第11話 会敵

 ソナー探査では、大量のテスタメントが探知できた。総数は十九体。アースガルズへの道すがら、破損した義体が確認できたので本当はもっと数が多かったのだろう。

 だが、それでも敵の方が多い事実は変わらない。低スペックのテスタメント相手なら何十体いようと問題ないが、目下の不安要素は機械男サイボーグだ。

 男の波形は感知できなかったが、いないと楽観視するほどホープの危機管理能力は低下していない。慎重に通路を進んで機械男を探す。


「隠れられる場所が少ない……」


 シュノンが改めて施設内を見渡して弱音を吐く。避難用シェルターは最低限の機能が簡潔に構築された施設のため、身を隠せる場所が少ないのだ。


「シュノンは出口の確保を。私が姫様を救出します」

「ひとりで? 無茶だよ!」

「救出作戦は少数の方が成功確率は高いのです。ですから、お任せください」


 ホープが胸を張って答える。シュノンは心配な眼差しを注いだが、ホープは嘘偽りのないフェイスモーションで彼女の不安を吹き飛ばした。

 実際に、救出任務は少数精鋭で行われることが多い。プロメテウスに所属するほとんどのエージェントはアンドロイドとのタッグか、単独で任務を遂行することが多かった。

 その基本方針は性能劣化した今も変わらない。例え、当時と比べて成功率が段違いに低下しているとしても。


「本当に?」

「逃走経路を確保できなければ、成功率はぐっと下がってしまいます。あなたに全てが懸かっているのですよ、シュノン」


 シュノンを上手にコントロールする方法の一つがおだてだ。映画育ちのマスターは、デジタルアーカイブに保存される映画のワンシーンのように大げさに照れてみせた。

 いやぁ、そう言われるとなぁ。ご満悦にサブマシンガンを通路に向ける。


「まぁ、私はメシアですから、これくらい当然なんですけども」

「そうですね、シュノンはメシアです。ですから……」

「バトルドロイドのクズ共に、我々の力を思い知らせてやれ」


 シュノンが映画の名言らしきものを言い放ち、にやっと笑った。ホープも笑みを返して二手に分かれる。

 シュノンは当初の打ち合わせ通り、逃走経路の確保。

 ホープは姫様の救出だ。それぞれ別の通路へ音を立てずに走っていった。



 姫様は思いのほかすぐに見つかった。いや、誘い出されていると考えるべきか。

 ホープは瞬時に罠だと判断を下した。電脳内にアラートが鳴り響き、広間の入り口から注意深く中を観察する。

 棺が並べられる中心地に、姫様は寝かされていた。ぐったりと弱っている。観測するに肉体的なダメージというよりも精神的なもののようだ。


(姫様……)


 ホープは姫の身を案じながらも、すぐには踏み込めなかった。テスタメントが警備に付いていない。有り得ないことだ。彼らが姫を必要としているならば。

 だが、姫を囮に自分を誘い出す罠だったと考えれば、合点がいく。初歩的かつ典型的な誘き出しだ。シンプルだが、自分のようなアンドロイドには効果覿面。

 人質を取って倒すべき敵を誘き出し、目当ての対象を始末する。ゼウス配下の選ばれし者たち、オリュンポスの十二神の中でもアルテミスが最も得意としていた狩りの手法だが、あの機械人間サイボーグが彼女であるとは到底思えない。弓を使わないのが何よりの証拠である。


「……行きますか」


 ホープは敵の正体への推理を中断し、ゆっくりと広間へと進行する。死者の王国の中心地へと。

 そして、ソナーとスキャンを併用しながら、姫様の御前へと近づく。


「姫様、起きてください」

「ホープ……」


 意識は喪っていなかったようで、フノスは弱弱しく声を吐き出した。だが、その声音の力なさは自らを取り巻く状況に圧倒されているというよりも、ホープが現われてしまったという事実から発せられたようにも多次元共感機能が測定する。


「来てしまったのですか、ホープ……」

「もちろんです。私はあなたを守ると」

「罠ですよ、これは。わかっているでしょう」


 悲観にくれた姫は気弱に訴える。第一王女は昔のままに、以前のような気品を喪失してホープを糾弾してきた。

 それに、ホープは真摯のフォーカスで答える。


「わかっています。わかった上で救いに来ました」

「――良い心がけだ、H232」

「やはり来ましたか」


 背後から唐突に掛けられた声に、ホープは身構える。やはりセンサーやソナーに反応は見られなかった。この男もチュートンと同じくアーマーにステルスコーティングを施している。

 男は初めて邂逅した時と同じように、仁王立ちをしていた。油断しきっているように見えて、その実全く隙がない。下手な射撃は男には届かず、じわじわと死の恐怖が対峙した相手を襲い、闘志を砕いてくる。

 だが、市民が怖じようともプロメテウスエージェントは恐れない。自分は希望ホープなのだから。テンペストを構えて、左手で姫の拘束を解く。


「シュノンが外で待っています。今のうちに」

「ですが、アレスの狙いはあなたですのよ、ホープ!」

「アレス――。わかっています。隙を見て逃げますから」


 ホープが諭すと、フノスは絶望を醸しながら見つめてきたが、ホープの希望を携えた視線で幾ばくかの気力を取り戻した。言われるままに、シュノンの元へと駆けていく。

 機械男サイボーグ……アレスは、特に気にする様子もなくその逃走を見送っていた。フノスの言った通り、狙いは自分なのだ。ホープはアレスという異名を持っていた男へ想いを馳せる。

 奇しくも、かつてのマスターと共闘し斃した男だ。


「生きていたのですか、アレス」

「俺は地獄の淵から蘇ったのだ」


 と応じるアレスにはかつての面影が微塵も残されていない。強いて言うなら武装である刀ぐらいだが、昔のアレスはレーザーブレードを使っていた。容姿もパーソナルカラーも異なっている。共和国時代は血の色を好んでいたはずだが、今は漆黒の装甲に身を包んでいる。

 そこまで考えて、義体を硬質化させた。もう姫はシュノンの元へ辿りついているはずである。これ以上、睨み合う必要もない。


「昔話は後にしましょうか、アレス」

「望むところだ、H232」


 アレスが抜刀。ホープはテンペストの引き金を引いた。

 熱線が広間を駆ける。

 閃光が刀で斬り落とされる。



 ※※※



 事前の打ち合わせで脱出ルートを決めていたシュノンは、目当ての通路の前でカバーしながら悪態を吐いていた。


「ちょっと、どういうことよ。何で逃げ道に敵さんのすしパックが大好評発売中なわけ?」


 覗き見る通路の先には大量のテスタメントが配置されていた。念のため別の道も見てみたが、そこにも敵さんのオンパレード。

 どこもかしこも警備状況はハードでヘビーだった。ならば来た道を戻ろうか、と逆戻りしたが、そこにも敵が突っ立っている。


「どーなってんの。逃げ道を塞がれたってこと?」


 とするならば、敵の狙いは最初から自分たちだったということである。どうやらあの機械男サイボーグは絶世の美少女である自分に惚れてしまったらしい。

 ああ、こいつは困る。私、サイボーグはタイプじゃないの。映画チックに自惚れた後、シュノンは男の目的を思い描く。


(いや、流石に惚れたは有り得ないし……。プレミアムに轢かれそうになったのを根に持ったのかしらん? しつこい男は嫌われるぞ! いやいや、それもないだろうから、だとすれば……)


 はたと思い出す。男の言動を。たった一言だけ聞いた、男の言葉を。


「まさか狙いは、ホープ……?」

「シュノン……!」

「うわっ、しーっ! しーは静かのしー! お敵さんにお聞こえになっておしまいますよ」


 口元で指を立てて、名前を呼んだ相手の声の音量を下げる。そうして、今度は自分が大声を出しそうになったところへ手が伸びた。

 ふぬふ! くぐもった声でその名を呼ぶ。


「お静かに。敵に聞こえてしまいますわ」

「みまそめばたじがうったせでふ」

「そうでしたね。これは失礼しました」


 賢しいお姫さんはシュノンの発言をきちんと理解してみせる。シュノンは感心したが、今はそれどころではないと考えを改めて、


「ホープはどうしたの」

「アレスと交戦中です……」

「やっぱり。マジか、マジかぁ」


 声を潜めて会話し、シュノンはため息を吐く。天才的頭脳で辿りついた答えはやはり真実だった。アレスというのはあの機械男サイボーグの名前であり、ホープはあのヤバそうな奴と戦っているという。

 なら、やはり援護に戻るべきだろうか。それとも、こちらはこちらで脱出の手筈を整える?

 悩みに悩んだシュノンは、当初の方針に従うことにした。日常面ではふがいなくとも、戦闘面でのホープは非常に優秀だ。


「とりあえず脱出方法を探そう。お姫さんも手伝ってよ」

「ええ……。気丈ですね、シュノンは」

「ホープは強いから大丈夫。今回の目的はすたこら作戦だし」


 ホープを信じて、シュノンは周囲を散策する。そして、フノスがちょいちょいと肩を突いてきた。何でしょうか、超神聖帝国第一王女様。いつものペースで問い返し、フノスの支援の先に合った物品に目を輝かせる。


「おお! これ、映画で見たことある奴だ」

「貨物運搬用のトロッコですわね。わたくしが使った脱出用カプセルもこれで運びましたわ」

「ああ、おっさんの棺ね」

「避難用シャトルを庇ったせいで墜落してしまいましたの。宇宙戦闘機スペースファイターの操縦には自信がありましたのに」


 お姫さんは自分が操縦していたかのように落胆した。


「……ん? まるで自分が操縦してたような口ぶりだね」


 いやいや、まさか。自分の思考に呆れながら、横に二台並ぶトロッコを観察する。三人程度なら余裕に収まる大きさで、敵の群れを突っ切って脱出できる優れ物。

 問題はトロッコの操縦権が自分たちにあるかどうかだった。AIコンシェルジュはホープの予想通り、掌握されていた。デリートされてしまっている、とホープは見立てを立てている。協力は得られないだろう。そう渋顔を作ったのも束の間、


「操縦権は確保しましたわ。後はホープが戻るのを待つだけですが……」

「ん? 何だって?」


 またまた面白いことをおっしゃりになられる。いくらお姫さんがハイスペックでもそう簡単にハッキング返しできるはずが。そう踏んだシュノンの予想を、フノスはいとも簡単に覆した。頭をトントン、と指で叩いて、


「テレパスで認証作業は終えましたわ。どうにもテスタメントのハッキング能力は低いようでしたので、一瞬で終わりました。コンシェルジュも消去されてはいなかったようですし」

「あー……そう。あはは。くそ……役目を奪われたよ」


 フノスの高性能ぶりと言ったら、今にもホープにインストールしたいぐらいだ。だが、あのポンコツな友達は、信念をしっかり持ち、自分にコミュニケーションの楽しさを思い出させてくれた。

 悪い面はあるものの、今のままでいい。とりあえずは、当面は。

 カチャ、とシュノンはピストルを取り出しフノスへと手渡した。


「とりあえずこれ、自衛用。ちょっとホープ見てくるから」

わたくしも同行させてもらいます」

「でもそしたら誰がトロッコを」

「コンシェルジュです。……アレスは強敵。当初の手筈通りならもう戻ってきてもおかしくはない。そうでしょう? ですから、あなたはわざわざ見に行くのです」


 痛いところを突いてくるお姫様。彼女の言う通り、いつホープが戻ってきてもおかしくはない。

 なのに、一向に戻ってくる気配がない。計画変更を余儀なくされる。


「ん、そういうことなら……」


 アレスに会いたくないというのがシュノンの本心なので、頼れるお姫様の同行はどちらかというとウェルカムだ。推奨はされないが、こうなったら仕方ない。

 本当にヤバい奴が相手の時は、シュノンのスーパーヒーロー振りはなかなか発揮できないのだ。使える物は何でも使わないと殺されてしまう。


「クレイドルも言ってたしね……」

「どなたのことですの?」

「また後で話すよ。機会があれば」


 例え機会があったとしてもあまり話したくはないけど。

 そう前向きに考えて、シュノンはフノスと共にホープの援護へ赴いた。



 ※※※



 刃が煌めき、閃光が斬り砕かれる。戦場を閃く光線は、役目を果たせずに切り捨てられた。


「くッ……」

「無駄だ」


 アレスは斬撃でテンペストのレーザーを無効化しながら接近してくる。対して、ホープはまともな迎撃策を取ることができなかった。


「まさかレーザーを切り裂くとは……!」


 そのような芸当は一部の達人でしかできはしない。ホープもレーザーデバイスを用いれば不可能ではないが、率先してやろうとは思わない。ましてや、実体剣ではなおさらだ。

 しかしアレスは回避行動を取る様子も見せず、ただ真っ直ぐにホープへと向かってくる。ホープはテンペストの射撃を中断し、代わりにライフルの連射を見舞った。


「これでも、ダメですか!」

「無駄な足掻きだ。止せ」


 鉛玉が猛烈な剣圧で斬り落とされる。弾丸がコンペイトウのように散らばり、アレスに対しては何の障害にもならないことが証明される。

 戦術データベースの記録では、銃撃を無効化する相手には近接戦闘が推奨されている。だが、その指標はあくまで電磁バリアやレーザーシールドを保持している相手が対象だ。実剣で弾丸を弾き返す相手への戦術フィードバックはごく少数しか反映されていない。

 しかし、少数ながらも攻略法は存在している。ホープは右腕と右足のパワー出力を増加させ、アレスへと加速。右足に格納されたチェーンソーを展開し、彼へと斬り蹴りを放った。

 肉薄し、刀とチェーンソーが激突した刹那、瞬時にアームソードの刺突を行う。弾丸よりも素早い速度で放たれた腕剣はさしもの戦神と言えども防げまい。

 そう判断した上での攻撃は、ある程度の成果を上げた。ある程度には。


「初歩的な動きだ」

「――ッ!?」


 アレスは首を傾けて難なく避けてみせた。チェーンソーを刀で受け止めながら。

 ホープが次撃に踏み入る前に、アレスは左手でホープの首を掴んでくる。咄嗟に左手でアレスの腕を掴み返したホープだが、アレスは動じずに彼女を地面へ叩きつけた。内部に衝撃ダメージ。一瞬だけ処理停止したところをアレスはさらなる連撃。振り下ろされる刀をアームソードで防御する。


「ぐッ!」

「お前では勝てん。無駄な抵抗は止せ」


 高周波の振動でブレードが発熱し、ライトアームにエマージェンシーが発せられる。危機回避のためにスタンミサイルを左脚部から放ったが、アレスはスタンショックを気にも留めなかった。右腕に装着される剣が悲鳴を上げて、腕ごとすっぱり切断される。緑色のドラウプニルエナジーが血のように零れて、ホープは片手で難なく持ち上げられた。


「ぐぁッ……」

「その身に隠す情報を曝け出せ。データを寄越すのだ。お前はパンドラの箱。その身に秘められるのはこの世全ての災厄だ」

「誰があなたなどに!」


 アレスに座標データを渡してはならない。マスターが遺してくれた希望が絶望に上書きされてしまう。世界を救うチャンスが、世界を滅ぼすきっかけへと変化してしまう。

 そんなことはさせない。させてはならない。いざとなれば自爆してでも。

 そう奮起するホープの思考ルーチンを先読みするように、アレスはホープを壁へと投げつけた。空中に浮かんで、壁を砕くほどの衝撃に義体が曝される。


「――ッ!」

「渡さぬと言うのなら奪おう。俺に抗うことなどできん!」


 エフェクトのかかった音声が広間をこだまする。アレスは体勢を立て直すホープへと近づきその頭へ左手を置いた。瞬間、セキュリティが機能停止に陥る。実戦だけでなく情報戦もホープはアレスに負けていた。

 振り上げようとした左拳が停止し、アイカメラ一つ動かせなくなる。唯一ハッキング対象外だった感情アルゴリズムだけが悲鳴を上げた。


(そんな……ダメです! ダメ……!)

「別個のキーが仕掛けられている。やるな。だが、時間の問題だ」


 アレスはホープからデータを吸い出すべく、暗号の解除に乗り出した。

 自分の頭の中が覗き見られ、隠したい大切な物を奪われる感覚。何の感情よりも勝るのが深い悲しみだった。怒りよりも自分の不甲斐なさに嘆きが湧く。

 マスターに託された役目を果たすことなく、みすみす敵に情報を奪われてしまう。何の抵抗もできずに。これ以上悲しい出来事があるだろうか。

 いいや、ない。泣きたくなる。泣き叫んで嗚咽して、絶叫したくなる。

 だが、心理光が弱まる時は、いつもあの人の言葉を思い出すのだ。

 ――希望はいつもそこにある。もし希望が近くにないのなら、君自身が希望の光となって絶望を照らすんだ。

 瞬間、機密コードが全身を巡り、主導権がホープに映った。感情と理性の乖離が著しい時、ホープは感情を優先して行動できるよう設計されている。それはハッキングされた時も同様だ。いくら行動停止のコマンドを入力しようとも、心が拒否していればホープは独自の行動を取ることができる。


「私はッ!」

「――まだ抗うか、H232!」


 それでも活動範囲は狭まれる。中破した状態での、出力低下した左腕部での抵抗。やれることは限られた。だが、だからと言って諦めると言う選択肢は残されていない。

 自分は希望なのだから。希望を守護し、最後まで諦めない。


「無駄だと言ったはずだ」

「無駄かどうかは……私が決めます!」

「ホープの言う通り!」


 刹那、銃弾がアレスのハッキングデバイスを損傷させ、ほんの一瞬彼が隙を作った。そこへホープは足蹴りを放つ。同時に足底に設置されたジェットを噴射しアレスをよろめかせた。


「こっちだよ、ホープ!」

「今行きます、やッ!」


 エナジーをレフトアームに集中させて、思いっきり拳を打ち放つ。アレスが後退し、その隙を縫ってホープは新たなるマスターの元へ脱出を図る。

 アレスは追撃するべくピストルを抜き撃ち放ったが、ホープがシールドを展開し防御した。そのまま通路へと躍り出る。


「コマンダー、H232を拘束しろ」

 

 アレスは即座に指示を飛ばすが、返ってきたのは苦し紛れの返答と暴徒の歓声だった。


「申し訳ありません! 今は暴徒の鎮圧ちゅ……うわッ!」

「ヒィヤッホー! マジでバトルドロイドがいるじゃねえか! 取り放題だぜぇ!」


 行く手を阻むかと思われたテスタメントが、暴徒たちに襲われてちりじりになっている。その中には姫様に暴行を働こうとした不届き者がいたが、その男は信念を燃やした眼差しでこちらを見返し仲間たちを鼓舞していった。


「まさか、恩義を感じたのでしょうか」

「いやぁ、いいハゲだったぽいねー……って、腕がないじゃん」


 飄々と言うシュノンだが、片腕を喪失したホープの状態を見て顔をしかめる。フノスはその先で銃を撃ちながら脱出ルートへ扇動していた。


「急いで、ホープ! 追い付かれる前に!」

「わかりました! ……これは」


 シュノンとフノスに導かれホープが辿りついた場所は、二台のトロッコが並列する運搬用のルートだった。これなら徒歩で逃げるよりも素早く脱出できる。だが、間際にホープの脳裏をよぎったのはアレスの存在だった。

 その場しのぎで少し離れた程度では、あの男は絶対に追いかけてくる。その予感がホープの電脳内を多く占め、量子演算でも裏打ちされていた。

 何か策が必要だ。敵を遠ざけるための策が――。


「ホープ、早く!」

「姫様」


 ホープはシュノンではなくフノスを呼ぶ。フノスはトロッコに乗りながら何かしら、と訊ねてきた。


「どうかしまして? ホープ。急がなければ」

「このトロッコの出口は一か所ですか?」

「……いえ、途中で分岐していますわ。でも、その程度で誤魔化せる相手では」


 察しがいいフノスはすぐにホープの思考を読み取った。だが、完璧にではない。

 ゆえに、今度はシュノンを見据えてホープは声を発する。

 また彼女の助けが必要だ。


「シュノン」

「何よ、改まって。すぐそこまで敵さん来てるから早くしないと――」

「あなたに、希望を託します」

「どういう……」


 ホープはシュノンに答えずトロッコに飛び乗る。二台のトロッコが別々の出口へと並走し始めた。



 ※※※



 H232は逃げ果せたと思っているようだが、そうではない。アレスは彼女の存在を感じ取ることができる。主は崩壊世界にも最低限のネットワークを構築している。これはテスタメントには与えられていないものだ。

 彼女の反応がどこに向かっているのか手に取るようにわかる。例え地の果てまでも追跡することができるだろう。全てはゼウス様のために。忌々しい男の遺産を破壊するために、アレスは行動する。


「ヘイムダル、王女殿下、H232。お前たちはなぜわからぬのだ。自身の行為が無駄であると」


 アレスは暴徒とテスタメントが交戦する通路の中を、防御も回避も攻撃もせず堂々と進んでいく。レーザーが周囲を飛び交うが、着弾しても気にしなかった。漆黒の装甲は数十発程度の熱線では破壊不能だ。今はそんな些事よりもH232の方が重要だった。

 パンドラの箱に秘められし災厄と希望。座標データは主の目的を遂行するために必要不可欠だ。

 憎きあの男とオーディンは、主に遺産を隠し通した。無駄な足掻きだと知りながら。

 治安維持軍もプロメテウスエージェントも、愚行によって主の計画を遅らせている。その愚かさには怒りを感じる。強烈な憎しみを。なぜわからない。

 自分の行いの無意味さに、なぜ誰一人も気付かないのだ。


「愚鈍な者たちよ。現実を知るがいい」


 アレスは運搬ルートを追尾し、二つに分かれたトロッコの片方へ接近した。

 近づくにつれて反応がより濃く、強く感じられる。奴らは二手に別れ、H232は自身を囮に二人の人間を救ったのだ。

 ――結局、俺からは逃げ切れない。俺はお前の全てを知っている。俺を出し抜くことなど不可能なのだ。

 停止したトロッコを発見し、アレスはゆっくりと歩を進める。付け焼刃の奇襲如きで倒すことはできない。アレスはH232よりも全てにおいて勝っている。

 勝利を確信し近づいたアレスはトロッコの中を覗き込み、


「バカな……」


 手を伸ばしてそれを持ち上げた。神々しい輝きを放つエルピスコアを。

 アレスが衛星を通して観測できるH232の反応はコアに紐づけされている。コアを摘出されれば、アレスはH232の存在を知覚することができなくなる。

 だが、これはH232の機転というよりも、彼女があの男の教えに従ったがための作戦だ。

 ――市民を守る。自分を犠牲にせずに。それがH232に課せられた使命。


「…………」


 黙して、アレスは先を進む。身を焦がすほどの怒りが全身を駆け巡るかと思いきや、意外にも怒りは湧いてこなかった。

 ただただ空虚に足を進め、外へ出る。テスタメントの回収をする気はさらさらない。

 H232のコアを携えて、主の元へと帰還する。



 ※※※



 ――私はこれからエルピスコアを摘出します。恐らく、アレスは私のコアを追跡しているのでしょう。そう考えれば、彼がピンポイントで私を見つけたことも納得できます。コアを摘出することで、彼の追跡を逃れられるはずです。


 ――コアを摘出すれば、私は活動不能となります。加えて、一定以上の時間が過ぎると保持するデータが全て破損。人間に言いなぞらえるなら、死を迎えます。


 ――シュノン、あなたを宇宙一のドライバーと見込んで頼みます。どうかタイムリミットまでに私をメカコッコの元へ送り届けてください。そうすれば、誰も死なない最良の結果を迎えられるはずです。お願い、できますか?


 そう言って、ホープは自身の心臓とも言えるコアを排出し、動かぬ人形へと成り果てた。

 シュノンはフノスと彼女の足元で蹲るエイトと共にプレミアムへホープを積み込み、必死にシティへと走らせている最中だった。

 シュノンの中に様々な想いが巡る。自分勝手なアンドロイド。自分が死ぬかもしれない危険を冒して、勝手に守った気になっている。


「ふざけないでよ……!」


 文句が口を衝いて出た。こっちはホープが無理しないように、こんなことにならないように散々気を使ってやったというのに、当の本人は素知らぬ顔で自殺紛いの行動へと踏み切った。


「もし間に合わなかったらどうするつもりなのよ……!」


 今までに培ったドライビングテクニックを駆使して、シュノンは荒れた大地を不安に苛まれる顔で走る。その場しのぎの打開策ではダメだとあれほど言ったのに、ホープは聞いていなかった。

 世界の先輩であるシュノンの意見を無視して、勝手に我儘に死にかけている。

 ――自分の身を挺して守った、クレイドルのように。


「もう嫌よ、あんな感覚……!」

「シュノン……」


 助手席のフノスが心配してくれているが、シュノンにはまともに取り合う余裕がなかった。悪化する天候がシュノンの内面と連動したかのように雷を光らせる。

 最悪な天気だった。大雨が降り、オフロードカーと言えどもタイヤが滑りやすくなってしまう。

 雨脚が強まるほど、シュノンの焦りも強くなる。一つのミスが命取りになりかねない。もし横転してしまったら、ホープは二度と帰らぬ人となる。もしかしたら別の人格がインストールできるのかもしれないが、そんなことはごめんだった。外側が同じでも中身がいっしょでなければ意味がない。容姿が全くいっしょなだけのクローンではダメなのだ。ホープのパーソナルデータでなければいけない。


「昔の運び屋ってのはこんな気分だったわけ!」


 他者の生存のために車を飛ばす。そんな事態になったのは人生で初めてだ。命のゆりかごを親の元へと運ぶコウノトリ。シュノンはデジタルアーカイブに保存される運転が得意な主人公たちをイメージし、自分もアクションヒーローになったつもりで車を運転した。そうでも思わなきゃやってられない。生まれて初めての重圧。

 自身が殺し、殺されるよりも辛いのではなかろうか。

 他者の生死が、自分の手に掛かっているという事態の重さは。

 苛立ちと不安を隠さずに運転するシュノンに、フノスが呼びかける。


「嫌な気配を感じましたわ。悪意を伴う人々の群れが前方から現れる……」

「不吉なこと言わないで!」


 この状況で邪魔されるなんて冗談じゃない。その想いから怒声を飛ばしたシュノンだが、フノスは残念そうに首を横に振って銃を構えた。エイトが悲しそうに鳴く。


わたくしは事実を述べただけです。気配が徐々に近づいてきますわ」


 フノスは真摯に述べて、窓を開きサブマシンガンの銃口を外に向ける。そして、視界が悪い中、引き金を引いた。闇雲な射撃と思いきや、豪雨に混ざって走行不能となったバイクをプレミアムが追い越していく。

 フノスは銃を撃ちながら、奇妙な言葉を漏らした。それはシュノンにとってなじみ深い奇声だった。


「キャハヤー……? 何ですの?」

「キャハヤー族……! そうだ、ここは奴らの!」


 シュノンははたと思い出す。シティ周辺には三つの勢力が縄張り争いをしている。どうやら全滅してしまったらしいクァホーと時たま協力するミャッハー。

 そして、今プレミアムの前から進攻してくるキャハヤーだ。


「キャハヤー! 獲物がブヒブヒ言いながらキタゼェ! お出迎えだァ!」

「邪魔しないでッ!」


 よりにもよってこんな時に! シュノンの鼓動が早鐘のように早まる。

 連中を振り切るべく、シュノンはニトロを始動することにした。始動するとエナジータンクから通常よりも高濃度に圧縮されたエナジーが充填され、爆発的な加速力を得られる。ニトロと呼称しているのは、シュノンがカーチェイス系の映画に影響されたためだ。


「……この状態でさらなる加速を? 大丈夫ですの?」

「大丈夫じゃなかったら横転するか、爆発するか、キャハヤーに殺されるかだよ」


 いつになく真剣な表情でシュノンは言う。エイトが同調するように吠えた。運転席と助手席の間にある装置をパチパチとボタンを押して操作していき、最後の切り札! の注意書きが貼ってあるボタンの前で指を止める。ちらり、とバックミラーで荷台に固定されている棺を一瞥。中にはホープが眠っている。

 ――死にかけながら、眠っている。


「舌噛まないように気を付けて」


 シュノンは警句を放ちながらボタンを押した。瞬間、プレミアムが凄まじい勢いで加速する。

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