第三十三話「晩夏の白い奴」


 しゅという言葉をご存じだろうか。

 災いを与える呪いではなく、人の言葉や情念に蓄えられた想いが力をもったもののことをいう。

 古来、魔術師や陰陽師らは呪を束ねることで術を行使してきた。それは大自然由来の力であり、同じく自然の子である人間の想いの力と同義であった。


 人は喜怒哀楽といった感情を外に発する際に、さまざまな呪を放出しているといっていい。

 行き場のない呪はたいていの場合、なにごとも起こすことなく天地に満ちる氣の中に溶けていく。


 が、例外はある。

 

 同じベクトルの呪がほぼ同時期に無差別大量に発せられ、天地に溶け込む許容量を超えたとき、呪は形をとってことをなす。


 古代人はそれを神と呼び、悪魔と怖れた。



「母さん、腹減ったあ。ひるごはんなにー?」

「もうそんな時間?」

 世の母親たちは暑いなかいつもの家事をこなしながら、夏休みで在宅しているこども達の昼食を用意するという臨時ミッションに従事しなくてはならない。

 今年は例年になく暑い。猛暑という言葉を通り越した酷暑の中で母親は手軽に涼を得られるメニューを選びがちである。

「ねー、お・ひ・る、なにー!」

「そうめんよ」

「えー、またそうめんー!?」


 よその家庭でも。

「またお素麺そうめん……。ママ、おとといもお素麺だったよ」

「つるっと食べられるからいいじゃない」

「同じ味で飽きる」

「おネギだけじゃなくて、ショウガもいれてみなさい」

「そういう問題じゃない」

「どういう問題よ?」

「手抜きだ」


 子供だけではない。

「ぐえ、また素麺かよ」

「なによ。その言い方っ」

「俺さ、平日も昼は蕎麦系で済ませてっから、たまの休日に家で食う昼飯くらいはなあって」

「あなたの外食事情なんか知らないわよ」

「新婚の時はもっとこう昼飯も手ぇこんでたよなぁ」

 妻の額に青筋がはしる。


「あ、ソーメンが安い。イヌ、それとってコケ」

「またソーメン買うのか。指示に従うけど」

 蓬莱軒の従業員ブレーメンのイヌとトリのやりとりである。

 社員寮として借りているアパートの部屋掃除と洗濯をロバとネコがやっている間

に、スーパーで買い出し中。

「4人で一気に作れて夏もバッチリ涼しいソーメンは庶民妖怪の味方だコケ」

「ロバとネコのうんざりした顔が目に浮かぶ……」

「我々のためにやりくりしてる社長やシーフーの旦那のことを思ったら贅沢は敵だコケ。ローコストは正義なんだコケ」

「では付け合わせに鶏のササミを買う指示をくれ」

「ト、ト、ト、トモ食いはダメコケッ」



 梅雨が終わり、ギラっと夏本番の太陽が顔を出す頃、その年初のそうめんは皆に歓迎される。

「おっ、もう夏だね」

 ズゾゾゾゾッ ズゾゾゾッ ツルツルッ

「冷たーい。汗がひくねえ」

「のど越しがいいから暑いときにはこれよね」


 人々が暑さに嫌々慣れてきた盛夏になると、何度目かのそうめんエンカウントは複雑な表情を浮かべさせる。

「暑いときにはまあこれになるわねえ」

 ズズズ ゾバッ 

「はー。素麺も付け合わせ次第で何とかしのげるやな。大葉とショウガ盛り盛り」

「朝は夕べの残り物。昼は自動的におそうめん」


 残暑を迎え、この時季の『また』は白い悪魔の登場時に頻繁に発せられるようになる。

「また!?」

「あー、ドカ買いするんやなかった。食い切らないとあかんねん」

「なんかもう食べる作業的な?」

「茹でる方は暑いんだからギャーギャー言わないでよ」


 呪の大量発生である。日本中から白いゆらゆらとした糸状の呪が立ち昇り、列島上空の熱気の中で幽体化する。

 数億本の白い麺で形成された巨大な麺の玉が際限なくうごめき膨らむ。そのあいだも次々と地上から浮上するそうめんのような呪がそれに吸収されていく。


 これだけの呪の塊が幽体化を超えて実体を得たときに何が起こるのだろう。

 日本人に対する新たな天災『ソーメンハザード』となり、濁流と化したナガシソーメンが国土を蹂躙するのか。

 21世紀に産まれた最も新しい神性、『空飛ぶソーメンモンスター教』の神として降臨するのか。


 

 しゅという言葉をご存じだろうか。

 災いを与える呪いではなく、人の言葉や情念に蓄えられた想いが力をもったもののことをいう。

 そして、呪はまた別の呪で打ち消すことができることもご存じだろうか。

 たとえ巨大な呪の塊であっても、また別の大量の呪をもって滅せられるのだ。


 そうめんの登場に舌打ちする音、

 げんなりした顔を隠さず箸をつけようとする態度、

 飽きたとか手抜きだという反論。


 それらのアンチ・ソーメン・アティテュードを一瞬にして爆砕する強力な呪が全国の家庭から勢いよく射出され、日本を覆い尽くそうとしていた白い幽体の塊を蒸発させた。

 その呪を「嫌なら食べなくていい(怒)」という。


 瞬時に抵抗をやめた者達は今日も今日とて、ズゾゾゾと白い清涼な麺をすするのである。

 きっと来年の夏の初め、喜びの表情で素麺と再会するのだろう。



「一応出動する準備だけはしてたけど大丈夫だったみたいだな。よかった、よかった」

 あやかしや呪を滅却する最強の中華鍋を構え、上空の氣の流れを見守っていた仙人は肩の力を抜いて蓬莱軒しょくばへ戻るべく歩き出した。


 スケジュールに追われた営業職らしいサラリーマンとすれ違う。

「あー、コンビニ飯かよ。うんざりするな」

 サラリーマンの背中からふわっと呪が立ち昇る。


 仙人は街のあちこちから同種の呪が立ち昇っているのを視た。

「こっちは見なかったことにしよ」


 (終わり)


作者はそうめん大好きですよ!







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