第二十四話「その日最後のお客さん」

 最近ちょくちょく来店するようになったカップル―――微妙な距離感があるのに、よくこの店で待ち合わせては一緒に帰る―――が本日の夜営業最後のお客さんだと思っていた。

 

 そうはならなかった。


 オーダーストップ1分前にガララと開いたガラス戸。

 自分に似つかわしくない場所に嫌々来てやったと言わんばかりに唇をキッと結んだその男を見て、店内の空気が張り詰めた。

 料理人だけは独り黙々と明日の仕込みに精を出していたけどね。彼のそんな姿が頼もしい。


「ここに来るのは初めてだね。ごきげんよう、この店始まって以来の上客が来たんだ。全員で『ようこそいらっしゃいました』と言いたまえ」


 触れたら指先を切ってしまいそうな危なっかしい銀髪。

 夜の訪れの空にも似た紺色の瞳は王侯の傲慢さと吸い込むような深さを湛え。

 南方の陽に鍛えられたような浅黒い肌は彼への嫉視をいともあっさり跳ね返すしたたかさに満ち。

 あー、なんであたしがこんな解説せにゃならんのよ。


 典杜デンドゥ。一秒たりとて油断ならない揮発物のような仙人。


 あたしはギュッと拳を握り、自然と腰を落とした。生半可な拳法がこの男に通じるとは思っていないが、蓬莱軒うちに来たからには逃げるわけにはいかないわ。


 ブレーメンの面々は最も手近な壁にはりついていた。4人ともこいつに利用されたり、殺されかけたりしたからね。まあしょうがない。


「チッ。あと1分遅ければオーダーストップだったのにな。いらっしゃい」

 うちの唯一にして大看板の料理人、茫とした目で仕込みから顔を上げた。緊張とか警戒とは無縁のいつものその態度に、あたしたちのそれも少しほぐれる。絶対的な安心感。


、もてなしに差をつけないのがここのモットーじゃないの?」

 あたしたちに言ってるんだ。そ、そうだ。それが父さんの信条。あたしはそれを大事に引き継いでたはずよ。

「ご注文は」

 それでもビビりまくっているブレーメンに『大丈夫だから』と目配せし、コップのお冷を、カウンターにかっこつけて座った典杜に出す。


 長い脚を組み、カウンターに肩肘をついた伊達男は、王が民をただただ見渡すかのような視線で壁に貼られたメニューを眺めまわす。その見渡し方もいちいち芝居めいててむかつくんですけど。


「そうだねえ。トカイワイン……があるわけないか。おすすめは?」

 後半はカウンター向こうの料理人への問いかけだ。あたしはスルーかよ。

「塩」

と即答。

「酒でも料理でもないね」

「店から叩き出して撒きたい。塩」

 典杜は苦笑を浮かべて首を振る。

「さっき言っていたモットーと違うじゃないか」

「ああ、あれはのモットー。今のは俺のモットーだった」

 やはりこの料理人、

「……エビチリ定食を所望しよう」

「あいよ」

 お店のモットーのままに即答だった。


 お客さんがどんな相手でも、お出しする料理に手は抜かない。それが先代の父さんの考えであり、その厨房を預かった彼は誰に言われるでもなくそのイズムを踏襲している。

 この店に来てから何百回と作ったであろうエビのチリソースを、いつもと同じように手際よく作っていく。

 このペースが彼の強みであり、説得力を生むんだとか思っているうちに、

「はい、お待ちどうさま」

 お盆に載せられたエビチリ定食を彼が自らサーブした。


 典杜は、湯気をたてている朱に近いオレンジ色の料理を見て

「ふうん」

と呟いて箸をとった。

 甘さ辛さの加減が絶妙なチリソースと、弾けるようなエビの歯ごたえ、その絡みに驚いてみろ。

 箸でとろりとしたチリソースをまとったエビを持ち上げてかざすや、典杜は

「かつて僕たちがだった頃にはどこの国にも存在しなかった料理だ」

と箸ごしに茫とした顔を見つめた。

「そうだっけ」

 こちらは何らペースを崩さない。

「相変わらずおとぼけかい」

「同志だったことなんて一度もないと思ってさ」

 その言葉に小首をかしげた典杜はため息をつくる

 そして、箸でエビチリをとってはお皿に戻し、とっては戻しを繰り返して最後は

こねくり回した。

「フン、エビチリも食えたもんじゃないが、シーフー、君が食えないところも相変わらずだ」

 スツールから滑るように立ち上がる。

 再度手近の壁にはりつくブレーメン。

「この店は最悪だ。客に敵意を向ける従業員。『中華』の名を冠しておきながら、東の果ての島国に迎合した味付けの料理。最も最悪なのは―――」

 出入り口のガラス戸へ歩き出す。レジの横にスッとを置いて

「長い時をから逃げまわっている料理人の存在だ」

 ガラス戸が閉まる音。


 数秒の沈黙のあと、緊張に耐えかねたブレーメンがへなへなと腰を抜かした。

「あいつ……」

 カウンターに置かれたエビチリ定食のお盆を見て、再び拳が強く握る。血が出たってかまわない。あたしのやり場のない怒りはそれもよしと叫んでる。

「あいつ、お料理を一口も食べなかったっ」

 カウンターを叩くと、コップの水が飛び跳ねる。

「わざわざ注文しといて、お箸でこねくりまわしただけで……料理屋を馬鹿にしてるよ!食材はおもちゃじゃない!」

 ネコはスッとお盆を下げ、

「指示されなくても塩をまいておきます」

 イヌが塩の容器を抱えて表に向かう途中、

「あっ!」

と声をあげた。

「お、お金払ってないです」

「えっ!?さっき置いてたったのは何よ」

 イヌは釣り銭トレイから一枚のふだを取ってこちらに見せた。

 さつではない。くずした漢文のようなものが書かれたふだだ。

「無銭飲食ってこと!?あ、食べてもいないけど。ぐぐぐ、余計腹立つわ!」

「その紙よく見せて」

「どうぞ、旦那」

 その札に書かれている文字が読めるのは彼だけだった。典杜の伝言が書かれているのは想像に難くない。

 

 その札を手でくしゃっと丸めると、札はほの白く光を発する小鳥に変じた。

「芸がこまかいね、どうも」 

 彼はエプロンをはずして白い料理服を脱ぐとニワトリに渡した。それから中華鍋を洗って一振り水をきる。

「シーフー!」

彼はあたしの呼びかけに直接応えず、 

「もうのれんしまう時間だね。ロバたちさあ、片付けは頼む。ちょっとこの小鳥さんが案内してくれるらしいから出てくるよ」

「あいつが何しかけてくるかわからないのに行く必要なんてないでしょ!」

「料理人としてカチンと来たし、エビチリの代金はしっかり取り立ててくる」


 いつもは茫としている眠たげな眼に、かすかな怒りがにじんでいた。

 並々ならぬ因縁があるらしい2人に割って入る勇気はそのときのあたしにはまだなかった。


(続く)


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