第12話 予兆

 プレミアムに搭載された擬似ニトロ……加速装置は濡れた路面で暴れ回っていた車体をさらに融通が利かないものへと変えた。視界が明瞭でない状況下で、この速度を保つのは宇宙一のドライバーを自称するシュノンと言えども困難だ。

 だが、フノスのサポートがあれば違う。どういう理論かは謎だが、姫は的確に邪魔と成り得る障害物を感じ取れた。見て取った、ではない。感じ取っているのだ。


「前に岩があります。横へハンドルを切ってくださいまし」

「わかった」

「次は……ちょっと失礼」


 突然詫びるとフノスは窓から身を乗り出し、パンパン、と二発ほど銃撃。すぐさま走行不能となったバイクが視界の端に現れ、キャハヤーと悔しがっていた。

 この超常現象に理解を巡らせる時間はない。シュノンはひたすら滑るプレミアムと格闘し、どうにかして持ち直していた。スピンしてしまったら最後、間に合わなくなってしまう。キャハヤーがいなければ別だろうが、奴らは蛆虫のように集ってくる。


「くそ、そろそろ時間か……」


 シュノンはメーターを見ながら苦言を吐く。この加速装置の致命的な欠陥は、スピードが増加する分だけドラウプニルエナジーを追加消費することだ。消費量が倍増するため下手に使い過ぎるとエナ欠となってしまう。これが本来のニトロとの違いだ。ガソリンとナイトラスオキサイドの組み合わせだったら、エナジー切れには陥らない。


「でも振り切ったかな……?」


 キャハヤーの奇声は聞こえなくなっている。雨音もだいぶ静かになってきた。

 峠は越えたか? そうシュノンが安堵したのも束の間、


「ブレーキ!」

「なっ、何……」

「ブレーキを踏んでくださいませ! 早く!」


 フノスの剣幕に圧倒されたシュノンは急ブレーキ。瞬間、進路を塞ぐようにタンクローリーが出現し、横向きになって障害物と化した。カエルが一斉に鳴き出すように奇声が響き渡る。キャハヤー、キャハヤー、キャハヤー! 全方位を囲むように現れたキャハヤー族たち。焦燥で心がどうにかなってしまいそうだった。


「嘘……!」

「進路を塞がれました……退路も」


 フノスも焦り交じりの声を出す。ホープのタイムリミットを気にしているのだ。

 もはや考える猶予は残されていない。敵を早急に片付ける必要があった。シートベルトを外し、リボルバーを引き抜く。

 ドアから飛び出ようとしたシュノンを、フノスが引きとめた。エイトもわんわんと吠えてくる。


「お待ちになって、シュノン!」

「止めないで! 急がないと! 急いで倒さないとホープが!」

「だからこそ、です。もう少しだけ、お待ちになって」

「何を……」


 訝しんだシュノンが訊き返した瞬間、熱線が迸った。同時にキャハヤーの悲鳴も。

 何事かと窓の外を注視する。そして、キャハヤー族が上を見ていることに気付く。釣られて視線を空に上げると、見覚えのある騎士が空に浮かんでいた。


「お前たちのような雑兵など、敵ではない」

「チュートン!?」


 銀の装甲鎧を煌めかせ、チュートンが飛行している。代名詞であるジェットパックはレストアされ、より強固な状態となって騎士を高見へと昇らせていた。銃剣付きレーザーライフルがキャハヤーを一人ずつ撃ち抜き、チュートンには一切の攻撃が当たらない。悠々と反撃を回避しながら、チュートンは饒舌に述べていく。


「その女共は俺の獲物だ。お前たちには渡さんぞ」

「私たちのこと狙ってるんじゃ」

「違いますわ。敵意を全く感じません。それよりも……」

「あっ、そうだった! 急がないと!」


 シュノンはプレミアムを後退させ、タンクローリーを迂回する。謎の救援を行った騎士を不思議に思いながらシティへの進行を再開した。

 チュートンは敵を始末しながら、その姿を見送る。


「依頼は必ず果たすのが俺の信条だ。依頼は果たしたぞ、ドヴェルグ」


 レーザーが最後の一人を貫いた。



 キャハヤーを振り切ってからというもの、目立った障害に遭遇することはなかった。ここまでは順調。だが、リミットは刻々と迫っている。最大の難関がバルチャーファミリーだ。奴らと交戦して、或いは裏を掻いてチキンラボまでホープを運ばなければならない。

 メカコッコがホープのコアを調達できるのかという問題も残されている。シュノンの焦りは募る一方だった。そこへ、フノスが励ましてくる。


「全て上手くいきますわ、シュノン」

「それも視えるの?」

わたくしも万能ではありません。全てがわかるわけではない」

「なら意味ない……」

「でも、諦めてはなりませんよ。ホープは諦めなかったのです。あなたも、ね」

「言われなくても」


 ――わかってはいなかった。でも、たった今思い出した。ホープは諦めなかったから死にかけている。曲がりなりにも生きているのだ。もし諦めていたら死んでいた。例え瀕死の状態でも、ホープは息をしている。機械少女アンドロイドなので表現は間違っているかもしれないが。

 なのに、どうして諦めきれる? 希望が棺に詰まっているのに。自分を信じてくれたのに。


「……見えてきた!」


 プレミアムのフロントガラスにシティが入り込んでくる。ホープと初めてシティに訪れた時、彼女は街があることを喜んでいた。滅亡した世界は、徐々に復興し始めているのだと。速度は遅いのかもしれないが、着実にゴールまで向かっている。果てしない未来へと。

 回想しながらアクセルを踏み続けるシュノンは、ふと疑問を感じた。改めて、シティの外観を見回すが、疑問は解消されずますます膨れ上がる。脳内を占拠する謎は、シティの景観の変化を発端としていた。

 シティのカタチが違う。バルチャーファミリーが棲み処としていたガラクタタワーは改修され、機能的な塔へと変異を遂げている。アンテナのようなものが見えるので、通信塔の役割も担っているのかもしれない。


「活気溢れる街、ですわね」

「活気? 活気ねぇ……」

「普通の街ですわ」


 街の雰囲気を読み取ったフノスが感想を並べ立てる。シュノンが引っかかったのは普通という評価。普通とは暴徒が跋扈し、常に危険が付きまとう状況。自分の身は自分で守り、都合のいい助けなどは期待しちゃいけない……。

 それがシュノンの普通。だがホープと同じように、フノスの感覚も違うのかもしれない。


「普通の街って?」


 あえてシュノンは問いかける。フノスはにこりと微笑んで答えた。


「安心できる街、ということですよ」


 シュノンは自分とは違う普通の概念を、相棒であり友の言葉を信じてみることにした。普段なら秘匿するプレミアムを街中へと進ませる。そして、意外なものを見た。

 検問が敷かれ、プロテクターを身に着ける兵士が止まるように警告してくる。敵かと身構えたシュノンの肩に、フノスは優しく手を置いた。エイトも嬉しそうに鳴く。


「平気ですわ」

「本当に?」


 疑いの眼となるシュノンへ、やってきた別の男が話しかける。


「短い旅だったな。予定より帰還が早い」

「アバロ? 何してんの?」


 ジャンク屋であるはずのアバロが、一丁前に軍人のような格好をしてきた。いつもならそのギャップを面白おかしく笑うものだが、ぴりぴりするシュノンはそんな気分になれない。

 アバロはその焦燥を見抜くかのようにゲートを開けろ! と指示を飛ばした。


「積もる話は後にしよう。それと、俺はアバロ少佐だ」

「少佐……?」

「行け。メカコッコが待ってる」


 言われるがまま街を走る。敵に襲われることなく。暴徒につけられることもなく。バルチャーに因縁をつけられることもない。

 不思議な感覚に囚われながら、シュノンはチキンラボへとプレミアムを向かわせる。到着し、シャッターが開いた。メカコッコ以外にも人が大勢いる。

 その中に自分からホープを略奪したバルチャーファミリーの兵隊がおり、シュノンは車を降りながらも警戒するが、すぐにその男はこびへつらってきた。


「ど、どうもシュノン様。お帰りなさいませ! お荷物などはありますか?」

「へ……?」


 緊急時なので手作業はやめないが、間の抜けた声が漏れる。そこへ、人だかりを割りながら一匹のニワトリがやってきた。男はメカコッコを見るや否や委縮し、情けない姿で逃げていく。


「戻って来たな。状況は把握しているよ。準備はできている」

「ど、どういうこと……!?」

「話は後だ。まずはホープにコアを装着しよう。急いで」


 シュノンは訳もわからないまま、メカコッコの指示に従う。フノスは物知り顔で微笑を浮かべ、エイトもなぜか事態を悟っているように吠えた。



 ※※※



 アンドロイドも夢を見る。人間と同じように。

 微睡みの中、幻影の海。溶けて壊れて砕かれて、複雑に絡み合い再構成される。

 幻影世界の狭間で、ホープは浮かんでいた。


 ――あなたは人類の希望。人と新人類の架け橋。もし、私が死んでしまったら――。


 ノイズ。情報の断片。意味ある言葉が裁断されて、無意味な残骸へと成り果てる。


 ――いいか。僕は君に君以上のものを求めたりしない。だから――。


 その記憶は保存されている。だが、記憶回路が機能しない。全て、全てだ。全ての機能がシャットダウン中である。

 宇宙に散らばったノートは、何が記されていても用途を成さない。その情報が誰にも渡ることがないからだ。永遠に拡散し続ける深淵の中で、誰に悟られることもなく流されていく――そんな感覚。


「死とは、何でしょう」


 虚空であり、深海であり、宇宙の果てでホープは問う。

 答えは恐らくデータベース内に記載されている。だが、検索することはできない。ほんの僅かに稼働する心理光だけが、淡く明輝しホープの自我と自己認識を保っている。この光が消えれば、ホープはホープではなくなる。アンドロイドの自我がリセットされる。

 心とは、ただのプログラムではない。

 アンドロイドは人を模しただけの機械ではない。

 人間が、あらゆる動物が外側から自分と言う生命を進化させていったように、アンドロイドもまた義体から構築され、じっくりと自我を生み出すことから始まった。

 自分とは何か。他人とは何か。世界とは何か。

 何かを理解するためには、まず問いを投げなければならない。漠然と答えを与えられるだけでは、真なる意味での理解は達成できないからだ。

 だから、ホープは問い続ける。既に知り得る答えを。


「生とは、何ですか」


 死を理解するためには、生を知らなければならない。生なくして、死を定義することはできない。

 しばらく宇宙を彷徨って……自分自身から発せられる心理光の音を聞いて――ホープは自分なりの答えを得た。この答えは既知かもしれないし、未知かもしれない。

 どちらでもいい。重要なのは考えることだ。正解か不正解かも関係ない。


「生――意識の、自我の保持」


 シンプルな答え。全ての物事が複雑化しているわけではない。人間が世界を複雑に見ようとしているだけなのだ。ただ、そうしたいからという欲求で。そうであってほしい、という希望的観測で。

 生の概念が単純なら――相反する死もまた、至極単純なものとなる。


「死――意識、自我の崩壊」


 自分という概念の喪失が死となる。機械の身体は生身の身体とは違い多少の融通が利く。壊れれば交換できるし、全てのパーツが破壊されてもバックアップデータによって復元できる。そこで対面するのが、この生と死の問題だ。

 肉体的に不死身のアンドロイドに死の概念はあるのか? ホープはあると定義する。それが精神的な死。意志の喪失。自我の喪失。精神の喪失。

 わたしという存在の消滅。それが死である。


「もうすぐ、私は死を迎えます」


 心理光が弱まる。コアを憑代に心理光は留まる。光を保持するコアがない状態ではいずれ世界へと拡散され、ホープも宇宙を構成する概念物質へと成り果てる。打ち捨てられたノートのように、無意味な情報粒子となって消え失せる。

 だが、そうはならなかった。光が不意に強まり、誰かがノートを掴み取ったことを悟る。有象無象のゴミの山から、スカベンジャーはまたもや自分を救ってくれた。


「感謝します、シュノン。――マスター」


 以前、ホープはシュノンのマスター呼称は友達ゆえに、と説明したことがある。

 あれは嘘だ。アンドロイドも嘘を吐くのだ。人間と同じように。



「……っ」


 寝台の上で覚醒を果たしたホープのアイカメラが最初に捕らえたのは、視界いっぱいに入るシュノンの泣きそうな表情だった。


「泣き虫のようですね、シュノンは」

「泣き虫はあなたでしょ……!」


 説得力のない顔でシュノンは言う。多次元共感機能はシュノンの感情が悲哀と歓喜を伴うものであると指摘。だが、口には出さない。情報の共有、観測結果の指摘を行うことはしなかった。

 言うべきことを言うべき時というものがある。また、言わないべきことを言わないべき時も。

 シュノンは映画的言い回しを控えている。なら、自分もまたアンドロイド的発言は抑えるべきだ。そう思って正規会話プロセスを実行しない。


「私の方が先輩なのに! どうして無茶したの!」

「それはお互い様ですよ、シュノン。あなただって援護したでしょう。私は求めていなかったのに、アレスへ銃撃を加えました」

「助かったから結果オーライでしょ!」

「なら、助かったから結果オーライでしょう」


 ホープはそっくりそのままシュノンに言葉を返した。彼女の言いたいことはホープの言いたいことでもある。互いに互いを指摘して、自分の言葉に言い包められてしまう。

 フノスは隣でにこにこと笑っている。ホープも釣られて笑みを浮かべて、


「わん!」


 という奴の鳴き声で、幸福感が一気に吹き飛ぶ。


「もしや、ここに、彼を連れてきてはいませんか……」


 恐る恐る訊く。シュノンはおあいこなのにふん! と鼻を鳴らして、


「いるよいるわよいますわよ! わからず屋は犬に食われちまえ!」

「なっ! 非はお互いにあるでしょう! あなたは危険を犯し、私も同等のリスクを……!」

「いーや、私は超完璧で入念かつ打算的な方法であのサイボーグをフルボッコにしたけど、あなたはコアをぽいしておねんねしてただけ! 私の方が大変でしかも超安全。危険でデンジャランスでデスロードだったのはあなただけだよ!」

「矛盾してます! 完全に計算範疇外だったでしょう! それに、アレスの追跡を振り切ったのは私がコアを摘出したからで――!」

「知らない! エイト!」

「ひっ!」


 エイトが臨戦態勢に入り、ホープは寝台から転げ落ちそうになるが、フノスが思念で犬を諭したのか、ホープを無視して離れていく。ちょっと! とシュノンが反目するが、フノスは笑って横にずれた。その陰に隠れていた人物……鳥が姿を現す。


「悪いね。戯れるのはもう少し後にしてくれ。先に情報を共有しておきたいんだ」

「ま、いいけど。エイトは忠実なワンだしね。ふふふ」


 ゾッとする笑みをシュノンは浮かべる。

 なんて恐ろしいのですか。ホープは自身のマスターの恐怖支配に慄く。彼女がここまで横暴な主人だとは思わなかった。

 そんなホープの感情アルゴリズムを知る由もないメカコッコは、いつぞやのように左右にダンスしながら説明を始める。


「丁度今話に出たコアの件だが、ホープ。君の判断は正しい。私が通信設備を新設したところ、君の反応が感知できた。恐らく、君のマスターが仕掛けたものだ。君が無事に起動したら、然るべき存在が速やかに発見できるよう細工を施していたのだろう。結果的に悪用される次第となってしまったが」

「マスターの気遣い、だったのですか」

「余計なお世話だったのかも」


 ぼそりと呟いたシュノンの発言に、今回ばかりはホープも同意せざるを得ない。


「ええ、そうかもしれません。私に任せてくれれば……」


 あくまでマスターはゼウスを討伐し、今後の憂いを断ち切る手筈だったのだろう。だが、予想に反してゼウスが生き延びてしまい、アレスが復活し、ホープが狙われることになってしまった。

 意図したものではない偶然の産物。ホープの感情アルゴリズムが冷感触。もしアレスに座標データを奪われていたら、今回のようにマスターの善意がそのまま悪意へと変わり果てていた。無自覚な悪意へと。


「まぁでもわからなくはないよ? 決死の策が心臓摘出とかいうアホなドロイドだし」

「シュノン!」


 意外にもシュノンはマスターの肩を持った。いやぁ、前の人の気持ちがよくわかるよ。会ったこともないのに、さも知った風にシュノンはうんうんと首を傾げる。その動作に消化器官がスタンドモードになる。

 だが、感情アルゴリズムのリズムに則ってホープが怒りを発する前に、メカコッコ

が割り込んだ。間の悪いニワトリである。


「君に内蔵されたコアは、エルピスコアよりもグレードダウンしてしまった。あれは私の弟子が丹精込めて作成した最新型だ。だが、その代わりより現代に合わせた調整が可能となった。私なりのアイデアも盛り込んである。エナジーターボチャージャーも付与した」

「エナジーターボチャージャー……?」

「ニトロのことよ。メカコッコ版」

「あれとは原理が全く違うがね」


 自己診断でホープは自身に追加された機能を把握。エナジーを通常よりも多く消費して、その分義体性能を格段に引き上げるシステムのようだ。

 以前搭載されていたアクセルモードに近しいシステム。アクセルモードは周囲のエナジー送信機を触媒として性能を向上できたため、こちらのような目に見えるデメリットは存在しなかったが……。


「最後の切り札、ですか。最悪エナジーが枯渇してしまいます」

「もしくは、大容量のタンクを背負って使うべき機能だね。ないよりはマシだろう。……アレスに対抗する手段にもなり得る」


 メカコッコの言葉通りだった。現在の義体レベルではアレスに対応できない。とは言え、問題はそれだけではない。スペックが引き上げられてもアレスの戦闘技巧を突破できなければ意味がない。

 しかしそれはあくまで自分の問題なので、口には出さなかった。ホープの自己分析が終了したのを見て取ったメカコッコは、くちばしを上と下でずらした。


「危惧すべき事柄は多分にあるが、とにかく今は再会を喜ぶべきだろう。良くも悪くも、ゼウスの出現は予想の範囲内だった。何の策もなく、奴が世界を滅ぼしたりはしないだろうと踏んでいたからね」

「予期していたのですか、メカコッコ。でしたら……」

「だから君のような存在が現れるまで、息を潜めていた。私個人の力だけではあの男に勝ち目はない」


 メカコッコの言葉は少々の理不尽は感じるものの的確だった。だがやはり思考ルーチンに浮かぶのは、事前伝達の必要性だ。シュノンも同じ意見だったようでぼやくように呟く。


「でも前もって言ってくれりゃあ」

「なら、もう少しゆっくりして欲しかったね。過ぎたことを言ってもしょうがないが」


 辛辣なニワトリに、ホープもシュノンも反論できない。シティを飛び出したのは自分たちだ。以前ホープがシュノンに指摘したコミュニケーション不足の問題点が浮き彫りとなっている。


「それは、すみませんでした」

「別に私は怒っていないよ。非は私にもあるからね。だが、失敗を帳消しにするぐらいには働いたとは思う。……共和国復興の足掛かりができたからね」

「そうだ! どういうこと? シティが私の知ってるものじゃなくなってるよ!」


 意味深なメカコッコのセリフにシュノンが大げさに食いつく。そう言えば、とホープも周囲を見渡した。周りには街で死んだ瞳をしていたはずの市民たちが精力的に作業している。中にはプロテクターを身に着けた男が立っているが、彼らは市民を監視するというよりも警護するために直立しているように思える。


「全く未知の街なのに、懐かしい匂いがしますわ。ホープ、あなたの嗅覚センサーでは感じませんの?」

「……匂いはわかりませんが、確かに懐かしい感覚はします。全く違う、知らないものを見ているのに」


 フノスの問いかけに、ホープは同調する。新しいが懐かしい。奇妙な感覚だったが、嫌ではない。幸福を感じる。

 どういうこと? と首を傾げるシュノンと疑問を呈するホープに、メカコッコは羽を広げた。両手を広げて歓迎しているつもりなのかもしれない。


「ようこそ、シュノン。おかえり、ホープ。……地球連合共和国首都、メトロポリスへ。ここは、共和国を復興させるための最重要拠点だ」


 きざなニワトリの予想外の説明に、ホープはしばしの間フリーズし、シュノンは口をあんぐり開ける。

 そうして、同時にハッとして、喜びを噛み締めた。


「やった? やったの? ホープ!」

「これは良い兆候です! 世界を本当に救えるかもしれません!」

「救えるかもではありません。救うのですよ、ホープ、シュノン。あなたたちの力で」


 フノスが微笑を湛えながら告げる。ホープはすぐに首肯したが、ふとシュノンが心配になった。

 

 ――もし、やっぱり嫌だ、と言い出したらどうしましょう。彼女には身に秘める使命などないのですから……。

 

 そう考えて、すぐに杞憂であったことに気付く。シュノンはやってやる、と意気込んで気合を入れていた。


「だから言ったでしょう! 私はメシアだって! ぱぱっと救って平和にしてやる!」

「では早速会議をしよう。問題は山積みだ」

「オッケー! ほら、ホープ! 何してんの? 行くよ!」


 ノリノリのシュノンはそそくさと別室へ足を運ぶ。ホープはその頼もしさに心理光を浸して、返答した。


「はい!」


 希望の予兆が世界を包む。ホープは新たなる希望を手に入れた。

 意気揚々と別室に向かうホープだが、フノスが黙考していることに気付いて歩みを止める。


「姫様?」

「……何でもありませんわ。少し考え事を」

「では、先に行って紅茶を準備しておきます。……あれば、ですが」


 やはりマーズティーの入手は不可能であろう。姫様には低品質の紅茶で我慢してもらうしかない。

 そうタスク管理するホープは、フノスの疑念に気付けない。


「どうして、彼はわたくしの好きな紅茶を知っていたのでしょうか」


 フノスは独り言を呟いた後、エイトと共に会議室へと向かって行った。

 不穏な予兆を携えたまま。


 

 ※※※



 主の元へ帰還したアレスは、真っ先に報告へと赴いた。自分の過ちを告白し、咎を受けるためだ。テスタメントをアレスが罰するように、アレスもまた主の罰を甘んじて受ける。

 主は開発途中の施設にある観測塔で世界の様子を俯瞰していた。多数の機器が存在する場所かと思いきや、そこには何一つない。主が座る椅子だけが置いてある。

 主には何も必要ないのだ。監視衛星も探知機すらも。主は世界を感じることができる。アレスよりも明確に。


「戻ったか、友よ」

「H232を逃がしました。罰を」


 跪いて早々、アレスは打ち明けた。言い訳をするつもりはない。自分は過ちを犯した。ならば、罰を受けなければならない。

 だというのに、主はおかしそうに笑っただけだった。見る者を凍てつかせる笑みで。


「わざと見逃したことを失敗とは言わん。成功と言うのだ」

「マスター」


 アレスが顔を上げる。どうやら主は全てお見通しのようだ。

 やはり、自分如きとは違う場所に主は立っておられる。


「わかりますか、マスター」

「無論だとも。そなたはH232を利用できると踏んだのだな?」

「仰せの通りです、マスター。彼女と邂逅した結果、二つの品を手に入れました」

「見せてみよ」


 言われるがまま、主に二つの物品を差し出す。

 姫の血液サンプルとH232のエルピスコア――。

 主はアレスの渡した品を掲げ、満足げに頷いた。


「素晴らしい。どちらも我が欲していたものだ」

「しかし、これでH232の追跡は不可能となりました」


 アレスは事実を進言する。だが、主は全てが予定調和というように返した。


「構うまい。追跡が困難ならば、現れる場所に網を張ればよいのだ」

「……では、私に」


 その一言で、アレスは一瞬にして主の考えを読み取った。主は無論だ、と前置きした後でさらに続ける。


「だが、そなた一人では荷が重かろう。テスタメントも芳しい成果を残せていまい。……早速、このコアを利用するとしよう。上手くいけば、多くの事柄が解決する」

「仰せのままに、マスター」


 アレスは主の掲げるエルピスコアに目を向けた。

 神の娘であるパンドラは、神の策略通りに箱を開いた。あらゆる不幸と悲劇、災厄が詰まった箱を。最後に残ったエルピスは、希望と解釈されるのが通例だ。

 だが、こうも考えられる――これは兆しだと。新たなる破滅への予兆であると。


 ――H232。お前は俺に謀られたのだ。そのことを知らずに、小さな希望に浸るがいい。その希望、俺がこの手で打ち砕いてみせよう。必ずだ。


「怒りを感じるぞ、アレス。よい兆候だ。憎いのだな。ヘラクレスが」

「はい、マスター。私は、あの男の遺志を殺すためにここにいます」


 沸々と怒りが湧き上がる。H232の存在は、否が応でもヘラクレスを知覚させる。あのアンドロイドの陰に、あの男がいるのだ。

 赦しはしない。確実にこの手であの男の希望を葬らなければならない。

 確固たる意志をぎらつかせるアレスに、主はほくそ笑んだ。


「憎悪はそなたに絶大な力を与えるだろう。……皮肉なものだな、友よ」


 ゼウスは眼を瞑り念を送る。すると、床の一部が上昇し一つの棺が現われた。

 その中に入る者を眺め、ゼウスはエルピスコアを投じる。光が闇に染まっていく。

 希望に呼応して、新たなる絶望が動き出す。


「では、計画を推し進めるとしよう。目覚めよ――」


 オリュンポスの十二神の一人が覚醒を果たした。全ては主の予想通りに。

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