第4話 逃走

「ほら、早く早く! ばれないうちに!」


 シュノンは先導してH232を道案内している。彼女の脳内にこの施設の地図がインプットされているようで、彼女は的確にルートを算出し敵をやり過ごしていた。H232に搭載されるナビゲートシステムよりも優秀に思えるのは、感情アルゴリズムが嬉しさのあまり波形を乱しているせいだけではないはずだ。


(シュノンは崩壊世界でサバイバル生活をしてきたのですから、この手際の良さも妥当というものです)


 主観を量子ニューロンで伝達していると、シュノンが急かしてくる。


「だからほらって! にやにやしてないで!」

「にやにやなどしていません……!」


 小声で言い返しながら、無茶苦茶に入り組んだ通路を二人で進む。無駄に目立っていたタワーの中にいるのだろう。建築学を無視した増築を繰り返したせいで、めちゃくちゃな構造になっているのだ。

 光学迷彩を使えば楽なのだが、その案はシュノンに却下された。なぜですか、とH232が問うと彼女はこう説明。――完全なステルスはエナジー消費量が多いから禁止。


「この局面で出し惜しみするのですか?」

「それが世渡りの秘訣。強力な武器はヤバい奴にしか使わない。節約節約」


 シュノンがわざわざ古式銃を使っていた理由がようやくわかった。実弾兵器アンティークを使えば、希少なドラウプニルエナジーを消費しなくて済む。


「なら、私も極力節約をして戦いましょう」


 シュノンの処世術を受け入れて、H232は近接戦闘での攻撃を選択する。

 前方の見張りはH232が脱獄するとは思いもしないのか、椅子に座り端末でアーカイブを閲覧して笑っている。こちらに背中を向け、全く気付く様子がなかったので接近してその首を絞め落とした。

 ナイス、とシュノンが親指を立てる。ライフルを奪うか悩んでいると、シュノンが隣に駆け寄ってさっと盗んだ。


「どうせこれも誰かから徴収した奴だし」

「そう言えば、クァホーグループからも武器を回収してましたね」


 H232が保存された映像記録を回帰しながら言う。シュノンは当然、と小声で肯定した。


「武器は売れるからね。対人用、対獣用。ここいらじゃ出くわすことはないけど、場所によってはクリーチャーもいるし」

「クリーチャー……もしや」

「しっ。隠れて」


 シュノンの警句を聞き、巨大なゴミ箱の陰に隠れる。ゴミを所持した敵は鼻歌混じりに近づいて油断しきった姿を披露する。

 その男を気絶させ、ゴミ箱の中に捨てることは至極簡単だった。


「ひゅう、ダストシュート!」

「少し可哀想な気がしますが……」

「自己責任って奴よ」


 シュノンは平然と言い放つ。今の世界には自由がある。果てしない自由。何をやっても赦される。取り締まるための法が存在しないからだ。法的執行機関もまた然り。秩序は崩壊し、混沌が世界を支配する。

 だが、自由は安楽とは無縁の存在だ。実力のある者だけが鳴りを利かせ、尊大に振る舞うことができる。この街を仕切るバルチャーファミリーのように。しかし、彼らも安全ではない。似たようなことを画策する輩にいつ襲われるかわからない。自由を行使するということは、自由を行使されるということでもある。

 弱肉強食。完全なる実力主義。法的社会であれば一定の責任を果たせば守られるが、崩壊世界では一切の守護を得られない。


「昔はどうだったか知らないけど、今の世界ってのはこういうこと。そろそろわかってきたんじゃない? おばあさん」

「……その呼称は気に入りません。私の年齢設定は十七歳です」

「私より千年と一歳も年増なの?」

「年増という呼び方は何とかなりませんか」


 と応じながらもH232のフェイスモーションは笑みだ。シュノンも笑っている。

 この関係性はH232のデータベースの中の、人物相関図に載っている。友達だ。シュノンは不快な市民から、友達へとグレードアップを果たした。

 ――今こそ、謝罪するべき時。そう対人コミュニケーション機構が判断したため、H232は今までの無礼を詫びた。


「すみませんでした、シュノン」

「……突然なにさ。どっか壊れた?」

「今までの対応です。事情を鑑みず、無礼な発言の数々を……」


 H232は生真面目に謝罪文句を口にするが、シュノンはあっけらかんと手を振った。


「あーいいよいいよ。私だって同じだしさ。あなたが普通とは違うってわかってなかった。ただのドロイドじゃない、アンドロイドってことをさ。これでチャラだよ。あ、でも、感謝してくれてもいいよ? だって、私は今、あなたを助けてるし!」


 得意げになるシュノンにH232は素直な謝辞を述べる。


「そうですね。感謝します、シュノン。あなたは私を二度も助けてくれた」

「二度って?」


 シュノンは前の通路を確認しながら訊く。一体どういう構造をしているのか、アリの巣のように上下左右に道が入り組んでいる。いきなり敵と鉢合わせしてしまう恐れがあった。


「一度目は、私をカプセルから」

「あーあれ? あれはセンサー三等兵のおかげだよ」


 と快活に返すシュノンは、通路の何処からか聞こえてきた声に身構える。二人組の男が複数ある横道、もしくは縦道を通ってやって来ているのだが、あまりにも数が多いのと音が反響するせいでどこから向かってくるのかわからないのだ。

 H232はソナーシステムを起動させ、周囲に音波を放つ。周辺には二人の男以外敵を確認できない。リスクを減らすためにも昏倒させた方がいいとリスク評価が下された。


「一つ、頼めますか? シュノン」

「……何を?」


 シュノンが訊き返す。H232はシュノンの節約という方針を尊重した上でのプランニング。


「敵の注意を引きつけてください。その間に私が背後に回って不意打ちをします」

「え? でもそれなら私が――」

「大丈夫ですよ。ソナーでこの通路の構造は把握できました」


 ソナー探査のおかげでマップがアップデートされ、どこをどう進めばいいのかシミュレーションできる。敵の接近がリアルタイムで進行中なので、シュノンの狼狽を無視して進行した。


「え、ちょっ! 待ってよ!」

「大丈夫ですよ。私は多目的支援型アンドロイドです」

「何が大丈夫だか全然わかんないんだけど!」

「すぐに証明できます」


 H232はアリの巣の中に消える。残されたシュノンはああ、もうどうにでもなれ、と独りごち、ヤケクソになって大声を放った。


「コニャニャチワ!」

「……今のはなんだ?」


 声を聞きつけたバルチャーファミリーの兵隊が武器を片手に駆け付ける。そして、進路上に立つシュノンを訝しんだ。


「シュノンか? どうしてお前がここに……まさか!」

「動くんじゃねえ、動いたら撃つぞ!」

「ああ、早くどうにかしてよ……」


 祈るように呟くシュノン。両手を上げて、歩み寄る兵士を十分に引きつけてくれた。


「――流石です、シュノン!」

「上かッ!?」


 H232の発声によって存在を察知した兵士だが、気付くのが一歩遅い。縦穴まで回り込んだH232の落下奇襲になす術もなく轟沈する。強烈な下降蹴りを見舞われた兵士はダウンして白目を剥いた。


『よくやってくれた。君のおかげで安全に進めるよ』

「お褒めに預かり光栄です、マスター」


 マスターに褒められたのでいつも通りに返答する。そこで、シュノンが疑問の声を出す。


「私はまだ何も言ってないよ?」

「え……あ……」


 自分を褒めたと思われた音声は、メモリー修復作業時に発生したバグだった。マスターらしき軍服に身を包んだ男がH232のアイカメラの先に立ち、微笑んでいる。その姿もすぐに掻き消えた。幻影ホログラムだ。記憶再生回路に異常が見られる。


「すみません……」

「てっきり私のことをマスターと認めてくれたと思ったのに」


 シュノンはちょっとだけがっかりしたように言った。すぐに次の手を考えるべく道を探し始める。


「さてと、次はどっちに行けばいいんだったか……」

「こちらです、シュノン」


 小さなミスを払拭するべく、H232が先を示す。下へと降りる階段だ。シュノンが拗ねたように声を漏らす。


「今私が言おうとしたとこなのに……」

「シュノンは既に十分役に立っています。そろそろ、私にも活躍の場を用意してもらいたいところです」


 階段を降りると、開けた広間に出た。天井にひしめく無数の配管のどれかが壊れているのか、水滴が滴り床には浅く広い水たまりができている。


「濡れるのやー」

「広範囲ですが、深さはないようなので大丈夫ですよ」


 せいぜい靴が汚れるだけだ。スキャンを行って対象液体が水であることは確認済み。多少汚染はされているものの、人体に有害な物質は含まれていない。ぴちゃぴちゃ、と水を跳ねながら進み、


「――しまった!」


 H232の識別コードが敵を複数体認識。アラートが鳴り響く。

 次の瞬間には無数の銃口に曝されていた。バルチャーファミリーの兵隊たちと、ボスらしきずんぐり太ったスーツ姿の男。そこから一歩引いて、バケツヘルムの騎士がいる。


「俺からは逃げられんぞ」


 騎士が言った。ボスが素晴らしいぞ、と称賛する。


「多量のパーツとエナジーを払った甲斐があったというものだ。抜け目ない男だな、チュートン!」

「依頼は必ず果たすのが俺の信条だ」


 チュートンは堂々と告げる。先程、H232を脱獄させようとしていたのに。本当に抜け目ない男だ、とH232の脅威判定プログラムは分析する。自分の利益のためなら誰でも裏切る狡猾な男だ。高潔な騎士、とは程遠い。


「ど、どうしよ!」

「……」


 H232は考えられる手立てを戦術シミュレーションでシミュレートした。だが、通常の手段でシュノンを守りながら逃げ果せるのは不可能に近い。もしH232単独なら切り抜けられただろうが、この場にはシュノンがいる。

 シュノンは危険を顧みず自分を助けてくれた。その恩を仇で返すつもりは毛頭ない。


(となれば……いや……やはり、ここは降伏――)

『人助けで重要なのは他者を守ることだけじゃない。自分を守ることも大切なんだ』

「……っ」


 また幻影が現われて、H232に教示する。思わず、エアーを呑んだ。


『意外そうな顔をしているね。君は自分を盾にしてでも市民を守ろうとするだろう。でも、それではダメだ。僕は君に市民と自分自身を守護してもらいたい。そうでなければ同行を許可しないよ。現状では君よりも僕の方が強い。だがこれは強さではなく、心構えの問題だ。例え僕より君が強くても、考え方を変えない限り、僕は君を戦場には連れ出さない』


 ホログラムはおかしな発言をしている。機械である自分を、人間であるマスターが諭している。アイカメラに映るのは幻だが、これは実際に行われた会話だ。マスターと出会って間もない時、と日時は紐づけされている。


『実戦では、戦術マニュアルはほとんど役に立たない。法と法を執行する組織は時代と共に強化され、犯罪者は激減した。だが、減ったのは偽物だけだ。状況に流されて犯罪者になった人間。治安維持軍はその程度の相手を敵とみなしていない。無論、犯罪を取り締まるのが僕たちの仕事ではあるけど、真の敵は別にいる。僕たちは常にいたちごっこを強いられている。こちらが強くなれば、向こうも強くなる。僕たちが本当に取り締まりたい真の敵は、常にこちらと同等のスピードで進化してきた。そいつはこちらの立てる作戦や戦術を分析し、こちらの予想外の方法で攻撃を仕掛けてくる。……マニュアルは無意味なのさ。本当の敵が相手では。自分で考えるんだ。敵と対峙する方法を。市民と自身を守る手段を。君には心が備わっている。君に搭載されている機能で一番重要視されたのが心なんだ。人と遜色ない心。それが、君を作った開発者が求めていたものだ。――自分の手で掴み取るんだ』


 ――何を? その疑問の答えを、H232は自分で考える。

 すぐに思い当たった。マスターが求めるもの。開発者が求めていたもの。

 そして、今の自分が求めるもの。


「シュノン、私が合図したら背中に飛び乗ってください」


 H232が小声で囁くと、シュノンは疑うような視線を覗かせる。


「は? どゆこと?」

「私を信じてください、シュノン」

「わ、わかった」


 シュノンは戸惑いながらも承諾し、ライフルを投げ捨てる。H232も彼女に倣って両手を上げて、バルチャーファミリーたちを見回した。


「みなさんは、性欲が溜まってますか?」

「――は?」


 最初に呆けた声を喉から捻り出したのは、隣でH232を信頼したシュノンだった。い、一体何を!? と焦るシュノンを横目にH232は命乞いを始める。


「私には心があります。死にたくないのです。怯えているのです。ですが、ただでは赦してくれないでしょう。脱走を企てたのですから。ゆえに、お詫びもかねて、私の身体をあなたたちに委ねましょう。ついでに、私を救いに来た哀れなネズミも差し上げます」

「はーっ!? 人のことを何だと思って!!」


 シュノンが怒って喚くが、バルチャーたちは満更でもない表情を浮かべていた。チュートンが言っていた通り、ここのギャングたちは原始的欲求で動いている。

 性欲、食欲、暴力。実にシンプルな欲求だ。街を牛耳って支配欲を満たしている。


「良いアイデアだな、ドロイド」


 メカコッコが猿山の大将と嘲笑ったボスがご満悦な笑みを浮かべる。他のバルチャーファミリーも似たような笑みだった。

 さらなる提案をH232は提示する。隣のシュノンの声が一際うるさくなる。


「では、さっそく始めてしまいましょう。とりあえず、裸体へとスキンを変更しますので。あ、まずはシュノンを裸にひん剥きますか?」

「何だと?」


 ギャングたちが鼻を伸ばす中、唯一異なった反応をみせたのはチュートンだ。彼だけは顔をすっぽりと覆うヘルムのせいで何を考えているのか判別つかない。

 ゆえに、リスク回避のためにもH232は勢いで押し切る。無理やりシュノンの外套をひったくろうとして、多くのギャングたちの情欲を煽る。あえて人の裸体に近しいスキンを選択し、男たちの瞳を好色に輝かせた。

 エサに群がるアリのように、男たちが駆け寄ってくる。ボスもにんまりと笑みを浮かべ、チュートンだけがライフルを構えた。

 その刹那、H232が指示を出す。 


「今です!」

「あ、あう!」


 返事とは程遠い奇声を発して、シュノンはH232の背中に飛び乗る。瞬間、H232は右腕をスタンモードにして水たまりに叩きつけた。雷撃が水面を伝播して、性欲を掻きたてられたギャングたちが撃沈する。

 スタンで受けた借りは、スタンで返す。自分のスタンショックは防護できるようにメカコッコは調整してくれていた。


「行きましょう!」

「う、うん!」


 H232はシュノンの落としたライフルを拾い、足底のジェットを稼働させ大ジャンプをし、チュートンのレーザーを躱す。スキンをホワイトスキンへ戻して、逃走劇を再開した。


「あなたが何を考えていたのかよくわかった! 助かったけど!」

「嘘に決まっているでしょう。これであいこですよ」


 H232は優しく微笑み、ライフルを手渡した。シュノンはハッとするが、納得しがたい、と言わんばかりの顔で受け取る。


「ついていい嘘と悪い嘘があるわ」


 H232の背中から飛び降りたシュノンが異を唱える。


「そのセリフ、そっくりそのままお返ししますよ」


 H232は駆けながら即座に反論した。H232の記憶回路は、メモリーさえ破損しなければ、無限と言っても過言ではない量の記憶を保存できる。つまり、相当根に持つタイプなのだ。


「急ぎましょう。追手が来ます」

「それなら問題ない。秘策があるの」


 ふふん、とシュノンは胸を張る。その言葉を、これほど頼もしく思ったことはない。


『人と協力するんだ。君は人々の架け橋になれる』

「わかってますよ、マスター。自分の手で掴んでみせます」

「ホントにダイジョブ……?」


 シュノンが不安視する。H232はフェイスモーションを勝気のそれにして、自信満々に答えた。


「問題は万に一つもありません。今の私は万全ですから」



 ※※※



「くそっ、あのアマ! ワシをコケにしおって!」


 唾を飛ばしながら、バルチャーファミリーのボスが憤る。その無様な姿をチュートンはヘルム越しに眺めていた。

 他人事に、哀れな連中だ、と嘲笑する。こいつらはあの程度の簡易な罠に引っ掛かった。ロボットが仕掛けたハニートラップに。

 間抜けな奴らだ。改めて思う。しかし、口には出さないし、感謝もしている。

 このようなバカが存在するから、チュートンの仕事はなくならない。バカを食い物にして、チュートンは数々の戦利品を手にしてきた。全身を覆う強化装甲鎧パワードアーマーや、背部に装着される個人携行型飛行装置ジェットパック。数々の銃器と大量の高濃縮エナジー。これらはチュートンの強さの証明であり、源でもある。


「逃すな! 捕らえろ! 無理なら破壊しろ! 赦さん、絶対に赦さん」

(ガキめ。成長しているのはその腹だけだ)


 しかしおめでたい我らがボスは、チュートンの内情など知る由もない。忠実な部下だと誤解し、その立派な腹を膨らませて命令を下してくる。


「チュートン! あのドロイドとガキを捕まえろ! 生死は問わない! ワシの元に連れてこい!」

「果せのままに」


 チュートンは一礼して追撃に赴く。

 ――俺から逃げられはしない。例え古代文明の遺産だとしても。



 ※※※



 メカコッコとアバロに協力を頼んで、準備してたんだ! そう自信に満ち溢れた表情のシュノンに連れて来られたのは、街の外部にある大きな岩場の陰だった。


「じゃーん、じゃじゃーん、じゃじゃじゃじゃーん!」

「……デジャブ、です」


 シュノンがお披露目したのは、またもやあのポンコツ車、プレミアムである。

 H232の口からエアーが漏れる。荷台に備え付けられた機関銃は補修され、シュノンが仕入れたと思われる銃器と、H232の予備パーツと思しき部品が乗せられていたのが唯一無二の救いだ。


「この街にはしばらく入れないし、少しの間逃避行するよ!」

「その意見には賛成ですが……」


 できればプレミアム以外の、本当の高級車を用意してもらいたかった。しかし、本音を言い出さない。これはメカコッコの発明品でもあると聞いている。バランサーの調整が済んでいる以上、エナジーコントロールエラーは発生しない。


「なんでしゅんとしてるの? 素晴らしいエンジンサウンドに心躍らせて、胸を高鳴らせて!」

「揺れるのは身体で、高鳴るのは動悸ですよ」


 ぼそりと呟いたがシュノンは首を傾げている。とにかくいつ追手が現われても不思議ではないので、H232は運転席に乗ろうとした。


「ちょ、そこ私の席!」

「私が運転します。シュノンの運転は危なっかしいので」


 乗り込んで、シートに座る。ベルトをし、レトロチックなキーを鍵穴に突っ込む。


「あれ?」


 しかし鍵が回るだけで、エンジンが始動しない。考えられる可能性を発音する。


「故障ですか?」

「ぷふっ」


 だが、H232の問いかけに反して、シュノンは噴き出すだけ。H232の不快指数が増加していく。見かねたシュノンが運転席に移り、手本を見せた。


「ドロイドなのにエンジン一つ掛けられないなんて……ぐふふ」

「笑っている場合じゃないですよ、シュノン! 敵がすぐそこまで来ているのです!」

「はいはい。クラッチ踏みながらキーを回して周囲確認の後、ギアを入れて半クラからのアクセルだよ」

「そんな原始的な発進方法知りません……!」


 フェイスカラーが赤を示す。三十世紀では、車を運転したことがない市民も多い。自動運転で全て賄えるので、オタクか治安維持軍のエージェント以外、好き好んで手動運転をしようとは思わないのだ。

 H232のマシントレースにも運転技法は存在するが、プレミアムには接続するためのデバイスが搭載されていないので、リンクの確立しようがなかった。


「いたぞ! シュノンのプレミアムだ」

「やっべ、遊び過ぎた!」

「だから言ったじゃないですか!」


 H232は文句を叫びながら荷台へと移る。機関銃を構えて、追ってくる車に弾丸を浴びせた。バルチャーの車は複数人乗りの乗用車で、窓から身体を乗り出してデタラメな射撃を放ってくる。H232は的確にタイヤやエンジンを狙い、走行不能にしていった。

 シュノンはプレミアムをジグザグに走らせながら、街から離れていく。荒れ地で繰り広げられるテクニカルと乗用車の銃撃戦。もし治安維持軍の特殊作戦群プロメテウスの一員だった頃のH232だったら停戦を呼びかけたものだが、今は違う。


「上手く逃げ切れそうです……!」

「あったりまえぇ! 私は宇宙一のドライバー……やっばっ!」


 迸る閃光。機関銃の銃身に着弾し、機関銃が使い物にならなくなった。射撃主は、やはりチュートンだ。彼はジェットパックで上空に浮かび上がり、ライフルでこちらに狙いをつけている。

 主武装が破壊されてしまったため、H232は武器箱から使えそうな物を探す。


「MSRPテンペスト……!?」


 拾い上げたのはMS社のレーザーピストルだ。装弾数は僅か十発。大容量マガジンに濃縮されたドラウプニルエナジーは光線へと変換され、高出力をもって一撃に犯罪者を蒸発される。あまりに強力過ぎて一時期製造中止になったほどの代物だ。

 意気揚々と高性能ピストルを構えて、バックミラーで確認したシュノンに怒鳴られる。


「こらーっ! 節約! 実銃使って!」

「え、あ、はい!」


 節約ならば仕方ない。H232は諦めて、別の拳銃を手に取った。これまたアンティークだが、シュノンの物よりは新しい。自動拳銃オートマチックピストルだ。

 物は試し、と敵車両に向けて撃つ。セーフティをきちんと外して。

 しかし、引き金を引いてもすぐに撃てなかった。首を傾げるH232にシュノンが説明。


「オートマチックだから最初はスライドを引かなきゃ! 銃の上の部分! そうそう……あー! 銃口は覗き込むな!」


 母親のように諭されて、H232はたじたじになる。言われるがままスライドを引き撃ったが、レーザー兵器と比較すると満足いく威力だとは言い難い。命中率にも難があるが、そこは腕の見せ所、と考えを改める。


(チュートンは……! ッ!?)


 チュートンは、光線ではなく実弾を撃ち込んできた。左腕部のシールドを展開して防御する。が、プレミアムの軌道を読み違えたのか、弾丸はH232から外れて荷台に着弾した。

 チュートンに反撃しようとするが、試射での測定結果では射程が届かないと表示されている。代わりに近くの敵車両のドライバーへ狙いをつけて、腕や肩に当てていく。いつチュートンに狙撃されても良い様に身構えていたが、意外なことにチュートンはそれ以上の射撃をして来なかった。追尾しても来ない。


「どうして撃って来ないんです……?」

「それは――あ、来ちゃった」


 シュノンの言葉に引きずられるようにして前を向く。すると、クァホーグループのように散弾銃を構えたバイクの集団が前方から迫っていた。


「敵の増援――ッ!?」

「じゃない、じゃないから。ああ、私のエナジー、エナジーよう」

「敵じゃない……?」


 H232の問いに応えるように、ネコ耳を頭部に装着し身体にプロテクターを身に着ける少女バイカーたちは奇声を発した。


「ミャッハー!」


 ネコの鳴き声を模した掛け声で、ミャッハーグループは戦闘を開始する。プレミアムを追撃するバルチャーファミリーの車両を散弾銃で次々に撃破し、瞬く間に壊滅させた。

 ミャッハー族のひとりがプレミアムの脇に付き、上機嫌で話しかける。


「ミャッホー、シュノン。料金を徴収しにきにゃした!」

「はいはい。今回はまぁしゃーなしね」


 シュノンはプレミアムを停車させ、訝るH232の前で中濃縮エナジー缶を三つほどミャッハーのひとりに差し出す。


「ニャヒヒ、お救い料ちょうだい! 人助けって、いいよねー」


 ミャッハーの呟きにH232は同調する。その思考自体は共感できるが、謎は深まるばかりだ。


「同感ですが、これはどういうことです? シュノン」

「これがミャッハーのやり口。襲われてる人たちを救って、お助け料をもらうのよ」


 謝礼を貰い、歓喜乱舞するミャッハー族のリーダーらしき少女が小躍りしながら補足。


「ミャーたちは、これが効率いいって気付いたのにゃ。襲われてるってことはにゃにかしらの物資を所持してるってこと!」

「つまり、助ければお礼がもらえるはずにゃ!」

「くれにゃきゃくれにゃいで、それ相応の対応をさせてもらうだけにゃのにゃ!」


 言語中枢の変換機能を少し妙な方向に使いながら、H232はミャッハーたちの言い分をまとめた。彼女たちは人助けを生活する術として活用している。これもまた崩壊世界を生き抜くための処世術。ある意味、方向性は治安維持軍と似たようなものだ。H232は違和感なく手法を受け入れることができた。


「なるほど」

「意外と儲かってるのよね、こいつら。スカベンジャーから転向しようかしら」

「ミャハハー! シュノンは無理無理。どんくさいもの」

「ちょ、どんくさいってどういう……」

「不器用ってことですよ、シュノン」

「それはわーってる! わたしゃぶきよーじゃねーですよ!」


 H232の懇切丁寧な解説に、シュノンはなぜか憤る。ミャッハーたちは健康そうな笑みでバイクに跨り、風にネコ耳をなびかせながら去っていった。

 H232は感慨深く呟く。感情アルゴリズムが嬉の波形を描いている。


「この世界にもああいう方たちはいるのですね」

「いい奴ってのは希少だからね。悪い奴よりも生き残りやすいよ。バルチャーたちだってメカコッコに利用されてるしね」

「メカコッコに、ですか?」


 意表を突いてきたシュノンの発言に、聴覚センサーが傾く。


「大規模なレストアをできるのがメカコッコだけだから、バルチャーは彼に依存しなきゃやってけない。フードファクトリーはメカコッコが直さないと使えなくなっちゃうからね。優位性がなんちゃら、って言ってたよ。今の世界は実力があれば善人だろうが悪人だろうが関係なく生き残る。例え粗暴な悪人でも、実力がなければ食い物にされるしかないってさ」

「ならもっとやりようがあった気もしますが……」


 このような大がかりな逃走劇をする必要はなかった、と思考ルーチンは結論。シュノンはにやけて肯定した。


「文句はあのニワトリにいいなよ。いけ好かないメカコッコに」


 全くその通りであると納得し、H232は助手席へと回り込む。シュノンは古めかしい運転方法でプレミアムを走らせた。

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