第十五話「年越し餅」
裏口から入ったお店はガランとして、ひと気も火の気もない。しんとした寒さが足元から伝い上がってくる。
今年最後の太陽はまだ落ちていないが、夕闇は低く低く忍び寄ってきて、ガラス扉の近くにわだかまる白い光だけが広くない店内を照らす。
スツールに腰を落とし、カウンターに頬杖をつく。
小さなため息だけが固まった空気を揺らし、かすかな音をたてた。
夏にたった一人の家族であった父が亡くなった。
悲しみと不安に打ちひしがれていた自分を包囲してくる横暴な地上げ屋。
風のようにあらわれた料理人との出会いがあり、蓬莱軒を再出発させた。
お客さんたちの笑顔を見て、お店を続けてよかったと独り泣いた。
お店と大学の両立はなかなか大変だったけど、なんとか転倒しないでいる。
料理人の素性が『仙人』だもので、いろいろ不可思議な騒動に出くわしたり。
店員―――こっちの素性は妖怪―――が一気に4人も増えて賑やかになった。
二十歳の大学生には少しばかりヘビーなシチュエーションだったわね。
後半、いろいろあった1年も今日で終わるので、その原点のお店でちょっと振り返りたくなったわけ。
ガラリとガラス扉が開き、うちの一流料理人が入ってきた。
「あ」
「お」
目があう。
蓬莱軒の年内営業は昨日まで。つまり大晦日から三が日の間は、料理人の彼をはじめ店員連中は休暇となっている。
「どしたの、こんなところでたそがれちゃって」
茫とした声が後ろを通り過ぎ、カウンターの中へ。手にしていたスーパーの袋を調理台にトンと置いた。
「お店は休みなんだから、こっちに座ればいいのに」
「ここが定位置」
流石に今日は料理人の白服を着てない―――黒い長袖Tシャツで寒くないの?―――がカウンター内に立つ彼は、誰よりもその位置にいるのがキマッている。
「あんたこそどうしたの?年末年始くらい
故郷?
そういえば、このひとは9月のあの日、どこからやってきたのだろう。
履歴書なんてもらってないし、根掘り葉掘り聞かない方がいいかなと今日まで接してきたんだけど。
このひとは一体何者なのだろう。
外見は20代半ば。実年齢はもっといってるだろうことは織り込み済み。
仙人っていうからには不老長寿とかでもおかしくない。
50歳?70歳?まさか100歳?
言葉の
作る料理も地方色がない、むしろ日本全国の味に通じていて、本職の中華料理も北京、広東、四川なんでもござれ。
初めて会った時の簡易面接めいた会話で『西の方』から来たと言っていたわね。東京人が西の方って言われると、とっさに関西地方だと思ってしまうけど。
年齢も出身も不明のミステリアスというより怪しい自称料理人の仙人。
彼の素性についていつか知るときが来るのだろうか。
たとえそれが想定外のことだったとしてもそれはそれ。
あたしは多分変わらない。何があっても彼を信じられると思ってるから。
「竜脈あるところが俺の
彼は片足でトンと床を踏んだ。
「そっか」
蓬莱軒の下にある竜脈の結合ポイント『竜穴』を視たから何となくその言葉に同意できた。あの竜脈の彼方に彼の源泉はあるのだろう。
「楽しい盛りの女の子が大晦日に空っぽの店で物思いとはね」
「今年は父さんが亡くなったから喪中だもの。祝い事はしない、初詣のお誘いも断った。お店も学校も休みになっちゃうと意外と何もないのね、あたしって」
「俺も店が完全に休みだわ、ちょっかい出してくる
ほんの少しだけ笑った彼は白いエプロンを身につけた。
「腹減ってないか?」
返事は腹の虫が応えた。実はお昼を食べてなかった。
「大根餅をご馳走しよう」
【大根餅】
米粉300グラム、片栗粉40グラムに塩と胡椒を少々をまぶして水300ccでよく混ぜる。水は少ないかな?くらいがよい。(1)
大根1/2本の皮を剥き、細く千切りにする。
熱した中華鍋にサラダ油大さじ1杯を入れて、水で戻した干しエビ10グラム、みじん切りしたしいたけ(3個)、細切れベーコン(100グラム)を炒める。
十分炒めたら皿に移す。(2)
中華鍋に水500グラムを入れて沸騰したタイミングで小さじ一杯の塩とともに大根を投入して茹でる。(3)
(2)を(3)に入れてから(1)とよく混ぜ合わせる。ねばねばになるまで。
生地をラップをひいた容器にあけて40分ほど蒸す。(面倒だけどここが大事)
蒸しあがったら、常温で冷ましてからお好みの大きさに切り分ける。
表面に油を塗って両面に焦げ目ができるくらいに焼く。
「ちょっと時間がかかったな。お待たせした」
「蒸し時間を耐えるのが地獄だった……。テレビで気を紛らわせるのも限界だよ。で、大根餅?」
「説明は食べながら聞けばいい。醤油、ラー油、豆板醤、ポン酢といろいろ試して、な」
お焦げの香ばしさを漂わせる数センチ四方のお餅。1.5センチくらいの厚みの中にエビやしいたけ、ベーコンが宝物のように埋もれている。
お箸でつまんでお醤油につけてかじる。
外側はパリパリッと歯で砕く食感。それが中身に届くとモチモチのエンドレスが口内を満たす。楽しい!
そして、襲ってくるのはとまらない、やみつきになる味。
餅のねばり、蒸した大根の落ち着いた風味、時々噛み当たる具材のそれぞれの味の唐突感。
アツアツ、パリパリ、モチモチの三重奏。
なんなの、これ!
「はぁー」
口から湯気が出ていく。幸せの吐息も一緒に漏れていく。
ラー油、豆板醤、ポン酢も当たり!はずれが無いわよ!
「ふぅぅ……」
「ルオポガオ、気に入ったみたいだな」
「ルオポガオ?」
「わかりやすく大根餅でいいな。もともと広東、香港、台湾やマカオの年越しには欠かせない料理なんだ。そのモチモチ感と、どの調味料とも相性抜群な社交性が人気だ」
「わかる。わかりますぅ。これは毎日でも食べたい」
「実際、東南アジアあたりではオーソドックスな料理で、町の食堂や学食でいつでも食べられる。今はしいたけ、エビ、ベーコンを使ったが、混ぜる具材によってさまざまに味が変わる。下味をしっかりつけた野菜なんか入れるとヘルシーでおいしいと2倍お得」
「こんなの知らなかったよ」
「日本の中華料理は、日式と言われるくらい日本で独自の進化をしたものだからな。本当の大陸料理は日本人の舌をもっと喜ばせることができると思うよ。
料理を知り合うことで、いろいろ面倒くさいもめごとを簡単に飛び越えて、文化や考えを理解しあえるきっかけになれるといいよな」
食を通じた共通理解。大賛成。
「これ、蓬莱軒のメニューに入れよう。ね、ね」
「いいかもね。冷凍しておけば作り置きもできるしな。吸い物に入れるとまたうまいぞ。焦げ目つけるくらいに焼いてあるから崩れない雑炊としても使える」
その時、新人店員達が戻ってきた。新年から本格的に蓬莱軒で働くため、近所に転居する手続きに走り回っていたのだ。
「お、なんですか!このいい匂いは」
「う、うまそうニャものを……」
「食べていいという指示をください」
「ボスばかり食べていいなあ」
ボスとはなんだ、ボスとは。
「お、ブレーメンのご帰還。お前達も腹減ってるみたいだな。よし、もう一度作るから年越し大根餅食べていく?」
料理人は今日2回目の笑みを浮かべると、エプロンを締め直して再び調理にとりかかる。
さっきまで寒々としていた店内が馥郁とした香りとみんなの活気ですっかり居心地のいい空間になっていた。
調理している背中に精一杯の感謝を捧げる。
今年後半、あなたのおかげで幸せだった。ありがとう、シーフー。
父さん、あたしは寂しいとは無縁の新年を迎えられそうです。
来年もよろしくね、みんな。
(終わり)
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