第二十五話「仙人問答」
「シーフーよ、大丈夫なのか?」
シーフーは振り返らず、
「何が」
とだけ言った。
ともに今とちがう顔、見慣れない装束。典杜はシーフーの行先をふさぐように立ちはだかる。
「あのお方の御前であのような無謀な
その表情は緊張にこわばり、シーフーの振る舞いが彼の命を危うくするものだとはっきり認識しているのだった。
「なんとかなるよ」
「貴公はいつも気楽が過ぎる。あとであれは冗談でしたと言って許される相手ではないのだぞ」
「知ってるよ」
典杜はまとった装束のたっぷりした袖を口元に持っていき、シーフーに小声でささやいた。宮廷のどこで聞き耳を立てられているかわかったものではない。
「あのお方の望み、欲望は際限がない。なさすぎる。我々に課されたのはこの上なき無理難題ぞ、あえて真っ向から受けて立つこともなかろう」
シーフーの何を考えているか読めないまなざしが典杜を射る。
「え?そんなつもりないよ」
「何と。先ほどあのお方の前で―――」
シーフーは片手で制す。
「あのお方が求める至高の力、霊妙なるものを手に入れるとしたら二つの道がある」
明かり取りの窓から射す日の光が傾いてきている。
「ひとつは試行錯誤して創る。もうひとつは伝承にある常世の彼方にそれを取りに行く、だ。俺は後者を選んだ」
「そう、シーフー、貴公は困難な後者を選んだのだ。誰も辿り着いたこともない遠方の世界の彼方、地図にも描かれていない地へ向かう旅を選んだ」
「誰かが辿りついたから伝承に残ってるんじゃないか」
「ホラや作り話がもっともらしく流れているに決まっている。シーフー、よく聞けよ。そのような困難を選ばすとも、この都で研究に取り組んでのらりくらりと時間を稼いでいれば、あのお方もいつかは―――」
その先は袖で隠していても口にできなかった。研究の成果が出るのが先か、それを命じた絶対君主の時代が過ぎ去るのが先か。
シーフーは典杜の横を通って再び歩き出す。そのあとを追う典杜。
「ねえ、貴公はわかってないね」
「何をだ」
「常世の彼方に行ってしまえば、あのお方から遠くに離れられるんだよ。執拗な催促に悩まされることもない。気楽」
「なっ―――」
「俺が旅立つことで、この都に残って研究に没頭することとなった貴公は、毎日のように『まだかまだか』と叱責されて苦労するよ。きっと」
「シーフー、貴公はまさか逃げ―――」
立ち止まった典杜を、初めて振り返ったシーフーは扇を口にあて
「こちらはあのお方の全面支援を受けて気楽に旅を楽しむとするさ。もう会うこともないかもな。達者で」
と軽く会釈をした。
永き時が過ぎた。
典杜が回想から意識を戻したとき、あの時去っていた裏切り者が、今度はこちらを向いて立っていた。
蓬莱軒からそう遠くないところにある児童公園であった。ここまで案内させた符呪の小鳥は役割を終えて、小さくパンとはじけて元の紙切れに戻った。
「あの店で話そうと思ったが、聞き耳が嫌になったのでね。ここまで来てもらった」
「宮廷にいたときと変わらないな、お前」
シーフーは片手の掌を上にして差し出した。
「代金払えよ」
無視した典杜。
「シーフー、君の本音を問かせて欲しい」
「何をだ」
あの時と変わらない物言い。
「君、実は気づいているんじゃないのか?」
シーフーは手持ち無沙汰になった手を顎に持っていき2、3秒考えたポーズをとった。
「目の前にいる大陸屈指の大仙人様が、何かに怯えていることにか?」
「疑問に疑問で返すのはやめたまえ」
典杜は一瞬で距離を詰めて移動する術、縮地の術を使ってシーフーの後ろに回り込んだ。
「君がこの国でお気楽に放浪している間、僕はずっと彼らを監視し、それに対抗出来る力を集めてきた」
「仙人の
気の抜けた炭酸飲料のような期待外れの返しに典杜の心は乱れる。
「何も!何もせずに逃げ回っていた君にそんなことを言われたくはない!いいか、彼らが出てきたら世界は大きく変わるんだぞ」
一息つき、声を潜めた。
「僕たち仙人は彼らと戦うか従属するかを迫られる。そのとき君はどうするんだ、答えろよ蓬莱のシーフー」
典杜に匹敵する大仙人、今は下町の中華料理屋の料理人はブランコの前の鉄柵に
腰をおろした。どっこいしょ、とオヤジくさい声がもれた。
「戦う、従う。その二択しかないの。ねえ、ずっと考えててそれだけ?」
「彼ら、いやあのお方の考えは従わせるか、滅ぼすかしかない。僕たちはそれをよく知っているはすだ。まさか話し合えばいいとか正気を疑うようなことは言うまいね」
シーフーは
「護る、のさ」
と、初めて典杜の問いにまともに答えた。
「護る?」
典杜の柳眉が歪む。
「そ。護る。力があるからと積極的に攻めることなく、無防備に徹して相手に隷属することなく、自分たちの大切なものを傷つけられそうな時に全力で戦う。それが『護る』」
「世界の国々は力で他者をねじ伏せ、自然を征服してきた。でもこの国はちょっと違って、自然を畏れながらうまくつきあってきた。八百万の神とあがめたり、おだてたりしてね。
そうやっていくうちにさ、自然や他人を受け入れて過ごそうとする心ができてきたわけ。お互いを尊敬して生かす。
そう、仙道の理想に似てるよ。
木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ずる。 そして木はまた火を生じ。
自然と寄り添って生きる。俺たち仙人が修行して目指していたことが、この国の人たちにとってはごく当たり前のことだったんだ。
そんな蓬莱の国が俺は好きなんだよ。だから俺はここを護りたい。それだけ」
典杜は真顔で語るシーフーにいささか失望を覚えたようだった。
「何を言い出すのかと思えば都合のいい理想論か。笑わせてくれる。
蓬莱を理想郷のように飾るのは陳腐だ。
争わなかったとでも?奪わなかったとでも?汚さなかったとでも?騙さなかったとでも?
この国がかつて力を海外に向けたこと、境界線を巡って内輪で殺し合ったこと、利益におぼれて自然を破壊し拝金に陥ったこと、それらがなかったとは言わせない」
シーフーはなんだそんなことか、という表情を作った。
「だから蓬莱はそのたびに手痛い目にあってきたんだ。もしかしたら、また愚かなことをやらかすかもね。
それでも、隣に困った人がいたらとっさに助けようと思う、心配することができる優しさを持った人もいっぱいいる。そんな人たちを護るために竜脈なおして廻ったり、腹減った人に料理作ったりしたい。それだけ」
「ここまで意見があわないとは」
典杜の瑠璃色の目に
実現不可能な空論を語るだけの臆病者を鞭で打ち、考えを改めさせる必要を感じたからだ。場合によっては邪魔になるだけだから殺してもいいとまで。
「君のご高説がどこまで本気か試してあげよう」
スゥと上がった右腕の上に半透明の
典杜の冷たくも燃える瞳はしっかりと
(続く)
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