第15話 略奪

 胸の内から沸々とある感情が湧き上がる。言うなれば、これは怨嗟だ。

 他者を蔑む心。他者を憎む心。他者を恨む心。

 三つの感情が混じり合い、憎悪や怒りに発展していく。日差しが降り注ぐ砂漠の真ん中で、フードによりかろうじて熱線を遮断するその者は、奴隷のように身を粉にして働きながら、復讐の眼差しを裏切り者へと向けた。


「チクショウ! 有り得ない! おかしい!」

「怒っても仕方がありませんよ。疲労が蓄積するだけです」


 だが、いくら糾弾しても、殺意を視線に乗せても、そいつは取り合わず涼しい顔をしている。その顔がどうにも気に入らなくて、少女は叫んだ。理不尽を砂漠の真ん中で叫ぶ。不公平だ! と声高らかに。


「どうして私が雑用係で! 肉体労働が得意なはずのホープが観測手なのよ!」

「私の方が目が良いのですから、仕方ないでしょう。適材適所ですよ」


 ホープが呆れた様子で声を漏らす。だが、シュノンは赦すまじ、と地団駄を踏んだ。

 海賊の仲間となって、大量のご馳走を振る舞ってもらう。そこまでは順調だった。しかし仕事の話が出た途端、状況が一変する。ホープの能力を買ったジェームズは、彼女に周辺警戒を頼んだ。サンドワームや敵対勢力、砂漠を走破しようと目論むバカを探せとホープに命令したのだ。

 その後に、この忌々しい仕事を船長は下さった。ありがたい。お礼に銃弾をお返ししたくなるほどの恩義をシュノンは胸の中に抱いている。


「変なことは考えるなよ? 俺は全部感じる。お前が考える多岐多様な悪口もな」

「別に盗み見られたっていーよーだ。麗しい乙女をこき使うくそ海賊共め。後で後悔させてやる」

「面白い奴だ。……奴らもお前みたいに面白い奴だったらよかったんだがな」


 ぼやいたジェームズにホープが訊ねる。


「例の侵略者のことですか、ジェームズ」

「俺のオアシスを奪った奴ら。ただじゃおかねえ」


 ジェームズはホープの横に並び、遥か先に視線を向けながら呟く。二人の目線の先にはジェームズたちが住んでいたオアシスが存在していた。砂漠の真ん中にある機械的な街並みは無骨な印象を与えるが、街の周囲に生える木々がそこが砂漠に浮かぶ楽園であることを教えてくれる。


「……ゼウスが無事だったのなら、共和国時代の主要施設は抑える。迂闊でした。いや、メカコッコはそこまで予測していたのかもしれません」

「あのニワトリにまたハメられた」


 チクショウ、と何度目かわからない毒づきをする。シュノンの業務は荷物運びと雑巾がけだ。砂だらけの甲板を掃除したって意味がないだろうがアホ共め。そう思うのだが、どうやら彼らは常識というものを糞といっしょに排出してしまったらしい。


「おかしなガキだな。よくもまあこう悪口を思いつく」

「はいはい、全部お見通しですよねー。フノスの方が何倍マシかわかんない」

「ようやく姫様の偉大さがわかりましたか」


 ホープはそうなって当然と言わんばかりの表情を浮かべる。いわゆるドヤ顔。ちょっとどころかかなりうざい。むしゃくしゃするシュノンはふん! と鼻を鳴らし、


「そりゃあポンコツドロイドに比べたらね! 人が必死こいて雑用をやってる間、遠くを眺めて砂漠を観光中ですしね!」


 ホープは呆れるが、シュノンは気にしない。気にしてやるもんですか。


「シュノン、もう……」

「そう怒るなよ。逆に考えてみるといい」


 怒れるシュノンにジェームズは外を見ながら言う。ポンコツだからこそ、と前置きした上で。


「より優秀なお前に様々な作業を任せてるのさ。ホープは観測しかできないが、お前は荷物を運んだり、砂に汚れた床を磨くことができる。すごいじゃないか」

「そ、そりゃあまあ……あれ?」


 褒められたような気がするが、何か違う気もする。疑問符を脳裏に浮かべるシュノンを後目に、ジェームズは遠くの何もない地点を指で示して説明を加えた。


「あそこ見えるか?」

「……何が?」


 気になってシュノンが雑巾がけを中断する。が、何も見えない。だというのに、ホープもジェームズも自分を置いてきぼりにして話を進める。


「奇妙な人たちですね」

「何が見えんのさ。凡人様にもわかるように説明してくれない?」


 ぶっきらぼうに問うシュノンにジェームズは双眼鏡を手渡した。覗いて言われた方向を眺め見ると、そこには古めかしいライフルを構えた男たちが小躍りしていた。ボロキレのような服装で、頭には金属片を無理やり加工して作成したようなジャンクヘルメットが被さっている。


「何あいつら」

「サンドワームと同じく砂漠の名産品さ。くそったれの略奪者」

「あなたたちの他にも略奪者がいるんだ」

「そりゃいるだろ。でも、俺たちの敵じゃない」

「流石ですぜ、海賊様!」


 シュノンが双眼鏡を返しながら茶化すが、ジェームズは取り合わなかった。


「連中は学がなくてな。生きるか死ぬかの単純思想でしか動かない。何度か勧誘してみたが、ベストな反応を示してくれなくてね」

「海賊様でも失敗なされるのですか?」

「昔なら更生プログラムを行うことで簡単でしたが、今は難しいでしょう」


 ジェームズの代わりにホープが共和国時代の知識を混ぜて答える。シュノンはフノスの影響を受けて彼女に暴行しようとしたハゲ頭の男が助太刀したことを思い出した。黄金の種族とやらは、普通の人間にはできないことを平然と行う。

 悪人を善人にも作り変えたりできてしまうらしい。きっと、よくわからない電波のようなものを受信して、誰が悪意を持っているか、信用に足る人物なのかどうかを判定するのだろう。

 だが、それならばそれで疑問が残る。なぜ、それほどの完璧超人たちの文明が滅んでしまったのか。ホープは未だ、全てを語ろうとはしない。自分が過去について全てを教えていないように。


(ま、話したくないことは誰にでもあるよね)


 シュノンが心に湧き出た疑問を流し込むと、ジェームズは船員たちに呼び掛ける。


「よし、会議を始めるぞ! お前ら、全員集まれ!」



 ※※※



 ジェームズは甲板上に全乗組員を集めて、演説を行っていた。海賊たちは皆陶酔するかのように船長の話を聞いている。その光景だけでも、ジェームズのカリスマ性の一端が窺えた。


「俺たちの家を占拠する不届き者は、テスタメント! 機械仕掛けの人間たちだ! そこに、オリュンポスの十二神とやらも混じっている!」


 ジェームズの演説を聞きながら、ホープは敵対勢力の情報を更新していく。シュノンも隣で熱心に話を聞いていた。その様子を意外に思いながら、ホープは独自に分析を進めていく。


「連中の数は多いが、雑魚だ! 今回の攻撃には助っ人も加わった。ホープとシュノン! 見た目はションベン臭いガキだが――」

「ちょい!」


 シュノンが反論したが、ジェームズは構わず続けた。


「戦闘能力は優秀だ。ホープは戦闘全般に長け、シュノンは射撃テストでA判定だ! 能無しのお前たちとはできが違う!」

「そりゃ当然よ」

「怒ったり喜んだり忙しいですね」


 感情表現豊かな主を横目で見ながら、ホープは戦術シミュレーションを続行。

 ジェームズが画策した作戦はこうだ。まず、ゴールデンホーク号でオアシスに殴り込みを仕掛ける。

 だが、それは囮だ。本命は別にいる。


「お前たちには囮になってもらう! 敵はお前たちよりも頭の悪いテスタメント共だ! 楽勝だろう?」


 海賊たちの歓声。ボルテージが高まる。

 シュノンもなぜかイェーイ! といっしょになって叫んでいる。


「その間に、俺がホープたちと共にオリュンポスの十二神を始末する! 名前はヘルメス! 逃げ足だけが取り柄の大したことのない相手だ。前回は不意打ちを食らったが、今度は俺たちが不意を衝く番だ! お前ら、オアシスを取り戻すぞ!」


 海賊たちのテンションが最高潮に達した。あちこちから奇声が飛び交い、気合の叫びが響き渡る。

 ヘルメスはゼウスの使いであり、カドゥケウスという武器杖を使用するフットワークの軽い男だ。だが、ジェームズの言った通り戦闘力はさほど高くない。ジェームズがオアシスを奪われたのも、大気圏突入をしてきたヘルメスの部隊に奇襲を受け、人々を人質に取られたからだ。

 ヘルメスが相手なら、今のスペックでも不足なし。アレスとの戦闘と比較しても勝率は十分にある。

 そう結論付けたホープは囮となる変異体ミュータントたちを一瞥し、感情アルゴリズムを哀とした。


「どしたの……」


 目ざといシュノンが即座に気付く。


「いえ、何でも」


 ホープはアイカメラを逸らし、咄嗟に嘘を吐いた。逃げるようにその場を離れる。



 砂漠の夜空には、星の絨毯が広がっていた。アイカメラを通して観測する星々は自動的に線が引かれ、あらゆる星座を形作っている。その中で注視してやまないのが、ヘルクレス座だった。ヘラクレスから名前を取られた星座。Hの形に見えるその星座を見上げていると、聴覚センサーが足音を感知した。


「寝ないとヤバいよ。明日でしょ? 決行」

「……ええ。一日も早く取り戻したい、ということでしたから」


 ホープはアイカメラをシュノンへと移し回答。ジェームズはずっと自分と同じくらいに戦闘ができる仲間を欲していた。そこへ偶然通りかかったのがホープでありシュノンだ。

 信頼に足る仲間が手に入ったのなら、手をこまねいて傍観している暇はない。ジェームズは作戦決行日を決め、早々にオアシスを解放するつもりだった。


「姫さんとはちょっと違うけど、ジェームズもなかなか面倒くさいタイプだよね。見た目と言動からはわかり辛いけど、責任感丸出し。黄金の種族ってみんなあんななの?」

「黄金の種族は、素晴らしい人々です。人が宇宙に出ることで、空間への認識能力が高まり、その結果、共感性も強まりました。あくびが他者に移るように、彼らは他人の気持ちや、秘める善意や悪意にも勘付くことができるようになる。その結果、構築された世界からはあらゆる争いごとが減少し、平穏が保たれていました。理想郷ユートピアだったのです。ゼウスが現れるまでは」


 マスターが危惧していた真の敵。こちらの速度に合わせて、進化する難敵。それがゼウスだった。治安維持軍がそれに気付いた時にはもう、取り返しのつかない状態まで追い詰められてしまった。


「それと、昼間の悲しみ顔が関係するわけか」

「……隠し通せませんね、あなたには」


 ホープは寂しげな笑みを浮かべる。自分の周りにはこういう優しい人が多い。そのことが嬉しくて、同時に悲しくもある。優しい人々のほとんどは、自分の手から零れて死んでしまったのだ。アンドロイドである自分を生かして、殺されてしまった。


「似たようなことが、昔あったのです。大勢で、一つの目的のために作戦を行う。ツーマンセルが基本のプロメテウスエージェントでは滅多にないシチュエーションでした」


 記憶回路が当時の出来事を再生。思い出すのは死にかけた兵士と、泣きじゃくる自分だ。


「作戦行動中、ひとりの男性が重傷を負って……。私の救助が間に合わず、亡くなってしまったのです。その時と同じことが起きる気がして……」

「で泣き虫ドロイドは心配しちゃってる訳か。……その時もベストは尽くしたんでしょ?」

「はい。それでも当時の私は泣き、後悔しました」


 ホープは正直に告げる。過去形の真実を。シュノンははぁー、と大げさにため息を吐いて、


「やれることをしっかりやってたんなら、後悔は必要ないでしょ。泣くなとは言わないけどさ。下手にうじうじしてたら、その人にも失礼だよ? お化けになって出てくるぞー」


 がおー、という鳴き声と共に全く未知のお化け像をシュノンは披露する。


「ふふ……そうですね」

「ありゃ、意外。めそめそしないんだ」


 余裕のフェイスモーションのホープに、シュノンは目を丸くした。が、それも当然。当時の悩み事は、当時のアドバイザーによって的確に解消されていたからだ。


「先輩にも似たようなことを言われました」

「先輩? アンドロイドにも先輩がいるの?」

「アンドロイドの先輩がいたのです。非常に優秀な方でした。性格は少々難あり、でしたが」


 懐かしい、良い思い出。ずっと振り回されっぱなしであり、彼女のパーソナルデータはどのように形成されたのか長年の疑問であるが、それでも良い先輩であることには変わりなかった。

 願わくば、彼女も自分と同じように生き残っていて欲しいが、それは無理な願いである。ホープは悲しげな笑顔を出力した。


世界の崩壊ラグナロク時に、行方不明となってしまいました」

「……ごめん」

「いいえ。話すと気持ちが楽になります。それに、あなたの途方もないポジティブさを、見習うべきかと考えていたところです。いい機会ですし、そろそろ泣き虫の評価を撤回させてみせましょう」


 胸を張り、覚悟を述べるホープに対しシュノンはんー、と唸りながら、


「無理だと思う」


 と苦笑し、ホープは怒の感情表現を行う。


「なぜですか! 私は」

「喧嘩している最中に悪いが、ちょっといいか」


 そう言って割り込んできたのはジェームズだ。喧嘩などはしていない。ただ自分とシュノンの間にある齟齬を修正しているだけ――そう異論を挟もうとしたホープだが、ジェームズの表情を見て音声情報の送信を中断した。


「どうしたのです?」

「一応伝えた方がいいと思ってな。奴らがオアシスを占拠したのは、埋蔵されているエナジーの回収だけが理由じゃない」

「……初耳」


 シュノンもジェームズに意識を集中。昼間とは打って変わり、冷たい夜風が船上を吹き抜ける。


「実は、俺の遺伝子コードに紐づけして――何ッ!? 舵を切れ!」

「ッ、これは! 衝撃に備えて!」


 ジェームズと同時にホープも感知した。義体を硬質化させるホープの横で、状況が呑み込めないシュノンが当惑する。


「え? 何々? 一体どうし――きゃあ!」

「シュノン!」


 突然の衝撃に倒れそうになったシュノンをホープが支える。ジェームズも手すりに掴まって無事だった。忌々しそうに反対側を睨み、ホープも何もない空間を解析する。


「何が? は? 何もない……」

「光学迷彩。加えて……何も感じなかったということは」

「ロボット軍団か。また奇襲を受けるとは!」


 ジェームズが苛立った調子で怒鳴る。テスタメントが義体にパーソナルデータをインストールするのは、存在を黄金の種族に知覚させないためでもある。相手がドロイドならば、心理光は見通せない。フノスのようなテスタメントと対峙した経験があるならばまだしも、ジェームズは彼らと出会って日が浅いのだ。


「ヘルメスか……?」

「この反応パターンは既存のものとは違います。これは……これ、は」


 違和感が電脳を駆け巡る。ホープのセンサーが捉えたのは、自身が使用していたエルピスコアだ。アレスがホープから奪ったコアを、別の義体に投入したようだ。


「アンドロイド……気乗りしませんね」


 ただの他義体ならばともかく、自分の創造主が開発したコアを搭載した義体を破壊しなければならない事実は、ホープの心理光を淀ませる。だが、それでも海賊たちを守らなければならない。

 人を守るのが自分の使命。――それはいつも変わらない。


「ホープ!」

「迎撃態勢を取ります。シュノンは隠れて! ジェームズも!」

「冗談だろう? ここは俺の船だ。隠れるなんてごめんだね」


 ジェームズはホープの忠告を聞かず右手で剣を抜き取り、左手で豪華な装飾が施されたレーザーピストルを取り出した。大航海時代に使われていたフリントロックピストルを模した拳銃だ。


「どうせ隠れてても危険だって。敵さんにはお帰り願わないと」


 シュノンも自慢のリボルバーを引き抜く。ホープは心配するが、シュノンがウインクして彼女を落ち着けた。


「平気だって。いざとなったら守ってよ?」

「……そうですね。今までも、これからもです」


 ホープが臨戦状態へと移行し、海賊たちもめいめいの武器を手にかけてくる。瞬間、光学迷彩が解除され、ゴールデンホーク号と同型の帆船が姿を現した。大量のバトルドロイドの反応。テスタメントたちが、衝突した船からなだれ込んでくる。


「押し返せ! 連中に痛い目みせてやれ!」


 ジェームズの怒号に、海賊たちが応える。レーザーと鉛玉、刀剣による斬撃が入り混じる乱戦となり、ホープはテスタメントを斬り倒しながら、目当てのアンドロイドを探す。


「どこです!」

彼女シーを奪って差し上げたらどう!?」


 シュノンが捜索するホープに叫ぶ。リボルバーを穿ち、テスタメントの頭部パーツを破壊しながら。

 ホープは頷き、ジェームズへも目線を送る。ジェームズは、目の前のドロイドの首を刎ね、遠くの敵に銃撃しながら頷き返した。


「行けっ! 親玉を仕留めろ!」

「はい! やッ!」


 ホープはジャンプジェットを起動し、人間離れした跳躍力で敵船へと飛び移った。

 三点着地を決め、急いで敵を探索する。数体のテスタメントが待機していたが、ホープの敵ではない。前回テスタメントの軍団と戦った時は、守らなければいけない人たちがいた。だが、今回は信頼に足る仲間がいる。全力で敵に対処できる。


「どこです……!」


 ホープはセンサーとソナーを併用。だが、ノイズによって船内にいるということしかわからない。先程は感知できた反応が曖昧なものへと変化したということは、敵はホープの測定機器をジャミングできる機能を有しているということになる。

 アレスよりハッキング能力が広範囲に及ぶ相手。戦術シミュレーションが開始され、脅威判定プログラムも連動する。


「戦闘タイプではありませんね。だから姿を現さない」


 感情が存在するアンドロイドになら、会話は有効手段と成り得る。情報収集手段にも。相手のアクション次第でホープの戦闘方針も決定される。

 敵は無言。ただこちらだけをじっと見ている。敵は何らかの形でこちらの能力を知っている可能性が高い。


「会話には応じませんか。ゼウスが創生したアンドロイドは、あまり好ましくない性格の者が多いのですが、あなたはそうではないのですか?」


 ゼウスのアンドロイド育成環境は最悪だととっくの昔に結論が出ている。へパイトスと共にゼウスが開発したアンドロイドは、好戦的で残忍で、共感性が欠如している者が多い。ホープが忌み嫌うタイプだ。とは言え、自発的ではなく作為的なものなので、ホープも恨むに恨めない。なるべく機会を与えたいと考える。

 そのための呼びかけにも、謎のアンドロイドは応えない。となれば、こちらも相応の態度を取らざるを得ない。


「治安維持法に則り、武力を使用し当該義体を拿捕します。ご了承ください」


 ホープはピストルを抜き、左手のシールドも展開。そして、船体内部へと下る階段へ足を掛ける。

 刹那、閃光が迸り、ホープは後ろへ飛び退いた。銃を構えて、頭上へと向ける。


「光学迷彩を使用していましたか。予想の範疇内です。てっきり屋内戦が得意なタイプか……と……?」


 ホープの分析が止まる。アイカメラのピントが、一点へと集中する。フェイスインターフェースは呆然として、それを見上げていた。明確に観測できるのに、銃口が定まらない。


「嘘……です」


 それは帆柱の上で、優雅に佇んでいた。冷酷なフォーカスで、下に立つ希望を見下ろす。絶望に染まりきった瞳だった。漆黒の義体は、自身の観測結果に疑念を抱かせて余りある。

 だが、ホープは砂漠仕様に調整された義体の性能を疑わない。ゆえに、その結果が間違いではないと……対象が、既知のアンドロイドであると認識する。


「――せん、ぱい?」

「その呼称は不適切です。私はオリュンポス十二神、アテナ」

「……っ」


 ホープはその音声を聴覚センサーでとらえ、一時的にフリーズした。かつての面影はどこにもなく、快活とした笑顔も失せている。だが、間違いなく先輩だ。

 ――W117。治安維持軍特殊作戦群プロメテウスエージェント所属のアンドロイド。情報戦に優れ、ホープが困った時にはいつも適切な助言で助けてくれた。


「ウィッチ先輩! あなたはアテナなどでは! アテナは既に斃れました!」

「今は私がアテナです。十二神は常に入れ替わる。弱き者は淘汰され強き者だけが生き残る。それがオリュンポスの掟であり、主神の目指す世界なのです」

「く……そんな!」


 話し方すらも変わっている。性格も変動してしまったのかもしれない。

 いや、もしかすると記憶が消去されている可能性もある。連中は容赦のない奴ら。かつてのマスターが真の敵と断定した存在だ。非情な選択を平然と行う。


「先輩……」

「H232。ご同行願います。あなたを捕獲するのが私の最優先事項です」

「……先輩のスペックでは、私に勝てません。投降を」


 勧告しながらも先輩……アテナが従うはずはないと結論は出ている。それでも問いかけずにはいられなかった。そして、予想できた……聞きたくなかった回答が聴覚センサーへと届けられる。


「それはこちらの忠告です、H232。……捕獲任務を実行します」

「く……ッ!」


 ホープが逡巡する間にも、アテナは戦闘行動を開始する。アイカメラを閉じ、何かへと量子通信によるコマンド送信。光学迷彩がさらに解除され、隠されていた全貌が露わとなる。

 アテナは巨大な翼を装備していた。いや、正確には翼ではない。情報粒子の伝達でコントロールされる外部支援デバイスだ。機械の翼の羽が射出され、遠隔操作されるガンウイングとなる。


「パラスによる攻撃を開始」

「パラス・アテナ……!」


 以前のアテナもパラスという名の追加外骨格を使用していた。今ホープと敵対するアテナもメドゥーサアーマーに加え、パラスという支援武器を扱うようだ。


「せんぱッ……仕方、ありませんか!」


 ホープは八機ものパラスによる射撃を受けて、甲板の床を走り回る。シールドでレーザーを防御しながらパラスに銃撃。


「実弾兵器での破壊は不可能です」

「ならば! ッ」


 瞬時に対策を組み上げて――ホープは躊躇う。例え強固な装甲を貫けなくても、操縦主であるアテナを戦闘不能にすればそれで終わる。だが、その戦術判断は無効化された。

 実際に、アテナに銃を向けてもホープは引き金を引けない。感情アルゴリズムに恐れが乗っている。


「これも考慮して……!」


 アテナは一切の防御を行わない。いつでも狙撃しやすいように、全身を月明かりに曝している。倒そうとすればいつでも倒せるが、下手な攻撃ではアテナに重大なダメージを与えてしまう可能性がある。


「……ッ!」


 ホープは銃撃を中断し、アームソードでの刺突へと切り替えた。グラップリングフックの狙いを手近なパラスへと定め射出、引き寄せて斬撃を放つ。破損はできないが、一時的に引き剥がすことはできた。似たような攻撃を繰り出し、しばしの間自由を手に入れる。


「先輩!」


 ホープは腕剣で帆柱を切り落とし、バランスを崩したアテナが甲板へと落下した。そこへ腕剣を収納し、右腕をスタンモードへと変更する。銃撃がダメなら打撃を使う。適時判断したホープはアテナへと肉薄し、


「失策ですよ、H232」

「――何を!?」


 自分の判断ミスに気付く。アテナはホープの攻撃を避けようとも防ごうともしない。ただ、自分に向かってパラスの一斉射撃を行っただけだった。そうすることで、ホープがどう行動するのかを彼女はよく知っている。


「く――うぅッ!」


 ホープはアテナを庇うべく、シールドでレーザーを防いだ。だがレーザー出力は高威力であり、シールドが融解し始める。


「せ、先輩! 避けて!」


 しかしホープの叫びは通じず、漆黒へと染まったアテナは動かない。


「先輩……!」


 ホープも動けなかった。見捨てるわけにはいかないからだ。例えそれが罠だと知っていても、彼女は自分を支えてくれた恩人だから。

 機械的判断ではなく、人情的判断で、ホープはレーザーをまともに喰らった。小規模な爆発が発生し、ホープは悲鳴と共にゴールデンホーク号へと吹き飛ばされる。


「ああッ!」

「ホープ!?」


 甲板に墜落したシュノンが慌てて駆け寄る。テスタメントたちはほとんどが鎮圧されていた。


「何が? どうしたの!」

「先輩が……!」

「はぁ? ……ってうわッ!」


 最初にシュノンの悲鳴が響き、次々と海賊たちの叫びが続いた。パラスが海賊に危害を加え始めたのだ。彼らは俊敏に動くドローンになす術なく蹂躙され、一人ずつ倒れていく。

 最後に残ったジェームズが、一機のパラスにレーザーを穿ち破壊した。そして、四方をパラスに囲まれたことを悟る。


「くそっ……!」

「船長!」

「寝てろ! 変な気を起こすんじゃねえぞ!」


 部下に命令しながらジェームズは剣を投げ捨てる。シュノンはホープの傍で銃を構えていたが、ジェームズを疑心の瞳で見つめた後、渋々と言った様子でリボルバーを捨てた。念で銃を捨てろと諭されたのだろう。

 ホープはシールドが解けた左手を目視し、ゆっくりと立ち上がる。抵抗の意志はない。


「第二、第三目標の確保」

「やっぱりか。だが、第三ってのは何だ」


 ジェームズが訝しむ。彼は自分を敵が捕らえに来ると知っていたようだ。

 その疑問に、アテナは目線だけで答える。冷淡な視線に晒されたシュノンは、困惑しながらも訊ねた。


「私? 何で……」


 シュノンの問いをアテナは無視し、淡々と状況復唱を続ける。


「全ターゲットの確保を確認。……訂正、一名に反抗の兆しあり」


 そう漏らすや否や、アテナはパラスの全照準をホープに向けた。

 アラート。アテナの行動が予測できない。


「……なっ」

「ちょ、ちょっと待ってよ! 何してんの!」


 シュノンが焦る。ホープも焦燥と悲哀が電脳を駆け巡っている。ホープは一切の戦闘行動を停止している。完全に制圧下に置かれた今、そのような判断に至るはずはない。なのに、アテナはレーザーの充填を始める。

 抵抗しようとしたシュノンを、ジェームズが駆け寄って止めた。


「おい、止せ!」

「離して! 何でホープを……! 逃げて! ホープ!」

「先輩……」


 ホープはシュノンに片目を振りながら、再びアテナを注視する。

 刻々と充填されるレーザー。ホープは義体を最大硬度まで高めながら、アテナを戸惑い交じりに目視していた。

 そうして、違和感に気付く。そこへ発せられる無情なコマンド。


一斉射撃フルバースト

「ホープ!」


 シュノンの焦った叫び声が響く。

 ホープはレーザーに包まれる瞬間、シュノンを見据えて音声出力した。不思議と焦りはない。ただ希望だけが胸に灯っている。


「シュノン! 私は絶対に――ッ!!」


 直後、ホープは爆発に呑み込まれた。跡形もなく消え失せる。

 残されたシュノンが膝をつく。


「ホープ……! 嘘でしょ? ホープ!!」


 シュノンの悲痛な叫びが虚しく轟く。

 しかし、機械少女アンドロイドはマスターの呼びかけに応えない。


「ご同行願います、お二方」


 代わりに応えたのは、別の機械少女アンドロイドだった。アテナはシュノンとジェームズを連行して船へと乗り込み、ゴールデンホーク号から離脱した。

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