営業再開
第二十九話「Re:冷やし中華終わりました」
「ふああ、おわったー」
今日までの売り上げデータ入力。
毎日の日課としてやるつもりでいても、お店の営業が終わってからの作業だとついつい先送りして溜め込んでしまう。自宅だと気も緩むんだよね。
よく頑張ったあたし。えらいあたし。今日はもうお風呂入って寝よ―――うげ。
まだ納入伝票のチェックもあるんだよね。束がちょい分厚いぞ。
「......お茶飲も」
今夜は涼しいを通り越して冷えるな。暑さ寒さも彼岸まで、か。
温かいウーロン茶を淹れることにする。この前までお茶と言えば冷えた麦茶だった。
「もう1年になるのね」
カレンダーの9月下旬のとある日に○をつけてある日が近づいている。
急に亡くなった父さんから『蓬莱軒』を受け継いで営業再開した日。
当時は店の土地を狙った悪徳不動産屋に脅されて泣きそうだったっけ。
まあ、よくやる気になったわよね。料理できない、経営素人のあたしが。
で、1年やってこれたし。それどころかお店はおかげさまで繁盛してるし。
いつも来てくださるお客様ありがとうございますm(__)m。
そして、未熟なあたしを支えてくれる変わった料理人とにぎやかな従業員たちにも深い感謝を。
この半年もいろいろなことがあった。
とある地方の古い伝説にまつわる奇妙な事件に首を突っ込み、お店を何日か休むことになったっけ。
あたし自身に関する騒動がもちあがり、解決に痛い思いをしたことも。
別の季節には、うちの料理人と腐れ縁の銀髪の仙人が性懲りもなく、トラブルを起こしてくれて。
少しだけ料理人の気になる過去がわかって、なぜかあたしの気持ちが落ち着かなくなったり。
いいこともいっぱいあった。
就職を控える身にとって何よりも大事な進路が決まり、大学生活もそのラストスパートを思いっきり楽しんでる。
お店の繁盛ぶりは言うまでもなく、従業員たちの業務スキルはどんどん上向いている。あれならどこのお店でもやっていけるよ。
去年の今頃。
父さんが店頭に貼った求人広告を見た彼がこの店を訪れなかったら、この1年はさっき思い出したいいこともわるいことも起きずに、淡々と進んでいったんだろう。
そして今、はっきりと言えるのは、それはとっても味気なくて振り返ることもない1年だったにちがいないってことだ。
だらしなくのびきったラーメンより、口の中がひりつくくらい激辛の担々麺の方が食べてる実感があるのと同じ。あたしの人生もスパイスしっかり効かせていきたいもんだ。
―――とかお茶を飲みながら回想モード入ってたら、ふと思い出した。
「お彼岸過ぎて今日からメニュー入れ替えたんだっけ」
あたしはスニーカーをつっかけて自宅を出た。
表通りに面したお店の入口にまわって、夏のあいだ大活躍したアレをはずしに行く。
9月の終わりまで吊るしたままの風鈴とその下にぶら下がっていた冷やし中華のタペストリーを。
「今年も冷やし中華終わりました、と」
(終わり)
追伸 納入伝票の束の確認は明日にした。まだまだ自分に甘いあたしである。
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