第3話



いくら精神を集中してみても、ものがはっきりと見えてこない。



人の顔がぼやけて歪んでいる。



(人がいたんだ)



どうやらビニールで囲まれた小空間にいるらしい。



そうすると、ここは酸素テントの中だと気付くまでにしばらくかかった。




カバンにタオルケットを詰め込んで、ふわふわの枕にする。



それを持って、病院内の庭へ行く。



いつもは人があふれていたりするが、今日はなぜか混んでいなかった。



(今日はm何曜日だろう?)





こんなにもよい天気で、太陽が出ているのに、みんな病室にいるなんてもったいない。



花壇の前に座り込んで考える。




たとえば、”だれもいなくなったら”。




それはそれは、さびしいことになるのだろう。



持ってきた錠剤の薬を歯で噛む。


錠剤は丸呑みしなきゃいけないと聞いていたが、錠剤は苦手だってあれほど言ったのに変わらないから仕方なくこうして飲むしかない。



粉末で苦いのは、もっといやだけれど。




そういえば、前もこんなふうにずっと花壇の前に座っていた気がする。




庭でいろいろな話をしてくれた人がいた。



だが、内容は記憶していない。



その人物がだれかということも、記憶していない。



花壇の土が濡れているのをたしかめ、看護師かだれかがこまめに水やりをしているのかもしれないと思った。



自分の眼からこぼれ落ちた水滴には見ないふりをした。




時計の秒針が音を立てて動いていく。



麻酔の切れかかる時間。



その音すら不快になる。




ああああああああああああああああああ




花は、好きだ。



花が、好きなのに。



花瓶にささる花を見て不快になった。




だれなの。




花の死骸をここに置いたのは。





花瓶を落として叩き割る。



けたたましい音を立てて花瓶が割れた。



破片が飛び散る。




花はそこに咲いているから、美しいのに。




だれ、ダレ、誰。




殺したのは、だれ?




「花を欲しがったのは、あなたじゃない」




いつか見た少女が、あらわれた。



少女の顔はめちゃくちゃだった。



顔の半分以上が潰れているようだ。












「かお、どうしたの?」



「あなたがやったんじゃない」



「わたし?」



泣きそうになった。



だって、すごく痛そうだ。



痛いを通り越している気がする。




「ごめんねごめんね」



ベッド脇の道具箱をあわてて探る。



手は震えている。


少女はなされるがままだった。



めちゃめちゃに折れた顔の骨を整復してワイヤで固定、ジグソーパズルのように細切れになった顔の皮膚を丹念に縫い合わせる。



わたしの眼からは涙が止まらなかった。




片方の眼はどうしようも出来ず、失明状態になってしまった。




(あれ、この子、眼球があったっけ?)






しぼんでしまった片方の眼球を、取り出してみる。



ちゃんとした、眼だ。





「なぜ、泣くの」



少女は問うた。



「わからない」



「じぶんのことなのに、わからないの」



「わからない」








「め」



「うん」



「いたい?」



「だいじょうぶ」



耳の奥でキリキリとなにかが回る音がする。



時計のネジのような。



そうだ、わたしは暇つぶしがてらに解体していた時計を放置していたままだった。



手を見れば、時計の油なのか、少女の血なのかわからない、黒くてべたべたした液体がついていた。



わたしの手は、ただ黒い。



黒い、黒い涙が流れ落ちた。





地下鉄のベンチに座る。



歩いてちょっとだけ疲れた。



地下に存在する椅子。



だれかと、隣り合わせになる椅子。



背中合わせにもなる。




赤の他人との距離感。




地下とは、とくべつな空間だ。



どこか、暗くてひんやりしてる。



地面のした。



地面のしたに、いま、いるんだ。






腕をこする。



どことなく寒いから?



何気なくおこなう自分の行動すら、他人じみている。



擦って痛みを感じるのは、もう最近は針が上手く刺さらないからだ。



針からあふれ出す血の色が鮮明だった。




地下には浮浪者がいる。




浮浪者って、どこかで見たような顔をしている人が多い。




(そういえば、こんな人映画に出てた)



(そう、今のこれも映画のワンシーンみたい)







ようやく手に入れたものを失くすような。



落ちていくだれかを眺めるような。



みんなと同じものが、ただ欲しかっただけなのに。



ナーバスにはならないように、と自戒を込めて、口にも出して呟く。




気は病から、気は病から、気は病から。





病は気から?



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