第十一話「戦略会議」
「またお越しください」
最後のお客様をお見送りしてから、のれんをしまう。
いつもならこのまま掃除、消灯、散会となるところだが!
今日はこれから蓬莱軒の営業戦略会議を開催することになっている。
参画メンバーは
蓬莱軒はこの会議で決議された事項に従い経営の道すじが決まる。
「じゃ、始めよっか」
「新しい
何を大げさな、と組織のナンバー2=最も下っ端は言うのだ。
ええい、黙れ黙れ。限られた経営リソースの中で、選択と集中を意識して行うことで、現状に甘んじない革新が図られるわけで―――。
「大学で習ったの?人は経営学を知らなくても生きてけるけど、ご飯を食べないと生きてけないよ。新作試食のために夕飯抜いてんだろ。ご高説は食べた後に聞くよ」
ぐぬぬ。講義で聞きかじった話を言うだけでは上っ滑りね。
それに、確かに経営課題の解消より空腹の解消が大事よ。
「では料理長。あなたの
どっかとスツールに腰をおろす。
シーフーが何を作ってくれるのか楽しみで、夕飯抜いたことまで見透かされているとは。経営者としてあたしもまだまだね。
高まる期待を抑えきれず、子どものようにプランプランと揺れるあたしの両足。カウンター向こうの彼から見えることはない。
シーフーが調理台の上に材料を並べ始める。
この時点で何を作るかわかる場合と完成ギリギリまでわからない場合がある。
今回は謎解きを楽しむほどの余裕がなかったからストレートに料理名を尋ねた。
牡蠣オムレツ
目の周りの筋肉が緩むのはどうしようもない。ごくりとのどを慣らす粗相も勘弁ね。
あたしのこんなとろけた顔、誰にも見せられないんだからね。シーフー?
この料理人は、まぁた美味しそうなものを考えついたわね。
斜めに揃えた足をスツールの回転にあわせてキュッ、キュッ。
あ、食欲魔人とか思わないで。誤解よ。
シーフーの料理への期待が、あたしの五体を元気にするのだから仕方無い。
きっと誰でもそうなると思うのだ。
んで、旬の季節に入った牡蠣ちゃんがなんだって?
そう、オムレツにドレスアップするんだってね。
戦略会議議長にして試食担当という不動の椅子にふんぞり返るあたしの出番だわ!
「かっきオムレツ、かっきオムレツ」
無意識に口ずさんでいたことに気づき、慌てて止める。
小さい頃、厨房に立つ父さんが作ってくれる料理の名前をリズムつけて連呼していた癖がつい出てしまった!
そんなことずっと忘れてたのに。フッと気が緩んだぜ。
彼に、父さんと同じくらいの安心を感じ始めてる?
まさか、ね。
なんであれ、今のは恥ずい。
でもなー、なんといってもこの男。
女が時々見せる子どもっぽさを、かわいいもんだと流す懐の広さがない。たぶん。
あー、いじられるぞ、これは。
「牡蠣オムレツはオアジェンといって、台湾では屋台料理の定番。とても人気のあるメニューだ。なぜかこの国の店ではあまり目にしないね」
スルー……?
うん、シーフー君、少しはデリカシーを覚えたようだね。
「作り方は簡単。まずはソース」
右手が数回閃いて、チリ、ケチャップ、オイスターソース、味噌、水が鍋に投じられる。
杓で小気味よくカシャカシャかき混ぜて煮立ったところに水溶き片栗粉。
「これはとろみの素。片栗粉の代わりにイモデンプンを使うとモチモチが増す」
と聞いてる間に、鼻と胃をつついてくる風味のソースが完成した。赤いトロトロには甘みと辛みがほどよく込められているんだろうな。
「牡蠣オムレツには小さめの牡蠣がいいんだけど、ここはゴロゴロ感で勝負したいから、日本の大きめ牡蠣を使ってみよう」
塩揉みで臭みをとった牡蠣。カキフライにしてもいいなー。
ニラをトトトトトトトトゥンと小口切り。
卵をボウルの縁に掠めるようにして割り、そのまま軽く溶く。
この誰でもできるはずの所作ひとつ見てても彼のそれは素早さと緻密さで際立ってる。
「この料理が普通のオムレツと違うのはここから。先に
熱くなった鍋の底で、片栗粉、ごま油、胡椒、塩、料理酒、水を合わせ、よくかき混ぜる。カシュカシュといつもの杓によるリズミカルな撹拌によって、泡立ちながら、もんじゃ焼きのようになっていく。
「ここに主役の牡蠣登場。火が通って色がついたら生地と合わせる」
生地が固まり始めたところをひっくり返して両面焼き。火に焼かれよ、おいしい生地になれ。
「そこのお皿とってくれ」
差し出したお皿に牡蠣入り生地は一時避難。
空いた鍋に流し込まれた溶き卵が黄色くひろがる。さらに小口切りにしたニラをパラパラまぶす。
今更だけど、流れるような手際よね。文字通り。
ひとりで料理するのに全く無駄がないのがシーフーの手業。これはベテラン料理人の父さんを超えている。
「生地戻して」
「はっ、はい」
お皿を傾けて生地を滑り込ませると、半熟の卵が下から抱きとめた。熱く優しい抱擁力。卵はいつでも抱き上手。
「あまり火にかけないうちに卵で生地を包んで両面サッと焼いたら引き揚げる」
まだらになった黄色の上質のローブをまとった生地が、再びお皿に帰ってきた。
「最初のソースかけて完成」
できたてのお料理がのったお皿を恭しく捧げ持つあたし。
食の神から賜った黄と赤の祝福。おおげさ?
カウンター席にそっと置く。今が崩れないように。
お皿に大輪の花が咲いている。
花弁の真ん中で渦巻いた卵黄のとろみ、そこから突き出ててプルプルした豊満な肢体を魅せつけてくる牡蠣はセクシー。
外縁にいくにつれ薄くなっていく生地は焦げめがついて中央とは別の世界。
それらをまんべんなく覆う赤く刺激的な甘辛ソースのベール。
シーフーに解説されるまでもなく、いろんな食べ心地を味わえるはずのお料理。
「食べていい?」
「戦略会議とやらのプレゼンを通すのは君の権限だろ」
「それではいただきます」
自然と手を合わせて拝みたくなる。そんなお料理が蓬莱軒の理想。
お上品には食べない。がさつだからじゃない。ツッコミはいらないわよ。
お客様においしいものを思いっきり味わってもらうための
赤いソースとその下の卵、牡蠣ももらさずに口に運ぶ。
上下の唇にその甘辛い蒸気が触れた時に、舌ははしたなくもその間から突き出ていた。
しっかりしたボディーの牡蠣の次にゆるふわな卵、ホウレンソウとニラのアクセント、最後にソースが舌を刺激する。
もう我慢出来ない。牡蠣には死んでもらう!
口の中であたしに嚙み殺された牡蠣は、柔らかな歯ごたえとほろ苦い海の記憶を形見に喉を通っていった。ふわっとした卵とビリっと気合いの入ったソースも緑菜も仲良く後を追う。
あたしは詩人か。
「シーフー、これこれこれ!」
一口食べ終わった瞬間に、批評の体を為してないセリフを言い終えるのももどかしく、二口、三口。
お箸が止まらない。
卵と牡蠣、ソースと牡蠣、ソースと卵。どの組み合わせも甘く、軽く、ミルキー。
お皿に残っているとろりとした黄身に、パリパリの外縁をつけて焦げ目と甘みのブレンドを楽しむ。
最後まで五感で味わえた。
ふぅぅぅ。
いくつもの牡蠣を殺したことだろう。後悔しない。幸せな犯行だった。
「ごちそうさまでした」
手を合わせて牡蠣たちの冥福を祈ろう。天地の恵みに感謝。
コト……
シーフーがウーロン茶のグラスをカウンター越しに置いた。
「ありがとう」
一気に飲み干して、華やかなショーの記憶を口から消す。
ショーのプロデューサーが腕組みして審判を待つ。
「食べるところ見てたでしょ。お客様にもこの笑顔になってほしい」
「では
できるだけ威厳をもってうなずきたかったけど無理。
笑顔がどうしても止められなかったの。
(終わり)
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