第4話



鳥籠のなかに、鳥を飼う。


鳥の種類は、セキセイインコというらしい。


その鳥は、だれかに買ってもらった。




きっとこの鳥はわたしを裏切って逃げていく。


そんな確信だけが、自分のなかにいつもある。


「鳥籠の鳥ってかわいそうなんだよ」「だって自由じゃないでしょう」って、だれかが言っていたの思い出した。


はたして本当に、そうなのかな?かわいそうなのかな?



籠越しにわたしの指や爪を噛む。


それを眺めているわたしは、とてもおだやかな気持ちになる。


これを支えにしてしまえば、また世界は歪んでしまうんだろう。




”なくてはならないもの”なんていうものは存在しない。


いつもずっと、そう思うようにして来た。


所有できるものは、いつかかならず失われる。


”なくてはならないもの”は、けっして所有することのできないものを言うのかもしれない。


日々の楽しみをつくるのは、”所有する”ことではない。


たとえば、草、水、土、雨、日のひかり、ネコ、石、花、空の青さ、道のずっとずっと遠く、空気の澄みきった日の午後の静けさ、水の輝き、葉の繁り、樹影、夕方の雲、鳥、星の瞬き。


それらは、何ひとつとして自分のものではない。


特別なものはなくて、大切にしたいと思う、ただありふれた時間が流れるだけである。


すばらしいものは、だれのものでもない。











「セキセイインコは、人のことばを覚えるのよ」



看護師が教えてくれた。



そうか、それならば鳥がことばを覚えられるように、たくさんおはなしをしなくては。



よく考えれば、あまりながく会話をしたことがない。


自分の周りには、ことばを話すような人が存在しない。




「こんにちは」



「きょうはなんようび?」




いつかこの子がわたしに曜日を教えてくれますように。



あ、これじゃあこの子がわたしに曜日を尋ねてくるようになるんじゃないだろうか。


それでもいい。


そうしたら、わたしがちゃんとこの子に答えてあげられるように。



その頃には、わたしは大人になれているだろうか。



(鳥の平均寿命を調べよう)









昨日は夢をみた。



いなくなってしまった人間に会う夢だ。



動いているその人を見て、とても嬉しかった。



わたしの知っている場所、見てる場所はとても限られているから、夢のなかの舞台も、たいてい、似たり寄ったり。



くらい、くらい、せまい廊下。



そこにはなぜか井戸がある。




水の音ともに、薄明かりのした、ネコといっしょにいる。



みんなでたのしく踊ろうと約束した。



わたしは、その人も当然たのしいと思っていると思っていた。



そうして、その人の表情を見て、固まった。



なんて、表情をしているんだろう。




泣いているような



笑っているような



そんな曖昧な表情。




そこのさきにある感情は、なに?



夢のなかにまで具合の悪さが侵出してくる。



ああ、気持ちが悪い。



ようやく会えたはずのあの人の表情も浮かばれなくて、つらい。



そんな顔をしてほしいわけじゃない。






あまりの苛立ちに、窓ガラスを割った。



それは、ほんのすこし爽快だった。



素手で割った。



割った部分から手を引こうとすると、割れた破片が腕を傷つけた。



腕から血が滴り落ちる。



割るときではなく、割ったあとに怪我をするんだと気づいた。




医者たちからはとても怒られると思ったのに、怪我はないかとそればかりだった。



血が滴り落ちた床は、きれいに消毒され、消毒液のにおいが廊下に充満した。



夢のなかではあまり嗅覚が刺激されなかったから、やはりこれは現実なのだろう。






「どうして窓を割ったの?」



「のどが渇いたから」



その答えを聞いて、ひどく気の毒そうな顔をする看護師。



夢に井戸が、と言いかけて止めた。



夢のなかの人の表情とは別の意味で、この手の表情がわたしは嫌いだった。



窓ガラスの向こうには、例の少女が待っていた。



一部始終をずっと、見ていた。



わたしは視線を逸らさず、少女を眺めた。










看護師は、わたしがそちらのほうに気を取られているのに気付いて、そちらを振り返った。



看護師は、また表情を変えた。



くるくる変わる人の表情。




これは、驚愕の表情。



ああ、その表情のほうがずっと好きだ。





開けてはいけない箱というものがある。



パンドラの箱とか言われてる。



それは、病室に持ってきてもらった神話の本に書いてあった。



女性は、人類に災いをもたらすものらしい。



そのように作られたらしい。



(わたしは、とても前にだれかから女は必要ないみたいな話を聞いた気がする)



(あの人のあの考えは、正しかったのだろうか)




箱の中身は、たくさんの良くないもの。



それと、希望。




本を閉じて、考える。



もしかしたら、あの少女の眼はパンドラの箱によって、眼が潰れてしまったのじゃないだろうか。



あの少女は、ときどき病室を歩いている。



あの少女をそろそろ、樹のしたに埋めてあげなきゃいけない。



もう疲れただろうから。



けれど、あの少女が眠ってしまったら、わたしは本当のひとりぼっちになってしまう。



「……ひとりぼっちはいやだなあ」



セキセイインコが鳴いて、話した。



「コンニチハ!」



おもわず目を丸めて、そして微笑みかけた。








物事のすべて繋がっていく感覚に陥るときがある。



空気のうずが見えてくるような。



すべてのことが糸に繋がっているような。




たぐり寄せては、いけないよと頭のなかで警鐘が鳴る。




糸をたぐり寄せると、それといっしょに付いてきてはいけないものも付いてくるのだ。



あわい闇が広がる。



手を伸ばせば、闇が手を包み込む。



それは、すこし冷たい。



明るい広場では、子どもたちがとても無邪気だ。



わたしはそこには混ぜてもらえないから、みんなが帰っていなくなった後にひとり佇む。




ブリキで出来たおもちゃの馬車をもらった。



それを走らせる。



ブリキは肌で触ると、冷たい。



ブリキのキイキイ鳴る音で、骨が痛む。


歯も痛む。



さむい。帰らなきゃ。





どんどん具合が悪くなって、たぐり寄せる糸ではなく、なにかにものすごい力で引っ張られる感覚になる。




音もなく連れて行かれる。



もしかして、糸がわたしに結びついてるのではないだろうか。



その糸は、切っても良いものだろうか。






病気だ。



これは、病気なんだ。



吐き気がひどい。



もう、こんな状態にうんざりしている。



もう、助からないんじゃないかと悲観的になる。




恋しい。



なんだかわからないけれど、恋しい。



だれか、お願いだから、こんなときに傍にいてほしい。



お願いだから。





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