第九話「店主と学生の天秤(前編)」
「はい、それでは今度の日曜日の19時から10名様ですね。お待ちしております」
電話を切ったあたしは少し興奮していたかもしれない。
久々の―――いや新生蓬莱軒になってから初めての団体のお客様からのご予約だったのだ。
専用の大きな個室を用意している高級中華料理店に団体の予約が入ることは珍しくないが、うちのような十数人も入れば満席の普通の店にそういう話が来ることは稀なのだ。
それはすなわち蓬莱軒の料理が評価されているという部分が大きい。
評価されている料理を作っているのはあたしじゃないけど、オーナーとして喜ぶのは当然よね。
「コースは予算内のお任せでいいって。シーフー、日曜夜は貸切にしちゃうわよ」
ドヤ顔で振り向くと、シーフーはいつもと変わらぬ曇り空みたいな表情であたしを見ていた。
「同時並行で大人数のコースか。ほんの少しだけ気合というものを入れないといけないな」
握り拳を振り上げてるがまったく気合はこもってない。暇だろうと忙しかろうと彼は変わらない。それでいてきちんとプロの仕事をこなす。
「もちろんあたしも仕込みから手伝うし、フル回転でサーブするからね。これをきっかけに団体のお客様がつくようになれば、景気も良くなる!」
「仕込みはいいよ。味にムラが出るから。お客さんの対応だけしっかりね」
「任して。シーフーが気合入ってない分、当日はあたしがチャイナドレス着て盛り上げようかしら」
「細かい話だけどさ、チャイナドレスは北方の満州族の民族衣装でさ、中華料理とはあまり関係ない……」
「うっさいわね。華があればいいのよ、華が」
「華、だと?」
「……もういい、冗談だし。あんたはぬぼーっとしてる割にへんなところに細かいし、デリカシーがないんだから」
まあ、料理人に多くは求めまい。
初の団体のお客様をおもてなしできるかしら、という不安を心の奥に押し込めて、シーフーの作業を確認した。
「何作ってんの?」
「胡麻団子」
ふたつの銀ボウルにそれぞれ別の色をした
「こっちは小豆の餡子でしょ。こっちのは?」
「カボチャ。ハロウィンの時にカボチャ妖怪を鍋で叩いて材料にまわした」
「え……」
妖怪退治もやる料理人の発言にあたしはどうリアクションとっていいのかわからん。妖怪をレシピにするのはちょっと。
「冗談。いたって普通のカボチャ」
「あんたが言うとマジに聞こえるからそういうのやめてよね」
面白くない冗談を低トーンで言うから一層つまらん。
「こしあんの方にはくるみを入れた」
料理の話してる分には間が
「ほうほう」
まずくるみを鍋で空炒り。これで香ばしさが引き立つ。しばらく放置して適度に冷めたところで、中華包丁で叩いて細切れに。
小豆から作ったこしあんを個数分わけて、クラッシュされたくるみとごま油小さじ1杯を混ぜて丸める。
一方、カボチャ。皮、種とわたをきれいに除いて切った1/12個(150グラム)を使用。
こげない程度にサッと2~3分加熱したものを中華包丁の背で潰す。その際、バター大さじ半分、砂糖大さじ1杯を放り込む。滑らかさと一層の甘みが加わる。
餡と呼んでもいい状態になったら、これも個数分わけて丸くする。
次はお団子の生地。
餅粉(白玉粉でも可)100グラムを台に載せ、ドーナツのように穴の開いた円環を形成。
砂糖大さじ2杯を投じる。そこに水80ミリリットルを少しずつ加えていき、内側から外側に向かって混ぜて、粉っぽさが消えるまでよく練って混ぜる。耳たぶくらいの手触りになったら生地のできあがり。
生地を個数分(これで8~10個分くらい)にわけ、直径8センチくらいになるようにのばして、先ほど作った餡を1個ずつのせる。
親指と人差し指の付け根で生地をはさむ要領で口を閉じていく。閉じた部分の厚みは均等に。
餡をはみ出させないように丸く団子を形づくっていく。
皿に炒り胡麻を広げておき、水を塗った団子を転がす。全体に胡麻がまぶされたら、仕上げに軽く握って剥離を防ぐ。
鍋(フライパン)に団子が浸る3センチの高さまで揚げ油を注ぎ、160度から180度の間まで加熱。鍋の底に乾いた菜箸を当てると泡が出るからそれで判断。
団子を投入して1分半から2分揚げる。
油から引き上げるときに少しだけ力を入れて空気を抜く。油をしっかりと切ること。
注意!→力を入れ過ぎると後で団子がしぼんで残念になる。揚げ過ぎは餡が飛び出すので時間厳守。
香ばしい胡麻の香りとふくふくとした幸せ感じるまんまるが盛りつけられる。
「んー、なんてそそる見かけをしているの。胡麻団子ったら!」
「今食べると火傷する。急ぐのはよくないね」
「うっ」
その時、スマホが鳴る。
ん、大学の先輩の源五郎丸さんからではないの。この人、うちの大学の
番号とLINEは教えた気もするけど、一体何の用事でしょうか。
「もしもし」
シーフーに背を向けて出る。
「おう!俺だ。源五郎丸だ。ちゃんと飯食ってるか」
なんつー挨拶だ。あたしは大学では体育会と無縁の生活してるのでこういうノリはいまいち好きではない。
大学の有名人であるリア充ラガーマンはうちの大学のみならずよその大学の女子からも絶大な人気を得ている。
性格も豪快で明るいというスポーツマンの鑑ですな。
けど、このひとちょっとだけしつこい。
実はつきあえと言い寄られてるのだ。あたしのどこがいいのか見当もつかない。
まあ、これだけの逸材ですから、女が何人いても想定の範囲内。
「はい、源五郎丸先輩お疲れさまです。どうしたんですか突然」
「おう!学校でなかなかお前が捕まらないから、お前の女友達に聞いたら、最近授業終わると速攻帰宅しとるようだけん、結局電話したんだがの」
声かけられた友達は天下の源五郎丸先輩に声かけられてキャーキャーしてたろう。
「おう!今度の日曜の試合のことだ。春に約束したよな、秋の
はうっ!忘れとったわい。
あたしの通う早稲多大学とライバルのKO大学の野球やラグビーの試合は
この試合は当事者だけでなく、全在校生そしてOBまで巻き込む一大イベントなのだ。
応援には在校生の動員がかけられ、勝った方の生徒は競技場から大学まで勝利の行進をするようなこともある。
こういうの嫌なのだ。
早大に対する愛校心はそれなりにもってる。ただ、自然と応援に行くならまだしも、動員をかけて、勝たなきゃ腹を斬れ的な雰囲気に包まれるのはちょっとやりすぎだと思っちゃう。
それと、源五郎丸先輩って所構わずアピールする人だから、逃げ場のないところで同性の手厳しい視線にさらされるのも勘弁してほしいところ。
拳法だけが取り柄の女より、女子アナ予備軍や
「おう!うちの1年に言って、
「は、はあ」
「おう!1人じゃさびしいと思ったから、声かけた女友達全員の席も用意させるからのう」
あの、先輩。席取りに何人使う気ですか?
「おう!明日から1年に席取りさせるわ―――おう!お前ら今夜から日曜まで秩父宮に泊まりこめ」
後半はそばにいる後輩たちに命じたらしい。ザ・縦社会だわ、ラグビー部。
「っていうか、日曜まで何日もありますよ先輩!」
「おう!俺も1年の時は主将の彼女サンの席取りで泊まり込んだわ。これも早K戦の伝統よ」
ガハハハハと響く先輩の屈託のない笑いにあたしは圧倒されて電話を切った。
日曜日。早K戦は14時から。団体様のご予約は19時から。試合が終わって速攻帰ってくれば間に合うけど、準備を手伝うことは難しい。
あたしは、蓬莱軒の店主であり、愛校心ある学生であり、先輩との約束を守りたい義理堅い女でもある。
「……あの、さぁ」
夜の仕込みに入っているシーフーにおそるおそる声をかける。声をかけるということはダブルヘッダーをゆるしてもらいたいということだ。
オーナーとしてただただ恥ずかしい。たった一人の従業員である彼に準備までお願いしようとしているのは、いつも父さんの蓬莱軒を守ると言ってるこの口だ。
自分のスケジュール管理ができてないこと、たとえ何時間かでも蓬莱軒より大学生活を優先させること。すべて悪いのは自分。甘い決断してるのも自分。自己嫌悪。
「大きな声だったね。行って来れば。
仕込みと準備は俺だけで
シーフーは仕込みを続けながら言うので顔をあげなかった。あたしも彼を直視することができなかった。
「いつも大学行ってる間、調理と出前を1人でどう対応してたと思う?」
と言うやシーフーの輪郭がぼやけ始め、数秒後、白い料理服を着た茫洋とした男が2人に増えた。
「ぶ、分身したっ」
「仙術では
術の有効時間に限界はあるが出前に行くくらいは
「あんたってなんでもありね」
「長生きしてるといろんなことを覚えるさ。そして長生きしてると他人の事情も汲めるようになる」
う、ちょっと胸に突き刺さる。ごめん。
「19時には間に合うんだろう。もう一度言うが
あたしは90度の深いお辞儀で頭を下げる。
「ごめんなさい!2度とこんなことがないようにします!」
「
うぐっ。
いや、本当にありがとうシーフー。
(後編に続く)
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