第7話


「あたし、よく不思議ちゃんって言われるんだあ」



都会的な女の子が、空いていた病室にやって来て賑やかになった。



女の子が居ると、何故か華やかになったように思う。



若い女の子、に限って。



褐色の細い手首にはぐるぐると何重にも包帯が巻かれている。



金色の髪が反射して輝き、耳元、鼻、口には色とりどりのピアスがキラキラと光る。






真新しい顔に興味を持ったわたしは、遊びに来ていた。



彼女は気さくに話してくれた。



「そうなんだ」



わたしは言葉を額面通りに受け取る傾向にある。



不思議ちゃんとは、つまりこの子は不思議な子なのだろうという認識になった。



しかしながら、不思議ちゃんとは何か、と首を傾げる。



「多くのことはこびとさんの仕業なんだよ」


「こびと?」



看護師さんは、胸にカルテを抱きながら


何故かそわそわと心配げにこちらを遠巻きに眺めている。




「こびとがこの世に居るの。ちっさい人間。見たことないの?」



「こびとってちいさいひと?」



「そう。とーっても小さいの」



彼女の言葉はどこか意味深で、不思議に思ったことを掘り下げようと努力をした。



しかしながら返ってくるのはどことなく抽象的であった。



「しんちょうが?」



「すべてが」



「めにみえる?」



「見える人と見えない人がいるの」



「へえー」



「あなたはきっと見えるよ」



「なんで?」



「なんででも」

彼女同様にピアスがたくさん付いて、チェーンが下がっており


金属がぶつかりあって絶えずジャラジャラと鳴る


見舞いに来たであろう青年が口を挟んで来た。



薄着で、その皮膚には鮮やかな絵が描かれている。



タトゥーというそうだ。



「お前は確かに不思議ちゃんだよなあ」



ガムを噛みながら気怠げに話す。



すきっ歯で、黄ばんで変色した歯。



その間からくちゃくちゃと唾液が混じった音。





この二人の関係性を推測する。



共通点はどこかと探す。



一見して、派手なところ。



この二人の喋り方は特徴的で、どことなく語尾が伸びるようだ。




「小人なんざいるわけねえのによお」


「実際、不思議ちゃんって胡散臭くてどうよって思うけど。ぶりっ子とはまた違うわけだしー。それにしてもお前よく生きてるよな毎度。強運の持ち主じゃね」



鼻で笑って椅子に座ろうとしたときに、


わたしは彼女の表情がなくなって無表情になっていることに気付いた。



そこには断固とした拒絶があった。



がたんと座り損ねた青年は床に転げ落ちる。



彼女は一瞬何とも言えない表情を見せ、くるりと一転して愛くるしい笑顔になり


「ちょっとおーバカねー」


と甘い声で話しかける。



「椅子座り損ねることってたまにあるよなあ」



マジダセーと青年は照れ隠しに笑いながらもう一度、椅子を確認して座る。




わたしは椅子の脚元を見つめる。



そこに居たのは小人なんかじゃなく、もっと生々しいものだった。



それを口に出そうとした瞬間に、彼女がわたしの腕を長い爪が生える手で掴んだ。



その爪はとてもどぎつい原色で彩られていた。



そう、それはまるで椅子の脚を掴んでいた手のようだった。



彼女の手はここにちゃんとあるのに。



はっとして彼女に視線を映す。





彼女の眼の周りは化粧が濃く、色がついていてラメが光っていて


キラキラしていたけれど、その瞳の奥は沼のように深かった。



看護師さんが慌てて彼女の手からわたしの腕を開放する。



わたしは腕を擦る。



「おいおい、ガキの手から血出てんぞ。超ウケるんですけどー」



「あらあ、ごめんなさあい」



腕を見れば、彼女の爪の跡がくっきりと残っている。



それはまるで刻印のようになっている。


「お前血とか好きだもんなあ。マジえげつねえ」



ゲラゲラと何がおかしいのか笑う。



「うん、綺麗な血だったら大好き。綺麗だったら」



「あの子も包帯巻けばあたしとお揃いね」



そう言って彼女は一緒になって笑うこともなく真顔でわたしのことを見たから、


彼女のことが怖くなった。



彼女は自分に逆らうなと安易に言っている気がした。

それは並大抵の人間が持っている支配欲とは別個で、


わがままなんていう可愛いものとも別個で、


自分の生命が脅かされる種のものだとどことなく思った。




それでも友達のいないわたしは、暇を持て余したら彼女の病室にそっと顔を出した。



怖いもの見たさというのも少しあるかもしれない。



彼女から直接、


「ねえ、あたしの話し相手になってやろうかな?って思ってくれたのなら声かけてね」



「あたし、寂しがり屋なの」



と言われ、納得した。



寂しがり屋なのはわたしも一緒だ。





「こんなあたしとお友達になってくれるの?」


「うん」



彼女はとても嬉しそうに喜んだから、わたしも嬉しくなった。



彼女にはどことなく放っておけないところがあるが、


気分にとんでもなくむらがあって、とてもやさしい時とこわい時がある。



それが彼女の魅力なのかもしれない。



わたしはまだ、彼女の事をよく知らない。


ふとした話題の拍子にわたしの耳たぶを引っ張り針のようなもので穴を開けようとして来た。



それはほぼ突然と言って良いほどだった。



彼女のピアスを羨んだとかそういうことではもちろんなく。



「やだ!」



耳を守るように押さえるわたし。



塞いでも聞こえてくる人の声。






「なんで?ピアス付けよーよ。綺麗だよ」



「いたいのやだ!」



駄々を捏ねるわたしにイライラとしたのか、


今度は置いてあった果物ナイフで耳を切り落とそうとして来た。



「そんな耳いらない」



「わたしの耳だもん!」



だいぶ騒がしくなっていたのか看護師さんが止めに入って事なきを得た。



「あの子には気をつけなきゃダメよ。情緒不安定だから」



看護師さんは言いにくそうに表情を歪めながら、ひと言ひと言選ぶように発した。



「じょうちょって?」



「感情が不安定なの」



彼女の持って来たものを見れば、看護師さんの言っていることが少々理解出来た。


部位が欠損した人形やら、人が死んでしまうシーンばかりの映画に小説。



いじめとか逆襲とかそんな感じの暗いものばかり。



「こういうのすきなの?」



「好きよ。興奮しちゃう」



そんな彼女に対し正直わたしは、引いた。



「嫌いになる?」



真っ暗な彼女の瞳がわたしを捉える。



「ひとそれぞれだからいいんじゃない」



小人と呼ばれるものの手が、ベッドの下で蠢いているのを、わたしは見てしまった。




病院の階段を下りていれば、ふと後ろに気配を感じた。



手を伸ばせば届く距離で彼女が無表情でわたしを見ている。



その眼に光はない。



手で身体を押され、数段残っていた段からバランスを崩して踊り場に倒れ込む。



階段を転げ落ちる、と言うまでではないが、


何故押されたのかわからなくて彼女を見つめる。



彼女を見つめても彼女の泥沼のような眼しかそこには存在しない。


「人を傷つけるようなことを言う子、嫌い」



わたしは何も言っていないのに、彼女はそんなことを感情のない眼で呟く。



「よく考えてよく周りを見て」



「誰かを傷つけてるのよ」


わたしが彼女に押されて倒れ込んでいるのに、


まるで彼女が傷ついているかのように振る舞われて困惑してしまった。



しかし今の彼女に何を言ってもダメなんだというのが、第六感でわかった。



「あたし傷ついたのあの時」



「ねえ何であんな事したの?」



「誰かを傷つけるためだけに誰かを傷つけることは良くないんだよ」



そういって彼女は自分の腕にナイフを当てて、引いた。



驚いてしまって何も行動に移せなかった。



血がぽたぽたと滴る。



彼女は何度も何度もその行為を繰り返す。



浅そうなもの、深そうなもの、たくさんの傷が彼女の腕に出来上がる。



そして彼女は最後にナイフを自分の腕に突き刺した。




我に返って止めようとした頃には、血だらけになっていた。



「あなたはあなたをきずつけてる」



彼女の眼は虚ろで何も映していない。



「お揃いにしましょ」



そしてわたしの腕にもナイフを突き刺した。



痛いのが、彼女だったのかわたしだったのかわからなくなってしまった。



「あなたが死ねば良いの今すぐに」




彼女と行動を共にすれば、何故かわたしの身体には傷が増えていく。



彼女は、おそらくわたしを殺そうとしている。



何となくそんな気がした。



時々彼女の眼に垣間見える暗闇が、それを表していた。



それなのに、わたしは何故か彼女の傍を離れることができない。



「ここの病院食おいしくない」



「ねー」




「あの医者、無愛想」



「わるいひとじゃないんだよ」



彼女は口を開けば、不満ばかりを漏らした。



何がそんなに不満なのかはわたしにはわからないほどだった。



「あなたってすごいおしゃべりであたし嫌い」



「え、そうかなあ」





彼女のほうがあれは嫌い、これは嫌いというのを聞いていたわたしは再び困惑した。



わたしはただ、彼女の言った言葉に返答を返していただけで、


それもひと言ふた言だけで、彼女はわたしをおしゃべりと言う。



「ことばかずとしてはおおくないはずだよ」



「なんか言ってることが残るのテトリスみたいに」





「長い棒は救われるはずなのに、突き刺さるの胸に」



「なんだかごめんね」



謝るのもなんだか違うのだろうなあと思いながら、謝罪の言葉を口にする。



彼女は限りなく繊細なのだろう、わたしが思う以上に。



故に、生きづらい。



彼女と接していると、言葉を常に意識しなくてはいけなくて、


そうすればみんな面倒くさく感じて徐々に離れていく。




みんなに離れていかれるのを彼女はひどく嫌がって、


離れていこうとする人間と自分諸共傷つけだす。



わたしの中では究極の言葉を言っていないから良いだろうと言う驕りがある。



彼女がおそらく、一番傷つくであろう言葉は避けている。



多くの言葉に歪みを加えて、直接的な言葉を避けなくてはいけない。



そうすれば、するほどこの世界は歪んでいく。



わたしはそれが良いこととは到底思えないのだけれど、


彼女が望む世界は、そのような世界だった。



「みんな、あたしから離れていくの」



「うん」



「あなたも離れていくんでしょ」



「どうかな、わかんない」



「離れていかないって言って」



「嘘でも言って」



ちょっと前までは「嘘が嫌いだからあたしの前で嘘を言わないで」と言っていた。



彼女の言うことすべてを真に受けると、どうしようもない気持ちになってくる。



こういうのを女心と秋心というのだろうか。



あまりに理不尽すぎやしないか。



言いたくないなあと思って黙っていれば、



「約束してくれないなら死んで末代まで恨んでやる」



と、そんな物騒なことを言いだした。



「しにたかったらしねばいいよ」



それは、彼女がわたしから離れていくということだ。



彼女はきっとわたしから離れていくだろう。



身勝手な彼女はわたしに対して誠実な対応はしない。



守れない、守らない約束なんてすべきじゃない。



いつだって、自分本位だ。人間はそういうものだ。





「ほら、おいてった」



花壇の前でわたしは呟く。



花壇の植物は全体的に枯れかかっており、茶色じみている。



「いつもおいてけぼり」



呆然としたりイライラしたり、その感情の起伏に疲れてしまう。



花壇に近くにあった木の枝を折って花壇に突き刺す。



すると、土と土がモーセの海割りのように割れた。



そこは真っ暗な暗闇で、彼女の小人の手が這い出て来た。



ギョッとして慌てて土をかき集めて埋め直す。




「うそつき」



自分の中に生まれた彼女への憎悪感と嫌悪感が入り交じる。



看護師さんに呼ばれ、わたしはまだ這い出てきそうなその手を踏みにじって土と土の真っ暗な溝に落とした。



その溝はゆっくりゆっくり埋まっていく。



まるで彼女の未練かのようにそれはスローだった。



急激な変化を望まないあなたへの最高の餞(はなむけ)となったではないか。



ほら、こうして終わっていく。






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