第二十七話「春の午後」

 桜の樹の下には屍体が埋まっている!、と書いたのは梶井基次郎だっけ。

 作品のことはよく知らないけれど、その冒頭の一文は有名よね。

 文学には疎いあたしですら、舞い散る桜の花を見てこのフレーズが浮かぶくらいだし。

 じーっ。

 この樹の下には埋まって……るわけないか。


「何してんの?」

「い、いや。桜に見とれてただけ」

 手に持った花束をかかえなおし、再び歩き出す。水桶とひしゃくを持った彼も揃って歩を進める。

「兄貴は桜が好きだったなあ」

 張飛はりとばしさん―――父さんの弟分。蓬莱軒を助けてくれている顔は怖くて心は熱いお肉屋さん―――がひらひらと舞い落ちる花びらをつかもうと大きな手をぶんぶん振るう。張飛は本当に子どもみたいなところがあってな、って父さんの言葉を思い出す。

「わわっ、トサカにあたる」

「張飛さん、おたわむれもほどほどにだニャ」

 割と広い参道も張飛さんくらいの巨体が両手をのばして振り回すと狭く感じる。ブレーメンたちは慌てて剛腕を回避。

「ガハハハ。兄貴とよく花びらつかみ競争やったもんだ」

 マジか。父さんもじゅうぶん子どもっぽいわ。



 桜満開の週末。お昼の営業を終えたあたしたちは張飛さんを誘って、初めて蓬莱軒関係者全員で父さんのお墓参りにきた。

 シーフーは去年、蓬莱軒に住み込みを始めて一度来たことがある。ブレーメンは初めてで、張飛さんはたまに来てくれているようだ。ひとりでお彼岸にお参りに来たとき、ピカピカに磨かれた墓石の前にどでかいボンレスハムが置いてあったっけ。


 霊園の参道の向こうから小走りで向かってくる男の子は見知った顔だった。

「啓介じゃない」

「あ、姉ちゃん」

 姉ちゃんと呼ばれたが弟ではない。あたしが通っていた拳法道場の後輩で、福原啓介という小学生。よく型を教えてあげたりしてたので懐かれてた。

「久しぶりね。少しは腕上げた?」

 啓介はちょっと急いでるようだったがその場で足踏みを続けながら、

「まあまあかな。姉ちゃんが来なくなって先生、寂しがってたからたまには顔出してあげたら」

と答える。

「近いうち道場行くって伝えといて。ね、あんた背伸びたじゃない」

「俺来週から中学生だぜ。姉ちゃんより強くなるのも時間の問題だって。じゃ、急いでるからまた!」

 啓介が小走りであたし達の横を抜けようとしたとき、隣のシーフーと目があった。

「小便小僧、お墓ではやっちゃだめだよ」

「あ、あのときの変な奴!」

「何、2人知り合いなの?」

「この町来て最初に会ったのがこの小便小僧」

「ちょっと、その呼び方やめてくれよ」

「急げ急げ。トイレまであと200メートル」

「なんでそれを。う、やばい」

 啓介はスピードを上げて走り去った。

「啓介ー、今度うちに食べにきなよー」



 父さんと母さんが眠るお墓の前でしっかりと手を合わせる。そよ風が運ぶお線香の香り。


 父さん、母さん。あなたたちの前に新しい蓬莱軒のみんながいます。

 あたしはなりゆきで店を再開させたことが不安でたまらなかった。

 それからいろいろあって、みんなが集まって。

 これからもたぶんいろいろあると思う。妖怪だ、仙人だはできれば願い下げな方向で……は無理かな。

 トラブルは尽きないけど、後ろにいるみんながいる限り大丈夫。安心してね。

 あたし自身がこの先どう生きていくか、もう少し保留にしようと思ってる。めいっぱい悩んで悩んで結論出たら、必ず報告に来るよ。

 

「また来るからね」

 張飛さんが墓前にボンレスハムを置こうとするのを笑顔でお断りして、お墓を後にしようとしたとき、少し強い風が吹いた。

「おう、桜吹雪だ。兄貴好みの派手なやつ」

 張飛さんがまたくるくると回りだす。ブレーメンは今度は巻き添えを食わないように先に行ってしまった。


 お墓近くにそびえる立派な桜の木から降りしきる薄桃色の紗。

 その向こう、幹のそばに人が立っていた。

 え、今の!?

 大きなからだに白い料理人服を着たあの姿―――。

 驚いて2度見したときには何もなかった。

 しばらくそこを見つめ続けていた。

 何も、誰も現れなかった。

 風がやみ、宙を舞うのに飽きた桜花の片々が参道を彩る。


 ここでちょっと出てきてもいいんじゃない?父さんも母さんも。

 ……いいわ。また来るから。次は少し姿見せてよね。

「そろそろ行く?」

 浸っていた感傷が終わるまで、ずっと待っていたシーフーの声はいつもと変わらぬ茫っとした感じ。でもこのくらいのさじ加減がちょうどいい。少し突き放した優しさってやつ。

「そうね。蓬莱軒は夜も休まず営業よ。帰って準備準備」

 今日は何人のお客さんのごちそうさまを聞けるだろう。

 精いっぱいのおもてなしをするぞ。

 あたしは薄桃色の花道を歩き出した。


◇◇◇


「ちょっと見られちゃいましたね。あのとおり彼女は元気。

 無問題モウマンタイ

 今日もあなたの厨房をお借りして、うまいもん作りますからね。

 ではバイバイ」

 桜の木の影の先代へ、料理人は振り返らず手を振った。


(蓬莱のシーフー 第一期 完)


 

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