第3話 バルチャー

 チキンラボを後にしたH232は衣装を市民のそれへと光学迷彩で変更し、街の散策を開始した。

 街の風景はH232のメモリー内に存在するどの街の景色よりも劣悪なものだった。外観を考えず強引に生活スペースを構築し、まともな手入れも施されていない。

 共和国の首都メトロポリスなどは、街全体が一つの芸術品と言っても過言ではない作りだった。外部コロニーからの観光客は遠目から街を見つめるだけで感嘆の息を漏らしたものだ。

 しかし今は嘆息しか出ない。粗悪なバラック小屋や構造上の欠陥のある住宅などが点在し、街の中心にある傾いたタワーに金や銀などとりあえず派手な装飾を強引に施しただけの子どものラクガキのようなデザインシティ。建築デザインに疎いH232でもこの場所が観光名所にならないことだけはわかる。


「これが崩壊後の世界、ですか……」


 これでも、メカコッコ=ドヴェルグ博士曰く随分マシらしい。世界規模での大規模人災の後ではこれも致し方ないとは思えるが、それでもH232の感情アルゴリズムは喜怒哀楽から哀を選択してしまう。

 哀愁漂うアイカメラを周囲に向けながらシュノンを捜索していると、生体スキャンの反応があった。ボロキレに身を包む子どもが反対側からよろよろと歩いて来ている。


「子ども?」

「助けて、お姉ちゃん……」


 助けを求める市民。それも子ども。H232は全身を軟化させた後、屈んで子どもに背丈を合わせる。市民対応マニュアル子ども編事項31-2の通り、完璧な行動だった。


「どうしましたか、市民」

「僕のお家を、悪い奴らが襲ってるんだ。お願い、助けて……!」

「向かいましょう。案内してください」


 二つ返事で了承し、先導する子どもの後を追う。ジャンク品を売っている露店の店主や生肉を裁く肉屋の視線を感じるが、H232は気にしない。どうにもこの街ではH232は目立つようで、チキンラボを後にしてからというもの、ひっきりなしに視線を感じる。

 しかし見た目が人と変わらないH232は悪目立ちしないように、市民衣装シビリアンコーディネートで一般人に偽装しているので、アンドロイドであるとは察知されていないはずだ。

 疑問に思いながらも子どもに付いて行き、建物の中へと案内された。暗視モードへと視覚センサーが移行。人間ならば目が慣れるまで時間が掛かるだろうが、アンドロイドであるH232に問題はない。一瞬で順応できる。


「どこです?」

「すぐそこ、すぐそこ。もうちょっと前……」


 子どもが小さく笑みを作りながら手招きしている。H232は言われた通り一歩前へ足を踏み出し、


「ヒャッホウ! 飛んで火に入る夏のムジィ!?」

「お嬢さん、ここがお前のバカバッ!?」

「やはり、嘘だったのですね……」


 背後から奇襲してきた暴徒を一瞬で制圧する。しかし男の子は怖じず小さなピストルを構えて行動を制した。


「今更気付いてももう遅いよーだ。はいはい、動かないでー。動かないと僕の銃が火を吹く――あ、あれ?」

「無駄な抵抗はやめるのです、市民」


 H232は平然と歩み寄り、ピストルの銃身を掴んだ。そして捻って発射不能とする。ちぇ、と舌打ちした男の子は、罪悪感を微塵も感じさせずにピストルを投げ捨てた。


「なんだよ、せっかくいいカモだと思ったのに」

「無闇に人を傷付けてはいけません。ご両親はどこですか」

「いないよ、そんなもん。怪力お姉ちゃんはいるの?」


 男の子の反応にショックを受けながらも、H232は受け答えをする。


「私も、いません」

「なら同じじゃん。いっしょに組む? お姉ちゃんみたいな強くて綺麗な人なら大歓迎だし!」

「私は市民の安全を守るのが……使命……う」

「お姉ちゃん?」


 H232が頭を押さえたので、男の子が首を傾げる。すぐに何でもありませんと呟いたが、本心ではそう思っていない。人を守る。その概念言語を言語中枢が思考ルーチンに送信した時に、ノイズが生じたのだ。


「……このような方法での略奪は推奨できません。私はあなたに危害を加えるつもりはありませんが、もし凶暴な暴徒であれば、あなたは既に殺されているでしょう」


 治安が失われた世界で法律を説くのもおかしな話なので、現世にできる限りフォーマットを合わせた忠告を男の子に行う。男の子はんー、と不思議そうな顔をして、


「え? そん時はそん時じゃん?」


 とドライな反応で返しH232を驚かせる。


「死んでも構わないのですか?」


 アイカメラを拡大するH232の問いかけに男の子は首肯する。達観した瞳だった。


「そういうもんでしょ、人生って。殺すか、殺されるか。メシを喰えるか、喰えないか。死ぬ奴は死ぬし、死なない奴だって、最後は病気や寿命で死ぬ。別にお姉ちゃんに殺されても平気だよ。いろいろ考えなくて済むし。仕方ないって諦められるからなぁ」

「仕方なくなどありません!」


 喜怒哀楽の怒を実行。H232の一喝に、男の子は目を丸くした。が、直後、予想外にも嬉しそうにはしゃいだ。


「え、今怒ってくれたの? 僕に!? すげぇ! これって、キヅカイって奴でしょ!? うわー、友達に自慢できるよ! お姉ちゃん、僕のことシンパイしてくれたんだよね!?」

「そうです、心配しました」


 感情アルゴリズムの出力が不安定になる。シュノンと同じように、怒られることを男の子は喜んでいる。今の世界では、他人に気遣われることすら珍しいのだ。シュノンに対する自分の応対は、少し大人げなかったかもしれないと自省する。

 H232ははしゃぐ少年へ意識を戻し、優しく語りかけた。


「メカコッコを知っていますか」

「知ってる、喋るニワトリでしょ?」

「なら話は早い。彼に助言を受けてください。彼なら環境に合ったアドバイスをしてくれるでしょう。私なんかよりもずっと、事情通です」


 自虐的に呟くとへー、と感心するように近づいて、突然跳ねる。男の子は何の前触れもなくH232の胸をタッチした。思わず、きゃ、と人間の女性らしい悲鳴が漏れ出る。


「何を、いきなり……!?」


 胸を両手で隠すH232に、男の子は後ろ歩きで下がりながら笑う。


「いーじゃん、減るもんでもないし。そのおっぱいに免じて、お姉ちゃんの言うこと聞くよ。失敗しちゃったしねえ。じゃ、会えればまたね。おっぱいが大きい、怪力お姉ちゃん!」

「全く……不快な市民です」


 H232は苦言を放ちながらも、フェイスモーションは笑みのそれだった。確実に救えたとは限らないが、現状よりも状況は改善されるはずだ。そのことに強く幸福を感じる。


(シュノンはこんな世界で生きてきた。謝らなければいけません)


 いつどこで暴徒に襲われるかわからない不透明な世界の中で、シュノンは逞しく生きてきた。礼儀作法を喪失していても何ら不思議ではない。むしろシュノンは世界基準で言えばかなり学の高い方であろう。恐らく、メカコッコの影響だ。

 常識知らずはむしろ自分の方だ、と悔い改めてH232は薄暗い建物の外へ出る。

 そして、盛大に響くクレームを聴覚センサーが捉えた。人物データベースに該当データが存在する声紋だ。


「アバロッ! あんたのマシンガンがゴミッカスで、ジャムって粗大ゴミになったって言ってんの! どうしてくれるの!? 不良品を売りつけたくそジャンク屋め! あんたの頭がジャンクだわ! 今すぐレストアが必要ね! メカコッコを呼びましょうか!?」


 シュノンが怒鳴っている。H232はシュノンが騒ぐジャンクショップへと歩み寄った。彼女は怒るのに夢中でH232に気付く様子がない。フードを被る商人はうんざりしたようにクレーム処理を行っている。


「待てよ、そういうリスクも含めての安売りだろ? お前はきちんと話を聞かず安さに飛びついてあの鉄クズを買ってったんだ。不整形の弾薬といっしょになぁ」

「説明しなかったあんたが悪い!」

「俺に言わせりゃ説明を聞かなかったお前が悪い。……いらっしゃい。こいつはただのいちゃもん野郎だ、よそ者さん」

「いちゃもんかどうかは状況によりますよ、市民」


 シュノンは隣に立ったH232に少し驚き、略称を呼んだ。


「エッチ……もう終わったの?」

「その呼び名は様々な誤解を招き、私の不快指数を増加させるのでやめてください」


 シュノン側の事情を鑑みると性的単語に疎いのもしょうがないが、やはり言われて気持ちのいい名称ではない。

 H232が拒否の意向を伝えると、シュノンは不満げに眉を顰める。


「でも、他にいい呼び方なんてないし。エッチでいいじゃん」

「よくないです。このエイチはエッチのエイチではなく……っ!?」


 またノイズが奔った。H232はよろめいて、シュノンが気遣う。


「大丈夫? どしたの? くそジャンクに頭でもやられた?」

「いえ……別に」

「くそジャンクとは言ってくれる」


 商人は苛立ちを隠さずシュノンを睨む。シュノンも負けじと睨み返し、H232は仲裁に乗り出した。


「待ってください。お二人の事情をお聞かせ願いますか」

「事情も何もこいつが不良品を売りつけただけ」「こいつが一方的に文句を言ってるだけだ」


 同時に正反対のことを言い、二人は睨み合う。H232はジャンク品を眺めながら、トライアルカウンセリングを開始する。


「まず、シュノンから話してください。この店であの破損した機関銃を購入したんですよね?」

「そーよ! 中濃縮エナジー缶二本でいいって言うから飛びついたの。だって、破格の値段でしょ? 相場なら、高濃縮エナジー三本分の代物よ? でも、実際蓋を開けて見たら、数発撃っただけで壊れるくそジャンクだったって話」


 憤慨しながら説明するシュノンに、店主が噛み付こうと口を開く。そこへH232は催促した。


「今度はあなたがどうぞ。シュノンは口を挟まないでください」

「……俺は元々あれが不良品だってのは知ってたさ。だが、こいつが車に載せる武器を探してたから、丁度いいと思って売りつけたんだ。今このくそ女が説明した通りにな。だが、こいつは俺の話を最後まで聞かずにそそくさと行っちまった。それだけだ」


 店主が言い分を言い終えると、再びシュノンと口論を始める。

 H232はその間に思考ルーチンをフル回転させ、どちらにどの程度の否があるか審議を進めた。審議が終わり、トライアルの終了を宣言する。


「トライアルカウンセリングが終了しました」

「トライアル? なにそれ」

「意味不明な女だ。お前のつれか?」


 二人は困惑気味にH232を見つめる。彼女は共和国時代の法律と現状の世界を踏まえた上での判決を下した。


「双方どちらにも非があると考えます。なので、あなたはマシンガンの修理もしくは代品を用意するべきです。通常よりも半額で。シュノンにも問題はあったのでそれが無難でしょう」

「私に非!? どこが!?」「俺に非などない」


 反発する二人に、H232は懇切丁寧な説明をする。至極単純な問題だった。シュノンは話を最後まで聞き、商人は大事なことを先に言うべきだったのだ。そんな些細な問題でも、自分が正しいと妄信するとヒートアップして物事が視えなくなることはよくある。


「シュノンは最後まで話を聞き、あなたは最初に欠陥部分を話すべきでした。今回の問題点はそれだけです。コミュニケーション不足ですね」

「こみに……こみにゅ……こみゅに……? 何それ?」

「よく相手の話を聞いて、自分の意見を伝えることです」


 簡単なことだが、同時にとても難しいこと。

 共和国建設にあたり、人々は共通言語を考案、世界中に拡散させた。多種多様の言語が世界には存在していたが、それとは別に人々が同じ言葉を話せるようになったのだ。言葉が共通のものとなり、人々の共感性はより高まった。人間は多様性を獲得し、自己と他者の違いを許容できるようになり、人口増加に備えた外宇宙探査計画プロジェクトノアも滞りなく進行し、治安維持軍も半ば形だけの組織として形骸化していた。

 そこへ突如として現れた男が、共通言語を話せるようになった文明を滅びした。バベルの塔の建設に憤った神々のように。


「……プロメテウスでは、勝てなかった……」

「ちょっと? また壊れてない?」


 不安の眼差しをシュノンは覗かせる。大丈夫です、とH232は返答。


「でも泣いてた時は全然大丈夫じゃなかったけど」

「あの時は泣いてなどいません。……話はまとまりましたか?」


 H232が過去に想いを馳せている間に、買い手と売り手は交渉を済ませていた。シュノンも商人も自らの非を認め、H232が提示した条件を呑むことを約束してくれた。

 また幸福を感じる。シュノンは商人と手を握り、嬉しそうに歯をみせた。


「びっくり! ここまで上手くいくなんて。普通なら、ドンパチするとこなのに」

「武力が必要な案件だとは思いません。彼がテクニカル用のマシンガンを用意していたため見知った顔だと推測し、話し合いで平和的解決が可能だと判断しました」

「シュノンはお得意様だ。下手に騒ぎを起こすつもりもねえ。まぁ、あのままじゃやり合ってたとは思うが……助かった」


 商人にも感謝される。発言こそ物騒だが、嬉しく思う。幸福指数が跳ね上がる。


「じゃあ早速直してもらいましょ? 無理ならいい武器を買うわ」

「構わんが、今は無理だな」

「はっ? 何で? 今の流れで拒絶すんの?」


 シュノンが当惑する。が、商人はシュノンではなく彼女の後ろへ視線を注いでいた。


「バルチャーだ。お前、ちゃんと今月分のパーツを納めたか?」

「あ!」

「奴らに関わるとロクなことがねえ。悪いが俺はずらからせてもらう」


 商人はあっという間に身支度を整えると、逃げてしまった。やばい、とシュノンは焦って逃げ道を探そうとする。


「エッチも、どうにかして隠れて!」

「エッチではありません……! なぜ隠れる必要があるのです」


 シュノンはH232を店の影へ押しやる。


「あの腐れ野郎共は面倒くさいから――」

「よぉ、シュノン。いい天気だな、今日は」


 シュノンがびくりと肩を震わせる。様々な銃器を持った数名の男が、一人の男を中心に陣形を保っていた。

 シュノンはぎこちない笑顔を浮かべて、男へと振り返る。一目でわかる愛想笑いだ。


「こんにちは、バルチャーファミリーのみなさん。ごきげんよう」

「今日みたいな日にはゴミ拾いも捗るだろう。どうだ? 収穫は?」

「残念だけど、ゴミ拾いは天気に左右されないの。だから、もうちょっと……」


 陽気に話しかけたボディアーマーを羽織る男の顔が陰る。


「この前ももうちょっと、って言ったよな。……それでまんまと逃げられた。何度逃げる? シュノン。別に支払い方法はパーツだけじゃねえ。身体でも文句はねえんだよ、俺らは」

「あは、あははは……パーツを近くに置いてるから、取りに行っても?」


 引きつった笑みを浮かべながら両手を上げて、男に訊ねる。しかし、男は首を横に振った。


「それで前回は逃げて、半年は帰ってこなかった」

「……待ってください。シュノンはこの街に住んでいるというわけではありません。ゆえに、納品義務は発生しないものと――」

「わーっ、ちょ、出てこないで! 隠れててよ!」

「そのよそ者、お前の知り合いか?」


 男が興味を示したので、H232は自己紹介しようとした。だが、シュノンは彼女の言葉を遮って捲し立てる。


「こんなよくわからんポンコツ女なんて私の知り合いじゃないない! 頭イカレのボロボロジャンクよ! 道端に落ちてるクソ以下で、気色悪いナメクジ人間!!」

「失礼な! 私はH232! 多目的支援型のアンドロイドでむぐ」


 駆け寄ったシュノンが慌ててH232の口元を塞ぎ、発声できないようにする。だが、時すでに遅し。バルチャーファミリーの兵隊たちは目配せして、こそこそと囁き合っている。


「ああ、チクショウ……まっずい」

「何がまずい、ですか。あなたが私についてどう思ってたかよくわかりました」

「嘘に決まってんじゃん……ばれたら面倒なのに」


 シュノンはため息を吐く。なぜ彼女ががっくりしているのかわからない。自分の正体を隠す必要がどこにある。H232の多次元共感機能は再びシュノンとの認識のズレを指摘した。


「お前、ドロイドなのか?」


 男が疑心の眼差しで訊く。隠す理由もないので、H232は素直に答えた。


「はい。アンドロイドです」


 すると、男が急にシュノンを褒める。


「そうかそうか。シュノン、上物を見つけたじゃないか。人と見た目の変わらないドロイド。メカコッコの言ってた通り、本当にそんな奴が存在するんだな。持ち帰ればボスも大喜びだ。よくやった」

「……どういうことです?」


 H232はシュノンに問うが、彼女は頭を抱えてずっと考え込んでいる。代わりにバルチャーファミリーの兵隊が回答した。


「シュノンの借金を返済するため、お前を連れていくと言ってるんだ」

「なぜです? 私はシュノンの所有物では……」

「何を言ってる? ドロイドが人間に楯突くのか? お前はシュノンが見つけたドロイド。シュノンのドロイドがお前で、つまりボスのドロイドがお前だってことだ」


 意味不明なことを兵隊は口走った。言語解析機能が故障していない事実を訝り、小声でシュノンに話しかける。


「……彼は言語能力に問題があるのですか?」

「いいえ、至って正常。どうしようもない底抜けのバカ。……ちょっと待ってて」


 シュノンは小声でH232へ囁くと、再び交渉の席に立つ。


「彼女は違うの。偶然知り合っただけで拾い物じゃない。私の物じゃないのよ。彼女には自意識があるの。心がある人造人間なのよ」

「シュノン……」


 意外に感じて、H232はシュノンの背中を見つめる。出会った時にマスターだと自分に宣言した少女は、自分を庇うべく弁護をしてくれている。やはり、自分の認識は誤っていた。この事態が収拾されたら謝るべきだ。

 そう思った矢先だった。男はシュノンに近づくと、胸倉を掴んだ。


「きゃっ……!?」

「正直に言うぞ。俺はどうでもいい。別にそのドロイドがお前のもんじゃないってんなら、捕獲して無理やりにでも持って帰るだけだ。そこにお前が加わるか、そうでないかっていう話をしてる。もしくは、代わりにこれを持ってってもいい。値打ちもんだろ?」

「……っ、それはダメ!」


 シュノンの胸元からペンダント――ドロイドのAIチップのようなもの――が露出し、シュノンの態度が豹変した。怯える彼女に男はにんまりと笑い、彼女を地面に投げ捨てる。


「シュノン! 市民! 暴行を働くと言うのなら!」

「どうするってんだ? ドロイド。……壊さないで捕まえろ」


 男が部下に指示を出し、兵隊たちが手に持つライフルではなく、レッグホルスターからスタンガンを抜き出す。ドロイド捕獲用の非殺傷拳銃スタンガンの出力はたかが知れている。十分なシールドを施されたH232なら問題ない……はずだった。


「ぐ……ッ!? しま、シールドが……」

 

 兵隊と交戦しようとしたH232は、スタンショックを受けて動けなくなる。雷撃が身体中を駆け巡り、人工筋肉やパワーモーターをショートさせた。メカコッコによるレストアは、H232の本来持つスペックを大幅に引き下げた。そのため、通常なら防護シールドで無効化されるはずのスタンショックもまともに受けてしまう。


「う……ッ」

「口ほどにもない、連れていけ。運が良かったな、シュノン」

「シュ、ノン……」


 地面に倒れたH232は蹲るシュノンに視線を向ける。

 シュノンは眼を伏せて、申し訳なさそうに一言謝った。


「ごめん」

「……っ」


 機能回復のためスリープモードへ移る僅かな時間、H232はシュノンの哀しみに染まる顔を目に焼き付けていた。




 再起動した時にいた場所は、檻の中だった。

 黙したまま、周囲の環境をスキャンする。檻自体の強度は大したものではないが、腕に施された拘束具が問題だ。一定以上の出力に抑制する出力維持装置が装着され、パワーコントロールされている。自力では牢屋を脱することができない。


「仕方、ありません」


 言い聞かせるように呟く。感情アルゴリズムの波形が嵐に巻き込まれたかのように揺らいでいる。人間と相違ない心を持つアンドロイドの長所であり短所だ。人と同じ動作をする心は他者に共鳴し精神を安らがせるが、強烈な不安に襲われた時は、人と同じように不安定になってしまう。

 何が怖いのか、何が怖ろしいのか。H232は思考を回す。

 シュノンは助かった。それは喜ばしいこと。


「平気です。大丈夫です」


 この程度で動じるような精神状態ではないとサイコメトリックスで診断されている。


「何も怖くない。怖いと感じる理由がない」


 では、何を恐れている?

 H232の思考ルーチンでは答えを導き出せない。データベースにもマニュアルにも該当項目は見当たらない。だが、この心理光の揺らぎは、自身の知り得る知らない知識によってもたらされるものだ。

 つまり、破損したメモリーが、何かを忌避している。その何かは現状を踏まえれば簡単に説明がつく。


「私は、死を恐れている?」


 それは利己的な意味における恐怖か。はたまた利他的な意味によるものか。

 自分のためか、他人のためか。他人のためであるというのなら、それは一体誰のためか。


「私のため……ではない」


 最終的に行きつく先は自分のためとはなる。だが、過程は違う。

 では、誰のため? 人工知能が唸る。


「シュノン……? メカコッコ……?」


 肯定的反応。しかし、それが全てではない。となれば、該当する人物はただひとりだけ。


「マスター……?」


 ノイズ。雑音。

 H232は頭を振って、顔を俯かせる。


「目覚めたか」


 そこへ掛かる声。アイカメラを上へ向け、声の主へピントを合わせる。

 奇妙な格好をした男が立っていた。博物館に飾ってあってもおかしくない中世の騎士を彷彿とさせる白銀の甲冑シルバーアーマー。バケツヘルムで顔面が覆われ、男の表情は窺えない。その奇怪な容姿の中でも、一番目につくのはバックパックだろう。ジェット推進機構が背部に装備されている。飛行用のジェットパックを騎士は装着していた。


「あなたは、一体……?」

「俺の名などどうでもいい。お前、俺の物になる気はないか?」

「……な」


 突飛すぎる提案。タイマーが正常作動しているのなら、本日二度目の勧誘である。

 言語中枢と発声機能を行き来するプロトコルがフリーズしている間にも、男は一方的な会話を続けた。


「人間と遜色ない容姿のドロイドは珍しい。どうやら心の機能も俺たちと変わりないようだ。俺の提案で、お前は戸惑っている。ますます気に入った。お前を得るためなら、雇い主を裏切る価値がある。どうだ? どうせ奴らの性欲発散程度にしか、お前は使用されない。このまま哀れな女共と同様に、奴らに甚振いたぶられるか、俺と共にここから脱獄するか、考えるまでもないと思うが。お前が人の心を持つならば」


 男は銃剣付きレーザーライフルを両手に持ちながら告げる。H232は逡巡した。

 選択肢はたった二つだ。この男と逃げるか、バルチャーに所有物として不当な扱いを受けるか。

 普通に考えるならば前者が妥当だ。量子演算の結果を踏まえても、迷いが発生する余地はない。悩むのは感情を搭載しているからであろう。

 逡巡の原因は男の言動だった。男は自分の所有物になれとH232に提案している。

 言葉のあや、語弊や誤解である可能性も十分にある。だがそうでない可能性も残っている。ゼロではない。

 量子コンピューターを搭載しているアンドロイドが、こんなことを思うのはおかしな話だが、自分を作った創造主は、そういう人間らしい矛盾的思考を望んで自分に感情を与えたはずだ。

 ゆえに、H232は躊躇わない。答えはノーだった。


「拒否します。あなたも私を物、と定義している。私は人でもなく物でもない。アンドロイドです」

「……なるほど。なら、奴らの慰み者として果てるがいい」


 騎士は失望し、牢の前から立ち去った。彼の姿を見送った後、H232の感情アルゴリズムは複雑な動きをみせる。人間に言い表せば、後悔の念を抱いていた。


(なんてことです……! みすみすチャンスを逃すとは! あの男の言う通り、物という扱いを我慢してでも誘いに乗るべきでした! そうすれば、迫り来る危機は打開できた!)


 騎士の言葉が真実なら、アンドロイドから低俗なセクサロイドにクラスチェンジさせられることになる。性欲発散用ドロイドはその用途に合わせて最低限の思考回路と感情表現機構を積載されているに過ぎない。自分のような完全オーダーメイドの多目的支援型アンドロイドが行う仕事ではないのである。

 そんなことをするのは一部の酔狂な金持ちか、異常性癖の一種であるアンドロイドコンプレックスを持つ性犯罪者ぐらいだ。

 不安と後悔でフェイスカラーは青く染まり、頭部パーツの一部がショート。他者に異常を知らせる排煙器官から煙を噴き出していると、何者かの足音が聞こえてきた。

 コツン、コツン、音はゆっくりと近づいて、H232の不快指数を爆増させる。


「い、言っておきますが! 私は多目的支援型アンドロイドです! 私に性欲解消機能は備わってません! 多目的というのは戦闘行為や生活においてという意味で、あ、生活とは言っても、食事や睡眠――ああ、睡眠は快適な睡眠をサポートするべく――い、いや私における快適な睡眠の定義というものは――」


 必死に説明するH232の前に現れたその少女は、不思議そうに首を傾げた。


「……何言ってんの? エッチ」

「だから、私のエイチはエッチのエイチではなく――シュ、シュノン!?」


 言い訳に夢中なH232は、接近者がシュノンであることにようやく気付く。

 大声で名前を呼んでしまい、シュノンがしーっ、と人差し指を立てた。


「静かにしてよ。スニーキングミッションだぞ、ボス」

「……隠密任務?」

「言ったでしょ? 私の物は私の物……」

「シュノン……」


 喜怒哀楽の嬉と哀が混じる。シュノンは自分の失言に気付いて訂正した。


「あ、間違った。私の、友達? は私の友達。奪われてたまるもんですか」

「シュノン……!」


 H232が感激すると、シュノンはよくわからない例えを口走る。


「まるで腹を空かせた野生のペンギンのようだね。急いで。ハゲどもが来る前に……」

「ハゲ、ですか?」


 牢屋の鍵をピッキングするシュノンにH232は問う。カチャリ、と鍵が開く。


「そ、ハゲ。バルチャーってハゲタカでしょ? おハゲなクソ親父の巣窟からはそそくさととんずらーっ!」


 H232の拘束具が外れ、床に落ちる。H232はシュノンの助けを借りて、地下牢から脱走を果たした。

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