第二十六話「人の一念、術をも通す」

 典杜が放った光の矢はシーフーに当たる前に、弾き飛ばされて地面に突き刺さった。そのまま霧散する。

「この世の外の鉄でできた絶対防御と妖魔滅殺の宝貝パオペエ。それを出した本気の君を打ち負かして、そのふざけた態度と甘い考えを矯正してやろう」

 銀髪の仙人は軽く舌なめずりした。

 日頃のクールさに似つかわしくないその仕草は、目の前の獲物に対する並々ならぬ執着―――強い愛憎―――のためだ。


 シーフーはどんな炎、攻撃にも屈しない中華鍋を構えて立つ。

「攻撃力はお前に敵わないけど、攻撃が当たらなけりゃ意味ないよね」

 中華鍋の外底にくっきりと紅く光る『受命於天既壽永昌』の文字。

 それはシーフーに鍋を与えた者が命じた言葉。


「その絶対防御の力、どこまでつかな」

「ったく。いつまで俺につきまとうのさ」

 その言葉が皮切りだった。永き奇妙な縁を持つ2人はそれぞれ縮地の術を使い、

夜の児童公園のあちらこちらを高速移動する。

 追う典杜、躱すシーフー。

 ずっと昔から―――ふたりが仙人になる前からこの構図は変わらない。


 飛来する何条もの光の矢。中華鍋を巧みに振って弾き返す。

 料理人が言った通り、どんな強力な力も届かなければ意味はない。

 しかし、攻める側は常に主導権を握り、展開次第では相手の防御をいなすことは可能だ。

「では少し変化球と行こう。この公園の周囲の家にを向けたら君はどうするかな?ほら、いつものように関係ないよ、と逃げるチャンスだぞ」

 そうしないことを知っての挑発。

 典杜は児童公園に隣接して建つ住宅やアパートに向けてその右腕を伸ばす。光の矢はいつでも発射可能の状態だ。

「やってみればいいよ」

「では遠慮なく」

 巨大な光の矢が四方八方に射られる。静かな死の導き手はやわらかな明かりが灯る住宅街を破壊すべく飛ぶ。

 その明かりの中には、茫洋な仙人が『護る』と宣言した、決して悪人ではない人たちの営みがあった。

「お前嫌な奴すぎ」

 縮地の術を連続発動。一発目、二発目の光の矢に先回りして、絶対防御の鍋で打ち返す。

 三発目の矢の進路に飛び、鍋のレシーブ角度をうまく調整。弾いた三本目の矢をさらに向こうを飛ぶ四発目の矢に跳弾の要領で命中させた。

「ギリギリ」



 シーフーが呟いた。典杜はその時を狙っていた。

 シーフーは四発目の矢を直接叩き落としに行かなかった、いや

。彼の縮地の術では四発目の矢が住宅に着弾するまでに間に合わないと判断したからだ。

 それは、彼が次の縮地の術を発動するまでに、いくらかの時間を必要とすることを意味する。

 つまり、

 典杜は、シーフーに一瞬だけ生じるこの息切れを待っていた。公園周囲の住宅街を狙ったのはこのためだ。着弾して何人死のうが、全部防がれようがどちらでもよかった。典杜は単なる攻撃馬鹿ではない。

 あくまで彼の狙いは元同輩であり、怨敵であり、密かに憧れていた相手に打ち勝つことだけだ。


「勝負ありだ」

 一気に距離を詰め、光の矢を突き付ける。これは逃げられまい。

 一方のシーフーは彼の手にしっかりと馴染んだ中華鍋を料理の達人のスナップでかざすが間に合うか。


 バチッ

 とてつもなく硬い金属と冷たい光が交差した。

 網膜をやく光がおさまった時、シーフーは公園の隅の砂場にあおむけに吹き飛ばされていた。


「やったぞ!僕の勝ちだ」

 珍しく感情を露わにした典杜は小さくガッツポーズをとり、料理人の命であり、仙人の宝というべき、この世の外の鉄でできた中華鍋を蹴り飛ばす。

 夜の公園に一瞬金属音が響く。

 これでシーフーは典杜の攻撃を防ぐ術を失った。

「君の理想はここまでだ。だが僕と一緒にに立ち向かうなら、攻撃をここでやめてあげよう」

 典杜がシーフーに即座にとどめをささないのは、彼を殺したくないのか、彼が自らの野望の戦力に必要だからなのか。おそらく両方であろう。

 そして、とは何を指すのか。2人の仙人が具体的に語ることはなさそうであった。今は2人の確執にけりをつけることが優先だから。


 普段から眠たげといわれる目を細めて、典杜を見上げるシーフーの返事は

「お前、自分が強くて大物だと思ってるだろ」

だった。

「なんだと」

「大人ぶったガキにつきあってられるか。お断りだ」

「護るなんて絵空事、何の説得力もないのは今の君の状態が証明していると思わないかね」

 公園の彼方に目をやったシーフーはのろのろと上半身を起こして

「このくらいのことであきらめるかよ」

と典杜の顔に向けて拾っていた小石を投げつけた。不意打ちは典杜の鋭い鼻に命中―――するが石はそのまま彼方へ飛んでいった。

「卑劣かつ無駄な抵抗だ」

 典杜は、自身に向けられた攻撃を全て滑らせる術を常時発動しているため、シーフーの最期の抵抗も、言葉通り無駄となった。

「小石すら失った君にもう打つ手はない」

 初めて会った時から今まで、決して自分になびこうとせず、我が道を行き続ける飄々とした青年。

 ついにその生殺与奪を握った達成感が典杜の心を満たしていた。

 だが、悲しいことにその瞬間ですら、当のシーフーはそんなことおかまいなく、驚いた表情で

「危ないから来ちゃダメ」

と典杜の背後に呼びかけたのである。

 

◇ ◇ ◇


 日課のジョギングの成果。あちこちを探し回ったって息は切れない。

 あの迷惑でいけすかない典杜デン・ドゥを追ってシーフーが店を出たときは、仙人同士で話をつけるのなら、と遠慮が先行した。

 それでも怒りは収まらない。

 注文した料理をいたずらに弄ぶだけで口もつけず、代金も支払わない。こんな失礼な話あるか。

 シーフーの昔馴染みだかなんだか知らないが、ここで一発食らわさなきゃ、蓬莱軒がなめられたまんまじゃない。

 父さん譲りの気の強さがあたしを店から走らせた。ブレーメンの制止する声はすぐに後ろに流れていってしまった。

 走り出してすぐ、どこに行ったかなんかわからないことに気づいた。馬鹿だ。

 ただ、足を止めたら大声で叫びだしたくなるから走った。

 2人がこの近所にいる保証はどこにもないが、商店街を抜けて工事現場を、河原を探す。

 そして、児童公園で彼らを見つけた。ここはあたしが小さい頃によく遊んでいた公園だった。

 

 砂場に倒れたシーフーと見下ろす典杜が見え、あたしの心臓は跳ね上がった。

 丸腰のシーフーは破れかぶれといった感じで小石を投げつけたが、あたしも知ってる典杜得意の『攻撃を肌で滑らせる術』とやらで防がれてしまった。

 シーフーのお鍋はジャングルジムの傍らに転がっている。あのお鍋はうちの店にとって大事なもの。

 そのお鍋を振っておいしい料理を作るシーフーはそれ以上に!

 

 仙人同士で話をつけるから任せようなどと一瞬でも思った自分が恥ずかしい。

 自分が受け継いだ店とその料理を馬鹿にされたら、経営者のあたしが先頭にたって即抗議するべきだった。相手が恐ろしい力を持つ仙人だとしてもよ。

「いつまでもあなたにばかり頼らないわ」

 おなかから頭に突き抜けるような熱い感情があたしを突き動かす。何も怖くない。

 あたしは銀髪の仙人に向かって力強く踏み出した。



「危ないから来ちゃダメ」

 驚いた顔をしたシーフーがあたしを見てかけた声に典杜が振り向いた。

「君か。無関係な人間の女が仙人同士の問題に口をはさむんじゃ―――」


 なによ、なんだお前かってその顔は。

 なによ、無関係って。

 なによ、人間で悪かったわね。

 なによ、女が口だすなって。

 なによ、なによ、なによ。


「馬鹿にするんじゃないわよっ!」

 思い切り振りかぶってひっぱたいた。


パンッ


 典杜は打たれた左頬をそろそろと左手で覆った。

 平手自体はたいした威力はない。しかし、熱い怒りをいっぱいに込めたそれは典杜のプライドを粉々にしたみたい。

 常に傲慢な自信に満ち溢れていた仮面は剥げ落ち、視線は宙を泳ぎ、半開きになった口は細かく震えている。

「僕の術……あらゆる攻撃を……滑らせる……はずなのに」


 あのねえ、術とか仙人とかにこだわりすぎて頭固くなってんじゃないの?

 どんなに長く生きてたって、どれほどすごい奇跡を起こせたって、やっていいことといけないことくらいの区別はつけろって。

 人間も女も店も料理もなめんじゃない。


「うちの大事な従業員になんてことしてくれてんのよ!」

 思いのたけを大声でぶつけた。


 シーフーが、やるなあ、と呟きながら立ち上がった。

「なあ、お前もわかったろ?人間は

『人の一念、術をも通す』って言うじゃん」

 

 いまだ頬をおさえたままの典杜は悔しさに満ちた目をグッと伏せ、

「それを言うなら『岩をも通す』だ。いつもいい加減だな、君は」

と言い捨てると、背中を向け半ば放心状態でよろよろとその場を離れる。

「今日はお前の勝ちでいいからねー。彼女には

「うるさい……。プラマイゼロで帳消しだ。忘れたまえ」

「あ、帰る前にエビチリ定食の代金払ってけよ」

 典杜は振り返らず、右手人差し指と中指に挟んだ紙幣をシーフーにピッと飛ばす。

「釣りはいらん」

 公園の入り口を出た典杜は前方に出現した光のカーテンに巻き込まれるようにして消えていった。

「……20円で偉そうに」



「あー、あたしとブレーメンがあんなちっさい男にびびってたかと思うと腹立つわ。で、あいつ結局何したかったわけ?」

「いろいろストレスたまってるんじゃないかな、あいつもあいつなりにこの先のことで悩んでるんだよ。進路、みたいな?社長のビンタで少しふっきれたかもよ」

と言いながら回収した中華鍋の砂を払っている料理人は後ろからついてくる。蓬莱軒に帰る途中だ。

「あったまきて気がついたらビンタしてた。今思うとよく当たったわ」

 右てのひらを眺める。生命線長いだけが取り柄の普通の手よ。

「番狂わせを起こしたのは、あの鬼みたいな形相のせいってことでいいんじゃない」

「お料理馬鹿にされて、大事な従業員に手を出されたら、誰だろうがガツンとやるわよ。蓬莱軒は父さんの代からそう―――鬼みたいとはなんだ」

「ご立派です。上に立つ者の心意気、見せてもらいましたよ。社長」

 丁寧な物言いされると調子狂うわね。


 あたしはくるっと振り返った。もう蓬莱軒が見えるところまできている。

「当然よ。あたしは蓬莱軒あのみせを受け継いだんだから、従業員も店も鍋も義務があるわ。さて、料理人君、明日もしっかりお鍋振ってもらうけどいいわね?」

 うちの看板料理人は、少し照れくさそうに笑っていた。め、めずらしいわね。

「もちろん、蓬莱軒は明日も元気に営業です」



(次回 第一期エピローグ )


 






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