第十二話「ブレーメン」

 昔々むかしむかし、あるところにそれは働きもののロバがいました。

 ロバは毎日荷車を引いたり、人を乗せたりと重宝されたものでした。

 だけど、ロバが年をとって以前のように働けなくなると、人間たちはロバを邪険に扱い始めました。それはいじめと言ってもいいくらいにひどいものでした。

 ある日、ロバは人間たちの目を盗んで逃げたのです。

 

 ロバは逃避行の途中で、飼い主に放置されたイヌ、病気で弱り切ったネコ、食糧として絞められるところを脱したニワトリと出会いました。


 ロバたちは自分を苦境に追い込んだ人間に対する怒りと恨みによって、妖怪に変化しました。

 新たな生を得た彼らは『ブレーメン』と名乗り、自分たちが安心して暮らせる場所を探して旅に出たのです。


 しかし、人間は彼らの想像を上回る早さで多くの土地を開発してしまいました。

 しかたなく、まだ人間が入り込んでいない山奥や樹海、離れ島に行くのですが、そこにはすでに彼らより強くて古い妖怪がいて、新参者のブレーメンは追い払われてしまいます。


 それから長い間、ブレーメンは人間世界に紛れ込んで、安住の地を探しています。

 ちょっとした悪さをして小銭を稼いだり、時には宿敵の人間の善意に助けられて東へ西へ。

 そんな彼らの耳に、ある提案が囁かれたのは彼らが旅に疲れ果てていた時でした。

「何者も君たちに手出しできないいい場所を知っているんだ。どこにあるか教えてあげるから、ひとつ協力しあわないか?」



「こちらはタンメン、こちらは海鮮と季節野菜の炒めものです。お熱いのでお気をつけてお召し上がりください」

 テーブル席に向い合せに座ったお客さんの前にそれぞれ注文された品を置く。

 後ろではシーフーがカウンターのお客さんに

「炒飯お待たせしました。こちらからお出ししますね」

 と言うのが聞こえる。

 茫洋とした声音は相変わらず。

 お昼の営業のピークも過ぎた頃、お店のお客様は4人。まずまずね。



 今日のように授業がなく、特段の用事がない日は当然あたしも昼からお店に出る。

 シーフーがいくら分身の術―――周天しゅうてんの術だっけ?―――を使って切り盛りできるからといって、それに頼ってばかりはいられない。

 仙術に使用する『気』も無限ではなく、それなりに消費するらしい。術の使い過ぎは疲れるということだろう。

 前に

蓬莱軒このみせの地下の竜穴りゅうけつから『気』を補給してるから、店では常に満タン、術使い放題。無問題モウマンタイ

 と言ってたっけどね。


 竜穴。大地に流れる生成の力である『気』の経路である竜脈のところどころに生じる竜脈の

交差点たまりば

 竜穴にあふれる『気』は、国の盛衰から一族の繁栄、果ては凡人を英雄に変える程の影響力を持っているってことなのだ。全部シーフーの受け売りよ。


 亡くなった父さんの店の真下に、そんな御大層なものがあるとは知らなかったけど、それを狙ってきたスジ悪の妖怪に命を狙われたことがある。

 わかる者にはわかるすごいパワースポットってこと。

 『気』の使い道なんかわかるはずもない女子大生あたしには過ぎたシロモノなので、竜穴を制御できる仙人シーフーにお任せしている。


 まあ、腕のいい料理人が格安給与で獲得できたのだからそれでいいのよ、経営者としては。



 入口のガラス戸がおそるおそる開いて、ヌヌッと入ってきたのは茶色いスーツに身を包んだ、やたらと男の人だった。

 長い、と表現したのはその人の顔といい、体つきといい、とにかく『長い』から。

 身長が高いというより『長い』だな。これがしっくりくる。

「いらっしゃいませ」

 その長い顔の男の人は、手にしたメモとあたしを交互に見ながら、歯をニイッと剥きだすようにして口を開いた

「あの、すみません。ちょっと道を尋ねたいんですが構いませんか」

「はい、どちらへ行かれるんでしょうか」

「このメモに描かれた地図がわかりづらくて」

 あたしはそのメモがよく見えるように近づいた。

 


 その時だった。

「あっちぃ!」

 タンメンを注文したお客さんが舌を突き出して叫んだ。

 あたしは驚いて尋ねた。

「どうされました!?」

 そのお客はくりくりっとした目を一所懸命吊り上げて

「このタンメン、熱すぎて舌をやけどした!」

 と言って椅子から立ち上がった。

 あー、アメリカでコーヒーが熱くてやけどしたと裁判になって何十万ドルも和解金を支払った事件があったな。ここは日本で、ネタはタンメン。

「お客様、お水を」

 テーブルには先に出したお冷がある。猫舌の男性はそれには手をつけずに、

「あっち、あっち」

 と口元をおさえて叫ぶばかり。



 次の瞬間、

「おい、この野菜炒めは火が通ってないよ!」

 と今度は猫舌男性の真向かいに座っていたお客さんが喚いた。

 お客さんの外見は本来どうでもいいのだが、一応説明しておくと、色白の肌と赤いモヒカンヘアがとっても印象的なお客さんだ。

「お取替えいたします」

 慌ててテーブル席へ向かおうとするあたしの肩を後ろから『長い』男の人がおさえる。

「あの、道を急いでまして」

 ちょっと!今はお客さんの対応をするのが優先なのくらい、大人ならわかるでしょ。

 あたしは無視してテーブル席へ向かおうとするが、肩から手が離れない。

「訴えるから!」

 猫舌さんが、鞄をひっつかんで退店しようとする。

 え、どうしよう?

 数瞬パニクった。

 訴える?やけどの手当は?お勘定は?払うわけないか?とにかく謝る?他のお客さんの視線が!

 客商売をしていればいつかは来ると思ってた事態。それは予告もなしにやってくる。

 社会経験無きに等しい身は、想像以上に機転が利かない現実に直面する。



 見かねてカウンターからシーフーが出てきた。

 その彼の目の前に赤モヒカンのお客さんがお皿をつきつける。

「こんな生野菜食べさせるの?この店は」

 シーフーはジトと赤モヒカンさんを見て

「じゅうぶん炒めました。野菜は生でも問題ありませんけどね」

 と言ってしまった。

「シーフー!」

 叫んだ自分の声でパニックは収束した。売り言葉に買い言葉で、お客さんにそんな言い方をしてはいけない。



「どいてよ!」

 猫舌さんがあたしと迷い人を押しのけるようにして出て行く。そのあとを

「御馳走さん。釣りいらないよ」

 とカウンターに陣取っていた炒飯のお客さんがレジ台に千円札を置いて猫舌さんに続いた。

「あの!お客様ぁ!」

 赤モヒカンさんはシーフーに任せる。猫舌さんをこのまま帰してしまっては店の信用にかかわる。

「で、この地図の場所はここから近いんですか」

 ターンしたあたしの前は茶色の縦長の壁に塞がれた。あー、今はうっとおしいわ!

「客にこんな口の利き方する店なんか2度と来ない」

 赤モヒカンさんも続く。当然お支払いはない。

「あ、あのぉ!」

「お取り込みのようなので別の人に聞きます」

 と長い―――いいや、空気の読めないような奴はズバリ言ってやる―――ロバ面はガラス戸から退出した。



 うう、蓬莱軒再開してから最大のピンチ。

 あたしは責任者だ。店の落ち度はあたしの落ち度。とにかくこの状態をおさめなくては。

 店に最後に残っていたお客さんは荒木さんだった。

 荒木さんは駅前の塾の講師で、父さんの時代むかしからの常連さん。(第一話参照)

「荒木さん、いろいろとお騒がせして申し訳ありません!」

 両手で拝んで頭を下げた。

 

 荒木さんは箸を置いて

「私もタンメンをいただいてますが、あんなに騒ぐ程熱いとは思いませんでした。あのひと、相当猫舌ですね。―――あ、私は何も気にしてませんのでお構いなく」

 と言って眼鏡に指を添えた。もうこのイケメン! 眼鏡曇ってるけど。



 猫舌さんと赤モヒカンさん、先にどちらを追いかけて謝ればいいか。えーい、とにかく出て走れ!

「ねえ」

「なによ、あんたも謝るの手分けしてよ」

 今更だけどどんな時もシーフーは焦らない、騒がない。

 そんな仙人という限りなく自然体の存在ににイライラするのは許して欲しい。

「やられたかも」

「あ?」

 振り向いたあたしの視線はシーフーから、彼の指差す先へ。

 カウンター向こうのコンロ。

 その上に乗って縦横無尽の活躍をしてくれる、蓬莱軒の最重要アイテムがない。


「鍋盗まれた」

 

 2秒沈黙した。


「えーーーーーっ!」 



 

(終わり) 

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