第一話「冷やし中華終わりました エピローグ」



 あたしは蓬莱軒のカウンター席に座って、シーフーが手際よく料理している様子を眺めている。


 今日は人生で最も中身の濃い1日だったかも。

 父の四十九日の法要が済み、頭痛のタネだった地上げ問題は中華鍋で殴られた狐の妖怪が消滅するという想像の斜め上で解決した。

 これだけでも普通の大学生にとっては相当ヘビー。

 そして、まだひとつ課題が残っている。


 この蓬莱軒おみせの今後。


 元々シーフーが現れた理由がこの土地の竜穴を求めてだというなら、それを好きにしてくれて構わない。

 2度も命を救ってもらったあたしにできるお礼。

 そもそもただの人間には竜穴の存在は感知できないし、その使い方もありがたみもわからない。

  

 しかし、彼は料理人としてここに留まることを望んでる。不思議なひとだ。

 たった3日で、父のレシピノートからどこまで店の味を学び取れたんだろう。

 常識的に考えれば無理だろう。でもこのひとは信念をもって料理に取り組んでいる。それを五感で受けて何かしらの答えを出すのはあたしの義務。

 心の奥底で結論は出てるような気がするが、やるべきことはやったという納得が欲しかった。

 シーフーはそんなあたしのわがままにつきあってくれているのかな。

「ありがとう」

 意識せず言葉がこぼれた。



 目の前に3つの料理が並べられた。

 どれもが人の舌を躍らせようとする香ばしさを湯気とともに運んでくる。

「酢豚、麻婆豆腐、炒飯ね」 

 どれも父が得意としていたメニュー。

「食べてみてくれ」

「いただきます」


 お箸で酢豚をつまむ。

「ちょっと。じっと見られてたら食べづらいよ」

「だな」

 シーフーはくるっと背を向けた。

 同時にとろりとした甘酢あんにくるまれた豚肉と玉ねぎを口に運ぶ。

 舌に最初に触れた甘酢あんのまろやかさに驚いた。間髪入れずに噛んださきから、たっぷり炒められた玉ねぎとほどよく揚がった豚のうまみが口内に広がる。

「おいしい……」

 あたしったら条件反射でこの言葉を吐き出してしまうとは。審査もなにもないじゃない。

 にんじんとピーマンも色味のしっかりした野菜として目を楽しませるだけじゃないぞと、味覚に存在を訴えかけてくる。

 ……あたしは美食家でもフードレポーターでもないから、こういうのはやめよう。

 この酢豚おいしい。これで十分。

 父の味かどうかと言われると、微妙にちがうかな。


「結論は最後にして、麻婆豆腐と炒飯も平らげてくれ」

 3品全部食べきれるほど胃は大きくないよ。


 次に麻婆豆腐。水を一口飲んで口内をリセットしてから、レンゲですくって食べてみる。

 ふたくち、みくちと食べて思った。

「これもおいしいけど、後味がちょっと」


「最期は2度目の炒飯を」

「うん」

 新しいレンゲをとって墳丘のようなご飯を取り崩す。口にパラッパラッでふわっとした味の放射線がじわり伝播する。

「……」

 言葉の代わりに涙が出た。


 2か月ぶりに味わう父の味だ。これは小さいころから誰よりも食べてきた父の炒飯の味。

 もう2度と出会うことがないと諦めていた蓬莱軒の味が確かに戻ってきた。


 感無量になって、涙を拭うのも忘れて炒飯を食べ続けた。


「ごちそうさまでした」

 静かな店内に、レンゲをおく音だけが小さく響く。


 シーフーは振り返らない。

 審査の時だ。あたしが口を開くのを彼は待っている。


「ありがとう。父さんの味に遭わせてくれて」 

 

「酢豚と麻婆豆腐はろ」

「わざと、なの?」


 ようやく振り返ったシーフーの手には父のレシピノートが。

 それをカウンター越しに返してくると彼は腕組みした。

「炒飯にはをかけたんだ」

 3日前に炒飯を食べたとき彼は、おいしくなるおまじないをしなかったんだと言った。

 その時はなんと思わなかったが、シーフーが仙人だと知った今、その言葉の意味合いは変わってくる。


「レシピと調理方法はそのノートの通り。しかし、ノートには一番大事なことが書いてなかった。この厨房で育ててきた君への惜しみない愛情、先代自身の人生の喜怒哀楽ってやつがね。それあってこその蓬莱軒の味なんだ」

「じゃあ、あの炒飯は?」

 

「おまじないをかけられた人が『こういうものが食べたい』という願望を自身の脳内で再現して、それを目の前の料理の味だと信じて食べてるんだ」

 それって―――。

「こういうからくりさ。それぞれのお客さんが求める、それぞれの蓬莱軒の味を再現することはできる。それは違うと断じるのは君の自由だ」

 

 私は少し考え込んだ。おまじないが一種の催眠術みたいなものだとすると、それはお客さんが良い方向に勘違いしてくれているだけ。

 大衆中華料理屋ならではのおいしいものをお出しするという父の姿勢と比べたらそれは

似て非なるものフェイクだ。

 私はシーフーに不合格をつきつけて、信頼できる不動産屋に電話すべきだったのだろう。



 そのとき、入口のガラス扉がガラッと開いた。

 少しよれた作業着に身を包んだ中年の男が上半身をのぞかせた。

「信さん!ご無沙汰してます」

 店の常連だった信さん―――名字は知らない―――だった。足繁く蓬莱軒ののれんをくぐってくれていたのが遠い昔に思える。

 信さんは日焼けした顔で店内をキョロキョロと見渡した。その間も鼻が小刻みに動いている。

「よっ、しばらく。ここ何日かさ、ここからいい匂いがしてたんでね。大将があの世から戻ってきてくれたのかと思って。香典返せって言おうと入ってきちゃったよ―――あ、今のは冗談にしては悪趣味だったな。勘弁勘弁。ついに嬢ちゃんが店継ぐ気になったのかって気になってさ」

 信さんの視線が厨房に立つシーフーと合った。シーフーは茫と突っ立ったまま。信さんの視線はあたしに戻り、

「新しい大将?」

 と聞いてきた。

 このタイミングでどう答えていいか。

 シーフーは

「どうも」

 とだけ言った。どうも、どうとでもとれる万能の挨拶だわ。



 信さんは昔からマイペースだ。

 店内に入ってくると、

「おー、この匂い、店の空気、大将がやってた時のままだよ。この前まで俺の日常だった。すごい懐かしい」

 大声で言ったものだ。

 

 あたしはシーフーを視界の隅にとらえながら考えた。

 これだ。蓬莱軒に来てくれていたお客さんはこの店に漂う空気が好きで来てくれていたんだ。シーフーによる味の再現はフェイクこみのためグレーゾーンではあるがおいしいのは事実だ。そして常連の信さんが感じる店の雰囲気の再現は問題ないみたい。

 

 シーフーは

「先代に比べたらまだまだですけど、召し上がりますか?お題は結構ですよ」

 と信さんにふった。

 信さんは満面の笑みで、カウンターに陣取った。赤い卓面に白いビニールをドサッと置く。

「嬉しいね!先代が亡くなって以降、俺の主食はコンビニ飯になっちまってよ。どうもいけねえ。飯食う楽しみってやつは俺にとって蓬莱軒ここにあったのよなあ。ちと大げさか。ハハハ」

 信さんにお冷を持っていく時、ガラス扉の外をうろうろしている影が見えた。

「何か御用―――あら」

 外にはこれも常連さんだった荒木さんがいた。荒木さんは駅前の塾の講師だ。

「あ、営業再開したのかと思いましてね。信さんの声も聞こえたし」

「おう、先生じゃないの。新しい大将が決まったってんで前祝いよ」

 荒木さんは信さんと正反対の物静かなタイプだが妙に仲がいい。

「蓬莱軒再開ですか。これは嬉しい。マスターの炒飯が恋しいところでしたから。でもシェフが変わると味は別物ですよね」

「召し上がってってください。再会できますよ。『あの味』に」

 あたしは荒木さんの背中を押して信さんの隣に座ってもらった。


 手際よく炒飯とニラレバ炒めを作るシーフー。

「おまちどうさまです」

 荒木さんが手を合わせて「いただきます」と言っている間に信さんはニラレバに食らいついていた。性格でるなあ。

 ごくりと嚥下した信さんの目が真ん丸に、炒飯をモソッと一口食べた荒木さんの鼻の穴が膨らんだ。

「こりゃあ大将の味まんまじゃねえの。まさかこのニラレバまた食えるとはよ。蓬莱軒再出発だ!」

 勝手に決めるな。

「本当。この炒飯はマスターの精妙なテイストを完全にものにしている」

 荒木さん、それはあなたの脳がそう思うようにシーフーがおまじないかけてるだけなのよ。

 ま、あたしが種明かししても2人は信じないでしょうね。

 

 

 おまじないとやらは常連で確かな舌をもっている信さんや荒木さんにすら有効だ。

 商売はお客さんの満足がものさし。だとすれば、シーフーの料理は合格なんだろう。


 ……少し後ろめたい。



 信さんたちが満足して帰った後、私はシーフーに聞いてみた。

「最初からおまじないをかけた炒飯をあたしに食べさせればよかったんじゃないの?」

 厨房の掃除に余念がないシーフーは背中越しにさらりと答えた。

「金縛りの術でこわい目にあった直後の君に、俺も術をかけて信頼を得るのはあまりいい気持ちしないと思ったからさ。最初くらいは俺の素の料理食べてもらってもいいだろう」

 


「……明日買い出し付き合ってよ」

「先代の味試験は不合格だろ」

「フェイクがいいのかどうかもやもやする。でも信さんや荒木さんのあの笑顔はあんたの料理と蓬莱軒の空気あってこそでしょ。味の再現は不合格。蓬莱軒が誰かの憩いの場所になるなら不合格上等よ」

「俺は長いこといろんなところをふらついてきた。いつかまたふらつきたくなるまで鍋をふるうよ」

 この土地にある竜穴をどうにかし終わったら彼はここを去るのだろう。それはいつなのかわからない。いっときの再興でもやれるところまでやってやるわよ。


 ね、父さん。


「あ、そうだ」

 あたしはここ数日ずっと気にかけていながら忘れていたことを実行にうつすべく入口のガラス扉をあけてた。


 9月の終わりまで吊るしたままの風鈴とその下にぶら下がっていた冷やし中華のタペストリー、そして父さん手書きの求人広告を取り除いた。

「冷やし中華終わりました、と」


(終わり)


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