お会計

第二十三話「あっさり蒸しとか進路とか」

「ネコがいいさわらを仕入れてきたから、夜の営業はさわらの中華蒸しを出そう。さかなへんに春で鰆。春のメニューにぴったり。決めた決めた」

 腕組みして考え込んでいたシーフーが宣言した。

 それを聞いて、おのおのの作業をしていた従業員たちの手がとまる。

「お、おー、旦那に認められた感じがするにゃ」

 ネコは嬉しそうに3人の従業員仲間を見まわした。

「うん、ネコ君は魚介系の目利きセンスあるよね」

 猫の妖怪だけに。


 従来は掃除、食器洗い、配達、配膳限定だったブレーメンたち。最近はシーフーの指導のもと、少しずつ重要な担当が任されている。

 ネコは今も言ったように、魚卸業者から新鮮な海鮮食材を調達してくる。

 シーフーは北京、広東、四川、台湾とあらゆる中華料理を作るが、スペシャルメニューになると海の幸の頻度が高い。だから、ネコの仕入れ任務は重要なのだ。


「旦那、俺の包丁さばきも見て見て!」

 厨房で大量の野菜切りに取り掛かっていたニワトリが張り合うように、ニンジンやピーマン、ニラ、タマネギを料理用途ごとの形に切り刻んでいく。そのスピードは日に日に早くなってて今や、「菜刀ツァイタオのトリ」と自称するほど。

言うだけあって、カットは正確で早い。

 中華料理に限らず料理店の野菜の皮むきやカットは結構な時間をとる。

 ニワトリがこの技術を向上させればさせるほど、お店の業務効率は上がるということになる。

「コケーッ、タマネギがタマネギがー」

 あれだけ顔近づけてたら泣くわ。


「……」

 隣の騒ぎを横目にイヌは自分の世界に没頭中。

 小皿にとったソースや出汁のチェックをしている最中、彼に雑音は入らない。

 イヌだけあって鼻が利くもんだから、調味料の微妙な配分率や火加減の違いによる出汁の調整も嗅ぎ分けて巧みに匙をふるう。

 今はまだシーフーの指示を仰いで煮詰めてるけど、思ったより早く全面委任される気がする。

 性格も几帳面だしね。適任。


「器の回収終わりましたぜ」

 ロバは持ち前の責任感と忍耐強さを買われて、長時間のスープ番や出前管理を引き受けている。愛嬌のあるお顔も手伝い、出前先での評判もなかなかだ。


 ブレーメンの皆、それぞれの持ち場を頑張ってこなしています。いいぞ。蓬莱軒。


「さわらのあっさり蒸し、みんなで試作してみよう。ネコ、一尾とってくれ」

「上物これにて」

「みんなちゃんと手順見てろよ。まず魚を食える状態にしなきゃな」

 ブレーメンが見守る中、シーフーは軽やかな手つきで、大きなさわらをさばいていく。

 斜めに立てた包丁でウロコをシュシュッととっていくさまはいつ見ても小気味いい。おかしら、骨、わたをスピーディに取り除いて、スーパーで見慣れた切り身が

並んでいく。

「きれいに水洗いして水気とる」

 基本の塩コショウ、その上に薄く切ったネギと生姜をのせていく。

「数分酒に漬ける」

「旦那、紹興酒に漬けるのもありですか?」

「あり。お好みでどうぞだな」

 ブレーメンたち、目が真剣。彼らは少しでもシーフーの技術を盗もうとしている。これが昔ながらの職人の世界。


「酒が染み込んだら、細切りニンジンを薄切りネギと生姜とともにぱらぱらっとまぶす」

「俺が切った野菜たちはいい仕事するはず」

「蒸し器で10分」

 ロバが受け取って蒸し器に入れる。

「その間にソースだ。鍋に油入れて加熱しておいてくれた?」

 気が利くネコがスタンバイしていた。

「よし。みじん切りしたネギ、生姜、ニンニクな。それから醤油と砂糖。ぐつぐつしだすまで火に通す」

「その指示忘れないようにする」

「これを蒸しあがったさわらにかけて完成だ」

 オオーッ、従業員たちの歓声が上がる。作る楽しみを感じているのが手に取るようにわかる。父さんがいた頃にはなかった師弟間の技術伝承の儀式ってやつ。

 


「やったー!出来上がりが楽しみね」

 と言ったあたしに、5人のシビアな視線が向けられる。手にしていたお箸をサッと後ろに隠す。

「な、何よ」

「社長さん、今日は会計士さんが来てるんじゃなかったけ?」

「お、おう」

 3月は確定申告のシーズン。うちにも会計士が来て朝から作業に没頭している。

「そろそろ終わる時間だよ?」

「料理の方は俺たちでしっかりやるんで、社長は経営の方をよろしくお願いしますにゃ」

 蒸し器から湯気が。いいにおいだなあ。

「わ、わかった。ちょっと自宅うら行ってくるから、そのあっさり蒸し、とっといてよね!」



……

……

……

 会計士さんは時間ぴったりに仕事を終えてデータを持って帰った。よほどの手落ちがなければ、いつもどおり申告書類を作ってくれるはず。

 はー、ひとつ片付いた。

 来年の今頃に向けて、また伝票整理がはじまるよ。

「!」

 来年って普通に行けば就職活動シューカツ開始時期じゃない。

 あたし、どうするんだろう。この数か月は蓬莱軒のことばかりで進路のことあまり考えてなかったよ。

 下町中華屋オーナー続ける?

 元々店を継ぐ気はなかったんだから、予定通り就職?


 額を机にペタッとくっつけた。

 お店はシーフーに任せて就職するというルートもある。しかし、蓬莱軒と彼の間には契約関係は何もない。彼がいつまでここにいるか確認もしていない。

 たしか

 『俺は長いこといろんなところをふらついてきた。いつかまたふらつきたくなるまで鍋をふるうよ』

 と言っていた。彼の放浪の虫が騒ぎだすのは明日かもしれないじゃないの。

 この生活が続くものだとばかり思っていたけど、そんな保証はどこにもない。


 ブレーメンのみんなにしてもそう。

 あの5人はなりゆきでここにいるに過ぎなくって。

 いつかいなくなってしまうかもしれなくって。

 あたし独りがここに残って。

 春の日差しが射しこむ部屋の中なのに、急に寒くなってくる。


 告白する。あたしはけっこう彼らに依存している。彼らとお店で過ごしているだけで幸せなのだ。


 あたしの進路、みんなの今後、いったいどうなっちゃうんだろう。

 

「ん……今うじうじ考えても仕方ないかと割り切るあたしであった。そうだ、さわらのあっさり蒸し、とっくにできてるよね。冷めないうちに味見味見。」

 今を楽しもう。自宅を出て店の裏口をくぐった。


「んでさー、教授に言ってやったわけよ。『私の胴回りについて詮索するのはセクハラでござるー』って。ウケるでしょ。ゲボハハハ」

 あ、あの笑い声は……。

 裏口からおそるおそる顔をのぞかせると、花園毬子と目があった。(第九話参照)

「あら、なんだか取り込み中って聞いたからこっちで待たせてもらってたんだけど、今私を中心に世界が回ってるステージだからまだ来なくていい感じよ」

 カウンターのスツールの鉄棒が折れるんじゃないかと心配になった。

 花園はそばで家臣のように控えているブレーメンに

「ちょっと!ビールビール。コップとかふざけんじゃないわよ。ジョッキ!」

 とオーナーよりも大きな態度で命じる。

「こらこらトサカ!ビールと泡は7:3の黄金比とか聞きかじったようなこと抜かすんじゃないわよ。毬子の黄金比は8:2なんだからな覚えとくよーに。ゲボハハハ」

 自分の居場所をとられたような気がして声がきつくなる。

「花園、何しに来たのよ」

 花園はジョッキを傾ける。つか今営業時間じゃないんだけど。

「あんたの大親友がこの下町くんだりまで来たから、寄ってあげたんじゃない。もっと素直に喜んでいいんだぞー。この意地っ張りゲボハハハ。ビールうめ、ゲプ」

「誰が大親友だって?」

「一度目が合えば大親友よ。あ、この料理人というかシェフとも目があったから大親友ねえ。ぼけくさってるけどわりかしいい感じじゃん。あんた。このナマズの中華蒸しとってもおいしかったわよ。白身魚がほろっほろで中華ソースと相性抜群だったわ。シェフと私みたい」

 勝手に言ってろ……ってああああ!

「ああっ!あっさり蒸しぃ……」

 あれほど並んでいたさわらの切り身の姿がどこにもない。行先は侵略者の胃の中……。それにナマズじゃねぇし。


 怒りの目線を花園毬子に飛ばすものの、肉厚の体アーマーにあっさり跳ね返された。つ、強い。

 「ねえ、私の夜の専属シェフになる気なぁい?んあ、これもセクハラかぁ?ゲボハハハ」

 

 さきほど感じた蓬莱軒のみんなとのつながりとか、将来への漠然とした不安とか、ゲボハハハの前で消し飛んだ。少なくとも今は。


「彼女の言うとおり。友達は大事にしなよ」

 うっさい。


(終わり)

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