第一話「冷やし中華終わりました 1」


 正面蹴りがきれいに決まり男は外へと吹っ飛んだ。店前の路上には先に掌底を食らわせた相棒が転がっている。


「父さんの四十九日も終わってないのに、あなた達一体どういうつもり!人としての常識もない。女を脅すことに躊躇いもない。そんな奴の話なんて絶対に聞かないから!」

 あたしは店の入り口で仁王立ちした。

「いい?ここは売らない。今度は警察呼ぶからね」


 あきらかにまっとうな社会人には見えない―――ズバリ言うと下っ端ヤクザ―――の2人組はそれぞれ打撃をくらった胸とあごを押さえてよろよろと立ち上がった。

 膝が笑ってるからこれ以上立ち向かってくることはない。

「また来るからな、このアマ!」

「俺たちに手ぇ出してただじゃすまさねえぞ」

「不法侵入にコップ割ったきぶつそんかい!出るところ出るわよ」

 これ見よがしにスマホで通報するポーズをしてやる。二度と来るな。



 コップの破片を片付け終わり、あたしはカウンターのスツールに腰をおろした。

 ぐるりと首を巡らせれば、そう広くない店内を見渡せる。カウンターとテーブル席あわせて十数席のさして広くない中華料理店。

 この店を切り盛りしていた父は一か月ほど前に突然亡くなった。

 閉店時間をだいぶ過ぎても店舗の裏に併設している自宅に戻ってこないことに気づいて、店の前で倒れていた父を発見した時にはもう遅かった。急性の心筋梗塞。

 大学二年の夏に突然あたしは独りになってしまった。

 

 父は、中学生の時に亡くなった母の分まで、この『蓬莱軒』で毎日鍋をふるって育ててくれた。

 父は町の中華屋の主人としても、難しい年頃の娘の父親としても不器用ながら一所懸命。大きな体で鍋や寸胴と格闘し、人懐っこい笑顔でお客さんにもあたしにも接してくれた。

 ここ数年でおなかが出てきて髪の毛も少し薄くなったけど、父のことを尊敬していた。積極的に態度で示さなかったことを後悔している。


 ただし、父の商売を継ぐことは考えていなかった。

 自慢じゃないがあたしは料理が下手だ。もうセンス以前の問題。

 もちろん店を手伝っていたがお運びに会計がせいぜい。鍋釜使っておいしい料理は作れない。

 そのへんは親子ともに早々に見切りをつけ、大学を出たら企業に就職するつもりだった。


 3か月ほど前から、店と自宅を売ってくれないかと不動産会社が何度か来ていた。

 客商売の手前、あまり揉め事にしたくなかったのだろう。父は頭を下げて店を売る気はないと断っていた。

 ただ、娘としては前述の理由からこの店を継がないから、父が納得して店を手放すならそれでも構わないと思っていた。店と自宅を売ればある程度まとまったお金になって父は楽隠居できる。


 俺は鍋振る力がある限りこの店を続けるぞ。お客さんに腹いっぱい食べてもらいたいんだ。


 それが口癖だった父が売却をよしとするわけがない。だからそう簡単に人手に渡す決意はつかない。でもそれは理想論。

 残された方は現実を見なくてはいけないのだ。料理人不在の店をいつまでもこの状態にしておくわけにはいかない。

 つまり父の思いに目を瞑って売却を決断する日はいつか来る。今だけは常に問題先送りの政治家の気持ちがわかる。


 そんなもやもやした気持ちに怒りの炎をつけたのが、さっき叩き出した2人組。

 相続を済ませたばかり小娘は脅せばいいと見て、紳士の仮面をかなぐり捨てた

不動産会社じあげやが強引な商談を仕掛けてきたのだ。

 父さんが大切にしていた店を暴力で壊そうとしたことはあいつらにとって不幸だったとしか言いようがない。

 キャリア15年の拳法は伊達じゃなくてよ。

 正直久々にスッキリした。


「気になるのは」

 腕組みしてスツールの背に体を預けた。

 あいつらが提示してきた値段は相場よりかなり割増されていた。


 地価はさほど高くなく、昔からの地元民と地方出身者の建売マイホーム族がほどよく入り混じった、どこにでもありそうな町。

 ましてや、うちの立地に特筆するところはない。

 あれだけのお金が入ればこの人生、けっこうイージーモードになる。

「いやいやいや、お店は父さんの人生そのもの。お金じゃない」

 あたしは首をぶんぶん振って邪念を追い出した。


 風が頬を撫でた。

 

 同時に店頭の風鈴がそよいだ。

 そこからぶら下げた『冷やし中華始めました』のタペストリーも小さく踊っていた。


「あ」

 もう9月下旬。冷やし中華の季節じゃないし。

 独りになってからも、開ける予定のない店を毎日掃除して、店の装いは父さんが亡くなったあの日と何も変えずにいた。

「さすがにあれだけは外しとこっか」

 と独りごちて店先へ出る。

 そこでもうひとつ外さなくてはいけないものを見つけた。


 『求人! 調理経験あって出前できる方。給与要相談。住み込み可』


 大学のかたわら英会話を習い始め、店を手伝う時間が減った私の代わりに店員を募集していたのだった。

 父さんがそのひとを気に入ったら『蓬莱軒』を任せてもいいという意気込みで出したもの。張り紙はひと夏のあいだ晒されて色あせてた。

 応募者はゼロだったが、父さんがああなってしまった今からすれば結果オーライだ。


 風鈴に手を伸ばそうとしたときにスマホが鳴った。大学の友人からだ。こうして心配して電話してくれる友達がいることが嬉しい。

「もしもし」

 スツールに戻って長電話。風鈴と張り紙の片付けのことはすっかり忘れてしまった。




 2日後。不動産会社じあげやが懲りずに店にやってきた。この前叩き出した2人を従えてきた男こそ、父にしつこく売却を打診していた社長の木恒きつねだ。

 あたしは、仕立てのよいスーツに身を包んだ、丁寧な口調で物腰柔らかいこの男が嫌いだった。

 細面におさまった、これまた細い目が映るものを常に値踏みしている感じが軽く鳥肌を立たせる。


「先日は部下が大変な失礼をしたそうで、誠に申し訳ございませんでした」

 木恒は舞台俳優のような慣れた動作で深く頭を下げてきた。

があってものを壊してしまったとか。お怪我はありませんでしたか?」

 傍らにあったコップを思いきり床に叩きつけて怒鳴ったことを、こちらの会社では行き違いというらしい。ウケる。

「怪我はないですよ。びっくりして、つい手足がそちらのおじさま方を撫でてしまっただけです」

 木恒の背後で、下駄顔とアンパン顔がそろって紅潮した。怒ってるの?恥ずいの?


「部下の不始末の謝罪は済みました。ここからは再度ビジネスのお話をさせていただけませんか」

 木恒はあたしの挑発を意に介さず、本題に入ってきた。

「お父様には我が社の熱意をもう少しでご理解いただけるところまで来ていたのですが、不幸なことになってしまい本当に残念です」

 そこは先ず「お悔やみ申し上げます」と言っとけ。上っ面のお悔やみの言葉なんて即座にゴミ箱行きにしてやるが。  

「こちらの意思は後ろの方々へはっきりお伝えしたはずです」

 白いピアニストみたいな手を口元へ持ち上げて木恒は微笑んだ。

「意思、ですか。それならお嬢さんがこの店を継がないという『意思』もお父様から聞いております。あなたがここを継がないのなら蓬莱軒も埃をかぶったままになってしまいますよ。ここはひとつ我が社の提示額でご納得いただけませんでしょうか」

 あたしはカウンター席を人差し指でスーッとなぞって木恒の目の前に突きつけた。


「例えだってのはわかってますけど、父さんが大切にしていたこの店は『跡取り』であるあたしが毎日掃除してますから埃ひとつありません」


 木恒は少し顔をそむけた。

 あたしの指は汚いってか。まあ、二十歳はたちそこそこの娘にドヤ顔されて

社長シャッチョさんのプライド傷つけちゃったかなー。

計画通りニヤッ

「他の不動産会社の査定額よりだいぶ積み増しました。これが我が社の誠意です」

 出た。誠意。やばい系の奴ほどこの単語使う気がするわ。

 白く長い指をゆらゆらと動かしながら木恒は続ける。

「お嬢さんはお若い。これからの人生長いです。使わない店舗と土地を無駄に遊ばせておくよりも、好条件で売却してご自身の今後の資金とされた方が効率的ではないですか」


 あたしはやはりこの男が嫌いだ。

「好条件とか効率的とかどうでもいいわ。父さんが、『そういう言葉に従う生き方は人間を小さくする』って言ってたの、思い出したよ」

 木恒の細い目が一層細くなる。

「おいしい話に興味はない、ですか」


 あたしの中で何かが切れた。


「おいしい?ここの店でってのはね、父さんが一所懸命作った料理に対してお客さんが投げてくれる最高の褒め言葉なんだ!

 あんたらみたいな金儲けしか頭にない奴らのそろばん勘定でその言葉を使うな!」


 罵倒を受けて木恒は鼻白んだ表情になった。

「料理をつくる者もいなくなり、一か月以上閉めたままの店にその言葉を投げてくれる客なんて戻ってきませんよ」

 下駄顔がズイと前に出てきた。

「社長、早いとこやっちまいましょう」

 黒いジャケットの内ポケットから折り畳みナイフを出してパチンと広げた。

「女相手に素手で敵わないからって今度は刃物か!あんた、最低のチンピラだね」

 内心はびびってますよ、あたし。だけど一度火がつくととまらない。中華料理の火加減と同じなんだわ。

 蹴りや突きは警戒されてる。

 一番近い出入口は3人の男の背後にある。ここはdisるだけdisって裏口から逃げて警察呼ぼう。ちなみに、あたしの好きな漫画の主人公も「逃げる」が得意技だ。



 えっ?

 体が動かない。な、なんでよ?

 必死に足腰に命令しても自分の体じゃないみたいに固まっているのだ。逃げるどころか迫る下駄顔に一撃も見舞えやしない。

 とたんに額から汗が伝う。

「ホッホッホ。これは愉快。お嬢さん、自分の体に裏切られたご気分はいかがですか」

 声こそ笑っていたが、木恒の目は全く笑っていなかった。その恐ろしさに、さらに汗が滴る。

「世の中には3つの力があります。暴力、財力。そして目に見えない摩訶不思議な力。お嬢さん、お互いに利益を分かち合おうと思って財力で交渉させていただいてましたが、これ以上は『非効率』です。財力はお気に召さないようですから、残りの2つの力でお嬢さんからここの土地をいただくことにしましょう」


 ちょ、ちょっと。これって催眠術か何か?

 下駄顔が脂ぎった顔で鼻の穴広げて迫ってくる。

 や、やだ。誰か助けて。

 叫んだつもりが声すら出ない。

「逆らう気も起きない目に遭わせてから、権利書と印鑑を探すことにしましょう」



 汗の浮かんだ顔を涼風が横切っていった。

 視線の先、3人のク○野郎の更に向こう。蓬莱軒のガラス戸が全開になっていた。涼風はそこから入ってきたのだ。



「あの、おもての求人見たんですけどまだ募集してます?」



 どんな場面でも遠慮することのなさそうな―――世間では空気を読まないと言う―――その恬淡とした一声が店内の緊迫を一瞬にして吹き消した。9月の風とともに。


「あ……」

 同時に声が出た。首も手足もストライキをやめて、あたしの言うことを聞くようになった。

 とっさに下駄顔から距離をとり、入口の闖入者に助けを求めようとした。

 薄暗い店内に突如差し込んだ陽射しが逆光になり、声の主―――若い男―――の顔はよく見えなかったが、シルエットで長身と中背の間くらいの男の右肩から何か刀の柄みたいなものが突き出ているのはわかった。


「術が解けただと」

 木恒の忌々しそうな呟きが耳に入った。


 入口に一番近かったアンパン顔が唐突な求人応募者に相対した。

「出ろ」

 ドスの利いた低音はカタギの求職者を立ち去らせるのに十分な貫禄があった。

 結果からすると貫禄は役に立たないのだが。

「取り込み中ですか?」

 若い男の屈託のない声がした。アンパン顔は面目丸潰れ。

「てめ―――」



「採用!」


 あたしは逃げるより、警察に電話するより先に、自分の心を動かす衝動に従った。なぜそうしたのか後々もわからずじまい。


 3人のヤクザ者越し、どこの馬の骨ともわからない者に『蓬莱軒』再建を託すあたしはどうかしている。 


「即決ですかあ」

忌中明け3日後から営業よ!」


 奇妙な採用面接―――履歴書もなく、顔も見てない―――は終わった。


 あたしはこのやばい現場に男を引き留める手段として『超速採用』したと思う?

 男の肩から突き出ているものが、生まれて20年見慣れてきた中華鍋の把手だとわかったのだ。この男はたぶん中華の『調理経験』有り。父の求人の要件を満たす人材。

 頭の中で、父の大切な店の再建と卑劣な地上げ屋への嫌悪がひとつの解答を導き出した。

 この解答が○か×かは賭け。今は全部乗せで賭けるベット

 

「住み込み有り?」

「2階が空いてる!」

 あとで掃除しなきゃ。


 すっかり毒気を抜かれたアンパン顔に代わって下駄顔が入口の男にナイフをちらつかせた。

「舐めた真似してると鶏みてえに捌くぞ」

 若い男はベルトの辺りから何かを取り出した。陽光を照り返す鈍色の長方形。あたしはそれもよく知っている。

「捌くならこの骨刀グオ・ダオの方が骨ごと叩き切れていいぞ」

 中華包丁。それも牛豚鶏用の厚い刃の骨刀。

 そんなものをヌッと顔前に突き出されたら、下駄顔だってドン引きだ。しかも刃の方向けてるし。

「うぐっ」

 

 木恒は先ほどまでの余裕綽々の態度は影を潜め、細い眉をひきつらせながらあたしに背を向け、

「今日は調子がいまいちのようです。次は素直に承諾してくださいね」

 と捨てゼリフを置いて出ていった。慌てて追う下駄顔とアンパン顔。



 助かったんだ、あたし。おお、足がガクガクしてきたぞ。

 

 

「あいつもリュウケツ狙いか」

 ん、りゅうけつ?流血?

 立ち去る木恒たちに視線を送っていた若い男の姿がはっきりと見えてきた。

 年はあたしより5歳くらい上かな。

 こざっぱりした黒髪に茫とした顔立ち。地味な長袖Tシャツに履き古したデニム。

 肩から腰に斜めにはしる布は背中の荷物―――間違いなく中華鍋。あたしにはわかる―――を固定するためのものだろう。


 

 若い男は中華包丁をベルトに挿す―――おい、捕まる。それ―――と、あのぉと尋ねてきた。割とかわいい顔してるわね。

「ほんとに採用?」

「経験は?」

「それなりに」

「どこから来たの?」

「西の方」

 方角を指差す。消防署の方から来ました~、の詐欺商売か。こんなふざけた回答をされてもそれとなく、ああそうと返してしまうとらえどころの無さでこの男は得をしている。

「……あとで履歴書とか免許証で確認するとして―――」

 あたしは、中へどうぞ、と招き入れた。

「あなた名前は?」

 背後から返ってきたのは


「シーフー」 

ハンドルネームハンネじゃなくって。

「シーフー、俺のことはそう呼んでくれ」

 

 閉めたはずのガラス戸から微風が渡ってきた。

 風鈴の音が『冷やし中華始めました』のことを思い出させた。


(続く)

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