第十四話「女性経営者の退屈な午後」

 典杜デン・ドゥという名前に聞き覚えがあった。

 ついこの前、シーフーが『仙人界の指名手配犯』と触れたくなさそうにその名を挙げていたから。

 シーフーは『あいつ』呼ばわりし、向こうは『久しぶり』ときた。やはりこの2人は知り合いなのだ。

 微笑みを浮かべている典杜とは対照的に、面倒くささ全開のシーフー。


「相変わらず手癖が悪い奴だな。その鍋返してよ」

 典杜―――すごいイケメンなのに何かが邪魔して受けつけない―――は楽しそうに、

「僕が盗んだわけじゃない。やったのは彼らさ。僕は届けものを受け取っただけだよ」 

 と鍋を斜めにかざした先には、例の四人組の動物妖怪が再び人間態をとって所在なさそうにしていた。

「仕組んだのはお前だろ」

 そのセリフを発すると同時に声の主はあたしの横からかき消えた。縮地の術を使ったのだ。

 あたし、だいぶ人間離れ展開に慣れてきたわね。モウフツウノジョシダイセイジャナインダ……


 次の瞬間、シーフーは自分が立っていた場所と典杜が座っている椅子のちょうど中間地点くらいに姿を現した。ん、そこに跳んでも意味なくない?

「とっくに気づいてると思うがこの屋敷は僕が張った結界の内。シーフー、君の術はかなり抑え込まれてしまうからね。この妖怪君たちが君を撒けるなんて最初から思ってなかったから、しっかりお出迎えの準備をしておいたのさ」 

「あ、そ」

 またかき消えた。

 そうか、結界によって半分程度に制限されてしまうなら、縮地を2度使えばいいじゃないということね。戦い慣れてるね、シーフー!

 今度こそ目的地に跳ぶことができたシーフーは、典杜がぷらんぷらんと振っていた中華鍋をもぎとろうとした。

 その手が典杜の手首の上をツルンと滑り、続いて足元もなにかに滑ったかのようにバランスを失った。

 転倒したシーフーを足を組んだままで見下ろす典杜の視線は愉しげだ。

 イケメンだけどむかつく奴だ、こいつ。


「久しぶり過ぎて僕の術を忘れてしまったのかい。だよ。

 得意げに中華鍋をテニスラケットのように手の中でクルクル廻す。

 な、殴りたい。

「ほら、妖怪君たち。竜穴の土地を奪うチャンス到来だ。

 宝貝パオペエを失い、結界で力を抑えられた今なら、伝説の『蓬莱のシーフー』に土をつけられるかもしれない。力の限りがんばりたまえ」

 ほ、蓬莱のシーフー!?

 うちのお店は蓬莱軒よ、蓬莱軒。


「どうする?」

 指示待ち癖のあるイヌがロバを見上げて判断を仰ぐ。

「人間にいじめられ、妖怪仲間に軽んじられ、どこに行っても爪弾きにされてた俺たちブレーメンが名を上げられるんだぞ」

 赤モヒカンのニワトリがせっつく。

「もうあんなみじめな思いはしたくない……。でもよってたかってというのは後味悪い」

 いろいろと自分たちが受けた仕打ちを思い出し、うなだれるネコ。

 3秒ばかり考え込んだロバは鼻からスーッと空気を吸って、同志達を見回す。

「あの仙人を力ずくで叩き出したら、今まで俺たちを受け容れなかった他の妖怪と同じことしてるってことにならないか」

「さっき『音楽隊』で逃げられたのはたまたまだろ。あの伝説の仙人は俺たちとじゃレベルが違い過ぎる。ま、とにかく指示くれよ」

イヌはできれば『戦うのやめろ』という指示を待っているらしい。



 あたしは縮地が使えない。だから2本の足でズンズン歩くしかない。

「あんたたち!ひとの店の営業妨害するわ、商売道具盗むわ、

 典杜こんなやつの口車に乗って男を下げるわ、恥ずかしくないの?」

 もうこの状況と、ブレーメンとかいう情けない泥棒妖怪にはらわたが煮えくり返っていた。

「だいいち、あの土地はあたしのもんだ!」

 怒りに任せた両手両足の4連撃を決めて妖怪たちに尻もちをつかせた。

「中華屋なめんなよ」

「ひええええ。人間なのに滅茶苦茶強い!」

 ニワトリの裏返った悲鳴に、白衣についた埃を払っていたシーフーが言う。

「うちの店主がどれだけ竜穴の上で過ごしてたと思う?生まれてからずっとさ。竜穴はその上で過ごす凡人を英雄に変える力があるんだぜ」

「凡人って言い方がちょっとひっかかるわね。そりゃひねくれたチート仙人らと違って凡人ですけどね」

 ネコがますます悲観した顔で

「あの『蓬莱のシーフー』だけでも勝ち目ない上に、こんな虎みたいに強い娘がいる土地なんて奪えっこないよ」

 と嘆き、

「とてもじゃないけど手に負えねえ」

 首を横に振ってロバが締めた。

「じゃあ、戦わないで撤収という指示でいいんだな?」

イヌあんたさぁ、ちょっとは自分で考えなよ」

 ため息をついた。



「僕を無視して場が進むのは傷つくな」

 典杜は咳払いするとおもむろに椅子から立ち上がった。

 こいつはナルシストのジコチューだ。うざいイケメン。最近あたしの前に現れる男は決まってどこかうっとうしい。

「アイテムが手に入った今、君たちにもう用はない」

 鍋を持ってない方の左手に光が凝縮したかと思うと、が構えられていた。

 弩とは主に古代中国で使用された射撃武器で、クロスボウをイメージしてほしい。

 実弾の矢の代わりにバチバチと放電する光の矢がつがえられている。

 照準はこちらに向けられている。

「そんな様子ではこの先どこへ行っても安住の地を確保することはできそうにない。行き場がないなら消えたまえ」

 うん、一発で全員やられる確実なやばさが伝わってきて―――どうしよう!

 ドンと突き飛ばされて数メートル転がった。

 突き飛ばしたイヌは舌をペロッと出してドヤ顔を決めてる。

「今のは自分で考えた。あんたは関係ない」

 ちょっとあんたたち、早く逃げなさいよ!

 雷の矢は一瞬でブレーメンを貫いて消し去るだろう。


「溜め長すぎ」

 典杜の耳にその囁きが届いたとき、彼の周囲を数人のシーフーが取り囲み、一斉に飛びかかった。

「全部滑らせるまでだ。僕に攻撃は届かない!」

 宣言どおりシーフーの延べ二十数本の手足は全て攻撃対象の表面を滑った。その結果、数本の手足が典杜の右手が握っていた中華鍋に当たり、鍋は跳ね飛ぶ。

「一度滑らせて生じた結果に再度干渉して滑らせることはできないみたいね」

 落下地点に待ち構えていたシーフーの周天の1人がパシッとその手で鍋をキャッチした。

 

 周天が1人に集約されるのと、弩の雷矢が発射されるのは同時だった。


「死にたくなーいっ」

 ブレーメンの誰かの叫び。あたしにはどうすることもできない。ごめん。

 ビームと呼んだ方がピッタリくる弩の攻撃は妖怪たちに届く直前で一瞬たわみ、異空間のどこともしれない天井へと弾き返された。

 青白い光の残像が鎮まった後には、恐怖に抱き合って固まっているブレーメン、そして中華鍋による力強いレシーブを決めたシーフーの姿が視界に像を結ぶ。

 その黒い鋼の鍋の底に紅く輝くのは


 受命於天既壽永昌


 の古代漢字。

 ジャーン、ジャーン、ジャーン

 今聞こえた銅鑼の音はあたしの幻聴か?



典杜おまえのことだ。甘言を弄して、ブレーメンこいつらを使い捨ての手駒にしたんだろう?初めから消すつもりでさ」

「ほう!素晴らしい。僕の術を弾き返すとは。この世の外から来た鉄で造られた宝貝パオペエの力。ますます欲しくなったよ」

 シーフーの指摘をガン無視し、子供のように目を輝かせて鍋に見入っている。

「あげるわけにはいかない。この鍋がないと飢え死にするお客が何人かいるんでな」

「シーフー、僕たちは永きにわたる腐れ縁だが、時々君がわからなくなるよ。

 何で厨師りょうりにんなんてやってるのかい?

 ―――」

 そのセリフは最後まで言うことができなかった。

 

 シーフーが邪仙消滅の鍋を典杜の頭に打ち下ろしたために。

 典杜はその数メートル背後に現れた。彼も縮地はお手のもののようだ。 

「いいかげん、泥棒は刑に服したらどう?」

「ハハ。僕を閉じ込めておける牢があるのかな?」


 それから数十秒。

 2人の仙人は火を巻き、水を噴きあがらせ、風で飛ばし、土砂で押し流す。

 空間の温度は乱高下して光と闇がお互いを削りあう。

 あたしとブレーメンはただただ傍観者でしかない。それ以外にどうしろっていうの。

 距離を一気に詰めたシーフーが頭上からの鍋打撃ストライク―――!

 その手から鍋が落ちた。理由は言うまでもないわね。


 鉄鍋の転がる音が響く。

 銀髪の仙人は両掌を軽く突き出して、次の攻防に水を差した。

「茫っとしてやる気なさそうなくせに、術のキレは恐ろしいほどに研ぎ澄まされている。まったく君の本気には鳥肌がたつ。怖くなったよ」

 どっこいせとかジジ臭い所作で鍋を拾うシーフー。

「なあシーフー、こう見えても僕は君に少しだけ友情を感じていたりもするんだよ。もし本気で潰し合うとしたらそれは今じゃない。いつかのためにその鍋、よく磨いておいてくれたまえ」

 典杜の背景が波立ち、半透明のたわんだ緞帳のようになった―――異空間の転移ゲートと後で説明を受けた―――に後じさるようにして彼はその細身の体を滑り込ませて退場していった。


 広さも高さもあやふやだった部屋も同時に消え失せ、橙色の濃さの割に暖かみのない冬の夕方が支配する雑草だらけの空き地に立ちすくんでいた。 


 今まで起きたことが現実だったのは間違いない。

 現に命拾いをしたブレーメンはあたし同様に傍らに棒立ち。


「た、助かったんだね」

「うまい話って……こわい」

「今後どうするか指示をくれ」

「その前に俺たちはお二方にケジメをつけないといけない」

 

 シーフーがヌッと四人組の前に立ちはだかった。

「わかってるなら話は早い。いろいろとしでかしてくれたツケ、お前ら自身で返してもらおうか」

「そ、それってどういう―――」

「ロバ、ネコ、イヌ、ニワトリ。OKだ。広東の人間は二足なら親以外、四足なら机と椅子以外なんでも食材にする、って知ってる?」

 どこから取り出したのか、水に濡れた砥石と中華包丁をシュッシュッと器用にこすり合わせ始めた。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 おお、ブレーメンの音楽隊はハモりも見事ですなあ。



 近況報告。

 蓬莱軒は従業員4人増えて営業中です。

 店の規模の割に従業員5人は過剰? だってタダだから……。

 労働基準法? だって妖怪だから……。

 従業員満足度? だってここは彼らの安住の地だから……。

 

 女性経営者として今日もまじめに働く新入り達の姿に安心しながらも、

「すこし退屈……」

 と手元の小説に目を落とす。小さいあくびが出た。 



(終わり) 

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