箸休め
第二十一話「幕間 0214」
「こ、これは……」
「まさかっ」
「受け取れという指示ですね?」
「こんな日が来るとは」
ブレーメン各人に渡したのはラッピングされたチョコレートの包み。
そう、今日はバレンタインデー。どんな外来文化も受け入れて独自解釈する日本人が2月に創りだした恋愛の祭典―――いや、お菓子業界の陰謀。
世の女性は特定または不特定の男性に対し、カカオのお菓子に載せた本音や義理を渡すのだ。
この日を最大限に利用して、1か月寝かせた債権を高利子で回収する凄腕も
「くっ……蓬莱軒に来てよかった」
あ、ロバ泣いた。
「あのとき絞められて鶏鍋にされてたら、この感動は味わえなったということコケッ」
妖怪になる前のことを思い出して目を浸ってるニワトリ。
「開封指示をお願いします」
開封して取り出して口に入れて味わって胃袋に落として消化していいから。(呆れ)
「俺やイヌは本当はチョコは食べてはいけニャいんだけど妖怪になったら無問題ニャ」
事前に聞いといてよかったわよ。妖怪って便利ね。
あたしは、普段がんばってる従業員たちに日頃の感謝と義理を込めて渡しただけ。
リターンはまったく気にしてないし、これだけ喜んでもらったら用意した甲斐があったというものだ。
「明日からもがんばって頂戴ね」
モチベーションの上がった従業員たちのビシッとした敬礼を受けて
「社長」
「ん」
振り返るとロバが厨房の奥を親指で指してる。そこではうちの料理長殿が余った具材を冷蔵庫にしまっている。
「いいんですかい?」
「なにが」
「なにがって、そりゃないコケ。旦那に渡してないでしょ」
「なにを」
「チョコレートと回答する指示をください」
「イヌ、指示出す前に言ってるわよ」
「キャイン」
「俺たちだけもらって旦那にはあげないってのは可哀想ニャ」
気が回る従業員たち。こういうところが大好きだ。
「彼は五穀断ちしてるから食べるってことしないし。あんたたちもそれくらい知ってるでしょ」
「それはそうですがね」
「あ、わかったコケ」
「なんだニャ?」
「社長が考えてるのは『私をプレゼント』ってやつだコケ」
「あんたを鶏鍋にするのは今からでも遅くないわよ」
「指示をいただければ用意しますが」
「コケーーーーーーーッ!」
「くだらないこと言ってる暇あったらさっさと店じまいしなさい。あたしはもう上がるから」
「「「「お疲れ様でした、ボス」」」」
ボスはやめろって言ってるだろ。
あたしはニワトリの言ったことを想像して馬鹿らしいと思うと同時に、少し顔が熱くなった。
店の後片付けを終えたブレーメンの4人は蓬莱軒からそれほど遠くないところに借りているアパートに帰っていった。
料理長の部屋は蓬莱軒の2階。火元を確認して電気を消して上がる。
店の裏にある自宅玄関からそれを見ていたあたしは、階段を数段あがったその背中に声をかけた。
「おい、料理長くん」
「はい」
「下りてきたまえ」
「はい」
電気を再び点けて、隠し持っていた袋を差し出す。
「なに、これ」
「社長から料理長くんへの季節外れのボーナスということで」
袋からボックスボイテルボトル(水を入れる皮袋の形を模した曲線の瓶)を取り出して、ラベルに視線を走らせた彼は
「なるほど。ボーナス、ありがたくいただくとしよう」
と言った。その淡々とした口調の中に僅かに楽しむような、からかうような音階があったのに誰か気づいたものか。
「な、中身は偶然だから、きき気にしないように!」
「あいわかった」
「そ、それぢゃ」
用は済んだ。とっとと自宅に戻ろう。視線を受けているとわかる背中が燃えるように熱い。
白衣の料理人は店からグラスと氷をいくつかピックアップしてから、再度電気を消して2階の自室に上がる。
右手にぶら下げたボトルのラベルには
Chocolatier Liqueur
とあった。
「今宵は羽化登仙だね」
仙人の階段を上る足音は愉しげであった。
(終わり)
※羽化登仙
酒に酔って天にも昇る心地になること。
羽が生えて、空を飛ぶ仙人になること。登仙は天界の仙人になる意味がある。
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