第二話「白に赤をかける魔法」

「いらっしゃー……いませ」

 ガラス戸を力なく開けて来店した橋本さんは全身で落ち込んでいた。

 橋本さんは蓬莱軒うちの常連で、父が店主をやっていた頃にも3日とあけずに食べに来てくれていた。

 好きな料理を思いきり食べることが人生の楽しみと言ってはばからない。そのせいかちょっとと言うか、だいぶ『太ましい』。

 あたしは橋本さんが笑顔たっぷりで完食するのを見ると、自分も幸せのおすそわけをしてもらった気になるのだ。


 そんな橋本さんが世も末といった体でカウンター前のスツールにドッスンと腰を下ろしたのだから、いつものようには声をかけづらい。

「どうかなさったんですか」

 置いたお冷をグッと一気に飲み干すと、肺活量豊かな溜息をついた。

 

「実は会社の健康診断でいろいろひっかかっちゃって、医者に『痩せないと生命の危険を招く』とまで宣告されちゃったよ……」

 あ、ちょっと想定内。

「僕、病気になりたくないし、死にたくもないよ。これからも好きなもの一杯食べたいもの」

「そうですか。食べる量とメニューに注意して運動するのが一番ですよ。運動すればご飯もいっそうおいしくなりますし。ほら、トレーナーが管理してくれるジムで一汗流すとか」

「うーん、それができたら苦労しないよ。僕、もう足腰に負荷がかかっちゃってて、軽い運動だけでもつらいんだ。この前も縄跳びしたらこけて捻挫したし」

 一応運動は試みたのね。

 

 カウンターの向こうの厨房からシーフーが声をかけてきた。

「で、今日は何をご注文で?」

 その一声で橋本さんは顔をほころばせた。注文はおいしい食事のスタートだからだろう。

叉焼麺チャーシューメンと唐揚げ、チャーハ……いやダイエットするから半チャーハンにしよっと。スープ代わりの麻婆豆腐はどうしようかな。んー、それは無しで。ただマンゴープリンは譲れないな」

 頭がくらくらした。

「橋本さん、それ食べ過ぎです!うちにとっては毎度ありですけど、あんな話を聞かされたらお出しできませんよぉ」

 橋本さんはビクッとあたしを見て頭を抱えた。

「食べ終わってから言うべきだった。うーん、ダメ?」

「ダメ」

「どうしても?」

「橋本さんの健康が大事ですもん」

 タプッとしたほっぺたを膨らませ、

「わかったよ」

 と立ち上がる橋本さん。

「消費者である僕には他の店でたっぷり夕食を食べる権利がある!蓬莱軒だけが店じゃないんだ!キリッ」


 ~~~~

 カウンターの向こうから、うちわでパタパタあおいで、香ばしい

回鍋肉ホイコーローの匂いを橋本さんの鼻に届かせたのはシーフーだ。

「シーフー!」

 「おいしーい回鍋肉お待ちどうさま~」

 別のお客さんに出すシーフー。

 その食欲をそそる匂いまじりの空気の中、フガフガと鼻をひくつかせた橋本さんは腰砕けになってスツールに腰を落とした。あれ、今スツール、メギャッって音しなかった?

「今夜は中華な気分で固めてたし、この匂いかがされたら席を立つ気がなくなっちゃったよぅ」

 あたしはつとめて明るく声をかけた。

「ここはヘルシーにサラダで乗り切りましょう、橋本さん!」

 橋本さんは半ベソをかいた。かくようなことかね。

「野菜は嫌いじゃないよ。だけどさあ、油・肉・魚・麺・お米あってこその野菜だよ。野菜だけ食べろって僕に青虫になれと言うのかい」

 ちょっとイラッ。

 橋本さんが、そーとーがっつりぽっちゃりしてるのは体質にもよるかもだけど、今みたいな自分への甘えが大きいんだと思う。

 お客さんが食べたいものを提供するのが飲食業。お客さんにおいしいものを食べていただいて、喜んでもらうのがあたしの飲食業。


「確かに菜っ葉だけ食べてたら青虫みたいかも」

 不気味な笑いを浮かべるシーフー。あたしは橋本さんの顔した青虫がキャベツの葉の上を這ってる姿を想像してげんなりした。

「ベジタリアンのひとに失礼よ、シーフー」

 あたしはとがめた。それを無視してシーフーは

「野菜と楽しくつきあう方法があるよ」

 と言う。

「なにそれ」

「すぐ出すよ」

 シーフーはもう用意を済ませていた。こういうところ凄い。


 タマネギを愛用の菜刀で1/3にして、それをみじん切り。タテヨコにサクサクサク。ヨコタテにサクサクサク。泣かないのね、シーフー。

 ニンニクとしょうがをトントーンと半分に切ってすりおろす。彼のこういう手わざは茶道の匠がお茶を点てるがごときと感じる。おおげさじゃなく。


 中華鍋にごま油を大さじ1杯半。注いで熱する。

 すりおろしたものをパッと投じて、火を中くらいに調節。

 ほどなく中華鍋が匂い立ってきた。すかさず刻んだタマネギ出撃。

 片手の杓子が、中華鍋の上で

 クァツ クァツ クァツ クァツ

 と素早くこするように炒めていく。

 油がまんべんなくまわった時点で火を止める。

 

 最後に、豆板醤トウバンジャン小さじ1/2、お酢大さじ1杯、醤油大さじ2杯を投入。味付けは意外とノーマル。


 ごま油とニンニクの存在感がフゥッと空気感染する美味さの中華ドレッシングの完成だ。


 豆板醤を入れることで辛みに舵を切った自己主張が強化される。野菜だけでなく、豆腐とも相性抜群。


 

 キャベツを菜刀でみじん切り。まな板でタップダンスを踊る菜刀。

 

 冷蔵庫から一丁の豆腐を出して半分に切る。うち、半分は鉢に入れてすりこぎですり潰す。細切れになったキャベツを入れてよくかきまぜる。


 もう半分の豆腐はそのまま小さな小皿にオン。


 中華鍋に再び油を注ぎ、乾燥した春雨を水で戻さず、そのまま油でカラッと揚げる。

 ジュァァァァァ。乾物を揚げる音って、細かく叩きつける通り雨に似ている。食への期待を耳で先取り。


 シーフーは適当に―――味付けしないから焦げつかないように注意するだけ―――鍋を振る。

 熱い鉄肌の中で春雨が急速に白く色づき、かさを増していく。

 乾燥春雨は膨張する特性があるのだ。これはよく料理の敷き付けといってメイン具材の下に土台として置くためにつくられる。見たことない?


 春雨を大皿に載せて、空になった中華鍋の内縁に鶏のささみをふたつ、ぺたっとくっつける。

 春雨を揚げた余熱だけで、ささみ肉の表面が乾鮭色サーモンピンクからオフホワイトに変わっていく。


「できた」

 今宵のメニューは


 キャベツと豆腐のクラッシュ

 堅焼きそば風春雨

 冷や奴

 鶏ささみの半焼き


 の4品。共通するのは先につくった中華風ドレッシングにどれもあうこと。たらたらたらーとかけていく。


「蓬莱軒のおいしく痩せる薬膳だ。食べてみてくれ」

「これがダイエットメニューなの?見た目は白が目立つけど、ドレッシングの赤味と香ばしさが僕の食欲をそそるよぉ」

 何出されても食欲が暴れだす橋本さんが言うとおかしい。

 しかし、食材の色味の弱さをドレッシングが見事にカバーしている。イメージはアイスクリームにストロベリーソースかけた感じかな。中華っぽくないたとえだけど。


 箸を閃かせた橋本さんは

「う、うまい!」

 という一言を皮切りに、ひとつしかない口を食事と実況、器用に使い分け始めた。


「キャベツと豆腐がすごく絡まってて野菜食べてる感じがしないよ!」

 ガツガツッ モックモック

 あの肉好き橋本さんがヘルシー系で喜んでる!

「春雨って歯ごたえあるようになるんだね。パリッパリがドレッシングでふやけ始めた頃合いがサイコー」

 パリポリパリポリ

 なんとまあ幸せな笑顔。こっちまで笑っちゃうよ。

「ヤッコはこれにあうとわかってたよ。お酒が欲しい……けど我慢しよ」

 モグモグ

 お酒はやめといたほうがいいわね。

「肉、肉。鶏肉はヘルシーミート。僕の救世主だ」

 パクッパクッ

 おお、一気に。よく噛んでね。


 気持ち良い食べっぷりに自然と微笑んでしまった。シーフーと目が合う。

「ドレッシングをサラダ専用にするなんてもったいない話さ」

「中華においては万能ね」

「低カロリーのメニューは味気ないって先入観がある。

 しかし、中華ドレッシングこのソースひとつで。食べた人を喜ばせる味気をつくることが可能」

 もう橋本さんの耳に、あたしたちの話は届いてない。

「満足なボリューム。実はそのどれもが低カロリー食の王道。それにこの味気を加えることで喜んで食べたくなる」

「白に赤をかける魔法ね」



「ドレッシングや春雨に油を普通に使っていたけど、もっとカロリーの低い油を使えばいいんじゃない?」

 シーフーは厨房に並ぶ油缶やビンを手で示した

「油のカロリーはどれも1グラムで9カロリー。サラダ油、菜種油、コーン油、オリーブオイル、大豆油、べにばな。全て同じ」

「マジ!?」

 これ豆(知識)な。

「油はちゃんと使うか、全く使わないか。その二択しかない」

「そ、そうなんだ」

「合成油でならゼロカロリーオイルは存在するがね。これは本来油から摂取する必須脂肪酸を全て捨て去ったから実現したもので、料理人からすればフェイクだ」

 確かに。低カロリーを追求し続けて何も栄養価がなくなってしまったら本末転倒だ。

「ゼロカロリーオイルは味も落ちるし、食べ過ぎると腸を壊す。野菜から摂取できるビタミンを体内に吸収させない働きがあるから、健康的なダイエットとは言えない。だから俺は使わない」

 その考えは蓬莱軒のポリシーと同じ方向性。歓迎よ。


「ごちそうさまっ。おなかいっぱい食べたよぉ」

 橋本さん完食。いつもの夕食に比べて摂取カロリーは何%で済んだのだろう。

 笑顔はいつもと同じ。これでいい。 



 シーフーが口の横に手の甲をたてて、橋本さんに囁いた。

「蓬莱軒の新メニューは満足?ささみはね、蒸して塩とゆずで味付けしてもおいしいよ。気に入ったのならまた別のドレッシングで減量メニューを出すから、しばらくうちに通うといいね。特別メニューだから少し高いけど糖尿病とか脂肪肝や痛風の予防になること考えたらやっすいと思うよ」


 あたしはシーフーのとぼけた顔の裏に『利益率高い常連客ゲット』と書いてあるのを見抜いていた。

 まあ、橋本さんが他の店で暴飲暴食して病気になるよりは、うちに通って少しずつ体質改善していってもらうほうがいいだろうから黙っていることにした。



 シーフーは壁に並べて貼ってある短冊メニューの横に新たに一枚、墨痕淋漓な

「ダイエット薬膳」と貼って、

 「最近すこーし気になってる読んでる方あなたもいかが?」

 と何もない方向に向かって言った。


 え、今の誰に言ったの?



 (終わり)

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