?」
「ああ、そうだ……。ちょうど、ここにいる全員から話を聞いていたところだ」
桐島警部は、帽子を深く被って顔を隠した。
「ねえ、刑事さん。僕だって今夜には営業があるんですよ。話せることは全部話しました。もういいですよね?」
「俺だって同じですよ。それにもう昼なんだし」
芸人の村瀬と、作業員の青田は、続けざまに口を尖らせた。
「申し訳ありませんが、検証が終わるまで、もうしばらく残っていてもらいます」
桐島警部は丁寧にそう言った。
「桐島さん。犯人はわかったんですか?」
「いや、まだだ。今は捜査員が現場の検証を続けている。全員をここに引き留めるのが私の役目だ」
「彼らがここに集められた理由は?」
「被害者の死亡推定時刻が十時半から十一時半の間だとわかってね、まあその、なんだ、怪しい人物を集めたわけさ。他の客にも事情を聞いているが、全員その時間帯にはれっきとしたアリバイがあった」
「でもわたくしたちにも完璧なアリバイがあります」
疑われているのが嫌だったのか、秘書の日野は遮るように言ってきた。
「そのとおりです。しかし、念のためということもあるでしょう。どうかご協力お願いします」
「ですから僕には予定が……!」
「各方面にはすでに我々から連絡済みです。大丈夫ですよ、きっと犯人は見つかります」
桐島警部はなんとか全員をなだめようとしていた。
「たしかにこのまま全員を帰すのは危険ですね。もしそうやって逃げられたら、証拠を消されるかもしれない」
「すでに一日が経ってるんだ。そんなの関係ないだろ」
想士に対して、速人はもっともなことを言う。
そこで想士は考える。
桐島警部がこの五人を連れてきた以上、この中に犯人がいる可能性は高い。実際に他の客にはアリバイがあると言っている。できる限りでもいい。ここで犯人を見つけたかった。
「桐島さん、俺にも捜査情報を教えてください」
「はあ? 何を言い出すんだ君は」
「ミステリー小説だって読んだことがあります。こういうの、結構自信あるんです。俺のこと信じてください」
「そう言われてもねえ……、一般人に情報をもらすわけにはいかんだろう?」
「ただの一般人じゃないですよ。俺と桐島さんは、もう知り合いじゃないですか」
たしかに想士と桐島警部は十年来の知り合いだった。しかし、それでもやはり無理がある。
ところが、桐島慶次という男は、そういう凝り固まった性格ではなく、むしろ、想士の自信に賭けてみようと思った。
「ふん、まあいいだろう。時間はまだあるんだ。それに、話を聞いただけだからな。私たち自身は何も検証をしていない」
「そうこなくちゃ」
「ただ、そこまで言うからには必ず犯人を突き止めるんだぞ」
「もちろんですよ、桐島さん」
想士は満面の笑みを浮かべていた。無邪気な子供の、やる気に満ち溢れたような表情に、桐島警部の心は突き動かされたのだろう。
桐島警部自身も、やる気に満ち溢れた表情をしていた。
「というわけで、みなさんもどうか、お付き合い願います。事件なんですからね……」
そして、もう一度、帽子を深く被った。
犯人はこのなかにいる……?
市野想士 作家志望
仁和翔子 幼馴染
参軒速人 御曹司
日野かすみ 秘書
青田智 整備士
村瀬輝明 芸人
渋い顔をしながら、桐島警部は説明する。
「まず、わかっていることだが、改めて言わせてもらおう。鑑識の行った検死によると、被害者の死亡推定時刻は十時半から十一時半だ。だがな、どうやら被害者は第三者に電話を掛けていたようなんだ。被害者の妻が証言している。十一時前に旦那から電話が掛かってきたとな」
「奥さんはどこにいたんですか?」
「それが、彼女は騒がしいのが苦手なようでな。近くの友人宅に避難していたらしい。友人からも証言はもらっている。特におかしな言動はなかったそうだ。疑う余地はないだろう」
「なるほど」
「それで実際に受信履歴を確認すると、十時五十四分だった。これは被害者のケータイの着信履歴とも一致する」
「つまり、被害者はその時間まで生きていたってことですね」
「ああ、声も聞いているみたいだからな。このことから、死亡推定時刻は十一時から十一時半に限定される」
「ありがとうございます。凄く丁寧に説明して頂いて」
「ああ。次に、彼らの昨夜の行動について説明したいんだが……。みなさん、構いませんよね?」
全員が口々に構わないと言った。自分は犯人などではないという、絶対的自信があるのだろう。あるいは想士のように犯人を突き止めるための助力をしたいのか。
桐島は、別室で先ほどそれぞれから聞いた内容を話した。
まず、参軒速人。
「刑事さん、親父が殺されたのは間違いないんですか?」
「ええ、間違いありません。首を絞められて殺されたようで、それ以外は特に目立った外傷はありませんでした」
「そうですか……」
参軒は俯いていた。やはり父親が殺されたとなると、応えるものがあるのだろう。もちろん演技の可能性もある。
「まずは被害者について、あなたに質問したいのですが、被害者は車イスに座った状態で死んでいたんです」
「ああ……、親父はこの前、階段から転倒してしまって、足を痛めていたんです。ただ、治りかけだったので、ある程度なら一人でも歩くことが出来ます。それ以外は秘書の日野さんに手伝ってもらっていました」
「なるほど……。昨夜は何をしていました?」
「普通に友人とパーティーを楽しんでいましたよ。取材を手伝ったりして」
「取材、ですか」
「はい、なんか作家を目指しているらしくて」
「パーティー中、会場を出ることはありましたか?」
「特には……、ていうか、事件当日、階段とエレベーターは使えなかったんですよ。俺に殺せるわけないじゃないですか」
「どういうことですか?」
「パーティー当日は、塗料が階段にまかれていて、二階から三階間は通れなかったんです。しかも、十時以降は、エレベーターも機能を停止していました。つまり、十時以降、三階には行けなかったんです」
「しかし、十時前に三階に行くことは可能ですよね?」
「そうなりますけど……、もう一度言いますよ。僕は普通にパーティーに参加していて、一度も会場を出ていないんです。だから殺すなんて不可能なんですよ」
桐島警部の説明中に、想士は水をさした。
「待ってください。――参軒、お前ウソついてないか?」
「ウソ? 何言ってんだよ」
「お前は一度、会場を出たはずだ。あれはたしか、俺の取材を手伝ってくれていたとき、十時四十分くらいか。一旦外すとか言って、一階の会場を出ていったよな」
「あれは、戻ってきたときに言っただろ。トイレに行ってたんだよ。言う必要もないと思ってたんだ」
「でも、一人で行動できる時間はあったわけだ」
「せいぜい二分程度だぞ? そんな短時間で三階の書斎まで行って、親父を殺して戻ってくるなんてできるのか? そもそもどうやって三階に行く? 死亡推定時刻の間は、完全に三階はイレギュラーだったんだ。しかも親父は十一時直前まで生きていたんだろ」
速人は一気にまくしたてた。必死に弁解しているようにも見える。
「落ち着いてください。次に、秘書の日野さんについても話しますね」
スーツに身を包んだ日野かすみは、用意されたイスに深く座っていた。
「あなたは被害者の秘書を務めていたということですが、基本的にどのようなことをしていらしたのですか?」
「詳しくはお話しできませんが、主に社長の補佐をしていました。最近は足をケガされたこともあって、その介護も」
「昨夜もやはり?」
「いえ、社長は昨夜とても忙しかったようで、パーティー中も書斎に籠っていました。わたくしが部屋を訪れたのは九時半が最後です。そのあとは友人とパーティーに参加していました」
桐島があとで連絡をとってみると、友人もその時間で間違いないと言っていた。
「ちなみに、どのような要件で?」
「申し訳ありませんが、そこまで話す義務が、果たしてわたくしにあるのでしょうか」
「いえ、あくまで任意ですので、拒否するというのなら構いませんよ。ただ、拒否した場合は、拒否した、と報告書に書かれることになります」
「やっぱり警察はずるいですね」
「なんのことでしょうか」
二人は互いに笑い合った。しかし、これは別に何かが面白いというわけではない。
「……大した要件ではないですよ。後日の会談について、社長にご報告したまでです。社長自身もいつもと変わらない様子で、二十分も掛からなかったと思います」
「わかりました。ありがとうございます」
「断っておきますが、死亡推定時刻の間も、わたくしはパーティー会場にいました。これはれっきとしたアリバイになるはずです」
「それは俺だって同じですよ」
完璧なアリバイを主張する日野に続いて、名乗りを上げたのは青田智だった。
桐島警部は、青田が勤務する会社のお得意様が、参軒家だということを調査情報から知っていた。
「たしかにそうですね。俺がこの家に来るのは三回目だったかな」
青田は今の若者を代表したような有体だった。
「速人っていう御曹司がいるじゃないですか。彼とは結構、仲がいいんですよ。だからこうして三回もご指名頂いたわけですし」
嬉しそうにテーブルを乗り出してきた。
「昨夜は何をしていらしたのですか?」
「地下一階に制御室がありましてね、その点検を。途中からエレベーターの調子がおかしいと言われて、メインがそっちになっちゃいましたけど」
「時間は?」
「パーティー開始の九時から、それ以降ずっと。終わったのは……十二時くらいかな。時計を確認してなかったからよくわからないですけど、本社についたのは一時だったから、多分それくらいだと思います」
「パーティー中、ずっと地下に?」
「それだけじゃアリバイがあるとは言えません」
女性組の翔子と日野は、青田のことを糾弾するようだった。
「勝手に決めつけてもらっちゃ困りますよ。刑事さん、さっきのカメラ、持って来ることはできますか?」
「ええ、少々お待ちください。――どうぞ。よろしかったら、みなさんも見てください」
桐島警部は一旦ホールを離れると、一つのカメラを持って現れた。運動会で、わが子を映像に収めるために両親が使うような、古いタイプのデジタルカメラだ。
「ちょうど今、こちらで最後まで確認しましたが、特に異常はないとのことです」
青田はカメラを受け取り、手際よく準備を整えると、記録されていた映像を再生した。
シークバーには3:17:07と記されており、すなわちおよそ三時間二十分の映像が記録されていることを表していた。
さすがにそのまま見ているだけは長いので、青田は映像を早送りで流していく。
「これはなんですか?」
「青田さんの作業の様子だな」
想士がした質問を、代わりに速人が答えてくれる。
青田が身に着けているものと同じ作業着の恰好をした、顔は見えないが体格からして恐らく男であろう人物が、映像の左側で作業をしている。右奥にはエレベーターの扉が見える。
「俺の会社は少し特殊でしてね、その日の作業光景を、映像として撮っておくようになっているんですよ」
映像は流されたまま、青田は自慢げに続けた。
「たとえば後日なんらかの不具合が発覚したときに、その映像を確認すれば、原因を突き止めることが出来ますし、しかもこちらも、技術向上の手助けになります」
できるだけ敬語を使って丁寧に喋ろうとしているようだが、どうも取り繕うようで、ぎこちなかった。最近の若者らしいといえば当然である。
動画のシークバーが、一時間の経過を示した直後に、映像の右奥、エレベーター扉上のランプが消灯した。映像中の青田は、そのことに気づく様子もなく作業を続けている。
「やっぱり十時過ぎに故障したのか……」
想士を含め、ほとんどの人間は映像に釘付けである。
しかし、一方の青田は、ますます自慢げになった。
「もちろん合意のもとでやってますよ? えっとつまりは、互いにウィン―ウィンなわけですね」
「それがなんだというのですか? 映像くらい簡単に細工ができますよね?」
「おっしゃるとおりです。しかし、重要なのがこの後です。十時半に、友人が制御室にやってきたんですよね」
そう言われて全員が映像を眺めていると、映像に青田以外の人物が現れた。一つの皿を抱えていて、作業着姿の青田と楽しそうに談笑している。
「そうですよ、エレベーターが動かなくなったと聞いたのはこのときですよ。ついでに料理もいくらか持ってきてもらって。そっからはエレベーターの点検に没頭してましたね」
十一時にはまた友人がやってきて、食器を回収していった。
以降の映像中の青田は、エレベーターのボタン下にある配電盤をいじったり、制御室に戻ったり、二か所を何回か往復しながら、作業を続けていた。
「映像に映っている彼の友人からは証言をもらっています」
「その友人とも共犯なら、細工できると思うんですが……」
村瀬はおずおずと手を挙げた。
「たしかに、その可能性は十分に考えられます。ですが、私が気になっているのはもっと別のことなんです。青田さん、映像を三時間直前まで飛ばして頂けますか?」
「はいはいはい。もちろんですよー」
青田がカメラを操作すると、シークバーの数値と共に、映像の様子が一瞬で切り替わる。再び変化が現れたのは、そこから数秒が経った時だった。
「ランプが点灯した……」
「ここでようやくエレベーターが再起動して、そのまま本社に帰ったんです」
「映像中のランプは十時に消灯し、十二時に再び点灯しています。これは昨夜のエレベーターの状態とも一致します。もしこれが予め撮られた映像なら、事件の起こる前日に、エレベーターの故障を再現しなければなりません」
「……ランプが点灯しているかどうかくらいなら、加工で済む話です!」
「こんな型の古いカメラで、そんなことできると思います? そもそも一晩で加工できるような技術、俺は持っていませんよ」
開き直った青田に、日野は言い返すことができなかった。
「つまり! 確実に、俺は九時から十二時までは地下一階にいたわけで、社長さんを殺すなんて不可能なわけですよ!」
最後に鼻をならして、青田劇場は絞め括られた。
青田がカメラの電源を切るところまで、映像は記録されていた。
「どうですか? これが俺の完璧なアリバイです」
「……たしかに、疑う余地はないと言っていいですね……」
「そうでしょう!」
若干悔しそうにも見える日野であったが、青田はそれとは反比例して、やけに嬉しそうだった。
「次は僕ですね。刑事さんにはさっきからずっと説明してもらっていますし、お手を煩わせるにもいかないので、簡潔に僕から話しますね」
ソファに腰を下ろしたまま、芸人の村瀬はそう言った。
「申し訳ありません。では、よろしくお願いします」
桐島警部は帽子を押さえてかしこまった。
「僕がこちらに到着したのは十時前で、用意された楽屋に入ったのは、ちょうど十時くらいだったと思います」
くわえて説明すると、到着時に、案内人とおぼしき人物に、二階にある楽屋へと案内されたという。
「みなさんご存じかと思いますけど、僕はピン芸人でモノマネをよくやっていまして。ずっとネタの確認をしていました」
想士は十一時から行われた、村瀬輝明の特別ライブを思い出した。たしかにあのパフォーマンスは、村瀬の集大成ともいえる、すべてが凝縮されているようだった。かのPP社の創立十五周年パーティーと聞いて、渾身のライブを披露したのだろう。
「ライブの時間になるまでですか? 一時間も練習していたなんて、やっぱり有名人の努力は凄いですね」
ほぉー、と翔子は感嘆の息をもらしていた。
「いや、それがそういうわけじゃないんですよ。ちょうど十時半くらいにマネージャーから電話が掛かってきまして」
「それっていうのは……?」
「そのとおり、今夜の営業に関してです」
なんの嫌みも感じない様子で、村瀬はさらりと答えた。
「打ち合わせはまた向こうで行うと言っていたので、通話自体は、二十分くらいですぐに終わりました。それで、五十分には会場の方に移動して、時間になるまで舞台袖で待機していました」
「まあ、そこでおかしな行動をとろうものなら、裏方の人もいるし、真っ先に怪しまれるでしょうね」
冷静に速人は分析した。
「ええ、だから時間になるまで、大人しく待っていましたよ。それ以降はずっとライブをしていましたし」
「……? ライブの内容が関係あるんですか?」
「翔子、さっき刑事さんが言ったことを忘れたのか? 十一時直前まで親父は生きていたんだぞ」
「あ、そっか。つまりライブの事実がある限り、村瀬さんはほぼ無関係ってことだね」
「要約するとそうなりますかね」
村瀬は小さく頷いていた。自分の『言いたかった』ことは、すべて『話した』という感じだった。
「最後は仁和さん。お願いします」
「はいっ!」
突然名指しされたせいか、翔子はぎこちなく返事した。
深呼吸をし、落ち着いてゆっくりと語り出す。それと同時に、階段奥から一人の捜査員が現れて、桐島警部に何やら耳打ちをする。翔子は構わずに続けた。
「……私は十一時以降、演奏室でピアノを演奏していました。一人で。だから、無実を証明する人はいませんけど……でも、階段とエレベーターは使えなくて、三階には行けなかったんですよね? それなら私も条件が同じになります」
「そうだな。何も間違っていない」
速人は無意識のうちに翔子を擁護しているようだった。
耳打ちをしていた捜査員が再び階段の奥に消えると、桐島警部は補足するように説明してくれた。
「仁和さんが演奏室に向かうところは、二階の会場にいた客が目撃しています。そして逆に、死亡推定時刻周辺の時間帯に、演奏室から出ていくところを目撃した人はいませんでした。会場から廊下は丸見えですからね、誰の目にも触れずに廊下を通ることは恐らく不可能でしょう」
「だったらなおさら翔子の潔白が証明される。その時間帯、間違いなく翔子は、演奏室でピアノを演奏していたんだ」
「わたくしは二階の会場にいましたけど、ピアノの音なんて聞いていませんよ」
「もちろん防音になっていますからね。――ドアは閉め切っていたんだろ?」
速人の問いに、翔子はこくりと頷いた。
「……ということは、やっぱりここにいる全員にアリバイがあるってことなんですね……」
想士はうなりを上げた。一度話を聞いた限りでは、誰も社長を殺すことができないように思える。何より殺害現場である書斎が三階にあり、そして死亡推定時刻に三階に行く手段がなかったこと、これが犯人を突き止められない最大の原因だった。
そうやって周囲に沈黙が漂う中、一人の人間が声を上げた。
「いや、どうやらそうもいかないようだ」
何を隠そう、厚手のコートに身を包んだ桐島警部である。
「今、捜査から情報が入った。参軒さん、演奏室の窓の向こうにはバルコニーがあるそうですね」
「え、ええ、そうですけど……」
「そこから上を見上げてみると、ちょうど三階の書斎、そのベランダがあるらしいじゃないですか。柵に乗ってよじ登れば、届かない高さではありません」
「まさか……?」
想士は真っ先に翔子の表情を伺った。当の本人は戸惑いの表情を浮かべている――ように見える。
「仁和翔子さん。あなたなら、被害者がいた書斎に立ち入り、そして殺害することが可能だったのではないですか?」
「な、急に何を言ってるんですか……! 男でもないのに、よじ登る力なんてありませんよっ!」
「――あ、ピアノを置いているくらいなら、もちろん演奏の時に使うイスとかありますよねー。ほら、あの黒くて高級そうなの」
「もしかして、それを踏み台にして?」
思いついたような青田に続いて、疑うようにして村瀬が食って掛かった。
「だから! そんなことしてません!」
「なら、無実を証明してください。あなたが殺したわけではないという事実を」
「それは……」
なんだ? いきなり何が起こっている?
想士は焦っていた。
仁和が犯人で、仁和ならば被害者を殺すことができた。
その事実が頭の中で渦を巻く。
「違う! 翔子が人殺しなんてするわけない! みんな、もう一度よく考えてください!」
速人は必死だった。幼馴染が目の前で糾弾されている光景を見ていられなかったのだろう。
「そうですって。仁和に社長を殺す動機なんてないじゃないですか」
できるだけ落ち着いて、想士は言った。
「そんなことはどうでもいいんですよ。大体、なんで君はここに来たんだよ。容疑者でもないくせに張り切っちゃってさ」
「俺は犯人を突き止めたくて……」
青田に返答して間もなく、村瀬と日野の言葉が、矢継ぎ早に飛んでくる。
「犯人はもうわかったじゃないですか。間違いなく、彼女が犯人ですよ。だって僕たちにはどうしようもなかったんですから」
「それとも、あなたが犯人だとおっしゃるのですか?」
「俺は……ずっとパーティー会場から出ていません……」
「だったら口を出さないでください。部外者が関わっていい問題ではありません」
「だからって、黙って見ているわけには……」
想士は言葉に詰まった。自分にはどうしようもできなかったのだ。犯人だって全くわからないし、聞いている分には仁和が犯人だとしか思えない。そういう意味では、想士も同じ見解だった。
でも、それと同時に、これはそんな単純じゃない話のような気がしていた。まるで誰かに仕組まれて、予定調和で進んでいるような、そんな気がしてならなかったのだ。
トリックはもっと複雑で、犯人はもっと狡猾で、予想だにしない結末がその先にあるような――
「三十分だけください」
たまたま想士の声は、エントランスホールによく響いた。
「三十分で犯人を突き止めます。だから、まだ仁和は連れていかないでください」
「本当にそんなことができるのかよ。市野?」
全員が沈黙で問いかける中、想士はこくりと頷いた。
「絶対に突き止めてみせる」
さて、ナゾトキ編はここで終わりです。
そして、次章から解決編が始まります。
ここで作者から、あなたに対して挑戦をします。
どうでしょうか?
あなたには、一体誰が犯人か、わかりましたか?
はじめに「この中に犯人がいる……?」と書きました。
市野
仁和
参軒
日野
青田
村瀬
そう、この中に必ず犯人は存在します。
それと、これは作者からのサービスとして、容疑者の行動を簡単にまとめておきました。
もちろん簡易的なものです。
……それでは、ぜひ、犯人を暴いてください。
○作家志望 市野想士 ずっとパーティーに参加
会場からは出ていない
○幼馴染 仁和翔子 11時00分 演奏室へ向かう
○秘書 日野かすみ 9時30分 社長室を訪問
9時50分 以降、パーティーに参加
○御曹司 参軒速人 10時40分 短時間、会場を退出
本人はトイレに行っていたと証言
○整備士 青田智 9時から12時過ぎまで
作業光景が、継続的に映像に記録
○芸人 村瀬輝明 10時00分 楽屋入り
10時50分 ステージ舞台袖で待機
11時00分 ステージでライブ披露
そのほかの登場人物 桐島慶次 刑事
参軒茂 社長
三章 崩れたアリバイ
「わかった……」
小さな声で、想士は呟いた。ちょうど三十分が経った頃だった。
「犯人がわかったのかい。想士君?」
「はい」
これならたしかにつじつまは合う。筋だってちゃんと通っている。そういう自信が想士にはあった。
「それは一体、誰なの?」
翔子は真剣な面持ちで問いかけた。
そして、それが引き金となった想士は、重い口を開いた。
「参軒茂社長……、被害者を殺害した犯人。それは――」
「お前だ」
「お、おれ?」
速人は心底わからないという表情で聞き返した。
「被害者の死亡推定時刻は十時半から十一時半の間。その間、被害者を殺すことが出来たのはお前しかいない。仁和は十一時直前まで俺たちと同じパーティー会場にいて、それ以降は間違いなく演奏室にいた」
日野は十時前に書斎を訪れたのを最後にずっとパーティー会場にいたし、青田はカメラの映像があるから、制御室を離れたとは考えられない。村瀬だって、マネージャーとの電話越しに、被害者を殺すなんてリスクを背負うことはできない。
「そうは言うけどな、死亡推定時刻は十一時から十一時半に限定されているんだぞ。俺が会場を出たのは、十時四十分の一回きりだ。疑うには無理があるんじゃないか?」
「そうやって小難しく考えるから答えがわからなくなるんだ。もっと単純に、簡単に考えれば、可能性は一つしかない。そう、お前にだけ、一人で行動できる時間があった。死亡推定時刻に被害者を殺せる時間が」
「だったら、短時間で殺す方法を説明してみろよ。昨日は三階に行けなかった。そのことに関してもな」
「たしかにそこが一番の問題だな……」
桐島警部は困り果てたように言った。
「二分程度で被害者を殺すには、近くにその被害者がいなければなりません。つまり、十時四十分、被害者は一階にいたんです」
「なにっ? 一階にいただと?」
続いて驚いた声を上げた。感情の起伏が激しいものである。
「一階にはパーティー会場以外にも、たくさんの部屋が存在します。その一室に被害者がいれば、トイレに行くと言って会場を後にし、被害者を殺して戻ってくることは可能です。二分もあれば十分でしょう」
「でも、そんな都合よく、速人のお父さんが一階にいたのかな。いたとしたら、お父さんはその部屋で何をしていたの?」
「そうだ、親父は仕事をしていたんだ。一回まで下りてくる理由なんてない」
「そのとおり。たしかに被害者が自分から下りてきたとは考えられない。だったら、やっぱり被害者は一階にいなかったのか? ――いや、そうじゃない」
「次は何を言い出すつもりだ」
「共犯者がいたんだよ」
「共犯者?」
速人は常に冷静だった。心なしか余裕のようにも見える。
「ああ、被害者を三階の書斎から、一階まで連れてきた――一階まで運んできた人物がいたんだ」
「日野さん、あなたのことです」
「今度は私ですか……」
「日野さんは九時半に書斎を訪れています。会談の話をしただけだと言っていましたが、本当にそれだけですか?」
「何をおっしゃりたいのでしょうか?」
「俺は、あなたなら、被害者を眠らせて、一階まで運ぶことが可能だったと思うんです」
「……」
「被害者は車いすに座っていました。睡眠薬などで眠らせてしまえば、女性でも一階まで運ぶことはできます」
「十時前なら……エレベーターはまだ止まっていない……」
翔子は補足するように呟いた。
「被害者を殺すことは参軒にしかできなくて、被害者を運び出すことは日野さんにしかできなかった。つまり、二人は共犯だったんです」
「なんということだ。まさか共犯者がいたとは……」
「……」
日野は反論の様子を見せない。認めていると取っていいのだろうか、とにかく想士は共犯説を主張した。
「でも、それだとお父さんの遺体は一階に放置されたままになるよね? 誰かが三階に運び戻したってこと?」
「だが、十時以降は、遺体を三階の書斎に運び戻す手立てはなかったはずだ」
翔子と桐島警部は、想士の推理に興味津々である。
「ええ。でも、まだ方法はあるじゃないですか」
「だから、その方法を説明してくれと言っている。エレベーターも階段も使えないというのに」
「そうですね。さすがに階段を使って運ぶのは不可能でしょう。あの塗料はどうやっても攻略できませんし、というか、車いすに乗せたまま階段なんて上れませんからね。けど、エレベーターは話が別です。壊れているなら、直してしまえばいいんですよ」
「直す……?」
相変わらずの翔子が疑問符を浮かべた。
「そして、それができるのは――」
「青田さん、あなた以外には考えられませんよね?」
「なるほど」
青田は観念したようだったが、それでも強気な口調で言い返した。
「カメラの映像には、青田さんの作業光景が、十二時過ぎまで記録されています。でも、記録されているのはあくまでそこまでです。それ以降、青田さんが何をしていたのか証明することはできません」
「……ま、たしかに」
「参軒家でのパーティーが終了し、客足がなくなったころを見計らって、エレベーターを再起動させる。青田さんなら簡単にできるでしょう。その後は、車いすに座ったままで一階に放置されていた被害者を、書斎に運び戻し、そのまま家を後にすればいい」
青田のアリバイは広範囲ではあったが、十二時以降に関しては欠如しているところがあった。十二時を過ぎた瞬間、青田のアリバイは完全になくなる。
「そこで俺は気になったんですけど、そもそも、エレベーターが動かなくなったのって、本当は『動かなくなった』んじゃなくて、青田さんが『動かなくした』んじゃないですか?」
制御室の点検と偽り、自らエレベーターの機能を停止させ、後で再び起動させる。そうすれば、速人、日野、そして自分自身のアリバイはさらに強固なものになる。死亡推定時刻、三階には行けないという、イレギュラーな状況を作り上げたのだ。
「ええ、何も間違っちゃいませんよ」
「やっぱり、青田さんも共犯だったんですね」
青田は返事をしなかった。大人しく、自分が犯人だと認めたということだろう。
「さて、それで君の推理は終了かね? ならば、署で彼ら三人から、詳しい話を聞くことにしよう」
「待ってください、桐島さん。まだ検証は終わっていません。まだ重要な部分が残っています。それは、参軒が最初に主張していたことに関してです」
「死亡推定時刻は、十一時から十一時半に限定されているって奴か? 意外だな、ゴリ押しで犯人だと決めつけるのかと思ったよ。親父が電話を掛けた時間は十時五十四分。この事実がある限り、俺が親父を殺したっていう推理は破綻する」
「だけど、何回も言うようだけど、実行犯は間違いなくお前なんだ。なら、疑うべきはその電話の方。――さっき、日野さんが被害者を一階まで運んだことを証明しましたよね? 被害者はなんらかの方法で眠らされていたはずだし、その後には参軒に殺されています」
速人は嫌な顔をした。どうも、まだ想士が決めつけたような態度でいることが気に入らないようだ。
「ということは、そもそも十時五十四分に被害者が電話を掛けるなんて無理なんですよ」
「市野、お前は何が言いたいんだ?」
「ここで考えられるのは、第三者がウソの電話を掛けた可能性。それを行ったのは――」
「あなたです。村瀬さん」
村瀬は想士の言葉に反応して、一瞬顔を上げた。だが、すぐにまた俯いてしまう。
「村瀬さんはモノマネ芸人として活動しています」
「まさか、君は、彼がモノマネで被害者の妻に電話を掛けたと言うのかね?」
「できない話じゃありません。参軒家でのライブ披露ともなれば、社長と対話する機会だって当然あるはず。相手の簡単なクセ、喋り方をある程度マネすればごまかしはききます。被害者の携帯から掛かってきた電話であれば、なおさら奥さんは疑わなかったでしょう」
被害者の携帯を村瀬が手に入れた方法に関しては、日野が社長を車いすで運ぶ際に、楽屋に寄って、村瀬が来る前ではあるが、携帯を置いておけばいい。回収の方法は、青田が参軒家を去る前に、村瀬が楽屋に置き放しにしておいた携帯を書斎まで戻す。その頃には、もうエレベーターは復旧しているから問題はない。
「……まあ、一見、筋が通っているように見えなくもないですが、さすがにそれは無理がありませんか? いくらモノマネとはいえ、旦那さんの声との違いくらい、すぐに気づかれてしまいますよ」
「たしかに。いつも聞いている声だったらなおさら……」
翔子は同調した。
「そこで、幸運にも、奥さんが友人宅に避難していたことが関わってきます。奥さんは友人と一緒にいました」
誰だって、親しい仲の人間といるときは、周囲に対する注意力は緩慢になる。昨夜の参軒茂の妻も、同じ状況だったと言える。と、想士は付け加えた。
「それに、かく言う村瀬さんだって、今までモノマネで生きてきた芸人じゃないですか。そのくらい造作もないでしょう?」
「……」
村瀬は黙りこくってしまった。自分の才能を引き合いに出されてしまうと、どうも反論できないようだ。
想士は空気をがらりと変えるように言った。
「この殺害計画は、四人が協力していたからこそ、できたことだったんです」
速人は短時間で殺害を行い、アリバイを作る。
日野は被害者を運び出し、速人の殺害を手助けする。
青田は被害者を運び戻し、速人に疑いが掛からないようにする。
そして村瀬がウソの電話を掛け、そもそもの死亡推定時刻を大きく攪乱する。
「四人が、四人のために行動をし、全員が共犯となることで、不可能と思えた社長の殺害を可能にした――」
つまり――。
「犯人は参軒、日野さん、青田さん、村瀬さん、あなたたち四人です!」
「四人が……共犯? そんなとんでもない事実が、この事件の真相なのか?」
桐島警部の問いに、想士は頷いた。
「仁和に容疑が掛かるようにしたのも、彼らの計画だったんでしょう。――昨夜、演奏室に行くように促したのは、参軒なんだからな――」
「違うよ」
速人はかき消えそうな声でも、『それ』だけは否定した。
「翔子を犯人に仕立て上げるなんてそんなこと、俺は絶対にしない。むしろ俺は、翔子に迷惑を掛けたくなくて、咄嗟に演奏室に行くように言ったんだ」
「私のために?」
翔子は速人の顔を見つめた。速人本人はいつもの優しい表情で返すと、想士の方に向き直った。
「凄いな、市野。よく犯人を突き止められたな。作家志望は伊達じゃないってか」
「前にそういうトリックの小説を読んだことがあるだけさ」
「そっか」
速人は一変して、今度は虚ろな表情で言った。
「……ごめんな、翔子」
「そこは私じゃなくて、お父さんに謝るべきじゃないかな」
「そうだな」
「では、四人には署で詳しい話を伺いたいと思いますので、我々に同行していただけますか?」
四人はなんの抵抗もせずに、素直に従った。
「翔子を頼む、市野」
「は? 頼むって言われても俺には荷が重すぎるよ。幼馴染なんだろ。ちゃんと帰ってこい」
「ああ、わかってる」
四人は桐島警部についていき、エントランスホールから出ていった。参軒家中でひしめき合っていた捜査員たちも退散して、あとに残ったのは、二人きりの静寂だった。
「仁和、じゃあ帰ろうか」
「うん」
外からはまだわずかながら、警察の雑踏が聞こえている。
これが、この事件の真相。
「これでよかったんだよ、きっと」
「うん!」
エピローグ
それは一週間前のこと。
「――んじゃ、引き続きお仕事がんばってくださいな」
「ふん、いちいち調子に乗るな、速人」
「わかってるって。これでも尊敬してんだからさ」
速人は参軒茂の書斎をあとにした。
すると、そこには速人の母親が待っていた。
「どうだった?」
「別にいつもと変わらないと思うけど」
「無理しているのよ、あの人……。本人だって、自分が今どんな状態か、理解しているはずなんだけど……」
「親父が病気なのって本当なの?」
「ええ……」
母親は現実から逃げるように視線を逸らした。
「このままじゃ、せっかくあの人がここまで大きくした会社が頓挫してしまう。社員だって路頭に迷うことになる。でも、それでもあの人は働くことをやめないでしょう?」
「親父はそういう人だよ。いつだって一生懸命なんだ」
「本当は、わたしは今すぐ速人に会社を継いでほしいと思ってる。それが一番の選択なの」
「うん、そうだね。母さんの言いたいことはよくわかるよ」
だとしても、二人にはどうすることもできない。
あくまで社長が参軒茂である以上、たとえ家族だとしても、二人が出る幕は一切としてないのだ。
……と思っていたのは、どうやら母親だけのようだったらしい。
「安心して母さん。俺に考えがある」
「考え?」
「来週、創立十五周年のパーティーが開かれるよね。母さんはどうするんだっけ」
「わたしは友達の家に行くつもりよ」
「そういや、騒がしいのが苦手とか言っていたね。じゃあ、母さんは、来週予定通り友達の家に行ってきなよ」
「あなたはどうするの?」
「大丈夫。きっといい方向に事は進むって。母さんに迷惑はかけないから。これは、父さんのためでもあるんだ」
「本当に大丈夫なの?」
「実の息子を信じなよ。二人が産んでくれた、この俺をさ」
速人はそう言い残して、廊下の奥に消えていった。
あとがき
最後まで読んでくれた方はありがとう。
いきなりここを読んでいるあなたはなんなんですかね。
とにもかくにも、この小説をお手に取っていただき、本当にありがとうございます。自分自身もなんとか最後まで書き終えることができました。
今回ぼくはミステリー小説ということで、アリバイをトリックとして利用した内容にしてみました。それでナゾトキ編の直後に、あなたに挑戦状なるものを叩き付けてみたわけですが、果たして正解できましたかね。
正解したというのなら、素直に『おめでとうございます』という言葉を送りたいです。あれだけの情報下の中で答えを見出せたのは凄いと思います。
一方で、間違えたけど納得できないというあなた。本当にそれで合っていると断言できますか。把握漏れはありませんか。もう一度読んでいただければ、きっと間違いが見つかるはずです。
まあ、でも、使用したトリック自体は別に大それたものではありません。複数の人間が共犯で、お互いのアリバイを補っていた――そんなトリックなんて、ミステリードラマや、ミステリー小説をまとめて考えれば、割とありふれた内容です。現にたくさんの作品で使われています。
だからこそ、何か取っ付きやすいところがあるのでしょう。
小説というだけでも、ただでさえお堅いイメージがあるというに、それがさらにミステリーとなれば、多くの人は読む気が失せてしまうでしょう。
そのために今回、ぼくはこの小説を書くにあたって、できるだけ工夫を凝らすことを務めました。
読みやすくするために、不用意な地の文は可能な限り減らしたり、台詞を多めにすることで、スラスラと読めるようにしたり、リズムよく読めるような構成にしたり。
このように、みなさんに楽しんでもらえるように、ぼくはこの作品を作りました。それが達成できていたら、これほど嬉しいことはありません。それだけで、ぼくはもう満足です。
では、次は卒業部誌でお会いしましょう。
アリバイの極致 ALT_あると @kakiyomu429
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